ナザリックへと消えた英雄のお話   作:柴田豊丸

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凄く長いです。二万八千字あります。
※始まりから終わりまでぎっしりオリ主とオリヒロインの恋愛描写です。苦手な方はご注意ください



イヨとリウルとその関係

「その、俺は三日前にイヨに……きゅ、求婚され、た、訳だが──」

 

 求婚されたのである。結婚を申し込まれたという事だ。半分パニックになって三回確認したから間違いは無い。リウル・ブラムは、イヨ・シノンに結婚を申し込まれたのだった。

 

 思い出すと──思い出すもクソも現在進行形なのだが──リウルは顔が真っ赤になりそうであった。というか今絶対顔赤いと思う。

 

 どういう感情でなのかは分からない。ただ熱いのだ。発火しそうに熱い。首回りと頬、耳の辺りが腫れあがっているのではないかと何回も触って確認したくらいに熱くなる。

 

 夜が明ける度に『なんつう夢見てんだ』と深く深く息を吐いて、そして隣の寝台に見慣れた少年の姿は無い事を切っ掛けに、夢では無かったのだと思い知るのだ。そして全力で顔を洗う。顔を冷やす為だ。

 

 結婚ってなんだよ、とリウルは思う。好き合って一緒にいる者同士が婚姻を交わして夫婦、妻と夫になるという事である。家族になるという事だ。

 正直言って自分の人生にそんな契約が関わってくるとは思ってもみなかった。子供の時分より将来の夢は冒険者で、冒険者となってからはアダマンタイト級になるのが夢だった。

 

 その夢はもう叶いかけているのだ、と思考がズレる。伝説に語られるべき超級アンデッドの討伐。首都の危機を救う、その一角を成した。今回の事件は色々と大き過ぎる。自分たちはアダマンタイトに、ミスリル級の中からも昇格が出てもおかしくない。むしろ出ない方がおかしい、と言うべき規模だ。

 

 通常ならば実力は確かでも一度しか依頼を熟した事のないイヨがネックになるかもしれないが、イヨは最大の戦功者で、一般市民の間では新たな英雄として街中の至る所でその名が口に上っている。公国の方からも何らかの形で、依頼の対価とは別に報酬が出るだろう。

 

 公都の人心は動揺し、恐怖している。

 当たり前だ。街の外で冒険者が五人十人死んだのとは訳が違う。

 最終的に戦死は無く関連の死者も少数だったとはいえ、安全と信じていた大都市の只中に強大なアンデッドが湧き、一時の事で既に家に戻ったとしても、平穏に暮らしていた一般の民草が取る物も取らず家を捨て生活を捨て避難したのだ。

 あり得ない筈の事が起きた。一度あったなら二度目もあるかも知れない。次は抑え込めず、もう住み慣れた我が家には帰れないかも。それ所か死ぬやも──か弱い一般人が不安に思うのも当然と言える。

 

 お上は警備兵どころか騎士、一部では近衛すら街中の巡回に駆り出して全力を尽くして民を守る姿勢を誇示し、治安維持を徹底。そして危機は去ったと宣言を出した。

 しかし、それですべての不安が払拭される訳ではない。一方で英雄譚そのままの冒険者達による奮闘と新たな英雄誕生の熱気、周辺各国と比べて秀でていないとされていた公国の戦力が強大な敵を打ち倒した事によるある種の快哉もあり、公都は良くも悪くも落ち着かない。

 

 公国を司る者たちが今回の騒動によって広まりつつある動揺、今後広まるだろう風評にどう対処するかによっては、イヨに爵位の授与などが行われる可能性すら無いとは言い切れない。

 新たな英雄として大々的に祭り上げ、英雄誕生の報で此度の一件で民が感じた不安や動揺を打ち消す為に──

 

 ──イヨ。──求婚。──結婚。

 

 ズレた思考は結局其処に戻ってくる。此処数か月のリウルの生活を思い出せばほぼイヨが一緒にいるので逃げられる訳がない。

 

 逃げた所でどうにもならない。ただ悶える事既に三日である。多忙にかまけて後回しにするにしても限界がある。実際多忙でそんな事をやっている暇が無かったこの三日間だが、曲がりなりにも事態収束の宣言が出された以上徐々に日常へと戻っていくのだ。

 

 実際何処をどう探しても吸血鬼はおろかスケルトン一匹見つからなかったのだから。無関係な人間の犯罪者は幾人も捕まえてお上に突き出したが。

 

 高位冒険者を始めとする人員には非常事態として未だ依頼が出されたままで、厳密には【スパエラ】は現在も警戒待機状態なのであった。なので余りメンバー同士で離れられないし、酒など以ての外だった。

 それも安全宣言が出された以上、近いうちに依頼は打ち切られるだろう。

 

 もう仕事に熱中して誤魔化せなくなる。第一後回しにする、逃げるという行為がそもそもリウルの性に合わない。如何に専門分野では無いとは言え、これ以上は負けた気がする。

 

 答えを出し、イヨに対して正式に返答する。どう答えれば良いのか現時点で全く決心が付かないが、その『答え』を出す為に恥を忍んでこうして人に集まってもらったのだ。リウルの信条として、情けない姿で負け散らす位なら恥をかいてでも勝つべきである。

 

 最初に相談したのは勿論、仲間であるガルデンバルド・デイル・リブドラッドとベリガミニ・ヴィヴィリオ・リソグラフィア・コディコス。バルド、爺さんと呼ぶ信頼に足る人生の先達だ。

 だが最も頼りにしていたこの二人が、なんと不発だった。突き放された訳ではない。ただこう言われた。──『何時かこういう日が来ると思っていた』、と。

 

『儂らは今回、中立不干渉の立場を取る。自分の人生じゃ、儂らの事など気にせず自分で決めい』

『ただこれだけは言っておく。お前とイヨがどんな選択をしようと、俺達二人はお前達の味方だ。これは絶対だ』

『まあ有り得ぬとは思うが、お主らが冒険者を辞めるというなら引き留めぬ。他の誰が何と言おうとその選択を支持する。勿論冒険者を続けるのなら今まで通りじゃ』

『お前とイヨが夫婦になろうが仲間であり続けようが、それは変わらない。俺達もチームの一員として力を尽くす。だから、誰の事も気にせず自分たちの事だけを第一に考えて決めてくれ』

 

 そうして去って行った。『眩いのう、若者の人生は眩い。老いぼれには直視できぬわい』『あんな時があったよな、俺達にも。さあじいさん、酒は飲めんが、二人の今後を祈って乾杯と行こう』『うむ、眩い未来を祈り祝って、じゃな』

 

 今は何処ぞで昔語りでもしているのだろう、水で。リウルとイヨに親心に近い思いを抱いていた二人は、高位冒険者のしがらみに囚われずにと告げ、百パーセントの支持だけを残して見守る立場と決めた様であった。

 

 そして、代って集って貰ったのが目の前の女性三人だ。

 

 ──これ以上恥をさらすな俺。既に噛んでるんだ、ゆっくり正確に、いつも通りに喋れ──

 

 加速が著しい思考は焦りと動揺の証拠であった。

 

「──その事で、話を聞いてほしい」

 

 言い切って三人の様子を窺うと、イバルリィは了解した様子だが他の二人の顔には驚きの表情。噂は耳に届いていないらしい。

 

 リウルはアネット・ノーバリーには特に期待している。イヨとの接点は一番薄く、恐らく組合裏の修練場で何度か手合わせした程度だろうが、数少ないこの道の先達なのだ。

 

 三十歳、白金級冒険者。魔法詠唱者である夫とパーティを組む、公国では有名な夫婦冒険者の片割れだ。農民出身のアネッサと貴族であった夫の身分差を乗り越えた恋という二重の話題性もあって、多くの吟遊詩人が夫婦の詩を作った。が、

『全部実話だと思っている人にたまに声を掛けられるが、幾らなんでも強敵を目の前にして痴話喧嘩からの口付けで仲直りとかしないぞ。死んでしまうわ』

『夫の実家は名ばかりも名ばかりの泡沫貴族で、しかも夫は四男だぞ。反対どころか私たちの収入で家計が改善すると大喜びで婚姻を受け入れていただけたがなぁ。歌では親族一同の大反対を乗り越えて一緒になった事になっているが』

 脚色が多分に施してあるので、二人の詩歌というより二人を元ネタにした詩歌らしいけども。

 

 リウルはアネットとパンの驚いた様子に共感と僅かな癒しを覚えた。

 

 ──そりゃそうだ、急に結婚なんて言われたら俺だけじゃなく、誰だってそういう反応をするに決まってる。そりゃ予想外だし驚くだろう。俺とイヨが結婚するかどうかなんてのは寝耳に水でしかないはず──

 

 誰だってびっくりして当然なのだ。自分だけでは無い、とそう思っていると、

 

「おお、遂にシノン殿と婚姻されるのか! というと相談とはパーティ会場の準備か何かかな? 私に任せてくれ、泡沫とは言え貴族は貴族、夫のツテでバッチリ良い所を押さえてみせるぞ!」

「わあ、おめでとうございます! 正式に一緒になるって事ですよね!? もしかして籍を入れる気は無いのかなって思ってたんですけど、そんな事無かったんですね! 本当の本当に、おめでとうございます!」

 

 結婚おめでとうと物凄い勢いと笑顔で祝福された。リウルは一瞬思考の停止と同時に息を止め、次の瞬間胸いっぱいに吸って、

 

「なんでだよ!!!」

 

 と叫んだ。

 

 

 

 

「なんでだよ!!!」

 

 この時、パンは座ったまま一尺くらい浮いたのではないかと思う位ビクついた。

 そもそも殆ど面識のない──向こうは有名人なので一方的に知っているだけだ──遥か格上の冒険者に呼び出されて内心びくびくしていたのだが、さっきの怒声でそれが表に出てしまったのだ。

 

 ──び、びっくりしたぁ……。

 

 パンは鉄級冒険者チーム【ヒストリエ】に所属する野伏である。イヨより僅かに高い背丈と赤毛、そばかすが特徴的だ。普段は勝気で元気一杯の笑顔が魅力的な十七歳だが、今現在は借りてきた猫の様であった。

 

 そもそも怖いのであった。【戦狼の群れ】のイバルリィに『イヨちゃん関連の事でちょっとお話があるので、彼と一番親しいであろう異性のお友達であるあなたが呼ばれたんですよ』と教えてもらわなかったらもっと怖かったと思う。

 

 正直、真っ赤な顔を思い切り顰めているリウル・ブラムを見た瞬間、パンは『あたし何か悪いことしたっけ』と自身の日ごろの行いを振り返ってしまった。その後すぐ怒りによる紅潮ではないと分かったのだが。

 

「ぶ、ブラム先輩、一体どうしたんですか?」

 

 パンは自他ともに認めるイヨの友達であるも、その実【スパエラ】の面々とは全く付き合いが無い。鉄級とオリハルコン級では色々と格が違い過ぎるので当たり前だが、矢張りこうして対面してしまうとどんな風に話せばいいのか分からなくなる。

 

 ──ちょっと前よりは怖くなくなったと思ってたけど。

 

 リウルはイヨと付き合う様になってから丸くなった。それは恐らくリウルとイヨ以外の全冒険者及び組合職員の共通認識であろう。イヨの持つ春の陽気の如き気性が──口さがない人からは『脳内春真っ盛り』等と言われる──彼女の生来の厳冬染みた気性を中和していたのだ。

 

 何処に行くにもイヨを連れ歩くリウルの姿は何処となく微笑ましいというか牧歌的というか、小型犬を従えた狼の如しであったが、本来リウル・ブラムは生半可な者では近寄るのも躊躇われる人物だったのだ。

 

 イヨと交流を持つ以前のリウルは目付きは鋭く態度は尖がって言葉は荒い、仲間以外の全てがライバルだと言わんばかりにいつも気迫を漲らせていた。格下を虐める様な真似こそ一切しなかったが、まかり間違って喧嘩など売ろうものなら正面からボコられるのは確定であった。

 

 勝気と負けん気の塊。

 

 それがかつてのリウル・ブラム。立ち振る舞いそのものが鋭すぎる刃物の如き少女。生まれながらの冒険者と呼ばれ、仲間と共に瞬く間にランクを駆け上がった孤高の天才。

 

 だったのだけど。

 

「え、ブラム殿どうしたのだ急に」

「どうしたもこうしたもあるか……!」

 

 アネットも再度びっくり顔で問うていたがリウルは半ギレであった。顔の赤みが大いに増している。

 アネットは祝福の笑みを薄ませながら困惑気味にイバルリィへと視線を向け、

 

「ナーティッサ殿がいるという事は、挙式自体は水神の神殿と話が付いているとばかり思ったが……ああ、シノン殿はアステリア神なる異教の神の神官であったか! なにか風変わりな儀礼でもあるのかな? 私に協力できることならば何でもするが」

「そういうんじゃなくて、だから……」

「……他に何か問題があるのか?」

 

 パンも同感だったのでリウルの顔色を窺った。顔の赤みはもう今更としても、僅かに目が潤んでいる辺り本気の困惑が見て取れる。雲の上の人とばかり思っていたが、同い年なんだよなぁとパンは実感する。

 

 パンはイヨを弟妹の如く思っている。時折青い空を見上げて動かなくなったり、地面を這う虫をしゃがみ込んで観察していたり、季節外れの夕立で謎の歓声を上げたり。

 言動が外見より尚幼いのだ。一度あまりに熱心に流れる雲を見ていたので『まさか雲を初めて見たとか言わないよね』と揶揄ったら『白い雲はこっちに来て初めて見た』と反応に困る冗談で返された事がある。

 

 あれだけ強いのに、危なっかしくて放っておけない。あの腕っぷしではまず有り得ないのに、人攫いに連れて行かれるのではないかという気さえする。

 

 聞けば幼いころ本当に一度攫われているらしい。服装からして裕福な家の子供だと思われたのだそうだ。幸いその時は正義感の強い警察官──イヨの国で言う警備兵に相当する人々らしい──がすぐ傍にいてあっという間に助けられたらしいが。

 

 それだけ隙の多いイヨなのだから、隣に立つ人は苦労するだろうな。パンはそう思っていた。だからこそオリハルコン級の斥候兼盗賊たるリウル・ブラムとイヨ・シノンは実に対照的で、故にお似合いだと。

 

 パンはそう思っていたのだが。

 

「……なんでその、俺とイヨが当然結婚するんだろうって風に受け止められてんだよ!?」

「え。お二人は随分前から恋仲であろう? 雰囲気的にそろそろそういう時期かな、と思っていたからな。ああやっぱりそうなのかと」

「あたしも、お二人とも十六を迎えているので、何時かはそうなるんだろうなーって思ってて。……違いました?」

 

 両想いに見えていた二人にも、余人には分からない複雑な事情があったのだろうか。パンはそう心配しながら言ったが、リウルの口から衝撃の一言が飛び出た。

 

「そもそもまだ恋仲じゃねぇよ!!!」

 

 ──え。

 

 立ち上がって叫んだリウルの言葉に、パンとアネットは反射的に思い出していた。

 二人の脳裏に浮かぶのは普段のイヨとリウルの姿である。この都市で活動する冒険者なら誰もが少なからず見た事のある、二人の姿だ。

 

 手を繋いで歩く二人。同じ部屋で寝起きする二人。和やかな微笑みを交わし合う二人。イヨの頭を撫でるリウル。リウルにお酌をするイヨ。目と目で通じ合う二人。

 

 リウルと視線を合わせるかの様に二人もまた立ち上がり、異口同音に、

 

「えぇ!? 日頃あれだけイチャついておいて恋仲ではないと!?」

 

 この言葉に、リウルの羞恥はもはや限界を超えたらしかった。

 

「い、何時俺がイヨとイチャついたんだよしてねぇよそんな事!」

「いやいやいやいや、ブラム殿本気で言ってるのか!? 毎日仲睦まじくイチャついてるだろう、自覚無いのか!?」

「イヨの好意をしっかり受け止めて、なおかつご自分も好意で返しておいてそれは無いでしょう先輩!?」

 

 少なくともパンが育った村だと、イヨとリウルの様な二人を恋人同士と認識するけども。

 

 そもそも世間一般では、リウルの方が積極的にイヨを口説き落としたものと認知されていたりする。

 初対面でディナーに誘い、酩酊状態で部屋に連れ込み、床を共にした。その一連の流れが多くの人間に目撃され、以降イヨの側がリウルに首ったけである事からも『ああ、やっぱり』という納得を生んだのだ。

 

 三人の喧騒を前に、イバルリィはただただ穏やかに微笑んでいる。

 

 

 

 

 立ち上がったまま述べるリウルに対し、パンとアネットも立ったまま対峙する。その三人の横でお茶を飲みつつイバルリィが見守っていた。

 

「お、お前らあれか、手を繋いで歩いてたから恋仲だとかなんとか言う気か。子供じゃねぇんだからそんな訳ねぇだろ」

「待て、ブラム殿。恥ずかしがっているのは理解したからまず真剣に答えてくれ。ブラム殿はシノン殿と恋仲である気は無いのだな? 其処は分かった。では、シノン殿の恋心は認知していたか?」

 

 尋問か何かかよ、とリウルは思った。

 

「……自覚はしてた。けど、何て答えたら良いか分からくて、な」

 

 あれだけあからさまで分からない訳が無い。分かるからこそどうしていいか分からなくて対応に苦慮していたのだ。自分でもどう答えたものかと悩んでいた。

 その答えが出る前に『結婚してください』を喰らったからより一層悩んでいるのである。

 

 結婚は関係性の変化としては少々飛躍し過ぎではないだろうか、と。正直、それこそ恋人同士になりたいと言われればもう少し悩みは軽かった気がする。

 好きか嫌いかで言えば間違いなく好きなのだから。一緒にいて呆れた事はあったし、大変な事もあった。しかしそんなものはお互い様である。不快な思いはしなかったし、共にいる事そのものが負担になりもしなかった。

 

 共に過ごす時間は心地よいものだった。リウルはここ最近頭を悩ませた事で、どうにかそれを認めることが出来ている。以前だったら気恥ずかしさに耐えきれず思考を打ち切っていただろう。

 

「分からないのに手を繋いだり頭を撫でたりしていたんですか?」

「……其処ってそんなに重要か?」

 

 もしかして世間一般では手を繋ぐ、頭を撫でるといった行為が婚約に等しいものとして認知されているのだろうか。

 

 十七年公国で生きてきてそんな風習は耳にしたことが無いし、もしそうであったら子供の時分に父母や近所の人たちにされる分にはノーカウントなのだろうか、とリウルは馬鹿みたいな事を考えた。

 

 僅かに呆れの色さえ含んだリウルの返しに、しかしパンは言い募る。

 

「ブラム先輩が自分で言ったじゃないですか、子供じゃないんだからって。十代後半の男女が、しかも一方の恋心をもう一方が自覚している状態で、手を繋いで歩いたり頭を撫でたりして特別な感情は無かったと?」

「ブラム殿は、例えばさして親しくも無い者に同様の行為をされそうになったらどうする? 話した事も無い者が自分の手を握ろうとしてくる、殆ど初対面の異性が頭を撫でようとしてくる、そうされそうになったらどんな気分だ? もしくは逆に、自分自身でそういった振る舞いを他人にしようと思うか?」

 

 リウルの方から呼び出しておいてなんだが、この一点に此処まで喰い付かれるとは予想外である。というかこの二人、イヨ側に立ってリウルを諭してきている気がする。

 

 いや、言わんとしている事は分かるけれども。でも確かにリウルは特別な感情でもってそうしていた訳ではないし、はっきり好きと言われてからも改めなかったのは、今更やめたら逆に、如何にも意識している風に見られると思ったからだ。

 

 最初に手を繋いだのはイヨが何かに釣られて道を外れるのを抑止する為で、それ以降はなんとなく習慣で、である。あの小さく柔らかい手は握り心地が良かった。

 最初に頭を撫でたのは──覚えていないが、多分イヨを落ち着かせる為だ。気持ちを和らげてやりたかったからだ。撫でてやると如何にも嬉しそうに幸せそうに、まるで幼子の如くイヨが笑うからでもある。

 

 今振り返ってみると、特に後者は家族との別れに苦しみ嘆くイヨを憐れんでの行いだったのだろうと思う。しかし特にイヨが嘆いている訳でも無いタイミングででも撫でたのは──何故だろうか。

 

 ──他者に促されて考える内に、リウルはより客観的かつ懐疑的に自身の行動を分析し始めていた。

 

 目の前の二人が言いたい事は分かる。その根本にはリウル本人でも自覚していない、自覚を避けていた無意識の愛情、恋情があったのではないかと言いたいのだろう。

 

 リウルは自問する。お前は見ず知らずの他人、会ったばかりの人物にそんな事をしようと思うかと。

 考えるまでも無く答えは一つ、する訳が無い。

 

 再度自問する。逆に、他人がそうした行為を自分にして来ようとした場合どうするのだ、と。

 これも答えは一つ、身に触れる事すら許さず『なんだてめぇ』と睨みの一つもきかせるだろう。

 

 面倒臭いな、とリウルは思う。イヨがどうこうではない。こうして一々益体も無い事を脳内で紐解こうとする自分自身が面倒臭い。言い訳臭い。男らしくない。リウルは女だが。

 

「お、俺って……イヨの事が好きなのか……? そういう意味で……?」

 

 呆然と呟くオリハルコン級冒険者を前にし、パンとアネットの二名は内心『当人すら分からないものをこちらに聞かれても……』『まず其処からなのだな……』と思ったが、深刻そうな雰囲気だったので言わないでおいた。

 

「それはブラム先輩ご自身じゃないと分からないですけれども」

「少なくとも、シノン殿は心底ブラム殿を好いているぞ。求婚されたのだろう?」

「はいはい、それで今回お二人をお呼びしたわけです。パンちゃんはイヨちゃんのお友達として、アネットさんは既婚者としてです。ちょっと遠回りしましたけど、この子の相談に乗ってあげて下さい」

 

 リウルが大人しくなった瞬間を見計らい、沈黙を保っていたイバルリィが三者に着席を促す。ようやく此処からが本題ですよ、と。

 

 思索に沈みかける──そして恐らく沈んだら浮かんでこない──リウルにお茶を飲ませ、パンとアネットに、

 

「と、言う訳でして。リウルは恋愛方面に関しては銅級もいいとこなんですよ。ここ最近ずっと悩んではいたんですが、答えが出る前に一足飛びにプロポーズされて混乱に拍車が掛かったんですね。お話、聞いてあげて下さい」

「……ブラム殿は、自身のシノン殿への感情がどういう種類の好意かも分かっていない様に見えるのだが」

 

 それを言われるとリウルも辛い。

 自分自身で予期出来た問題で、実際何時か──一足飛びにプロポーズは予想外だったけれども──こう言う事もあるのではないかと初依頼の打ち上げの時に少し考えたのである。

 それ以降も考える時間はあった。あったのに結論は出ていない。

 

 断ってもイヨはリウルに対する態度を変えたりしないだろう。冒険者も辞めず、チームから抜けようともしない。少しギクシャクするだろうが、本当に少しの時間を掛けて普段通りの振る舞いを取り戻す。

 

 ──ただ少しだけ、俺との距離が遠くなる。多分それだけだ。

 

 それだけと言ってしまえばそれだけなのに、それを思うと断ろうとは思えない。

 ぶっちゃけた話、断る理由は幾らでも上げられる。同じチーム内で恋愛は不味いとかだ。これは仲間の命と、託された依頼の成否、引いては依頼人や関係者の生命財産にも関わってくる問題だ。

 

 咄嗟の時に情が邪魔をして正しい判断が下せなくなる可能性がある。それを思えば断る理由としては十分以上なのだ。冒険者の頂点に立つ事を夢見るリウルにしてみれば、これ以上の重大事は無い。

 

 でも。しかし。それでも。

 

 安易にノーの判断を下せない。優柔不断過ぎて自分が嫌になるくらいである。正しくイバルリィが言った通り、恋愛に関してのリウルは銅級も良い所であった。普段から好意を伝え、そして面と向かってプロポーズに踏み切ったイヨの方が遥かに恋愛巧者に思える。

 多分恋愛ランクミスリル級くらいはある、とリウルは大真面目に自分が相対する男の恋愛的戦力評価を上方修正する。

 

 何がなんでも冒険者と戦闘に絡めて理解しようとする辺り、リウルは本当に頭が茹っていた。

 

 きちんと答えを出して向き合いたい。しかし出来ない。だからリウルはアネットの、先人の知恵を借りようと思った。同年代の一般的な恋愛観というものを知りたくて、イヨの友人でもあるパンを呼んだ。

 

 パーティの仲間以外でももっとも信頼する人物の一人であるイバルリィに補佐を頼んだ。全ては対等の立場でイヨと相対する為である。

 

 回り道はしたが、そう言う事なのだ。

 

「なんというか、あれだな。ブラム殿は少し理屈で考え過ぎな気がするな、私は。もう少し肩の力を抜いた方が良いと思うぞ」

 

 まあそれはそれとして、せっかく頼って貰ったのだから私見を述べさせてもらおうと続け、アネットはあっけらかんとした口調で、

 

「取り合えず結婚してみれば良いのではないかな。寄り添ってみなければ分からない事も多いし。もし添ってみて合わないなら別れれば良いと思う」

「そうですね……一旦枠に収まる事で分かるものもあると思いますし、物は試しで結婚してみては? お似合いだと思いますよ」

 

 真剣に『えっ』としか反応できず、リウルは固まった。

 

 

 

 

「逆に聞きたいんですが、どうして其処まで躊躇うんですか? 良いじゃないですか、相手としてイヨ以上はそうそういませんって。そんなにイヨの事が嫌いですか?」

「き、嫌いじゃねぇよ。そう言うんじゃなくて、結婚ってのはもっとこう──」

「論理的に納得するに足る理由なんて、今のブラム殿では絶対に探し出せん。其処まで深く考えずに気持ちで決めてみたらどうだ? シノン殿と結婚して今までと何が変わる? 仲良しのまま実情に形が追い付いただけでは無いか? 逆に、結婚せずに他人同士のままでいて何か良い方向に変化するか?」

 

 二人揃って『良い話じゃん。悩むくらいならしてみたら? 結婚』といった意見であった。

 どう見ても好き合っている様にしか見えないし、現状でも一緒に生活している様なものなのだから、結婚して何が変わるでも無し。今までと同じように結婚生活を送って、より進展するようなら目出度し目出度し。支障が出るなら話し合って関係解消。それで問題は無いじゃないか、と。

 

「シノン殿は随分女性に人気があるのだぞ、ブラム殿。振った後傷心のシノン殿が他の女性に掻っ攫われていって何も思わないか? 思い切って今自分のものにしてしまえ、絶対その方が良い」

 

 イヨが女性に人気があるのは嘘では無いが、それは首から下げたミスリルプレートの力も大きい。冒険者の社会的な地位が高い公国でミスリルプレートを下げていて尚異性に縁が無い人物というのは、それこそ『よっぽど』の人物である。

 

 イヨは成熟した女性から見て『幼い同性にしか見えない年少の少年』であり、そういう意味では一般的に言う魅力的な男性像とは乖離も甚だし過ぎて言及が面倒になってくるレベルである。

 しかし、人間が生存の危機に立たされる弱小種族であるこの世界において『強さ』の求心力は地球の比では無く、他の短所を補う足る魅力なのだ。かつての大英雄と並び立つとされるイヨの強さは、男女問わず働きかける大きな魅力として万人の眼に映る。

 

 また、高位冒険者は大金を稼ぐ。それこそ一生遊んで暮らせる程の財を。

 また、冒険者はその仕事上家を空けがちである。『亭主元気で留守が良い』を地で行く。

 また、イヨは現在身寄りがいない。仮に結婚後に死亡した場合、遺された財産は唯一の権利者である妻の物となる。

 加えて、イヨは誰にでも好意的な能天気であり、非常にちょろい印象がある。

 

 以上の点もあり、イヨは結構異性に目を付けられる。それでも実際に寄り付く女性が少ないのは誰がどう見たってリウルに惚れているからであり、そもそも何時も二人で行動を共にしている為、モーションを掛ける隙が無いからである。

 

 因みに、イヨが最も好かれるのはお年寄りと小さな子供にだったりする。

 

 今回のプロポーズが破談で終わった場合、イヨが女性に群がられる未来もあながち無いとは言えないのであった。

 

「私事で何だが、私と夫は一緒にいるのが気楽だったからこれからもずっと一緒だろうし結婚しておくか、と言った流れで結婚したからな。互いのそりが合えば大丈夫なものだぞ」

 

 当時はもう少し色々あった気もするが、今振り返ってみればそんなものであった。お互い冒険者である為一般的な家庭とは程遠いが、幸せである。一緒にいるのが幸せ、楽、互いに気を使わないで済む。自然体でいられる。結婚の理由なんてそんなもので良いのだ、という考えがアネットにはあった。

 

 人間、親友や家族恋人とだって、何時も何時でも何処でも一緒では気が疲れるものである。たったの数か月とは言え、四六時中顔を突き合わせていて嫌にならないならもう十分過ぎる程相性はばっちりであろう。リウルとイヨは。

 

「想像してみるんだブラム殿。シノン殿が自分から離れ、見ず知らずの女と睦まじく過ごす光景を。顔を赤くして女性を見つめ、時に撫でられて至福の笑みを浮かべる姿を。──忸怩たるものを感じないか? その光景は自分のものだと思わないか?」

「お、俺は別に──」

 

 リウルは反射的に想起する。先程の断った場合の未来のそのまた先、失恋を乗り越えたイヨの隣に知らない誰かがいる光景を。

 誰かがイヨの肩を抱く。腰に手を回す。手を握る。頭を撫でる。──そしてイヨが幸せそうな顔を──。

 

「……」

 

 胸の中のそのざわめきは、『イラッ』では無く『チクリ』に近く、強いて言えば寂しさに類似していた。

 

「……何も感じなくは、無いが……無いけど……」

 

 言語化できない。これは独占欲とかそういった類の感情なのか、と自分でも疑問に思う位だ。

 

「なんていうか、ブラム先輩がこれほど初心だとは思いませんでした」

「初心というか、慣れてないんですよ。そっち方面に全く興味も関心も無かったんですよねー、誰それが所帯を持ったとか娼館行ったとか下ネタとかは他人事なので『ふーん』って感じだったんでしょうけども、自分の身に降りかかるとこうなっちゃうんですよー」

「お、俺の心理を俺そっちのけで解説するのは止めてくれよ」

 

 パンとアネットの二人は『もしかするとイバルリィの方がリウルの心理に詳しいのではないか』と疑問を抱くが、本人を差し置いて結論を出しても意味が無いため、何も言わないでおいた。

 

「あたしの身近な例で恐縮なんですけども、気が通じ合っていれば割と上手くいくものですよ。あたしの両親なんか収穫祭で羽目を外し過ぎて結婚したらしいんですが──」

 

 収穫祭の夜に踊りの輪から外れて茂みの奥に消えていく若い男女の行動については、みんな知っているだろうしあえて説明するのも恥ずかしいので何も言わない。パンはリウルと同い年の乙女であった。

 

「そんな一時の勢いの余波でくっついたような二人でも今の今まで続いてますし、あたし含めて十一人子供がいますからね。お二人なら大丈夫だと思いますよ」

「え、子供十一人って凄くね……?」

 

 一応商会のお嬢様であったリウルは本題とは別の部分に反応する。

 

 娯楽が無く、また子供も労働力として数えられる農村では子供は五人程度が平均である。成人まで成長する事が難しい様な環境ではもう少し多くなる。衛生環境が良く、避妊薬があったり治療する神官がいるような都市部ではもっと少ない。

 

 十一人はリウルの常識と照らし合わせるまでも無く、人数としてかなり多い。

 因みにパンは下から三番目の子で、上の兄姉とはあまり仲が良くない。そもそも物心ついた時にはもう家を出て行っていた者たちもいたので、仲が良くなるほど顔を合わせた記憶も無かったりする。

 パンの両親はどつきどつかれ罵り合い、若い時のノリそのままで日々喧嘩が絶えないが、娘の立場からすると不思議と仲が悪い印象が無い。どんなに喧嘩しても夕飯の時には笑顔で卓を囲む両親であった。

 

 友達みたいな夫婦でも良いじゃないですか、今までと同じように一緒にいたら良いと思いますよ、とパン。

 

「それと、私を呼んだ最たる理由はこれだろう? 同じパーティに所属する者が恋仲、あるいは夫婦となる事で冒険者稼業に支障が出るかどうか、実際に不利益はあったか。それを聞きたいと」

 

 異性がいると揉める、という例は別に冒険者界隈に限らない。が、冒険者が互いの命を預け合う濃厚な時間を過ごす内、信頼とは別の感情が生まれてしまうというのはままある話であった。なにせ命を預け合うのだ。戦闘の最中という極限の状況で。

 無理からぬ話だが、判断の乱れや仲間内での扱いに差が出てしまう等として、一般に歓迎されない。あり得るかもしれない不和の事前回避として同性だけでパーティを組む者は珍しくない、というか、どちらかと言えばそれが普通ともいえる。

 

 勿論そうでない者たちもいる。性別に関わらず、能力的人格的に仲間足り得るかどうかでメンバーを選んだ者達だ。

此処に集った四人の冒険者は皆男女混合のパーティに属しており、アネット以外の三人は紅一点の立場である。アネットのパーティは男女同数の四人構成だ。余談だが、アネットと夫が夫婦冒険者として有名なせいで、残りの男女二名も夫婦だと誤解される事が多いらしい。

 夫婦二組で構成された有名なチーム等という間違った認識で見られるたびに、その二名がお互いを指さして『なんでこいつなんかと!』と怒り心頭に達する様は最早名物であった。

 

「簡潔に言うと、無いとは言えない。大きな影響は殆ど無いが、些細な問題は今まで結構あったな。特に最初の内はそうだ。まだまだ若造だった頃だからか、先達に絡まれることも多かったし、同格でも色々と言っては来るしな」

 

 顕著な例だと、当時の仲間が二人抜けた。窮地に立たされた時に恋人を優先する、つまりはその他の仲間である自分たちは後回しにされる可能性を危惧してだ。

 当時は五人で構成されていたアネットのチームだが、抜けた二人を除くもう一人は一応、結婚しても同じチームで続けていきたいというアネットと夫の意志を尊重してくれた。ただ、命の掛かった仕事をする立場として、感情に囚われて誤った判断や失敗をしてくれるなとしっかり言い含められた。

 

 アネット自身、公私の区別が完全についていたとは言い難い。自分としては割り切って振舞っているつもりでも、何処かしら態度に出ているのだ。気にし過ぎて逆に互いを蔑ろにしてしまった事もある。

 

 しかし、

 

「だが、最終的にはプラスに働いたと思う。夫婦となってからも活躍し、実績を上げ続ける内に普通よりずっと名が売れた。指名の依頼も多くなった。実力にそぐわない名声を重荷に感じた事も有りはしたが、ブラム殿ならそれも無いだろう」

 

 冒険者が街中でも重装備を付けたままで過ごす理由は急な依頼に即応する為でもあるが、同時に名を売る為でもある。装備や髪を奇抜な色に染め上げる位は一般的に行われている事だ。特に冒険者の数が多く、競争が激しい場所では。イバルリィの所属する【戦狼の群れ】などは全員が染髪している。

 

 夫婦冒険者としてその活躍と半生が──多分にラブロマンスを振り掛けられ脚色されてとは言え──吟遊詩人の詩として広まり、それが世の人々に受け入れられた。認知度の上がり方は他の冒険者の比では無く、アネットらのチームは知名度だけで言うならより上のランクの冒険者にも匹敵する。

 

 山ほどの実績を積み上げオリハルコン級に至った冒険者である【スパエラ】、その実力と実績を前にすればチームメンバー同士の結婚程度は大した話ではない。無論色々言ってくる輩もいるだろうが、二人が今後も変わらぬ活躍を続けられるならその位は鎧袖一触だろう。

 

「自分の最善を選ぶしかないな。今更外野にぐちぐち言われた程度で揺らぐ精神でもあるまい? 冒険者は実力主義社会で、自己責任の世界だ。揺るがぬ覚悟と力があれば何の事は無い」

 

 力強く言い切るその様は威厳さえ漂う。筋力の高さや知恵の量などとは違う積み上げた人生の重みだ。

 目の前に人生の先輩がいる、とリウルは畏怖さえ感じた。アネットは常の柔らか笑みを浮かべ、

 

「逆に言うと、結婚する事で覚悟や力が揺らぐのであれば止めた方が良いな。煽っておいてなんだが。もしくはどちらかが引退する──しかしこれはシノン殿もブラム殿も望まないだろう?」

 

 勿論望まない。其処は既に確認が取れている。イヨは冒険者を辞めたいとも、リウルに辞めてほしいとも全く思っていない。

 もし結婚したら冒険者を辞めてほしいなどと言われた日には、リウルは逡巡すらせずその場で話を蹴っていただろう。アダマンタイト級になる事は、なって活動し続ける事はリウル・ブラムの人生を掛けた目標であり、人格の根幹を成すものだ。

 

 冒険者を辞める時はもう続けられない程老いた時。そうでなければ死ぬ時だ。誰に何を言われようと其処は曲げられない。

 

「ふぅー………」

 

 リウルは深く深く、肺の中の空気を残らず絞り出した。そして一旦止めてから吸う。顔の熱は引いていた。

 

 強敵との戦闘を控えた様な、静かな湖面の如き精神状態で黙考する。

 

 そして周りのみんなを見渡す。空気の変化を読み取ってか、三人はリウルの口から言葉が出るのは見守ってくれていた。

 

「俺は、イヨの事が好きなんだと思う。女として、だ」

 

 やっと口に出すことが出来た。認めて、受け止めてしまえば分かる。それは追認だ。心の奥底ではずっとそうだった事を、今自覚できた。

 

 そもそも結婚の話を考慮した時点で周囲からすれば自明だっただろう。あのリウル・ブラムが、脇目も降らずただ冒険者であり続ける女が、チームメンバーとの結婚等という話を『考慮し、悩んだ』のだ。

 

 冒険者として活動する事で満たされているリウル・ブラムが少なからずその活動を揺るがせかねない事柄を即座に突っぱねるでも無く、『悩んだ』。

 

 ──紆余曲折を経てやっと認めることが出来る。

 

「俺の中でイヨ・シノンは、短い間に冒険者である事と同じ位大きな存在になってたんだ」

 

 冒険者は止められない。愛した男の願いであってもそれは間違いないが、イヨは共に冒険者を続けたいと言っていた。ならば、ならば──。

 

「俺は、あいつが好きなんだ」

 

 ──再度不安が首をもたげる。

 

「……俺は、あいつを幸せに出来るかな?」

「え?」

 

 パンの『え?』はリウルの耳には入らなかった様であった。

 

「いやだって、世間一般で言う普通の結婚生活とか、所帯持ってたら当たり前の幸せとか……俺はイヨに与えてやれないんじゃないかって……」

 

 イヨがリウルの前でだけ見せる悲しみ──家族との別れ。二度と帰れない郷里への想い。それを癒してあげられるだろうか。

 イヨはどう足掻いても元居た場所へは帰れないというのがオリハルコン級冒険者リウル・ブラムの見立てである。イヨも内心それに気付いていたのだろう、そして今回の一件で吹っ切れた──かどうかは兎も角、折り合いを付けようとしている。

 

 リウルは思う。自分はあの少年を幸せにしてやれるのか、と。

 

 お互い冒険者である以上、安眠できる時間さえ限定される。家を空っぽにして野を駆ける、安寧とは程遠い日々が続くのだ。街にいる日々とて鍛錬に多くの時間を費やすだろう。

 

 穏やかな家庭とこれ程遠い結婚生活もあるまい。

 

 失った家族はもう戻らないが、新たな家族を得る事は出来る。結婚すればイヨとリウルは家族だ。しかし、たった二人の家庭に新たな命を授かる日は遠そうだ。イヨが父親に、リウルは母親になる日は何時の事だろう。

 

「子供だって何時産んでやれるか分かんねぇし……」

 

 正直感覚的に実感など湧かないが、結婚し家族を成す以上はそう言う事だ。

 子供を作るのは男女の儀だが産むのは女の仕事だ、とリウルは思う。腹に宿して産まねばならないのだからどうしたってそうだ。つまり自分の役目なのだが。

 

 正直に言って、今のリウル・ブラムに──全盛期かつ成長途上であるリウルに、妊娠・出産・子育てに捧げる時間は惜しい。

 

 リウルとて幼き頃に母を亡くした身だ、愛情を注いでくれる筈の庇護者が傍にいないという環境が子供にとってどれだけ辛いかは身をもって知っている。

 

 最低でも物心つくまでは子供の傍にいてやりたい。そういう思いはある。しかし、子を宿してから産むまで、産んでから復帰の為の訓練を熟しつつ子を育てる時間は、どう短めに考えても五年は下らないであろう。

 

 最低五年のブランク。死ぬ可能性は無視するとしても、現在十七歳である自分はどれだけ現役で働き続ける事が出来るだろう──二十年は堅いと思うが、三十年には至るまい。

 

 二十年の内の五年。四分の一に相当する期間だ。もっと長くなる可能性もある。

 

 余りにも長い。そう考えてしまう自分は利己的なのだろうか、自分勝手なのだろうか。イヨは理解してくれる気がするがそれは『理解して待ってくれる』と言う事だ。

 

 血縁も無ければ面識も無い初対面の子供にすら愛情を向けるイヨが、自分の子供をその手に抱く夢を抱いていない訳が無い。

 一緒になった相手との子宝を望むのは男女に関係なく余りに普通で、有り触れていて、そしてとても尊い願望だ。

 

 結婚というお互いがお互いに責任を持つ、尽くし合う、共に生きる形態において、イヨは多くのものをリウルにくれるだろう。真摯な愛情、誠実な奉仕、公私両面でリウルを支えてくれるだろう。持てる全てをリウルに向けてくれる。今までもそうしてくれていた様に。

 

 リウルは初めて考え、そして怖くなった。

 

「俺は、あいつに何をしてやれるんだろう……?」

 

 特別な何かをしてやれるだろうか。イヨが差し出してくれるものと釣り合うだけの何かを。

 

 リウルの側だけ一方的に恩恵を受ける関係を対等と言えるだろうか。その結婚生活は正常と言えるだろうか。お互いが幸せになってこその結婚であろうに。

 

 実の所かなり溺愛され、自由を許されたお嬢様育ちであるリウルの結婚観はこのようなものであった。

 

「ブラム殿……」

 

 そんな事をぼそぼそと呟いたリウルは、アネットの声に顔を上げる。自分の懸念になんらかの意見をくれるだろう、この道の先達に縋る気持ちで──

 

「ブラム殿はほんっとうに恋愛に関しては銅級も良い所だなぁ、ちょっとびっくりしたぞ私は。というか、自分がシノン殿に想われているという点に関しては相当自信があるんだな。一瞬愛され自慢かと思ったぞ」

 

 呆れた様な声で恋愛銅級呼ばわりされた。自他の温度差に声が詰まる。するとその隙に、

 

「ブラム先輩って豪放磊落に見えて、実は結構思い悩む人なんですね……さっきまでと今では別に意味で桁外れてますよ」

「こんなリウルはおばちゃん初めて見ましたよー」

「あ、あれ……」

 

 『俺は今この上なく真面目な話をしてたのに、もしかして通じてないのか?』。そんな風にさえ思ったリウルの眼前で、三人はお互いに譲り合う様な仕草をした後、揃って唇をお茶で潤してから次々に、

 

「ブラム殿。この場で最もシノン殿との親交が浅いであろう私があえて断言するが、シノン殿はそんなの端から織り込み済みだからな。そうじゃなかったらブラム殿にプロポーズしたりしないから。仮にシノン殿が普通の結婚生活なんて望んでたらそもそもブラム殿は選ばれてないぞ」

「イヨからご自分に向けられる愛情には凄く高い価値を計上してるのに、ご自分がイヨに向ける愛情を軽視し過ぎでは? イヨはなんというかその、ブラム先輩の傍にいられるだけでも凄く幸せだと思いますよ?」

「自分の方が年上で先輩で大人だっていう意識が無意識の底にあるんでしょうけども、気負い過ぎですよ。子供は天からの授かりものですが、同時に作るものでもあるんですよ。二人の間で話し合って了解が取れたのであればその時期が一番なんです」

「え? え?」

 

 立て続け過ぎてリウルの理解が追い付かない。

 

 ──つか俺が今考えた事をイヨは全部了解済み? 考慮済み? 俺って今やっとイヨと同じラインに立っただけなのか? 嘘だろ、俺ってそんなにイヨの後塵を拝してるのか?

 

「そういう懸念があること自体は相手の幸せを考えていて立派だと思うが、シノン殿は絶対にそれを前提として了解した上でプロポーズしているから。賭けてもいい。悩む気持ちは分からないでも無いが、我々にうんちゃら言うよりは当人同士で話し合うべきだな」

 

 ──え、いや、だからその、その当人同士で話す考えが纏まらないから、何をどうして良いか分らなかったから、こうして人に頼っているんだが。

 

「もう分かっただろう。今さっき自分の恋心を自覚したな? 言っただろう、俺はイヨが好きなんだって」

「いや、その、言ったは言ったけどいきなりそんな」

「これ以上は逃げですよブラム先輩」

「ちょ、ま」

「相談を受けた我々と致しましては、これ以上はリウル自身の問題であり我々の及ぶところではないという意見で一致してます。それでは頑張ってきて下さーい」

 

 示し合わせたかのように立ち上がった三人は揃ってリウルを扉の方に押しやり、強制退去に追いやろうとする。

 

「おい待て、俺はまだ心の準備がっ!」

「ブラム殿。今後の一生で主導権を握り続ける秘策を教えてあげよう。──有無を言わさず抱き締めて口付けしろ。それで勝てる」

「イヨは意外と押しが強い所があるので大変でしょうけど、ブラム先輩でしたら戦えるってあたし信じてますから!」

「リウルの背中を押すのは友人である私の役目──応援してますよ!」

 

 暖かな言葉とは裏腹に断固たる腕力で廊下へと追いやられたリウルの眼前で、無慈悲にも扉は締め切られた。

 

 後に残ったのは初めて戦場に向かう新兵の如き心模様のリウル・ブラムただ一人である。

 

 

 

 

 イヨ・シノンはリウル・ブラムに惚れている。好きである。大好きである。愛しているのであった。

 

 最初から恋愛的な意味で好きだった訳ではない。兎角一目惚れと言うか、イヨが余りにもちょろく、ちょっと優しくされたらあっという間に惚れたかのような印象を抱かれがちだが、実際は違う。

 

 好意的だったのは確かである。すごい先輩だと尊敬していた。しかしそれを言うなら、イヨは世の人々の大半に対して好意的で肯定的である。老若男女に対してだ。例外は悪人位である。悪い人は牢屋に入るべきだと思っている。

 

 そういう思考を持っているイヨ・シノンの事であるから、当然知り合ったばかりのリウルにも肯定的で好意的であった。リウルの方も不思議と馬が合った為か、お互いの存在がぴったりとあるべき位置に収まったかの様だった。

 

 そうして共に日々を過ごす内に、自然な流れでイヨはリウルに惚れたのである。具体的に言うと出会って三日四日位してだ。

 

 イヨから見たリウルは背が高くてカッコいいし、強いし、逞しいし、大人だし──それに可愛らしくて綺麗で凛々しい。真剣に真摯に貪欲に夢を追う姿は輝いていて、一緒にいて自然と安らいだ気持ちになれる。あんなに魅力的な人はいない、と真剣に思っている。

 

 物心ついてからは初恋である。物心つく前の初恋は両親だと思う。小学校に入って直ぐの頃は担任だった眼鏡の先生が好きだったが、それは恋以前の憧れの感情だった。

 

 リウルは自分とは比べ物にならない位しっかりしていて、賢くて頼り甲斐のある自立した大人の女性であり、イヨは強く惹かれた。この人の夢を支えたい、自分も一緒に頑張りたいと、そう思った。

 

 イヨは恋愛経験が無い。しかしイヨは天性にして天然のファイターであり、経験が無くとも本能と気持ちで戦える人間であった。自分の感情に素直なのだ。其処が同じく恋愛経験のないリウルとの違いである。

 

 自分の好きという気持ちを知ってほしかった。相手にも自分を好きになってほしかった。そうした欲求は思考以前の本能であり、無意識的にイヨはリウル・ブラムに対するアプローチを始めていた。イヨが意図してそうしていた訳では無いのだ。それはもっと幼くて原始的で、それ故純真で単純な衝動に任せた子供の好意の表れ。

 

 『僕は貴女の事が好きです』という想いを動きに、視線に、言葉に通して相手に伝える。

 

 数日数週間数か月と共に過ごした月日が積み重なるつれ、その想いは深くなる。リウル・ブラムという人物に触れる度、新しい一面を見付け、より好きになる。

 

 幼いとしか形容のしようのない、両親譲りの恋愛観。この人を支えたい、一緒にいたいという想い。

 

 幼稚であるが故に純真で、だからこそ人に伝わる。わかりやすいからだ。恋愛という概念は知っていても観念として備えていなかったリウル・ブラムにすら察せられるほどの真っ直ぐさ。

 

 この先何か月、何年かして何らかの形で実を結ぶ筈だったその想いは、ある試練を経て急展開を遂げた。

 

 デスナイトとの戦闘──実際に死に臨む経験を経て。

 

 自分の人生は保証されていない。当たり前のことに気付けていなかった。既に両親の庇護は無く、モンスターと命のやり取りをする職業に就いているのに。

 

 降って湧いたような危機を必死に戦って初めて気付く。自分は何時死んでもおかしくないのだ。自分だけではない、リウルもガルデンバルドもベリガミニも──引いてはこの世に生きる者は全て何時死ぬとも知れず、何時死んでもおかしくないのだと。

 

 今更に思い知った。現在生きているのは偶然に等しいのだと。

 

 戦っている最中、イヨは死にたくなど無かったが、同時に死を覚悟していた。死ぬまで戦う。自分を尽くして逝ったなら、後の始末は仲間たちがきっと付けてくれると信じていた。そしてより深く尊敬した。先達はとっくの昔にこの覚悟をもって生きてきたのだろうと。

 

 死を切り抜けて、改めて思う。死にたくないと。何時か死ぬにしても──戦いの中で果てるのか、老いて寝床の上で死ぬのかに関わらず、後悔を残しては死ねない、と。

 

 待てなくなった。不安になった。ただ想っているだけで幸せで、何時かこの想いは通ずるはず、既に通じ始めている──それだけでは満足できなくなった。

 

『貴女を愛しています』

 

 伝えたいと思った。伝えなければと思った。

 

『ずっと前から好きでした』

 

 自分もリウルも誰も彼も、その生は必ずしも続いていくとは限らないのだから。

 

『僕と結婚してください』

 

 イヨは告白した。

 

 

 

 

 もう戻らない、とイヨは手製の位牌を前に決めた。

 

 依頼継続中に付き公国より提供された宿屋の一室にて、イヨは床に直置きした位牌と正座で対面する。

 不格好な位牌に公国語で刻まれているのは祖父母、両親、弟妹──そして篠田伊代の名である。

 

 無論家族は死んでいない筈だ。死んでいるとしたらあの世界の伊代の方だろう。

 そしてそのイヨも、意識は今この世界で連続している。生きていると言って良かろう。

 

 だがもう決めた。何度も思い返すと思う、幾年経とうと心は離れないと思う。死ぬまで忘れられないだろう。──しかしもう戻らない。戻れないを言い訳にしない。戻れる機会があったとしても、もう戻らないのだ。

 

 どれ程殺しただろう、どれ程助けただろう。もっと確実に殺められなかったのか、もっともっと助けられなかったのか。

 これから先どれ程壊して殺すだろう。どれだけ築き助けられるだろう。

 

 イヨは思う。これだけ殺しておいて助けておいて、帰る方法が見つかったらこれ幸いと帰るのか。

 頼りにしてくれる人々を置いて、惚れた女性を置いて、仲間に背を向けて、友達にさよならして帰るのか。帰って家族と感動の再会をし、年月が経ってから希少な経験をしたとでも思い返すのか。

 

 もうそんな所は通り過ぎたと断ずるべきだ。

 

「親不孝でごめんなさい。……みんな、ずっとずっと大好きです」

 

 位牌に頭を下げる。随分長い間そうしていたが、ある時思い切って頭を上げる。

 

 手に取るのは篠田伊代の位牌だ。真ん中から圧し折って、火の付いていない暖炉に投げ込む。残りの家族のそれは一つ一つ布で包み、一塊に纏めてアイテムボックスに仕舞った。

 

 イヨの心境は説明しがたい。イヨの語彙や観念では正確に言い表す事は出来ない。それでも強いて言うなら、最後まで責任を取りたかったのだ。

 

 だからこの世界に残る決断を下した。戻れないと諦めて涙するのではなく、戻らないと決めて泣く。この世界で生きて行く。

 

 それがありとあらゆる事に向き合う上での最低限のけじめと勝手に定めた。

 

 そうでなければどの面下げてリウルに求婚など出来よう。イヨ・シノンはもうこの世界に骨を埋める覚悟を抱いている。出来る精一杯の事をやり遂げ続けようと決意している。

 

「だから、リウルさん」

 

 自分のしたプロポーズはリウルを酷く動揺させたものと思う。リウル・ブラムは恋愛に関しても決して鈍くは無い。むしろ鋭いと言える。だが、疎い。著しく不慣れである。彼女の為を思うならもっと時間を掛けて関係を築いていくべきなのは間違いが無かった。

 

 だが、全て承知の上で尚求婚した。共に何時死ぬとも知れぬ職業に従事する身だ。

 

「今宵、絶対に貴方を口説き落としてみせます」

 

 そして彼は戦場に向かう。相変わらず少女のような容姿で、浮かべる表情は恋する乙女のよう。しかし彼は今間違いなく、男だった。

 

 

 

 

「リウルさん」

「お、おう」

 

 心臓がうるさい。自分で呼び出したイヨが予定通り姿を見せただけだと言うのに、たった二人きりの静寂な部屋だと言うのに、鼓膜に響く鼓動がうるさくて閉塞感を感じそうなほどだ。

 

 所詮宿の付近から動いていなかった身の上である。割り当てられた個室で待機していたイヨと、直ぐ近くの高級飲食店の個室で作戦会議中だったリウル。二人は何かあった時チームで行動せねばならない制約上、この三日間実は離れていないのだ。普段の様にくっついていなかったと言うだけで。

 

 歩くときは一歩間合いを空け、事務的な会話に終始し、寝る時は別の部屋。ただそれだけである。ただそれだけなのに、冒険者としてでは無く私人として相対するとこんなにも緊張する。

 

「……」

「……」

 

 彼我の間合いは三メートル。

 

 こんなイヨの顔はそう見ない。リウルの思い出の中のイヨは常に楽しそうで嬉しそうで幸せそうで──ごくたまに、悲しそうに泣いている。笑顔のイヨを見ていると自分も心が和やかになるのを感じていたし、悲し気にしていれば慰めてやった。

 

 今のイヨは決意の表情。まんまるおめめは鋭くリウルを見つめ、表情は凛々しい。プロポーズの時もこうだった。こんな顔も出来るのか、とある意味驚いた覚えがある。

 

 何時ものイヨは陽だまりで和む飼い慣らされた猫の如き少女に見えるが、今のイヨは戦場に向かう騎士の如き少女に見える。どっちにしろ男には見えない点しか共通していない。

 

 練習中だって戦っている時だってイヨはこんな表情はしない。それこそもっと自然体で力みが無い顔をしているのだ。そんな顔で圧し折ったり圧し折られたりしている。

 

 俺に求婚するってだけでどんだけ真剣だよ、と一瞬思うが、一生ものの話なんだしそりゃ真剣かと思い直す。

 

「……」

 

 ──俺はどんな顔してるんだろう。

 ──せめてイヨがもうちょっと普段通りだったら俺の方だって意地張って年上風先輩風吹かせて平常を装えたのに。というか何故何も喋ってくれないのだ。やっぱり俺の方から切り出すべきなのか。

 

 イヨからすれば告白の返事を聞きに来ているからである。プロポーズの返答を保留され、改めてその件で話がしたいと呼び出された。それがイヨの側の状況であり、この三日間でリウル側の考えも固まったから呼び出されたのだろうと思っているのだ。

 また自分から口を開いても言う事は一つしかない訳で、その一つに対する返答は保留中なのだ。これ以上はごり押しというかしつこくて押しつけがましいかとも思っていた。

 

 イヨとて不安である。なにせ目の前のリウルが見るからに挙動不審で、今まで見た事が無い位に視線が泳ぎ、自分と一切目を合わせてくれないからだ。

 

 常に即断即決で泰然としていて気が強く、大人なリウルとは大違いな姿。自分の告白に対する返事がイエスであってほしい期待と、ノーだったらどうしようと云う不安。

 心中は揺れているが、情けない姿を見せたくない、どんな答えだって受け止めて見せるという決意が外見を揺るがせない。

 

 根競べ染みた沈黙合戦。永遠にも思えるような数分が過ぎ、静寂に耐え切れなくなったのはリウルの方だった。

 待たせているのは俺の方という意識があり、心構えの強固さの上でもリウルは負けていた。色恋の場でさえ勝ち負けが判断基準になってしまう様な不慣れさが原因ともいえるだろう。

 

 ──しっかりしろよ。……イヨが惚れたのは、こんな意気地なしな俺じゃねぇだろうが。

 

 自分に一番ダメージが来る叱咤を掛け、少女は口火を切った。

 

「……イヨ。俺は、その」

「はっ、はい!」

 

 二人とも音量調節を間違えた。意気込みに反して蚊の鳴くようなリウルと、待望の答えに逸って大声を出したイヨ。二人とも若く、初戦なのであった。

 

 此処で止まったらまた身を焼かれるような沈黙が戻ってくると感じたリウルは勢いだけで続けた。

 イヨからの好意を自覚してから散々待たせたので、此処ではっきり言わず何時告げる。そう──三人も言っていたじゃないか。何もかもはっきり告げ、二人で話し合えと。

 

「俺は……俺も! お前の事が好きだ。好きだと思う」

「そ、それは……」

 

 イヨの瞳が期待で輝く。久しぶり──三日ぶりだが──に見たその輝きをリウルは素直に綺麗だと思った。だが、続けねばならない。

 

「だけど、結婚は悩んでる。お前と一緒になって良いのか分からない」

「な、何故ですか? 僕に何か問題があるなら──」

「俺は!」

 

 遮って叫ぶ。そうではないのだ。

 正直イヨは良い夫になってくれると思う。絶対によそ見をしない。浮気なんて発想は頭に浮かびすらしないだろう。公私共に背中を預けられる相棒に、イヨ以外の人間等考えられない。

 

「俺は……誰かと一緒に歩む人生なんて考えた事も無かった。続けられなくなるまで冒険者をやるつもりだったし、今もその気持ちは変わらない。お前に──」

 

 お前を、と言い直す。

 

「お前を幸せに出来る自信が無い。結局全部冒険者稼業の延長になるとしか思えないんだよ。家庭を持った男として当然の幸福をお前に与えてやれない。子供だって、下手したら引退した後になるかもしれん。──俺は家庭に向いてない……お前は良い夫になってくれるだろうけど、俺は良い妻にはなれないと思うんだ……」

 

 喋っている内に不安が増大していく。

 

「お前と結婚したら俺の方は幸せだと思う! お前がくれる好意や愛情は心地良い、嬉しいよ。何よりも俺を優先してくれる──でも、それでお前は、イヨは心から幸せか?」

 

 イヨは別に冒険者になりたかった訳ではない。それはイヨの夢ではなく、リウルの夢だ。

 事故で家族と別れて何に拠り所も無い場所に来て、食い繋ぐ為に冒険者を選び、リウルと出会った。それがイヨ・シノンのこれまで。

 

 リウルは今なら自分の気持ちが理解できる。リウルはイヨを手放したくない。今や冒険者リウル・ブラムも、私人リウル・ブラムもイヨ無しではいられないのだ。

 

「俺は一生冒険者を辞めない、辞められない。お前を一生手放さない。最高の仲間で伴侶だから、絶対に手放したくない。──でもそんなの自分勝手すぎるだろ? 何もかも俺の総取りか? お前の人生を俺が貰って、お前の時間を全部俺の夢に付き合わせて、一生一緒で幸せって胸張って言えるかよ」

「リウルさん……」

 

 リウルが外していた目線をイヨに戻すと──イヨの顔は決意の表情に戻っていた。リウルの狼狽を睥睨し、まんまとリウルは射竦められた。

 

「……言いたい事が幾つかあります」

「……なんだよ」

 

 俺は全部話した。リウルはそう思う。迷いの全てを吐き出した。葛藤も含めて胸の中の答えを返した。

 今度は、リウルの答えに対してイヨが答える番だ。その答えは──

 

「僕と結婚してください」

 

 再度のプロポーズだった。

 

「──なっ」

「リウルさんの言った事は全部承知の上です。そういうリウルさんに惚れたから一緒にいたくて結婚を申し込んでいるんです。結婚したからってリウルさんに生き方を変えろなんて僕は言いません。平穏な家庭が欲しかったら最初からリウルさんにプロポーズしてません」

 

 僕が欲しいのはリウルさんと、リウルさんと一緒に過ごす人生です──一気に言い切る少年の姿は、ほんの僅かに怒っている様ですらあった。

 

「第二に。一緒になって本当の本当に幸せになれるのが自分だけだなんて思わないで頂きたい。冒険者は既に僕の夢でもあります。僕は出来る限りに人を助けたい、幸せになりたい。その為に最善の手段を選んだつもりです」

 

 イヨは大股で距離を詰め、リウルの傍に置いた。身長差さえなければ鼻と鼻がくっつく距離。其処から真っ直ぐに見上げてくる。上目遣いではなく、顔ごとだ。

 有無を言わせぬ断固たる口調。僕の意志はこうです、受け取るも放り投げるも貴女次第。さあどうしますかと挑むような。

 

「僕の人生を受け取って頂きたい。リウルさんの時間と、夢を共有させて欲しいのです。それが僕の最たる望みです」

 

 リウルは自分が気圧されていると察した。イヨの瞳に圧力を感じる。イヨの語調に滲む強固な意志に、イバルリィ、パン、アネットの三人が予見した通りの覚悟に。

 

「そして!」

 

 イヨはリウルの右手を掴み、がっしりと両手で包んで自分の胸に抱いた。最近の訓練で少しずつ皮が固くなってきていた手は、デスナイト戦の大怪我をポーションで治したせいで赤ん坊の様な柔らかくしっとりした皮膚に戻っていた。

 

「──リウルさんの人生を、貴女の時間を僕に下さい。僕の隣にいて欲しいのです。僕がリウルさんの隣を歩む様に、リウルさんに僕の隣を歩んでほしいです」

 

 言葉のナイフが心の臓に突き刺さったように、リウルは感じた。

 

「僕の愛情を受け入れて、僕を愛してください。それ以上は望みません。冒険者である事は、冒険者であるリウルさんと一緒に冒険する事は、僕の生涯の夢なんですから」

 

 言葉のナイフが自身の頸動脈を一瞬で断ち切るさまを、リウルははっきり幻視した。

 

 最後は歴然とした力の差で押し切られた、とリウルは思う。覚悟の差とでも言おうか。所詮恋愛銅級の自分がミスリル級のイヨに勝てる訳が無かったのか。

 

「僕はリウルさんが良いです。リウルさんじゃなきゃ嫌です。リウルさんはどうですか?」

 

 此処まで言われてまだうだうだする様なら最早負け以下だ。

 畜生、負けちまったと。少女は悔しく、しかし晴れやかに思い知らされる。

 

 多分、このやり取りを勝ち負けで判断しようとしている事自体、話せば呆れられるだろう。子供っぽいイヨにすら『子供じゃないんですから』なんて言われてしまうだろう。

 リウルはオリハルコン級冒険者だ。冒険者として最上位に駆け上がるべくそれのみを志して生きてきた女だ。恋愛に関しては銅級も良い所──そして、家庭人としては今此処でやっと、最初の一歩を踏み出す。

 

 俺だって、と。

 

「……俺だってお前じゃなきゃ嫌だよ。お前が了解済みなら遠慮はしねぇぞ。一生依頼でも私生活でも尽くしてもらうからな」

 

 自分で自分の顔が見てみたかった。そう思案すると、一つ思いつく。

 顔を下に向けて真っ直ぐイヨと見つめ合えば──彼の澄んだ金の瞳に、自分の顔が映っている。

 

 ──呆れてしまうほど真っ赤で、情けなくも目に涙をためて、その癖イヨの様に微笑む。初めて見るリウル・ブラムの顔。

 

「お互い様に、ですね」

「ああ──俺もお前に尽くすよ。お前の家族が愛してくれる筈だった分まで、お前を好きになる」

 

 お前の全部を受け取って、俺の全部をお前にやるよ、と。

 完敗を宣言するかのように、空いている左手をイヨの背に回し、全力で彼を抱きしめた。自分より幾分高い子供の体温が身に染みわたる。

 この三日間を埋め合わせる様に、二人は互いを強く強く抱きしめた。

 

「お前、子供好きだろ? さっきも言ったけど、俺とじゃ何時になるか分かんねぇぞ」

「何年だって待ちます。僕の国では三十四十を超えて初子を授かるのも普通でしたよ」

「お前、色恋沙汰の時だけ急に大人っぽくなり過ぎだよ」

「十六歳ならこれくらい普通です。むしろリウルさんが色恋沙汰の時だけ、純で真っ直ぐ過ぎるんですよ」

「なんかすげぇ悔しい。俺はこの三日間ずっと悩んだんだぜ?」

「僕は何週間も前から、どうやったらリウルさんに首を縦に振ってもらえるか考えてましたよ」

 

 旗色が悪いなとリウルは眉をしかめる。勿論口元は緩んでいるが。

 

「俺だって色々お前の事考えてたんだぞ」

 

 ──結局俺が至らなかっただけか。

 

 三人の言った通りイヨは全ての覚悟を完了していた。リウルに寄り添う覚悟。冒険者としても夫婦としても一緒に生きて行く、それが本望だと。

 

 しかもイヨに言わせると、『どうしてリウルさんの中での僕がそんな家庭的なイメージなのかがそもそも疑問。僕なんて殴り合いだけが取り柄だし、家事も出来ないのに』らしい。それでも自分と比べたらよっぽど所帯持ちが似合う人物だとリウルは思ったが。

 イヨは元居た世界での一般的な家庭環境においてなら、家事全般どれをとっても人並みに熟せる自信があった。しかしこの世界には使い慣れた機械装置──家電の事である──は一切なく、その為一からやり方を覚えねば何も出来ないのである。

 因みにリウルは根本的に器用なので大抵の事は出来る。元お嬢様の経歴も何のその、ガキ大将の後冒険者になっただけあって応用力が非常に高い。

 

 時間をやり繰りしてこれから家事を覚えます、とイヨは奮起。そういう所が家庭的なんだよとリウルは返した。二人は依然抱き合ったままで言い合う。

 

「でもリウルさん、少し他人行儀ですらありましたよ。俺についてこい位の事は言ってくれるかもと期待していたのに、『お前にはお前の幸せがあるだろ』だなんて言い出すなんて」

 

 僕ってそんなに遠い存在でしたかね、と当て擦りめいた口調。無論わざとだ。

 

「それは──悪かったよ」

「平穏な家庭なんてどうだって良いじゃないですか。僕とリウルさんなりの幸せな家庭で十二分ですよ。世間一般との比較なんてどうだって良いです。僕たちそのままで等身大の夫婦であれば良いです。別に良い夫良い妻になんかならなくたって」

「……全くもってその通りだな」

 

 リウルは単純純真なお子様であるイヨの事など全て知っているつもりだったのに、この少年はこうして新しい一面を見せつけてくる。出会ってたった数か月、それを考えれば当たり前であろうか。

 

 ──イヨって意外と大人なのかもな。いや、俺が子供なのかな。

 

 正直ガルデンバルドやベリガミニとセットでイヨの保護者である様な意識さえあったのに、今こうして上を行かれている。それがちょっと悔しい。先輩として年上としてイヨをリードしていた日々──なのに色恋沙汰になると逆転する。それが結構悔しい。

 

 負けず嫌いはリウルの生来の性質であった。俺の方が年上だし先輩だし、背だってずっと高いし、これまでお前の手を引っ張ってきたんだぞ、と。別に偉ぶりたい訳では無いが、優位に立たれると覆したくなる。

 

 ──そんなリウルの脳裏に、先達からのある助言が飛来する。

 

『ブラム殿。今後の一生で主導権を握り続ける秘策を教えてあげよう』

 

 閃く逆転勝利の可能性。なんだかんだ言ってもイヨはイヨ。単純純粋純真、ちょろいお子様で知られる男。絶対勝てるに違いない。

 

 ──いやでも、俺も恥ずかしいな……すげえ恥ずかしい……経験ねぇし……。

 

 湧き上がる躊躇い。羞恥。別の意味で顔が熱くなる。しかし、抱きしめているお陰で絶対にイヨに顔を見られる事は無い。

 

 くつくつと沸騰する負けず嫌いの精神。恋愛を勝ちか負けで捉える疎さ。

 

 ──夫婦になるからには何時か絶対するし……速いか遅いかの違いと思えば。

 ──告白はイヨからだし、こっちは俺が先に仕掛けても順番的には順当……か?

 ──経験が無いのはイヨだって同じはず……恥ずかしいのは俺だけじゃない……。

 ──前もって覚悟する時間がある分だけ俺が有利、か?

 

 言い訳染みた──本来言い訳などいらないのに──理論武装の数々。

 

 『ブラム殿。今後の一生で主導権を握り続ける秘策を教えてあげよう』。反響する台詞。リウルの心がぐらりと揺れる。揺れて、一方向に転がり落ちて行く、

 

 ──別に主導権を握りたい訳じゃねぇけど。負けっぱなしは癪に障るだけ──って違う。お礼っていうか謝罪っていうか──これも違う。

 

 これは、これは──そう。

 

 ──これは愛情表現だ。正当で真っ当な愛情表現。世の中の誰だってやってる事だ。俺達がやっても何も悪くない筈。つかこの空気ならむしろやって当たり前。ただそれだけ、だ。

 

 リウルはさり気なく、イヨを抱きしめる腕を背中から腰のあたりに移動。少年の細い腰にしっかりと巻き付け、動きを制限する。続いて握り合った手を優しく振りほどいてフリーに。次の行動の為に準備を整える。

 

「……イヨ」

「はい?」

 

 これ以上予兆は見せない。見せたら奇襲効果が薄れる。リウルはイヨの返答に取り合わず、ただ黙って動いた。

 イヨの身体を持ち上げ気味に、前触れなく背をかがませるリウル。急速に接近するイヨの顔、その眼が驚きに見開かれる。

 

 『ブラム殿。今後の一生で主導権を握り続ける秘策を教えてあげよう──』

 

 それを見て、リウルは助言の効果を、自分の勝ちを確信した。

 

『──有無を言わさず抱き締めて口付けしろ。それで勝てる』

 

 リウルは、リウル・ブラムは──白金の前髪を掻き避け、イヨ・シノンの額に口付けした。

 

 

 

 

 ほんの僅かな接触。時間にして半秒未満。ただそれだけの接触。しかしリウルは、己が勝利の光景を、自身の行いの多大な成果をしかと確認する。

 

 真っ赤っかな頬。首筋。否、肌が見える場所全部が赤い。赤面とはまさにこの事。驚きの余りか目には涙が溜まっている。崩れた表情。不意打ちに震える朱唇。一気に汗ばみ、輝く肌。

 

 可憐としか表現しようのないイヨ・シノンの顔──挑んだ戦いに勝利し、リウルが獲得した報酬だった。

 

 自身の胸の内が急速に満たされるのを少女は感じる。敗北の苦みが勝利の甘露に取って代わり、腕の中の小さな少女の如き少年に対する愛情が深まる。

 

 年上の威厳を取り戻した余裕たっぷりの態度で口を開き、勝利宣言。

 

「イヨ、急にして悪かったけど、これが俺の気持ち──」

 

 思い切り背伸びをしたイヨ・シノンによってその唇は塞がれた。

 

 

 

 

 僅かな接触。お淑やかで節度を弁え、相手のレベルを考慮した控えめな接触。ただし三秒きっかり。

 

 語るまでも無く効果は絶大も絶大。先程とは比べ物にならぬほど。

 

 リウルの顔など最早描写の必要もあるまい。筆舌に尽くしがたい。

 

 イヨは純真そのものの素晴らしい笑顔で、特に誇るでも無く余裕を滲ませるでも無く、ただただ嬉しそうに幸せそうに、真っ赤っかなまま告げた。

 

「お気持ち嬉しいです。──これは僕の精一杯の返答です。これからずっと、末永くよろしくお願いします、リウルさん」

 

 

 

 後日周辺各国に知れ渡ったデスナイト出現事件には、大小二つの情報が付随していた。

 まず大。脅威の大事件と並んで多くの人々を驚かせたもの。

 デスナイト討伐に大きく寄与した冒険者チーム【スパエラ】のアダマンタイト級昇格、公国において二十年続いたアダマンタイト空位の時代が終わりを告げた事。

 

 そして小。個人的な事情であるし、地元以外ではあまり耳目を集めなかった情報。

 ──【スパエラ】所属の冒険者二名が結婚し、尚且つ、今後も変わらず冒険者稼業を続けて行くと決めた事。

 




お待たせしました。
此処まで長く恋愛描写をやるとは自分自身想像もしていなかったです。ですが先の先を考えると大事な話だったと思うので後悔はしていません。
興味のない読者の方には申し訳ないです。次からはストーリーも少しずつですが進むかと。

番外編が何万文字書いても終わりません。下手すると十数万字の分量でお届けする事になりそうです。今現在番外編は三万文字ちょっとまで書きました。

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