太陽が傾き始め、西の空がオレンジ色に染まり出したころ。ちょうど切りのいいところで今日の引き継ぎ資料の制作を終えることにした。
今夜は、20時から用事がある。更衣室を使わせてもらい、家から持参したスーツに身にまとい、最寄りの駅から新宿を経由して六本木に到着した時には、19時を回っていた。
少し急ごうと階段を上りると駅の構内は、いつもよりも大勢の人で溢れ返っていた。不思議に思っていると拡声器を持った駅員のアナウンスが聴こえてきた。どうやらトラブルで反対の路線が止まっているらしい。どうりで人が多いわけだ。
ごった返す人並みを避けながら出口へ急ぐ。その出入り口付近で、もう夜だというのに、大きなサングラスと顔を覆うマスク姿の怪しい人影が注目を集めていた。
その人だかりから「あれ、ゆさりんじゃね?」「だよね! 声かけて見ようかっ」と、いくつもの声が聞こえてくる。「ゆさりん」という呼び名には聞き覚えがあったけど、時間の20時が迫っていたため気に止めず横を通り過ぎようとした、その時――。
「えっ!? いえ、違いますよー!」
マスクをしているから多少くぐもっていたけど、知っている女性の声が耳に入った。立ち止まって、騒ぎの中心にいる声の主をよく見る。サングラスとマスクで顔は隠れているが、腰まで伸びた長く艶やかな金髪と特徴的なサイドアップのヘアスタイル。間違いない、見知った顔がそこにいた。クラスメイトで、同じ生徒会で活動を共にしている、
『
『週末にライブがあるんですけど――』
野球の試合の時の
このままだと騒ぎは収まりそうにない。開始予定時刻は迫っているが、考える余地もなく、彼女を助けることの方が大事だ。
俺は、
「
背中越しに、
「いえっ! 違いま......す~?」
否定しようして振り向いたすぐ近くにある予想していない俺の顔に大きな目をより丸くしている。俺は構わずに、ここから連れ出すことを優先させることにした。
「探しましたよ。もう次の収録が始まります。急ぎましょう」
携帯の時計を見せるふりをして「
「は、はいっ、すみませんっ!」
「みなさん、申し訳ありませんが、彼女はこれから大事な収録があります。ですので道を開けていただけませんか?」
「すみませーんっ、通してくださーいっ! お仕事に遅れちゃいますーっ!」
「急ぎましょう」
「はいっ!」
駆け足で駅の外へ連れ出し、TV局が入る六本木タワー方面へ向かう。これで少しは誤魔化せるだろう。だが駅でもスマホを
「どうやらまけたみたいですね。もう大丈夫ですよ」
「はい、ありがとうございましたーっ」
サングラスとマスクを外した
「いいえ。ところで、なぜこんな所に?」
「えっと、レッスンのあとライブの宣伝を撮影していたんです。けど、マンションに帰ろうと思ったら電車が止まっていて......」
「なるほど、そういう事ですか。マネージャーさんとは連絡取れないんですか?」
「スマホのバッテリーが切れちゃってるんです......」
路地から顔を出してタクシー乗り場を確認すると、すでに行列ができあがっていた。バス停の方も同じで何本待ちになるか見当もつかない。こういった場合は列に並んしまうことが一番上作なのだが、アイドルの彼女が列に並べば駅と同様の事態が起こりかねない。
もし仮に、六本木から徒歩で併設マンションへ帰るとするとしたも20キロ近くある。昼間ならまだしも、暗い夜道を土地勘も無しに歩いて帰宅するのは困難だろう。都市部は便利である反面、インフラにトラブルが起こると今回のように大変なことになってしまう。
「どうしましょう......」
「そうですね」
「電車が動くまで時間を潰しましょう。
「いえ、まだです」
「では食事に行きましょうか」
「えっと、でも......」
「実は私も、まだなんですよ。今しがた星ノ海学園から帰ってきたとこで、よかったら付き合っていただけませんか?」
「あの......わたし、お金持ってないんです......」
テレビ局から駅まで車で送ってもらったまではよかったのだが、財布やポーチの入ったバックをマネージャーの車内に置き忘れてしまったらしく。ポケットに入れていたICカードと小銭しか持ち合わせがないとのことだった。
「それなら問題ありません。私が出しますから」
「ええーっ!? そんな悪いですよぉ......」
「お誘いしたんですから当然のことですよ」
「う~ん......」
どうしようか悩んでいる
「行きましょうか」
「......はい」
頬を紅く染めて、恥ずかしそうにお腹を隠しながらうなづいた。
さて食事を一緒に食べることは決まった。あと残る問題は店をどうするか。普通の店ではプライバシーの保護に不安が残る。そこで俺は、六本木タワービル内12階に暖簾を構える、お気に入りの食事処へ彼女を連れていくことにした。
「ここは会員制ですので、プライバシーは完全に保証されます。どうぞご安心ください」
「す、すごく高級そうなんですけど......」
彼女は目を丸くして、はわわ......と震えている。その様子が、どこか可愛らしくて微笑ましい。
「見た目だけですよ。値段はリーズナブルです」
「......そうなんですか?」
「はい」
戸惑う
応対してくれた顔馴染みの定員はすぐ、彼女の存在に気付き、気を効かせて人目に付きづらい個室を用意してくれた。席に案内してもらってから事情を説明したところ、私物の充電コードも貸してくれた。こういった気配りが出来るところも贔屓の理由するひとつ。
「わぁ~!」
コードをスマホに繋いだ
「とってもキレイですっ」
「気に入って貰えてよかったです」
笑顔を見せると、再び東京の夜景へ視線を戻した。
運ばれてきた料理を食べながら彼女の仕事の話、学園生活、俺が転校する前の生徒会での活動など世間話をして過ごした。
「う~ん?」
ふいに少し首をかたむけた彼女は、何か考えているような仕草を見せる。
「どうしました?」
「あの~、
「はい、そうですよ」
「どうして、スーツなんですか?」
授業の時も制服で行っている、自然な疑問だった。あまり気を使わせたくなかったから話していなかったけど、時刻は既に20時を大きく回っていたため話すことに。
「20時から、近くのホテルで株主総会があって、予め着替えてきたんですよ」
「えっ――」
腕時計の時間を見た
「す、すみませーんっ!」
「いえ、議事録を読めば十分ですので問題ありませんよ。それに友人の方が大切ですから」
「あっ、ありがとうございますっ!」
顔を上げた
「どういたしまして。ある程度充電できたんじゃないですか」
「あっ、そうですねー。掛けてみます」
ケーブルを抜いて、マネージャーに電話を掛ける。
「あ、おつかれさまでーす」
どうやら無事、マネージャーと連絡がとれた。
食後のコーヒーを飲んで一安心していると「ええっー!?」と大きめの声が聞こえた。正直、あまりいい感じがしない。
「ど、ど......どうしましょう......」
涙目になりながら助けを求めてきた。
とりあえず状況を訊ねる。
「どうなさいました?」
「マネージャーさんが......」
マネージャーは、週末のライブに関係する仕事の打ち合わせで現在東京にいないとのこと。電車はまだ動いていない。スマホで調べてもらったところ、なんらかの原因で架線がショートし、復旧は早くても明け方の始発になる見通し。
――架線のショート......電撃の能力者、出来すぎているが関係あるのか? いや後にしよう。今はそれどころじゃない。事務所の方にも連絡を入れたが、運悪く他のタレントの打ち合わせや別の仕事で、今日は全員が出払っているとのことだった。
窓辺へ歩いて駅の方を見る。タクシーもバス停も乗車を待つ列は先ほどよりもずいぶん延びていた。
「ホテルを探しましょう。まだ空き部屋があるかもしれません」
「でも、お金が......」
「先ずは探しましょう」
「あ、はいっ」
俺は直接電話で、
――緊急事態だ......仕方ない。
商業施設がいくつも入る一階に降りて必要な物を買い揃える。エレベーター近くのクロークの前を通ろうとしたところで受付の女性に声をかけらた。どうやら届け物があったみたいだ。俺は封筒を受け取り、ひとつ前のエレベーターで先に上がっていた
「あちらがバスルームで、そこが寝室になります。ご自由にお使いください」
「でも。
「ビジネスルームに簡易ベッドがありますので」
「でしたら、わたしがそっちを......」
「普段からそちらを使っていますので、どうぞお気になさらずに」
「......わかりましたっ、ありがとうございますっ」
始めて来た日と同じようにパタパタと窓際に歩いてく。
「わぁ~、スゴいキレイですねー!」
「気に入ってもらえて何よりです。何か淹れますね。コーヒー、紅茶とひと通りありますよ」
「えっと、じゃあミルクティーをお願いしますっ」
笑顔で振り向いて可愛らしい返事が返ってきた。
時間のことを考え、カフェインレスの紅茶でミルクティーを作りて、二人分の飲み物と茶菓子をテーブルに用意してから声をかける。
「どうぞ」
「ありがとうございますっ」
ソファーに座り、コーヒーを飲みながら先ほど受け取った届け物に目を通す。少し大きめの封筒、差出人は先日電話をくれた雑誌の編集者だった。封を切り中身を取り出す、雑誌が二冊と一枚の手紙、内容はインタビューの礼と記事が掲載された雑誌を送るとのこと。
「あっ、これ、
「そうなんですか」
「はいっ」
この雑誌の記事を見て予知能力者が俺であると予め推察していたらしい。もう一冊の雑誌を見る。表紙に書かれた日付は一年以上前のモノだった。当時の記憶を辿るも、特に何も思い出せない。
「そちらも見ていいですか?」
「はい、どうぞ」
雑誌を手渡す。ページ開いて目を通し始め、しばらくしてページを捲っていた彼女の手が止まった。
「あれ?」
「どうしました?」
「この記事を見てくださいっ」
掲載されていたのは、年齢はまちまちの学生が複数名。その中には俺と、今よりも少し幼さを感じるが目の前にいるに彼女に似た女子も居た。
「
「はい、こっちは
「ええ......」
――う~ん? と口元に人差し指を当てながら
去年の春頃、
ただ、特別アイドルに興味がなかったことや、他にも人が居たこと。彼女は受験、姉の
ただ、
「わたしたち、前に一度会っていたんですね」
「みたいですね。すみません、覚えていなくて」
「いえ、わたしもこの雑誌を見るまで思い出せませんでしたし」
雑誌をテーブルに広げ、当時の事を思い出しながらの会話。
「芸能界って、想像以上に大変なんですね」
「楽しいこともいっぱいあるんですよー」
「どういった時ですか?」
「そうですね~。知らない
口元に右の人差し指を当てながら嬉しそうに話す。
「それに、
屈託の無い笑顔。なるほど、これが彼女の魅力か。
「......わたし、初めてなんです」
無邪気な笑顔が穏やかな
「小学生のころから今のお仕事をさせてもらって。中学校も、前の学校でも、本当のお友だちと言える人は居なくて......」
どこでもアイドル扱いか。確かにクラスでも俳優とか芸人とか芸能界の話を聞かれているところをよく見かける。
「でも
誰の企みかは分からないが、彼女の邪魔させる訳にはいかない。
「はわっ、わたし、語りすぎてしまいましたっ」
「いえいえ、ライブ楽しみにしていますね」
「――はいっ」
飲み物を入れ直すために席を立つ。ふと時計を見ると短針は0時を回っていた。
「
「えっ......わたし、明日も朝からレッスンがあるんでしたっ!」
慌ててソファーから勢いよく立ち上がった。
「それは大変ですね。休んでください」
「は、はいっ! すみませんっ、お風呂お借りします~!」
「どうぞ、着替えなどは用意しておきますのでスウェットでいいですか?」
「はい、ありがとうございますっ」
リビングに戻り、引き継ぎ資料の続きに取り掛かる。少ししてスウェット姿の
「ありがとうございましたっ」
「いいえ」
「それ、なんですか?」
さっきと同じ形で向き合う。
「引き継ぎの資料ですよ。来週から、
「あ、そうなんですね......」
少し残念そうな
「時間、大丈夫ですか」
「あっ、お先に失礼しますね。お休みなさいです」
「はい、お休みなさい」
彼女が寝室へ入るのを見届けてから資料作りに戻る。切りの良いところでテーブル広がる資料を片して、ビジネスルームに向かい、いつものように取関係の資料に目を通す。
それにしても寝室にはカギがあるのにロックした気配はなかった。気づかなかったのか、それとも信用されているのか。まあどっちでもいいか。
リビングに戻ってコーヒーを入れ直し、今日までの日々を振り返る。
ただ、こんな生活も悪くない。
俺は、そう思い始めていた。