お止めくださいエスデス様!(IF) 作:絶対特権
帝国西方、カンチュウ。峻険な山々と絶壁。人が屈した代わりに危険種が群れているような天然の要塞である。
ここはその平らな土地を切り刻み、凹ませたような地形であるが故に外部からの情報を受け難かった。
そして、外部からの情報を受け取り難いということは即ち内部情報がバレにくいということでもある。
故にこのカンチュウは、隣接する西の異民族からの亡命者を受け容れることで貧しいながら多彩な発展を遂げていた。
だがしかし、亡命者である異民族やそのハーフは迫害を受けやすい。
身体的に特徴であるところの赤系列の髪によってその特定も容易い為に、彼等彼女等は陰湿な虐めにあうことが多かった。
特に、無邪気な残酷さを持つ幼少期には。
ここカンチュウは、西の異民族からの防衛線でもある。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとはよく言ったもので、ハーフや亡命者夫婦の子は積極的とすら形容できる虐めにあっていた。
その地にある城郭都市のとある総合学校の一棟、兵士養成科。最前線に位置するこの邑を守り、或いは西の異民族討伐の為に動員され、また或いはその功績によっては帝都に栄転することになる。
この学校では三年制の補給科や四年制の秘書科、五年制の機巧学科などが複合された狭い邑内の事情を配慮した学校。それがこの総合学校だった。
西の異民族の主力は、騎兵。騎兵は断崖を登れない為、対西の異民族の最前線となっている都市は基本的に城郭都市に―――所謂邑になっており、塔の如き断崖の上に城郭都市が建っている形になっている関係で、自然と邑の面積が狭いのである。
「おいハク、この後どうすんだ?」
「……そうだな」
この総合学校の八年制の兵士科、その最終学年であるところのこの優男は、同学年の兵士科の学徒と話していた。
彼等兵士科は八年目に戦場に立つことになる。
彼も学友もその洗礼を受けていた。その上で『この後どうすんだ』とくれば問わんとすることは一つしかない。
これからの進路をどうするのか、ということだった。
「兵士になる。配属願いも出したからな。今更悩むこともない」
「……そっか」
その返事にはある意味での尊敬の念や、一歩退いたような感情が篭っている。
今まで剣や鉄砲や槍などの鍛練を積んでいたとは言え、彼等は人を殺すのは先の実戦が初めて。
故に修羅の鉄火場である地獄のような戦場の空気、潮の如く押し寄せる騎馬とそれに乗った鋼鉄の鎧を纏った騎士の暴威に射竦められてしまった者が多かったのだ。
「俺達は警備隊に行く。もう人は殺さない」
「そうか」
すこし詫びる様に頭を下げながら去っていく友人を視線だけで見送り、ハクと呼ばれた優男は近くのベンチに腰を下ろす。
残虐非道なる太守が何者かに殺され、地下にあった帝具が盗まれた。そう聞いたのが一年前。
そして。
「せーんぱいっ」
「来たな、指名手配犯」
この橙の髪を持つ、切っても切れない腐れ縁で結ばれた少女に絡まれたのが、三ヶ月前。最前線からの帰還直後だった。
異民族とのハーフである彼女が虐められているところを助け、色々世話を焼いていたり焼かれたりした挙句、この総合学校で先輩後輩の間柄になって五年。
彼が後二年の教育課程を残している時点で彼女はその成績の優秀さで太守仕えのメイドとなり、何だかんだで一年と保たず、太守殺しの犯罪者。
このすぐさま切るべきであろう腐れ縁としか形容し難いこの縁を、ハクは何だかんだ言いつつ大事にしている。
天涯孤独の身であり、他に縁といえる縁がないのもその一因かもしれなかった。
「それはヒドイ言い草じゃないかな?」
「そうか」
特徴的な髪の色だけをそのままに、外見を適当な物へと変えた彼女は、チェルシー。公式な綴りはChelsea。
帝具窃盗罪と太守殺害による、正真正銘の指名手配犯である。
「配属先、見たよ。ナジェンダ将軍のとこなんでしょ?」
「どこで見たか、と言うのは愚問か」
彼女の盗んだ帝具は、『変身自在』ガイアファンデーション。人にも動物にも化けられるという、正に隠密行動に特化した帝具だった。
無論、手に入れたばかりの彼女がそう完璧に使いこなせるわけではない。本来物質や動物など様々なものに返信することのできる帝具を使っても、精々人に変身するのが限界である。
しかしそんな低練度でも、その真に凶悪な性能に変わりはない。機密を知る人間を観察し、その類まれなる演技力でなりすませば彼女は知ろうとすれば大抵のことは暴くことが出来た。
ハクが聞くだけ無駄と判断した理由は、ここにある。どうせ教官の一人に変身して資料を覗いたか、それと類似する理由であることは間違いがなかった。
「私も着いて行っていい?」
チェルシーは意図的に傍から見ればカップルの片割れがその片割れについていくような会話でしかないように誘導しているが、実際のところは逃亡と護衛の依頼である。
無論彼女に一切の私情がないとは言えないし、合理性でしか動いていないわけではない。
だが、表面から見た今の関係を表せば先輩と後輩、真実から見れば指名手配犯とその逃亡扶助者である。
「守ってやるという言葉に二言はない。お前がどうなろうが、可能な限りは守り抜こう」
「つまり?」
「来たいなら来い」
所詮チェルシーは地方の指名手配犯しかないから、帝都にまで手配書が回っていない。
この初陣で西の異民族の二十の氏族のうちの一人を討ち取る程度には腕の立つ彼を連れて行けば、そこらのチンピラやら何やらに絡まれて死ぬということもないと言ってよかった。
実際見たわけではないから強さの程に関しては疑問符が残るが、実績で判断するならば敵に回した時の危険度『上・中・下』の内の上には確実に入るだろう。
チェルシーは虐められていたからか、或いは重度のビビリだからか、天然ものの力量センサーを持っていた。
そしてそれは、案外正確である。
「今更だけどさ。指名手配犯を庇ってていいの?」
「お前が太守を殺して以来、治安が改善されていることも確かだからな。秩序においては罪でしかないが、厳密に言うなれば罪なのか、どうか」
その答えが出るまでは、彼に動く気はなかった。
例えば自らが警備隊ならば、チェルシーを突き出すべきだろう。犯罪者を捕まえることが職務なのだから、そこに私情は挟めない。
だが彼は軍人であり、上官の命令を粛々と実行することこそが義務であった。屁理屈に近いが、彼は犯罪者を捕まえることを命じられていないのである。
軍人がいる意義は、力無き民を守る為。太守が積極的にその『力無き民』を狩りと称して殺し続けていたのだから、これはどうなのか。
つまり、千の民の害を一を殺すことで取り除いたのは、罪か。
倫理的に言えば、人を殺すのは罪である。が、その者を生かすことで千万の民が苦しむのならば、どうか。
それは殺していいとは言えないまでも、殺すことで何かが救われるのではないか。
良いこと、褒められるべきこと、正義ではないにせよ、それは責られるべきなのか。
己の死滅していく心を一片の義侠心で打破しようとしたチェルシーのとった行動は、彼に強烈な疑問を投げかけていた。
「どう思う」
「チェルシーさんは自分が正しいとも思わないし、悪いとも思わないよ。まあ、報いは受けることになるかもしんないけどさ」
僅かに達観したような、冷めた空気が彼女に纏う。
「やっぱり、誰かがやらなきゃいけなかったんだよ」
正規の手段を踏んでも、駄目だった。正規の手段で民の苦難を排除すべき中枢までが腐り切っているこの国では、多額の賄賂を中枢に納めていた太守をたかが民の苦難を除く為に排除すべき対象だとは定めない。
寧ろ、その手段に訴えでた勇気ある弾劾者が罰せられる。この国はそこまで腐っていた。
「お前はブレないな」
「いやまあ、ブレてる余裕なんかないしねぇ……」
彼女から言わせれば、ブレることのできる人間は物理的な強者である。弱者であればブレた瞬間に屠られ、そのブレを自覚する前に命の火が消された。
ブレを自覚するまでには時間がいるし、考える為の余裕がいる。
流れていく時に従わず、無理矢理自分の内で停滞させているようなことは、彼女には出来なかった。
「ハクさんは、悩んでいいと思うよ。そう言うキャラしてるし」
「そうかな」
ふざけているときの先輩呼ばわりではなく、キチンと名前プラス敬称で呼んでいるところに、チェルシーの真心が伺える。
つまるところ、彼女はお人好しだった。
誰もが誰かがやらなきゃならないことを恐れてできないならば、自分が黙ってやってやろう、という。
「私には二つの道がある」
「うん」
つまり、悪となって民を救うか。正義として民を救うか。
前者を取れば、いずれ裁かれる。後者を取れば、裁かれることはまずないだろう。救える民の数とそこに至るまでの時間を考えれば圧倒的に前者が勝っていた。
「どちらになるかを考えるのは止めない。が、取り敢えず今を精一杯生きようと思う」
「それでいいんじゃない?」
まずは腐敗の根源である帝都を見てからだろう。
ハクはそう考え、チェルシーの肯定に対して頷いた。