ナザリックへと消えた英雄のお話   作:柴田豊丸

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新生活と消えた記憶

「リウル、起きてー」

「んっが……」

 

 リウル・ブラムは酒が好きだ。単純に味が好みと云うのもあるし、あの心地よい酩酊感が何とも言えず、初めて飲んだ時からそれはもう大好きだった。最初の頃は止め時が分からず、気付いたら床で寝ていた、気付いたら朝だった、まだ大丈夫だと思っていたら次の瞬間に吐いた、と醜態を晒しに晒したものだが、一年も経つ頃には自分の酒量を身体で覚え、そんな事も無くなっていた。

 

 リウル・ブラムは酒が好きだ。体質的にも酒精に強いため、飲むときはガンガン飲んで食う。しかしまあいくら強かろうと無制限に飲める訳では決してなく、飲めば飲んだだけ酔う。

 リウルは歳の割にかなり強く、酒豪と言っても過言では無い。ただしザルでは無い。

 

「もう朝だよ?」

「……日は昇ったのか?」

「もうすぐ夜明け」

「はえぇよ……」

 

 自分の酒量を超えて飲み過ぎた。故に今のリウルは二日酔いなのである。

 

 声変わりの気配すらも無い少女染みた声も、今日に限っては割れ鐘の如く頭に響く。優しく、労わりと思いやりを込めて撫でる様な力加減で背を揺さぶってくる手も、今回ばかりは降り下ろされるハンマーの如き衝撃に感じる。

 普段無意識のうちに動かしている瞼さえ矢鱈と重く、石蓋をこじ開ける様な多大な労力を払い、どうにか右の眼を開ける。するとリウルの視界には、白金の長髪を流したまんまるおめめの子供が写った。

 

 金の瞳、薄桃色の唇、雪色の歯、血色の良い柔らかそうな頬。普段とは髪型が違う為に、外見だけなら良い所の令嬢の様だが、顔に浮かぶ稚気溢れる表情がその印象を覆しており、総評すると、幸せそうな子供と云った感じだ。

 

 ──三つ編み解くと途端に印象が変わるな、コイツ。

 

 これでお淑やかな表情や気品のある立ち振る舞いを覚えれば正にお嬢様なのだが、陽だまりで昼寝している猫の如き雰囲気の所為で、外見の良さが良い意味で目立たないのだろう。

 

「おはようリウル」

「……お前は昨日飲まなかったんだっけか?」

「あんまり覚えてないけど、アピル酒? だっけかな? それの果汁割りを飲んでたよ。甘くておいしかった」

 

 アピル酒は酒精が薄く口当たりのよい甘い酒で、年若い女性に人気がある。量さえ飲まなければ余程弱くても二日酔いにはならないとされ、その酒を更に果汁で割ったら殆どジュースである。

 

「俺はどの位飲んだ?」

「僕が覚えてる限り、葡萄酒だけでも一人で三本くらい空けてたかな? 最初は止めようと思ったんだけど、バルさんとベリさんがあの位飲んでた方が翌日静かでいいから放っておけって」

 

 にこにこと、何故か嬉しそうな笑顔でイヨは囁いた。あまり大きな声を出すとリウルの体調に触ると配慮したからだろう。彼自身も寝起きなのか、昨夜にわざわざ着替えたらしいゆったりとした寝間着のままである。清潔で簡素な白の衣装が良く似合ってはいたが、色使いの印象的になんだか修道女めいた感じ──今は髪を三つ編みにしていないせいもあってか──で、完全に男には見えない。

 

 ──これでも男で、しかも強いんだから世の中不思議だ。

 

 万全の態勢で寝入ったらしいイヨに対して、リウルは普段の装備品を身に着けたままだ。革と金属を巧妙に組み合わせた防具と、無数に仕込まれた道具、武器、マジックアイテムの数々を。お蔭で節々が妙に痛む。

 

「まるで覚えてねぇ」

「リウル、本当にたくさん飲んだもんね。はい、お水」

「ん」

 

 ベッドから体を起こし、イヨが無限の水差しで注いでくれた水を一気飲みする。乾いた体と口内に、冷えた水分が心地よかった。

 

「顔も洗うよね? いまお湯を用意するから、少し待ってて」

 

 水差しから机の上の桶に水を注ぎ、マジックアイテムで加熱し、清潔な布を用意する。そんな作業を手際よくこなす少年の後姿を、リウルは有り難い思いで見守っていた。

 此処は冒険者御用達の宿『下っ端の巣』の二階にある相部屋の一室だ。相部屋と言っても、イヨとリウルの仲を勘繰った他の冒険者は部屋を取っておらず、昨日の晩からずっと二人きりの空間だったが。

 

「なんで此処にいるんだ……昨日はお前の歓迎会って事で、金の牡鹿亭で飲んでたよな?」

 

 最初の内はちゃんと歓迎会だったのだが、その内イヨと副組合長の試合を見た連中やイヨを推薦した人たちが集まり、最終的には宴会になったのだった。楽しかったねー、とイヨは暢気に笑う。

 

「確か、リウルが僕を此処まで引っ張ってきたんだよ。幼いうちから無駄遣いをすると碌な大人にならない、って言って」

 

 言われてみれば朧げにそんな気がしてきた。商会のお嬢様時代に培った経済感覚と本人の嗜好が合わさってそうなったのだろう、食事は明日への活力だからしっかり食べる、酒は周囲との交流として欠かせない、しかし寝る所などは体調さえ崩さなければどうでもよいと云うリウルの主義だ。

 

 他人に迷惑を掛けないと云う大前提を守った上で、リウルが一人で勝手にそうしている分には個人の自由である。しかし、今回の場合は他人を巻き込んだのだから大いに反省せねばならない。

 

「……ごめんな」

「いいよ。リウルと一緒に居るの、楽しかったから。はい、タオルどうぞ」

「あんがとよ。……お前な、そういう台詞をさらっと言うなよ」

 

 二人はお互いに背を向けると、リウルは服を脱いで身体を拭きだし、イヨは防具に着替えて各種装備品を装着する。【アーマー・オブ・ウォーモンガー】は現在冒険者組合の負担で修理に出している為、アイテムボックスの中から急遽引っ張り出したモンク用装備だ。その後、微妙にぎこちない仕草で髪を結い始める。しばし無言の時間が続いた。

 

 現在はイヨと副組合長の戦いから数えて四日目の朝である。昨晩になってやっとベッドから解放され──拘束中はひたすらお勉強とお説教、後は昼寝などをして過ごしていた──前述の通り、改めて【スパエラ】への加入を祝って歓迎会を催して頂いたのだった。

 

 汗やら浴びた酒やらで微妙にぺたぺたする肌を拭きながら、リウルは思う。こいつ俺に懐き過ぎじゃないか、と。

 

 なんかもう、色々とあからさまだ。触れ方で動作で態度で距離感で言動で、ありとあらゆる全てで好意をあけすけに伝えてくる。バルドやベリガミニにだって懐いてはいるだろうが、リウルに寄せるそれは一段と強い気がする。

 

 子供特有のものなのか、イヨは自分の好意を表に出し、相手に伝える事に何の躊躇いも無い。好き好きオーラ全開でガンガン距離を詰めてくるのだ。

 

 好意を寄せられること自体はまあ、光栄というか普通に嬉しい。イヨの顔立ちは女性的とはいえ整っているし、何よりとんでもなく強い。それ程の人物に良い感情を抱かれているのは悪い気はしない。だが、此処まで好かれる様な事をしただろうかと疑問を感じる。

 

 ──俺、イヨに何もしてないよな? 

 

 何時かと全く同じ心配をしながら、リウルは酒で飛んだ記憶を思い出そうと眉をひそめた

 

 

 

 

 リウルもイヨも酔っ払って覚えていないのだが、二人を含む飲み会連中は二件目にはしごしていた。最初に歓迎会が催された金の牡鹿亭では予算が掛かり過ぎる為、人数がどんどん増えて全員に適度に酔いが回った頃、彼ら彼女らは活沸の牡牛亭に河岸を変えていたのだった。

 

 店で普通に飲み食いしていた無関係の者たちまで巻き込み、宴会は拡大の一途を遂げていた。テーブルや椅子を端に避けて店の中央に大きな空間を作り、立候補者や他薦された者たちが其処で歌を歌ったり即席の踊りを披露したりと、酔っ払い共に酒の肴を提供していた。まあ、やっている連中も酔っているのだが。

 

 現在その空間ではバルドルが顔に合わない美声で恋愛詩を披露しているのだが、最初にイヨがやった空手の型の所為でハードルが上がっており、周囲の観客から野次を受けていた。

 

「てめぇその顔で歌が上手いってどんな理屈だコラァ! なんか腹立つから引っ込め!」

「内容は感動するのにアンタの顔の所為でマイナス百点よ! その悪人面を整形してから出直せ!」

「元吟遊詩人を舐めんなバーカ! 文句があるんなら掛かってこいやこの酔っ払い共めが!」

 

 言っている事は乱暴だが、当人たちも見ている者たちも皆楽しそうな笑顔である。見ている側は酒杯を掲げて一斉に囃し立てているが。

 

 何故か上着を脱ぎ捨てつつ野次った連中──本来は店の給仕だった者たちだが、客と従業員間の垣根は綺麗さっぱり無くなっている──の所に歩み寄ったバルドルは『空の食器を積み上げてより高い塔を作った方が勝ち』と云う勝負を提案。受けて立った二名と共に食器製高層ビルの建築に着手し始めた。

 

 因みに【ヒストリア】のメンバー四人の内、バルドル以外の三人は下戸であり、酒が飲めない。三人は牛乳を飲みながらバルドルの狂乱に生温かい視線を送っているのだが、泥酔した人間には何も伝わらなかった。

 この上なく真剣でアホっぽい勝負に身を投じた三名を他所に、中央の空間には二人の女性冒険者が新たに立つ。

 

「ぃよぉし! 此処は私たちがやるしかあるまい、昇級祝いの時の為に密かに練習していたとっておきの芸を! レラーナ・ミルクラムと──」

「同じく【独眼の大蛇】! リローナ・ミルクラム! 姉妹剣舞いきまぁす!」

 

 観衆が歓声を上げた。単純に見眼麗しい姉妹の躍動に眼を見張っている者が半数と、酔っていてもぶれない剣捌きに感心している者が半数だ。使っているのがモップだと云う一点さえ気にしなければこの上なく見事な出し物であった。

 

 そんな喜々快々とした騒動の中、二本の酒瓶を抱えて方々に挨拶回りをしている一人の少年──全くそうは見えない──がいた。イヨ・シノンである。上着を脱ぎ捨ててシャツ一枚になり、そのシャツのボタンも三つ程開けた開放的な恰好であった。

 

 チラチラと覗く胸元にこっそり目をやっては膨らみがない事に驚愕&落胆して自棄酒を喰らう男衆を大量発生させながら、彼は自分も飲みつつお酌をして回っていた。冒険者、労働者、従業員の区別なく、宴に参加している全員に自己紹介をし続けていたのだ。

 

「新人冒険者のイヨ・シノンでーす、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いしまーす!」

「おうおう、相当酔ってんな少年。俺は冒険者じゃなくて皮なめし屋なんだけど、縁があれば宜しくな」

 

 注ぎ過ぎて溢れた酒が中年男性の手を濡らすが、男性はさして気にした様子も無い。既に酒やら汗やら料理の汁やらで手は濡れていたからだ。

 

 少年と中年は乾杯を交わし、酒杯の中身を飲み干す。 

 

「初見でよく僕が男だって分かりましたね! おじさんは実はすごいおじさんですか?」

「零した酒でシャツが濡れて肌に張り付いてんぞ少年」

 

 首元から下腹にかけてが透けて見えていた。

 酒のせいで守備範囲が拡大した男女がさっきからずっとそれを凝視していたのだが、イヨは彼ら彼女らになんとなく手を振ったりするくらいで、別段気にしてはいなかった。

 

「あー、道理で視線を感じると……別に見られて減るものじゃないし、いいんじゃないかなぁ。駄目でしょうか? どうですおじさん?」

「明日もし覚えてたら後悔すると思うぞ? あと、俺の名はゲドリックだ」

「じゃあ多分忘れるからセーフですよぉ! じゃあねです、皮リック屋のゲドなめしさん!」

「お前いま相当面白いぞ少年。じゃあな」

 

 ゲドリックに対して超近距離で両手を振って去っていくイヨ。あまり働いていない頭で全員に挨拶し終わったと判断し、二本の酒瓶を手近な酒飲みに寄付してから、元の居場所に戻る事にした。

 

 そもそも全テーブルが端に避けられているので、イヨが最初に座っていた席も何処かに行っていた。そんな中でイヨが求めた『自分の居場所』は、

 

「リウル、さっきの見ててくれた!?」

「ん? ああ、見てた見てた。何をやってたんだっけか?」

 

 リウルの隣の席だった。彼女の隣に椅子を持ってきてちょこんと腰を下ろし、ベッドに拘束されていた三日間殆どずっと傍にいてくれた憧れの女の子に、一心に話し掛ける。

 

 リウルが三日間つきっきりだったのは別に彼女がイヨに恋心を持っているからとかでは無く、単にイヨが隠れて抜け出したりしないように見張りをし、またただ寝ているだけでは時間が勿体無いのでイヨに冒険者としての教育を施す必要があったからだった。更に言えば、残りの男二人がなんだかんだと理由を付けては、イヨの世話をリウルに押し付けたからでもあったのだが。

 

 イヨだってその事は知っているが、理由はどうあれ三日間を楽しく一緒に過ごした彼女に、イヨは一番懐いていたのだった。

 

 宴会の中、【スパエラ】の面々は散らばって思い思いの時を過ごしていたのだが、その中でもリウルは静かにしている方であった。魔法詠唱者の集いの中で魔法談議に花を咲かせているベリガミニ、ひたすら腕相撲で連勝記録を伸ばしているガルデンバルド、リウルは料理と酒に舌鼓を打っている。

 

「いや、見てたぞ。見てたんだけどな、ちょっとど忘れっていうか……何をやったんだっけ?」

 

 何時になく抜けた表情で小首を傾げるリウル。全体的に顔が赤く、眼は潤んでいる。この場の誰もと同じに、彼女も相当酔っていた。

 

「空手の型だよ、慈恩と燕飛って云う奴! どうだった!?」

 

 イヨは平常時でも大分分かり易い性格をしているので、その表情から内面を読み取るのは至極容易である。ましてや酔いが回って気が緩みに緩んだ現在では正に顔に書いてある状態だ。この場合だと『僕がんばったよ! 褒めて褒めて!』だろう。

 

「そうだったそうだった、ジオンとエンピな。カッコよかったぞ。力強くて男らしかった」

「ほ、本当? えへへ、嬉しいなぁ」

 

 リウルにたった一言褒められただけで至福の表情を浮かべるイヨ。酒杯の中身を一息に飲み干そうとして中身が空である事に気付き、まだ仕事をしている数少ない給仕にお代わりを要求する。

 

「僕にリウルが飲んでるのと同じお酒を、あとリウルにもお代わりと何か追加で料理を下さいな」

「こいつの酒だけキャンセルで。代わりに水をくれ」

「りょーかい」

 

 素面なのは見た目だけで、女性給仕も飲んでいた様だ。男前な態度で親指を立てて颯爽と歩いて行った。

 

「なんで僕は水なの?」

「お前既に大分飲んでるだろ。これ以上飲んだら寝落ちするからもう止めとけ」

「むうー……」

 

 微妙にむくれるが、特に反論する事も無く素直に収まった。幾ら酒が入っていても人格の根本が変わる訳では無い為、やっぱりイヨはイヨのままだった。二人はそのまま肩が触れる距離で周囲の喧騒を眺めていたが、頼んだものが来たところで仕切り直した。

 

「かんぱーいっ」

「乾杯」

 

 陶器の酒杯を打ち合わせ、そのまま一気に中身を呷り、共に深く息を吐く。

 

「お前が飲んでるのは水だろうが」

「直ぐに酔いが覚める訳じゃ無いもの」

 

 頬や首が熱く、足元が定まらない不思議な感覚だった。以前にリウルと飲んだ──飲まされたとも言う──時は直ぐに寝てしまったのだが、今回は如何にか意識を保っている。普段から気を付けている体軸が面白いほどブレていて、なんだかおかしくて笑ってしまう。

 

 このままでは椅子から転げ落ちそうだったので、思わずリウルの肩に頭を預けてもたれかかった。

 

「大丈夫か? 無理すんなよ」

「へーき~……」

 

 平気では無いし、平静でも無い。今一自律が利かず、少しテンションが暴走気味であった。何時もよりももっと子供っぽい仕草で、イヨは興味のままに疑問を口にした。

 

「リウルってさ、なんでリウルって名前なの?」

「ああ?」

 

 脈絡のない問いだが、酔っ払いの行動に合理性や一貫性を求める程、リウルは馬鹿では無かった。

 

「今は豚箱に入ってるクソ親父が訳分かんねぇ名前付けようとした時に、見かねた爺さんが付けたんだってよ。うちは町民に愛される商会だから、もう少し短くて覚えやすい名が良いだろうってさ」

 

 リウルの父親が付けようとした名前は一国の姫君の如く豪奢で煌びやかな、一商会の娘に名付けるには気合が入り過ぎた名前であった。リウルの父の父、即ちリウルの祖父が取りなさなければ、彼女の名前はミスティリアーヌとかシャルフィリアとか、そんな感じだったのではないだろうか。

 

 そんな面倒な名前を名乗る羽目にならなくてよかったと、この話を聞かされた時にリウルは心の底から思ったものだ。結果論だが、父の考えた名前は彼女の現在の風体にあんまりにもマッチしていない。

 

「リウルのお父さんって……」

「俺が六歳の時だったかな。病で母さんが死んでから頭がおかしくなってな。年々悪化して、遂にはよりによって実の娘である俺を押し倒そうとして来やがったんで、半殺しにしてカーテンで簀巻きにしてな、ロバで引きずって町の警備兵に突き出した」

 

 公都の冒険者の間では非常に有名な話である。父の指先が自分の身体に触れた瞬間に、リウルは一切の容赦なく顔面に拳を叩き込んだのだ。

 

 リウルの父はブラム商会の三代目だったが、栄達を急ぐあまり阿漕な商売のやり方に手を染めて町の住人にも代々の部下にも家族にも嫌われ、初代と二代目が築いた信頼を食い潰していた。妻の後を追うように祖父も亡くなって素行は一層悪くなり、平民に生まれながらも貴族趣味に傾倒し、遂には金で貴族位を買おうとして商会の利権を独断で売却しようとさえしていたのだ。

 結局家人と部下に思惑が露見し、企みは頓挫。ただでさえ顧客からの信頼を失っていた父は引きずり下ろされ、既に成人していた長男を四代目に据えて巻き返しを図る事となったのだ。

 

 リウルの父には能力があった。しかしプライドは能力の数倍も高く、他人を見下す男だった。商会の主という高みに立っていた内はそれでも満足していたが、より高みに立とうとして失敗し、地に落とされた。

 

 完全に自業自得だが、妻と祖父の死に商売の業績悪化、野望の頓挫。三つが合わさった事で、彼は心の均衡を失った。

 

 錯乱した父は死んだ妻に似ている娘を毒牙にかけようとしたが、算盤弾きと書類仕事しかやった事の無い放蕩趣味の中年男にガキ大将のリウルが負ける筈も無く。リウルが語った通りの末路を迎えた。

 

 悪評高らかな父親を自分の手で成敗したリウルは女傑として町の住人に称えられ、もはや自分を縛るものは何も無しと、幼き頃からの夢であった冒険者となるべく生まれ育った町を出た。変人として有名だった魔法詠唱者、ベリガミニを半ば強引に道連れとして。

 

 父親と違って町の住人からの信頼も厚かった彼女の旅立ちは、多くの人に見送られた盛大なものであったと云う。

 

「その後兄貴二人はブラム商会を一旦完全に解体して、親父の残した膿や歪みを取り去ってから新ブラム商会を立ち上げたよ。我が兄ながらタフな事だな」

 

 父親の悪行が根強くこびり付いているブラム商会の四代目では無く、新たな商会の初代として生きる事に決めたのだ、彼女の長兄は。次兄も代々の従業員たちと共にそれを補佐しているらしく、業績を順調に伸ばしているらしい。

 

「……大変だったんだね」

「まあな。でも、俺にとってはこの出来事が出発点で、最初の武勇伝だ」

 

 誇りこそすれど、恥じらう事など何もない。そう言って胸を張るリウルの肩で、イヨは憧れの気持ちを強めた。

 

「もしリウルのお父さんが出所したらどうするの?」

「頭がマトモでちゃんと働く気があるんなら別にどうもしねぇけど、まだイカレてんなら親子の縁を切る。後は野垂れ死ぬなり消えるなり好きにしろ、って感じだな」

 

 ──この人は本当に強い人だ、と。胸に火が灯った様な熱を感じた。

 

「お前の名前は?」

「え?」

「俺だけ自分語りしたみたいでなんだから、イヨさえ良ければ教えてくれよ。名前の由来」

 

 イヨ・シノンと云う名前は、イヨが自分でも考えたものである。元の名前である篠田伊代の方はと言えば、

 

「僕の名前ってある種適当に決められたものだから、由来らしい由来も無いんだよね。短くて覚えやすくて書きやすくて、男の子でも女の子でも違和感のない名前って事で伊代になったらしいけど」

「どっちかと言えば女みたいな響きの名前だと思うけどな。でもまあ、覚えやすい名前ってのは良い事じゃないか?」

 

 確かにその通りであった。平仮名でも漢字でも二文字で、発音しやすく覚えやすい良い名ではあるとイヨ本人も思う。

 

 名前自体はその位の意味合いしかないが、イヨの名前がイヨになるまでには結構アレな過程があったそうである。

 

 まず、伊代の両親と云うのがちょっと天然の入った大人だった。幼馴染みでずっと相思相愛でお互いがお互いにべた惚れで、一緒に居たいがために同じ仕事場に就職。何年か勤めて生活が安定したのを機に、初子である伊代を計画的に身籠ったのである。

 満を持して宿った待望の我が子に、二人のテンションは急上昇した。あなたの子だから運動が得意で人にやさしく出来る良い子に育つわ、君の子だからおおらかで可愛らしい良い子になるよ、と生まれる前からそれはそれは期待を寄せていたそうである。

 

 二人は話し合い、男の子の名前を父親が、女の子の名前を母親が考える事とした。

 母が考えた名前は何処の国のお姫様だと云いたくなるような可愛らしい名前で、父の考えた名前は戦国武将か漫画の主人公かと思う様な格好良い名前。

 

 危うくその名が付けられる所だったのだが、のぼせた馬鹿ップルの頭を冷やしてくれる人物たちが現れる。父と母それぞれの両親である。

 

 『明らかに日本人の名前では無い』『この漢字にそんな読みは無い』『名字の篠田と全く合っていない』『難読過ぎて絶対読めない』『生涯この名前で過ごす子供の気持ちを考えろ』『就職面接や学校での自己紹介でこの名を名乗ったらどんな空気になるか』『中年になっても老人になってもこの子はその名前で生きていくんだぞ』と──、冷静かつ現実的な意見の集中砲火を浴びせたらしい。

 

 イヨの両親は多少暴走してはいたが、根本的には真面目な公務員さんだったので、頭さえ冷えれば『確かにこれは無い』とまともな判断を下す事が出来たらしく、前述の呼びやすさや覚えやすさを鑑みた結果、イヨは伊代という名を授かった。

 

「何処の親も考える事は同じだな。っていうか、お前がどっか抜けてるのは親譲りか」

「お母さんもお父さんも良い人なんだよ、ちょっと冷静じゃなかっただけで。弟と妹には最初から普通の名前を付けてくれたし」

「へえ、弟と妹がいるのか。名前は?」

「千代と美代、七つ年下の九歳で双子だよ。すごく可愛いよ」

「チヨとミヨ? どっちが弟だ?」

「千代の方。すっごく可愛いんだよ」

 

 矢鱈と可愛さを強調してくるな、とリウルは思った。十にもならない子供なんて大体みんな可愛いんじゃないかとも思うが、イヨの容姿を思い起こすに、確かに弟妹も可憐なのだろうな、と。というか、男にも女っぽい名前を付けるのはシノン家の慣習かなにかなのだろうか。イヨはまあ外見も女らしいので合っているから良いとして、弟が普通に男らしい見た目に成長したら嫌がられそうなのだが。

 

 リウルの肩に乗ったイヨの頭が緩く前後に振れる。甘える幼児の様である。

 

「二人とも僕に本当に懐いてくれててね、大きくなったら伊代をお嫁さんにするって言って聞かないんだよ。困った子たちだよねー」

「なんかおかしくねぇか、それ」

「えぇ? 子供の言う事だもの。それ位好きってことでしょ? 兄冥利に尽きるよぉ。何時も呼び捨てだから、お兄ちゃんって呼ばれた事は一回も無いんだけどね」

 

 実の兄を嫁にしたいと望む弟と妹。

 ありなのだろうか。九歳と云う年齢を考えればありなのか。しかし九歳にもなればもうちょっと物事の道理が分かっていても良さそうなものだが。少なくともリウルが九つの時には、そんな事は言っていなかった。

 

「……お前の弟と妹って、二人ともお前に似てるのか?」

「え? うん、僕そっくりだってよく言われてたね。ていうか、兄弟三人とも容姿はお母さんに似てるんだよ。お父さんと似てるのは髪質位かな? ただ、千代と美代は僕と違って頭脳派だからね。下手したら僕より頭良いんじゃないかな」

「……そうか」

 

 夢見が悪くなりそうなので、この話はもうしない方がよさそうだ。リウルは脳内でそう決定した。二人の視線の先では、相も変わらず人々が楽しそうに過ごしている。喧噪の中で二人だけが──酔い潰れて泥のように眠っている者も複数いたが──静かだった。

 

 何となく言葉が絶え、喧噪の中で二人の間だけに静けさが響き渡る。しばしその悪くない静寂に身を浸していると、リウルは肩に乗ったイヨの頭が震えている事に気が付いた。

 

「……泣いてんのか?」

 

 返事は動きだった。だらんとしていたイヨの手がリウルの服を掴み、身の震えを伝播させる。

 

「ごえん……家族の話をしてたら、きゅうに、さっきまで、なんどもながった、のに……」

 

 嗚咽でまともな言葉にはなっていなかったが、悲痛さと物悲しさはより明確に伝わった。

 

「泣いとけ泣いとけ、今ならみんな酔っ払ってるし、誰も見ちゃいねえよ」

 

 普段はその外見と行動に目が行きがちだが、イヨは家族との永久の別離に怯える少年なのである。持ち前の意志力で抑え込まれ、前進する力へと転換されていたものが、今になって一気に出たのだろう。

 

 リウルは黙ってイヨの肩に手を回し、強く抱き寄せた。普段はひたすらに可憐で元気な印象が強いし、戦っている時は外見と反比例するかのように勇壮で苛烈だが、泣いている姿は見たままの子供であったから。

 

 こうして抱き寄せると感じるのだが、イヨは本当に小さく繊細な少年なのだ。

 

「俺もな、仲間が死んだ時とかは酔っ払って泣き喚いたりもしたよ」

 

 【スパエラ】はメンバーの入れ替わりが激しいチームだった。死亡者は少なかったが、皆無だった訳では決してない。多くの冒険者と同じく、リウルも仲間や親友との死別に涙した経験があった。

 この世界には死者を蘇らせる魔法が存在する。本来覆す事の敵わない永遠の別れを覆す、正に奇跡の術が実在するのだ。しかしそれは信仰系の第五位階魔法と云う遥か高みにあり、殆どの人間は死んだらお終いである。第五位階をも扱える信仰系魔法詠唱者は公国には存在しないし、法国や王国の使い手を頼るには、考え得る限りありとあらゆる制約が重く圧し掛かって来る。

 

 例外的な極少数を除いた殆どの存在にとって、死は絶対だ。

 

「我慢する事ぁない。ちゃんと泣いてちゃんと前を向け。お前はそれが出来る奴だと、俺はそう思う」

 

 泣いていたって如何にもならない。泣いた処で物事は善い方向には転がらない。それは確かな事実なのだが、泣くと云う行為がイコールで後ろ向きかつ無為な物かと言えば、それは絶対に違う。

 

 人は胸の内に籠った情念を行動で表す事で発散し、それを昇華する事が出来る。念や感情と云う物は、無理をして溜め込んでいたらより悪い方向に転がっていく事も多い。

 その感情を感じた時にしっかり泣く、怒る、悲しむ、楽しむのはとても大切な事である。

 

「ごめん……いまは楽しい時間なのに、もう会えないかもっておもっだら、急に、か、かなしくて……」

「また会えるさ。お前はあんなに強いじゃねえか、出来ない事なんかねぇよ。ちょっと時間はかかるかもしれないけどな?」

 

 私人としてのリウルは誠実にイヨを励ましているが、オリハルコン級冒険者リウル・ブラムは、少年が家族と再会できる可能性はほぼ絶無に近いと考えている。

 

 転移魔法の罠によって違う大陸から来てしまった。それがリウルの理解するイヨの状況である。転移魔法はただでさえ第三位階という尋常な天才の届き得る限界域に位置する高位の魔法だ。

 ましてや別の大陸などと云う超遠距離に人間一人を飛ばしてしまえる魔法など、少なくともリウルは聞いた事が無い。第五位階か第六位階に複数の対象を転移させる魔法が存在する事は知っているが、イヨが効果を受けた魔法はその域を超越している様に思う。

 

 すなわち第七位階か、もしくはそれ以上の転移魔法の効果による現象だと推察できる。第七位階以上など、神話や英雄譚から存在がうっすら伺える程度の、実在すら疑問視される超々高位魔法である。人類どころか竜などの圧倒的強者たちですら扱えるものはいないのではないだろうか。

 

 どれほど優秀な魔法詠唱者がどれだけの時間や手間暇を掛けようと、その様な天蓋の領域にある力を再現する事は出来ない。かの大魔法詠唱者フールーダ・パラダインでも無理だ。もし再現できたとしても、イヨの故郷がこの世界の何処にあるかも分からない以上、魔法が正しく効果を発揮するかは怪しい。

 

 魔法以外の手段でも無理。イヨの語る『ニホンのユグドラシル』なる国がある位置が不明な為、当てもなく地の果て海の果てを彷徨うしかない。少なくとも人類の活動領域にその国は存在しない。他の大陸などと云う物が何処にあるかを知る者もいない。

 

 ──イヨは十中八九家族の下へと帰れない。この国に骨を埋める事になる。

 

 そんな事実を今突き付けてイヨを絶望させる事に意味は無い。この少年であったらわざわざ突き付けられずとも、数年から十数年の内にその事実を悟り、乗り越えるだろう。

 

「イヨ、お前は強いよ。俺が保証する。だから大丈夫だ。お前には俺やバルドにベリガミニ、他の連中もいる。孤独じゃないぞ。安心して泣いて、しかる後に前に進めば良い」

「うん……ありがとう、リウル」

 

 イヨの頭を乱暴に撫で、リウルは力強く告げる。新たな仲間を先人ととして支えんとする。

 

 リウルには年下の兄弟が無く、イヨには年上の兄弟がいなかった。だからだろうか、お互いの存在がしっくりくると云うか、気が合うのは。

 

 鼻を啜って涙をぬぐい、イヨは少しだけ痛々しい崩れた笑みをリウルに向けた。その瞳の熱が先ほどまでよりも増しているのは、憧れだけが理由なのだろうか。

 

「本当にありがとう。……リウル、大好き」

「……いくら酔ってるって言っても、たかが四日五日程度の付き合いの奴にそんな事言っちまうからお前はみんなにチョロいって言われるんだぞ?」

「ぼ、僕はチョロくないもん!」

「もん、ってお前。素面になったら赤面必至だな。でも、元気出たみたいだな。良かったぜ」

 

 先程までの消沈の分まで騒がしくなったイヨに釣られて、リウルは目の前の宴会の喧騒に飲み込まれていった。

 

 

 

 

「駄目だ、なんにも覚えてねぇ」

「リウルも? 僕も最初と最後がうっすら記憶にある位で、殆ど覚えてないよー」

 

 でもなんだか身体がすっきりしてて調子が良いや、と階段を下りながらイヨは微笑んだ。その笑顔を見るとなんだか記憶が想起されそうになるのだが、結局リウルは昨晩の宴会の最中の記憶を思い起こす事は叶わなかった。

 

 二人は『下っ端の巣』一階の酒場で朝食を取っていたバルドとベリガミニに合流し、本日の予定を話し込む。

 

「リウル、『ニコッポ・ナデェイポ』なる魅了魔法の存在を知っているか? かの六大神が使いこなしたという特殊な魔法で、魔力を用いずに頭部に触れたり笑い掛けたりする事で対象を魅了状態に陥らせる魔法らしいんだが」

「急になんだよバルド。知らねぇけど? 」

「儂は古文書で見たことがあるのう。一切の詠唱が不要で、動作のみで発動すると云う奴じゃな。法国の、それも六大神がその魔法の創成者じゃったのか」

「その神様の魔法がどうかしたの? バルさん」

「いや、俺は昨晩から、リウルこそがこの魔法の伝承者じゃないかと思っているんだが」

「はあ? 俺に魔法の才能はねぇよ。んな惚けたこと言う前に、今日の予定を確認すんぞ」

 

 イヨが加入した新生【スパエラ】の本日の予定は、良く指名の依頼をくれるお得意様への挨拶回りと、イヨが異境の神の神官という事で、四大神を崇める神殿の長たちに根回しを兼ねた面通しを行う予定である。

 後はイヨの防具の修理が本日で終わるという事なので、その受け取りに行ったりもする。

 

 イヨのプレートがまだ発行されていない為、【スパエラ】が本格的に活動しだすのはまだまだ先の話であった。

 

 上った太陽が地上に投げ掛ける優しい光が窓を通り、四人を含む宿の冒険者みんなを照らしてた。

 

 


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