ナザリックへと消えた英雄のお話   作:柴田豊丸

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「オオオォォオオー!」

「がぁぁああぁっ!」

 

 空を波打たせる音──。両者の中央でぶつかり合い、拡散する波濤が万物を叩く。

 

 自然界の頂点捕食者層、強さこそが全てである野生の世界ですら王を名乗り得る武の巨人が、渾身の威圧を込めて放つ気合い。

 そして、王にすら肉薄し追随する人面人身の可憐なる人型──得体の知れない小さな生き物が放つ、精神的打撃力を伴った叫び。精神効果無効であるアンデッドには意味の無かったもの、三十レベルに至った時点で進化していた【喝殺咆哮Ⅱ】。

 

 同レベル以上の相手や精神を防護している相手には基本的に効果の無いそのスキルを、それでも使うのは己を鼓舞する為。遥かに強大な生き物に向けて放つ再度の宣戦布告。

 

 たった二体の生き物が発した大音声の雄叫びに、殺し合いを見るべく闘技場に詰めかけた万倍を超える観客たちが圧され、身を竦ませ、押し黙る。

 その一瞬、誰もが観客席という安全圏に座る我が身の境遇を忘れた。視線の先に居る生き物が地位もあれば分別もある闘技場最高最強の戦士、最上位冒険者であるという事実を忘れた。

 

 彼ら彼女らの口を噤ませ、身を震わせたのはたった一つの絶対的な真実──『あれらに敵対すれば自分は死ぬ』という本能的恐怖。強者の暴力から我が身を守る術はないという理屈抜きの確信。

 

 『今此処にいる全員束になったって、あの二頭に敵わない』──か弱き一般市民が本能で感じたその答え。四騎士二名を始めとして多くの高級騎士、上位冒険者、有名ワーカーが詰めかけている今この場において勘定として実際に正しいかはさておき、戦場を知らない大多数の人々にとっては余りに酷い悪寒だった。

 

 イヨのスキル効果範囲外の者まで硬直した──それほどまでに、二者の叫びには純真な闘志と原始的な鬼気が乗っていた。

 

 人間と怪物の戦い──だと、多くの人々は思っていた。

 

 愛想の良い可憐な少女。笑顔があどけなく、小柄で細身、華奢で柔らか。優し気で幼気な雰囲気の最上位冒険者。妖精だが何だかの人ならぬ血を引くという──見た目からは想像もできない戦闘力を秘めるという──そんな触れ込みだった生き物。

 

 いざ戦闘が始まって人々が目にしたのは我が身を鋼に包み込み、巨人と打ち合い、騙し討ちを敢行し、長大な尾を生やし、咆哮で人の精神を脅かす生き物だった。

 

 共に怪物。

 

 大きな怪物と小さな怪物の戦い。

 

 人々の理解は今、目の前の現実に追い付いた。

 

 

 

 

 

 

 ──誰も知らない。誰も見た事がない。竜の尾を持つ人間の戦い方。

 

 長大な尻尾をという第三の支え、重量物を持つ人間の疾走を、突きを、蹴りを、誰も体感した事がない。それら全ては未知の領域、完全に人外の動き。

 

 当然人間のそれではなく、尻尾を持った他の異種族ともなお異なる。故に人外。人の動きでは無く、異種族の動きでも無い。『尻尾という武器を持つ人間』の戦闘。

 

 歴戦の覇者である武王さえも。

 

 イヨの頭上を武王の棍棒が唸りを立てて通過していく。正面から打ち据える筈だったその攻撃が外れたのは、速度を落とさぬまま地に顎が付く寸前まで身体を前傾させる走行姿勢への切り替えが原因だ。

 

 腿が胸にくっつくほど引き寄せられた足が一瞬身体を支え、そしておぞましい程に強く後ろに伸びて地を蹴る。

 

 極端な前傾を可能としているのは軽量小柄なイヨの体躯を前方に吹き飛ばすほどの脚力、三十一レベル前衛の身体能力が生む速度。倒れるより速く進む、落ちるより速く飛ぶ、なので倒れない。そして、尾骨から後ろに向かって伸ばした竜の尾という後部ウェイトかつ舵が生みなすバランスに寄るもの。

 

 走る速さに全てを賭けた獣が尻尾で方向転換を補助し姿勢を制御する様に、のたくり、微妙に左右に揺れ、時折極端に振れて通常人類では考えられない機動を実現する。

 

 人間としての姿形を捨てた人間の未知の動きに即応するのは武王とて難しい。既に負傷している身ならば尚の事。

 

 およそ大きさに関わらず、人型の生き物は直下と直上に対する視認性が悪い。そして当然ながら、大きければ大きいほど身体の直下には悪さをするスペースが生まれてしまう。

 

 イヨはそのスペースに、全身で回転を作りながら文字通り飛び込む。振るわれる武器も体捌きも乗り越えて、不敗の王に肉薄する。

 

 使うのは無論の事、カテゴリー格闘に分類される武器、竜の尾。腰部という人体の重心位置に直結し、腕よりも脚よりも重く長く、しなやかで硬い、鱗に覆われた器官。

 

 尾を構成するのは強靭な筋肉と、幾つもの関節。それを覆うのは鱗とユグドラシルにおいても中位に分類される魔法金属の装甲。

 

 その重量は、その硬さは、その長さは、しなやかさは、人体の何処よりも勝る。蹴りよりも尚長大で、術技を伴ったコンパクトな円弧。遠心力を纏って、それは極太の鞭の様に叩き付けられる。

 

 ──【テイルスイング】、【爆裂撃】。

 

 複数対象を的に捉えるほどの有効範囲を持つスキルが、武王の身体前面、正中線を縦に襲う。

 フットマンズ・アックスに似た形状の先端、斧刃の部分は武王の顔面に直撃、アーメットヘルムの内側にまで爆炎と衝撃を伝えていた。

 

 今までに貰ったどの攻撃よりも重く鋭い一撃に、武王の視界は一瞬白く飛ぶ。既に潰れていた鼻や裂けていた唇がより深く傷ついた。そしてその一瞬で、イヨはまるでヤモリの様に蜘蛛の様に、体表を滑り這いまわって武王の首に取り付き、全身で首を締め上げていた。

 

「ぐぉ!?」

 

 彼我のサイズは兎も角として、形だけならば父親に肩車をされる幼子の様に。だが当然、その危険度は親子の微笑ましいスキンシップの比ではない。

 そもそもイヨは三十一レベルという人界でも頂点に近い位置に立つ強者であり、修めた職業の関係上同レベル帯人間種プレイヤーの中でも際立って身体能力に秀でていて、更に各種装備品の調整によってその力を極限まで高めている。更には尻尾が武王の無事な方の腕に大蛇の如く絡まり、その行動を阻害していた。

 

 武王の防具、その頸部がギチギチと悲鳴を上げる。人外の剛力、その総身力を束ねて圧され、捻られる首もまた同様だ。総力の比べ合いならば武王はイヨの数倍の高みに達している。だが、首と全身の比べ合いならば当然イヨが勝る。

 

「おっ! がああああ!」

 

 端から黒く染まっていく視界、痺れる脳──そんな中武王は怒りの咆哮を上げ、尾の拘束を剛腕で捻じ伏せて首に纏わりつく子猿を圧し潰そうとするが、瞬間、締めを解いたイヨは首筋を蹴り飛ばして地面に逃れている。

 

 ──クソ! 片腕か、コイツを相手に!

 

 半切断に至った片腕の傷は、武王にとってこの試合で初めて受ける致命傷であるとも言えた。すぐさま死ぬという事では無く、死に直結しかねないという意味でだ。

 

 まともに動かない片腕というデッドウェイト。死角。

 

 勿論武王の筋力ならば、無事なもう片腕のみでも武器は使える。なれど武器は全身で操るものだが、保持し、直接の操作をしているのは腕である。その速度威力確度操作性命中性能は、両腕の打ち込みと比べれば確実に劣ってしまう。

 

 片手で振るう武器は粘りと決めが損なわれるし、同じだけの加速、威力を得るのにより多くの距離と、時間が必要となる。

 

 片腕だろうが武王の攻撃は命に届く。ただ重量を威力とする武器を扱う者の宿命、全力の一撃の後の立て直しや制動が覚束ない。半ば動かない片腕を抱え無事な片腕のみで全身の力を込めて棍棒を振るえば、一撃一撃が振り抜き気味となる。悪ければ放り投げだ。勢いを制御し切れず棍棒が流れてしまうのだ。

 

 同じような体格の者が相手ならばまだしも、武王が対するのは彼の半分にも満たない身長の小男である。どの様な振り方をしようとも殆どの攻撃は下方向への加速を伴い、それは威力を発揮しやすい反面余勢を持て余しやすい。五体に不備あらばそれはより顕著となる。

 

 攻撃そのものもワンパターンなものとなる。健全なれば間合い一つ取って見ても両手持ちの打ち込み、片手持ちの打ち込み、肩の入りと腰の割り、正体、半身、踏み込みの具合によって遠近も大小も変幻にして精妙自在である。正面からの真っ直ぐな一撃と表すれば一種類の攻撃に思えるが、実際にはその都度一撃一撃に千万の差別がある。

 

 取り得る選択肢そのものの狭まり、攻撃防護回避全てにおける確実な劣化は、未知の強者を前にして大きな枷。

 武王の完全な一撃からすら生還している存在を前にして──余りにも頼りなかった。

 

 背筋がゾクゾクとした。

 

 ──あの尾の先端! 要するにハルバードと同じだ、打撃、斬撃、刺突、全ての攻撃手段が揃っている! 

 

 それが厄介だ。トロールは単純に人間より身体的に優れているが故に筋力や生命力が高いが、別に魔法や物理的攻撃手段に対して耐性を持っている訳ではない。再生能力によって結果的に著しく致命傷になりにくいだけで、それに相応しい威力の攻撃を受ければ打撃でも斬撃でも刺突でも負傷自体は普通にするのだ。

 

 それだけで考えれば、先程まで打撃だけで戦っていた相手が斬撃や刺突を使う様になったからと言って、厄介かも知れないが武王の極端な不利にはならない様に思える。だが、問題はもう少し単純な所にあるのだ。

 

 打撃と違って、斬撃や刺突の攻撃はその接触面が線もしくは点だ。より狭い面積に威力が集中する事で鋭さを得ていると言い換えても良い。

 その分対象の体内に深く割り入ってくる。言ってしまえば至極当たり前な事実とイヨ・シノンが使う攻撃と同時に爆発を起こす武技が合わさると──

 

 ──体内に侵入した刃によって、身体の内側で爆発が起こる。

 

 その結果が、半切断に至った武王の右腕である。トロールの分厚く頑丈な皮膚の表面で爆ぜるのと、その只中で爆ぜるのとでは被害の深刻さが桁違いだ。イヨ・シノンの尻尾による刺突攻撃自体は大した傷では無かった。トロールの再生力を持ってすれば数瞬で塞がる様な傷だ。

 

 だが現状、吹き飛び、内から開いた傷は元の刺突痕と比べて数倍の巨大さと凄惨さだ。爆発の威力で肉は吹き飛び、焼け爛れている。

 

 吹き飛んでいる、そこが重要だ。

 

 皮肉にも、焼け爛れたお陰で動脈からの大量出血は免れているが、骨と腱が繋がっている程度で筋肉に損傷がある為まともに動かせない。平時であったら武王とて苦鳴を漏らしただろう負傷だ。

 

 同じ攻撃を首や目玉といった致命的急所に受けていたら、例え武王といえども無事では済まなかった。首が半分千切れるか、顔の四半分が弾け飛ぶ様な怪我をしただろう。

 

 自分はそうした怪我を負って尚も戦う事が出来ただろうか?

 武王はこうして闘技場に立つ以前、山林で多くの獲物を狩った。ほんの一撃頭を叩いただけで一見無傷にも見えるのに呆気なく死んでしまう者がいた。反面、確実に殺したと思えるような傷を負わせても力無く武器を振り上げ、武王に向かって七歩も詰め寄ってからようやく倒れた者も居た。

 

 生き物というのは時として呆気にとられる程脆く、時として想像もできない程しぶとい。武王は殺す側としてその両方を数多く見てきたし、自分自身数少ない危地の折に後者としてそれを体験してきた。

 

 身体が内側から焼け弾けるという未知の時、『今度』の自分はどちらなのだろうか。今の自分の被害が片腕で済んでいるのは咄嗟の反応ゆえの結果か、それとも幸運か。

 

 飛躍した刹那の思考を、武王は振り払う。こうした延伸した時間感覚、刹那の長考について武王は経験があった。戦い以外の事を考えていると言う意味では散漫とも言えるが、つまりは冴えているという事だ。

激 痛と失血にも関わらず視野は広く、思考は澄み渡っている。それは己が死地に居る時だ。

 久しい感覚だ。最近、遠ざかっていた。

 

 鍛錬は絶え間なく続けていた。強くなっているという実感もあった。しかし、やはりこうした戦闘らしい戦闘が無いと、芯の部分が錆びる様だ。

 

 武王は笑っていた。折れた鼻骨と裂けた唇がズキズキと痛んだが、笑みは深まるばかりだ。焼けて引きつった顔で浮かべるその笑顔は明らかに凶相だった。

 苦しさの中で、痛みの中で、澄んだ思考で──次に同じ位良いヤツを喰らったら俺は負けるな、と判断する。

 

 敗北。

 

 待ち望んだ筈のそれが、昔懐かしいそれが、武王の眼前にぼんやりと首をもたげていた。

 

 久方ぶりに臨んだそれは、全身を覆う鈍色の鎧の隙間から、澄んだ金色の瞳で何処かを見ている。何処を見ているか分からない。

 真っ直ぐに視線を合わせても、目が合った気はしない。もしやすると焦点すら合っていないのではと思わせる無色透明な金眼が──武王の対手であった。

 

 ──スカしたツラしやがって、ぶっ殺してやる、と胸の中で呟いて。

 

 武王は勝利の為に時間稼ぎを始めた。

 

 

 

 

「……何度見ても人間じゃねぇわ」

 

 英雄が見せた奇天烈な切り札に狂乱する観客たちの中、貴賓席のリウルが呟き、ガルデンバルドとベリガミニが無言で首肯する。

 暗器の警戒はするだろう。罠の想定もするだろう、反則への備えだってあるだろう。なんなら客席からの乱入という事例さえ過去の闘技場では実例がある。

 だがこの世に『こいつは急に尻尾を生やしてその尻尾で斬り掛かってくるかもしれない!』などと考える奴が果たしているだろうか。

 

 そんな奴はいない、いないのだ。

 

 人間の、否、まともな生物のやる事ではない。イヨの習得する技術、練技の概要は知っていたが、筋力や反射神経の強化はまだしも、存在しない器官を数瞬の内に生やすなど余りにも常識の範疇から逸脱している。

 

「どんな呼吸したら人間から竜の尾っぽが生えるんじゃか、未だに意味が分からん。異なる種族への変身を可能とする魔法と似たような技術ではあるのかもしれんが……」

「魔力を使うらしいからな。練技という一種の変則的な魔法技術、と考えるしかないだろう。俺達戦士も一時的な能力向上の武技を持つ者はいるが、それとの混合系なのかもしれないな」

 

 アンデッド化や魔法生物化、異種族化。一時もしくは永続的に自身を変化させる系統の魔法よりは変化の幅は少ないかも知れないが、練技という現在この大陸ではイヨ以外に使い手のいない技術故の独自性が其処には存在する。何の準備もいらず、呼吸可能な条件下なら無音無動作で、殆どは瞬間的に効果が発現するのだ。

 

 生き物の形状はその形状として完成している。生活に合わせた形状であり形状に合わせた生活を送っているのだ。単純にその身体に無かった部位を足したり、安易に一部を縮小もしくは拡大する行いは、常識的に考えれば人間として前提にある全身の運動バランスを損なう筈なのだ。

 

 まだ全身を丸々別物にしてしまう方が齟齬が少ない。急に長大な竜の尻尾など生やした所で単純に動かす事だけなら未だしも、運動能力を保ったまま武器として自由自在に扱う所までは時間が掛かる。少なくとも、今までに触れた事の無かった未知の武器種の使い方に習熟する程度の時間は。

 

 なんにしてもそうだ。一つの技を、一つの魔法を習得し実行できる事とそれを実戦の最中に有効的効率的に運用できる事は別物だ。

 

「それをあいつは……」

 

 イヨが【ドラゴンテイル】を習得したのはつい先日だ。まともな練習の時間など取れていない。物理的にそんな時間は無かった。『生まれ持った自分の身体の様に感じる』、イヨはそう言った。そこまでは恐らく練技という技能の効果の内なのだ。

 

 問題はそこからだ。イヨは尻尾という新たな武器の使い方、それを活かす為の全身の使い方を見る見る習得し、今目の前で暴れている。まさに怪物の如く。

 

 かの少年の天性と感性、殺傷と戦闘に寄せる有り余る情熱。牛が草を食む様に、獅子が肉を喰らう様に彼は鍛錬し、想像し、是正し、改良し、そして至る。

 より良く戦う為、美貌の少年は人間が永い年月の果てに獲得した形態と身体操作の理合いを組み替えて飲み下し、新しい自分に適合した運動の術理を体得した。

 

 これまでに幾度も驚愕すれど共に過ごす年月が積み重なる内、イヨに慣れた、イヨを知ったつもりでいた。とてつもなく強いなりに、近い実力を有する者としてその存在を受け入れることが出来ていた。

 

 だが、彼は瞬き一つの間に飛躍する。リウルの、ガルデンバルドの、ベリガミニの、人間の当たり前から。大きくなり強くなる事、拡大と伸長で足りないならと変容と新造に手を伸ばし、自分自身の生まれ持った身体を作り変える道に躊躇わず踏み込んだ。

 

『……それなんなんだよ、魔法じゃねーの?』

『練技は魔法みたいな事も出来るけど魔法じゃないよ。僕の出身地だと元々はドラゴンや幻獣の技だって伝えられてる──筈だよ。あんまり覚えてないけど』

 

 髪や瞳の色と同じ、陽光に照らされて白く眩く輝く白金の鱗。それに覆われた竜の尾を揺らしながら──やや前傾姿勢で──話す彼はとても普段通りで、自分がした事について特に何も考えていない、感じていないのが良く分かる。

 

 普段多用する爆発の武技を相手の体表の下、体内で発動させてより効率よく致命的な傷を負わせるという、単純かつ合理的で悪辣な発想。イヨの真面目さ、そして真摯さの結晶だ。

 

 実際、イヨのいた大陸、彼の故郷ではさほど珍しくも無いのかも知れなかった。近頃めったに感じなくなっていた根本的な価値観の違いを感じ、異邦人という言葉を思い出す。

 

『竜がそんな事をするなんちゅう話はこちらの大陸では聞いた事が無いのう……』

『魔法でも無いのに、どういう呼吸をしたら尻尾が生えるんだ? 筋力の上昇や皮膚の強靭化はまだ分からなくも無いが……』

『うーん……ちょっと口では説明し辛いなぁ、空気中から取り込んだ魔力で体内の魔力を活性化させて、色々……僕は使えないけど、練技には小動物に変身したりする技もあるから、〈ドラゴンテイル〉は原型を大部分保ってるだけまだマシな方だと思うけど……』

『人間の身体に異物がくっついておるだけ外見のインパクトはむしろ強いんじゃが……』

『ああ……まあ、初めてだとびっくりするよね』

 

 魔法だって似たような事できるじゃない、と当時のイヨは一瞬思ったが、理屈の分かっている既知の技術と未知の何かでは感じ方も違うのだろう。そもそもその似たような事である魔法生物化やアンデッド化、一時的な変化系の魔法等のイメージ自体よろしくなさそうであった。何時の時代のどんな人間も大なり小なり『自分や周囲の価値観・常識に見合わない変なもの』を嫌う。自らの意志で人間の形では無くなる人間など、どれだけ文明が進み文化が成熟しても偏見を完全になくす事は出来ないだろう。ましてやイヨの場合他に使い手のいない怪しげな技術でそれをやっている。

 

『……全般的に練技って僕の故郷でもそれ自体はあんまり知名度無いんだよ。戦士とか拳士の技能の延長だって思われてるから。肉体の変化を伴う練技は偏見の対象になりがちって事で、人前では控える人もいるよ』

 

 お前んとこでも普通じゃねーんじゃねぇか、と三人はイヨを叱った。イヨはしゅんとした。

 

『…………邪悪系の魔法じゃ、無いんだよな? つーかお前、普段練技の練習とかしてたか?』

『魔法じゃないよ、それだけは断言できる。僕魔力すごく少ないもん。練習は……まあ練技は主に格闘術と一緒に鍛錬するし、呼吸術だからね。どんな動きをしていても練技の呼吸が出来るようにするのが訓練っていう面もあるから、それ単品の専門的な訓練は普通しないかな』

 

 世界観の設定上はそんな感じだが、実際にプレイする上では、エンハンサー技能はかなりメジャーである。メインに据えてキャラクターを育てる人はあまりいないが、サブ技能やつまみ食いで習得する人はかなり多い。

 

 SW2.0の世界観において、天才的な閃きで練技を習得する一部の者を『幻獣の生まれ変わり』や『竜の子』などと称する事がある。

 

 ただでさえ性別と相反した類稀なる美麗や卓越した実力などの性質故に異種族との混血疑惑が上がっているイヨである。

 

 突如として飛躍し、瞬く間に新たな力を使いこなして見せたイヨの天性は、ゲームの法則に縛られた存在であるという部分を抜きに考えれば、周囲の人々が彼にそうした特殊性を見出すのも的外れなりに無理からぬ事とも言えた。

 

 『妖精の血統』『幻獣の生まれ変わり』『竜の子』──イヨの生涯に終生付きまとう風評や噂話が本格化し、遠方においては事実であるかのように語られだしたのは、この形態変化の技を習得してからであった。

 

「ただあいつ、武器の扱い下手くそなんだよなぁ……!」

「お主と比較されてはイヨも可哀想と言うもんじゃが、確かに」

「拳士だからな……素人として見れば上等だがアダマンタイト級として見れば塵芥以下だ」

 

 リウルが苛立たし気に呟いた。そう、イヨは武器の扱いが下手くそだ。強い肉体、拳士として培った戦闘感覚がある為戦えばまずまず強いかも知れないが技量については精一杯高く評価しても初心者としか言い様が無い。

 

 尻尾の扱いはあっと言う間に上達したが尻尾の先端に付いたそれらについてはまだまだ向上の余地があり、熟達の域とは程遠い。限られた時間で出来るだけの事はしたが、可能ならば何百倍の時間を掛けて磨き上げてから実戦の場に送り出したかった。

 

 刀剣、刃物というのは繊細な武器なのだ。ある物体をある刃物で斬る時、正解とされる斬り方は厳密に言えば寸毫のズレも許されないたった一つしかない。刃物は理に沿い適切に扱う限り個々の性能に応じて最大の成果を約束してくれるが、馬鹿が滅茶苦茶に使うとどんな名剣もなまくらに堕ちる。

 

 要するに敵の肉体に切り込んでいくほどに細く平べったい金属板が刃物なのだから、下手な使い方をすると何か拍子にポキンと折れたりガチンと欠けたりグニっと曲がったりする。そうするともう目も当てられない。リウルなどはイヨの武器の使い方を見た瞬間我慢できず叫んだものである、『お前はオーガか! 敵をぶっ殺したいのか武器をぶっ壊したいのかどっちだ!』と。

 

 幸いイヨには人間として規格外の程の筋力があり、刃は【アーマー・オブ・ウォーモンガー】と同じ素材で出来ていて、形状は要するにハルバードのそれであり、しかも遠心力を生かせる長い柄、強靭な筋肉と骨と鱗の塊である尻尾の先に付いている。叩き付けるだけでも大抵の物を破壊できる威力は出る。問題は当の武王が大抵等とは程遠い生き物だという事だ。

 

 細腕の娘子が包丁の様な小さく薄く軽い刃物で戦う場合より遥かに威力が出やすく、細かい事は気にしなくてよい。イヨには刃物で斬るという極めても極めきれない果て無き道をどうこうするより、身体の重心から尻尾の先端まで筋を通して振るえと助言してある。

 

「クソ、最初の一発で首を飛ばせればそれが最高だったんだが……しばらくは兎も角、直ぐに厳しくなるぞ……」

「分かってはおったが武王も遥か怪物じゃ」

「再生能力を持つ身の上で、しかもあれだけの実力だ。片腕を取られる機会などそうそう無かっただろうに、恐らくは土壇場であれ程動けるとはな」

 

 イヨのセンスならばそれでもかなりの所までやれる。だが、土壇場でものを言うのは日々の修練、それを如何に己のものとしているかだ。天性だけで通用するほど甘い世界、低いレベルの戦いでは無い。

 

 今の三人には見守る事しか出来ない。イヨも、無論武王も全てを賭けて全てを磨き上げた末に此処にいる。観衆の懸念などには関わらず時が過ぎれば結果は出るのだ。

 

 




明けましておめでとうございます。今までにない位遅れてしまい、誠に申し訳ありませんでした。
取り合えず武王戦終了までは37000字ほどで書き上がったので、これから一日一話、多分四日かけて投稿します。

去年は農家的に大変な年でしたし今年はもう少し幸多き一年であって欲しいと願っています。もうすでに暖冬で雪が降らないなど異常気象気味ですが。

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