最初に感じたのは、異様な眩しさ。次に、猛烈な倦怠感。
「起きたみたいだね」
すぐ近くで声がした。よく知っている声だった。声がした方へ顔を向けようと動かそうとしたが、顔は思うように動かなかない。顔だけじゃない。腕も、足も、声すらもまともに発声できない。まるで自分の体じゃないみたいな奇妙な感覚。かろうじて目だけは動かせた。
まだ眩しくてよく見えない目を細めて見た視線の先に映ったのは、点滴から伸びる透明のチューブが繋がった細い腕。自分のものとは思えない痩せ細った腕に想う。
――俺は、いったいどれだけの時間を......。
疑問に答えてくれたのは、よく知る声の主。親友の声。
「半年近くも眠っていたんだから思うように動かせないのも無理はないよ」
――半年......それじゃあ......。
「詳しい話は、体が快復してからにしよう。今は、それだけを考えて――」
「ドクター呼んでくるよ」と言って、徐々に遠ざかっていく足音。
やたら眩しく感じる真っ白な天井、一定の感覚で聴こえる機械音、医薬品の臭いが鼻につく。
――俺が今までやってきたことは、いったいなんだったんだ......。
もう終わらせたい、今すぐ楽になりたい。そんなどうしようもない負の感情が、心の中を掻き回す。医療用ラックにガーゼかかなにかを切るためのハサミがあった。あれで終わらせられるのだろうか。だけど、体は動かず、なにも出来ないもどかしさが、心をより虚しくさせた。
まともにしゃべれるようになったのは、一週間以上経ってからだった。
* * *
翌朝、カーテンの隙間から差し込む朝日で自然と目が覚めた。枕元にセットした目覚まし時計よりも30分ほど早い時間。体を起こし、軽く伸びをしてから窓を開けると、都会とは思えないほど爽やかな風が寝室の中を駆け抜けていく。今日一日の始まりを告げる、朝。テラスに出て、空を見上げる。雲ひとつない青空が高層ビルが建ち並ぶ向こうまで広がっていた。
まだ涼しく清々しい夏の早朝。そんな陽気とは裏腹に、俺の気分は晴れどころか、どんよりとした薄暗い雲に覆われているように沈んでいた。理由は、分かっている。今朝見た夢のせいだ。アメリカで生活していた頃の夢。あまり思い出したくない記憶。帰国してからしばらくして見ることも少なくなっていた夢。いつからだろう。最近になってまた、ときどき見るようになった夢。
少しなまぬるくなってきた風を肌に感じながら、ひとつ大きく息を吐いて、部屋に戻り、登校の準備を始める。
最寄り駅から星ノ海学園へ向かう通学路で、学園に併設するマンションの玄関から出てきた
「
彼女は手を止めて、顔を上げた。
「おはようございまーす」
「昨日は、ありがとうございました」
「こちらこそ、ごちそうさまでした。いろいろ付き合ってもらって――」
そう言って、彼女は俺の顔から目をはずし、火傷を負っている左手に視線を落とした。まだ多少の腫れと痛みは残っているが、我慢できないほどの痛みじゃない。処方された軟膏がよく効いて、包帯をする必要もないほどに回復している。
――もう大丈夫、と軽く握り開いて見せると、少し表情が和らいだ気がした。
「例の件進展はありましたか?」
「いえ、今のところ何も。と言うか、いつも前触れも唐突にくるので」
「そうなんですね」
話をしていると予鈴が鳴った。ほどなくして教室へやって来た担任は出席確認を取り、連絡事項を済ませると授業に入った。黒板に向かって初となる授業。転校する前もほとんどまともに授業なんて受けて来なかったから、どことなく感慨深いものがあった。
午前の授業が終わり、昼休み。購買で昼食を調達するため教室を出ると、廊下の反対側からこちらへ小走りで来た担任に呼び止めた。
「午後の授業のなんだが。今日だけまた引き受けてもらえないか?」
休職していた
「悪いな、助かる」
担任は「埋め合わせはするから」と慌ただしく、職員室へ戻っていった。教師というのもなかなか多忙なようだ。急いで購買へ行き、運よく残っていたサンドイッチと缶コーヒーを買って、教室へ戻る。食べずに待っていてくれた
「この光景いつまで続くんだ?」
自分の席に座る
「ゆさりんは、現役のトップアイドルですから無理もありませんよ!」
彼の疑問を拾い、鼻と口から牛乳を垂らしながらアイドル
「垂れてますよ」
「おっと、私としたことが。これは失礼しました」
「ん? 何事だ?」
「さあ?」
四人は迷うことなくまっすぐ、イヤフォンで音楽を聴きながら頬杖をついて窓の外を眺めている
「見当はつきますが、知らない方がいいこともあります」
机に垂れた牛乳を拭き終えた
「はあ? どういう意味だ?」
「おや、どうなさいました」
「トイレです。どうぞ続けてください」
「そうですか。ごゆっくり、お気をつけて」
教室を出た俺は、トイレには行かずに校舎裏に身を隠す。この辺りは能力者を監視するため、校内のあらゆるところへ設置されている監視カメラも、人の気配もなく、死角が多くある場所。予想が当たっていれば、おそらくここだろう。出来ることなら取り越し苦労であって欲しいが、それはむなしくも叶わなかった。
身を隠してからしばらく。やはりと言うか。
まさかの来客に気を取られていると、リーダー格と思われるロングヘアーの女子が、
校舎の陰に身を隠して様子を伺っている
「まずは! リカのぶんっ!」
――まずい、しかもグー。間に合うか。
咄嗟に飛び出し、
「あ――」
目があった瞬間、
「な、なによっ!? あんた!?」
「あれ? 知らないんですか。英語の教師していたんですけど、臨時ですけど」
俺も彼女のことは見覚えはない。
「――し、知らないわよっ! あんたは関係ないでしょ!? どきなさいよっ!」
「いや、さすがに無理です。この状況を見過ごすことは出来ません」
知っている顔の取り巻きの一人が「ちょ、ちょっとまずいって......!」と止めに入るが。「そいつのせいで『リカ』と『ユリコ』はっ!」と、友人と思われる名前を口にした。なにか特別な事情があるらしい。けど、俺にも引けない理由はある。
「理由はわかりませんが、彼女をキズつけさせる訳にはいかないんですよ」
「どけって言ってるでしょっ!?」
今にも殴り掛かって来そうな女子に対して俺は、
「いいえ、退きません。彼女は......
「うっさいっ! 邪魔すんなー!!」
痺れを切らしたロングヘアーの女子生徒は、もう一度右拳を振りかざした。今度は、俺に向けて拳が飛んでくる。その拳を避けなかった。左頬にクリーンヒット。殴られた衝撃で右に流れた顔を戻して、女子生徒を見る。
「少しは気が晴れましたか?」
「あ、あんた、わざと――」
「今日のところは、これで退いていただけませんか?」
諭すように声をかける。リーダー格の女子は戸惑いながらも、他の女子に促されて、校舎へと戻っていった。
一つ息を吐き、振り向く。ややうつむき加減の
「ケガはありませんか?」
「お陰様で。なんで、ここに来たんですか」
「まあ、なんとなくこうなるんじゃないかと思って。あなたを守るために」
彼女は、うつむいたまま何も言わなかった。
「教室へ戻りましょう」
校舎に戻ろうとしたところで、袖を軽く引っ張られる。
「ん、どうしました?」
「血がでてます」
指摘された口元に手を当てて指先を見ると、うっすらと鮮やかな赤い血がにじんでいた。
「本当だ。歯に当たったんですね、たぶん」
「動かないでください」
ポケットからハンカチを出した
――そして「ありがとうございました」と、小さな声でお礼の言葉が聞こえた。
折りたたんだハンカチをしまった彼女のスマホに着信が入った。
「あ、協力者が現れます。急いで、生徒会室へ行きましょう」
「ええ」
スマホの画面を確認し、俺に振り向いて言った彼女はもう、星ノ海学園生徒会長の凛々しいいつもの
* * *
生徒会室に入ると三人は既に集まっていて、俺たちと協力者の到着を待っていた。
「はわっ、どうしたんですかっ?」
ソファーに座っていた
「昼ご飯を食べてる時に、噛んでしまったんですよ」とテキトーにごまかす。すると
「あ、そうだ。ちょっと待っててくださいねー」
ポーチから小さめの絆創膏を出して手渡してくれた。お礼を言って貰った絆創膏を貼りながら横目で、
そうこうしていると突然、バタンッ! と、勢いよく生徒会室の扉が開いた。現れたのは、全身ずぶ濡れの長髪の男子生徒。どこかで見たことがあると思ったら以前出会い頭にぶつかりそうになった男子。
「能力は......“空中浮遊"」
それだけ告げると踵を返し、生徒会室を出ていった。俺はもう一度、
「空中浮遊か、また定番な能力だな」
「ですね。えーと、場所は......都心を外れた山中のようですね」
「よしきた~! これだっ!」
「いやー、前から目を付けてたんっすよー」
「この写真の黒い影が能力者だって言うのか?」
「はい。憶測ですが、ここで飛ぶ練習をしてるのだと思います。ですので、この場所で張り続ければいずれ姿を現すハズです」
「張り続ければっていつまでだよ?」
「もちろん姿を現すまで。決まってるっしょ?」
「私たちは、それで構いませんが。ゆさりんは?」
「わたしも大丈夫ですよー。しばらくお休みをいただいていますのでっ」
「と言うことです。さっそく買い出しに行きましょう」
「行きましょう」と言いたいところだけど、そうもいかない。先約に担任の頼まれごとがある。
「すみません。急な出張が入ったそうで午後の授業を受け持つことになっているんです」
「そうですか、わかりました。ではあたしたちは、先に現場へ行っています」
5時限目の授業を滞りなく終え、次は6時限目。これで本当に最後の授業だ。
「最後は......2-Bか」
二年生の教科書に持ちかえて教室へ入る。
入り口に近い席で楽しそうにだべっていた二人の女子が、俺に気づいた。
「あれ?
「どうしたの?」
「先生が急な出張で。今日だけまた臨時です。お願いしますね」
「あ、そうなんだー」
「よろしくねー」
教壇へ向かって歩きながら、教室全体を見渡す。すると、いつも空席だった席に、面白くなさそうな
「なっ!? あ、あんたっ!?」
「あぁ~、どうも」
あの空席の主は、昼休み奈緒に絡んできたロングヘアーの女子だった。彼女の声に何事かとクラスがざわめく。
「静かにしてくださーい。授業を始めますよ?」
手を叩いて呼びかけた俺に注目が集まった。そこで、また今日だけ教壇に立つこと伝えて授業に入ろうとしたところで。教卓の目の前の席の女子が「どうしたのー?」と口元の絆創膏を指差し訊ねてきた。その質問に、ロングヘアーの女子生徒が少し気まずそうな表情を見せる。おそらく告げ口されると思ったのだろう。
「いや~、ちょっと考え事して歩いていたらぶつけちゃったんですよ」
「えぇ~、そうなの? 気をつけなきゃだめだよ~?」
「はい、気を付けます。それでは始めますね」
「なんでしょうか?」
「......その......なんで――」
「なんで庇ったのか、ですか?」
彼女は、ゆっくり頷いた。
「教師ですから。さっきまでですけどね」
深くひとつ息を吐き、彼女をまっすぐ見据える。
「あなたの事情はわかりません。彼女を責めるなともいいません。ですが、彼女にもそうしなければならない事情があったんだと思います。わかってあげてくれとはいいませんけど。憶えておいてください」
彼女は、なにも答えない。
「それでは、失礼しますね」
「......待って――」
「なんですか?」
「......ケガさせて......ごめん」
「あなたが怒ったのは、友だちを思ってのことなんでしょ?」
黙ったまま、小さく頷いて答えた。
「それならいいです。ああ~そうだ、一つだけ。授業は出た方がいいと思いますよ?」
「ちょっ......それ、今いうっ!?」
「あははっ」
俺は笑って職員室へ戻った。
スライド式のドアを横に引いて室内に入る。
「失礼します」
「あっ、宮瀬くん。おつかれさま」
「おつかれさまです」
最初に労ってくれたのは、今日復帰した
「ねぇ。
「どうぞ」
棚に教科書を戻しているうちに
「こっちで話しましょ」
有無を言う間もなく職員室横の応接室へ連行されてしまった。無駄に豪華なテーブルを挟んで向かい合って座る。
「中間の成績みたけど、みんな上がってるわね。主に女子が」
「あはは......」
淹れてくれたインスタントコーヒーをいただきつつ、苦笑いでやり過ごす。
「
「別にいいですよ。充実した日々を送れましたから」
「欲がないわね。なにかないの?」
「そうですねー」
左手をアゴに添え、目を閉じて少し考えてみる。|
「じゃあ、ひとつお願いしてもいいですか?」
「なんでもいいわよ」
「
「
「はい」
「ふーん......わかったわ。任せなさい」
「お願いします」
話は、これで終わり。お茶のお礼を伝えて席を立つ。
「ねぇ、
「あ、はい、なんですか?」
「あなた――」
――ああ、そうか......俺は......。
この時、
「もちろんです」
「そう......重いわよ? あの子が背負っている物は」
「はい、わかっています」
「そう、頑張りなさいっ」
応接室を出ると携帯が振動した。画面を確認するとメールが届いていた。送信者は、話題に上がっていた