ナザリックへと消えた英雄のお話   作:柴田豊丸

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公国の支配者たちと【スパエラ】

「ふむ、皇帝陛下とパラダイン殿に……」

 

 ──願いが二つという点を含め、予想外ではあるな、と大公は思案する。

 

 【スパエラ】が報酬として望むのは金銭か、そうでなければ公国が所有する宝物の類、上記二つでもないなら『望まない』。この三つのどれかだと大公は思っていた。

 

 三つの内どれであっても問題は一切無い。言った通り望めば望むだけくれてやるつもりだったし、望まないなら無形の恩という事で今後の役に立つ。勿論【スパエラ】の頭脳であるイヨ・シノン以外の三人は王侯貴族の習性を理解しているから、出来れば金銭で測れない貸し借りを残しておきたくは無いだろう。

 だから実質の選択肢は二つ。それが事前の予想だった。

 

 そもそも分を弁えない弁えられない欲深の愚か者とは違い、【スパエラ】は基本的に常識人の集まりだと大公は見ている。

 ここぞとばかりに大枚をせしめよう等といった発想とは無縁だ。故に報酬は『救国』に対するモノとして巨額になりつつも現実的な範囲で収まるし、双方が収めようとする。そして、額が大きければ大きいほど、それを惜しまず授ける大公の度量も大きく見える。

 

 しかし、皇帝と大魔法詠唱者に対する謁見の要求とは。これ自体はわざわざ大公を間に介さずとも、アダマンタイト級ならば叶い得るものだが。

 その『託したいモノ』が相当に厄介なのか。

 

 この少年は、こちらの大陸に漂流する以前からアダマンタイト級の実力を持ち、探検家や格闘家としてテラスティア大陸やレーゼルドーン大陸なる広大な大地を渡り歩いていたとの報告が大公に届いている。

 そうした人物の所有物、それも持て余すが故他者に託したいのだと推測される物。何が出て来ても不思議では無く、何が出てくるか見当も付かない。

 

 大公は鬼が出ようが蛇が出ようが驚かないだけの覚悟を済ませると、先を促した。イヨ・シノンは言葉を区切りつつ、考えながらに話す。

 

「私が故郷にて冒険の末に手に入れた物なのですが、私自身は元より、知己の誰であっても持て余してしまうものなのです。四人で話し合いまして、死蔵するには余りに貴重で有用、かと言って悪意ある者の手に渡れば危険。なので、扱い得る力量と良識を持つお方に託すのが良いのではないかと結論が……」

「それで皇帝陛下とパラダイン殿にと」

「はい」

 

 まあ適任ではある、と大公は思う。周辺に冠たる帝国の頂点と、その帝国を六代に渡って見守ってきた第六位階到達者。

 

 ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは大公が知る限り最高の支配者だ。冷徹かつ合理的な人物で必要とあれば血を流す事を欠片も厭わないが、判断基準の一つとして良識も持ち合わせているし、多少危険でも有用な糧となり得るなら引き受けてくれるだろう。

 そして第六位階魔法の使い手であるフールーダ・パラダインは言うまでも無く人類最強の一人であり、尋常な人間の遥か及ばぬ英知も蓄えている。僅かずつ老いてはいるが、それでもこれから先、皇帝が二代か三代は代替わりする程に生き続けるのは間違いない。

 

 『アダマンタイト級冒険者ですら持て余す程貴重で危険で、かつ有用な品物』を預けるのに、彼ら以上の適任を探すのは難しい。国家級の個人を上回るのは超級の国家と言う訳だ。

 

「託するという事は、その扱いに関しても陛下とパラダイン様にお任せするという事かな?」

「はい。私はこちらに来てから日が浅く、お二方のお人なりを存じませんが、立派なお方々と聞いております。……正しい形で、世の中の役に立てて頂きたいと願っております」

「……一応聞いておきたいのだが──」

 

 この問いは傍から聞くと冗句そのものに聞こえるが、大公としては真剣に聞くだけの意味はある問いだった。人生もぼちぼち後半に入ったこの男は、自身の培ってきた常識や世界観というモノが、時には現実に裏切られる事もあるのだと良く知っていたのだ。

 

「私は立場上、あらゆる方面に関して一定以上の知識を持ち合わせていると自負している。しかし、その道の専門家、特に戦闘や魔法といった分野の突出者と比べて己は遥かに無知であるとも自覚している」

 

 支配者が万能、全能である必要はない。それは生ける者であってはどうあろうと成し得ない事だからである。

 ただ支配者は最低限、己が全能でも万能でも無く、他者の存在無くして成立し得ないのだと自覚する必要がある。支配者は自身の支配圏において最上の高みに位置するが、支えを失うと転落し、地に叩き付けられて死ぬ。必要なのは自信でも自虐でもなく、過多過小の無い自覚である。

 

「その託したい物と言うのはお伽噺に聞くような魔神や悪神の一部であり周囲の者を呪うとか、自らの意志を持ち脱走・暴走を企てるとか、物体として仕舞い込んでおく事そのものにすら支障を来す様な存在では無いのであろうね?」

 

 実物を目にした事は無いが、世の中には使用者を洗脳するとか、思考を誘導する様なインテリジェンス・マジックアイテムも存在する。アダマンタイト級冒険者が持て余す物品であればそれに輪を掛けて悪質であっても不思議は無い。

 アダマンタイト級が洗脳されるのも相当な厄介事だが、皇帝や大魔法詠唱者が思考を捻じ曲げられるのは人間世界崩壊の危険性さえある厄ネタである。

 

「いえいえいえいえ!」

 

 そんなまさか、と可憐な少年は顔の判別も付かぬほど首をぶんぶん振って否定した。他の三人も思わずといった様子で立てた手の平を横に振っている。

 

「その、確かに場合によっては相当な危険を呼び込み兼ねないモノではありますが、それ自体は並外れておるというだけで、完全にただの物品でありまする故、殿下のご懸念には当たりませぬ」

 

 第四位階に手を掛けし者、ベリガミニ・ヴィヴィリオ・リソグラフィア・コディコスが否定した。

 

「同質かつ低価値の物ならば市井でも見掛けます。ただその希少価値が少々伝説級と言いますか、私共には使いようもなく、かと言ってただ置いておくには秘めたる可能性が大き過ぎるのです。故に是非とも皇帝陛下に、その下の帝国魔法省とフールーダ・パラダイン様にお預けしたく──」

「相分かった。私から陛下に話を通しておこう。そして、私にその物品の詳細を教える必要はない」

 

 割り込んで請け負うと、イヨ・シノンがまたもや素直にも驚きの声を上げた。大公は思わず、造りではない素の笑いを口元に刻む。

 少年の顔には『物の詳細も聞かず、何故はいと頷いてくれたのか分からない』とはっきり書いてある。これは別に大公でなくとも気付くだろう。

 

 更に驚くのだろうなと十割的中するだろう予想をしながら、大公はイヨ・シノンの口が紡ぎかけた問いに先行して答えを返した。

 

「まず第一に。私は君たちを心から信頼している。その思いは飾らぬ会話を通してより深くなった。第二に、私は皇帝陛下を心より尊崇しており、下されるだろうその判断を正しいと信じている」

 

 実際の所は尊崇では無く尊敬、より優れた存在と認めているが正しく、その判断が正しいかどうかも、信じる信じないでは無く個別の事案ごとの判断によって熟慮の末に決めるが、外面上の立場としてそう答えておく。

 

「君たちが出来得る限り知る者が少ない方が良いと考えるなら、あえて問うまい。そして、私が知っておくべきか否かは君たちに件の品物を託された皇帝陛下が決める事。陛下が知らぬ方が良いと決されたなら私は知らぬままでいるし、知っておいた方が良いとされるなら教えて頂こう」

 

 多分に不安そうであったし、他の三人が見定める目をしていたので──隠してはいるが大公には分かる──大公は出来得る限りの真摯な態度で、四人の目を順に見詰め、物心ついた時より修練を続けた支配者の物腰で言った。

 

「私は皇帝陛下を真に国家の頂点、万民の支配者として相応しい方だと確信したが故、身命と絶対の忠誠を捧げている。陛下に成り代わり私が保証しよう。陛下は断じて邪心に惑わされる事無く、国と民の為を想い、賢明な決断をされるだろう」

 

 幼き頃鏡の前で練習を重ね、帳面に威厳溢るる台詞を考えては書き連ねた日々が思い出されるようだった。青年期には思い出したくもない過去となっていたが、何事も無駄にはならないものだ。

 

 向かいの少年など大きな目を煌かせている。こうも簡単に尊敬を勝ち取ってしまうと、一周回って疑ってしまいそうになるが、この少年に限ってそういう事は出来ない。

 当たり前だがリウル、ガルデンバルド、ベリガミニは少年ほど単純には出来ていない。特段此方に隔意は無くとも、幼子の如き全幅の信頼など大の大人が寄せる筈も無し。その顔貌はあくまでも冷静さを保ち、礼儀作法に則って低頭してくる。

 

「殿下に仲介の労を担って頂き、感謝に堪えません」

「構わん。なんでも申せと私が言ったのだ──しかし君たちは無欲だな。アダマンタイト級にまで至っては己の力で実現できない事の方が少ないだろうが、多少は欲を見せて貰わないと此方も大見得を切った甲斐が無い。まあ、それは二つ目の願いの方に期待しよう」

 

 【スパエラ】としてはそれだけの懸案事項であったのだろう。しかし此方としてはまだ気が済まないよとアピールしつつ、大公は押しつけがましくない程度に飴玉を示しておく。

 

「何度でも言うが、本当に感謝している。公国内において君たちの活動を不法に妨げるモノは、私の目が黒い内は存在させない。帝国、王国であろうと力の限りを尽くそう。何か困った事があれば言ってくれたまえ。何代を重ねようと、大公家は恩を忘れぬ」

 

 大袈裟なくらいが丁度いい。首都救済の功は、どれだけ賛辞を尽くそうと大袈裟にならないだけの価値がある。物質的に清算するのではなく、形なく積み重ねた恩は今後の関係を保つ上で限りない財産となる。

 

「ただ一つお願いしたいのは、今後の公国において君たちの力が必要になる可能性も大いにある故、謁見の機会はある程度時期を待ってほしい。陛下もパラダイン様も多忙であらせられる。勿論君たちが火急にと言うなら私は骨折りを惜しまないが──」

「私共も、あえて皆々様のお手を煩わせたいとは思いません。アダマンタイト級という看板の重さは、焦がれ続けた我々が何より知っております。依頼の絶えない内は公国を離れようとは思いません」

 

 如何に帝国と公国が距離的に近いとはいえ、国家の重鎮との接触を前提とすれば一月か二月は時間が掛かるだろう。

 

 冒険者は他の職業に比してかなりの自由を有するが、アダマンタイト級にまでなると自由気ままにあっちこっち飛び回られるのはかなり不味い。無論行政の側に彼らに命令・強制する権利は無いものの、『二十年ぶりに誕生した唯一のアダマンタイト級』相手に『お願い』する事くらいは許容範囲であってほしいものだ。

 

 この辺り、常識人との会話というのは実に良いものだと大公は思わずにはいられない。彼の周囲には娘を筆頭に、皮一枚剥けば常識を含有していない本性を晒す人間が多いのだ。

 

 その後の話し合いにて、謁見の時期は冬に決まった。大概の生き物が生命活動を低調化させ、それに準じて冒険者も人間国家も幾分活動が鎮まる時期だ。

 イヨにとってはそれが、初の国外への旅になるだろう。

 

「それで、もう一つの願いの方だが──」

 

 晴れやかな蒼空の下で、ぐぅと大きな音が響いた。大公は目を丸くし、イヨはこの上なく赤面。他の三人も思わずイヨに視線を向ける。少年は死ぬほど恥ずかしかった。

 

「……大変失礼いたしました……!」

「いやいや、これは済まなかった。気が逸って朝も早くに押し掛けてしまったからな、私のせいで朝食を食べる時間も無かったろう」

 

 呵々大笑した大公の提案によって、一同は朝食の席を共にする事となった。

 

 

 

 

『父上、父上。あの子との食事の場合、メニューはこれが良いかと』

『……大きく、そして良く焼いた肉。具沢山で熱々な汁物。魚の丸焼き。ふかふかな焼きたてのパンを山盛り、新鮮な生野菜のサラダ、柑橘系の果汁水……随分と大雑把だが』

『以前会った時に食事の好みは聞いたのですがね、大好物は肉と魚と穀物で、好物が野菜と飲み物だと言い切られてしまいました。公国に来てから不味いものは食べた事が無い、みんな美味しくて好きだと』

 

 どうもイヨ・シノンの国に美食を貴ぶ文化は無かったか、国土が痩せていて碌な食物が取れなかった様である。彼が以前良く食べていた料理も質問したが、どれもこれも料理なのか疑わしい様な、栄養補給だけを重視した様な物ばかりだった。

 

 必要な栄養素を固めた粒とか、肉の味が付いた粘液とか、外見を野菜に似せた疑似野菜型の食物とかだ。一体どんな国でどんな文化だとリリーは思った。

 

 またそういう点を抜きにしても、イヨ・シノンの味覚の好みはストライクゾーンが広すぎる。食物でさえあれば口にしたものは全て美味しく感じるといったレベルだ。強いて言えば苦みのある物は好きではないらしいが、それすら『好きではない』だけで嫌いでは無いのだ。

 

『はっきり言って碌な物を食ってないせいで味覚が未発達です。見ただけで原材料と調理法が理解できて、味が想像できる様な料理でなければ出してもポカーンとされるだけとなってしまう可能性があります』

 

 どれだけ手の込んだ料理を出してもそれを受け止めて理解できる教養が無いので、どんな美食家も唸る珍味を出そうと『何味なのかも分からないけど多分すごく美味しい』で止まってしまう。それがリリーの見解であった。しかも、

 

『まず間違いなく、我々が賓客を持て成す時のような料理を彼に出しても困惑するばかりです。何処から如何食べればマナー的に失礼にならないかと、それだけが気になって料理を味わう所では無くなってしまうでしょう』

 

 当然会話も弾みません、とリリーは断言する。

 

『あの子の味覚に合わせるならばそれが一番良いかと。他の者が席を共にする晩餐では宮廷料理に苦労してもらって、我々だけの食卓ではこの料理を出しましょう。無論、最高級の材料を使って最高の調理人が作る最高の品として。そうしてから、煩わしい礼儀作法を気にせず普通に食べる』

『それが一番彼に刺さる持て成しだ、と』

『ええ、そうです。あの子は単純ですから、我々の思いやりと気遣いに大いに感謝感激し、そして尊敬するでしょう。食べた時は今までのどんな食事より美味しいと感動する。他の面々だって彼ほど効果的で無くとも悪くは思わない』

 

 彼の中で我々の評価は鰻登り間違いなしですよ、と悪巧みでもしているかのような、歯を剥いた男らしい笑顔で笑うリリー。外では絶対に見せない顔である。

 こんな彼女も世間では完璧な猫かぶりにて、美貌と人格を兼ね備えた絶世の美女と大の評判。リ・エスティーゼ王国の黄金の姫に並ぶとの評価を得ているのだ。

 

 大公にとっては見慣れた本性であるが、何処で育て方を間違えたのかと、一瞬空虚な思考に身を委ねてしまった。

 

 能力としては申し分なく優秀だし、こうした策も理解できる。

 ──が。

 目の前で『あーあ、今からでも私だけの騎士に出来ないですかねぇ、あれ程の駒があれば私だってもっとこう……一人の人間として野望を追い求める道が……』等とブツブツ呟いている姿は、父親である大公の目から見ても要警戒対象である。そんな隙を見せる気は無いが。

 

 

 ●

 

 

 イヨ・シノンは此処は天国だろうかという心地で料理を口にしていた。

 

 目の前にあるのはステーキだ。大きな焼いたお肉だ。この料理の説明はそれだけで事足りる。

 芯までしっかり火が通った赤身の肉はそれでも柔らかく、かつ噛み応えがあり、一噛み毎に本能に訴える『肉の味』が味覚を強烈に打撃し、脳に多幸感が溢れる。

 

 美味しい。イヨにその美味しさを語り上げるだけの語彙を持たないが、言語化などする気も起こらない程の暴力的に真っ直ぐで飾り気無く、この上なく力強い強烈な『美味』。

 

 複雑でなく、単純で良い。美味しいものそれだけで十分に美味しいのだから。食事はそんな風なのが一番良いのだ。

 前夜の晩餐では見た事も無く、何処から手を付ければ良いのか悩むような高級で難易度の高い料理が所狭しと並べ連ねられた為、イヨは余計にそう思った。

 

 公都を一望するテラスでの食事は雰囲気も抜群である。天気が良いというだけで心が湧きたって良い気分になるのがイヨという人間だが、今感じるこの高揚は決して天気のせいだけではあるまい。その証拠に、リウルやガルデンバルド、ベリガミニの三人も常より和んだ調子で食事を続けている。

 

 大公に『一緒にどうかね』と言われた時には緊張がぶり返す程焦ったが、ふたを開ければ和やかな食卓だった。なにせ大公その人からして、宮廷の作法に縛られない──勿論人として当たり前のマナーは守る──食事作法を実践しているのだ。話題に関しても、【スパエラ】の活動に絡めて良い具合に振ってくれる。

 

「少し前にプルスワント子爵の依頼を受けてくれたそうだね。私からも礼を言うよ、彼は私の盟友でね」

 

 この魚も彼の領地にある巨大湖で取れたものだ、君たちがクラーケンを退治して領民の平和を取り戻してくれたあの湖だよ、大公は続ける。指した先には、大きくて脂の乗った見事な焼き魚が鎮座していた。

 

「巨大湖で取れた水産物の内、特に質の良い物は加工場で〈プリザベーション/保存〉の魔法を掛けて各国に輸出される。その取引によって得られる利益は、近隣の村のみならず子爵領全体を潤すほど大きいものだ」

 

 だから巨大湖で漁が出来ないという事態は、プルスワント子爵領において大きな問題であったのだという。

 

「私も彼から伝え聞いたが、オリハルコン級の名に恥じない成果を上げたと聞いている。こうしてまた巨大湖産のカイオビスを食卓に出せるのも、君たちのお陰だ」

 

 なんでも巨大湖は内陸の湖であるにもかかわらず、海水魚が取れるのだそうだ。魚の姿形や味は海で獲れる同じ種類のものと比較して僅かに違いがある。つまり、世界で巨大湖でしか獲れない産物、巨大湖産の物を買い入れる事でしか味わえない珍味と言え、実際にそう宣伝している。

 

 そうした特徴は珍しい物好きの貴族や財力の誇示の為なら金に糸目を付けない大商人に愛され、輸送上の利点──単純に海より距離が近い──と相まって、プルスワント子爵領、引いては公国の産業として名を高めているとか。

 

 イヨがほえーっと感心していると、大公の話術はベリガミニの歳並外れた頑健さや健啖家振り、近々成人するらしいガルデンバルドの次男について等同席者を飽きさせない身近さと多彩さで花咲いていた。

 常に話題の中心でありつつも、自分だけが語り手の座に居座る事も無い。自然と同席者の口も滑らかになる。淀みのない自然な会話のリレーが其処にあった。

 

 直近の慶事であるイヨとリウルの結婚についても当然口に上ったが、舞踏会や晩餐で散々語られ尽くしたせいでリウルは内心うんざりしており、そうした彼女の気持ちを察したのか、簡単に祝いの言葉を口にしただけで次の話題に移った。

 

 食事が粗方終わり、食後のお茶を楽しむ時間帯にもなるとイヨはすっかり、この優しく公正明大で民想いの君主が好きになっていた。誠にちょろい男である。

 この頃にもなるとイヨは完全に普段の調子を取り戻しており、大公に乞われてユグドラシル時代の武勇伝などを二三披露する程であった。

 

「さて……腹も満たされた所で、二つ目の願いを聞かせてもらえるかな」

「はい……?」

「いや、願いは二つあると言っていただろう? 一つ目は聞かせてもらったから、残る一つを聞こうというのだよ」

「あっ……」

 

 まあ、そういうのを油断、緩みと世間では言うのだが。

 如何に距離を縮めた様に見えても最低限の心構えを捨てない先達三人とは異なり、イヨはもう完全に気が緩んでいたのである。

 『殿下の前で無かったらお説教だぞ』という雰囲気を醸し出す三人から逃れるべく、イヨが慌てて二つ目の願いを口に出す──瞬間である。

 

「お役目見事果たしてまいりましたわ、お父様ー!」

 

 バーンという扉が壊れそうと音を立てて、テラスに一人の少女が侵入してきた。

 昨日とは全く振舞の違う、公女殿下であった。

 

 

 

 

 何度見てもすっごい美人さんだ、とイヨは思った。

 

 自分の人生の内、これほど美しい人と出会う事がこの先何度あるだろうと思ってしまう程。イヨにとって絶対の女性はリウルであり、それは関係が破綻しない限り生涯不変の真理である。だが、まるで人間の手の及ばない雄大な自然現象を目の当たりにしたかのように、感動が沸き起こる。

 

 父である大公からの遺伝であろう鋭い顔付き、しかしその顔貌は子供らしく少女らしい柔らかさを兼ね備え、老若男女を魅了する。怖気だつほど美しく、それでいて親しみやすい。

 

 目鼻や輪郭など細かい部分を語ればどれだけ時間を掛けて褒めちぎっても語りつくせない程、人間の女性として一つの極限にある美貌だった。

 

 ──クソが。

 

 同レベルの美貌を見た事によってイヨの脳が喚起したのは、デスナイトを召喚した吸血鬼の少女だった。漆黒の髪、蒼白の肌、紅玉の瞳。あそこで滅する事が出来なかったのは自分の不手際である。

 

 ──次は必ず滅ぼす。

 

 もう二度とあんな事はさせない。手掛かりの一つも手元にあったのなら、イヨは事件後即座に追撃を進言しただろう。

 

 イヨの顔は内面の感情がどうであろうと威圧感や凄みといったものを表出しない。ただただ幸せに、苦労を知らず──苦労を苦労とも思わず──生きてきた子供の顔である。其処に威厳や権威はどんな表情をしていようと漂わない。

 

 この時、イヨは別に顔色も表情も変えていなかった。一瞬の思い出しであり、一瞬の決意である。なのに──周囲は明らかに異常を検知し、その動作を止めていた。

 

 大公は笑みを消し、三人の仲間は高位冒険者の顔に戻っていた。

 

「……カップを握り潰すんじゃないぞ」

「……はは。一応それも大公家秘蔵の歴史ある物でね、そう簡単には壊れんよ。……アダマンタイト級冒険者の握力すらも耐えるかどうかは、正直自信が無いがね」

「一体どうしたんじゃ、イヨ坊」

「あわわ、ごめんなさい、ちょっと考え事を──」

「【スパエラ】の皆様方!」

 

 ほんの僅かに剣呑な雰囲気が漂い始めたテラスに構わず突進してきたのは、先程派手に登場したにも関わらず、面々からなんのリアクションも貰えなかった公女殿下であった。

 

 見事な白銀の長髪と赤い瞳──吸血鬼のそれと違って、人間らしい暖かみを感じさせる色味の──が陽光を反射して眩いほど輝いている。

 

「私も、私も皆様にちゃんとお礼を言いたかったのです! もう、お父様ったら酷いですわ、自分だけ皆様とお喋りなんて! 私はお父様に言い付けられたお仕事をきちんと果たして来ましたのよ!」

 

 ……威厳、風格、高貴さという点に関しては大幅に劣化しているとしか言いようが無かったが。

 

 イヨは『お姫様って本当にですわって言うんだ、すごいなぁ』程度だが、【スパエラ】の三人は目を白黒させながら言葉を失っていた。正に絶句だ。

 

「私ほんっとうに感動しましたの! いえ、立場上感動するだけなど以ての外の税金泥棒なのですが! でもでも、皆々様の成した事に対しては──」

 

 公式の場では貴族の姫君かくあらんという優雅、貞淑、絢爛を兼ね備えた方であったが、今目の前で身振り手振りを交えながら事件に関わった者たちの勇敢さを褒め称える様は活発、闊達自由奔放といった所だ。

 

 ──つーかこの身振り手振り、動作の幼さ、滅多矢鱈と輝く瞳……イヨに似てる。

 

 リウルなどは無礼にもそう思った。イヨ並みに幼いなどという表現は実質的幼児扱いに等しいので、誠に失礼である。イヨは十六歳で公女殿下は十五歳だが。

 

 大公の笑みすらも僅かに引きつっている様な気がする。口の端が二三度痙攣したかのように見えたが、気のせいかもしれない。

 

「はっはっは……リリー、皆さんに失礼だろう。今少し節度というものを──」

「──特にイヨ様!」

「はい!?」

 

 畏れ多くも大公殿下のお言葉をシカトした公女が、少女の如き少年の手を両手で握った。座ったまま固まったイヨに対して鼻と鼻がくっつかんばかりに超接近し、

 

「貴方の心根、執念、不屈、闘志! 感服いたしましたわ……! 非礼は百も承知で願います、私に仕える私だけの騎士になっては頂けませんか!?」

 

 

 

 一回ならセーフ、言うだけならタダだとリリーは思う。あまり重く受け止めて以後倦厭されては困るが、軽く考えられても今後に差し障る。

 

 故に相手の真面目さに期待し、真剣に、しかし勢いに任せて熱烈に突っ込むのだ。

 

「貴方が冒険者という生き方に寄せる情熱も信念も知っています、リウル様への愛も……! しかし! 私はこの想いを胸の内に秘め続ける事は出来ないのです……!」

 

 歌い上げる様に紡ぎ、イヨの手から離した両手を自身の胸前で重ね、蒼天下のテラスで白銀の姫君がアクトレスの如く、舞う。つま先で一回転し、そのまま舞い落ちるが如くイヨの足元に片膝を付いた。

 

 誰もが公女の独演会を前にして身動き取れず──呆気にとられ、ただそれを見ている。

 

純白のドレス──イヨの目から見えればウェディングドレス染みて見えるデザインだ──に身を包み、繊手を伸ばす。

 

 その動作に込められた意味は明白。

 

 ──どうかこの手を取って頂きたい。

 

 『私のものになって下さい』という、完全に男女が逆転した構図だった。外見だけを語るのであれば美少女が美少女に求婚しているかの如き有様だ。

 そう考えてみれば、両者の容姿は共に優れ、髪色なども銀と金で対を成している。ぱっと見はお似合いかもしれなかった。

 

 後者の少女は外見だけのパチモノであり、実の所は既婚の成人男性だが。

 

「この願いを叶えて頂けたならば、私は貴方の望む全てを与えると誓いましょう。財も、名誉も、愛でさえも! どうか私と主従の絆を結び、歴史の表舞台で踊って頂きたくあります!」

 

 一国の姫君が、地に膝を付いて乞い願う。高位の者がらしからぬ低姿勢を取る行為は、それだけで相手に圧力を伝えてしまう重みがある。

 だが、イヨは気圧されてこそいたが、返答は即座だった。咄嗟に身動きが取れず、無礼にも座したままの返答となったが、揺るぎ無く言う。

 

「申し訳ありません、殿下の御手を取る事は出来ません」

 

 少年の答えが即座なら、少女の答えも同様であった。間を開ける事無く縋る。

 

「何故とは問いません。知っていて申し上げました。──無理を通してなお願います、私のものになって下さい」

 

 ここから、僅かな遅滞も無く言葉が連続した。公女は決然と、少年は動揺しながらという違いはあるが、言葉に込められた決意の固さには相違ない。

 

「私にはもう、一生を共にすると誓い合った女性がいます」

「愛の一番はリウル様、忠義の一番は私。それでも構いません」

「私にとって、生涯の唯一無二がリウルです。互いの同意によってそうある内は、背く事はしません」

「どうしても、その想いに変わりはありませんか?」

「永遠に変わりません」

「そう、ですか……」

 

 ガルデンバルドとベリガミニ、大公の大人三人組はさる人物を見て『おや、昼間だというのに真っ赤な夕日が』等と脳内ジョークを浮かばせたが、それを口に出す事は無かった。大人は空気が読めるのだ。

 

 一人の少女の羞恥と三人の大人の配慮で成り立った空間の中で、公女は緩やかに立ち上がり、イヨに向かって低頭した。

 

「お手間を取らせて申し訳ありません。元よりこうなると予想はしていたのです」

 

 その顔に浮かぶのは美貌からすると意外にも思える、少年的で爽やかな笑顔だった。必要以上には粘らず物分かりの良さと相手の意志を尊重する姿勢を示すのが、好感触で終わらせるコツである。

 

「もう気は済みましたわ。すっぱり、貴方の事は諦めます。でもそう、宜しければ、お友達になって頂けませんでしょうか」

「公女殿下……」

「リリーと呼んでくださいまし。イヨ様だけではなく、リウル様も、ガルデンバルド様も、ベリガミニ様も──」

 

 一段落付いたと同時、満を持して身を乗り出した大公が公女の後頭部に平手打ちを叩き込み、乙女の独演は終わりを告げた。

 

 

 

 

 意図せぬ事とは言え、恐らく世界一高貴な打撃──否、ツッコミであっただろう。

 四人はその目撃者となった訳だが、目の前で起きた常識を超えた事態にどう対応したらいいものか、さっぱり分からない。

 

 一国の支配者が外部の人間の目の前で姫君をぶっ叩いたとか、普通に考えたらかなりの大事件だと思うのだが。字面から想像できるほど真剣でも悲壮でも無いし、いや本当にもうどう反応したらいいやら。

 

 まだドラゴンの殴り込みでもあった方が対応は容易である。常々やっているモンスター相手の戦いなのだから、難易度は兎も角迷う事は無い。

 

「痛い! 痛いですわお父様! お父様と私が不仲等と言う噂が流れでもしたら国政に影響が!」

「すまない……本当にすまない。本性がこれ故、外では一層まともな振舞を義務付けてはいたのだが」

 

 この時ばかりは大公殿下も、年頃の子供を持つ人の親であった。

 

「他言無用で頼む」

「それはもう、此方としても……」

 

 誰に言えるかという話だ。誰にも言えまい。

 公女が手を鳴らして人を呼ぶと、壮年の侍従らしき人物が椅子をもって現れ、低頭して城内に消えていった。

 

「皆様はお父様とどんなお話をされていたのかしら。私も混ぜて下さいまし」

 

 その椅子に当然の如く座って──位置的には大公の右隣である──公女は興味津々の様子で切り出した。【スパエラ】の四人は揃って大公の顔色を窺うが、

 

「……此度の騒動を解決した報酬について話していた所だ」

 

 娘をこの場から追い払うというアイデアに大公は抗いがたい魅力を感じていた様だが、何秒かの沈黙を挟んで、結局会話に加わることを容認したらしかった。

 深々と眉間に刻まれた皺からして、追い出したら追い出したで後で何かやらかすに違いないという現実的な脅威を危惧したのだろう。

 

「………………信じ難いかも知れないが、娘はこう見えても能力的には優秀なのだ。その点においてだけは信じて欲しい。君たちにこれ以上の不利益や迷惑は掛けないと我が名において誓う」

「いやですわお父様、優秀だなんて。私などまだまだ半人前でしてよ」

 

 すごい。何がすごいって、褒め言葉以外の部分を完全に受け流しているのがすごい。イヨですら真面目な場面でこんな事は出来ない。先程のプロポーズ──違うけれども──といい、色々な意味で常人とはかけ離れた感性をお持ちらしい。

 大公がこう言う以上【スパエラ】の側から追い出して下さいとは到底言えないが、一抹の不安を感じる瞬間だった。

 

 

「お父様からも話はあったと思いますが、皆々様の働きは正に英雄的なものです。その筆頭たる【スパエラ】の皆様に対して、公国はあらゆる賛辞報酬を惜しみませんわ」

 

 ──なんでも仰ってくださいませ。

 

 真面目な顔さえしていれば本当に人間離れした美貌で高貴なお人なのだが、どうも先程の暴走が脳裏に刻み込まれているせいか、裏表の表としか思えない四人であった。

 

「は、はい。私たち【スパエラ】は報酬として──」

 

 代表として口を開くのはイヨだ。こういう場合普段はガルデンバルドがやり取りを行う事が多いが、少年の成長の為積極的に経験を積ませたいという思惑があり、事前に代表者をイヨと決定していた。

 自分たちがこの先どれだけ冒険者を続けていられるか年齢的に不確かなので、若年組であるイヨとリウルに出来るだけ多くの経験を積んでほしい。それがガルデンバルドとベリガミニに共通する思いだった。そうすると、必然的に矢面に立つのは未熟でありより早い成長が望まれるイヨとなる。

 

「──比類なき武具を賜りたく存じます」

 

 

 

 

「武器は強い神聖もしくは炎の属性を持ち、防具は負・邪悪・死霊系の魔法に耐性を持つ物が望ましいです」

「聞くまでも無いだろうが──それは、今回の事件の首謀者と目される吸血鬼対策の為の物と考えて良いのだね」

「その通りです、殿下」

 

 ──次こそ一欠片も残さず滅却してみせます。

 

 少年の言葉に、他の三者が強く頷く。瞳には決意と戦意。

 一度戦った敵。自分たちが取り逃がした獲物。生者を好んで襲う不死身の災害。新アダマンタイト級チーム【スパエラ】は、首謀者である吸血鬼を因縁の怨敵と認定していた。

 人類の切り札たるのがアダマンタイト級冒険者である。国をも滅ぼしかねないモンスターの存在はどうあっても放っておけない。

 

 倒す。必ず。その為には、伝説級の超アンデッドであるデスナイトすら屠るだけの力がいる。その為に願い出た報酬だ。

 

 大公側としても公国の保有戦力で吸血鬼を倒すのは相当に困難な以上、国内最大級の戦力である対モンスターの専門家、しかも撃退実績を持つ者たちに依頼を出すだろう事は想像に難くない。というかそれ以外にどうすれば良いのかという話だ。

 

「成る程、頷ける報酬だ。念の為幾つか聞いておきたいのだが、アンデッドに対して神聖属性や炎属性の武器を用いるのはこの上なく正攻法だな。此度の吸血鬼は高い知能を持つと聞く。対策の可能性は?」

 

 対策されるのならそれはそれで結構です、とイヨは先程までとは打って変わって、冷静に冷徹に言った。感情豊かな平時の態度では無く、戦闘時の徹底的で熱狂的な物腰だ。

 猛り狂うが如く打撃を浴びせながら頭は冷え、状況を冷静に見ている。それが戦闘者イヨ・シノンの姿。その切り替えはこの底の浅い少年にあって唯一、怖さを感じさせる要素だ。

 

「殆どのアンデッドにとって神聖並びに炎の属性は大きな弱点です。その両方に十分な対策をするなら他の部分に回す余力は少なくなり、疎かになります。それはそれで好機かと」

 

 異形種は人間種や亜人種では及びも付かない強大な力や特殊能力を持つ代わりに、明確な短所や大きな欠点を持つ場合が多い。

 

 全身を神器級で完全武装したカンストプレイヤーですら、全ての弱点に完全な対策をする事は出来ないのだ。

 

 だからこそ駆け引きが生まれる。相手に偽の情報を掴ませて勝負を有利に運ぶのは基本中の基本だ。だからこそ此処一番でそれを成功させるのは難しく、トップクラスの場でそれを成し遂げ勝利する者が強いプレイヤーと呼ばれる。

 

 相手の弱点を突く。相手に弱点の対策をさせる。リソースを使わせる。実際に対策されてもされなくとも損は無い。此度の女吸血鬼の実力ならば囲めば滅ぼせる。むしろ戦力としては、

 

「私からも宜しいでしょうか。此度の事件で暴れ回ったのは吸血鬼が召喚したデスナイトなるアンデッドです」

 

 能力的には優秀という大公の言、そして城下での噂は幸いなことに真実であったらしい。官僚的な口調で問いを投げた公女リリーの姿は、【スパエラ】の彼女に対する評価を大いに改善させていた。

 

「シノン様やエルアゼレット様からの報告によりますと、かのアンデッドは炎に対する脆弱性を持たず、剣技においては人間の最高峰を遥か上回り、死者を不死者にする特殊能力を持つとか」

 

 召喚から一歩でも出遅れれば敵戦力は倍々に──実際にアンデッド化の能力を持つのはデスナイトとスクワイア・ゾンビまでだが──膨らむ可能性がある。

 幾ら戦力を揃えても、死んだ傍から敵に回られるのではキリがない。凡そデスナイト相手の戦闘において、『これだけ揃えれば安心』と楽観できる戦力は事実上用意が不可能だ。

 

「一つの仮定として、デスナイトが生み出したアンデッド軍に他の戦力を全て拘束されたと前提した場合、【スパエラ】の皆様だけで吸血鬼とデスナイト、もしくは更に増えるかもしれない召喚モンスターに勝利できる可能性は如何程でしょうか」

「大いにあり得る状況ですね……」

 

 実際、戦力的に考えてもデスナイトと相対出来る者は相当限られてくる。疲労しない三十五レベルと向き合って殺されない者は相当稀有だ。そういう意味でも『敵首魁対アダマンタイト級冒険者。そしてそれ以外』という構図はありがちである。合理的だし、自然だ。

 当然イヨたちもそうした状況は想定してきた。

 

「勝算は十分あります。此方から攻めて掛かるならばまず勝てる、と言って良いかと」

「根拠をお聞きしても?」

「まず一つに、今回、私は武器を装備しておらず、また他の装備品も最適化しない状況でデスナイトと当たりました。あれが私の実力の全てではありません」

 

 イヨの普段の装備は移動力の強化やバッドステータス・デバフに対する耐性、各種魔法に対する抵抗を主眼に揃えられている。それ以外には【アーマー・オブ・ウォーモンガー】の重装形態に耐える為の筋力強化などだ。

 

 武器に至ってはアンデッドに完全無効化される毒武器である。デスナイトと相対した時などは素手だったのだ。

 それらを対アンデッド仕様に組み替えれば実質戦闘力は跳ね上がる。

 

 元よりイヨとデスナイトのレベル差は五レベル。圧倒的不利だが、絶対的不利ではない。腕と装備で覆せると、イヨはユグドラシル時代の経験から断言できる。

 

 なにより、冒険者の強みは数と連携、多種多様な手段でもあって敵を追い詰める所にある。これは相手にも言える事だが、一人から四人になれば取れる手段や対応は数倍になるだろう。

 

 人類の天敵を取り逃がすという大失態を前にしてイヨの心は燃えている。確実に討ち滅ぼす力を手に入れる。それは素の実力の向上も含んでいる。

 

 より苛烈に自分を追い込み、叩き上げる。もっと強くなる。その必要性をイヨはひしひしと感じていた。

 

「デスナイトを単身で抑える事は今回ですら出来た事です。装備を整えチームで当たれば、吸血鬼とデスナイトを同時に相手取り、尚撃破する事も十分に可能と存じます。──ただ」

「ただ?」

 

 勝算を語る意気を落とし、イヨは仲間たちと話し合って出した結論を告げる。冒険者組合とも同じやり取りをした。

 

「──私が出会った女吸血鬼。あれが全ての元凶、敵の首魁とは思えなくなってきました」

 

 

 

 

「……報告には無かった推測だな」

 

 演技でなく、正真の寒気から大公が零す。

 

 通常、吸血鬼は白金クラスの冒険者ならば問題なく討伐できる難度のアンデッドだ。

 だが此度の女吸血鬼は外見からして一線を画す特徴的な存在で、単純な身のこなしでも通常の域を上回る身体能力を見せた存在である。

 

 まず間違いなく通常出現する事のない上位吸血鬼──未だ結論は出ていないが、宮廷魔術師たちの分析では国堕としで有名な〈吸血鬼王侯/バンパイア・ロード〉では無いかとの推測もあるのだ。

 

「それより上の存在がいる、と……?」

「対峙した者が私しかいませんので、私の主観がその予感の根拠となる事を前置いておきますが──あの女吸血鬼は戦闘に不慣れな様に見受けられました。単に魔法詠唱者だから肉弾戦を不得意とするといった感じでなく、戦いそのものに疎い様に思えるのです」

 

 底が浅く思えるのだ。極めた一事は万事に通ずるというが、あの女吸血鬼から円熟した技術や芯に通った実力は感じなかった。

 

 イヨが殴り掛かった時、吸血鬼は避けようとした。脅威的な身体能力の、しかし大して武に通じていない動きでだ。デスナイトを召喚できる程の魔法詠唱者なのだから前衛としての能力を持っていないのだと考えれば一応納得できるが、熟達した魔法詠唱者は妨害を受けても集中力を持続させ、魔法を発動させるという。

 ベリガミニ程の強者ならば身を切り裂かれながらも発動を完遂し、魔法を放つ事とて不可能ではない。

 

 驚きの声を漏らし、無様に、霧と化す能力を持ちながらも身を捻って攻撃を避けようとしたあのアンデッドがそれほどの超高位魔法詠唱者なのだろうか。冷静になって考えれば考える程、振舞と想定される能力が見合わない。

 

「魔法詠唱者の全てが戦闘者と言う訳でもありません。研究者肌の高位魔法詠唱者も存在します。そうした人物なのでは?」

 

 公国の筆頭宮廷魔術師など正にそのタイプである。第四位階に到達した人物ながら戦闘の場では何の役にも立たない、しかし研究室においては有能な魔法詠唱者だ。

 

「公女殿下の仰る事も最もだと思います。それなら納得がいくのも確かです。ただ、私の中で懸念が消えません」

 

 イヨが言えた台詞では無いが、逃げるか戦うかの判断より先に罵声を吐く事を選んだあの吸血鬼が其処まで頭の良い存在とも思えないでいた。勿論、頭が良くて実力があっても沸点の低い人は存在するけども。

 

「あの女吸血鬼は、自身を『偉大なる父の子』と表現しました。およそアンデッドの台詞とは思えないものにも聞こえますが、吸血鬼は下位種の創造能力を持ちますので、それを考えれば違和感はありません──」

「その『偉大なる父』やらは更なる上位種である可能性が濃厚となる。それが今回の首魁、敵の親玉やも、か」

 

 勿論推測だから、否とも応とも確たる事は言えない。しかし、不確実として下げるには余りに悍ましい可能性だ。

 

 ──もしデスナイトの召喚・作成を可能とするならば、その者はフールーダ・パラダインすら超える第七位階魔法詠唱者である可能性すらある──エルアゼレット・イーベンシュタウの言葉が大公と公女の脳裏で木霊した。

 

 そうすると敵の想定戦力は更に増大する。真の首謀者である『偉大なる父』と今回姿を見せた女吸血鬼、そして召喚されるデスナイトだ。

 

 場が重い沈黙に包まれる。此度、存在が浮かび上がったのは人類最高戦力すら上回る超害悪だったのだ。晴れやかな陽光の下でさえ、宵闇に潜む不死者の存在を思えば身の震える思いがした。

 

 長い沈黙の後、

 

「……私はこの国と、其処に住まう民を愛している。実の息子は二人も亡くしてしまったが、残った一人娘と民だけは、何としてでも守り通さねばならない」

「……殿下」

 

 総員の視線が大公に集まる。その猛禽の様な眼差しに、その奥深くに宿る暖かく強い光に。

 

「地位を望むならば伯爵位を授ける用意がある。そう言ったのを覚えているかな、諸君」

 

 それ程の恩を感じていた。それだけの褒美に値する大功であり、もしうんと頷かれたのならば事実そうしてやるつもりだった。

 

「我が大公家は公国の支配者にして守護者であらねばならぬ。そして、大公家は恩を忘れない。功を立てたのならそれに見合う褒美を。国と民を守る為に出来得る全てを」

 

 ──巨悪を打ち破るべくなりふり構わず力を求める、その姿勢に私も乗ろう。

 

「恩を返す為、そして公国の未来を守る為。我が国で唯一かの者共を打ち滅ぼし得る戦力である君たちに、私から約束しよう──領地一つに匹敵する武器を。伝承の英雄たちに並ぶ防具を、必ずや君たちに与えよう」

「はっ……! 私共もアダマンタイト級冒険者として、必ずやかのアンデッドを討伐し、人々の憂いを払うと誓います!」

 

 座した椅子から立ち上がり、大公と公女に礼をする。忠誠を誓う臣下の作法とは異なるが、それは確かに君主に敬意を払う民のものだった。

 リウルもベリガミニも、ガルデンバルドも──そして今はイヨも、公国に住まう一人の人間なのだ。

 民を守る主君としての大公の姿には、跪くに足るだけの威厳があった。

 




大公「実の息子は二人も亡くしてしまったが~」←殺したのはこいつです。

大公の言ってる事は言葉も想いも本音ですが、その表し方には演技が入ってます。率直に言うとカッコつけてます。シナリオ上あり得ませんが、大公と公女はパンドラズ・アクターに出会うとテンションが上がる類の人間です。

【もしイヨが百レベルの人間種だったら】の書き溜めは現在5490文字です。
【もしイヨが百レベルの異形種だったら】の書き溜めは現在50229文字です。連載版のタイトルは【終にナザリックへと挑む暴君のお話】に決定いたしました。本編と同じく、ナザリックは最後まで登場しません。実際の投稿はかなり先になりそうです。

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