一晩中降り続けていた雨は止み、東の空がオレンジからすみれ色に変わり始めた雨上がりの明け方。固く閉ざされていた目の前の部屋のドアが、音をたててゆっくりと開いた。
――三日も必要なかった。
灯りの点っていない暗い部屋から姿を見せた
「ああ......決めたよ。僕は、もう迷わない」
泣き腫らして赤くなった瞳。きっと自分の不甲斐なさを責め、無力さを知り、一晩中葛藤したんだろう。あの頃の俺と同じように――。
それが今では、まっすぐ力強い瞳で俺の目をしっかり捉えている。前へ進むと覚悟を決めた顔。そして、力強く答えた。
「必ず
「いい顔になった。斜に構えてた頃よりも、ずっと」
気恥ずかしさを覚えたようで、一瞬目を背けた顔を戻して、俺に訊いた。
「......教えてくれ。僕はどうすれば、
悔やみ、悩み抜いた末に答えを出した。
本当なら今すぐ希望を示してやりたい。だけど......。
「今日は、ゆっくり休め」
「えっ? だ、だけど、僕は......」
「疲れているだろ。それに――」
隣に感じる温もり。身体を肩に預けて、規則正しく小さな寝息を立てる彼女は、目を覚ます気配はない。
「少し休ませてやってくれ。お前にはまだ、乗り越えないといけないことも残ってる。話しはそれからだ」
「......そう、だな。わかったよ。じゃあまた――」
頷いた
――軽い。
この華奢な身体にいったいどれだけのものを背負ってきたのだろう。母親に裏切られ、友人に裏切られ、兄の心を壊され、それでも瞳を閉じることなく前を見据えて、自分の進むべき道を歩いている。そんな彼女の力に、守ってあげたくて、俺は......。
「部屋のカギ、借りますね」
腕の中で眠っている
「今日は、ゆっくり休んでください。カギは、ポストに入れておきます」と書き置きを机の上に残して、彼女の部屋を出た。
一度自宅に帰り、シャワーを浴びて汗を流して、軽い朝食と着替えを済ませて、星ノ海学園へ向かう。一時間目が終わって休み時間になったのを見計らって、教室に入る。するとすぐに、
「おはようございます。やはり、
「彼は、もう大丈夫ですよ。妹さんの告別式が済んだら登校してきます」
「そうですか。ではその折には、復帰祝いにみんなで牛タンカレーを食べましょう」
「いいですね。また、取り置きを――」
「あの~、
「彼女も、今日は――」
「おはようございまーす」
――欠席です、といいかけたところで後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。振り返ると、そこには何食わぬ顔をした
「
「そうですが、別人に見えますか?」
嬉しそうに笑顔で
「おはようございますっ、
「はい、おはようございまーす」
俺は挨拶をすることも忘れ、体調を訊いていた。
「もう、いいんですか?」
「大丈夫です、問題ありません。ありがとうございました」
挨拶もそこそこに、二時間目を告げるベルが鳴り響く。
「あ、予鈴ですね。ほら、三人とも自分の席に戻ってください。授業が始まるぞー」
そう言って、
学校は昼休みに入り、
自販機で購入した缶コーヒーを飲みながら、今回の件においての最重要事項、
東京都の地図が拡げられたテーブルの横のソファーに並んで腰を下ろし、今朝彼女が眠っていた間にした、
「そうですか、無事に立ち直ってくれましたか」
「もう大丈夫ですよ。けど、本当に大変なのはこれからです」
「時を司る能力、
「唯一の手がかりと言えるのは、能力者の名前と能力の詳細のみ。見つけ出すのは至難の技......文字通り雲を掴むような話です」
「
「そうですね、お願いします」
ポケットからスマホを取り出した彼女は、着信履歴から能力者探知探査できる能力を持つ協力者、
「ダメです、電源が入っていないようです。留守番電話にも繋がりません」
「そうですか」
電源を入れっぱなしにしておけば、居場所を特定される可能性がある。情報漏洩のリスクを考えれば至極当然の対応。
さて、どうしたものか。方法はあっても見つけ出せなければ意味をなさない。結局、今出来ることは、探知能力者の
「すごいですね」
「何がです?」
思考を巡らせていると、彼女は突然、俺に向けて賛辞の言葉を口にした。
「あたしが悩んでいる時、あなたはいつもどうすればいいのか一緒に考えてくれて、より正しい答えに導いてくれます。野球の試合も、兄のギターも、
可能な限り出来ることをしたまでのことで、それは俺にとって当たり前のことで――。
「あなたは、どうして――。いえ、いつもありがとうございます」
言いかけた言葉を飲み込んで、代わりにお礼の言葉。
本来続いていたであろう言葉は、なんとなく想像はついた。だから、俺の方から話を切り出した。
「礼を言うのは、俺の方です」
「えっ? 何でですか?」
「あなたは......俺に、もう一度生きる意味を与えてくれたんですから」
「それは、どういう意味でしょうか?」
可愛らしく小さく首を傾げる。
「あの日、絶望の中で目覚めた日。唯一の目的を失って、失意のドン底で日本に帰国したあと、ただただ同じことを繰り返す日々を送っていた俺を、あなたは見つけてくれた。協力して欲しいと言ってくれた、あの時から――」
彼女の大きくて綺麗な目を見る。彼女も俺の目を見つめ返した。
「あなたの力になること、あなたを守ること。それが、俺の生きる意味になったんです。だから、あなたには幸せになってもらわないと困るんですよ」
思いの丈を伝え終えた時、昼休みの終わりを告げるベルが鳴り響いた。
「時間ですね、戻りましょう」
立ち上がって、ドアに向かって歩き出す。
「あ、待ってください――」
ドアノブに手をかけたところで、背後から腕を取られた。
「......教えてください。あたしを守ると言ってくれたのは、あたしが、
ドアノブから手を離してゆっくり振り返り、彼女に向き合う。
彼女は真剣な眼差しで、真っ直ぐ俺の目を見つめている。けど、どこか不安そうに見えて、腕を掴む手は小さく震えていた。
それなら、今のまま――いや、違う。それは、ただの言い訳に過ぎない。
まったく、あれだけに偉そうなことを言っておきながら、ここまで言わせた上で逃げようだなんて卑怯にも程がある。
目を閉じて、ひとつ深く呼吸をしてから開き。
そして、彼女に伝える。俺の素直な想いを――。
「
彼女の目元に浮かんでいる涙の粒。掴んでいた腕から手を離した彼女は、手に握り直した。涙の粒がこぼれ落ちてもそらすことなく、真っ直ぐ目を見て問いかけに答えてくれた。
――はい、そばに居てください、と。
しばらくして、
「お昼食べ損ねたので、お腹が空きました。一緒に、学食へ行きましょう」
「今、授業中ですけど?」
「サボっても内申に影響ないので大丈夫っす」
「そうですか」
「はい。ですので行きましょー」
二人一緒に、学食に向かう。
繋がれた手の温もりを確かに感じたままで――。