ナザリックへと消えた英雄のお話   作:柴田豊丸

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本日投稿する二話の内、二話目です。本編です。一話目は番外編になります。


帝都道中

 珍しい、と少女──アルシェ・イーブ・リイル・フルトは思う。

 

 僅かに見えていた小さな背中が雑踏の向こう側に消えていく。揺れる白金の三つ編みは、規格外に巨大な戦士と黒い斥候らしき人物の後を追って走り去った。

 

 年齢はどう考えても十代後半には至るまい。普通に考えれば十代半ば、もしかすると前半という事さえあり得る。それくらい幼げで擦れていなさそうな顔、未成熟ながらも整った小さな体躯だった。

 

 見た事の無い人物だ。面識がないと言うだけでは無く、何となくの心当たりすらない人物だ。目立つだろうに、もしかしたら他の都市から来た冒険者なのかもしれない。

 

 一般的に冒険者等という言葉から連想されるような人物像は物々しい武装に身を包んだ屈強な成人男性だ。人によってはその人物像に、逞しいもしくは頼もしいといった好意的な印象か、汚らしいや荒っぽく物騒等の嫌悪や嫌厭から来る言葉が付け足される。

 

 勿論、冒険者にも女性や年若い少年少女と言うべき年齢の者はいる。だが割合で言えば少数派の存在だろう。そうした例外的な少数者を一般像として思い浮かべる人間は少ない。

 

 ましてや小柄で育ちの良さそうな少女を思い浮かべる者などもっといない筈だ。存在しない、と断言してしまってもいいかもしれない。

 

 一体どんな事情で裕福そうな幼い少女がそうした職業に身をやつすと言うのか。例え実家が没落するか何かして早急に仕事を探して金を得ねばならないという事情があったとしても、だからと言って冒険者になろうなどと考える上位階級出身の少女がいる訳は無い──例外的な、本当に例外的な能力と事情を抱えてしまった者は別として。

 

 そして何らかの事情でなってしまったとしても、前述した様な武骨で粗暴とすら見られる男連中に混じってモンスターとの殺し合いに身を投じ、どうして命を長らえる事が出来ようか。

 

 なる為の制限は多少の金銭以外無いに等しく、法的な拘束は緩く、上り詰めれば身分の上下すら超越した名誉と富を手に出来る職業──それが冒険者である。

 一方ただの村人が憧れや食を繋ぐためだけの目的で冒険者になった場合、五度の依頼を達成する前に半分が死に、残った五割の更に半分は引退を決意。それでも冒険者を続けていく残った者たちも一年以内に更に更に一割五分が死亡する──という話もあるくらいだった。

 

 大雑把に、戦う職業として同じ分類になる兵士や騎士などの軍人よりも遥かに死亡率が高く、死んだとしてもなんの補償もない。低位でいる内は殆どの国において名誉どころか半ならず者めいて見られる事すらあった。

 どんな仲間を集めどれだけ安全を確保しつつ危険を切り抜けるかも含め、正に自分の力以外に何一つ頼れるモノの無い仕事──そうした厳しい現実もまた、冒険者そのものである。

 

 そして、そんな冒険者より一歩社会の裏や非合法に近い所で生きる黒に近い灰色の存在──それがワーカー。冒険者から脱落した者たちとされる、アルシェと仲間たちの仕事だった。アルシェたちは、ある意味冒険者よりも過酷な仕事をこなしている。

 

 非合法の仕事すらも受けるワーカーだが、より悪質で違法性が高まるとダスクワーカーと、また別の呼び方をされる。近い所か黒の存在だ。アルシェの所属するチームであるフォーサイトは其処までいかない、様にしている。

 

 アルシェたちフォーサイトが冒険者では無くワーカーである理由は、ぶっちゃけて言えば金が必要だからだ。冒険者組合を中間に挟まない分、依頼主からの報酬がそのまま手に入れられるだけ──勿論組合という組織からの庇護や利益もまた受けられないので危ないが──実力と世渡りの冴えさえあれば儲かるのだ。

 

 十代でどこか幼げな雰囲気さえ残っている少女であるアルシェもまた、先程見掛けた少女と同じく非常に珍しい存在だった。

 

 アルシェには類稀な天才と評すべき優れた魔法の才能が有り、しかもその才は若くして既に大輪の花を咲かせていた。仲間にも恵まれた。

 そして家は没落していて、幼い妹と、少なくはなったものの未だ付き従ってくれる家臣、使用人たちがいて、品の良い顔で品の良い服に身を包んではいるけども、未だ現実を見知る事無き両親もいた。

 

 能力があり、金を稼ぐ必要があり、だから必死に金を稼いでいる。アルシェの事情とはそういうものだ。

 

 同年代でアルシェと同等の能力を持っている者など、万人に一人もいないだろう。万を十万や百万に拡大した所で複数人いるかは非常に怪しい。十代で第三位階とはそれほど隔絶した早さであり、高みだ。

 

 先程見掛けた三つ編みの少女の首元に揺れるプレートは一瞬の事だったのでよく見る事が出来なかったが、冬には珍しい好天の陽光を反射する強い輝きは、人垣を間に挟んでいてもアルシェの目に飛び込んできた。

 

 あの輝きは、銅や鉄と言った金属の鈍い輝きでは無い。銀か金か白金、もしかすると魔法金属の輝きだったやも。

 

「──ふふ」

 

 ふと、アルシェの口から小さな笑いが漏れる。アルシェは没交渉な人見知りでは無いけども、積極的に人と関わる社交的なタイプでも無い。学園にいた頃からどちらかと言えば静かで落ち着いた方だったが、ワーカーとなってからはよりそうした振る舞いに拍車が掛かった。

 

 仲間だけと共にいる時ならばいざ知らず、他の同業者たちの前で年頃の娘らしい姿などを見せるのはなんらプラスにならない行為だ。ただ侮られるか、もっと質の悪いトラブルを招く可能性もある。だから年相応のそれとはかけ離れた、一人の仕事人たるワーカーの所作が身に沁みついた。

 

 そんなアルシェが自然に浮かべた微笑みだった。

 

 一見の姿は兎も角、三つ編みの少女が身に着けていた装備品には多くのマジックアイテムが含まれている様に思えた。これ一つとってもその他大勢の未熟者ではあるまい。

 仲間たちも、ぱっと見ではあるが結構強そうだった。まあ、アルシェが信頼する三人の仲間には敵うまいけども。

 何より、名も知らぬ少女の顔には笑みが浮かんでいた。彼女は仲間に笑顔で駆け寄る事が出来るのだ。

 

「──頑張れ」

 

 アルシェが笑みを浮かべた理由、それは共感であり親近感だった。同じ位の年頃の、似た様な背格好な少女が冒険者として活躍している。その事実に、僅かに袖振り合った多生の縁におかしさを感じたのだ。

 

 冒険者やワーカーなんて仕事をしていたら命が幾つあっても足りない。

 看取る者も無く荒野で一人屍を晒す。

 依頼の中途で失敗し、死してモンスター達に食い荒らされる。

 

 そうした結末は、冒険者やワーカーの最期としては特に珍しくも無い有り触れたものだ。ワーカーの場合、時として同業者との殺し合いなども有り触れた死に様に追加される。

 

 夢見た栄達を実現して円満に引退する者の数百倍、ひょっとすると数千数万倍はそうして無名に朽ちる者がいる。

 

 それでも。

 

 どんな理由があって冒険者なんてやっているのか、知る由も無いけれども。

 

「──頑張れ」

 

 もう一度そう言って、アルシェは名も知らぬ三つ編みの少女、とうに雑踏の向こう側に消え、全く姿の見えない彼女に小さく手を振った。

 

 目的の為、守る者の為、頼れる仲間と一緒に頑張れ、と。

 私も頑張る、と。

 

「アルシェ、どうしたー?」

「何か珍しい物でも見つけましたかね」

「知った顔でもいたの?」

「──なんでもない」

 

 仲間たちの声に、自分が知らず知らず歩調を緩め、遅れていた事を知る。

 

 アルシェ・イーブ・リイル・フルトはきっぱりと前を向き。

 

 三つ編みの少女がしたように、頼れる年上の仲間たちに追い付くべき、駆け出した。その整った横顔には珍しく、小さく目立たない、しかしとても美しい微笑みがあった。

 

 

 

 

「どうかしたか?」

 

 前方のガルデンバルドからそう問われたので、イヨは向き直って答えた。どれだけ首都の人通りが多かろうとガルデンバルドを見失う事だけは有り得ない──なにせ巨大だ──ので、イヨは安心しておのぼりさん全開できょろきょろしていられた。

 

 そもそもこの人並みの一部は【スパエラ】の面々の首に下がったプレートによって発生している。

 

「いやちょっとね、さっき僕と同じ位の武装した女の子を見かけたんだよ。プレートは下げてなかったし、ワーカーさんかも。珍しいなって」

 

 イヨが口にした『僕と同じ位の』という言葉は背丈を指したものだったが。それに対するガルデンバルドとベリガミニの反応はこうである。

 

「イヨと同じ位の? それは外見年齢でか、実年齢でか? それとも身長か?」

「その少女も実は少年だったりするのかのう」

 

 どういう意味じゃい、と思ったが反応するのも子供っぽいのでイヨはあえて無視する。

 

「一瞬だったから良く分からないけど、多分十代半ばじゃないかな? 後半だとしても十九とか十八では無さそう。杖を持ってたから魔法詠唱者だろうね」

 

 プレートという分かりやすい目安が無いので実力は分からない。元より魔法の力は身体の内に宿るので一瞬の目視で実力を推し量るのは困難である。だが、身に纏った装備品の質とその着こなしは、職業に関係なくある程度通用する実力判定基準だ。

 

「本人も仲間っぽい連中も完全実用で堅実な、見た目以上に良い装備をしてたな。少なくとも第二位階は使いそうだ。もしかしたら第三まで行ってるかもしれねぇ」

「ほほぅ! 十代でそれとは紛れも無く天才の部類じゃのう。かなり名の知れたワーカーやもしれんぞ」

 

 雑踏の中でも目ざとく高い実力の持ち主たちを感知していたらしいリウルが言葉尻を引き継ぐ。その言に興味をそそられたベリガミニが背後を振り返って少女魔法詠唱者の背中を探すが、とうに人並みに紛れていて見つけられなかった。

 

「ね、珍しいよね。魔法って本当に難しくて訳わかんないのにすごいなーって」

「イヨ坊も魔法詠唱者じゃろうに」

「僕は神様に祈ってたら使える様になったから。魔力系は頭が付いていかなくて」

「幾ら信仰系とは言え、それだけな訳は無いと思うんじゃがなあ……」

 

 因みにイヨはベリガミニから魔力系魔法についての基本的な理論を拝聴した事があるのだが、最初から最後まで聞いて僅かも理解できなかった。途中何度か数学か物理の授業を受けている様な気分になり、『すごいと思った』と授業後に感想を言ったらベリガミニは頭を抱えた。少なくとも学問としての魔法詠唱者の才能はイヨには無さそうだ。事実神官でもある以上感性で魔法に習熟する系統ならばむしろ向いているのかも知れないが。

 

 因みに因みに、イヨはフールーダに魔法に関する質問をされた時も『すいません僕信仰系なので……お祈りしたら使えました』と答えてかの老賢人に膝を突かせた。異大陸からの新たなる魔法知識を僅かでも少しでもと期待していた老人にとって、イヨの言葉は絶望に値するものだったらしい。

 

「冒険者でもそうだけど、あの位の子でワーカーって大変だよね?」

「露骨に話を──まあ、そうじゃな。公国程ではないにしろ、ワーカーの社会的な地位は冒険者と比べてすら低い」

 

 国家に所属しない武力集団たる冒険者だが、それ故に冒険者組合という組織の決まりを守るように定められている。ルールをないがしろにすれば組合から警告や追放処分もあり、噂では特別悪質な規約違反者には組合が抱える暗殺集団が送り込まれるという。

 

 ワーカーにはその組合という枷すらなく武装してグレーゾーンの、時には丸っきり非合法の仕事をしていたりするのだから、多くの国で裏社会の住人と半ば同一視される。

 

「組織の理屈や利益に左右されず人を助けたいという理由であえてワーカーをやっている人もいたりするから、驚くほどの善人もたまにいたりするんだがな」

「人には色々事情があるからのう」

 

 冒険者からのドロップアウト組である彼らは警戒と嘲笑を込めてワーカーと言われるが、公国では其処に更に侮蔑が混じる。それぞれの個々人は兎も角、公国では『冒険者』は時に英雄の卵的な見方すらされる職業だ。他国より社会的な地位が高い。

 

 冒険者としての陰の側面を求めた彼らに、『英雄から背を向けた者たち』という世間の視線まで追加されるのだ。具体的に言うと警備兵からしょっちゅう声を掛けられて大変らしい。

 一方、ガルデンバルドが上げた様な組合や神殿のルールに左右されず人を助ける目的でワーカーをやっている様な一部の人々は公国ではホワイトワーカーとも分けて呼ばれ、陰ながらの称賛を送られるアンチヒーロー的な扱いを受ける。

 

「まあ何か事情はあるんだろうな。知らねえけど」

 

 リウルはどうでも良さげである。冒険者に憧れて生まれ故郷を出た彼女であるから、冒険者から脱落した者たちに良い感情は無さそうだった。

 

「そんな事より今日の予定だよ。陛下の所が最優先だったけど、冒険者組合魔術師組合、それに神殿。さっさと挨拶回りするぞ」

 

 言動は時として荒いが、元お嬢様という生まれ故かそれとも仁義を通す不良めいた価値観か。彼女は礼儀に対して細かく、そしてマメだ。頻繁に指名依頼をくれるお得意様には時候の挨拶を欠かさないし、イヨの時もそうだが新しいメンバーが入ると何らかの形で紹介に訪れる等、縁の繋ぎに熱心である。

 

 初めて訪れる帝国首都であり、そして今や自分たちはアダマンタイト級。かつて憧れ仰ぎ見た大先輩たちと同じ地位。夢に見て、そして辿り着いたその高き位を汚すまいと振る舞いには一層気合が入っている。

 

 それなりの期間滞在する予定なので、関わりそうな所には前もって顔を出しに行くのだ。【スパエラ】は未だ神官募集中だし、異教の神を信仰するイヨの事など、両組合は元より神殿にも気を使っておいて損は無い。

 

「オス──」

「最後! 散々四騎士の方々と戦ったろ、何時間か早く行った所で日程はそう変わんねえよ。ハコの都合やスケジュールだってあるだろうしよ」

「パル──」

「明日にしろ。そもそも向こうの定宿だって分からないんだから今日は無理だ」

 

 ここぞとばかりに二連挙手したイヨの発言をリウルが切って捨てる。

 

「俺は明日ナザミ殿との約束があるからな。そっちには行けんぞ」

「明日は儂も終日魔法省じゃからのう、そのつもりでな。いやー、渡した物が物とは言えまさか部外者である儂に許可が出るとはのう。言ってみるもんじゃ」

 

 若手二名のやり取りを傍目に笑う年長者たちである。前回の反省を生かし、日常時でも通信手段は付けっぱなしにしておくのでその辺は大丈夫だろう。

 

 今回の帝国での一件で肩の荷が下りた気分であった。

 

 イヨは魔法が怖い。脅威であると感ずる。自分がこの世界に持ち込んでしまった幾つものアイテムに脅威と恐怖を覚えた。

 

 元々、イヨはユグドラシルをじっくり遊ぶ為にレベル下げまでしていたプレイヤーだ。持ち物には大した物が無かった。ネタアイテムは充実しているが、ユグドラシルプレイヤーならその大半が口を揃えて価値の高い物は無いに等しいと評しただろう。

 

 それでも、魔法詠唱者の道自体が狭き門であり、その中でも第一位階以上の魔法を扱えぬまま世を去る者も珍しくなく、第二位階ですら一万人に一人の才覚が必要とされ、第三位階に至れば魔法詠唱者として大成したと見做されるこの世界では、ユグドラシル産のどうって事の無いアイテムだって人命を蔑ろにしてでも奪い合うに値する秘宝と成りかねなかった。

 

 第六より上というとこの世界では人跡未踏の神の領域、専門書よりもお伽噺や神話の領分である。

 

 ゲームとしてのシステム上微妙な代物になってしまっていた疫病を撒き散らしたり害虫の群れを呼ぶ魔法、多数の雑魚を召喚する魔法などそのまま街一つに対する大量虐殺手段に早変わりだ。

 

 第五から八位階の魔法が籠ったアイテムなど使いようによっては物理的に国が揺れる代物だ。単純な攻撃魔法でも第六より上ともなればその威力、効果範囲は一度に三桁の命を殺傷するも、或いは可能であった。

 

 フレンドリーファイアが有効で、乱戦に範囲魔法を打ち込めば味方も焼いてしまうこの世界では、下手に低レベルな内に巻物や短杖で高位魔法を使える状況にあっても使いにくい。万が一にも味方を巻き込めばただでは済まないし、魔法によっては周辺環境ごと更地になる。街中では絶対に使えない。

 

 よりにもよって、イヨが持っている巻物や短杖の多くは遊び用だった。超位魔法や第十位階魔法が乱れ飛び、プレイヤーの多くがレベルカンストしているユグドラシルでは遊びに使うものに他ならなかった。

 

 真面目にゲームをやっている時では無く、友達と一緒に遊んでいる時にでも『奥の手を使わせてもらおう……!』『馬鹿な、何故お前がそれを……!?』といった風に互いに戯けてオリジナル詠唱などを加えてぶちかましたりする奴だ。どうせ味方の魔法は害を及ぼさないし、敵として当てられ死んでもすぐ蘇生してやり返してやる気楽な遊びだった。

 

 エフェクトが派手で、大規模で、高火力で。つまりゲーム内ならエンジョイ勢的には人気の高い魔法で、此方の世界なら対象を周辺一帯ごと破滅させる禁忌の魔術だ。多分皇帝ジルクニフに献上した物のうち、第八位階のそれなどは帝城を崩せる。

 

 仕舞ったままにしていた玩具をふと手にした時、【スパエラ】の三名から危険性を説かれ、騒乱を招き直接的な被害以外にも多くの人を殺しかねないと理解したイヨは生涯アイテムボックスに封じ、人目に触れさせまいと思った。

 

 だがそれにベリガミニが強硬に異を唱えた。遥か太古の超魔法文明の遺産──イヨはアイテムの出処を古代遺跡で見つけたと言い繕ったのだ──を持ったイヨが同じく超高位転移魔法でこの大陸に来た事に運命めいた、人の域を超えた何者かの導きすら感じると、老魔法詠唱者はそう言った。

 

 死蔵するより活かすべきだ、悪用の危険があるというなら信頼の出来る相手に託すべきだ、幸いの今の時代には人類史上最高峰の大魔法詠唱者が存在する、その方に──と。

 

 仲間内で幾度も話し合いを重ね、結局その通りにする事にした。

 

「ねぇベリさん」

「なんじゃ、イヨ坊」

「陛下とパラダイン様、本当に大丈夫だと思う?」

 

 自分は単なる偶然によって、理由なくただただこの世界に来た──そう察し始めていた当時のイヨに、ベリガミニの語る運命論は甘美な、抗いがたい魅力があった。

 

 役割があった。人の役に立てる役割が。それを果たす事が出来る。魔法の進歩、新たなる地平、より深き深淵の開拓は遠近の未来で莫大な人類の財産となる。規模が大きくて耳障りのいい話だった。だからこそ一般市民として育ったイヨからすれば、全てが悪く回った時の悪影響が気になったのだが。

 

 例えば、常人の人生数回分もの時間を魔法に捧げてきた人物が、超高位の魔法を手にして心の均衡を失うとか。

 例えば、既に超大国の支配者として高みに立つ人物が、神の如き暴力すら手に入れて野心を暴走させるとか。

 

 その結果戦乱やら騒乱が巻き起こって、幾多の国々で人が死ぬとか。多くのフィクションに触れてきたイヨであるから、そうした悪いパターンを想像する事は容易であった。

 

 ──だって絶対何かある流れだもの。もし漫画アニメでこの流れがあってその後何も無かったらそれはそれでもにゃっとする位だよ。

 

 実際に見た皇帝ジルクニフと大魔法詠唱者フールーダは、イヨの目から見れば聡明な君主と慈悲深き賢者に見えた。だがイヨはこと戦闘以外において自分の見識や観察眼を信用していない。

 

 職業とレベル、そして鍛錬によって実戦証明された戦闘以外でのイヨの知識など甘やかされて育った温室育ちの子供のものでしかない。転移してより此方の世界で、己の力のみで世の中を渡ってきた多くの大人と交わり、イヨはつくづく痛感した。

 

 日常生活時は兎も角、仕事において頭脳労働は自分の役割ではない、と。故にそちらの担当者を頼る。因みにガルデンバルドとリウルは既に二者を『信用できる』と裁定しており、ベリガミニだけが首をかしげて返答を保留していた。

 

 ベリガミニの返答は即座であった。内心で既に考えは纏まっていたのであろう。老いてなお矍鑠とした老人は張りのある、しかし雑踏に紛れる小さな声で、

 

「陛下の方は問題ないと思うのう。音に聞く通り聡明であられる。要らぬ敵を増やす趣味は無さそうじゃし、魔法の価値を十分に分かっておられるものと見受けた。あの火力をわざわざ人なんぞ向ける場面もそうあるまい」

「互いの間に繋ぎを作っておこうという意図も十分通じたしな」

 

 一個人にして軍勢を打破する者、それがアダマンタイト級。その気になれば国家とだって相打ちに持ち込める存在だ。モンスター対策という一点において国の行く末すら左右する。故に重宝され、尊重されるのだ。

 

「ただ……パラダイン様のあの態度は真なるものかどうか……」

「……! 何かありそうなの?」

 

 イヨが青い顔で反応する。

 

「魔法詠唱者にしては綺麗過ぎる気がするのじゃ」

 

 確信がある訳では無く、ただ単なる勘なのじゃが、と老人は前置きし、

 

「儂の経験上、飛び抜けた何かを持つ人物は人格やら性癖も一風変わった、癖のある人間である事が多い様に感じる」

「あー……」

 

 思う所があるようで、リウルが左斜め上を見ながら呻きを発した。ガルデンバルドも無言で腕を組み、深く頷く。元の世界と公国しか知らないイヨと違って、リウル、ベリガミニ、ガルデンバルドの三人は他国にも足を運んだ事がある。

 

「例としてはどの国のアダマンタイト級も個性豊かじゃしな。まあ大概普通とは程遠い素質を生まれ持ち、窮地を切り抜け、そして万人の頂に立つ力を持つに至った方々じゃから普通と違うのも当たり前といえば当たり前かもしれんが」

 

 そしてフールーダ・パラダインとは、英雄の領域すら超えた超人であり、単純に考えても百年単位で魔法に打ち込んできた人物である。それ相応の執着、執念、いっそ怨念めいた強烈な関心があって然るべきだが、それが見えなかったのが気になるという。

 

「第三位階までですら多くの人間が拒絶される高みよ……ましてや第六位階詠唱者が更なる高位魔法と向き合ったのじゃ、むしろ取り乱す位で当たり前と思ったが余りにも──善人過ぎる」

「爺さんもパラダイン様とは初対面だろう? あの時のパラダイン様の反応に不自然な所は無かったと思うが、疑う根拠は?」

「だから言うておるじゃろ、同じ魔法詠唱者としての勘よ」

 

 根拠など無いわ、とベリガミニ。

 

「いや、ただ単に良い人という可能性も普通にあるのじゃが、前人未到の域まで己を高めた超人たるお方にしては清過ぎている気もする、というのが儂の意見じゃな」

「その点について、ベリさんは根拠がないにしてもほぼ確信してるんだね」

「まあそうじゃな、なんというか……儂が思い描いていた憧れの大魔法詠唱者、魔法に憑りつかれた正気の狂人というイメージとの落差が気になってのう」

「もしそんな人だったら僕、ちょっとアイテムを託すの怖いんだけど……」

「一体何故そんな恐ろしい大魔法詠唱者像を信じる様になったんだ……」

 

 魔法に狂っている魔法詠唱者など掃いて捨てるほどいるのに、云百年研究を続けてきた魔法詠唱者の頂点が真人間であるのは不自然、というかむしろ理不尽、狂気の執着あればこその前人未到の境地である筈──それがベリガミニの認識だったらしい。

 

 先に上げた、『飛び抜けた能力を持つ人間は性格や性癖もトんでいる事が多い』の例に沿った考え方である。

 

「じゃあ、陛下は兎も角パラダイン様は危ない……?」

 

 イヨの瞳に決意が宿る。

 

 表情は変わらない。歩みも変わらない。殺気も戦意も無い。ただ『戦闘の可能性』をノータイムで了解し、有事の際の心構えを再度完了する──何も無ければそれが一番だが、何かあったらその際は責任を取ってやらねばならない、と。

 

 元々、日常時の不意打ちでも問題なく対処し襲撃者を沈黙させる事が可能な人間、それが篠田伊代である。戦闘や殺傷に覚悟や準備は必要としない。必要とあらば肉食の虫が獲物を喰うのと同じ次元でイヨは戦える──

 

「いや、それも無いと思うのう」

「え、無いの?」

 

 ただ、今はそういう展開では無かったらしい。

 

 これにはイヨばかりでなく、リウルやガルデンバルドも首を傾げた。

 

「爺さんから見て少し違和感があるんだろう? 仮に本性を偽っていたとして、それは怪しいという事じゃないのか?」

「仮に儂の勘が当たっており、パラダイン様が本性を偽っていたとしても、それは偽った理由によるじゃろうよ。儂は案外、先程のイヨの言葉がその答えじゃと思っておる」

 

 僕の言葉ってどの言葉、とイヨが考え、そして、

 

「そんな人だったらアイテムを渡すのは怖い……?」

「善人だろうと魔法狂いの取り繕いだろうと問題ないと儂は思うんじゃよ。善人なら言わずもがな、魔法狂いじゃとしても尚更つまらんことにあの魔法たちは使わんよ」

 

 神話級の魔法の使い道としては虐殺やらなんやらはつまらない上に無駄だ、とベリガミニは言う。勿体ない、と。

 

「聖剣や魔剣を台所包丁にする様なもんじゃ」

「でも、力を持って変わる人もいるよ」

「おいおいイヨ坊よ。誰に物を言っとるんじゃ? 相手はパラダイン様。人間の限界を超えた英雄の領域を更に超越したお方よ。誰も敵わぬ圧倒的な力ならとっくの昔に持っておる」

 

 単身で帝国全軍に匹敵する戦力であり、通常人に数倍する寿命があり、首席宮廷魔法使いという地位があり、幾多の国難を打破した護国の人という名誉名声があり、歴代皇帝を最も近くで支え続けた男でもある。数多の弟子や孫弟子、部下たちの中には皇帝では無く師の意志にこそ従うという者だって多いだろう。

 

「パラダイン様に常人並みの権力欲や上昇志向等というものがもしあったなら、帝国はとっくの昔にあの方に支配されておってもなんら不思議ではないわ。幼い内に都合の良い考えを吹き込み皇帝を傀儡に──いや、それこそパラダイン魔法国を打ち立てる事すら不可能では無かったじゃろう」

 

 全てを力尽くで意のままに出来る能力がありながら、何十年もの間首席宮廷魔法使いという地位に収まり皇帝の腹心の部下として在り続けている事自体が、ある意味そういった欲の無さを証明しているという。

 

 ベリガミニは同じ魔法詠唱者として無根拠に確信する──あの方には、魔法詠唱者の頂点たる老賢人の中には、恐らくきっと魔法しか無い。魔法の為なら狂喜さえ封じ込めてみせるだろうと。

 

「……じゃあ、結局大丈夫って事で良いの? 陛下もパラダイン様も良い人で良いの?」

「人を善悪二分で考えんの止めろつったろお前よー」

「儂はなんにも言えん。根拠ないしのう。魔法詠唱者としての願望交じりの決め付けじゃしのう。でも儂は問題ないと思うとる。まあ過信しない程度に警戒しつつ様子を見取ったらええ。事前に話し合いで決めた事と同じじゃあ」

「まあ例え信用できた所で全く警戒しないって事は有り得ねぇしな。つーか俺としてはロックブルズ……殿の見せた敵意の方が気になる。異常だぞあれ」

 

 あーあれかぁ、とイヨがちょっと悲しそうに眉を歪める。覚えは無いなりに迫真の敵意にして隔意にして殺気であった。イヨは城を去る最後の瞬間まで首筋に刃の感触を幻覚していた。

 

「練習は混じり気なく真剣にやってくれたし、あまり悪い人じゃ無さそうなんだけど……毎回殺されそうになっちゃった。あの黒い波動は凄い、尊敬する」

「……こいつはとても遠い国から来たんだよなぁって、こういう時に実感するよな」

「……イヨも強者だからな」

「うむ。イヨ坊の故郷の歴史もかなり複雑じゃしのう」

 

 イヨの語る『僕の元居た国の話』は現実日本とユグドラシルとSWが混じり合った人外魔境譚である。空気は穢れ土は死に水は淀み蛮族と魔物が跋扈し、そんな中でも人間はしぶとく生き残り続けている──話を聞いた人々にはそんな風に捉えられていた。

 

「四騎士の方々と戦えただけでも帝国に来てよかったと思えたよ……でも他にもアダマンタイト級が二チーム、武王、伝説の老兵……偉大なる先輩方。ワクワクが止まらないね」

 

 花咲く笑顔でイヨが笑う。弾む足並みで前に進む。流血の予感に、更なる激戦に、自らの進化への期待に血流が加速し、心臓は鼓動を速め、頬を染める。

 

 食べる事、眠る事、交わる事──イヨは生きるのが大好きだ。何処であろうと生を謳歌する。故に食べる様に眠る様に交わる様に戦う、戦える。戦いたい。それが人の助けになれるのなら尚更。

 

 逃がした敵はこの手で滅ぼす。その為に更なる力を。練習を。

 

「あとお買い物もしたいね! リウルさん、新居用の家具とか買ってく!? さっきから見てたんだけど、家庭用のマジックアイテムとかも種類凄いよ! 僕冷蔵庫欲しい!」

「──荷物増やしたくねぇなぁ、下見だけしといて最終日に買おうぜ」

 

 リウルは瞬時、その笑顔に目を奪われた。幼げなその笑顔には生死が、平穏と闘争が、愛情と共に同居している。

 




最新刊や既刊の読み直しで新設定、再発見がある度に自作を書き直したくなるが、エタる自信があるので「これはやばい」という点以外は不定期に細々直していく所存。

新刊良かったですね。ネイアさん予想外過ぎましたが。ゼルンの王子様好きです。
アニメ三期も始まりましたね。まさか三か月も更新できないとは我ながら……。田んぼと畑と猛暑が悪い。ごめんなさい。

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