ナザリックへと消えた英雄のお話   作:柴田豊丸

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興行主オスクと首狩り兎

「……」

「……」

「…………?」

「あの、何か……?」

 

 二人が無言で見つめ合って対峙し、もう二人は意味が分からんと言わんばかりの疑問顔で対峙を見守っている。

 

 対峙する二人の内一人はラビットマンという種族の女性だ。概ね人間に近い顔──可愛らしいが、やや野性味を帯びた動物的な美貌──で、その種族名が表す通り頭部には兎の耳が生えていて、メイド服を纏っている。

 

 そしてもう一人は人間の少女だ。ラビットマンの女性と比べてかなり小柄で、年齢もずっと下だろう。こちらも街で同等の容姿を持った少女を探すのは困難だろうと思わせる程の可憐さだが、今は緊張感を漂わせた真剣な顔で姿勢を正している。

 

 そして『何やってんだこいつら』という内心を礼儀作法で包み、謎の対峙を見守るのは執事服を着た品の良い老人と、鋭い顔立ちをした細身で黒衣の人物だ。

 

 女性と少女が互いの姿を視認し、時が止まった様に見つめ合う事既に一分近い。

 

「貴方のそれは……何のために?」

 

 少女が静かな声で問うと、意味不明な緊張感が深まった。自然と執事と青年の視線がラビットマンの女性に向き、彼女は深く落ち着いた声で、

 

「……仕事のため。今は本領で無い様だけど、君は?」

「……芸事です。一応今の格好で素なのですが」

「……素。そう、か……」

 

 頭部上方に無数の『?』マークを浮かべながら会話に聞き入る部外者二名。立ち入れない、理解できない、何もかも。

 

 ラビットマンの言葉を受け、少女が動く。素早く三つ編みを解いて柔らかな白金の髪をストレートに。そして懐に手を差し入れ、取り出したのは蝶の意匠をした髪飾りだ。そしてそれを既に付けていた地味なものと交換で頭部に装備した。

 少女趣味な代物で、大人の女性がちゃんとした場で付けるならば不似合いだが、正に少女と言うべき年齢である彼女の白金の長髪と相まって雰囲気が一気に華やぎ、ただ髪型を変え、一つ小物を足しただけなのに生来の美貌に一層の磨きがかかる。

 

 少女の一連の行動を見守ったメイドラビットマンはゆっくり幾度か頷き、鋭い目で改めて少女を見やると、やがて鷹揚な仕草で片手を差し出した。少女は深々と頭を下げると、自身の両手でしっかりのその手を握り締め、数度揺さぶる。

 

「──中々の腕と認めよう。今後も精進すること」

「──ありがとうございます……!」

 

 執事と青年は完全に置いてきぼりである。一切合切最初から最後まで徹頭徹尾意味が分からない。

 

 分からないが、目の前の二人は既に謎の決着感を醸し出しており、何だかその雰囲気からして今この場で改めて疑問を挟むのも憚られた。結果、

 

「……ご案内いたします」

「あ、ああ。頼む」

 

 執事が咳払いをしてから改めて切り出すと黒衣の斥候が応じ、やっと時間が正常に流れ出す。対峙していた二人も何事も無かったかのような割り切りで、ラビットマンの女性は執事に、白金の美髪を持つ少女は青年に寄り添って颯爽と歩み始めた。

 

 屋敷の奥、主が待つ応接間へと。

 

 

 

 

「期待外れにも程があるな、全く」

「そうだった?」

 

 そうとも、と恰幅の良い男──オスクが自慢のコレクションに囲まれた部屋で、ソファにどっかりと尻を落としつつ零した。

 

 その声に反応したのは先程のメイド服に身を包んだラビットマンの女性──にしか見えない男だ。そう、彼女は実は彼であり、れっきとした男性なのだ。

 

 彼女にしか見えない彼は遠方の戦場で『首狩り兎』の異名で恐れられた腕利きの傭兵であった。冒険者のランクにしてオリハルコンは確実という高みに立つ暗殺者兼戦士である。

 

 女装の理由は油断を誘う為、急所を狙われない為などだ。最も部外者の目が無い時でも仕草まで含めて一貫して女装なので、雇い主であるオスクは密かに私的な趣味なのでは無いかと思っているが。

 

「イヨ・シノン──とんでもなく強いアンデッドと一対一で殴り合った新進気鋭の拳士だと言うから期待していたのに……なんだあれは? あれが戦士か? あれが男か? 何処をどう見ても鍛錬の痕跡さえ見えないじゃないか」

 

 オスクは戦士を愛する。そして戦士と戦士の魂と技のぶつかり合いに心底惚れこんでいる。だが自身に戦士たる才は無く、故に自身の代理戦士たる強者を見出し、育て上げ、闘技場でその輝きを煌かせる事こそを己の道とした。

 

 逞しい戦士が大好きなのだ。度重なる鍛錬で厚く頑丈になった掌やぶっ太い精強なる首、大地を踏みしめる強靭な脚、振るう武器が空気を切り裂き敵を打つ様──それらに魅了されてやまない。

 

 理想の姿は王国のアダマンタイト級冒険者、【蒼の薔薇】のガガーラン。少しボリューミーに過ぎるが勿論武王も堪らない。女にしか見えない首狩り兎にしても度重なる局部鍛錬でボールの様に丸くなった手などは戦う生き物感が剥き出しで誠に興奮する。

 

 だからこそ、若いながらも英雄の領域に踏み込んだ拳士と聞いて生唾を堪えて興味津々で対談した訳だが──

 

「女顔の美少年という噂ではあったが、程度や限度というものがあるだろう……少なくとも外見は少女、それも戦闘はおろか労働すらした事のない箱入りの少女そのものだ」

 

 オスクが想像したのは、例え女顔の少年であったとしても、それはそれとして鍛えられた体つきの少年だった。細く引き締まった筋肉がちゃんとついている図を思い描いていたのだ。武器など握らない市井の娘らとて日常の家事炊事で多少手指の皮は厚くなるものだというのに。

 

 あの柔らかそうな手指、細い腰も括れた胴も何もかも、身体のつま先から頭のてっぺんまで一切合切がオスクの好みの対極に位置する存在だった。斥候にして盗賊だというリウル・シノンの方がまだしもオスクの嗜好に適う。彼女は細身でこそあるが身のこなしの軽やかさや油断の無さは素晴らしいものだった。

 

 女性として魅力的な体型を保った強者というのはまあそれなりにいるが、だとしても鍛錬を積み引き締まった肉体と両立しているのが大半だ。鍛錬による変化や痕跡が一切見当たらない強者というのは常識的物理的にいない。普通に考えれば外見を偽装しているのだろうが、本人曰くあの見た目は天然物だという。

 

 本当に強いのか、とさえオスクは思ってしまう。願って見せて貰った武具こそ素晴らしい物ではあったが、それを込みにしても思わず辛い目で見てしまう人物だった。物腰も行儀のいい良い子ちゃんといった感じで全く覇気に欠ける。

 

「本当に強いのか? 公国の冒険者は長い事アダマンタイト級が空位だったな」

 

 そのせいで『公国冒険者は全体的に他国より力量が劣る』という評価を一部で受けていた。装備は素晴らしかったが、相応の手間と金を掛ければ弱い者を強い装備で覆う事は出来る。

 

「まさか外部へのアピールの為に架空の強者を作り、祭り上げているんじゃないだろうな……当日になって箔付けの為の芝居に付き合えと言われても困るぞ。──評価は?」

 

 よほどに期待外れだったのか──密かに惚れ込んでいたガルデンバルド・デイル・リヴドラッドが同道していなかったという落胆も合わさって──立て板に水の如く不満を垂れ流していたオスクが、ようやく傍らに立つ首狩り兎を振り仰ぐ。すると、

 

「かなりやばい」

 

 即答する声に、オスクの顔が驚きに染まる。いや、アダマンタイト級冒険者である事を考えればその答えはむしろ当然なのだが、疑っていた分だけ虚を突かれた思いだった。彼女もとい彼が武王を『超級にやばい』、四騎士を『やばい』と評していたのを鑑みるに、その中間ほどの強さだという事だろうか。

 

 そうであるならば確かにそれは、英雄の名に相応しい武力であると言えた。

 

「一緒に居たリウル・シノンの方も結構やばい。新進とは言え流石アダマンタイトって感じ」

「なら、あの外見はお前のやっている様な高度な偽装か? 敵を油断させるための?」

 

 自分で言うのも何だが、オスクは戦士としての技量や観察眼を有さないなりに、人生の大部分を掛けて強者を見続けてきた。その自分の目利きさえ眩まされるとは、あの外見そのものが一種の優れた隠形であり武器とも言える──とオスクが思っていると、

 

「あれは素だって」

「あれは素なのか」

 

 ちげぇのかよ、どうなってんだ。とオスクは思った。

 

 因みにこの時のイヨの身体は表面の部分が焼け爛れたやらなんやらでポーションを飲んだ為、表皮に関してはほぼほぼ赤ん坊並みの柔肌具合であるし、指などの末端に関しては生えてから一日ほどの新品である。

 現在のイヨの肉体は三十レベルに至るまでの全経験をユグドラシルというゲーム内で熟している。ゲーム内ではHPが減る事はあっても肌が痛む事は無く、再生もしない。レベルアップによって筋力値が上昇する事はあっても、筋繊維が千切れて超回復しより太くなる事も無い。

 

 此方の世界に来てからも肉体の変化が定着する前に肉体をぶっ壊し、無くした四肢さえ生えるポーションで再生してしまう生活を日々続けている。リーベ村に降り立ってから公都に至り副組長と戦うまでの数週間程度の生活によって、生まれてから一度も穢れに触れず生きてきたが如きゲームキャラの現実化と言える不自然なまでの清らかさは既に失っているが、それでもこの世界で生きる普通の人々と比べればまだまだ華奢で綺麗過ぎる。

 

 『戦闘はおろか労働すらした事のない箱入りの少女そのもの』というオスクの見た目は、外見に関して言えばほぼ正確である。イヨの身体に宿る強さは生理的物理的な鍛錬のたの字も無く、ゲーム的でデジタルな数字によって設定された強さをそのまま保持しているだけなのだから、ただ座っている姿やただ歩いている姿をいくら見ようと其処に戦闘力を見出す事は難しい。

 

 イヨの強さを認めた公国の者たちにしても、そのほぼ全員が戦う所を直に見るか、信頼できる者たちから情報を得てからその事実を現実と認識した。

 

 スポーツ競技に熱中しながら幸せに生きてきた篠田伊代の人格がゲーム内で仮想モンスター相手に暴れていたアバターイヨ・シノンの肉体という皮を被っている、つまり別々の物が後からくっつけられた不自然極まりない産物だ。

 ぶっちゃけ詐欺そのものなのだ。

 外見と中身が本当に関係無い上にそもそも生来の生身ですらなく丸ごと貰い物など、こんな奴はユグドラシルプレイヤーであるイヨしかいない。どんな人生を送ってきたとしてもこんな奴には絶対出会わないだろう。

 まあイヨのアバターの外見はリアル伊代のスキャンで作られているが、それでも『ある程度似通っているだけの完全な別物である』事は間違いない。

 

 首狩り兎が実力を見抜けたのは、『実際に仕掛けたとして勝てるか否か』という幾多の実戦経験によって培われた戦士の目故だ。『絶対ではないにしろ、相当分の悪い勝負になる』という結果を、イヨが培った訳でも無くただ持っている『力』を彼は見抜いた。

 

 本人も女装によって己の脅威度を偽っている故か、割合簡単にイヨの偽装を超えた偽装を看破した様である。しかし彼からすれば気になる点は他にもあったようで、背筋をまっすぐに伸ばし腕を組み、何処か虚空を睨みつつ、

 

「十代の内はまだ肉体的に成熟し切らない部分があるし、そう考えると容易ではあるんだけど、彼のそれはもう、そういう常識的な領域じゃないねー……」

「……?」

 

 ──十代の内? 外見的に成熟? 戦いの話ではない、と直感したオスクは怪訝に思いながらも聞き入っていると、

 

「あれは正に天性、正に才能、生まれた時から普通とは違う……余人がどれ程己を磨こうと辿り着く事敵わぬ遥かなる境地、そら恐ろしくなる程の──女装の才」

 

 オスクは座ったままがっくりと肩を落とした。真面目に聞いたのが馬鹿みたいである。雇い入れてからそれなりの期間が立つが、こんな首狩り兎は初めて見る。

 

「技量的にはまだまだ粗削りだけど──研鑽を積めば遠からず私の喉元にも届き得る」

「首狩り兎……お前矢張りその恰好は趣味なんじゃ」

「女の格好をしていると相手が舐めて油断するし股間を攻撃されないという二つのメリットがある」

 

 一息で言い切り、首狩り兎はじろりとオスクを睨んだ。

 

「ほーん?」

 

 手を腰に当て、首狩り兎が変な声を上げる。その目線は明らかに追及を嫌っていた。代わりのいない強者である首狩り兎に契約更新などを盾にされるとオスクはあまり強く突っ込めない。

 

 まあオスクとしても其処まで雇用している者の趣味嗜好に関心がある訳でも無い為、素直に引っ込む事にする。強い者というのは大なり小なり我が強く、変わり者ばかりなのだ。

 

 話題を切り替える意味を込めて、先程二人が退室していった扉の方に眼をやり、オスクは二度三度と頷く。

 

「プレートに相応しい実力があるのなら、武王の相手としては申し分ないな……」

 

 勿論力量の程は武王の方が圧倒的に上だ。武王こそは闘技場最強の戦士。生まれながらの強者たる種族が後天の研鑽を積み遥か高みへ辿り着いた稀有なる存在。

 種族的に生まれ持った肉体の性能だけでも人間を圧倒する生物が戦士としての修練を重ね、弱い種族の様に技術を学び、それ自体が優れた武器であり防具である身体を更に武具で覆う。故に武王は強い。

 

 帝国最強の四騎士ですら四人がかりでも武王には敵わない。

 

 故に武王は欲している。己に相応しい相手を。

 

 強過ぎる武王は己を害し得る敵との戦闘など数える程しか経験していない。特に戦士としての技量を積んでからはそうだ。だから苦戦する状況を求めて、対戦相手の情報を事前に求める事はしないなど己に縛りを課す様になった。

 

 それでもなお、勝利は積み重なり続ける。前武王【腐狼】クレルヴォ・パランタイネンを破り、武王の名を継いで以来無敗。それ以前とて敗北は少なかった。

 

 戦う相手への期待と興奮が失望に変わってから、もう長い。戦士を最も成長させるものは自分と同等以上の強者との戦いだ。武王は自分より強い戦士、自身こそを挑戦者とせしめる絶対強者が己の前に現れる事を強く願っている。

 

 アダマンタイト級冒険者とて、単身では武王に遥か及ばないだろう。冒険者の強さは連携と多様な手段によって敵に当たる事にある。

 

 だがそれでも、挑戦者の気概でもって挑む若き英雄の死力が、無敗の王の喉元に届いてくれたなら──同等の実力者との戦いではないにせよ、きっと武王の無聊は慰められる。

 

 弱い挑戦者への失望が、かつて心を満たしていた期待と興奮に取って代わる事があるかもしれない。

 

 勝負が盛り上がった方が興行的に喜ばしいという興行主としての打算抜きで、オスクは己が育て上げた最強の戦士にして無二なる友の為に願う──イヨ・シノンが強く武王に挑み、その無敗を揺るがしてくれる事を。

 

 そしてその上で、武王ゴ・ギンがより高みに昇る事をだ。

 ひとまずオスクは興行主として、久し振りに武王の試合が組まれる事をしっかりと宣伝し、流血に飢えた観客たちで闘技場を一杯にする準備を始めた。

 

 

 

 

 オスクの館を出た『性別以外少女そのもの』ことイヨと『イヨのせいで男に間違われる』リウルは次なる目的地に向かって帝都を歩いていた。例によって周囲から多数の視線が集中しているが、元よりリウルは他者の視線に気を取られる質では無いし、イヨも目立つのは好きな方だ。幼い頃は大人たちに構って欲しくてアホな事を一杯したものである。

 

 まあそれでも、常に人の目がある状況でアダマンタイト級冒険者として相応しい行動しなければならないというのは少し大変だが、極端な話、そういう時は首に下がったプレートを服の下に仕舞えばいい。情報の伝達速度が人の移動速度とほぼ等しく、ネットに写真がアップされたりテレビで報道されたりしないこの世界では、隣の国まで来てしまえばどんな有名人でも一般人に人相までは知られていない。

 

 冒険者や傭兵、騎士など一部の者たちは兎も角、道行く市井の人々はイヨ・シノンの名もデスナイト討滅事件も詳しい事は何も知らないだろう。隣の国でそういう事があったらしいという噂を聞いた、くらいはあるかも知れないが。

 

 プレートさえ外せばイヨはあっという間に一人の子供に早変わりだ。それでも一般人らしからぬ服装や容姿のせいでどうしてもある程度は人目を引いてしまうが、人類の最高位者、人類の切り札としての注目に比べたらほんの些細なものである。

 

 他の三人は実績を積み己の力で今の地位を掴んだのだからこういう反応に耐性があるというか、受け止めるだけの度量があり苦にならないのかも知れないが、貰った力で一足飛びに最上位まで至ってしまったイヨとしては、『すげぇ、あれ見ろよ……アダマンタイト級冒険者だ……』『おお……!』みたいな無条件の畏敬が籠った呟きが耳に入る度に、ちょっとクるものがある。

 

 強さが大きな魅力として映るこの世界の価値観にプラスして、アダマンタイトプレートという至上の武力の証明、英雄の証が『見知らぬ冒険者』の人間性さえ英雄に相応しき者として保証しているように見えるのか、老若男女問わずの熱い視線は決して少なくない。それもちょっとキツい、時がある。

 

 公都だともう『英雄イヨ・シノン』では無く『馬鹿みたいに強いアホな子供イヨ』を知っている人がたくさんいるので、こういうむず痒さを感じる機会は少なかったりするのだが。

 

 良くも悪くも『外国まで来たんだなぁ』とイヨは実感する。

 

「つーかお前いつまでその髪型でいるんだよ」

「え、リウルこれ嫌い?」

 

 黙していたリウルが唐突に指摘した通り、イヨは解いた三つ編みをそのままにしている為、白金の長髪がさらさらと靡いている。普段の三つ編みは純朴な快活さを見る者に感じさせるが、こちらは行き届いた手入れと髪質の良さが強調され上流階級的な美麗さを感じさせる。

 

 本来就寝前などの限られた時間しか目に出来ない俺だけのイヨの姿なのに──とかリウルは別に思ってない。思ってないったら思ってない。

 

「好きとか嫌いとかじゃなくて……そもそもあの遣り取りなんだよ? あの一瞬でラビットマンのメイドとお前の間に何の意思疎通があったのか俺は全く理解できないんだが」

「いやあ、お互い女装者としてシンパシーというか、通じ合うものがあったんだよ」

 

 イヨが楽しそうに言うと、リウルは眉間の皺を一層深めた。

 

「女装者ってなんだよ? つーかあのメイドも男か……」

 

 ラビットマンは容姿が比較的人間に近いので、異種族ながらも美醜の価値観もまた近しい。

 

 リザードマンの様に立派な尻尾と鱗の艶どうとか、ドワーフの様に手入れされた髭がどうとか、トロールの様に太い四肢や太鼓腹が云々とかでなく、人間種目線での『容姿の整い』『容姿の良し悪し』が比較的通じる種族なのである。

 

 闘技場を借りて演目を行う興行主の中でも最も力を持つ男、オスクの下で出会ったメイド姿のラビットマンは動物的な可愛さを持っており、人間種目線でも十分魅力的な女性として見えたが、実は男だったらしい。

 

 暗殺者兼戦士としてかなりやるだろうという実力は見抜いたリウルだったが、性別までは見抜けなかった。というかそんな疑いの視線を向けるとか以前の女装の完成度だった。

 

 リウルは正直、公私共にパートナーであるイヨの女装に対する熱意だけはさっぱり理解できない。この上なく似合っているとは思うが『しかし何故女装を……』という感覚は抜けないのだ。決して嫌いでは無く、これもまたパートナーの魅力であると思ってはいるが。

 理解できないなりに頭ごなしに否定したくは無く、イヨ曰くイヨの国は神話の英雄が女装し、数百年の歴史を持つ伝統文化にも男の女装があり、女の男装がある異性装に一家言持ちの国家だそうなので、文化の違いという事ならば分からないなりに尊重はしたいと思っているのだが。

 

 『せめて俺の前でだけやれよ』と無意識に思ってしまったリウルの胡乱気な視線の先でイヨはなにやらテンションを上げていた。

 

「うーん、本題と別件の所で大先達に出会えるとは思わなくてね、びっくりしちゃったよ。でも先輩から頑張りなさいって言われたし、僕もこれからもっと頑張らなくちゃ。芸は磨き続けないと飽きられるからね」

 

 

 ──現時点で先輩に立ち打ちするには、これまで温存しておいた秘技を用いないとどうにもならないね。

 

 イヨは意味深にそう呟く。リウルに突っ込んで欲しいという雰囲気が表にバシバシ出ている。『俺が口火を切ったとはいえこの話長引くのかよ』と思ったリウルだったが、半ば義務感で聞く。

 

「……秘技って、お前まだ女装の引き出しあんの?」

「良くぞ聞いてくれましたぁ!」

「うるせぇ」

 

 元気と愛嬌を過剰積載したデカい声が耳に響いたのでリウルは端的に窘めた。同時にプレートを服の下に仕舞うよう指示を出す。これから先の話を『アダマンタイト級冒険者同士の会話』として周囲に拾われたくなかったからだ。

 

「ふふふ、いいリウル? 今までの女装は素のままの僕が衣装だけを女物に変えた省エネバージョン。言わば簡易女装形態イヨ・シノン! 僕はまだ──完全女装形態と虚像女装形態、超理女装形態の三形態を残しているんだよ!」

 

 髪型以外にも髪や目の色を始め顔立ちや身長体格にも手を入れる完全女装形態イヨ・シノン。

 純然たる詐欺こと虚像女装形態イヨ・シノン。

 最早定義的には女装ですらない超理女装形態イヨ・シノン。

 もう何と言えばいいのやら。

 

 身振り手振りと共にテンション高く語るイヨを前にリウルは理解不能だと内心で端的に断じ、同時に『誰がイヨをここまでアレにしたんだ、前話してたシラタマとかいう奴か。あいつが丸め込んだのか』と軽く嫉妬心を抱く。

 

「僕も先輩を見習って久し振りに着てみようかな、メイド服」

「持ってるのか」

「戦闘用と作業用とお洒落用で七着持ってるよ。僕も好きなんだけど、白玉さんは半端じゃなく好きでね」

 

 因みに白玉はミニスカや半袖、胸が開いた露出の多い系統のメイド服絶対反対派閥である。『スカート丈は踝まで。露出は顔以外ゼロであれ。手袋着用かつチョーカー装備が望ましい』というのが彼女の個人的正義だ。ただし歴史的史実的に正しいメイド服にはそれほど関心が無く、ファンタジーで良い、ファンタジーが良いと思っている。

 

「メイドが主人公の漫画──ええと、娯楽用の書籍? 読み本? とか沢山持ってるんだって。作業用はシンプルだけど戦闘用とお洒落用は結構凝ってて──」

 

 ──戦闘用のメイド服って何だよ。メイド服って要するに女の使用人であるメイドが着る仕事着とか作業着の事だろ? 戦うメイドってそれメイドか? 戦士じゃないのか? 戦士が使用人の衣服を着たとしてもそれは戦闘に不適当な恰好をした戦士であってメイドじゃないんじゃないのか? 何らかの理由でメイドが戦うのだとしても戦闘行為を前提とするならメイド服じゃなくてちゃんとした防具を装備しろよ、わざわざ戦闘用のメイド服なんていう良く分からん代物を誂える意味とは……? 

 

 普通に考えれば非戦闘要員を装った護衛等が思い浮かぶ。さっき見た女装ラビットマンのメイドの様な『戦士兼暗殺者が偽装としてメイド服を着ている』存在だ。だがイヨの言っているニュアンスはそれらとは根本的に異なっている様に感じた。

 

 戦闘用メイド服という圧倒的に意味不明なワードで隠れてしまったが、お洒落用メイド服というのも『それはそれで何だ?』という気がする。

 

 ──洗濯炊事掃除や誰かの身の回りの世話をするのが仕事でその為の仕事着だろ? それでお洒落用ってなんだ。大貴族や大商会ともなれば財力や権力を誇示する為一使用人にすら上等な衣服を着せる事もあるかもしれねぇけど、それとは違うのか? 飾りでも付いてるのか? ドレス風にでもなってるのか? 仕事し辛くないか? 仕事しないのか? やっぱりそれメイドじゃないんじゃないか……?

 

 幼少時、商会のお嬢様として自分付きの女性使用人を持っていたリウルの中のメイド観が揺らいできた。楽し気な傍らのイヨを尻目に、彼女は首を傾げる。

 

 自分とイヨの間でメイドという観念というか概念がかなりかけ離れているという事だけは理解できた。リウルにとっては家庭内の労働を行う女性の使用人がメイドであり、そのメイドが戦うというのはかなり意味が分からない話だった。ファッションとしてのメイド服という概念も彼女には無く、メイドそのものに対するロマンや需要の知識も皆無である。

 対してイヨにとっては──流石に漫画と現実の区別はついている──友人の好むバトル漫画やメイド漫画で見た様な主人に忠誠を誓う全方位万能超人が見知ったメイドであった。イヨは主人や主君に忠義を尽くすとかそういうのがカッコ良くて好きなのだ。故に執事や騎士も好きだ。そりゃあ話など通じるまい。

 

 ──イヨが戦闘用やらお洒落用やらの意図不明系のメイド服を着たとして、それで似合わないって事は無いと思うが──ここは止めるべきなのだろうか、冒険者らしくないと叱るべきなのだろうか。

 

 尊重と野放しは違う、とリウルは思う。

 

 ──後輩やら世間の人らに示しが付かない……けどガガーランの姉貴とかもある意味飾らない気さくな人柄で慕われてたし……いやでもイヨにガガーランの姉貴みたいな器のデカさは無いし……どうなんだこれ。常識的に言えば駄目だろうけど……。

 

 英雄に憧れてアダマンタイトにまで至ったリウルは『英雄らしさ』に拘る所があるが、同時にかつて出会い直接話をした【蒼の薔薇】や【朱の雫】に関しては割と全肯定というか、後輩として素直に憧れており見習っていきたいとも思っている。

 

 大先輩たるガガーランの童貞食いは同意があってやっているので悪い事をしてる訳では無い故セーフとして、女装って英雄的にどうなんだろうか。伝え聞くイヨの故郷的にはオーケーというかむしろ王道なのかもしれないが最上位冒険者的に。

 

 酒が入った時笑いを取る為に行う出し物や持ちネタの類であるイヨの女装だが、それが高じて日常時でも女装する様になったりすると妻としても仲間としても非常に微妙だ。少し前までリウルは公都の顔見知りなどから『最近あんた年下の女の子にご執心なんだって? ちらっと顔を見たけど、あの子に男を名乗らせるのは無理があるでしょ』等と直球の勘違いを投げつけられる事もあった位なのに。

 その風評がぶり返すかもしれない。

 

 やっぱ駄目だわ、とリウルは結論し口を開く。しかしその口から言葉が発せられる寸前、

 

「リウル、呼び方何が良い!? バリエーション豊富だよ、リウル様、ご主人様、あるじ様、旦那様、お嬢様、マスター、他多数!」

「あ、え、俺がお前の雇用者なのかよ」

「うん。そりゃあ僕がメイドだとしたら、お仕えする相手はリウル以外いないよ。基本殴り合い専門だったけど、最近は家事炊事もそこそこできる様になったからね! 僕の性能はリウルの為に日々向上してるんだよー?」

 

 一切の淀みなく当たり前の様に告げられた言葉に、リウルは反射的に口をつぐんだ。そして数瞬悩み、やがて、

 

「……ま、まあ、アレだな。暇な時にな。人前では自重しろよ、俺達は下の連中のお手本にならなきゃいけないんだから。でもまあ偶にならいいかもな。呼び方はまあ、お前の好きにしろ」

 

 惚れた弱みはお互い様なのである。

 

 オスクからは闘技場のスケジュールや十分な宣伝を打つ都合などがある為、具体的な日にちが決まったら宿の方に連絡すると言われている。大まかにこれ位掛かるだろうという予測は伝えられた為、イヨの仕事はその日程に合わせて体調を調整し、最良のコンディションで武王に挑戦する事だ。

 

 帝国には強い人たちが沢山いる。イヨの前の【スパエラ】メンバーであった男は道場を構えているそうだし、この前組合に顔を出した時には不在だった二組のアダマンタイト級パーティも、予定通りならそろそろ依頼を終え帰ってくる頃だという。

 

 先ずは重い練習で血肉を削り、その後軽い練習で整え、十分な休養を取って頂点に挑む。イヨのテンションは上がりっぱなしである。

 




ついに原作女装キャラクターである首狩り兎さんと邂逅。彼の本名ってこれから出る機会はあるのでしょうか。そもそも再登場の機会自体あるのでしょうか。

因みに、イヨが好んで遊んでいたTRPGでユグドラシルともコラボしていた設定のSW2.0では非金属鎧のカテゴリーにコンバットメイドスーツがあります。
融合神リルズという神様を信仰すると使える七レベル特殊神聖魔法コンヴァージョンで性別を変更する事が可能です。
飲むと一時間の間性別が逆転する性転換の薬というポーションも存在します。

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