「第七、第八位階だと……」
「はい。これらを託したいのです。強大で豊かな帝国を治められ、史上最高の賢帝と称えられるエル・ニクス陛下に。史上並ぶ者無き大魔法詠唱者、大英雄、帝国の守護者たるパラダイン様に──国を治めるという事は、綺麗事だけで済むほど容易い事ではないと頭では理解しています──」
実在するのか。正直に言えばジルクニフの第一の感想はそれだった。
フールーダから幼少より教育を受けただけあって、ジルクニフの魔法に関する知識は深い。しかし受けた教育はあくまで支配者のそれ、帝国の頂点に立ち国を差配する者の知識や心構えを学んだのだ。
実際に魔法詠唱者では無く、当然自分が表に立って戦う事も魔法を使う事も論外な身分の人間として、教養や魔法詠唱者たちを運用する側の視点で高度な魔法教育も受けた、という話だ。
フールーダの操る第六位階魔法は英雄の域すら超えた領域、現実的には並ぶもの無き高みだ。実際、二世紀以上の年月を魔法だけに捧げたフールーダ以外に、表立って第六位階、もしくはそれ以上の領域への到達を証明して見せた人間は存在しない。
もし存在したならフールーダは今頃帝国の首席宮廷魔法使いでは無く、その人物──例え人以外の種族だったとしても──の弟子であっただろう。二百年以上も己の上に立つ存在がいない事を悲嘆する日々を過ごした訳は無い。
第七位階以上の魔法とはそれ程にあり得ないもの──もっと率直に言えば噂だけの存在。現実には存在しないと言い切る者ですら珍しくないお伽噺の英雄譚に登場するものだ。それに、英雄譚の英雄たちですら実際に七位階以上の魔法を行使したかについては謎が多い。
「──しかしそれでも、お願いいたしたく。これらをどうか、世の為人の為に役立てて頂きたいのです。……これらが使い方次第でどういう結果を及ぼすか──私ですら分かる事です。それは避けたい、そんな事は起きて欲しく無いのです」
「──うむ。シノン殿の言う事も最もだ」
──何が出るかと思っていたが、まさかこんな物が飛び出すとは。
当たり障りのない返答をし平静を装いながらも、ジルクニフは重厚な机の上に並んだ四つの品物に視線を走らせた。
本物だろうかという少しの疑い、こうまで手間を掛けて調べればすぐ分かる偽物を出す筈がないという判断、中身の魔法がなんであれこれが帝国の物になればどれだけの可能性が生まれるかという打算が脳裏を高速で走り始めた。
一定の知識を持つだけで実際には魔法を使う事のないジルクニフですらこうなのだ。その道に全てを捧げた魔法詠唱者がこれを目にしたらそれこそ発狂寸前の驚愕を味わう事になるだろう──そう、例えば隣にいる、正に魔法だけに全てを捧げて数百年のフールーダの様に。
──フールーダ。
ぞわっと、特大の悪寒が皇帝の背筋を走った。
そうだ。自分ですらこうなのだ。あのフールーダが、熱狂的な数百年物の渇望を内に秘めた大魔法詠唱者が、こんな代物を前にして平静を保てる訳がない。
横を向くというただそれだけの動作が、加速した主観時間の中でひどくゆっくりに感じる。
──分かっているのか、フールーダ。
目の前の歴史的な逸品たちは、イヨ・シノンがこの大陸に来る以前の冒険で手に入れた物。つまり彼の個人的な所有物だ。
そして、外見通りに子供じみた考え方を持つこの少年の思惑は『手に負えない、しかし死蔵にするには価値のあり過ぎるアイテムを扱い得る力量と良識を持つ者に託す事』である。
第三位階に到達した魔法詠唱者ならば、直線貫通の魔法である〈ライトニング/電撃〉や範囲魔法である〈ファイヤーボール/火球〉で一度に数人から十数人を殺傷するのは容易な事だ。
第五位階に達した信仰系魔法魔法詠唱者なら死者の蘇生を可能とする。
第六位階に達したフールーダの戦力評価は帝国全軍にすら匹敵する。
中に込められている魔法が実際にどのような物であれ、第七、第八位階の魔法ならば、その価値や威力において第六位階魔法を上回る代物であるのは確定的であろう。つまり、使い方次第で多数を生かすも殺すも自由自在と言って良い様な、お伽噺の大偉業を現実にする様な代物だ。
アダマンタイト級冒険者に至る様な英雄的な戦闘力を持ちながら、同時に小市民的な、善良な一般人の感性も持ち合わせるイヨ・シノンからすれば、そんな代物を安易に世に出したくない、下手な人物には渡せないと考えるのも当然である。
幼き頃よりフールーダの最も近くにいたと言っても過言では無いジルクニフにとって、フールーダの魔法に対する執着は承知の事だ。尊敬する恩師であり、肉親の様にすら思っている人物だが、魔法が関わると途端に少し駄目な人間になる事もある。
──此処でそんな面を出すな、爺。
感情的に言えば理解は出来る。数百年を費やして未だに辿り着けぬ魔法の深淵、それそのものが目の前にぽんと現れたのだ。積み上げた努力と焦がれ続けた情熱は積年等と言う通り一遍の表現では到底語り尽くせない。
常人の人生数回分に渡って求め続けた答えそのものが目の前にあるという状況──多少狂気的で常軌を逸した行動をしようとも、それが人前でないならばジルクニフはその姿を強くは咎めず、むしろ長年の想いが報われた事を祝福する気持ちすら抱いたかもしれない。
──だが、そんなものは他人には関係の無い事だ。
そう、それはあくまでフールーダの人となりを理解する身内であるジルクニフの見方である。『良識と力量を両立する人間に託したい』イヨ・シノンからすれば、『我を忘れて発狂したかのような行動』などそのまま『我を忘れて発狂している姿』でしかない。
世間一般に語られるフールーダの姿がどれだけ英雄的で賢者的で、イヨ・シノンがそれを見込んでこうしてフールーダの下を訪れていようとも、百聞は一見に如かずを地で行かれれば又聞きの印象など簡単に覆るだろう。
何処の誰が、狂人の如く喚き立てる人物に『大勢を生かすも殺すも自由自在の力を持つ歴史的な物品』を託したい?
託したくないに決まっている。狂気の勢いで暴発されたら堪らないからだ。
目の前のアイテム類は帝国としても見逃せない。是が非でも己が手の内に収めたい。この機会を逃せばこんな希少品を手に入れる機会は、それも労せず相手の方から近寄ってくるような事は二度とないだろう。
これを逃してしかも他所に持っていかれたのでは二重の損だ。逃した魚は大きい所の話では無いし、ある意味自業自得とは言え、目の前にブラ下げておいて『やっぱり嫌です渡しません』ではフールーダが素直に納得する筈も無い。
感情の爆発によって実力行使に訴える可能性すらない訳では無かった。アダマンタイト級冒険者と帝国首席宮廷魔法使いが殺し合うなど語るも愚かしい大問題である──人類有数の頭脳を持つが故に、数瞬の間にそれだけの思考を働かせたジルクニフは、出来るだけ強く、しかし冷静な言葉で傍らの大魔法詠唱者の名を呼んだ。
落ち着け、とそれだけが伝わる様に。加速した主観時間の中で横を向くという動作が遂に完了し、
「フールー」
フールーダの姿は隣には無かった。
●
誰もいない右隣という目の前の光景を脳が処理し『──は?』という感想を抱くに至るまでジルクニフの明瞭な頭脳は僅かな時間も要しなかったが、その僅かの間に正面からイヨ・シノンの驚愕する声が響いた。
「おっわぁ!?」
「失礼いたします──疑う訳ではありませぬが、魔法による鑑定を行ってもよろしいでしょうか?」
「ど──どう、ぞ?」
再度正面に向き直ったジルクニフが目にしたのは、何故か机を挟んでイヨ・シノン側に姿を現して立ち、少年の顔を覗き込む様に腰を曲げている大魔法詠唱者フールーダ・パラダインの姿だった。鍛えられた冒険者だけあって【スパエラ】の四人は腰を浮かせて防御姿勢を取り掛けていたが、フールーダが何事も無かったかのように言葉を紡ぐと、隠し切れない奇異の目を向けながら座り直す。
イヨ・シノンが最後に取り出し、未だ彼の手中に存在していた古びた本を直接手渡され、さらに既に机上に並べられた品々も拾い上げて、フールーダは申告した通りに魔法を掛けて鑑定を行っている。
『この短距離で手を伸ばす時間すら惜しんで転移魔法を使用しやがったなこの野郎』と皇帝らしからぬ想いを抱く間に鑑定は完了していた。
皺だらけの顔面が、長大な白鬚で覆われた口元が、名状しがたい複雑な感情によってぐんにょりと形を変え、
「おお……おおぉおぉ……!」
地の底から響くような、万感と言うのも生易しい物質的な質感すら感じられそうな低い声がフールーダの口腔から漏れるに当たって、ジルクニフは己の努力の全てが水泡に帰す事を確信した──が。
「これは、確かに仰られる通り、第五から第八位階──常識を超えた高位魔法の数々が込められている……仔細は分からずとも間違いは無い。シノン殿──このような代物を本当に、帝国に?」
聖人の如き清らかな面相に人並みの驚愕を張り付けて、フールーダが誠に正常に、この上なく理知的な態度で礼儀正しくイヨ・シノンに問うていた。
「は、はい。それでその、お二方の人となりを疑る訳では御座いませんが、あの──人の道に外れる様な……」
「おお、シノン殿。それは言うまでも無い事。これ程の大きな力、正しく使えばどれだけの民草を救えるか──使い方を誤れば、どれほどの厄災となり、人々を不幸にするか……」
狂乱や錯乱、異常行動の臭いなど僅かにも感知し得ないその姿は正に誇り高く同時に慎ましく、思慮深く慈悲溢れる賢者然としていて。
魔法の深淵を前にしたフールーダ・パラダインにあり得る筈も無いその姿を目にした瞬間、私人としてのフールーダを知っているジルクニフとバジウッドは揃って『誰だコイツ』と思った。
●
もしも目の前に現れたのが『深淵の魔法が込められた品々』では無く『深淵の域に至った魔法詠唱者』であったならば、フールーダはどうあっても表面を取り繕う等と言う理性的な行動は取れなかったであろう。
それは誰よりもフールーダ自身が認める所だ。老いた身体に内包した魔法に対する執念と執着は、理性や常識等と言った貧弱な枷と手綱で御せる範囲を遥か彼方通り越している。
自分を上回る魔法詠唱者が、自分を指導し更なる深淵に導いてくれるかもしれない存在が目の前に現れたのならば、フールーダはどんな状況であろうとも構わず平伏し、懇願し、靴を舐めてでもそのお方の弟子になろうとしたに違いない。
そのお方がなにか条件を付けたのなら思慮を挟む事無く全てを受け入れ、肯定しただろう。
魂を捧げろと言われれば捧げ、帝国を売れと言われれば瞬時に売り渡したに違いない。
あらゆる全てを投げうってどうかお慈悲を、深淵の知識をと、許しを得られるまで百度でも二百度も頭を床に打ち付けただろう。
大魔法詠唱者という名高き勇名も、帝国の守護神という名声も、深淵の魔法とは比べるに値しない取るに足らぬ些末な物であり、そんな程度の外面をかなぐり捨てるのは容易に過ぎる。
だが、今目の前にあるのは『第五から第八位階の魔法が込められた品々』であり、『それらを冒険の末発見し所有する人物』である。
──どれほど懇願したとてフールーダを深淵に誘ってなどくれない。『自らの手に収まらないからとフールーダを頼ってきた』この少年には、魔法に関する知識も力も無いのだから。
ならばどうするのが最善か。
フールーダに漲る魔法に関する欲求は目の前の深淵の魔法を己がものとする為に──そしてそれらを己の下に運び込んできてくれたこの少年と【スパエラ】から、徹底的にそれらに関する知識を搾り取る為に、自らが有する全知全能を動員していた。
──自分であったらこんなモノは絶対に他人には渡さない。
──出して見せたこれが全てなのか?
──悪しき者の手に渡る事を懸念するのならば、渡した相手が悪しき存在だった時の為に、対抗する力を己が手の内に残さんとする打算もあると想定しても不思議は無い。
──こんな超級の遺物を手に入れるほどの冒険を繰り返してきたのだ、二つを合わせて考えればまだ何か持っている可能性は十分ある。
──このアイテムを入手するに至った冒険とは? どこでどうやってこれらを手に入れた? 当時の状況や、もし遺跡ならばその年代は? 様式は?
──過去の遺跡や遺産ならば自分だって手を尽くして予算や時間の許す限り探した。でも見つからなかった。単に運か? それともこの大陸とイヨ・シノンの出身大陸では魔法技術の発展に差があった?
──話が聞きたい、根掘り葉掘り全て。
──この者の持つ鎧は三形態に変形するという非常に希少な能力を有すると共に、硬度において最硬の金属であるアダマンタイトを上回るという情報もあった。深淵の魔法との関りは?
──他の大陸の魔法知識もやはり欲しい。
──人に渡す間に自分自身でも、そして仲間内でも調べる事はした筈。その上で手に負えないという判断を下したからこうして他者に頼みに来た。既に判明した情報があるならばそれだって欲しい──
無数の欲望が火花の様に瞬いて、一つ一つの可能性が他の可能性と絡み合い、フールーダの脳内を埋め尽くす。
──この縁は切ってはならない。
目の前のアイテム群が内包するのは途方もない価値を有する深淵の魔法そのもの。今までの欠片の様な僅かな情報を下に試行錯誤するより、暗闇の中を手探りで進むより、ずっとずっと比べ物にもならない躍進を約束してくれる。
そのものだ。深淵そのものが目の前にあるのだ。マジックアイテムの形をとって、其処に込められているのだ。
現物がある以上調べ上げれば幾らでもその要素を知る事が出来るのだ。
どんな小さな点も見逃さず徹頭徹尾徹底的に調べ上げ、情報を術式を方式を理を成り立ちを素材を手順を解明し──そして吸い上げられるだけ吸い上げてから、実際に使用してみて魔法そのものを観測し記録し記憶し、今まで積み上げてきた研鑽の成果と照合し類推し比較し相違点を洗い出し、そのデータを徹底的にまた分析する。糧にし尽くす。
──人を殺すだとか殺さないだとか、不幸にするとかしないとか、人の道がどうしたこうしたと。そんな些末な事の為にこのアイテムを無駄遣いするなど、そんな愚行は己の目が黒い内は誰にもさせない。
──誰にも渡さない。渡してなるものか。
例えどれだけ困難であろうとも、どれだけ難易度が高く時間が掛かっても、最早焦る事は無く絶望を感じる事も無い。焦がれ続け探し続けた到達点が見えていて、そして其処に向かって真っ直ぐに走って行けるのならば。
内面の感情の波とは全く切り離した所で、フールーダの口が身体が別人のそれの様に動作し、イヨ・シノンやベリガミニ・ヴィヴィリオ・リソグラフィア・コディコスと会話している。比肩するもの無き英知と民草を慮る慈悲と、そして他者の命や尊厳に敬意を抱く賢人そのものの態度で。
その内容は彼らの賢明さと誠実さ、偉大さを讃え、そして自分をこの様な貴重な品を預けに足る相手と見なしてくれた事に感謝し──そして、私などで良いのだろうかと謙遜する様な態度も取る。
そうした迫真の演技をする事によって好感度を向上させ、より親身で好意的な感情を育て上げる。更なる情報を──実物を調べるだけでは得られない種類の情報を、自分ではない他人の視点での解釈を──得る為に。
今にも狂った様な笑いが口を割って迸りそうだ。目の前のイヨ・シノンと【スパエラ】という存在が実態以上に美しく大きく荘厳に見え、まるで天使か何かの様に神聖な光を放っているように感じた。天使と称してもなんら可笑しくないだろう、この者たちは正に、フールーダの下へ魔法を司る小神からの贈り物を届けてくれたのだから。
自分を見込み、自分を信じて、このフールーダ・パラダインならばと考えて目の前に深淵を曝け出してくれたのだから。もしイヨ・シノンが転移の罠に嵌まる事無く此方の大陸に来なかったら、そうでなくとも何かの間違いや手違いで他の誰かの下に持ち込まれ、自分がこれらの存在を知る事が無かったらと思うと気が狂いそうになる。
もしそうなっていたら、自分はこの確かに存在する深淵を見る事も無く、また虫の這う様な遅々とした速度で進歩を続け、そして何時か伸ばした寿命も尽きて死んだに違いないのだ。
だが。
ほんの数分前ならばフールーダの心に暗い影を落とし、弟子たちに対する嫉妬の炎を燃え上がらせたに違いないそうした悲観は、もう笑い飛ばせてしまえるほど遠いものになっていた。
──この縁を切ってはならない。利用する、全てを。吐き出させる、全部を。絞り尽くす、一切を。
──その為に、まずは。
フールーダは笑顔を作った。作られた物とは到底思えない、人に安心感を抱かせる大英雄の笑顔だった。
「貴方方がこの私に託してくれた可能性を、神域の魔法を埋もれさせはしませんぞ。魔法の更なる発展は必ずや帝国の、いや人間種族の全体の大いなる財産となりましょう。どれ程の時間が掛かろうとも、この域に追い付き、そして民草の為に役立ててみせましょうとも」
「ぱ、パラダイン様……!」
人間離れした執着とタガの外れた欲望が、フールーダの弁舌能力を異常な領域に引き上げていた。そういった系統の職業を一切有していない為、相手の意識や心に直接働きかける様な特殊能力の類は無いが、その言動は真なるものとして、大英雄の言葉として相手に届く。
こと魔法に関して狂人と言っても過言では無い執着の持ち主が、その執着故に、人の身に余る莫大な欲望を完全に制御し切っているのだ。
研究者であったフールーダの、これは一世一代の芝居であり大演説であっただろう。確実にこの場を回しているのはフールーダであり、主人である筈の皇帝ジルクニフを脇に追いやる程の圧倒的な活躍振りであった。
「私からも言わせてくれ。確かにシノン殿の言う通り、国を差配する、守るという事は綺麗事だけでは回らない。私自身綺麗な手はしていない。……しかし、それでも踏み外してはならない一線というものは存在する。私やフールーダの目が黒い内は、バハルス帝国がその一線を犯す事は無いと誓おう」
ジルクニフとて武力での粛清を行った人間であるし、無能や外道を闇に葬り、処刑台に送った事も数えきれない。しかしそれらはバハルス帝国を今の形にするのに間違いなく必要な行為で、私腹を肥やす意図や血に酔った様な理由は無かったと断言できる。
故に、この言はある程度真実だし事実で、今の所嘘にする気はない誓いであった。まあ、今までのジルクニフを調べ許容したから【スパエラ】もこうしてアイテムを持ってきたのだろうし、今後特に方針を転換する気はなどは無いが。
大魔法詠唱者を皇帝が側面から補佐するという普段とは逆転した役割を熟しながら、ジルクニフは神々しいまでに輝く微笑みを浮かべた老人に対し、未だに心の中で『誰だ、こいつ』と呟き続けていた。この方が都合が良いのは確かだがどうにも気味が悪いぞ、と。
他にはどんな物を持っているのだろうか、その頭の中に自分の知らないどんな知識があるのだろうかと、フールーダの目がイヨ・シノンの肢体の上を舐め尽くす様に見た。少年はジルクニフの言葉に耳を傾けていて、視線を感じフールーダの目を見返す頃には、大魔法詠唱者の瞳から、地獄の業火が如く燃え猛る欲望の焔は完璧に隠されていた。
──例え内面に狂気的な、道理も愛も責務も顧みない執着を秘めていようと、フールーダ・パラダインは逸脱者の域にある者、人類史上に燦然と輝く無上の傑物。人類の頂の、その更に先に位置する存在である。
人生の経験値という一点を比べてさえ、種族の限界を超えて長き時を生きたフールーダに比類する者は人間種族にはいないであろう。世の中で古老長老とされる者たちでさえ、フールーダの半分も生きていないのだ。
ガルデンバルドが当然の用心として、リウルは己の役割として、ベリガミニが同じ魔法詠唱者として。国家の重鎮たる者にしては人間的に綺麗過ぎるフールーダの振る舞いに裏で疑惑の目を向けたが、それらは疑いの域を出ず、確信には至らなかった。
フールーダの振る舞いは演技で、言ってしまえば偽りだが、その心根には一点の曇りもない。白でも黒でも悪でも善でも無く、そうした二元に別れる以前の一つの願望──魔法への渇望だけが、フールーダ・パラダインの全てだった。
●
「言うまでも無いだろうが、他言無用だ」
「当然、分かってますよ。陛下」
専門外故、護衛として黙して侍るに専念していた雷光の名を冠する騎士は即答した。純粋な前衛であり、魔法に関しては仲間との連携や敵の魔法への対処のための知識しか持たないが、それでも外に漏らせばどうなるかは容易く想像できる。
同僚として多くの魔法詠唱者が傍にいるから知っているのだが、ああいった人種は思い入れが極端の域に達している者も少なくない。代表格は今直ぐ近くでなんだか不気味に清らかな雰囲気を纏っている大魔法詠唱者だ。
貴重な魔導書を巡ってさえ、持ち主を殺してでも奪って自分のものにしたいと考える魔法詠唱者は存在する。
第五から第八位階の魔法が込められたアイテムなど、本来善良で良識的な人物をさえ狂気の行動に走らせてもおかしくない代物だ。それに、切り札は隠しておくべきだ。バジウッドはそう思う。
例え味方であっても、このアイテムを知る者はごく限られた信用できる少人数に留めておくべきだろう。魔法省地下のデスナイトはフールーダの弟子であれば数十人がその存在を知るが、それより遥かに厳重な取り扱いが必要だ。
フールーダとジルクニフはそう断じた。【スパエラ】の側も大いに賛成、というかそうした扱いをしないのなら渡せないレベルだ。
「短杖や巻物は既存のそれと同じです。私如きが皆様に説明するまでも無いと思いますので割愛しますが──」
語り手をイヨから専門家のベリガミニに交代し、託すモノの説明を続ける。
「中身の魔法も既に判明しています。手に入れた時のイヨの証言、それと私が出来得る限りは調べ、確認しました。……正直に申しまして、その時はもう少しで気絶する所でしたが」
ぶっちゃけこれらはイヨが友達から貰った物、店で買った物、魔法詠唱者としてのレベルを上げていた時期に自分で作ってみた物である。なので中身の魔法は知っていたのだが、うろ覚えだったので改めて確認してもらったのだ。
そして、そんな事が素直に言える筈も無いので全て『遺跡で手に入れた』と言ってある。イヨをこの大陸まで飛ばした転移魔法の罠が存在した遺跡で一緒に手に入れた設定だ。
ベリガミニの口から一つ一つ告げられる魔法の名に、フールーダは絶頂寸前の興奮を味わいながら、外面的には『なんとも興味深いですな』くらいの表情に抑える。本音で言えば絶叫しながら頬ずりして快哉を叫びたい位だったが、此処は我慢である。
ジルクニフはその魔法の効果を一つ一つ説明されるにつけ興味、驚愕、喜びを表情に浮かべ、最後には少し疲れた様な心境になっていた。これらのアイテムが帝国の物になるとすればその利益は計り知れないが、アイテム一つにつき少なくとも一月はフールーダを熱中させ、他の事への関心を大きく引き下げるだろう。しばらく使い物にならないな、と心の中で勘定する。
そして、この場で話し合うべき問題はもう一つある────これだけの益を齎してくれた者たちにどう報いるか、という話だ。
「まずは感謝を。先程フールーダも言ったが、これらは帝国の、そしてゆくゆくは人間という種族の大きな力になるだろう──短期的に見ても、王国に比べて我が国が劣っていた数少ない点の一つをこのアイテムは消し去ってくれた」
ジルクニフは二つの短杖の内一つを見る。三十センチメートルほどの長さで象牙製、先端部分には黄金の輝き、握り手にはなにやら見慣れない文字が彫ってある。神聖な雰囲気を放ったアイテムだ。
ジルクニフは未だに慣れない綺麗なフールーダに短く問うた。
「フールーダ。これらのアイテム、その価値をどう見る」
「非常に、非常に高い。そう言うほかありませんな」
フールーダも端的に即答した。
「金銭で贖えるかすら微妙な代物です。私でしたらこれらの内一つ──特に高位の二つを手に入れる為に、魔法省の予算一年分を費やしても一切後悔はありません」
帝国魔法省は今日の帝国の隆盛に多大な貢献をした機関だ。魔法大国であり、魔法詠唱者を軍に多数組み込み、上位の騎士は魔法の武具を纏い、そして帝都の夜を魔法の灯りが照らしている。長年の魔法省の貢献と研鑽の賜物である。
フールーダが手塩に掛けて育て上げた有能な人材が犇めいている。その予算一年分と言えば金貨数千枚等と言う些末な金額では収まらない、正に国家予算的な額面になる。如何にバハルス帝国が近年成長著しい富国であろうとも、完全に予定外の、しかもそんな大金もしくはそれに相当する何かをポンと出す事は難しい──が。
「あのう、対価でしたら、私たちの方から願いたいモノがありまして」
話し手を譲り渡して以降緊張感から解き放たれた様子で安堵していたイヨ・シノンが、おずおずと切り出す。
「君たちほどの英雄が何を望むのか、是非聞かせて欲しい。無論の事、出来る限りは叶えよう」
相手の方から直接『これをください』と言ってくるなら、その実行可否の問題となる。ジルクニフは脳内で展開しつつあった財務計算を一旦ストップし、交渉の姿勢に入った。
●
イヨはちゃんと学習していた。
国の頂点たる偉い人たちにとって、イヨの『頼みごとをしに来た立場なのでお代とかはいりません』という対応は論外なのだと。これだけの価値の物品が行き来する話を『無償の善意』で済まされるのは、お話としては綺麗かもしれないが現実的に問題があり、皇帝陛下の側としても困るのだと。
金銭で測れない無形の恩、貸し借りは時として金銭的負担より重く扱い辛い。
ちゃんと対価を貰った方が、ちゃんと対価を払った方が、お互いにとって収まりが良くそして問題が起きにくく、感情的にもすっきりする──事前にリウル、ベリガミニ、ガルデンバルド、そして大公と公女両殿下からきちんと教えられたので、ちゃんと考えてきたのだ。
ちょうど欲しい物、手伝って欲しい事もあった。現在のイヨが【スパエラ】が欲してやまない物、それは──
「先の一件で我々は大公殿下に、報酬として並ぶもの無き武具を頂きたいと申し出ました。我々の武具の調達もしくは作成に、皇帝陛下とパラダイン様も協力して頂きたい。それがまず一つです」
そして、
「我々の実力向上のための鍛錬にもご協力頂きたく」
「それが報酬か? 私の側から言わせてもらえば、これらのアイテムの対価としては随分控えめに思えるが」
「無礼な口利きをお許しください、皇帝陛下。陛下のお言葉は政治家としての価値観から出るものかと」
イヨはより強くなりたい。強くなって、みんなを助けたい。自分が死にたくない。敵を打ち払いたい。取り逃がした仇敵を葬り去りたい。
その為にはこれまで以上に強い装備が、そしてより苛烈な鍛錬が必要だ。これは【スパエラ】の三者にしても共通する思いだ。アダマンタイト級冒険者としてこれまで以上の活躍をするのには実力が不足している。
吸血鬼とデスナイトとの戦いでその事が骨身に染みた。いずれ訪れる決着の時に、そして人間を襲う災難を打破し続け、英雄たるを証明して見せる為に、もっともっと力がいる。
ユグドラシルのアバターであるイヨの身体は経験値を積む事でしかレベルを上げられないし、中身の篠田伊代は運動が得意なだけの子供である。
「我々冒険者にとって、強さ以上の価値を持つ物はありません。それを得る為には、陛下とパラダイン様のご協力が必要です。どうかお願いいたします」
ジルクニフとフールーダにとってそれは、アダマンタイト級冒険者らしい落ち着きと迫力を醸し出していた他の三人と違い、『人並みに緊張する子供』の姿しか見せていなかったイヨ・シノンが、初めて威風や圧力と言える物──非凡さを見せた瞬間であった。
すなわち、更なる力を求める武芸者のそれを。武具を、艱難辛苦を、試練をと願う姿を。
血と汗を流す事でしか、イヨは強くなれないのだ。
とっても綺麗で清らかなフールーダ・パラダインさんでお送りしました。
次回、『帝国四騎士と【スパエラ】』