ナザリックへと消えた英雄のお話   作:柴田豊丸

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頂きに挑む:武の極光

 何のことはない。

 焼けていなければ治るのである。単純に内からの圧力で開いただけの箇所、もしくは爆風で吹っ飛んだ部分──そういう、火傷を負っていなかった部分が治った、だから多少なりとも動かせるようになった。

 時間が掛かったのはイヨの猛攻のためと、火傷を負った再生しない部分を巻き込んで押し包む様に筋肉同士がモザイク状に繋がるのに手間取った、頑強な身体を持つ武王にとってそうした怪我が初めてで自身の状態を手探りに確かめていただけである。

 

 曲がりなりにもこうして両腕が使える様になれば──武王には勝負を決める一撃がある。

 

 かの至高の一閃が。

 

 武王はイヨ・シノンの瞬時の機を掴む勝負勘と眼力、掴んだ機会を用いて今度こそ己の首に致命の一撃を叩き込むだろう力量を疑っていなかった。

 速度と威力に頼ってただ放つだけの武技では不足──そう直感したからこそ、最低限自身の最大威力の一撃をコントロール出来る状態になるまで時間を稼いだのである。

 

 それは速度故に必中の一撃。

 それは威力故に必殺の一撃。

 それは彼が掴んだ至高の一閃であり、故に必勝の武技である。

 

 狙い澄まして全力で打ち込めば、如何なるモノをも打ち砕き圧し潰す。

 

 初手でそれを使わぬ理由は、決め手は秘するものであり、武王が闘技場の王者であり武芸者で求道者であり──そして何より大抵の相手にとって過剰威力であるからだ。

 

 武王がこの一撃を使用した事は、彼が王者として君臨してから組まれた数少ない試合の中でも尚希少であった。出すまでも無かったのだ。

 

 純粋に勝利の為に必要として使ったともなれば、ほぼ皆無と言って良い。

 

 この武技を出すまでに、この武技を必要とするまでに武王を追い込んだ──その一事で以てしてあらゆる関係者の記憶に、イヨ・シノンの名は永遠に刻まれるだろう。これはそういう技であった。

 

 両腕で保持された棍棒が、先端が武王の真後ろを向くほどの深い横構えでぎりぎりと引き絞られるのを、イヨ・シノンは足を止めて見ていた。

 

 動きで攪乱しよう等とは一切思わなかった。彼にはそれがどれだけのものか、本能的技量的に理解できたからである。乱雑に動き回る程度の事で回避できる可能性など万に一つも無い。それはか細い勝機を自ら消す行為だ。

 

 必要なのは幸運では無く、最高かつ最適な狙い澄ました反応──そう、武王の初撃を捌いた様な。そちらであれば、可能性は残る。万に一つの可能性が残る。

 

 これから決まるのだ──イヨがただ単に百万人に一人の才能を持ち持たされたと言うだけの凡人であるか、その身に宿った力に相応しい英雄たる光輝を持つ者かが。

 

 もう、何もいらない。仲間の事も、命の事も、対戦者と己以外何一つとして。全てを捨て去り全てを賭けた全力の先にのみ目指す境地がある。勝利がある。

 

 尻尾の重さの分だけやや前傾したその姿勢が示すのは脱力。風に揺れる草葉の様に頼りなく、一見吹けば飛ぶ様な所在無さ。しかし、少年のその姿には、武の深奥に踏み入った者にしか感受しえない凄みがある。

 

 引き絞られた弓の様な体勢で放つ武王の覇気。風に揺蕩う草花の如く存在する挑戦者の静謐。

 

 その瞬間は、程なく訪れた。

 

 それを知覚し得た者は、まごう事無く武王とイヨ・シノンの二者のみ。

 

 己の身一つを以てして、頂に上り詰めた者の放つ技。その意志で、力で、己を極限まで鍛え上げ磨き上げた者だけが至る境地。

 

 それはガゼフ・ストロノーフが至り、そして今なお錬磨せし〈六光連斬〉と同じだった。

 それはブレイン・アングラウスがその有り余る天性を磨きに磨いて結実させた〈神閃〉と同じだった。

 それは全盛期のガド・スタックシオンが掴み取り、そして老齢となった現在持て余しつつある〈二刀極斬〉と同じだった。

 

 百万に一人の才を生まれ持った者が幾千の危地を踏破し、幾万の死を乗り越え、対戦者という対戦者を喰い荒らし、数え切れぬ程の屍の山を築き上げ、登り至り──遥かなる研鑽を経て、この輝きに達するのだ。

 

 故にその輝きは全ての戦士を魅了する、それは『その他大勢』たる彼ら彼女らの血と肉と命を吸って研磨された至上の玉であるから。誰もが目指し誰もが潰える、その先にのみ結晶するものであるから。

 

 手の届かぬものは、手に負えぬものは輝いて見えるのである。

 

 真正の異邦人たるイヨが生涯その裾野を踏む事さえ許されぬ高峰の頂点──その御業には、正しく神技の名こそが相応しかった。

 

「──〈神技一閃〉」

 

 閃光が奔った。

 

 

 

 

 

 

 武技発動の瞬間、武王の全身が鮮血を噴き上げた。全力を超えた全力を発揮する五体の負荷に耐え切れず、今までに負った傷の全てが花開いたのだ。末端の血管は爆ぜ、筋肉は再び裂け、骨には亀裂が走った。

 

 五体満足であれば多少の身体負荷と集中力の消費、つまり武技相応の体力消耗で済むが、今の武王は五体満足とは程遠い惨状である。傷付いた身体で放った切り札の代償は平時とは比べ物にならない程巨大だった。最終的に発揮した威力も消耗に応じて下がっているだろう。

 

 己の奥底で命の猛りが僅かに、そして確かに減じた──そうした内観を武王は冷静に捉える。しかし、そんなものはどうでも良かった。生と死の境にて死力を振るう、彼はずっとそうした戦いに焦がれていたのだから。

 

 重い一撃。今の我が身では一瞬御し切れなくなりそうなそれを、武王は歯を食いしばって振り切り、叩き付けた。

 

 闘技場が揺れた。

 

 瞬間的に目の前が暗くなり四肢末端の感覚が薄れる程の消耗はしかし、トロールの種族的特徴故に急速再生され、瞬く間に癒える。焼かれた箇所を残して裂けた筋肉は再び合わさり、血管が修復され骨が元通りになる。莫大量の失血さえも増血によって埋め合わされる──十秒に満たない程度の時間さえあれば間違いなくそうなる。

 

 身体の芯にこびり付く疲労感と四肢の重み。こればかりはトロールと言えど再生しない。

 

 狭まった視界が戻り始め、己の切り札の行く末を再び捉えた時、彼は笑った。

 

 眼下には、打撃のインパクトで地面に斜めの轍を刻みながらも、未だしかと立っているイヨ・シノンの姿があったからだ。

 

 武王はヘルムの下で破顔した。何故なら彼には見えていたのだ、打撃の瞬間──『自分が動くよりも速く自分の攻撃を避け始めた』挑戦者の姿を。

 完全に足を止めてじっくりと構えた状態からの一撃だったのだ、純粋な武術の腕と言う意味では自身の遥か上に立つ者ならば、それ位の事は出来るだろう。

 

 完全に機を掴まれていた。先の先を取られる、仮に実力が同じならば返す刃の一撃で命を奪われていても不思議ではない程の失態。

 

 相も変わらず滑った様な手応え。受けられている。敵もさるもの。だが、それでもなお。即死こそ避けられたが重傷は負わせた。芯を外してなおも骨を砕き内臓を潰す威力。

 

〈神技一閃〉は〈竜牙突き〉シリーズの様に攻撃に追加効果を持たせる類の武技ではない、言うならば武技として最もポピュラーで習得者の多い〈剛撃〉や〈斬撃〉の究極進化型──つまり単純に攻撃の威力が増す系統の武技だ。

 

 ただ強く速く重いという〈打撃〉〈剛撃〉系統を極限まで磨き上げた到達点たるその威力は、結果的に後出しとなって尚『先』を取る。

 

 武王の初動より早く的確な回避と防御を実行したイヨ・シノンの対応を、〈神技一閃〉は追い抜いたのである。

 

 ──知っていたさ! お前なら当然耐える!

 

 限りなく延伸した時間感覚の中で、全身にダメージを受けながらも、一瞬後には踏み込んできそうな挑戦者のその動きを加熱加速した武王の意識は『捉えた』。

 

 我が身の再生を待つ時間など無い。まず一撃を当てさえすれば──お互いに崩れた体勢からならば──後はそう、どちらが先に尽き果てるかという純粋な力比べだ。

 

 死ぬまで殴る。

 殺すまで止まらない。

 先に音を上げた方が負け。

 それが真剣勝負というものだ。

 

「〈剛撃〉〈神技一閃〉……!」

 

 再生しかけていた身体中のあらゆる全てが再度、より深く、より致命的に弾ける。体中から千切れる音、潰れる音が響き、視界の全てが赤く染まった。繊細な眼球や四肢末端のそれのみならず、臓器や脳の中でさえ筋肉と血流の圧力に耐えかねて血管や神経が破断していく。

 

 それら全てを代償として──武王は初撃の余勢を残す棍棒を、自らをも蝕む剛力で再度叩き付ける!

 

 渾身の一撃を振り抜いて流れた身体を逆方向に思い切り捩じり、自らが放った技の威力が抵抗となって初動が遅れるが、その威力を身体で受け止めたイヨの方が条件は遥かに悪い。

 

 余人には、この二連撃は単発の打撃としか捉えられないであろう。一流の戦士であっても目にも止まるまい。共に超一流として脚下に全ての戦士を置いて立つ超高域の武芸者であるからこそ互いは互いに昂り、荒ぶるのだ。

 

 手に宿す必殺の感覚は再度裏切られる。イヨ・シノンを包む緑色の薄光。ただ硬いのとは違った威力が通らない、攻撃が響かない感覚。幾度も経験があるそれは──打撃耐性。

 

 必殺の筈の二撃目を打ち込んで尚立っている挑戦者の姿。その身には頼りない防護の光を纏っている。今にも消えそうな薄明かり。今まさに消え行く儚い光。

 

 SWには、ユグドラシルには、この世界には破壊する事でたったの一回だけ本来の効果を遥かに超える力を齎す種類のアイテム群がある。詳細を知らぬままに武王は理解する。今の一撃の威力を半分以上は喰われた、と。

 

 武王は笑った。お前もギリギリか、と。

 たったの一回だけなのだろう、今までもほんの僅かずつ我が身を守っていたそれを、今まさに不可逆的に使い潰したのだろう。もうそれは無いんだろう? その鎧の下で確実に何かが失われたのだ、と。

 

 残った半分でさえイヨの蝕むには十分過ぎたという事も武王は理解していた。理解した上で、自分と同じく全身を血に染めて、鎧の隙間から血液を始めとするあらゆる体液、その混合物を垂れ流す姿に愛おしさすら感じた。

 

 自分と同じだ。死の臭いがした。普通の生き物ならば数十回は死ぬほど骨に筋肉に臓器に精神に痛みを負っている。お互いとっくの昔に、鎧が身体を守っているのだか縛り付けているのだが分からない程の苦痛と疲労の極地だろう。

 

 それでもなお俺に向かって歩を進めるお前こそを殺したのだと、武王は裂けた喉で、口内に溢れ返る血液を吐き散らしながら叫んでいた。

 

 ──ああ、イヨ・シノン、俺は──

 

 言葉になどならない。言葉にすら出来ない。物理的に。最早唇を割って出てくるものは完全に気の狂った様な奇声でしか無かった。もう耳も碌に聞こえていなかったがそうである筈だ。特に右腕は固まった手が棍棒を離さないというだけの重りに過ぎなかった。

 

 〈流水加速〉。本来ならばこの状況で即座に体勢を立て直して更なる追撃を加えるのならば〈即応反射〉が最適だろうが武王は使えない。故に選んだこの一手は負荷を支えきれず崩れていく体勢を更に加速させた。

 

 極度の疲労は武技由来で無い負荷と相まって脳細胞に致命に近いダメージを与えるがトロールなので治る。勝った後に治る。故にまず勝つ事が先決だった。

 

 己の振るった棍棒に引っ張られるように身を回す姿は殆ど曲芸だった。だが、打撃の超威力の制御を放棄して更に武技で加速させたそれは人知を超えた速度であり、また加速距離の長さとなって威力を稼ぐ。

 

 広く前面を捉える左右の横振り二連撃から身を回して繋ぐのは、地面を削ってイヨ・シノンを下から上に跳ね上げる理外の三撃目。

 

 武王の本能が自身の状態を度外視して放った止めの為の繋ぎ──技術巧者を寄る辺たる大地から引き剥がすし何ならこれで殺すという気迫が籠ったものだ。

 

 粉砕された土砂ごと打ち上げられて天を舞うイヨ・シノンが輝いている。意志の光だ。戦意の光輝だ。吹っ飛ばされつつ自身の姿勢を制御している。まだ殺すべき敵でいてくれる対戦者は歓喜を通り越して愛おしいとともにもう鬱陶しい。

 

 死ね、殺す、死ぬな、抗え、生きろその後に俺の手で死ね殺すこの一撃でまだ何かあるんだろうもっと出来る筈だそろそろ死んでおけ俺が殺す。物理的損傷によって不規則に加速する思考は最早本能の願望と閃きの連打乱舞であり言語化不能。それでもなお最後に残った一念が──

 

 ──お前に勝ちたい……!

 

 逃れようのない空中で潰れて死ね。

 武王は一秒足らずの内に都合四回目の〈神技一閃〉。上への跳ね上げのまま後背に投げ出した棍棒を、残った総身の筋力と気力を振り絞って再度叩き付けた。

 

 

 

 

 

 

 武王が秘められた──というより今までは使うまでも無かった──武技の使用を決心し、それを阻止できなかった段階でイヨが事前に想定していた勝ち目は完全に吹き飛んでいた。

 

 それこそ事前の想定では『その武技をどうやって凌いで、尚且つ反撃するんだ? 話聞いた限りじゃ最低でも全盛期の副組合長の奥義とタメ張るレベルだぜ』『その時はもう、っていうかその時点でもう負けだねぇ』としてどうしようもないので対策不能という現実を割り切り、その前に押し勝つ以外に現実的な策など考えようがなかった。

 

 『そもそも事其処に至って勝ち筋を想定する事自体が都合の良い空想』。

 

 それが数え切れない程勝ちと負けを積み重ねてきたイヨの答え、それが本気の武王ゴ・ギン。

 

 ──そしてそれでも勝つのが英雄だ。

 ──空想を、伝説を生きるのがアダマンタイト級冒険者だ。

 

 イヨはかなり可愛くてそれなりに強くてほどほどに人に好かれる十六歳の新婚少年イヨ・シノンちゃんではない。たったそれだけの自分に満足できない。もっと背負って見せろと求められ、応えると決めてしまった。

 

 なるべきは人界の守護者、新しい英雄イヨ・シノン。

 人々がイヨに期待しているのは絶世の美貌で絶対無敵に強くてあまねく人々の尊敬を一身に集めそれでいて家庭人としても完璧なイヨ・シノンなのだ。

 

 無理を蹴倒し道理を投げ飛ばす程度の事が出来なくてどうして英雄など名乗れようか。既にそれを成した諸先輩方に鼻で笑われよう。名乗る為に必要な実力はちゃっかり貰って持っている癖に。

 

 理屈をこねて諦める物分かりの良いイヨ・シノンなど死ね。他ならぬ自分自身であるのならばこの世のどんなクズよりも気軽に殺せる。自分の弱音の化身が目の前に現れたなら瞬時に首を捻って死体を踏み付けにして唾を吐いてやる。他の誰にもそんな事はしたくないが自分にはそれくらいで丁度いい。

 

 イヨは空手を始めて三か月で大会に出て二回戦で負けた。イヨは泣いたが周囲はむしろ褒めてくれた。『一回勝てただけすごい』『いい試合内容だった』『初めての大会で良く動けた』『次はもっと上にいける』『負けて泣けるって事は悔しかったんだ、そういう子は強くなる』と。

 

 イヨはずっと泣いていた。勝ち進んだ同じ道場の子の応援中も泣いていた。閉会式でも泣いていた。家に帰っても泣いていた。次の日朝起きても泣いていた。学校でも泣いて先生に心配された。道場の稽古中にも泣いていい加減にしろと怒られた。

 

『まだ初めて三か月だろ。いきなり優勝でもする気でいたか? 出来ると思っていたのか? お前よりもっと長くもっと辛い稽古をしている子はごまんといるんだぞ』

 

 その瞬間イヨは泣き止んだ。涙の理由を知ったからだ。

 誰にも負けたくない。勝ちたい。キャリアも稽古量も身長体重もクソ喰らえ。もっと頑張ってる子がとか長くやってる子がとかなんとか言うならハナから勝ち負けで勝負を決める大会になど出るか。出るな。努力の量比べがしたいなら腕立て伏せの回数でも競ってろ。

 僕が負けたのはありとあらゆる全ての積み重ねの結果として僕が弱かったから。そうだとも、自分は一番になりたかったのだ。

 

 瞬間的にキレ散らかしたイヨはそんな事を半分幼児語で言ったらしい。

 

『急にどうしたんだ一体……』

 

 ドン引きされたらしい。当時イヨは小学校低学年である。ぶっちゃけほぼ覚えていない。

 

 死んでも負けたくないのだと知った。何が何でも勝ちたいのだと知った。空手が大好きで勝負が大好きで大好きなもので一番になりたいのだと知ったのだ。

 何百回も勝ってトロフィーと賞状を飾る場所が無くなってもまだ勝ちたかった。『一位は篠田がいるから無理として、二位になる為には決勝まで篠田と当たらないトーナメント表で反対の山に入ってなきゃいけない』と評された全盛期でももっともっと上手くなりたかった。

 周りに次々追い越されて勝利の栄冠がどれだけ遠ざかっても負けには慣れる事が無い。

 

 今やイヨが背負うものは自分の気負いなどではない。公国冒険者の代表と言う看板、人類の守護者という期待、千万の人々の命、人間の極限という宿命だ。

 

 敗北は例え不可避だったとしても許されない。

 

 ──僕の方が! もっと! 誰より! あなたに勝ちたい! 

 

 事前に負け確定と自ら認めていたパターンに入った時、イヨの自我は過熱した。イヨの全知全能が向かい来る死、振り下ろされる棍棒を前に一極化する。

 

 極限の状況を前に自意識すら切り捨てたイヨは頭上から迫りくる『支え』を感知する事に五感の全てを向ける。

 

 ある意味それは虫や小動物が捕食者に襲われた時滅茶苦茶に暴れまわる類の爆発的行動に近かった。考えても思ってもいないという意味では完全に闇雲である。

 

 ただし完璧に狙い澄まされている。

 

 過ちも外した狙いもあたかも全てこの時の為であったかのような。狙い過ぎて使い損ねたのではなくこの一撃の為の全てであったかのような調整と発想。

 

 【ドラゴンテイル】【マッスルベアー】【ジャイアントアーム】【キャッツアイ】【ドラゴンテイル】──筋力と命中力は跳ね上がり二回の重ねを経て竜の尾はより長くより太くより強大に伸長する。

 

 イヨの全力は武王の全力に届かない。故に一度見せてしまえばその時点で切り札としての役割を果たせなくなる。だから使えるのは一回だけ、一撃で勝負を決める狙い撃つ奇跡の一発だけ。

 

 その奇跡を手繰り寄せる事が出来るか否かが今回の勝負の分かれ目であり、本来の筋書きで言うならイヨは既に負けた後であると言えた。だが此処にきて、勝機というものは正気とはかけ離れた狂気の果てに今一度結晶する。

 

 重装形態は解けない。ある程度硬さが、威力を受け止められるだけの頑丈さが必要だからだ。既に体勢は調整済み。直上から落ちてくる様な一撃は正確に言うとやや斜めの楕円軌道を取っている。

 

 首を下げ背を丸めて空に浮くイヨの身体──の前に垂らした上半身──に破壊の神威を宿した棍棒が予期した通りに当たる。

 

 身体は宙に浮いている。つまり上からの衝撃と挟んでイヨを潰す地面からは離れているのだ。武王最強の一撃を受けたイヨの全身は一瞬の抵抗の後に着弾箇所から破壊されてつつ下方に落下していく──その身体にイヨ独力では到底生み出し得ない『勢い』、『運動量』を得ていく。

 

 粉砕される鎧で、弾ける骨で、千切れる筋肉で、潰れる内臓で──棍棒に押し潰されながらイヨの身体は前方に縦回転。身体に伝えられる衝撃に残存の筋力を足し合わせつつ全身運動で四肢──否、第五の、そして最長最大最強の器官へ送る。

 

 空気を引き裂く音がした。

 

 それは考えるでも思うでも間に合わない文字通り刹那の御業。

 

 イヨの全力は武王に及ばない。一人では勝てなかった。此処には武王とイヨしかいない。ならば武王本人の力を盗む以外に道は無い。

 

 執念が作り上げた相殺のカウンター。イヨと武王の一方的盗作による合作。

 

 武王合力【テイルスイング】プラス【爆裂撃】──まごう事無く地上最強の一閃である。

 

 武王の首が爆炎と血飛沫を噴き上げ、イヨの半身が一部を飛散させながら押し潰れた。

 

 

 

 

 

 

 万の観客が詰め寄せる闘技場内が沈黙で満たされた。

 彼ら彼女らの眼前には二人の戦士──否、二人の戦士だった死体が転がっている。

 

 死体など見慣れた、むしろ死体こそが、生き物が殺し合いの末実際に死ぬ事を期待してわざわざ出向いてきている観客たちが、多くは声も出せないでいた。興味本位で見に来たミーハーな町娘が失神している場合や死闘愛好家が絶頂を噛みしめて余韻に浸っている場合など種別に違いがあったが、死闘の末の決着を拝んだ闘技場としては異例の沈黙には違いない。

 

 ダブルノックアウト。

 

 不敗神話を打ち立て過ぎた結果試合そのものが組まれなくなってしまった強過ぎる王が、顔と肩の一部まで含めた首回りが弾け飛び骨が見える様な状態で地面に力無く両膝を付いている。

 未だ棍棒を手放さぬ両腕は力なく垂れ下がり、だくだくと流れる血液は地面に水たまりを作っていた。

 

 可憐なる戦乙女として前半はその奮戦で、後半は曝け出した本性と正体で観客を驚かせた挑戦者の半身が原型を無くし、手足の一部は飛び散っていた。

 右の肩から入った武王の打撃はそのまま右肩ごと右腕を引き千切り、生身の胸部、腹部とそれを覆っていた装甲を諸共攪拌しながら右脚を肉の塊にしていた。大出血と潰れた内臓、粉砕され撒き散らされたイヨ・シノンの一部は死者など見慣れた観客たちの基準でも凄惨だ。

 

 恐らくたった数秒だっただろう沈黙の時間は、殆どの者にとって永遠にも等しく感じられた。

 

 しかし、しかし、大いにそれを期待していたとは言え、まさか王も英雄もどちらも死ぬなど。興奮や恐怖より、これどうなっちまったんだ、どうなっちまうんだと言った現実的な感覚が徐々に戻ってくる。

 

「──お」

 

 最初に声を取り戻したのは誰であっただろうか。

 或いは大損した博徒であったかも知れず、或いは勉強の為にと世間的に最強と言える者同士の戦いを見に来ていた冒険者やワーカーの類か、趣味人の貴族か……。

 

 いずれにせよ、その一声が合図だったかの如く。戦士たちは再起動した。

 

 ビクンと大きく身体が震えるのは完全に同時だった。

 

「おい、嘘だろ……」

 

 武王の首が再度鮮血を噴き上げ、同時に片膝を立てて立ち上がろうとするのと、地に片手を付いて起き上がろうとしたイヨがバランスを崩し、咄嗟に地面に尾を打ち込んで身体を支えたのは同時だった。

 

 霞む視界で互いを捉えた二人は二人とも己の瀬戸際の不手際と相手のしぶとさを呪った。

 

 ──俺は何をされた? 首元が熱くて涼しい──何故お前まで生きている。半分までも潰してやって何故動ける。作り上げた身体であって本来の形では無いから? 何処かにある核か何かを潰すべきだった? まさか、単純に脳と片肺、心臓が無事だからまだ死なないとでも──見た事がある、腹を裂かれた動物が腸や胃袋を引きずりつつ逃げていく姿、心臓を穿たれても首を落とされてもしばらくは暴れ続ける動物も──俺が殺し損ねたのか、最後の最後で狙いが逸れた、真芯を捉えるべきだった……。

 

 ──武王の首はまだ繋がってる! 仕留めそこなった! 出血は続いてるけど身体が動いてる、脊髄を断てなかった! 刃筋がよれた? 鎧の継ぎ目を外した? 【爆裂撃】のタイミングがズレた? 全部もしくは確実に二つ以上だ! 実力不足! 再生してる! 立ち上がろうとしている! 最後の最後でこの馬鹿め! 

 

 既に己が戦闘力をほぼ喪失している事を二人は承知していた。ならばこその乾坤一擲、ならばこその全てを賭けた一撃だったのだから。それ以前の段階でですら彼我の心身は限界の縁に立っていたのだ。

 

 武王の首は抉れ焼かれ弾けており何時までも傷が治らない。力を込めて僅かにでも動こうとした瞬間から出血量が増大して頭が霞む。トロールで無ければとうに死んでいる。治療を受けない限りこのまま延々と半死半生でまともに身動きできない。這って行ってイヨ・シノンを殺すまで一体どれだけ掛かる。そもそも半死に体の状態で超級武技の後先を考えない連続発動を行ったばかりだ。再生で回復できない負荷が大き過ぎる。

 相手が僅かでも戦闘力を残していたら成すすべなく首を刎ねられて終わる。

 だがそれが何だと言うのか。

 

 イヨの片手片足は何処かに吹っ飛んでいるし、右半身は殆ど潰れて役に立たない。大量の血液が流れ出ている。最早痛みは感じない。悪い兆候だ、感覚が失せ始めている。残った手足も所詮傷物だ。使い物にするのは難があり過ぎる。僅かに身動きすると中身が零れる空白感が体内に広がっていった。イヨ・シノンだからこそ未だ生きている。

 イヨは左腕の【火足炎拳】で傷口を焼いて出血を止めようと試みる。立ち上がる努力は無駄だ。命が尽きる前に武王を殺すには少しでも人体内容物の流出を抑えつつ竜尾と足で地面を這い、武王の首筋──露出した頸椎に再度【爆裂撃】を見舞うしかない。

 しかしそうして近寄った所で武王が腕一本でも動かせれば、否、前に倒れ込むだけでイヨは圧死だ。

 だがそれがどうしたと言うのだ。

 

 二人は必死で身体を動かす。動く相手が目の前に見えている、ただやられる訳にはいかない。相手より先に意識を失う事は死を意味する。あと一撃、ほんの僅かな距離を隔てた先に死にぞこないの相手がいる、其処には勝利が見えている。

 

「まだ、戦う気かよ……」

 

 勝利以外に目指すものなど無い。勝利以外の決着など認めない。死力の限りを尽くし戦う。相手より先に相手を殺す。類稀なる激戦の果てに死の淵に立ち、ナメクジの如く互いを求めて這いずりながら、二人は未だ戦いを続けていた──が。

 

 何処かで誰かが声を上げている。自分でも対戦相手でも無い者が走り寄る気配。

 

 ──ああ、クソ……観客も居ればスタッフもいる試合だったか、そう言えば。

 

 イヨと武王は閉じつつある脳で同時に同じ結論に達した。認めがたい苦い現実を認識し──無念を感じつつ今度こそ意識を放り投げた。

 




例え外野がどう言おうとイヨも武王もこの結末が気に食わないです。その辺りの事を明日投稿する話で書きます。
武王戦はこれで終わりですが武王さんとのやり取りは次の話まで続きます。

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