ゴゥンゴゥンと壊れた機械のような音を出しながらゆっくりと揺れて進む電車の中、ミクとかいとは肩を並べるようにして座っている。廃棄駅《スクラップホーム》を出てからまだ駅は一つも通っていない、速度が遅いからとかじゃなく廃棄駅《スクラップホーム》だけが特別離れているのだとかいとは言った。
「……歌のことだけど」
かいとは話を唐突に変えて、ホームで話していたことに戻した。
「昔は一人だけ俺の音に合うような歌を歌う奴がいたんだ。二十年……いや、そこまではいかなかったと思うが、十七八年くらい前だったかな?」
「もしかして、ここに廃棄世界《スクラップランド》を設立する、と言った人なのでしょうか?」
「そう」かいとは頷き、「昔も今もこれからも、俺はあいつの専属ギタリストで、あいつは俺の専属シンガーだ」
衝撃の告白だ。ハクが全盛期と呼んだ時代を作り廃棄世界《スクラップランド》を設立した、まさにその人の後ろにかいとの音があったということなのだから。
つい想像してしまう、歌を塗り潰してまで主張する音をまるで赤子をあやすかのように手懐け歌う歌手を。その歌手は、きっと音が大好きなんだ、ミクはそう思う。
かいとは反応の薄さに若干驚いたが、感情の起伏の少なさからミクがそういう感情を表に出さないものなんだと決め、話を続けることにする。
「あいつの為にギターを弾いた五年間は楽しかった。あの時のギターの音だけは俺には綺麗に聞こえた、こんな汚い音さえあいつは引き連れて何もかもを輝かせて希望を照らしたんだ」
だけどな、とさっきまで興奮気味に話していたのとは打って変わって、しかしさりげなさを装いながら、
「止めたんだ。唐突に始めて唐突に終わったんだ。信じられるか? あいつはずっと一緒にいた俺にさえ何も言わなかったんだ。みんなはあいつがまた歌えるように歌う場所を作っても戻ってこない、みんなは自分達が元気になったから歌わなくなったって言ってるし、俺もそんな気がする。あいつは優しいからな」
ミクは記録に何か引っかかりを覚える。ハクは何と言っていたか、何と噂されていると言っていたか。ミクが考え辿り着いた答えは、ハクが、
「その人の……、名前はなんと言うのですか?」
確信を持ちながら聞いた。かいとはしばらく目を閉じて何かを考える。話すべきか話さないでおくべきかを決めかねているようだ。かいとは目を開けミクの目を見る、無垢な瞳には悩んでいるかいと自身が写されている。
ゴゥンゴゥンと壊れた機械のような音が微妙な沈黙の間を取り持つように響く。
ガコンと何かの段差を越えるような音がかいとの言葉を打ち消した。口だけ動いているのを見たミクだが内容まで理解することはできなかった。
「なんと言ったのでしょうか、聞き取れませんでしたからもう一度お願いします」
「ああ」即答したが悩み詰まって、しかし意を決したように、「初音ミクだ」
「――……はい?」
私がどうかしましたかとでも言いたげな顔をするミクに、分かりやすく言葉が足される。
「ここに廃棄世界《スクラップランド》を設立する、そう言ったのは初音ミクだ」
名前が被ることは珍しくもなんともない、名前を変更して使うことが出来るとはいえ人の名前が被るように、ボーカロイドやその他多種多様な機械の名前が被ることは仕方のないことだ。しかし、被っている相手がある一定地域とはいえ崇拝されているような、そんな特殊な意味を持つ名前と被るのは意図がある場合が多い。例えば影武者であったり偽物としてデビューを考えていたりといった具合だ。
かいとがミクを見つめる。責めるように見ているようにも見え、ミクは恐怖から焦りと緊張を感じた。
「お前は、あの初音ミクを知っていながら初音ミクと名乗っていたな」疑うように信じるように、相反する二つの気持ちを抱きながら、「何故初音ミクを名乗った?」
「私は名無しでした。悪性のデータとなった私は破棄されたことにより、無害なデータの集まりとなり雨によって完全に浄化されました。しかしそれだけ、言葉はおろか思考さえ覚束ない時、ハクが名前がないと不便だと言って私に初音ミクの名前をくれたのです」だから、「私は初音ミクと名乗りました」
ミクの真っ直ぐな視線を受けて真実だと確信するかいとはそうかとだけ言って少し楽に座り直す。初音ミクと言う名前を悪いようには使わないと知り安心したのかもしれない。
「あまり名乗らない方が良い、その名前はこれから行く町の中じゃ麻薬みたいな効果があるからな」
「ではなんと?」
「ミクだけで良い」
かいとがそう言うと意味が分からないというような顔をミクはする。本当にそれだけで大丈夫なのかという心配を聞いて貰おうと口を開いたところで、かいとが先に言う。
「ここじゃ音がほとんど全てを決めるから、初音ミクという五音の言葉とミクという二音の言葉は全く違う別物になるんだ。だからミクとだけ名乗れば問題ない」
ゴゥンゴゥンと壊れた機械のような音が小さくなっていく。いや、電車の速度が落ちているだけのようだ。
「出るぞ、あんまり中心街に近づくと楽しめない」
「分かりました」
かいとが立ったのに合わせてミクも立ち上がる。
やがて電車は人がまばらにいる駅に止まり扉を開いた。ミクとかいとの二人はその駅で下車して階段を上り、数時間ぶりに情報の光が光速で走る空の下に戻ってきたのだった。
♪ ♪
人で溢れているとまではいかないものの多くの人が市場の中を歩いていた。市場の先にはビル群が、廃棄駅《スクラップホーム》のあった場所から見るよりも大きく見える。
かいとは雑踏の中に足を踏み入れようとして、ミクを振り返った。ミクはいきなりの雑踏に竦んでしまっているのか、少し後退りしてしまっていた。はぁとため息を吐いたかいとはすっとダンスに誘うように手を伸ばし、
「手、繋いどくか? 迷子になられても嫌だし」
「……ありがとうございます」差し出された手を握り、「経験がおありみたいですね」
「ルカは迷子の常習犯だからな」
繋いだ手に引かれながらミクは雑踏の中を進む。自分より一歩先をかいとが歩いているため歩きやすい、きっとかいともそれを分かった上でそうしているのだろう。
市場の中、それぞれの店や屋台に出されている掘り出し物の数々は宝物のようにミクには見える。商品は全て廃棄物から作ったものか修復したもののいずれかであり、表層域のネットワーク上ではガラクタにしか成り得ないものだが、こういう何もかもが廃棄から出来ている世界の住人からしてみれば十分な趣味の対象になる。
手を引かれながらも逐一店の商品を確認、というより興味が湧いて見ているだけなのだが、その中でも一つだけ引かれている手に逆らうほど興味をひくものがあった。
「これは……」
外見は出来るだけ綺麗に見せるように近似色の色データを上塗りした少し大きめの機械、本来は外部部品を使って音を録音したり再生したりする機械、それはカセットデッキだった。
かいとの視線がなかなか動こうとしないミクを通り、釘付けにしているカセットデッキにたどり着いた。
「カセットデッキか……、欲しいのか?」
「欲しいです。とても興味深いものですから」
そうか、とかいとは締め、カセットデッキを手に取る。店に人の気配はないことを確認したかいとはそのままそれを空いている手で抱えて店から離れる。ミクは何も言わずにその後に続いた。
しばらく歩いていたが、ふと目に入った光景を見てまた立ち止まってしまう。その光景とは、商品を手に取り店主と客が金のやり取りをしているところだ。ミクは先ほどのかいとがこのような行為をしていたかと首を捻る。
「かいとはあれをしなくて良かったのですか?」
「ん? ああ、さっきの場所はしなくて良いんだよ。だってあそこはもう払う人がいないし」
はてどういう意味だろう、とミクは首をさらに捻ってみせた。するとかいとは説明を付け加える。
「店の更新が一週間前から無くなってた。ログを見ると一日一回更新してるような店が一週間も更新しないのは、なんらかの理由で更新出来なくなったか、もしくは更新する人が事切れたかのどちらかだ。どちらにせよ一週間店を空けるとその店の商品は価値が無くなるからそのまま持っていって良いって訳さ」
かいとはそう言って、ミクに動かないよう言ってから雑踏の中に消えていった。
動くなと言われて動かないようにしていたミクは、またしても興味深いものを発見してしまった。箱のような機械の中で小人が歌って踊って楽しいショーを作り出しているのだ。ミクはその桃色の小人をジィと眺めながら時間を潰していた。
その時、久し振りに聞く音がミクの頭を反応させた。
「そこにいるのはミクかい?」
白く長い髪をマフラーのように首に巻き、雑踏の中をお構いなしにバイクでミクの方へ向かってくる人がいる。ミクはその顔を見て僅かに喜色を浮かべる。
「そこにいるのはハクですね?」
「あたしみたいな駄目データの名前を覚えてて嬉しいね」
ニコッと笑うハク。バイクから降りミクの隣に立つ。
「こんなところでどうしたんだい? あんたみたいな綺麗なデータが立ってると否が応でも目につくよ?」
「人を待っているのです。ハクこそどうしたんですか?」
ミクは関心をバイクに注ぎながらも一応の持ち主であるハクに聞き返す。ハクは苦笑しながらバイクを一回ドゥルンと唸らせ、
「酒を作る為のデータを買いに来たのさ」
「相変わらずですね」
すでに目がバイクに釘付けになっているミクはハクを眼中にも入れていない。ハクはそれを怒ることはせず、苦笑し続ける。
「待たせたな、ミク。そこで袋に入れて貰ったからこれなら持ちやすいだろ」
雑踏から帰ってきたかいとはミクに袋を渡し、それから傍で苦笑混じりにミクを見るハクを見つけた。その顔には驚きが浮かぶ。
「ハク、どうしてあなたがここに?」
「酒の材料調達と、あんたにゃこれもある」
ひらひらとかいとの前に紙を舞わせる。中には先程機械の箱の中で歌ったり踊ったりしていた桃色の女性が描かれている。
「……これを受け取る訳には」
「そうかい、あんたが来るのをあの娘は楽しみにしてそうなんだけどね。あたしが行っても仕方ないし、ミクはいるかい?」
受け取ったミクは上、下、横からと色んな角度から見て捻ったりもする。しかし紙は紙、何も起こらない。
「使い方はそこにいる兄さんに聞きな、あたしが説明するより分かりやすいだろうからね」
じゃあな、と片手を上げてバイクを発車させたハクはすぐに見えなくなってしまった。
ミクはその後ろ姿に手を振り、最後に一度紙を見た。そして下から覗きこむように見たが、やはり何の変化も見られないのでがっかりして肩を落とすのだった。