翌朝、まだ東の空も薄暗い明け方の早朝5時。週末のライブに向けたレッスンのため、マネージャーが迎えに来る併設マンションへ帰る予定の
「おはようございます。
「あ、はい、おはようございますぅ。洗面台お借りしま~すぅ......」
彼女が支度を整えている間に俺は、朝食の準備に取りかかった。最近は作る時間をあまり取れず、朝も外で済ませることが多かったため久しぶりにキッチンに立つ。料理とは言っても昨夜トラベルセットと一緒に買った食材しかないから、トーストとベーコンエッグに市販のカットサラダを添えただけの簡単な
「はわ~、いいにお~いっ」
「飲み物は、何にしますか?」
「えっ? わたしも、いただいていいんですかっ?」
「はい、もちろんですよ」
オレンジジュースとコーヒーを用意して、身支度を終えた
「ほんとは、もっとちゃんと学校に通って生徒会のお手伝いとかもしたいんですけど......。でも今度のライブが終わったらしばらくお休みをいただいているんですっ」
「そうなんですね。ところで最終公演はいつになるんですか?」
昨夜聞きそびれたことを訊ねる。
「あ、今回はツアーじゃなくて復帰ライブですので、週末のライブだけなんですよー」
――と言うことは、あれはどう言う......。
日付までは確認しなかったけど、
「あの~、どうかしました?」
「あ、いえ、なんでもありませんよ。ところでジュースのおかわりはいかがですか?」
残りわずかになっているコップを見ながら訊くと、「ありがとうございますっ、いただきますっ」と彼女は微笑んだ。
「ごちそうさまです、お世話になりましたっ」
「いいえ、お気をつけて」
「はいっ、ありがとうございまーすっ」
本来であれば駅の改札まで見送るか、一緒に登校して併設マンションまでエスコートすべきところなんだろうけど。昨夜のことだけでもかなりの人の目に触れた。それに加えて、こんな朝方に人気アイドルの彼女と二人で並んで歩いているところを週刊誌に撮られでもすれば、もっと大変で面倒な
エレベーターのドアが閉まるまで笑顔を手を振ってくれた
ささっと支度を済ませて、いつもの時間に自宅を出る。そしていつものように六本木駅から電車に乗り星ノ海学園へ。その電車内でふと気がついた。
同じタワー内にあるテレビ局に事情を説明して空いている楽屋に泊めてもらえば良かったんじゃないか――と。
* * *
電車は、昨夜の影響もなく始発から定刻通り最寄り駅に到着。改札を抜け、星ノ海学園へ歩いて向かっている途中の道端に、昨日はまだ蕾だったアジサイが青・赤・紫と色とりどりの小さな花を咲かせている。空から降り注ぐ日差しも日を追うごとに強く暑さを増していく。初夏から夏へと少しずつ姿を変えていく季節を肌に感じながらの穏やかな登校......というわけには、なかなか行かったりする。同じ駅で降りたフレンドリーな同級生たちに声をかけられて、授業の質問だったり、ちょっと反応に困る遠慮のない女子同士の会話だったりと、今日はいささか賑やかなで登校風景だった。
「おはようございます。
「おはようございます。
「昨日は、興奮してなかなか寝付けませんでした!」
ライブチケットをプレゼントした時と同じく、眼鏡が曇るほどのハイテンション。昨夜の事が知れたらと思うと――想像したくない。
「そうですか、それはよかったです」
「週末のライブが待ちどうしいです! ですが......」
さっきまでのハイテンションが一転真面目な
「我々には、もっと重要な任務があります。浮かれてばかりもいられません......必ず成し遂げましょう!」
「ですね。あ、そうだ――」
チケットのことを確認しようとしたところへ、青い顔をした
「おはようございます。
「おはようございます」
「......ああ、おはよう」
「どうなさいました?
「いや、何でもない......」
体調が悪そうな
「
「おはようございまーす」
「おはようございます」
「おはよー」
「おう、おはようさん。ちょっと訊きたいことがあるんだけど、ここ文法なんだけどさ」
「ここは――」
教室に入るなり、年下にも関わらず男女ともに気さくに接してくれる。さすがに最初は戸惑っていたけど。
それにしても、このクラスに来る度に目につく窓側の空席。
この席の主を、俺は知らない――。
* * *
午前の授業をすべて無事に終えて、昼休み。
普段通り
「おつかれさまです。
「おつかれ」
朝元気がなかった
「いえいえ、では行きましょうか?」
学食に向かうため教室を出ようとしたところ、教室の入り口で「待ってください」と、トートバッグを持った
二人に――先に行ってください、と声をかけてから彼女に向き合う。
「なんですか?」
「これをどうぞ」
「これは?」
「お弁当です」
教室がざわめき立ったのがわかる。「あの
彼女はそれらを気にする様子もなく、弁当を作ってきてくれた理由を教えてくれた。
「昨日のお礼です」
「昨日?」
「ほら、カレーの件っすよ。忘れたんすか」
「ああー......」
放課後に渡した学食の牛タンカレーのお礼だった。
「それから、例の調査の件で話があります。生徒会室へ行きましょう」
「わかりました。二人に連絡は?」
「今回は、二人の方が話やすい
――二人の方が話やすい......。おそらく、電撃の能力者対処に当たって、俺の能力についてといったところだろうか。確かにそれなら、一部能力を知っている彼女と二人の方が話やすい。
頷いて答え、行けなくなったと断りのメールを
「時間が惜しいので食べながら話しましょう」
テーブルを挟んで座り、包みをほどくと二段重ねの弁当箱が出てきた。上はバランスのとれたおかず、下は存在感抜群の真っ赤な梅干しが白米の真ん中に鎮座した日の丸弁当だった。
「あ、もしかして梅干し苦手っすか?」
「そんなことないですよ。ごはんに梅干しは王道かつシンプルに美味しいですし」
「おっ、わかってるじゃないっすか。昆布とか、おかかとか、海苔弁でもよかったんですけどねー」
衛生面も考えて殺菌効果のある梅干しにしてくれたみたいだ。
「いただきますね」
「どうぞー」
お弁当の定番唐揚げに箸を伸ばして、口に運ぶ。
「スゴいおいしい......」
どのおかずも冷めても美味しいようにしっかり味付けがされてる。そしてなにより、この弁当にはいっさい冷凍食品を使ってない。相当な手間暇をかけて作ってくれていることがわかる。
「それはよかったっす」
表情は変わらなかったけど、少しホッとした、そんな感じの声色だった。
「それで、週末の話ですが――」
一旦箸を置いて、話を切り出す。
「あなたの能力で犯行を未然に防ぐことは可能ですか?」
「そうですね......」
俺も、箸を置く。
「実際に見てみないことにはなんとも」
一瞬で表情が変わり、少し身を乗り出した。
「というと、能力の発動には条件があるんですね?」
「さあ、どうでしょう」
テキトーにはぐらかし再び箸を持つ。
そんな俺の態度に、彼女は腕を組みながらいぶかしげな視線を向けてくる。
「安心してください。あなたたちに危害が及ぶようなことはさせませんから」
「はあ、それは、どうもです」
この話これで終わり、お互い昼食を済ませる。
空になったふたつの弁当箱をトートバッグに入れると、いつものように紫色の音楽プレイヤーで楽曲を聴き始めた。
「どんな曲を聴いているのですか?」
「ん?
音楽プレーヤーの画面を見せてくれたが、聞き覚えのないバンド名。「聴きますか?」とプレーヤーを渡してくれた。イヤフォンを耳に付け、再生ボタンを押し流れる音楽を聴く。
聴こえてきた楽曲は、洋楽。
女性のボーカルの透き通る様な声。どこまでも伸びていくような透き通る歌声は、孤独感に似た切なさを覚える不思議な感覚に陥った。感じたままを伝えると、彼女は嬉しそうに『
作詞作曲を手掛けるボーカルが両目の視力を失っていること。
俺は、気になって訊いてしまった――
「今、
「隠すことでもないですし、会いに行きますか?」
「最近、行けてないですし」と、どこか悲しそうな小さな声で呟いて席を立った。午後は受け持ち授業がなかったため学校を早退して、二人で駅へと向かう。
「少し遠いですけどいいっすか?」
「はい、構いません」
電車に揺られながら都外へ。さらに県を一つ越えた先の駅で下車。ここから路線バスに乗り換えて移動。バスの車内で、
「まず最初は、兄が特殊能力者になりました。あたしが、国立の中学の受験に受かった時のことです。兄の能力は、空気を自在に振動させる能力。ライブで、ギターを様々な楽器の音色で奏でて演奏していたのを、科学者に見つかりました。裕福とは言えない母子家庭だったあたしたちは、家計が助かると、女手ひとつで育ててくれた母の土下座を目の当たりにして。兄と一緒に、科学者が運営する全寮制の学校に通うことになりました。見かけは普通の学校で、友だちもすぐに出来ました。ですが、健康診断という名目で毎日検査を受けさせられることに不安感と不信感を持ち。同じ学校に通っている兄を探そうとすると、決まって友だちが邪魔をする。兄と再会出来たのは一年後、非道な人体実験を受け続けた兄の精神は壊れていました」
彼女の、兄妹の過ごしてきた日々は想像以上に過酷だった。
――科学者の学校、健康診断......まさか。
「どうかしましたか? 眉間にしわ寄ってますよ」
「あ、いえ。それで、星ノ海学園で特殊能力者の保護活動を」
「はい。もう二度と兄のような事が起こらないように。次、降ります」
バス停を降りてすぐの長い階段を登ると、そこには大きな病院。彼女の後に続いて、院内へ入る。
「
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
看護師にお礼を言って、病室へ向かう。
「時間的に切れてるか。あの、予め言っておきます。たぶん、あなたの想像以上です」
覚悟を、そして理解して欲しい。そんな感じのニュアンス。
返事がないのはいつものこと、といった感じで気にする様子もなく、病室の扉を開けた。彼女の後に続いて、俺も病室へ入る。
最初に目に入ったのは、病室内に枚散る大量の羽毛。次に叫び声が耳に入り、声の主はベッドの上で羽毛布団をかきむしる青年。
その人が彼女の兄、
「やっぱり、鎮静剤が切れてる」
こんな状態のお兄さんを見ても、彼女は冷静に手慣れた様子でナースコールを押した。
「あーあ、前替えたばかりなのに。また、ダメになった」
そう呟いたが、必死に吐き出しそうな感情を抑えている。
すぐに看護師と医者が駆けつけ、暴れる
「
声をかけるが、
実際に会って実感した、度重なる非道な人体実験により心が壊されたんだ、と。そうでもなければ自身を守れなかった、が正しいのかもしれない。
「やっぱり、反応なしですか」
先日のギターの時と同じ......いや、もっと悲しそうな表情で顔をふせた。小さくタメ息をついた彼女は顔を上げると、花瓶を持ち「花瓶の水を交えてきます」と言って、病室を出ていった。
俺は、彼女が座っていた椅子に座って、
「――お久しぶりです。