お止めくださいエスデス様!(IF) 作:絶対特権
1000様、すき焼き様には十評価まで……ほんっと、感謝です!
蒼銀の女と、黄金の男。
宿命に縛られたこの二人は、崖の続く切り立った街道で暫しの間無言のままに向かい合っていた。
その二人を中心とした僅かな半径もまた、戦場の喧騒が嘘のような静謐さを保っている。
(強い)
(中々に、やる)
ハクは身体から滲み出る雰囲気とこれまでの圧倒的な技量から、エスデスは自らの知覚を突破してきたという実績と余命がそれほど無いにも関わらず泰然とした佇まいにそれぞれの強者たる所以を掴んでいた。
(どう守るか)
ハクは、この帝具の機能が薄っすらと解る。伝わってきた、と言ってもよい。このまま時間を稼げば多少なりとも『練度』という差を埋められるだろう。
自然、彼は退嬰的に。
(どの手でいくか)
エスデスは、その身の内を期待が満たしていた。
弱者を蹂躙するのは、あくまでも強者との戦いのツマミに過ぎない。一刻も早く刃を交えたいが、かと言って不用意な手を打つことは危険である。
(危険、だと?)
どんな相手にも余裕とゆとりを持って勝ち続けてきた強者である己が、勘で危険を悟った。
それは即ち、この敵がこの上ない極上の敵だからではないのか。
危険種と命のやり取りをしながら生きてきたエスデスの勘は、未来予知の如く鋭敏である。
彼女はこれを信じ、また利用した。
不用意ともとれる不用心さで、彼女は目の前の男に向けて払われた拳を突き出す。
ただ殴るようにして突き出しただけ。故に速く、単純にそれは避けるのが困難な一撃だった。
片目でその一撃を辛くも捉えたナジェンダは、確実に喰らうであろう目の前の男を援護すべく銃を構える。
「ナジェンダさん!」
「ラバック……何故来た?」
「そりゃ助ける為に決まってるじゃないですか!」
細い体格の割りには腕力のあるラバックが帝具ごとナジェンダの身体を持ち上げ、彼女の愛馬に乗せて鞭を振るった。
片目を失うというのは、かなりの重傷である。ちんたらこの場に留まっていては傷が化膿してどうなるかすらわからない。
何よりもラバックは、今絶望的な強敵と戦っている戦士から頼まれたのだ。
南へ行け、と。
「緑、こっち!」
従卒とは思えぬ言葉遣いと華麗な馬術で、橙と緋の間の子のような髪色をした女顔の美少年が馬を駆り、歩幅を一定に保ちながら誘導してくる。
他のナジェンダ軍の兵も各部隊長に率いられて撤退を開始し、残ったエスデス軍の百騎は主の決闘を見守るように周囲を囲んでいた。
勝とうが負けようが、自分の代わりに犠牲となった男の生存は難しい。
奥歯を噛み砕くような無力感と無念に苛まれ、ラバックはナジェンダの乗せた馬をとばす。
「急ぐと負担が大きいから、もう少し馬脚を緩めなさいな」
「わ、わかった」
怒りのあまり気絶しているナジェンダへの配慮を怠ったことを悔やみ、ラバックは徐々に速度を落とした。
向かう先は、合流地点。
そこには、革命軍本隊が居る。
後ろをちらりと振り返り、再び緋色の美少年は前を向く。
(約束守らなかったら殺すから)
必死に強がるような叫びを心中であげ、変身したチェルシーは馬を御する傍ら、袖で零れ落ちる涙を拭いた。
死のうが死ぬまいが、ハクの前途には不安しか見えていない。
そして死んでも殺される運命を背負った男はと言うと、彼は中々に善戦していた。
「ハァッ!」
シャッ、と。空を薙ぐように振るわれた左拳を屈んで避け、体勢を立て直した時を見計らって同じように繰り出された右拳を再び屈んで避け、曲げた膝を潰すよう為に放たれた蹴りを後ろに跳んでまた避ける。
馬の駆ける音が止むまでは、彼は攻撃に打って出るわけにはいかなかった。
それに、帝具のスペックを理解するためにも時間が必要だったのである。
「ちょこまかと……」
避け方一つでそれとわかる力量をやすやすと見せぬ苛立ちか、エスデスの振るった拳に甘さが出た。
いつもならばガードしか出来ない状態まで小技と体捌きで追い込んでから出すこの大振りを、彼女は見せられた隙に反応して反射的に殴ってしまったのである。
振るわれた拳の甲に掌が添えられ、勢いを利用して後ろに回られた。
そうわかった彼女は一撃喰らうことを覚悟して振り向き、激昂する。
「貴様……」
舐めているのか。
言い掛けた言葉を飲み込み、彼女は何の武器も手に持たず、何の攻撃動作も取らないハクを睨みつけた。
勝負に勝つには、攻撃が必要である。相手を殴り、蹴り、斬り、踏み潰すことで勝ち負けが決まる。
それなのにこの男は、全く隙を突こうとしなかった。
「やはりな」
怒りを含んだ一斬を悠々と見つめ、ハクは僅かな安堵を漏らす。
「やはりお前は、気が早い」
後方に回り、距離を取られた敵を斬るには当然距離を詰めることが必要だった。
そして距離を詰めるには、歩くか走るか跳ぶか。この何れかの手段を状況に応じて使い分けなければならない。
普段エスデスが余裕ぶっこいているようにチンタラ歩いているのには、急な反撃に対応できるようにとの目算もある。
だが、怒った―――とまではいかずとも頭に血が昇った彼女は走って距離を詰めた。
ハクはこれを、攻撃の起点とする。
距離を詰め、刃を振るったその瞬間、彼は一歩を踏み出した。
たかが一歩を踏み出すことで彼は空を切り、数秒もかからずにいずれは自分の頸動脈ごと首を斬るであろう刃が己に届くよりも速く、自分の攻撃範囲に敵を入れることに成功したのである。
シャン、と。鈴を鳴らしたような軽い音と共に、突き出した彼の手に剣が現れていた。
「何!?」
咄嗟の反応性で、エスデスは自分の串刺しにされようとしている下腹部に氷を纏わせる。
ただ手に剣を出しただけのこの行動は、彼女の優れた脚力がそのまま彼女に対する刃とするものだった。
金属と金属がぶつかるような凄まじい音が鳴り、エスデスは後方へとよろめいて下がる。
腹に掛かった衝撃は、彼女言えどもそう平然としていられるようなものではない。
そしてその隙を待っていた男が、目の前に居る。
「疾ッ!」
ごく普通な持ち方である順手で、彼は柄となり得る部分の幅が広い、変則的なレイピアの様な剣を構えていた。
エスデスは後方へ下がる前に、その剣の形を視認している。
故に避けるのは簡単であるように見えた。
(順手からの、逆手か……ッ!)
順手から繰り出された斬撃で打ち上げられ、持ち替えた逆手で地へと沈ませる。
単純に速さに特化した斬撃を氷の鎧を纏うことで致命傷を防ぎ、エスデスは帝具を攻撃に使用した。
ハクの立ち位置の四方から現れる、槍の如き氷柱。
『魔神顕現』デモンズエキス。無から氷を生成する帝具である。
これも彼の暫定帝具である『玄天霊衣』クンダーラと同じ重篤なデメリットを持つ帝具だった。
端的に言えば、使えば闘争本能を狂化という方が正しいレベルで強化される。つまり、使うと発狂するのだ。
このように、使った後に副作用があったり、不適合者が使えば死に至る帝具は別にこれだけではない。
要は『魔神顕現』デモンズエキスや『玄天霊衣』クンダーラを扱うには、相性とその帝具を使う人間の頑丈さが物を言うということであろう。
ただし、所有者が狂うとは言え割りと簡単に適合者が見つかるデモンズエキスとは違い、このクンダーラは今まで一人足りとも見つかっていないことから『呪具』やら何やら言われていた。
それがただの風聞なのか、或いは本当に呪われているかはわからない。
が、呪われている代わりに強大な力を持つ両者の激突であるという点に変わりはない。
「む」
目の前と後方、それと左右。突如発生した氷に僅か足りとも脚を止めることなく、ハクは後方左右の三方向は鎧の硬さに賭けて放置することを決断する。
対処すべきは、前方。
「シッ!」
軽い気合と共に刃が振るわれ、氷の槍を打ち砕いた。
砕かれた氷の粒が宙を舞い、陽光に照らされて燦めく。
戦場という鉄火場の中でなければ、思わず目を留めてしまうほどの幻想的な光景だった。
「そら!」
砕かれた氷の粒を掻い潜り、細剣の切っ先がハクの首目掛けて振るわれる。
剣刃を以ってその一斬を止めたハクの身体を、鍔迫り合いなど微塵も考えていないような速さで伸ばされた白いヒールが蹴り飛ばした。
細いヒールがまるで槍の様に、そして生身で受ければ確実に突き刺さったであろう程の蹴り。
だが彼は彼女とは違い鎧を纏っている。
衝撃は喰らえど、これからの戦闘に支障をきたすほどではなかった。
「ハッ!」
斬りつけられた刃をいなし、受け、捌く。
一回一回の行動の裏に凄まじいまでの思考のせめぎ合いと駆け引きがあり、咄嗟の反応においては本能と本能の反応性が問われる。
その剣撃が激しさとお互いに与える傷を増させるごとに、エスデスとハクを囲うように並んでいる兵は言葉に出さずな驚きを深めていた。
彼等は自分たちの将が苦戦するさまなど見たことがなかったのである。
彼女と相対して十分保った者は居なかったし、これからも存在し得ないと確信していた。それほどに、エスデスは個人戦闘力に於いて抜きん出て圧倒的な存在だったと言える。
ところが今回の戦闘時間は、ゆうに十分など越していた。それどころか一時間にも及び、互いの息が切れるまでに戦いを続けていたのである。
氷の刃が降り注げば黄金の光が迎撃し、氷の槍が突き立てば黄金の鎧がこれを阻んだ。
体力も精神力も集中力も、果ては帝具を使う為の力までもが摩耗しきり、されど二人は並の帝具使いなどただの一太刀で葬りかねない一撃を互いに浴びせあっている。
「ハァ!」
「ガァ!」
相変わらずの鋭い気合いと、吼えるような気合いが空気を揺るがし、熱と冷気とが激突した。
もう何度目かになる鍔迫り合い。互いに膝が笑い、腕も鍔迫り合いに耐えられる程の余力を残してなどいない。
だからこそ、ここで両者は鍔迫り合うことを選択する。
お互い、この戦いを通じて成長していた。放つ斬撃は疲労が濃いにも関わらず、刃を交え始めてすぐのそれより苛烈であり、精密さを増している。
満足できる一撃を繰り出せる間に終わらせる。
それが二人の判断だった。
力と力、それを操作する技術。前者はエスデスが勝り、後者ではハクが勝る。
しかしこの時点において、彼女も彼も疲労しきっていた。
膂力には変わらず比率にして十と八くらいの差がある。これは確かだが、殆ど体力を使い果たした今では全快の時ほどの実数差はなかった。
百と八十では二十の差だが、十と八では差はにでしかない。
分母そのものが縮小してしまった場合、鍔迫り合いでは巧妙さ―――即ち技術が物を言う。
「シャァ!」
力の均衡をわざと崩し、エスデスの剣を逆手に持った剣で弾き飛ばす。
エスデスが負けた。
誰もがそう思った、その刹那。
「凍れッ!」
剣を弾かれたエスデスが、宙に掌を向けてそう叫ぶ。
ハクの頬に冷たさが伝わったと思ったその瞬間に、ありえないことが起きていた。
「何―――」
「私の勝ちだ!」
彼女の手には、弾き飛ばしたはずの剣。
ハクが振るった剣の軌道をじっくりと眺めたように軽々と避け、エスデスは自らの細剣を振り上げるように一閃する。
ハクの手から剣が離れ、ものの見事にその痩身が宙を舞った。
エスデスも最早限界なのか、残心をとったまま剣を杖にして微動だにしない。
体力どころか精神力までも使い果たしたような桁違いの疲労の濃さが、今の彼女の身にはある。
そして、そこを見逃すハクではなかった。
「慢心は、よくないな」
手に光が集い、一挺の銃が現れる。
彼の帝具は光を織り、何かを作ることこそがその真骨頂。この程度の武器を現出させることなど造作もなかった。
宙に舞ったままとは思えないほどの正確な射撃が立て続けに五発放たれ、エスデスは倒れ込むようにそれを躱す。
最早氷の盾を出す余裕もないというのが、彼女の実情だった。
「く……」
光弾が掠めた右肩を左手で抑え無ながらも立ち上がろうとしたエスデスを、脚を引き摺りながらも歩いている痩身の影が被さる。
ハクにもまた、歩く余力など有りはしない。疲弊の極にある彼を支えるのは、ただの根性と意志であった。
「終わりだ」
「ああ、そうらしい」
配下たちに、この男に手を出すなと厳命せねば。
武人の意地とでも言う部分が疼き、口を開こうとしたエスデスの視界に、凍らせた後に破壊された鎧の残骸とでも言うべきものを纏ったボロボロの男が入る。
死ぬ気で戦った。悔いはない。
軽く笑いながら最期の命を下そうとした彼女の鼓膜を、副官の声が激しく叩いた。
「エスデス様、御許しを!」
最期の言葉を残したいという意志を汲んだのか、僅かに喉元から刃を離した状態で静止しているハクに、龍を形をした水の塊が叩き込まれる。
「リヴァ、貴様は私を侮辱する気か!」
弱肉強食。自らが信じるこの世の理を何よりも絶対の物とするエスデスにとって、その理の帰結は自分よりも実力で勝る強者に命を奪われることでしか有り得なかった。
その強者と戦って負けたならば、その刃にかかって死ぬのが敗者である自分の最期の務めなのである。
「エスデス様、生きてさえいれば負けではありません」
「何?」
「生きてさえいれば、貴方様は敗者ではないのです」
反論を許さぬというような鬼気を以って、リヴァはニャウと兵たちに命を下した。
「ニャウ。兵を率い、エスデス様を安全な都市まで護衛せよ」
「了解」
半ば無理矢理馬に乗せられ、最早ろくに身動きすらとれないエスデスはその場を去る。
そして、その場には帝具使い三人だけが残された。
「私とダイダラを、恨むなとは言わん」
「抵抗するなら俺達も一緒に死んでやるからよ」
リヴァと呼ばれた老年の男性と、ダイダラと呼ばれた壮年の男性は、当然ながら無傷である。
一方、鎧の回復機能を司る中央の核を凍らされているハクは今にも死にそうなざまだった。
「断らせてもらう。私は生きて帰らないと殺されるのでな」
「そう釣れないことを、言うなよッ!」
普段ならば難なく避けられたであろう大斧が、ハクの身体を袈裟がけに斬る。
凄まじい剛力を込められた一撃に、彼は襤褸のように吹き飛んだ。
「中々、辛いな」
「そうだろう」
立つことのできないほどの外傷と疲労を抱えた身体を件の意志力で無理矢理起こし、ハクは辛くも立つ。
目の前に居るのは、殆ど無傷である二人の帝具使い。
完全に、彼は詰んでいた。
「すぐ楽にしてやろう」
「まだ死ねん。楽になるのは約束を果たした後にとっておかせてもらおうか」
「そう言うな」
戦場に散らばった血が集い、再び龍の如き形となる。
これで終わりだ、ということだろうか。
「本調子なら俺達じゃ到底敵わねぇんだろうが、エスデス様の為に死んでもらうぜ!」
腰斬するような斧の一撃で腹を裂かれ、三度弾き飛んだところを龍が脚をずたぼろに噛み砕く。
吹き飛んだ先には、崖。
「さらばだ、強者よ」
崖下にある川に目掛けて、ハクは頭から落下した。
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