ナザリックへと消えた英雄のお話   作:柴田豊丸

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大変お待たせしました、本日投稿する二話の内、二話目です。


頂きに挑む:足掻く弱者、変容す

 派手に吹っ飛んだイヨ・シノンは地面を削り土砂を撒き散らしながら壁に激突し、其処でようやく止まった。

 装備品込みの重量ならばガルデンバルドにすら迫るイヨをまるで綿の詰まったお人形さんが如く跳ね飛ばす、恐ろしい武王の一撃。これを喰らって人間の形を保っていられる戦士は帝国広しと言えどそう多くない。

 

「見事だ、イヨ・シノン。殴られ慣れているな」

 

 殴った時の手応えがぬめっていた。会心の一撃とは程遠い。大歓声を背負いながら、武王は少年に賞賛を投げかける。イヨが激突し崩れた壁面、土煙がけぶる方向に上機嫌で歩み寄っていく。

 

「身体ごと吹き飛ぶほどの攻撃を受けつつも急所は守り、更にどうにかしてダメージを最小化しているのか? 素晴らしい技術だ。重くデカすぎる身体のせいで俺には真似できないだろうな」

 

 わざわざ真似る意味がないともいう。

 

「小さき者ならばこその技術、工夫だ。見上げたものだな」

 

 弱点である軽量矮躯を出来得る限り有効活用する術。短所を短所のままにしておかない足掻き。持ち得るモノの長所化。

 

 いくら情報を集めて対策したとて、実際の体験が無くてはこうも完璧に受けられまい。武王は対戦相手たる小さな人間が希代の戦士である事を最早疑っていないが、体験が、学習が、鍛錬が無ければ技は技に成らない。

 

 並ぶ者無き武王の一撃を受け完遂してみせたその能力、来歴、興味は尽きない。

 

「俺と同程度……いや、俺より強い相手と戦った事があるのか? この試合の後でお前が生きていたら話を聞いてみたいものだ──」

 

 大分近付いたのだが、イヨは未だ動く気配を見せない。既に武王は間合いに入っているというのに。今まで何度も見た光景だ、本気の一撃がきちんと当たってしまい、それ以降立ち上がれない、もしくは死んでしまう挑戦者。

 だが、この相手がそうなってしまうのはおかしい。先程の手応えからしても到底会心の一撃では無かった。立ち上がれるはずだ、あれ程の力量を示した戦士ならば。

 

 ──それとも、過大評価だったのだろか。あれが限界一杯の動き、奇跡の連続による必死の勇戦だったのか。それを見て、余りにも強敵に飢え過ぎていたから実体より大きな虚像を作り上げてしまったか。

 

 なまじ強過ぎて対戦相手を得る事すら困難だった武王だけに、その想像はリアルだった。今までずっとそうだった通りこの相手もか、という感想がほんの一瞬脳裏に浮かぶ。

 

 だが武王はいや、とその想像を否定する。この対戦者が人間というカテゴリーにおいて最強の敵であるとした自分の見立ては正確な物だ。弱い相手との糧にならない試合に飽き飽きし、以降碌に試合も組まれなくなったとはいえ其処まで錆びていない。

 

 試合から遠ざかり、帝都に住まう都合上実戦からも昔と比べれば縁遠くなったが、鍛錬を怠った事など只の一度も、一秒たりともありはしないのだ。

 

 この相手は強い。たった一撃で沈むはずは無い。だが現実としてピクリとも動かない鈍色の人型。思わず呼吸はしているか、と気にかけてしまった。鎧を纏っているので分かりづらいが息はしているようだ。よくよく見れば手足は微かに痙攣している。

 

 武王の耳目に、観客が戻ってくる。

 イヨ・シノンが地に倒れ伏したまま不動となってまだほんの数秒しか経っていないのに湧いてくる勝利への喝采。大穴に賭けた者たちの絶叫、罵倒。『結構頑張ったんじゃないか』といった類の対戦者への称賛。

 その中で立ち尽くす自分の姿は、まるで何度も何度も何度も体験して飽き切った、味気ない勝利そのもので。

 

 違うはずだ、という己の考えさえ色褪せてしまいそうな、灰色の勝利が頭をよぎった。

 

 ──否定してくれ。

 

 その想いを胸に武王は棍棒を打ち込み。

 

 それと入れ違う様に。

 

 跳ね起きるや否や疾走したイヨ・シノンの【爆裂撃】付き頭突きが武王の股間に直撃した。

 

 

 

 

 

 

 ゴシャ、もしくはゴチュ、グチェ、という音が居合わせる全員の耳に響いた──気がした。

 

 総重量二百キロ前後という金属の塊が人外染みた低姿勢の短距離加速を見せ、体当たりの如く頭から武王の金的にぶち当たったその瞬間を、多くの者が間延びして感じた。

 

 それがヤバい行為だという事は戦闘に通ずるか否かに関わらず、本能的に多くの者が知っている。身体を切り裂かれても吠え声を上げて敵に躍りかかる戦意旺盛な戦士が、その攻撃をモロ食らいした瞬間内股になって倒れ伏す光景は闘技場ではまま見られるものだった。

 

 その中でもこの一撃は、速度といい威力といいマジでヤバい感がどんな素人でも一目でわかった。

 

 だから男女問わず息を呑み、

 

「──こっ」

 

 その内約半数、男性諸氏が正しく悲鳴を上げた。

 

「これだから女は!」

 

 イヨは男である。因みに、一部の女性と極一部の男性という非常に限られた種類の観客は興奮の喝采と黄色い悲鳴を上げていた。

 別に股間に攻撃食らって痛いのは男だけでは無いのだが、まあ確かに睾丸なんてあからさまな急所をぶら下げているのは男だけで、より致命的である。

 

 だからまあ、ルール的にアリなら狙わない理由は無いのである。追撃の前に武王がなにやらお喋りを始めた時点でイヨはこれを狙っていた。

 

 この時のイヨの心情を言語化するとしたら一言に尽きる。

 

『やっぱり僕、生身の生き物って好きだなぁ。アンデッドと違って全身弱点の塊だもん』

 

 身体能力が近付いた所でレベル差は無くならない。ならばどうしても、威力を伝えダメージを与えるには弱所を打たねばならないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 イヨは装甲とパットの向こう側にぐしゃりという確かな手応えを感じ、瞬間的に折れ曲がる武王の肉体から飛び退いて距離を取った。

 股間へのダメージは灼熱の如く痛いし苦しい。反射的に体を丸め、眼を瞑り、目の前が真っ暗になり吐き気を覚え汗が溢れ酸素が足りなくなる。睾丸が破裂した場合ショック死する事もあり、多くの血管が通っているのでショックで死ななくとも適切な処置をしないとやっぱり死ぬ場合もある。

 

 文字通り死ぬほど痛い訳だ。故に本能的無意識的に庇う癖もあり、当然格闘技では致命的急所の一つとして攻撃から守るべき部位とされるし、スポーツでは反則なのである。

 実際金的は余り簡単に決まる攻撃ではなく、執拗に狙うよりはフェイントだったり寝技時に手で狙う方が実戦的とも言われる、が、なんだかんだ運動をしているとうっかり入ってしまう経験は結構誰でもする。心当たりがある方も多いだろう。

 

 笑い話で済む程度なら兎も角、本当の本当にガチで喰らってしまった場合、根性で我慢できる攻撃、ダメージではない。イヨでも元の世界では悶えたし、此方の世界に来てからでも睾丸が破裂すれば一秒は動きが止まり以後確実に戦闘力が劣化する。訓練の中で何度潰しても決して慣れない痛みだ。下手に治癒できるからイヨはもう既に常人の人生何回分もその痛みを味わっている。

 

 何故その決まりにくい攻撃が完璧に入ったのかと言うと、武王はデカくてイヨはちっちゃいというのも理由の一つだ。背丈の話である。

 身体の大きさが別の生物レベルで異なる為、距離的に股間が近く股下にも潜り込みやすい。小さい身体は相対的に細く鋭い攻撃を可能とし、他愛もない隙間を突破し、デカい急所に突き立つのだ。

 

「【火足炎拳】──」

 

 イヨはこの攻撃を隙あらば狙っており、特大のチャンスが舞い込んだためその機をこれ以上無いほどの形でモノにしたに過ぎない。

 

 ──あー、やっぱ頭が下がると殴りやすくて助かる。

 

 身体を丸める事で下がった頭はなんと美味しい獲物なのだろうか。第三者としてこの試合を見ていたらイヨはそんな感想を抱いただろう。戦闘中のイヨは肉食の昆虫の如く弱みに付け込む。

 

 およそ考える限り理想形そのものと言える美しい軌道を描いて振られる、死神の刃。種族的にクリティカル無効であるアンデッド相手では全く役に立たなかったが、真っ当な生き物相手には良く効く。

 

「超過駆動」

 

 瞬間、烈火が弾ける。

 迸る爆炎は見る者の目を焼き、長時間持続すれば自壊を招き、装備者の四肢を炭に変える程の熱量。アダマンタイトすら危ういとされる猛火に耐え得るのは、聖遺物級武装【アーマー・オブ・ウォーモンガー】と三十一レベル拳士たるイヨ・シノンであればこそ。

 それだけの莫大な熱量を纏って延髄に叩き込まれる上段蹴り──【断頭斧脚】。

 

 防御など出来よう筈も無いタイミングで撃ち込まれた足技は正しくクリティカル、会心の一撃。スキルの効果によってダメージ量を更に増大させ、武王の頑強な首を圧し折らんばかりの大威力を発揮する。

 

 響く渡るそれは歓声を押しのけて闘技場内を圧倒する、耳を覆いたくなるほどの打撃音。金属と金属がぶつかり、それらを隔てて骨肉の芯まで破壊力が通る音。

 

 観客たちは世にも稀なる光景を目にした。歪なくの字を描いて僅かな距離、しかし確かに蹴り飛ばされる武王の姿を。

 

 ただのトロールなら二、三体纏めて抗い様も無く断頭されている。骨にも脊髄にも致命的な損傷を受けずに済んでいる武王の耐久力は常軌を逸していた。

 

 明らかに先程までより、防備が堅い。

 

 吹っ飛び倒れ伏す武王に追随して、イヨは雄叫びを上げて蹴りを叩き込む。ヘルムの上から、ヘルムの隙間から、首に、鼻下に、鼻っ柱に、こめかみに、耳の付け根に、目玉に。デカいので急所もデカい、的がデカい分最高に殴りやすい。

 感覚器が集中している顔面への攻撃はダメージ以上に相手の視界や感覚を乱し、脳の働き、思考を妨げる。片玉を潰され立て続けに脊髄にモロ食らいした後ならば尚の事である。

 

 ただ、一般人と違って戦士という人種は、ダメージを受けてこそ心身が賦活し、敵手を打ち倒すべく活力を沸き上がらせる生き物でもある。怯むのではなく、怒るのだ。その危険さは、イヨの背筋に死を感じさせ、突進を止めさせる。

 

「──き」

 

 小五月蠅く纏わりつく毒虫の如きイヨ・シノンを棍棒で払いのけて立ち上がった武王は既に深いダメージを負っていた。〈外皮強化〉〈外皮超強化〉によって打撃は減衰できても属性ダメージには大した効果を持たないし、再生力の阻害はどうしようもないのだ。

 アーメットヘルムの下で頭部周辺は焼け爛れ、股間からは大量の血が滴り落ちている。鼻の芯が砕かれ、上の前歯も吹っ飛んだ。喉奥に流れ落ち、口内にまで血が詰まる様で息がしづらく、酸素が頭に回らない。

 分厚い皮膚、筋肉に覆われた箇所と違って頭部、特に顔は脆い。頑丈な頭蓋骨にさえ構造上薄い箇所、脆い箇所がある。イヨが乱打の如く連続し、しかし精密に狙い打ったのは全てが急所だった。

 

 だが、その程度で武王は倒れない。この程度のダメージで王と呼ばれる領域にまで自らを叩き上げた亜人種の生命力は尽きないのだ。大きなダメージではあるが、それよりなによりイヨの攻撃が呼び起こした最も大きな効果は、武王の怒りを招いた事であった。

 

 ──戦っている。

 ──戦っている。

 ──痛手を負った。

 ──何時以来だ?

 ──こんな戦い方をも出来るのだな。

 ──ブレた気持ちを利用された、素晴らしい。

 

 痛みと怒りの奥底で、武王は確かに高揚していた。まだ足りない。まだ足りないが、想像よりも想像以上だ。すかさず追撃していれば食らうことも無かったという気持ちすら湧いてくる。油断、そう油断と傲慢だ、結果から見ればまさに。

 

 一度は集中し切った筈の精神が予想以上の美味しい敵を前にして前のめり、独り善がりに陥った。ゴ・ギンが弱い相手を弱いと思い、自分以下なりに強い方だという期待を抱く所まで相手は読んでいた。

 

 この相手は戦闘経験のみならず、試合経験も豊富な奴だ。

 武王の対陣に立つ事を許される程の強さ、つまりその身に宿した武力だけで万難を打ち砕く事さえ可能とする最上位に近い強さを持ちながら、武王が一切する必要のなかった強さ以外の戦闘手段まで練磨し、獲得している。詐術に騙し討ち。親近感を抱かせる程ストレートな強さで振る舞いながら、臆面もなく弱者である事を利用する。

 

 付け焼刃ならば見破れる。この類の手段を用いる者など野の獣から対戦相手まで今までに幾らでもいたのだから。この相手は熟達振りが尋常ではない。弱さを使い慣れている。弱さの練度が余りにも高い。繁殖力だけが取り柄のそこら中で多数死んでは数多生まれていく矮小な生き物の如く。

 

 武王より強い相手と戦った事があるどころでは無い。自分より強い相手とばかり戦ってきたみたいに。何時だって自分より強い相手に不自由しなかったであるかの様に。

 

 ──俺と打ち合えるほど強くありながら、ここまで弱さを磨ける程強敵に恵まれていたとでもいうのか!?

 ──なんて羨ましい奴。

 ──許せん!

 

 独特の思考展開を経て、最強を拗らせし王はキレた。

 

「──貴様ッ!」

 

 どんな痛みに襲われても手放さなかった棍棒による、これまでのどんな攻撃より早く速い一撃──怒りによって加速された打撃である。

 

 ダメージが抜け切らない状態で放った一撃は容易く避けられた。だがそれが何だと言うのだ? 今までだって何度も避けられている。何度も殴られている。そんな事は問題ではない。

 

 全てを受け止めなお強く立ちはだかり、そして圧倒的な力で圧し潰す。それが王の戦い方。

 

 猛る心の一方で武王の頭が冷え、巡る。

 

 必要なのは当たらない大振りではない。ただまっすぐな速い一撃では無い。この傷付いた身体で放つ事の出来る、当たる一撃、当てられる攻撃、その為の工夫。

 

 幾度も繰り出す打撃は避けられる。戦意と気迫に満ちるにも関わらず繰り返されるそれは、まるで先の再現の様に見えただろう。しかし違う。武王の内面が違う。これは避けられる前提で放つ、避けさせるための一撃。当てる為の前準備、その為の調整に他ならない。

 

 火傷を伴った傷は再生しないが、最低限ダメージが身体から抜け、ある程度体力が戻るまでは均衡を維持しなければならない。武王の迸る闘争本能が脳内麻薬の強烈な分泌を促し、再生能力抜きでも抜きん出た生命力を持つトロールの頑健な肉体は、徐々に衝撃から立ち直りつつあった。

 

 時間は常に武王の味方だ。

 

 見事にしてやられたダメージは決して死に至るものでは無いが、大きな負傷である事に相違ない。痛み、出血、戦闘力の低下は免れない。だがそれは相手も同じ。

 

 先に当たった〈剛撃〉の一閃、その後の狸寝入り──一見殆どダメージが無かったかのような振舞だが、そんな事は無いのだ。武王とイヨ・シノンでは、許容できる負傷、出血の限界量が全く異なる。

 

 細々ちまちまとした拳足を十発食らっても、一発叩き込めばお釣りがくる。それが二人の実力差であり、体力差であり、種族差だ。

 

 この相手は怪我に慣れている。怪我をした状態、生命力が損なわれた状態での最善の動き、総合的な運動能力を保持する怪我の仕方、怪我をした部位の使い方に熟達している。痛みを感じないのかと思う程。

 

 再生能力故に四肢欠損さえたちどころに元通りになるトロールはそもそも負傷を抱えた状態が数秒以上長続きする場合が殆どない。炎や酸さえ伴わなければ切り傷打ち身は一瞬の痛み、骨折や内臓破裂も精々数秒から十数秒の不自由。弱点の属性で攻撃されて初めて他の種族と同等の『負傷』となるのがトロールである。

 生来そうした身体を持つ武王には中々養いにくい方面の能力であると言えた。

 

 現状重傷なのはイヨ・シノンも同じ。ただ、動きの劣化は相手の方が少ない。しかし武装の劣化、そして情報の有無はどうだろうか。

 

 先の一瞬、常に倍する炎を吐き出した四肢の具足は今や熾火の様な静かに揺らめく炎を纏うばかり。当初より明らかに火力が落ちている。

 

 冷却時間の様なものが必要でそれが過ぎればまた元通りになるのか、それとも過剰な力の代償に性能そのものを損なったのか。どちらにせよ今が好機だ。

 

 それとは別に、先程頭からも爆炎を噴き上げた。元からの炎に紛れて分かりづらかったが、思えば手足の具足の攻撃にも火力のムラがあった。防具の能力かそれともスキルか。いずれ相手は今が使い時と判断し伏せておいた札を一枚切ったのだ。同じ事がどれだけできるのか、あと何枚の隠し札があるか知れないが──

 

 ──粉砕してやろう……!

 

 武王に隠し種は無い。王として君臨する彼は常に見られ、記憶され、語り継がれる存在だ。戦士としても純粋なタイプで搦め手を持たず、必要ともしない。試合に出ていない期間の間に成長していたとしても、その強さは以前までの強さの延長であり、拡大だ。

 調べられれば丸裸。故に挑戦者が最も有利な時間とは、試合開始直後である。武王が自らに課した縛り、勝利への努力の意図的な放棄。それ以降はお互いの持つ情報がどんどんイーブンに近付いていく。

 

 外見以外に何もわからないびっくり箱である挑戦者は備え立て磨き上げた己の武器、智謀、策略をもって不敗の王に挑み、その骨身を削り、『不明』であり『初見』である力でもって有利に戦う。力量不足という根本的不利の中で精一杯に。

 

 そして全ての力を出し切って負けるか、それ以前に耐え切れず負けるか。それが今までの対戦者のパターンだ。

 

 時間が過ぎれば過ぎる程お互いは対等になり、そして元の力の差分だけ挑戦者が不利になる。正確には武王が己に課していた意図的な不利が解消されていく。

 

 武王は強くなりたい。今よりももっとだ。故に己こそが挑戦者となるほどの強者を求め、それを打倒する事を望んでいる。弱すぎる相手からだって、己の糧となるものを得ようとする。

 しかしそれは、手加減や引き延ばしとは一切無縁のモノだ。武王はいつだって、相手の弱さ故に必死でこそないかもしれないが、盤石真剣に戦うのだ。

 

 武王の全力を躱し切り、そして幾度となく反撃を打ち込んだ力は賞賛しよう。

 心に火が灯った武王の一撃を受け、戦闘可能な状態を保っているのは凄まじい事だ。

 即座に企み事を練り、武王を謀って見せた弱者故の強かさ、そしてその後の猛攻は武王が武王でさえなければただ一撃を取っても死に至る類稀なる武威を放っていた。

 

 歴代の挑戦者の中でも最上位に負けず劣らず、人間としては最強格たるその力──真価が試されるのはここからである。

 

 果たして今まで武王に与えたダメージと、『一切の情報なし』という今まさに消え去っていくアドバンテージはどちらが勝るのだろうか。値千金の時間は過ぎ去り、手負いの獣同士の殴り合いが始まる。

 

 

 

 

 

 

 強敵に飢えていたのは何も武王だけではない。観客たちもまた、最強の王の全力を引き出してくれる対戦者に、より高レベルでもっと血みどろで更に興奮できる試合に飢えていた。

 

 折角の歴代最強の誉れも高き巨人の王は、強過ぎて相手が見つからず試合から遠ざかる始末。たまに組まれた試合も圧勝。前武王戦以来、全力の武王を誰も見ていない。血と興奮に飢えた観客たちだって退屈していた。

 

 どっちが強いのかなんて、一般人には分からない。レベルで言えば五かそれ以上は違いそうな巨人も少女も一般大衆からすれば余りに雲の上の存在過ぎた。強いと弱いならまだ分かる。しかし彼ら彼女らには、とてつもなく強いと滅茶苦茶強いの区別など付かないのだ。

 

 『玉潰されて火を噴く蹴りを何度も受けてあれだけ血を流しても元気なのだから武王の方が当然強い、でっかいし一撃でシノンを吹っ飛ばしたじゃないか』『いやいや、あの体格でずっと大きい武王と渡り合っているのだから挑戦者の方が強い。より多く攻撃を当ててるし一発貰った後もまだまだ余裕そうだぞ』──どこかで誰かがそんな話をしていた。

 

 極論観客は技量とか腕力とは強弱はある程度どうでもいい。見応えが全て、盛り上がるかどうかが全て。強いて言えば派手で残酷で流血が一杯であるほど観客のボルテージが上がる。

 

「ふっざけんな! こっちは落ちてる金拾うようなもんだと思って武王に全財産賭けてんだぞ、万が一勝ったらぶっ殺すぞクソ化け物の玉潰し娘!」

「いけ! そこだ、やれ! あんたが勝ったら俺は一躍億万長者だ、頼むぅ、勝ってくれ俺の女神!」

 

 こういう、その後の人生を左右するレベルで金を賭けている脳の配線ぶっちぎれな高レベル博徒と武王のファン、そして俄かに惹かれてきているイヨのファン。そういう者たち以外はどっちが勝つのかには興味津々でもどっちに勝ってほしいという感情は割と薄い。

 

 大多数の観客たちは手に汗を握り声を枯らしてテンションのままに叫びながら、大量の血を流す武王と、今の所互角っぽく戦っている挑戦者を見ている。二人の壮絶な削り合いを見ている。

 

 

 

 

 

 

 互いに手負い故に万全な動きとは程遠く、それ故に荒っぽく激しくぶっ叩き合う派手な戦い。

 

 足を引いて体を構え直しつつ、武王は地面ごと抉る様にして低く薙ぎ払う一撃を放つ。基本的に距離を縮める戦いをしてきたイヨもこれには溜まらず斜めに下がって避けた。距離が出来れば飛んでくるのは〈剛撃〉の乗った上段からの振り下ろしだ。

 

 予期していた流れではあった。が、だからと言って楽に躱せるかは別だ。イヨは全身のバネを使って斜め前方に小さく鋭く前回り受け身。背後で弾けた地面。飛び散る砂を浴びながら、一度は受けたその一撃の回避に成功する。下がった時点で予想していた事、一度体験した技である事、武王に与えた負傷、どれか一つでも無かったら当然また吹っ飛ばされる人型のボールになっていた。

 

 武王に対して真っ直ぐな動きは自殺同然だ。互いの軸をずらす方向に動かねば押し込まれて死ぬ。武王も無論動いているのでそれを読まねば矢張り死ぬ。

 

 今の武王相手に最初の様な綺麗なカウンターは不可能だった。その余裕がない。イヨを学習されている。イヨの動きは既に過半が既知となり、対応がどんどん素早く正確になっていく。予期され、合わされる。

 急所を潰し、感覚器官にダメージを与え、出血を強要し、幾多の癒えぬ傷を受けながらも、その戦闘力は未だに衰えない。イヨが実力差を事前準備と戦術で誤魔化してきた様に、慣れと学習で身体能力の衰えと体力の低下を容易くカバーしている。

 

 守りのみならず攻めもまた変わってきている──当てる事を優先する攻撃、避けさせる攻撃、体力を消耗させるための攻撃。自分の体力の回復を待ちながら、隙あらばイヨを削る攻撃だ。

 

 狙っている──勝負を決める一撃を。

 待っている──自らの回復、イヨの消耗を。

 警戒している──まだ見ぬイヨの切り札を。

 

 巨大さはそれ自体が防御力であり攻撃力だ。急所に手が届かない。先の不意打ちの様に体勢を崩さない限り、イヨの攻撃は決して急所には届かないのだ。

 武装の奥底で、身体の軋む音がする。イヨが急所だ奇襲だとちまい事に必死になっているのに対し、堂々たる武王の一撃はたった一打で急所ごと全身を破壊する。もし先の一撃が剛撃では無く噂に聞く至高の一閃であったなら、戦いは事実上あそこで終わっていたやもしれぬ。

 

 試合が始まったばかりの頃、幾度も踏破した距離がどんどん遠くなってくる。何度も避けた攻撃が避けられない。打ち込めた反撃が打ち込めない。

 

 徐々に、徐々に削られていく。直ぐに掠る様に、やがて引っ掛ける様に、そしてそう遠くない内に直撃する。

 

 事前の想定から言えばあまり良い流れではない。

 最上の流れは初見を叩き込み続けて常に相手を受けに回らせる事。強みの発揮を許す事無く叩き潰す事。強い相手に何もさせない事。立て続けに痛打を与え続けて押し切る事。

 

 イヨは望んだ流れを掴む事が出来なかった。試合では良くあることだ。特に相手の方が上手の試合では。弱い方が主導権を握り続けるあまりに都合の良い未来は、強者の強者たる所以によってあっさりと否定された。鼻骨を焼き潰されながらも防御する事無く反撃に転ずる武王の神経は尋常ではない。

 邪魔の入らぬ一対一という事は、紛れが少ないという意味でもある。

 

 ここから先は乱戦になる。ここからもう一度本物の乱戦に持ち込まねば、可能性すら潰えてしまう。

 

 イヨのびっくり芸はまだ終わりではない。

 

 イヨは脆弱矮小な生身の身体を鍛えない事を選んだ。僅かばかりの強さより高確率の成功が望める奇襲を選んだ。

 

 ならば、それが失敗したらどうする? 一度その戦闘力が露呈してしまえば、同じ相手との戦闘中に、華奢な身体は往々にしてハンデだ。

 

 ではどうするか。──もう一度正面から奇襲する。もう一度『有り得ない』をぶつけてやる。誰もが予想し得ない『初見』で思い切り殴り付ける。

 

 学習は最初からやり直していただく。

 

 イヨは苦しい状況の中で機を窺う。そしてそれは苦しい状況の中でですら訪れる。互いに構え探り合う状態ではない、冷えた頭で荒く激しく入り乱れタイミングを窺い合う、このやり取りの中でこその眩ませる機会。

 そんな事を警戒する者はいないから。

 

 武王が振りかぶる瞬間、半ば地に膝を突くほど低く構えて、一見無謀とも思えるタイミングで飛び掛かる。

 

 宙で相手に背を見せる様に回転を起すその動きは、常識的に考えて無駄と言えるもの。手だろうと、足だろうと、間合いが足りない。辛うじて身軽さと俊敏さ、それ以外の全ての『速さ』でイヨは劣っているのだから。

 

「──【ドラゴンテイル】」

 

 その小さな小さな呟きを拾えた者は誰一人としていなかった。いたとしてもどうしようもなかっただろう。

 

 特殊な呼吸法によって体内の魔力を活性化させ、肉体を強化及び変容させる技術、練技。呼吸可能な状態ならば、その多くは無音無動作。

 使用者の体型変化を感知した【アーマー・オブ・ウォーモンガー】が、再度流動し、最適化する。

 

「──なんっ」

 

 僅かに身を引いて、中空で致命的な空振りをするだろうイヨの背を打つ構えを見せた武王が、更に仰け反る。

 まだ見ぬにも程があった。驚愕に眼を疑い、それでも反射的に顔面、ヘルムの隙間に迫る『それ』を避けようとする武王の目前で『それ』は意志を持つかの様にのたくり──装甲の隙間、武王の右の肩口に浅く突き刺さり、爆炎を噴き上げた。

 

 

 

 

 

 

 内から焼き裂かれ半切断に至った肩を抑えながら、武王は後退した。片腕で対手に突き付ける棍棒の構えには、防御の意図と同時に混乱が見て取れる。

 

「……成る程。あの段階からブラフを織り交ぜていた、か? 人間とは思えない身体能力を持つお前の正体は、そのまま非人間だったと……」

 

 ゴ・ギンは尻尾の生えた種族となら何度も戦った事がある。だが、『無かった尻尾を生やす人間的外見のなにか』などという生物がよもや目の前に現れるとは想像したことも無かった。

 

 僅かに感じる雄の様な匂い、雌の幼体らしき外見、非人間的身体能力、僅かな鍛錬の痕跡すらない見た目にそぐわない戦闘力。幾つものちぐはぐ、不自然。

 人間に姿が似ている、否、人間に擬態できる未知の種族と考えれば納得がいく。作られた見た目であるのなら、その本質が外身に全く反映されない事はむしろ当然と言えるからだ。

 

 眼前、その他の全身と同じく鈍色の装甲に覆われた『それ』は、武王の肩関節に突き刺さり、内側から爆炎を噴き上げた『それ』は──どう見てもイヨの尾骶骨の辺りから生えている、尻尾だった。

 

 着地後、四肢を地に着いた姿勢のイヨ・シノン。その腰から伸びるのは猫科動物のそれの様に左右にくねりながら揺れ動く鈍色の尻尾。その動きは生体ならではの艶めかしさがあり、特殊な装備品などでは無い事が直感的に感じ取れる。

 

 イヨの脚よりも太く、イヨの身長よりも長く、鈍色の金属はその先端で打突部、斧刃、槍の穂先、鉤爪を形成している。叩き、切り割り、突き刺し、引っ掛けるその形状は長柄武器──王宮の警護兵なども携えるというフットマンズ・アックスの一種に近い。

 

 体重が足りないなら増やすまで。四肢が足りぬなら増やすまで。間合いが足りぬなら延ばすまで。パターンを読まれたなら組み換え、組み足すまで。練技は人体の根本的構造をも変えるのだから。

 

 カテゴリー格闘に属する武器、練技〈ドラゴンテイル〉による竜の尾。イヨがエンハンサーのレベルを上げる事によって獲得したそれは、現在確認出来る限りこの世界の人間では彼だけが持ち得る独自の武装であった。

 

 多分に見当違いを含んだ問いには答えず、得体の知れない生き物と化したイヨは地を這う姿勢で武王に襲い掛かった。

 




玉を潰したり潰されたりした経験が豊富な格闘系元気っ子美少女(成人男性・変態能力持ち)

エンハンサー技能を伸ばすと身体を強化したり竜の尻尾を生やす他に、
・牙を生やして噛み付く。
・口から火を吐く。
・口から投擲武器(例:ジャベリン、ハンドアックス、ナイフ等)を吐き出して攻撃する。
・翼を生やして空を飛ぶ。
・指先から蜘蛛の糸を出す。
・カメレオンの様に体表の色を変える。
・犬や猫、馬や豚に変身する。
等の事が出来る様になります。高レベル練体士は外見や行動が人外になりがち。



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