ナザリックへと消えた英雄のお話   作:柴田豊丸

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帝国騎士たちとイヨ・シノン

「……なんか僕、すごく嫌われてない?」

「というより、恨まれているな」

「憎まれておるのう」

「……なにかしたんじゃねーの、お前。以前会った時失礼な態度取ったとか」

「こっちに来てから公国の外に出たのは初めてだよ。以前も何も無いよ」

 

 以前のイヨは別の大陸にいた──というのは建前で、実際の所この世界に存在すらしなかった訳で、過去の因縁などあろう筈も無い。

 

「だよなー……?」

「ではあの視線はなんなのじゃ、幾ら今から試合をするとはいえ、どう控えめに解釈した所で初対面の者に向ける目付きでは無いぞ」

「……親の仇か何かにイヨが瓜二つとかじゃないのか?」

 

 無いのであるが──帝国四騎士の一人、【重爆】レイナース・ロックブルズはイヨ・シノンという存在を認識した瞬間から、露わにした左の眼から射殺さんばかりの視線で告げてくるのだ、『貴様が嫌いだ』と。

 

 鉄壁の無表情に浮かぶ暗澹とした目付きはかなりの威圧感があり、レイナース・ロックブルズの隣に並んだ【雷光】バジウッド・ペシュメルと【激風】ニンブル・アーク・デイル・アノックの両名も、何だかんだ普段の仕事はそつなくこなしていた同僚が醸し出す謎の圧力に気圧されている様であった。

 

 勿論イヨ当人は元より、【スパエラ】の誰もその悪感情の意味は分からず、分からない以上何らかの行動を起こす事も出来ず、こうして仲間内でひそひそ相談し合っているのだった。

 

「陛下にちゃんと話は通ってるんだよね……?」

「当たり前だろ、ついさっきの事だ。しっかり話は通した。みんなこの耳で聞いたぞ」

「じゃああれってやっぱり僕に対する個人的な怨恨って事に……?」

「儂らを葬る気──な訳は無いし、やはりイヨの何かがレイナース殿にとって決定的に受け入れられないのではないじゃろうか」

「大丈夫なのか? こちらは勿論あちらだって、事故があればタダでは済まないぞ」

 

 アダマンタイト級冒険者と帝国最上の騎士なのだから。

 

「いやでもこんな機会は滅多にないし──城内の練習場まで時間貸ししてくれたのに」

「何はともあれ、こうしてばかりもいられんじゃろう……ほれ、イヨ、話しかけてみぃ」

「殺されそうになったらどうするのさぁ……」

 

 言いつつ、イヨはそろりそろりとお三方に近寄っていく。何処か腰が引けていて、警戒心が露わになっていた。

 

 この辺りでは特に珍しい事ではないが、濃淡の違いはあれど三人とも金髪である。なんなら白金の髪色を持つイヨも含めて四人金髪だ。

 

 鍛え抜かれた身体の偉丈夫、同じく鍛え抜かれた美丈夫、鍛え抜かれた美人。全身を覆う黒いアダマンタイト製の鎧。ただ立っている姿でさえ見て取れる高い実力。纏う威気。

 

 バハルス帝国の武力を代表する四騎士の内三人──多忙を極める方々だが、皇帝ジルクニフより受け渡される対価として、イヨに稽古を付けてくれる事になっている。

 

 因みにガルデンバルドは残る一人の四騎士たる【不動】のナザミ・エネックと、ベリガミニはフールーダ・パラダインの高弟たちと、それぞれ時間を取って修練に付き合って頂く栄誉に預かる事となった。

 

 リウルはイヨの監視兼首輪である。心配そうにこちらを窺いながら立ち去っていく年長者二人の気配を感じながら──各関係者のスケジュールの都合上、今日は二人は別行動なのだ──イヨは挨拶を口にした。

 

「ペシュメル殿とは先程振りですが、お二方とも初めまして、イヨ・シノンと申しま」

「女装が趣味だそうで」

 

 じわぁ、と。イヨ・シノンは自身の全身が一気に冷や汗を掻くのを感じた。同時に実感する。なんでか分からないけどやっぱり僕嫌われてる、と。

 

「え、あ、その、趣味と言う訳では……」

 

 会話の初球をピッチャー返ししたのは四騎士の紅一点、奈落の如き瞳をしたレイナース・ロックブルズであった。

 

 

 

 

 健康的な肌艶。潤った桃色の唇。雪色の歯。こじんまりとした鼻。大きく和やかな雰囲気の目。そうした部品の集合体である顔は幼少期に特有の可憐さを未だ保ち、同時に快活で陽性、親しみやすい印象を見る人に抱かせる。

 この場の誰と比べても頭一つ以上小さな身体は十六歳という年齢を考慮すればかなり短躯だが、それでいて均整はとれている。小さいなりに胴は短く手足は長い。上に乗せた顔に負けず劣らず肢体も可憐で、細い手足はしかしひ弱さを感じさせず、成熟した大人とは別種の柔らかさを湛えている。くびれたウエストは全体的に幼い少女らしさ溢れる『彼』の外見の中で一際目を引き、女性らしさを強調する──。

 

「女装が趣味だそうで」

「え、あ、その趣味と言う訳では……」

 

 レイナース・ロックブルズがその、男なら持っていて当然の男らしさを母親の腹の中に忘れてきたような生き物を目の当たりにした時抱いた第一の感想は、『死ねカマ野郎』というものだった。

 

 ──大の男が十六にもなって可愛いアピールしてんじゃねぇですわ。

 

 女の可愛いアピールもムカつくが。美女が美しさをひけらかすのも腹が立つし、醜女が同じことをやっても腹が立つ。だが野郎の可愛いアピールなど銅貨一枚の得にもなりゃしねぇ上に悍ましい。

 

 ──こういう輩はどうせ『猫と甘い物が大好きでぇ~、最近はお料理に挑戦中ですぅ♪』とでも言い出すに決まっていますわ。

 

「女装は趣味では無く、ネタといいますか、持ち芸でありまして……あの、練しゅ」

「女装した自分を見て可愛い、綺麗だ、美しいと思う事はおありですか……? もしくは世間一般の女性と比べて自分の方が外見的に優れていると感じる事は……?」

「い、いやぁ、あはは……そういうのは考えた事も無いですが、周りが笑ってくれるので私も楽しくて……」

 

 ──こんな面に生まれて好き好んで髪を伸ばし、自分から女装に勤しむ輩など変態に決まっている。『僕こう見えて男なんですぅ~』等と言う位なら最初から坊主頭にでもしておけですわ。

 

「どうしたんだ、レイナース」

 

 主君の客人という立場にあるイヨ・シノンに投げかける言葉としては無遠慮極まりないその物言いを聞いてニンブルがレイナースに問うが、レイナースはそれを黙殺した。元々主君に対する姿勢の違いから、同僚だとしても心の底から仲間だと言えるような関係では無い両者だが、レイナースの言動は常のものとはまた違っており、訝しんでいる様だった。

 

「すいません、うちの仲間がなにか失礼な事でもしたでしょうか」

 

 黒髪黒目のリウル・シノンが常とは違う余所行きの言葉遣いでやんわりとレイナースを牽制すると、レイナースは内心を完璧に押し隠し、愛想のよい笑顔で詫び、僅かに低頭した。噂通り男性とは思えないほど余りに可憐だったのでつい好奇心が先行して問うてしまった、という取って付けた様な説明と共に謝罪する。

 

 イヨはまだレイナースに対して警戒を捨てきれない様だったが、元より他人──一国家の代表と見なされる程の武力と格式を持つ人間相手なら尚の事──に対して好意的で肯定的な人間なので、眼前の女性が自分に対して抱くただならぬ悪感情に対する疑問を一旦心の内に仕舞って、再度自己紹介をする。

 

 表面上当事者同士が諍いを捨て交流する姿勢を見せたので、それ以上問題にしようとする者はいなかった。

 

 レイナース、バジウッド、ニンブルも今度は、四騎士としてアダマンタイト級冒険者を相手にするのにふさわしい対応をすることが出来た。相手は国家に所属する人間でこそないが、間違いなく他国の重要人物であり最新の英雄だからである。更に言えば、眼前のシノン夫妻に対する協力は主命であった。

 

 具体的に自分たちはどの様な『協力』を行えば良いのかと問うた三人の騎士に対して、イヨ・シノンの返答は耳を疑うものだった。

 

「私の事を三人がかりでボロクソに叩きのめして欲しいのです。私も全力で抗い、戦いますので、その抵抗を踏み躙って頂きたい」

 

 少なからず動揺した様子の三名を前にして、イヨは自分の言葉に足りないものが多すぎると気付いたのか、改めて続きを付け足した。

 

「私は、強くなるためには血と汗を流すしかないと思っています。より強くなる為により強い敵とより多く戦いたいのです。出来る事ならば、絶対に勝てないと思える様な相手である事が望ましい」

 

 イヨの隣でリウルがひっそり口の端を捻じ曲げたが、夫にして自身が知る中でも最強の戦士の一人である男の言葉を遮ろうとはしなかった。リウルの基準から見てもイヨの鍛錬法は極端だし行き過ぎだが、彼はその拷問染みた練習の日々に嬉々として浸り続けている。彼にとって、自分を虐め抜き鍛え上げる事は最早生態の一部だ。魚に向けて鰓呼吸をやめろと言っても仕方が無いのと同じであった。その様に生まれついているのだから。

 ならばせめてその脇を固め、周囲との齟齬をきたさない様に支えるのがパーティメンバーとしての自分の役割だとリウルは考えていた。

 

 公城でバド副団長とした様な血肉舞い散る異常な戦闘は、外部の人間、それも他国の要人として良い物では絶対に無い。あのノリは同じ位に戦闘に傾注し過ぎた一部の特異な人間だけと交わされるべきだ。そうでなければ問題になる。だから、リウルは今回イヨの首輪に徹する気だった。

 

 三人の騎士に対してイヨは『実戦に近い振る舞いの下自分を殺す寸前まで追い詰めてほしい』と求め、逆に自分は『練習試合としての一線を守り命を危ぶめる様な行為はしない』とルールを定めた。

 

「如何にアダマンタイト級である貴方でも、それでは勝ち目は薄過ぎるのでは? 強敵を想定した練習という状況設定は理解できますが、その様な枷があっては一方的な展開にしかならないとも思いますが……」

 

 ニンブルが疑問する。

 

 四騎士は大公と皇帝の間で交換された情報を共有しており、イヨ・シノンが正面切っての殴り合いという分野においてはアダマンタイト級冒険者の中でもなお優れた能力を持つと知ってはいる。

 比較対象として魔法省地下のデスナイトの情報も改めて頭に叩き込んだ。あれを相手に一人で一定時間戦闘を行えるなら、確かにその能力は凄まじいものがある。拳士と戦士という違いがあるので正確ではないだろうが、周辺国家最強の戦士、過去四騎士の地位にあった者二人の首を取った男、ガゼフ・ストロノーフとすら伍するかもしれない。

 

 とは言っても戦場における王国戦士長はリ・エスティーゼ王国に伝わる五宝物を装備し、その能力を遥かに高めているので、『通常の装備に身を包んだガゼフ・ストロノーフとなら伍するかもしれない』という評価が正当だろう。

 

 ガゼフ・ストロノーフにすら迫るとの評価を受ける男──男なのだこれでも──である以上、四騎士一人一人と直接的な戦闘力で比較するのであればまずイヨ・シノンが勝ると言える。四騎士の中に、一対一でガゼフ・ストロノーフと互角の戦いができるものはいないのだから。だが、三対一ともなれば話は全く違う。

 

 しかもその内訳は専業戦士一人と神官戦士二人──ニンブルは騎兵系の職業も持っているが──と拳士一人の戦いだ。イヨ・シノンは信仰系魔法の使い手でもあるが魔法詠唱者としての能力は著しく低く、戦闘の最中に使用できる、使用する意味があるほどの魔法は一つも使えない。

 

 冒険者が単体の力量では遥かに強いモンスターを連携と多様な手段で打ち倒すのと同じだ。強い戦士一人対劣る戦士三人の戦いならばまだ勝敗が分からない部分もあるが、そこに治癒や強化の魔法が絡むと天秤は更に傾く。

 互いを庇い合い、様々な魔法で自陣の能力を高め傷を癒す事が出来る三人と比べ、イヨ・シノンの側は傷を負ったら負いっぱなしで、鈍った動きをカバーする者はいないのだから。彼我の順守するルールの差も合わせれば、十回戦えば十回バジウッドたちが勝つだろう程度には差が開く。

 

「私の想定する敵はまさに単独では勝ち目のない敵であり、私はその域の感覚を磨きたいのです。敗北必至の戦いを勝ち抜ける──たった一回の戦いで万に一つを捥ぎ取る勝負勘をこの手にしたい。ご協力お願い致します」

 

 対して、イヨの返答は淀みがない。イヨはこの冬季帝国滞在の間に自身を殺し得る力量を備えた強者の下を訪れ言葉を、出来れば拳をも交わし、その後に時間を作ってカッツェ平野を訪れ、目下最大の敵であるアンデッド相手に得た知見を試す気でいた。

 

 怪我は幾らでも治せる。どれだけ傷付いた所でイヨは気にしない。苦にしない。気に病まない。痛みは進歩の実感として感じられ、とても心地良かった。戦闘時、肉体の損傷によって、イヨの精神はむしろ癒され賦活するのだ。

 

 殺し合いの世界に身を浸してなお幼気に輝く彼の瞳を見る者が見れば、或いは常軌を逸した何かを見出したかもしれない。

 

 

 

 

 今のレイナースにとって美しい他人や幸せそうな他人は、感情の波風の高低こそあれ、万事苛立ち、嫉妬、嫌悪の対象である。

 

 ましてや目の前にいるのは恋愛結婚ほやほやの幸せ真っ盛りで少女として恵まれた容姿を持った、男である。

 

 こういう時、レイナースは己が信じる神を呪わずにはいられない。野郎に女らしさなど与えた癖に、何故自分には苦難しか与えないのかと。

 こんな持って生まれた性別と相反する要素を練り固めた様な男に相思相愛の異性との運命の出会いを与えた癖に、何故自分には裏切りと別れを与えたのかと。

 

 奪われたのが美しさだけなら歪まなかった。ただ顔の半分の外見が醜くなっただけで、育んだ愛情も恋も家も地位も、一切合切が己から去っていった。

 

 幸せだった分、どん底に落ちた時の苦しさは尋常では無く、長く苦境に身を置く内にレイナースは性格すらも歪んだのだ。

 

 イヨ・シノンの容姿について性別不一致の恵まれ損という事で億歩譲って許してやっても、周囲に幸せオーラを撒き散らす間抜け面で己の前に立つ大罪は度し難い。

 

 正真の善人だったかつてのレイナースが今の境遇に堕ちる。それが世の理と言うのであれば、このような輩は木っ端微塵に爆発四散して死ぬべきでは無いだろうか。

 

 目の前の少年を見て思う。その輝く瞳を見て、血色の良い頬を見て、綺麗な手指を見て思う。

 

 降り注ぐ陽光に、人々が向ける視線に、期待に、愛に、憎悪に、一切疚しさも躊躇いも懺悔も後悔も無いのだろう。己が身に対して一欠片の引け目も傲慢も抱かぬ姿──過不足無く自身の自身たるを自覚し、自己の自己である所と真っ直ぐに向き合えるのだろう。

 

 考えもしないのだろう、自分は自分でありそれ以上でも以下でも以外でも無いと。自分とは何かと感じる事も無く、自分の行動に疑問を抱く事も無いのだろう。何処を非難されようと、何処を褒め称えられようと、ただ受け止める事が出来るだけの己を確立しているのだろう。

 

 自分自身というものに、ぴったり一人分の自信と自覚を備えているのだろう。

 

 全くの子供のままで十六歳まで過ごしてこられた時点でそう云う事なのだ。

 

 恵まれていたに違いない、愛されていたに違いない、守られていたに違いない、肯定されていたに違いない、身に掛かる不運を苦難を災難を全て跳ね除けてきたに違いない。痛みすら挫折すら当たり前の様に喰らって血肉としたに違いない。他人に愛され他人を愛したに違いない。

 昔のレイナースと同じ様に。

 

 そしてレイナースとは違って、『どうにもならない責め苦』『謂れなき苦境』『降ろす事の叶わない重荷』に見舞われる事だけは、無かったのだろう。

 

 其処まで考えて、レイナースは理解した。何故こんなにもイヨ・シノンが気に入らないのか。

 

 ただその、己に恥じる所なしと言わんばかりのツラが憎いのだ。

 

 『かつてのレイナース』と同じだ。両親に婚約者に領民に神に愛し愛され、己の全てを誇っていられた頃の、最早取り戻せないかつての自分と重なるのだ。外圧によって歪みに歪んだ今のレイナースの人格が、目の前に現れた『過去の自分』と比し比べ、堪らなく卑屈な思いを抱かせる。

 

 『呪いさえ受けなければお前だって、今もこうして笑っていられたのにねぇ』と嘲笑われている様な気にさせるのだ。

 

 顔は似ていない。背格好も全く違う。性格も異なる。生まれも育ちも似通った所は無い。なのにイヨ・シノンの姿が『あのまま何不自由なく生きていたらこうなっていただろう自分の姿』の様に思えてならない。

 

 ──ああ、私、目の前のこの子の全部が大っ嫌いで、妬ましくて、憎いのですわね……。

 

 幸せな他人が憎くて辛くて、気に入らない。結局のところいつも通り。ただとても幸せそうで、真っ直ぐに輝いていて、今の自分よりずっと強いから、特段に憎くて辛くて気に入らないだけ。

 

 家ごと両親を焼いた様に、婚約者を殺した様に、騙してきた者共を地獄に送ったように──この上なく気に食わないから八つ裂きにしたいだけなのだ。

 幸せそうで自信に満ちた他人が嫌い──かつて同じく幸せで自信に満ちていたけど、今は違う自分を痛感させられるから。

 

「そういう訳で、是非とも訓練の一環として私を死の寸前まで痛めつけて欲しく──」

「分かりました。誠心誠意、お相手を務めさせていただきますわ」

「ご協力頂けますか!?」

 

 内なる感情がすっぱりと刃物で切り分けられ、理路整然と嫌悪と憎悪に分たれたあと、レイナースは不思議と穏やかな気持ちになった。

 先程まで身体中を暴れまわっていた負の感情は、まるで道具の様に──慣れ親しんだ己の愛槍の様に、しっかりと手中で怨敵の血肉を穿つ時を待ち焦がれている。

 

「ええ、勿論。貴方方に協力せよと陛下より命じられておりますし、私も武人の端くれですもの。より強くあらんという志は理解できますから──本当の本当に、殺す気で行かせて頂きますわ」

「わぁ、ありがとうございます! ロックブルズ殿! ペシュメル殿、アノック殿!」

 

 大丈夫かこいつら、と。

 

 奈落の底の様な目をしてにっこりと微笑むレイナース・ロックブルズと。

 一片の曇りもない輝かしき瞳のイヨ・シノンを見て。

 

 奇しくも三人──リウル、バジウッド、ニンブルは同じことを思った。

 

 

 

 

 同時刻、皇帝の執務室にて。普段は多くの秘書や警備が室内にいるが、今回部屋の中にいるのはたったの二人だけだ。

 

「第六位階魔法はレイナースの解呪に使う。異論はないな、フールーダ」

「ええ、そうですな。妥当でしょう。ただ、その前に一通り短杖を精密に検査する時間と、実際に使用する時に魔法を観測・分析する為の準備時間を頂きたいものです」

 

 一見いつも通り滑らかに返答した思えたが、ジルクニフは見逃さなかった。未だイヨ・シノンから譲られた品物たちを抱きかかえたままの大魔法詠唱者の腕が、尋常ならざる力でぎゅうと絞られたのを。

 

 フールーダにとって専門ではない信仰系の魔法で、第六位階の魔法だ。純粋に位階だけで言えばフールーダのそれと同等──だが、専門外であるが故に、フールーダには高位の信仰系魔法は使えない。

 

 七位階や八位階の魔法とは比べ物にならないにしても、これを逃せば次に見られる機会はまず巡ってこないであろう貴重な研究材料だ。専門違いとは言え、進歩の為の閃きは何処に転がっているか分からない。魔法に関する貴重な事柄ならば全て丸裸にして糧にしたいのだろう。

 

 第六位階と言えば一般的に未知と言って良い領域だ。なにせ行使できる者はいないに等しい。英雄の領域として語られる第五位階の更に上なのだから。この機にしゃぶり尽くせるだけしゃぶり尽くす気なのだ。

 

「良いだろう」

 

 ジルクニフは頷く。今のフールーダは一度魔法の研究に着手し始めれば少なからず会話が困難になりかねないので、今の内に話を纏めておきたかった。

 

「フールーダ。第六位階魔法〈リムーブ・カース/解呪〉が込められた短杖は使用回数の残量をまだ半分以上残している。一回や二回使った所で支障は無い。そうだな?」

 

 目の前のフールーダ・パラダインその人が魔法を掛けて確認したのだから、揺るがしようの無い真実だ。

 

「そうですな。その通りです。既に何回か使用された痕跡が見られますが、問題は無いでしょう。込められている魔法を別とすれば、もう一本の方とは違って、一般に流通している短杖と比べて格段の差異は今の所認められません。多少材質が異なる程度です」

 

 ジルクニフとフールーダ間では、普通に会話が成立している様に見える。しかし、フールーダの視線は腕の中のマジックアイテムから不動だ。普段の働き振りは考えられないほど気もそぞろである。口調も表面上は整っているが、声色は何処か不自然に軽い。

 仮に今、流れをぶった切って『行っていいぞ』と申し渡せば、フールーダは脇目も降らず部屋を出て魔法省の自室に籠り、研究に没頭するだろう。

 

「召し抱える時、レイナースが何と言ったかは知っているな。お前も私の隣で聞いていたのだから。それに私がどう答えたかも」

 

 レイナースの最優先は呪いを解く事。例えジルクニフに仕えたとしてもそれが揺るがぬ最優先。『呪いが解けるのであれば陛下にだって剣を向ける』とはっきり宣言し、ジルクニフはそれを踏まえて彼女を配下にしたのだ。

 

 レイナースがジルクニフに仕えている理由はただ一点、仕える事によって自分にメリットがあるというただそれだけだ。彼女は四騎士の地位を利用して解呪の方法を探っているし、ジルクニフも手元に置き続ける為にその姿勢を認め、働きに報いる程度には協力している。

 

 四騎士は能力で選んだ者達で、その忠誠心の度合いはまちまちだ。最もレイナースほど忠誠心の無い者は他にいない。言うなれば最も信用ならない四騎士がレイナースなのだ──日々の仕事はそつなく熟すが、条件が揃えばジルクニフをあっさり裏切るだろう。

 

 その姿勢込みでも手元に欲しいだけの能力の持ち主であるが故、召し抱えてきた。だが当然、信用できる配下であるのならばその方が良いに決まっている。忠誠心の無いレイナースとあるレイナース。能力が変わらないのならば当然後者の方が望ましい。

 

 レイナース当人ではないジルクニフの第三者的目線で見て、レイナースの呪いは現状解呪不可能と判断するしかないものだった。あらゆる癒しを跳ね除けて、未だに彼女の顔面右半分を占領し続けるしつこさだ。

 レイナースは四騎士となる以前も以後も、なりふり構わず全てをもって呪いを解こうとしてきた。高名な神官、癒しの秘術、万病を癒す薬草。邪をもって邪を退ける様な手段だって試しただろう。しかし呪いは解けていない。その事実を思えばまず無理と表現するしかない。

 

「まさか、図らずも私の下にその手段が転がり込んでくるとはな。イヨ・シノンは知っていたと思うか?」

「全く知らなかったとは言い切れないかと。しかし直に対面した限り、仮に知っていたとしても然程情報は得ておらず、重視もしていなかったでしょう」

 

 イヨ・シノンがレイナースに掛かった呪いの存在自体は知っていたとしても──ごく普通に知らなかった可能性もあるが──その呪いを彼女がどれほど疎ましく思っていて、その呪いが彼女の人生をどれ程捻じ曲げたかまでは間違いなく知らないものと思われる。

 

「信じ難い面もありますが、あえて言うならただ単純な善意から来たものかと。謀ではないでしょう。彼にそうした神経があるとは思えませんし、仮にあったとしてももっと良い方法は幾らでもあります」

 

 ジルクニフは普段貴族──つまり政治家、一筋縄ではいかない者たち──を相手にしてきている癖で記憶を掘り返し、当時のイヨ・シノンの口調や表情からその腹の底を分析しようとする。だが出た結論は当時と変わらないものだった。

 

「そうだな。純粋な善意──そうでなければ、只何となく良かれと思ってと言った所か。この点は正直気にする必要も無いだろう」

 

 フールーダが少し前に述べた見解を、ジルクニフも肯定する。恐らくイヨ・シノンはまだこういった超貴重なアイテム類を保有している。他人に渡すものを選べる程度には数と種類を揃えている可能性が高い。

 

 あれ程底の浅い人間は初めて見たかもしれない、とジルクニフは内心で思う。貴族や商人の生まれならば五歳の子供でもイヨ・シノンよりは深い考えを持っていて、己の利益というものを念頭において行動しているものだ。

 

 こと頭の出来や腹に抱えた思惑という点で見る限り、イヨ・シノンという人間の底は浅い。そして単純で透き通っている。見る目のある者なら一目で見抜くだろう──特に何も考えていないな、と。

 

 この時ジルクニフとフールーダは、非戦闘時のイヨの人間性を百%余すところなく理解し切っていたと表現しても過言では無い。つまり、ただ単に良い子ちゃんなお子様だ、と。

 

「何はともあれ、レイナースの真なる忠誠を勝ち取れるのならば払う価値のある代価だな」

 

 極まった個の力が軍勢を打ち破る事も可能なこの世界において、強者の価値はイヨの生まれた世界より遥かに高かった。

 それに、もし解呪の可能性が高いアイテムを手に入れておきながら秘匿していたとレイナースにバレれば、レイナースはそれを裏切りと捉え、ありとあらゆる手段でもって『万難を打ち払い、己が望みを果たす』だろう。その途上で裏切り者とその仲間を何人殺そうと気にも留めないに違いない。

 

 何回も使えるアイテムの使用回数残量をケチって有用な人材の離反を招き、そんな被害が発生する可能性を享受するのも馬鹿らしい。

 

「……解呪できると良いが」

 

 その名の通り呪いを解くという効果に特化した第六位階魔法で解く事が出来なかったら、レイナースの呪いは如何なる手段をもってしても現実的に解呪不能と表現するしかなくなる。解呪失敗という形でそれが証明されてしまえば、彼女は心の均衡を失うかもしれない。

 

 不安要素としては、短杖などに込められた魔法は、術者が直接その魔法を使用した場合と比べて効果が低くなるという点は厄介だ。それにレイナースの呪いの様な半永久的な悪効果を治す魔法の場合は、呪いと魔法の効果、どちらが打ち勝つかの競り合いという要素がある。

 

 もしイヨがこの場にいたら少し考えてこう言っただろう──『ああ、達成値の比べ合いとかそういう奴ですね』と。

 

 しかしそういった点を考慮しても、解呪特化の第六位階魔法だ。通常の手段と比べて遥かに目のある賭けには違いなかった。

 

 通常扱えない高位階の魔法でも、多人数を用いた大儀式などの手法によって時間さえかければ使用可能なのは長寿化を達成したフールーダが証明している。そして今回は魔法の込められた短杖というアイテムがある。準備に長い時間は掛からないだろう。

 

「こと魔法に関して絶対とは言えませんが、成功の可能性は大きいと思われますぞ」

「……場合によっては複数回使う必要があるかもしれんな」

 

 成功したら成功したで、レイナースの休暇取得が増えるなどの変化が起きる可能性もある──だがその程度は問題なく許容しようとジルクニフは思う。ジルクニフは情を判断基準とする事こそ無いが、別に鬼の如き冷血漢という訳でも無い。部下を十全に使う為には休みを取らせる事も必要だと当たり前に判断できる。

 

 同じ城の別な場所で練習という名の殺し合いが始まりつつある頃、皇帝の執務室で交わされる会話としては比較的和やかな部類の話と言えた。

 

 なにせ、不幸に見舞われ人生を狂わされた一人の女性を救う話なのだから。

 




呪い解けちゃったらレイナースさんもうカースドナイトじゃないし職業失うんじゃね、下手したらレベル下がるんじゃねとか考えちゃったりしましたが、『意図せずなんらかの条件が整っていたため他の職業にレベルはそのままで置き換えられた』的な解釈で作中内での強さは変わらない設定にする可能性が大です。

書いててイヨってオーバーロードの世界観とミスマッチ起こしてるよなとか一瞬考えちゃいました。考えない事にしました。此処まで来たら行ける所まで走り続けるしかないのです。

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