お止めくださいエスデス様!(IF) 作:絶対特権
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seiya1214様、評価いただき光栄であります!
結論から言えば、チェルシーの予測は外れなかった。キッカリ二分後に、それは来た。
今まで僅かに笑語を交わしながら進んでいた兵たちはあまりの威圧感に頭を上げて崖上に目をやり、そこそこの実力の持ち主である将校達は格の違う暴威に恐れ慄く。
強烈な威圧感が氷の魔神と称されるに相応しいと思わせる帝国最強の将軍と、その将軍が抱える三人の帝具持ちを主戦力にした僅か百程の騎兵がナジェンダ軍の進軍方向前方の崖上に現れた。
「エスデスが来るとは……どういう進軍速度をしているんだ!?」
ナジェンダはこれを予期していなかったわけではなかったのである。だが、距離という物理的な障壁に安堵し、有り得ないという幻想を抱いていたことは否定することは出来なかった。
つまり、無意識の内に彼女と相対すると同義である死を否定していたと言っても良い。
「なるほど、御馳走だな」
帝具使いが二人、盗まれた帝具一つに、万を越す兵。自分を満たすに足りる者がいることを僅かに期待し、防寒用らしき白いコートを羽織ったエスデスは獰猛な肉食獣を思わせる笑みを浮かべる。
「どういたしますか、エスデス様」
「お前たちは突っ込め。私は―――」
恭しく一礼しながら決断を求める副官・リヴァの問いに、エスデスはその鋭い切れ長の眼をチラリと左右に動かした。
鍛えに鍛えた精鋭が苦戦する相手に出会えるならばそちらにかかるも良し。だが、ナジェンダが連れている直属の兵に才気有る者を無役の一兵卒で残しておくとも思えない。
見定める暇もないである補充で入った新兵百人の中に強者がいる可能性も否定できないが、戦闘経験の不足している者を嬲ってもつまらないだろう。
恐怖と驚愕に引き攣ったナジェンダに獲物を定めたような鋭い視線を向け、エスデスは手早く決断した。
「そうだな。私は帝具戦といこう」
「ハッ」
謹直に返事を返したリヴァの指揮の元、騎兵百騎が武装を仕舞って手綱を握る。
崖を一気に駆け下るなど、北方の兵にとっては児技に等しい。
雪崩打つように突撃していく兵を片目に捉え、エスデスは悠々と指を鳴らした。
「小手調べだ」
彼女の周りに氷の刃が浮上し、銃弾程度の素早さで射出される。
狙いは、ナジェンダ軍の帝具持ちの内の一人。三人居る副官の内の一人だった。
「誤算ではありますが、敵は百に満たぬ少数。私とナジェンダさんの帝具があれば―――」
狙われた副官が己の帝具である仮面に手を掛けた瞬間、その戯けた台詞を断ち切るように氷刃が喉笛から上と下を切り離す。
横に居た副官だった物の断面から見える赤い肉の断面と、白い骨。戦場特有の赤茶け、錆びた鉄の匂い。
その全てが、彼女の動揺を覚まさせた。
「パンプキン!」
手に持つ帝具『浪漫砲台』パンプキンに副官を喪った激情を籠め、ナジェンダはそれを銃弾として撃ち出す。
十、二十、三十。明らかに戦いを愉しんでいる氷の将の口元に三日月の如き笑みが浮かび、彼女が奮戦する度に段々と弾幕が濃密さを増していた。
ナジェンダの帝具は銃型。適当に照準をつけて適当なところに氷を精製。それを飛ばせば致命傷を与えることのできるエスデスの大雑把且つ効果的な攻勢とは違い、彼女にはいちいち照準を付ける必要がある。
この場合、狙撃の腕などは関係ない。ただ速く、集中力のあるものが勝利を掴むことになる。
ナジェンダが一発迎撃する度に、エスデスは二発を撃ち出した。
しかもこれまた巧妙なことに、一発の裏に隠れるように次弾を仕込んでいる影弾のようなものまで作って、エスデスは圧倒的な速さと物量で攻めていたのである。
パンプキンのエネルギー弾で氷を撃てば、煙が上がる。上がった煙から次弾が来るものと来ないものがあり、帝具を使うための力の容量でエスデスに劣るナジェンダには皆一様に二発連射して防ぐ程の余裕がない。
余裕のなさが更なり余裕のなさを呼び、遂にエスデスの氷弾がナジェンダに突き刺さった。
「がっ……」
反射的に、と言うべきだろう。
ナジェンダは反射的にパンプキン持っていない方の手で貫かれ、失われた片目を抑えた。
そして彼女は、崖上から目を離す。
「帝国を裏切るとは……残念だよ、ナジェンダ」
馬など使わず、崖上から飛び降りて着地したエスデスが、彼女の後ろに立っていた。
「楽には死なさん。じわじわと、砕いてやる」
脱ぎ捨てたコートはどこへやら。ドス黒いオーラを漂わせながら、エスデスはナジェンダへと歩み寄る。
一歩一歩踏みしめるようなその遅々とした足取りには、確たる自信と強者のゆとり。鋭い眼差しには失望と無情さが伺えた。
「将軍!」
残り二人の副官の内の一人が駆け出し、もう一人が背後にある保管鞄の中をまさぐる。
そこには彼女の帝具と性能を伍するであろう、とある帝具が入っていた。
「くだらん」
鎧袖一触より、尚軽い。服の裾に触れさえせずに凍らされた同僚の姿を見て、残された最後の副官は手に持つ環状をした帝具を握り締める。
使えば死ぬ。過去に、これを付けて死ななかった使い手はいない。だが、自分ならば出来ると信じなければ付けようなどと思えるはずがない。
「うぉぉ!」
自らを奮い起たせるような雄叫びと共に、副官はその帝具を自らの腕に打ち付けた。
打ち付けられた部位が凹み、半円形となって腕に触れた帝具が片方しかない手錠如く片腕を縛る。
「ほぉ……」
取り敢えず凍らせた副官を氷ごと蹴り砕いていたエスデスは、ナジェンダの方向へと進める歩みを止めて振り返った。
明らかな、力。強者との戦いを望む彼女が、これを無視するは道理はない。
それにあの副官が使ったのは、帝具。使用不可に近く、使おうとする者がいないとは言え、一応帝具は帝具である。
所有者は速やかに殺し、奪還せねばならないという建て前をつくり、エスデスは未知の帝具へと興味を移した。
常識的に考えて狙撃を得手とする銃型帝具から全力で眼を逸らして余裕ぶっこいていていいのかどうかは別として、彼女にはぶっこけるだけの力がある。
彼女から言わせれば、気づいたならば対処することが可能だった。そして彼女は一秒経たずに気づく。
「お前、死にたいのか」
「死ぬと決まったわけではない……」
腕の環から出た光に包まれ、生成された黄金の鎧。
それはまるで命の最期の光を燃やし尽くすかのように、副官の纏う鎧はきらびやかに光っていた。
「なるほど、それもそうだな」
僅かに霜のおりた地面をハイヒールでザクザクと鳴らしつつ踏みしめ、エスデスは無意識の威圧感を纏いながら前進した。
敵の格を確かめるには、ただ歩くだけでいい。この威圧に負けるならばそれまでの敵だったということだろう。
「ッォォォオ!」
副官の使用した帝具は、『玄天霊衣』クンダーラ。地方言語で『環』の意味を持つ光を織る帝具である。
この帝具の特徴は何か、と問われれば適合せずとも使うことができることだった。即ち、誰でも使えるのだ。
しかし、適合しないと使った後に太陽の如き光に灼かれて灰になることから『呪具』、或いは『呪いの帝具』と呼ばれている。
つまり、歴史的にこの帝具を使った後には逃れ得ぬ死が確定していた。
「ふん……」
その逃れ得ぬ死を前にしながら、威圧感程度に屈した敵の格の低さに失望しながら、エスデスは繰り出された一撃を悠々捌く。
殴るというより、押していると言ったほうが正確に表しているようなめちゃくちゃな戦い方などを、彼女は見に来たわけではない。
「そら」
気のない気合がエスデスの口から漏れ、真っ直ぐ自分に向けて突き出された拳を掴んだ。
徒手格闘が無理ならば、帝具の帝具たる所以、その超性能で愉しませろ。
そう言わんばかりの侮蔑の視線をやり、彼女は副官に掴まれたことすら感じさせずに一瞬で後方の大地へ放り投げた。
放り投げた方向には、ナジェンダが居る。
――――突破されたら、ナジェンダが死ぬぞ。
非常に丁寧なことに、エスデスは副官がその全力以上の力を出せるように場を整えてやっていた。
彼女自身には全く理解できないが、この世の中には守る者を背にすることで強くなる人種もいるらしいということは知識として知っている。
この男もその型ではないかと、エスデスはそう思っていた。
「ほら、跳ね返してみろ」
やる気を感じさせない様で腕が振られ、空気中に冷気が満ちる。
ナジェンダの片目を貫いた氷刃の束が、振られた腕の側にあった。
「がぁぁぁあ!」
剣も、槍も出さない。出し方を知らないのか、出す暇もないのか。或いは出す気がないのか。
腕と手甲、或いは身体で氷刃を受けるその姿は、到底彼女が求める強者のものではない。
エスデスはその手で振り払う無様な姿を見るにつれて、高揚した興味が冷めていくのを感じていた。
氷刃に貫かれない鎧は、ただ硬いだけだろう。
彼女はそう、判断した。
そして。
「つまらん。死ね」
氷刃の射出を、止める。
一瞬で肉迫した彼女が薙ぐように払った脚が、流星の如く副官の硬質な鎧に包まれた腹に突き刺さった。
戦う力を失えば、適合しない限りは灰になる。
この副官も、その例には漏れなかった。
道に植えられた木を圧し折りながら大地に倒れ伏した彼の手に嵌まった腕輪から電線がショートするような光が迸り、その身体を身に着けていた服ごと灰色の砂粒に変える。
ナジェンダの側で消え去ったとはいえ、屍すら残らないあまりにも哀れな最期だった。
「ッ……!」
最早興味すら示すことなく、かなり離れたナジェンダの元へと一路彼女は歩を進める。
灰に埋もれた金に彩られた銀の環は現在、緑髪の少年の手にあった。
(俺が戦わなきゃ、ナジェンダさんが死ぬ)
ラバックというこの少年は、ナジェンダに恋心を抱いていたのである。
好きな人を守り、死ぬ。それならば自らの一生に悔いはないと、彼はそう覚悟してこの無残な灰の墓標に来た。
だが、彼はまだ幼かった。命をかけて戦ってきたとは言え、圧倒的な強者と相対してきたわけではない。
彼の帝具を掴む手は、震えている。
薄っすらかかった灰が生々しく、次の瞬間には自分もこうなるだろうという予想が、彼を恐怖に陥らせていた。
「代わろう」
何も見えなくなるような恐怖に陥っていたラバックに、ぶっきらぼうな言い方ながら温かみのある声が届く。
それに気づいて顔を上げた時には、彼の手の内に帝具はなかった。
「少年。氷のは私が止める。その隙に将軍を連れて南へ行け」
「……何で、南なんだ」
「革命軍本隊が来ているらしいからな。頼んだぞ」
恐怖など微塵も感じさせずにナジェンダの方へと向かう背中を呆然と見つめ、ラバックは己の震える膝を殴る。
自分より遥かに強い副官三人が秒殺と言っていいほどの時間で殺されたことによる恐怖。
比べるのもおこがましいナジェンダが負けた恐怖。
その恐怖に負けた自分が、彼は死ぬほど憎かった。
「ナジェンダ、終わりだ」
片目を失った挙句に落馬し、銃を辛くも構えながら立ち尽くすナジェンダに、エスデスはあくまでも悠々と終わりを告げる。
彼女の伸ばした手が身体に触れれば、それで終わり。そんなことはナジェンダにはわかっていた。
手始めとでも言うような余裕っぷりで帝具をやすやすと蹴り飛ばされ、死を伝える掌が伸びる。
失血で朦朧とする意識でも、自分が死へと向かうカウントダウンは認識できた。
三秒。後三秒で、ゆっくりと伸ばされる手がナジェンダに触れ、その身体を凍りつかせるだろう。
「……何?」
手に環を持ったその男は、唐突にエスデスの視界に入ってきた。
彼女の鋭敏な知覚を騙しはぐらかし、目の前の幽鬼のような男は目の前にいる。
そうわかったエスデスの脳髄に、喜悦が走った。
――――こいつは、強い。今まで戦った誰よりも。
「逃げ、ろ。お前たちを煽動した私は、庇われるだけの理由がない」
エスデスの獣じみた感覚に寄る喜悦を他所に、ナジェンダは目の前の無謀な男にそう促す。
彼女は自分の副官の死を、見た。一人の兵の覚悟と恐怖を、見た。
もう庇われるのは嫌だった。
「理由ならばあります」
「……な、に?」
掴んだ死をもたらす掌を持つ手首を横に振り払い、その一兵卒は自らの手首に帝具をつける。
その声色に怯えはなく、その佇まいに恐怖はなく。
その男は、黄金の光に包まれながら言い切った。
「兵には、将を守る義務がある。それに、私一人で残り一万が救われるのならば、安い物です」
黄金の戦士と、白銀の女王。
宿命の二人が、相対した。