ライブ翌日の日曜午前、自宅の六本木から電車で昨夜待ち合わせの約束をした病院の最寄り駅に降り立つ。休日ということもあり、駅前は大勢の人たちで賑わっている。
約束の時間までまだ少し余裕あるけど、早めに待ち合わせ場所へ向かうことにした。人混みの中を歩き、駅からほどなくのところにある待ち合わせ場所の公園に到着。
待ち合わせ相手の
初夏の暑い日差しの中、木々の葉が揺れる涼しげな木漏れ日が照らすベンチに座り、どこか憂いを帯びた
――家族。
彼女の視線の先には、小さな子ども連れの家族。噴水の周りではしゃいで嬉しそうに走り回る子ども、それをたしなめる母親。二人に近くで、父親が見守っている。どこにでもある家族の休日。
そう、ごくありふれた日常の風景のひとつ。
普段なら特に気にも止めない、ささやかな幸せな時間。
ただ生きることだけで精いっぱいで、あの頃の俺には気に止める余裕なんてまるでなくて――いや、違う。ずっと考えないように生きてきた。
「おはよーございまーす」
突然掛けられた声に、少し驚いた。
声の主は、
「あ、おはようございます。早いですね」
「お互いさまっしょ」
確かにその通り、待ち合わせの時間までまだ15分近くある。
「お加減はいかがですか?」
「おかげさまで」
「そうっすか。それで、なにか考えごとですか」
俺の方が気にしていたのに、逆に心配されてしまった。
「風が抜けて気持ちいいなって想って」
咄嗟に出たごまかしは見透かされたのか、彼女は少し間を開けて「そうっすね」と言って、噴水の方へ顔を向けた。俺も同じ方へ顔を向ける。
空から降り注ぐ日差しが噴水の水に反射して、まるで宝石を散りばめたようにキラキラと光輝いている。水辺で遊んでいた家族の姿はもうそこにはなく、子どもを真ん中に手を繋いで楽しそうに公園を出ていったところ。
「綺麗ですね」
「はい、綺麗です。わっ......!」
不意に風が抜けた。少しウェーブのかかった髪の毛が、なまぬるい初夏の風になびいて揺れる。乱れた髪を直す彼女のしぐさは、初めて出会った時よりも、少し大人びて見えた。
「風、結構強いっすね」
「この辺りも高い建物が多いですから」
数多くの高層ビルが建ち並ぶ都市部特有のビル風。遮る建造物が少ないこの公園は、行き場を失った風の通り道。頬を撫で、細くキレイな髪をなびかせる夏場の貴重な涼も、彼女には少々厄介な贈り物のようだ。
「当たらないところへ行きましょう」
「あ、いえ、お気遣いなく。病院の前に、寄りたいお店があるんですが。いいですか?」
頷いて答える。
公園を出て、話ながら隣を歩き。大手のショップが軒を連ねる繁華街の大通りから一本脇道へ入ると景色が一変、古くからある町工場や個人経営店などが建ち並ぶ商店街に出た。繁華街と比べると人数は少ないが、人通りはそこそこある。彼女は、商店街に店を構える花屋の店先で作業をしている女性店員に声をかけた。
「あの、お花をお願いしたいんですが」
「はい。どのような――」
彼女が注文したのは、白と薄紅色を基調とした華やかな花束。昨夜、病院に用事があると言っていた理由がわかった。
「お見舞いですか?」
「はい。今から行く病院に、知り合いの女の子が入院しています」
「そうですか。ちょっと、隣のお店に行ってきます」
「わかりました」
花束の仕上がりを待つ間に、隣の青果店で適当に見繕ってもらう。フルーツカゴを受け取り店を出ると、花束の方もちょうど出来上がっていた。
「よかったら一緒に渡してあげてください」
「ありがとうございます。きっとよろこんでくれると思います。さあ、こっちでーす」
少し歩いて、目的地の病院に到着。院内へ足を踏み入れる。病院特有の薬品のにおいが鼻についた。あまり得意じゃないにおい。好きな人の方が稀だと思うけど。
「昨日連絡した、
「はい、伺っています。こちらをお連れさまに――」
看護士と話していた
「これを書き終えたら、看護士さんに渡してください」
「わかりました。ありがとうございます」
「はーい。ではあたしは、お見舞いに行ってきます。また後ほどここで」
花束とカゴを持って、
「あ、終わってたんすね。どうでした?」
「軽い火傷でした。お見舞いのほうは?」
「お見舞い相手の学校の友だちが来ていたんで早めにおいとました」
処方された塗り薬を薬局で受け取ったあと俺たちは、駅前のカフェで早めの昼食をすることになった。案内されたテラス席で、向かい合う形で座り注文した料理が運ばれて来るのを待つ。
「お見舞いのフルーツ、とても喜んでいました。お礼を伝えて欲しいとのことです」
「そうですか、それはよかったです。早く良くなるといいですね」
「はい、ですね」
今一瞬だけ、うなづいた
「お待たせしましたー」
「おおっ!」
お互いに頼んだ料理がテーブルに並ぶ。
「前から思っていたんすけど、
「ん? ああ......そうかもですね」
アメリカにいた頃、偏った食生活を送っていて痛い思いをしたこともあって、食事に気をつけるようにしている。
「野菜苦手なんですか?」
「別に~、苦手って訳ではないですけどぉー」
――好き好んでは食べない、と。
「あ、そうだ。これ、どう思いますか?」
「これは?」
「今週発売の雑誌の記事の一部です。影を拡大した画像が下にあります」
画面をスクロールすると彼女の言った通り、拡大された画面が表示された。拡大された影はまるで、人を逆さまにしたような形をしている。
「それで、これが元の記事です」
「フライング・フューマノイド。空飛ぶ人間ですか」
元記事は俗にいうオカルト雑誌。何とも信憑性の薄い出どころ。というのもこの手の写真は、パソコンを使った合成写真であることが大多数を占める。特に技術が発達した現代では9割以上、10割に迫るほど捏造されたものと相場が決まっている。
しかし彼女は、この写真が合成の作り物とは違う、とある可能性を口にした。
「おそらく、空を飛ぶ練習をしているのかと」
「なるほど」
確かにそれは、ありえない話じゃない。
写真の場所は人里を離れた山中、能力の鍛練には持ってこいの場所。
「撮影場所も突き止めてあるので、あとは
「くまがみ?」
初めて聞く名前。
「そういえば、まだ会ったことなかったっすね」
周囲の様子を窺い少し身を乗り出した彼女は、俺にだけ聞こえるような小声で話す。
「
探知探査系の能力者、両方を有するかなりレアな部類の能力。どんな制約があるかはわからないが、この能力なら見つけられるのかもしれない。長年探していた、あの能力者を――。
「あっ、やっぱりー!」
突然の聞き覚えのある声。大きなサングラスをかけた同世代くらいの女子が、どこか嬉しそうに手を振りながら駆け寄ってくる。彼女の姿には見覚えがある、
「
「こんにちはですっ」
「おつかれー。こんなところで会うなんて奇遇ですね」
「今日からお休みをいただいていて、お買いものに来たんです。そうしたら、お二人を見かけたのでっ!」
サングラスを外して屈託のない笑顔を見せた
「も、もしかして、わたし、お邪魔しちゃいましたかっ?」
どうやら、デートと勘違いされているみたいだ。
「別に、デートの類ではないのでお気になさらずに」
「でも......」
「“でも”、なんですか......?」
「な、なんでもありませんっ!」
「座んないんすか?」
「えっと、お邪魔していいんですか?」
「言ったっしょ、別にデートじゃないって。それにちょうど訊きたいこともあったんで」
俺もうなづいて見せると、
「休暇はいつまでなんすかー?」
「えっと、期末試験が終わるまでです。今回は、少し長めにお休みをいただけましたっ」
学校が長期休暇に入る前のちょっと早い夏休み、と言ったところだろうか。
「三週間くらいか、うまくタイミングが合えば」
「はい?」
「こっちの話です。アイスもおいしいなー」
不思議そうに首をかしげる
「
「なんですか、唐突に」
「昨日も、今日も、とってもかわいいので気になりまして!」
「普通のショップすよ。
素っ気ない態度で答えた
「ショッピングモールのセレクトショップとか、あのお店とかですねー」
「へぇ、意外っすね」
「わたし、ブランド物とかはあまり興味がなくて。結局、同じお店で買うので似たり寄ったりになっちゃっうんですよー。それで
「あたしも、ショッピングモールに入ってるショップとか似たようなとこですよ。さて、そろそろ出ますか」
チケットと案内してくれたお礼の意味を込めて三人分の会計を済ませ、外で待っている二人のもとへ。
「ごちそうさまでしたっ」
「いえいえ」
「ごちそうさまでーす。さて行きましょう」
「どちらへ?」
「ほらさっきの話ですよ。念のため準備をしておこうかと思いまして」
「ああ......」
――雑誌のフライング・フューマノイドの件。仮にあの人影のようなモノが能力者なら、山中での探索も十分に考えられる。そのための下調べ。
「どちらから行きますか?」
「まずは生活必需品です。近くにショッピングセンターがあるようなので、そこへ行きましょう」
スマホで確認して歩きだした
「来ないんすかー? 来ないなら置いてくぞー」
「あっ、待ってくださーいっ!」
笑顔で追いかけて来た
「キャンプに行くんですか?」
「遊びじゃなくて、調査のためです」
「見つかったんですか?」
「あらかじめリストアップしておけばその時に滞りなく進むっしょ。そのための備えですよ」
「なるほど~。でしたらわたし、虫除けスプレーと日焼け止めクリームを見ておきたいですっ」
「ご心配なく、それらはすでにデオドラント商品と一緒にチェック済みです。よし、ここもおっけー、次いきますよー」
家電量販店を後にして向かった先は、
「ここで最後でーす」
隣のショップは、女性物の下着専門店。さすがにこの店には入れない。入り口から少し離れたところで、二人を見送る。
「いってらっしゃい」
「あれ~? 一緒に入んないんすかー?」
「入りませんよ。そこのベンチで待ってます」
「え~、でもでも男子の意見も聞いてみたいっていうか~」
「はいはい、冗談はその辺にしてください。
「――あっ!」
「
「なにボーッとしてるんすかー?」
「――はっ! いえ、なんでもないですっ」
笑顔で両手を小さく振り、「そっかそっか~」とどこか嬉しそうにうなづいた
「
「はあ? では、行ってきまーす」
「えへへ~」
「何すか? その笑顔は」
「いえいえ、なんでもないですよ~」
後ろで手を組んでご機嫌に隣を歩く
対照的な二人が戻って来るのを少し離れたベンチで待つ。ポケットに入れた携帯が振るえた。発信者は贔屓にさせてもらっている証券会社の
「はい、
『お疲れさまです。先日の件ですが――』
やはり先日依頼した件だった。
『明日中にはすべて片付くと思います』
「ありがとうございます。すみません、無理を言って」
『これが仕事ですから』
電話越しに、お互い笑い合う。
『そうだ、伝言を預かっていました。“たまには顔を見せなさい”だそうです』
「はい。時間ができしだい報告に行きます、とお伝え願えますか?」
『了解でーす、お伝えしておきます。取引の詳細はいつも通りメールでお送りします』
「はい、お願いします。失礼します」
通話を終えてベンチに戻ると、二人もショップから戻ってきた。しかし、先ほどまでとは二人ともどこか少し様子が違う。
「どうかしました?」
「......なんでもないっす」
「やっぱり、もっと野菜を――」
思い詰めた
「
「あ、あはは......」
訊いてみても
* * *
自宅に戻り、明日退院予定の
――空きがあればありがたいんだけど......。
航空会社のホームページにアクセスして検索。そして目当ての、アメリカ行きの航空券に空きを見つけ、即購入手続きを済ませる。購入手続きが無事に完了のメールを受信したのを確認し、アメリカ在住の友人にメールを打ち、簡単に旅支度を始める。
数日後俺は、日本を離れる。
長い間探していた能力者を探す手がかりを掴むために――。