ミクはハクからもらった紙を手でひらひらとさせながら弄んでいた。しかし何か起こるどころか時間潰しにしかならない。
「これは何なのでしょうか?」
「その描かれてる奴のライブを見る為の許可証みたいなもんさ。チケットて言う」
「許可証、チケットですか」
何の変哲もないこんな紙が誰かのライブを見るための許可証になるなどと感心していいのか呆れていいのかわからない。もしかしたらこの人は人気が無いのかも知れない、ならば見なくても良いのかな、とミクは思案し、ふと紙の端っこにひっそりと書かれた名前を見つける。
「巡音ルカ?」
引っかかりを覚え頭を捻ると、隣で見ていたかいとは、言ったろと前置きした上で、
「この世界じゃ音がほとんど決めるんだ。お前みたいに特別音に反応出来る人間でもない限り巡音ルカの六音とルカの二音に違和感すら感じないんだ」
「つまり先程からちょくちょく話題に出てきたルカという方と、今ここにあるこの紙に描かれた巡音ルカという方は同一人物ということですね?」
かいとが頷く。
なるほど、とミクは俄かに信じられなかったことの実証が得られて納得する。まさか六音と二音がこれほどまでに違うイメージを作り出すとはと、これならミクと言えばまず安心出来る。ミクはそこまで考えてからふとハクに名前を貰った時のことを思い出した。あの時ハクはどうして私に初音ミクと名付けたのだろうか。きっとハクは初音ミクとミクを同じものとして聞けるくらいに初音ミクと関係があったに違いない。
今なら確信に近い仮定が立てられる。ハクの言った言葉の意味、そこから仮定出来ることは。
「ハクと話がしたいです」
自然と声が漏れた。しかし先程ハクと別れたばかり、今すぐに会うのは気が引けてしまう。
だが、かいとは頷き一つで賛同して、ミクの手を離れないように掴むと雑踏の中をやや強引に押し進んでいく。見えてきたのはかなり寂れた店で、中には先程ハクが乗っていたバイクが納められており、地下につづいているのであろう扉は開かれてキィキィと耳障りな音がなっている。かいとはその中にひょいと身を入れ、手を繋がれているミクはまた地下鉄なのだろうかと思いながら後ろに続く。
バーがあった。淡く照明が付けられているが絶対的に広量が足りず、机があるのに気付くにはそれなりに近付かねばならない。しかしかいとはずんずんと進んでいき、カウンターに向かった。
そこには二人、静かに談話しているようだった。一人はバーのバーテンダー、もう一人はカウンター席に座り足を組み長い銀髪を床に垂らしているハクだ。
「おや、今日は珍しい人が良く来るで御座るな。かいとさんで御座るか、隣の可愛らしい方は彼女さんで御座るか?」
「違う。ちょっとハクと話がしたいみたいだから連れてきた。それに俺にはルカがいるからな、彼女は作らないって知ってるだろ」
かいとはミクを前に出す。ハクが酒を煽りながら横目で見ている中、バーテンダーが握手を求めるように手を差し出す。
「かいとさんとハクさんの知り合いなら拙者とも知り合いのようなものに御座る。神威がくぽ、よろしくで御座る」
「ミクです、よろしく」
「おや?」バーテンダー神威がくぽは首を傾げ、怪しげな笑みを携えながら、「もしかして初音ミクで御座るか?」
はてなと首を傾げたミクは説明を求めるようにかいとを見る。何故初音ミクとバレたのだろうかとそう言っているようだった。
かいとはやれやれと肩を竦めて見せ、
「こいつは現役のプロデューサーだ。昔は初音ミクのプロデュースもしてたくらいだ」
なるほど、と納得したミクは差し出された手を見つめ、それからハクに視線を移す。
「ハク、出来れば二人だけで話したいことがあります」
ハクはチラッとがくぽを見る。それに気付いたがくぽはカウンターの下から一つ鍵を取り出し、それをハクに投げ渡した。
受け取ったハクはミクに付いてくるように手招きし、コップを持って席を立つ。
ミクは頷き後を追う。
二人を見送ったかいとはアルコール度数の低い比較的無害な酒を頼んで、ハクの退いたまだ温かさの残る席に座る。その前に頼んでいた酒が置かれたので、それをゴクッと一気に飲み干す。
「良い飲みっぷりで御座る」
「ハクには負けるさ」もう一杯要求し、「ルカのライブチケットは寄越すなって言わなかったか?」
「かいとさんには渡してないで御座る」
「ハクにもだ。あいつはライブには絶対行かないって知ってるだろ」
注がれた酒を飲み、ギロッとがくぽを睨みつけるが、何食わぬ顔で洗ったコップの水滴を取るがくぽ。
「知ってるで御座るが? いらないから誰かに渡すで御座ることも知り、かいとさんが貰って無いことも言ってるで御座る。――が、拙者は渡してくれとは頼んで御座らん」
かいとは飲み干して空になったコップをカウンターに静かに置き、ため息をついて立ち上がる。その際カウンターにお金を置くのを忘れない。
「やっぱり良い根性してるよなお前は。まぁこれくらいでないとミクとルカのプロデューサーは務まらないか」
「誉め言葉で御座る」
フンッと残して、かいとはバーを出て行った。
その背中に、
「さて、かいとさんにとってのミクとはどちらのことになったで御座るかな」
楽しそうながくぽの声がぶつかった。
反響は、――ない。
♪ ♪
ハクはバーの奥にある小部屋が並べられた区画にまで来て、その中の一つを鍵で開けてミクに中に入るように勧めた。ミクは遠慮なしに入り、そして鼻をつんざくような懐かしい匂いを浴びた。
酒だ。小部屋の中にはツボがいくつも並べられており、それらはハクがいた小屋にあった酒よりも数倍キツい匂いを発しており、それだけでアルコール度の高い酒であることが分かる。
小部屋の中央には落ち着いて座れるだけのスペースと机と椅子の一セットが置かれている。
「あたしはいいから座りな。あんたが座った方が椅子も嬉しいだろうし」
「ハクの柔らかいお尻に潰されるのも気持ち良いと思いますが、せっかくなので座ります」
ミクは座り、居住まいを正す。立ったままのハクは適当にミクの前にあるツボの縁に座り、用意していたコップに酒を酌み一息に煽る。
「柔らかいのは脂肪が多い証拠だ」
「異性はそれを好むと言うプログラムを見たことがありますが?」
「まぁあたしのに限って欲情する男児はいないさ」ところで、「あたしに何の話があるんだい?」
足を組み膝に肘を置いて頬杖をついたハクの目がミクを一直線に捉える。この時ばかりは酒を飲むこともなく、ただジッとミクだけを見つめていた。
頭の中で数回、言うべき言葉をシュミレートし、その全てがたどり着いた言葉を喉で一旦止め、ハクの目を見返す。そして真剣な眼差しを向けて冗談を言っているという可能性を無くすようにして、
「ハクは初音ミクですね」
「違うさ」即答し、「あたしがその名を名乗る資格なんてないさ」
言いたいことはそれだけかい、と言う目を向けるハクはどことなく焦ってるようにも見える。まるで知られたくない何かを知られてしまうことを危惧するように。
しかしミクはそんな感情の動きを無視するように進める。
「名乗る資格はない、ですか。だから私に初音ミクという名前を理由付けまでしてあげたんですか?」
「……そうよ。けど名乗る資格とかは関係ないさ。その時思い付いたからあげて、それがたまたま有名人と重なっただけ」
「いいえ」即答で否定し、「ハクが言ったんですよ、あたしの仕様もないものだけどあんたにあげるよ、と。ハク、何故初音ミクではないと言い張るのですか?」
何か言い返そうとしたハクだが、きっとミクは確信している、だから意味がないとでも思ったのか、ため息を吐き、吐いた分を酒で補充した。
「初音ミクは死んだ。みんなの夢や希望に押し潰されてね」でもさ、と哀愁を込めたハクの声がミクに届く、「彼女はそれでも歌おうとした」
それはきっと過去の話。弱音ハクと呼ばれる人がまだ初音ミクとして輝いていたころの話。蔑むように懐かしむように言葉が一つ一つ紡がれる。
「知ってるかい? 初音ミクのソフトが抱えてた致命的な欠陥を」それは、「最初からインストールされてる歌を歌うとバグって、最終的にはデータが破損してしまう。それは一回壊れただけじゃ修復されないものなんだよ。そして、彼女はそれを知っていた。知っていて、みんなの夢や希望のために歌い、潰れてなお歌おうとした。願いは叶わなかったけどね」
それは知らなかった。ミクはふと頭に勝手に浮かぶ歌をイメージした。これがきっとそうだと言うイメージ、そして廃棄世界《スクラップランド》に来てからどこかでこの歌を聞いたことがあるような気がした。それがどこかは思い出せなかったが。
ハクはまた酒を煽り、
「彼女はね、毒性の強い酒を飲んで毒を制し続けないとすぐに声が死んでしまうようになった。毎日毎日歌えないと弱気になって歌えない代わりに声を出した。歌えない自分を卑下するような声をね」
弱音ハクの誕生、そして初音ミクは記憶の存在となった。それが話の結末だ。
だけど。
新たな疑問がミクに浮かんだ。
「何故」しかし聞くのは躊躇われた、聞いてしまうと今までの自分が失われるかもしれないとミクは危機感なく恐怖しながら、「何故ハクは、バグを知りながら、歌おうとしたのですか?」
震えた声にミクは初めて自分の感情というものを感じた。しかし今はそれどころではない。ハクは酒をコップに酌み、ゆっくりと回して、
「歌って、そして届けたかったからさ」
ハクは寂しそうだった。