まだ日の登らない早朝。クエストの開始時刻となっている午前四時が訪れていた。
僕とルーカスは、風車小屋の前でアマリアと向かい合った。
「それじゃあ行ってきます、アマリア」
「留守は頼んだぞ隊長」
「ああ、任せておいてくれっ。二人とも、くれぐれも無茶はしないでおくれよ」
それに僕らは頷き、体の向きを変えた。
「じゃあ、行こうか」
* * *
いつものメインストリートを抜け、街でいう西エリアへと向かう。進んでいくうちにガラリと雰囲気が変わり、薄汚れた、言ってしまえば気味の悪い様子にへとなっていく。
「こ、こんなところにも人がいるんだ…」
「ん?お前ここのこと知らないのか?西エリアはこういうもんだぞ」
「そっか…。ずっと【マテリアル】にいたから、街にいなかったも同然だったんだよね…」
クエストの用紙を確認しながら汗を流す。未だ様子の変わらないルーカスを見ると、こんなことは街の常識のようだ。
「で、人身売買してるのはどこなんだ?」
「えーっと…。もう少し奥かな」
霧で曇る周りに、流石にここまで奥に来たことがないだろうルーカスも、その表情を厳しくし始めた。
辺りから臭う異臭。静まり返る中度々聞こえる音。道端で酔いつぶれている男性。完全にそこはラノスの裏街に入っていた。そして
「…いた」
道端で座り込む人々。足と手に鎖をつながれ、その痩せ細った首には首輪が付けてあり、それぞれ数字が刻まれている。服装は、薄汚れた布切れ一枚のようなものだ。その目は活力をなくしていた。
そんな光景に言葉を無くしてしまう。たった一部だというのに、あまりにも酷い。
「オラさっさと動け!」
罵声の聞こえる方を無意識に向けば、一人を蹴り飛ばすおそらく売人と、蹴られたことで地面に倒れこむ男性。見るからに弱り切っている彼に、その大きなお腹を揺らす中年の男性はなおも蹴りを食らわせていた。
怒りがこみ上げてくる。僕はあらん限り手を握り締め、一歩踏み出す。
「あんなのって…!」
「止めろサク」
「でも…っ」
そんな僕の腕をルーカスに掴まれた。どうしようもない怒りに、僕はルーカスに振り返り抗議しようとした。しかしルーカスの視線に言葉が詰まる。
「目的を見失うな。俺たちは人助けできてるんじゃないだろ」
「ーっ」
明らかにルーカスも目の前の出来事に、この街の様子に激怒していた。それでも堪えるのは、派閥のため、壊してはならない秩序のためだ。
「いいか副隊長。俺は隊長とサクの命令なら従うが、生半可な行動には従わないぞ。これからは、お前が命に関わる指示を下していくんだ。しっかりしてくれなきゃ、俺はこの派閥でやっていけねぇことになる。言っとくが、俺は信頼のない場所にいる気はねぇからな」
そのまっすぐな瞳に僕は動きを止める。覚悟のあるその言葉は、まるで今までの経験を語っているようだった。
再び男性の罵声が響く。その光景に僕は歯を食いしばり、背を向けた。
「……行こう」
「結構人がいるな」
さらに奥のその場所には、多くの人が集まっていた。弱々しい人から、指にたくさんの宝石をつけるお金持ち、つまりは貴族まで、様々な目的で裏街の本拠地である西エリアに集まっていた。
『今日はお目当のものでも?』
『ああ、遊べそうなのを見つけたんだ』
『ほう。それは羨ましい』
あちこちの会話が聞こえてくるが、どれもろくな事ではないことがわかる。僕はそれを振り切るため歩き出した。
その時
「あ。お前さん【アラゲメント】に出てた子じゃないか」
「えっ」
突然声をかけられる。その瞬間、背中に冷たいものが走った。しまったと思うのはもう遅い。以前の事で顔を知られている事を考えていなかった。
「あの試合見てたぞ!ランクFでどうやったんだっ?」
「あ!俺も見たぞっ」
「なんだなんだ?」
「おーっ、赤髪とは珍しいな」
「ちょっ、ちょっと!?」
「うわっ!サ、サク!?」
「へっ!?ルーカス!?」
次から次へと集まる人の群れにルーカスは押し流され、僕はすっかり人混みの中心となってしまった。
確かにアラゲメントは街の大行事だが、ここまでとは、自分の知識のなさを今まで以上に悔やむ。
まずはこれをなんとかしないと…っ!
押し寄せる人に圧倒されながら、何とか人を掻い潜る。いつまでも中心に向かって集まる人混みの足をくぐり抜け、四つん這いになりながらやっとの事で回避した。気づかれないようにひとまず距離をとる。そうして僕はホッと溜息を…
「あれ、ここどこだ…?」
辺りをキョロキョロと見渡す。
ルーカスが。いないっ、いないっ!いないっ!!
だんだんと涙目になってくるのを必死で堪え、パニックに陥りながら走り出す。
やばいやばいやばいっ!?
完全に逸れた事を悟り、ダラダラと汗を流す。
「なんだい坊や。迷子かい?」
「ふぇ…っ!?」
突然話しかけられ振り返る。そこには露出の多い、艶かしい女性が…
「行くあてがないなら、お姉さんと遊ばないかい?」
「し、失礼しましたぁあ!?」
胸を強調させ、女性が一歩踏み出した瞬間。コンマ数秒で頭を下げ、全速力でその場を駆け抜ける。
怖い怖い怖い怖い…っ!?
あまりにもそういった事へ無知なサクは、ランクアップしたそのスピードで、恐るべき逃げ足を発揮したのだった。
「ハァ…、ハァ…っ。か、完全に迷った…」
我を忘れて走ってしまった事で、ルーカスの場所も、自分のいる場所でさえ分からなくなってしまった。
「と、とにかく戻らないと…っ」
来た道を戻るため、曲がり角を曲がろうとした。
その時
「いっ!?」
「ーっ」
反対からも人影が現れる。普通なら衝突するものだが、刻印を刻まれたサクは何とか体をずらす。相手も軽い身のこなしで横へと跳んだ。二人は入れ違うように、お互い背を向ける格好となった。
「す、すみませんっ。だいじょ…」
慌てて振り返り謝罪しようとしたサクは固まる。
そこには美少女がいた。
アマリアのような癖のある髪ではなく、サラサラとしたストレートの青色がかった髪の毛は肩につく程度の長さだ。無表情でこちらを見る大人びた顔からは、真の強そうな凜とした印象を受ける。
「大変失礼しました」
「……っ」
そして何よりその姿だ。
布一枚のワンピースは汚れ、破け、ボロボロだ。そして足は鎖が繋がれ、首には103と刻まれた銀の首輪が。
そう、奴隷だ。
サクとも一つ二つ上なくらいだろう少女の姿に、サクは手を握りしめ、ガバッと頭を下げた。
珍しい赤髪だ。そんなことを考えながら、その落ち着きなく揺れる赤を眺めていた。
「僕の方こそすみませんでした!怪我はありませんか!?」
そう言って頭を下げ続ける少年に、ポカンとしてしまう。そして数秒後、ハッと我に帰った。
「わ、私のようなものに対して頭を下げては…っ」
そう言った瞬間少年は顔を上げる、それにホッとしたのもつかの間、目を見開いた。
悲しそうな顔をしているのだ。深く深く傷ついている、そんな表情を。そんな顔は生まれてこのかた初めて見る顔だ。
「どうか、なさいましたか…?」
数秒の沈黙。その間向き合っていた少年は口を開いた。
「何で、他の人と違う目をしてるんですか」
「……え」
呆然としてしまう。この少年はこの僅かな間にそれを感じ取ったというのだろうか。
それにこんな少年が何故こんなところにいるのか、何故自分なんかに構うのか、何故そんな悲しそうな顔をするのか、疑問が尽きない。しかし自分はその目から視線を背けた。
「帰り道なら、ご案内します」
「えっ?あ、あの…っ」
目を合わせる。その瞬間、少年は動きを止めた。
そう、深く関わってはならないのだ。しかも自分よりも年下だろう少年に、汚いものをこれ以上見せていたくなかった。
それに少年も気付いたのだろう、これ以上は踏み込んでいいものではない事を。やがて少年は小さく頷いた。
前を歩く少女は迷いなく道を歩いて行く。沈黙が続く中、それを破ったのは彼女だった。
「他の方々と違う目をしているのは、きっと、まだ望みがあるからだと思います」
「えっ」
いきなりの事に立ち止まる。前を歩いていた彼女も一緒に足を止めた。
「望みって…」
僕を真っ直ぐ見つめる少女は、次には顔を逸らしていた。
「この道を曲がればもう抜けられると思います。では私はこれで」
「え、あの…っ」
まるで僕を引き離すような、そんな少女を引き留める。
謝りそうになる自分を押し切って、深々と頭を下げた。
「ありがとうございましたっ。僕、サク・ティネルって言います!」
そう言いバッと顔を上げる。少女は初めと同じく呆然としていた。
「…何故、奴隷の私にそんな事をするのですか?」
「奴隷とかそんな事関係ありません!」
無意識に呟いた彼女の言葉にサクは即答する。それに少女は目を見開き、俯いた。
「…望みは、叶えられる事のないものです」
「え、何でですか?」
僕の質問に、これ以上踏み込むか迷うかのように彼女は口を閉ざす。やがて真っ直ぐにその目を向けてきた。
「明日、オークションが始まります。私はそこでの商品です」
「なーっ!?」
言葉を失う。オークション、つまりは人身売買。今までの事が振り返ってくる。認めたくない事実がサクに覆いかぶさった。
「それでは失礼します」
そう言って背を向けた少女は、足を止め、振り返った。
「私は、シルア・フェリクと言います」
* * *
「サクーっ!無事で良かったよーっ!!」
「グヘッ!?」
風車小屋に帰ってきた僕は、早々にアマリアにタックル紛いのハグをされ床に倒れこんだ。
「いや〜、一時はどうなる事かと」
頰ずりされている僕の隣で椅子に座るルーカスは、安堵の溜息をついた。
「じゃあ今から【マテリアル】に報告しに行こう。疲れているところ悪いね」
やっと解放してくれたアマリアは、立ち上がるとそう言って手を差し伸べる。それを僕は握り、心が曇る中立ち上がった。
「アルバネル君は分かるけど、サク君がよく西エリアから出てこれたわね」
いつもの応接室にて向き合うニールさんは、驚いたようにこちらを見る。それに何も言い返す事のできない僕は、シルアさんの事を説明した。たまたま出会い、道を案内してもらった事。そして
「外に出たいと、きっと思っていました」
最後の言葉にニールとルーカスは目を見開き、アマリアは瞳を閉じ続けていた。静寂の中、ニールがバッと立ち上がる。
「サク君。何か考えてる事があったら止めなさいっ。これ以上は関わっちゃいけない!」
ニールさんの言葉に僕は押し黙る。そんなサクに、ニールが再び口を開こうとする。しかしその前にアマリアが瞳を閉じたまま切り出した。
「アドバイザー。今回ここに来たのは依頼達成のための報告だ。始めてくれないかい?」
「ーっ!?しかし…っ」
「いいんだ、やってくれ」
反論しようとするニールを押し切りアマリアは通す。その姿には、いつもとは違う空気をまとっていた。威圧のようなものさえ感じられる、そんなアマリアに圧倒され、ニールは一度溜息をつくと席に座った。
「…じゃあ、今回の調査はどうだったかな?」
ルーカスは「うーん」と考えるそぶりを見せ、口を開いた。
「逸れたのもあって、それらしい情報は特にな…。どいつも話してくれねぇし。サクはどうだ?」
「…明日、オークションがあるって」
シルアさんの言葉を思い出しながら呟いた言葉に周りは押し黙った。サクは膝の上に乗せた拳を握りしめる。
「…とにかく、それは報告しておきます。アマリア様、クエスト用紙はありますか?」
「え?いるのかい?」
素っ頓狂な声を上げたアマリアにニールは頷く。するとアマリアは「あちゃー」とわざとらしく額に手を当てた。
「ホームに置きっぱなしだ〜。サク、取ってきてくれるかい?」
「あ、わかりましたっ」
するとアマリアに「悪いね」と手を合わせ謝罪され、僕はそのままホームにへと駆け足で向かった。
「っ、あれっ?」
風車小屋が見えてきた時、その前に立つ人物に僕は目を見開いた。
金色の三つ編み、サファイヤのような瞳。間違いなく、都市最強の呼び声高いセフィア・カルヴァートさんが、ドアの前に困り顔で立っていた。
数秒呆然とするが、何とか我に帰り、走る速度を上げセフィアさんの元へ向かう。すると途中で自分に気づいたセフィアさんはこちらに顔を向けた。
「せ、セフィアさんっ。どうしたんですかっ?」
動揺を隠せない僕がアタフタとする中、セフィアさんはどこか恥ずかしそうな様子を僅かに滲ませる。そして決心したのか、その瞳を僕と合わせた。
「この前、サクに何も言えなかったから」
「えっ?」
その答えにポカンと口を開けてしまう。
「ど、どうしてここが…?」
「【マテリアル】で聞いたの」
どうしてそこまで?と聞いてしまいそうになるが押さえる。この人ならやりかねないことだとは分かることだ。問題は本題だ。
「…伝えたいことって、何ですか…?」
内容はこの前話したことだろう。あの時は妹さんに散々言われてしまったけど。
目の前のセフィアさんは、一生懸命言葉を探す素振りを見せる。
「えっと…。サクに、これだけは伝えたくて…」
「僕に…。なんですか…?」
セフィアさんはこちらをじっと見つめる。僕もどんなことを言われるのかと汗を流した。
「サクは、どうしたいの?」
「…へっ?」
いきなりの質問にキョトンとする。そんな僕を見つめるセフィアさんは、そこまで言うと、僕の返事を待つように黙り込んだ。僕は一度俯き、顔を引き締める。そして、言う。
「ただ見ているのは、嫌です」
真の気持ちを伝える。そこで気づく。
そうか、自分は助けたかったのかと。
誰にも伝えなかったこの気持ち。それを聞いたセフィアさんは、驚くことも、呆れることをせず、ただ僕の顔を見つめ続け、微笑んだ。
「私はね。街にとっての善か悪かの前に、”それは善になり得るのか”を考えるよ」
「ーっ」
瞬間、体に何かが突き抜けるようだった。
そうだ、自分は気づかないうちに。
一番大切なことを見失っていたんだ。
その瞬間
「ありがとうございますセフィアさん!!」
駆け出す。
全力で【マテリアル】にへと向かう。
そんな少年に唖然としていたセフィアは、その後ろ姿を見つめながら、再び微笑んだ。
「頑張れ、サク」
「アマリア!!」
勢いよく開けた扉に、ルーカスとニールは驚く。しかしそれを予期していたようにアマリアは動じず、その瞳を開いた。
「僕、シルアさんを助けたいです!!」
「なーっ!?」
サクの言葉にニールが驚愕の声を上げる。そしてサクの前に歩み出た。
「サク君。いったい何を考えてるの!?関わってはダメって言ったわよね!?だいたい奴隷であるその子…いえ、奴隷の人々は助けられる様な状態にないのよ!?彼らは生きる希望をなくしてる!!」
「あの人は、他とは違う目をしていました!決して希望を捨てない目をしていました!絶望している他の人達とは違った!まだ助けられます!!」
「ーっ!?」
「それにっ、僕は一度出会ってしまった彼女を見捨てることなんてできません!!」
まるで駄々っ子のようにワガママを言う。そんなサクにニールは唖然とする。
それを後ろで見ていたルーカスは、サクを見つめた。
「前から思ってたけど。サクって、人のことを目だけで色々わかるよな」
それに口をきつく結んだままサクは大きく頷く。まるで「自分の特技です!」と言っているようだ。そんな少年にプッと吹き出すルーカスは、体を伸ばした。
「まー俺は隊長、副隊長の指示に従うぞ」
「ちょっ、アルバネル君!?」
そんなルーカスの言葉に驚くニール。そしてもう一度サクへ視線を向ける。
フーン!とハナから煙を出しそうなほどで、眉を上げ譲ろうとしないその姿に、やがてニールは大きく溜息をついた。
「こうなったサク君は止められないって知ってるよ…」
そう言いながら脱力し座り込んだ。
サクは最後にアマリアを見つめる。
「それがサクの答えなんだね?」
「はい!」
迷いなく答える。こちらを見るアマリアは、次にはニッと笑った。
「ちょうど私も堪忍袋が切れる寸前だったんだ。やってやろうぜっ、サク!ルーカス!」
そんな隊長に二人は笑い返し、ニールは汗を流した。
「おう!」
「はい!」
「もう、どうなっても知らない…ってわけにはいかないわよね…」
「それじゃあやってやろうか!!」
この時、新たな戦いの幕が切って落とされた。