ナザリックへと消えた英雄のお話   作:柴田豊丸

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:頂きとお喋りする

「起きたか」

 

 目を開けると其処には上から覗き込む巨大で醜悪な面──それでも瞳の輝きや表情に知性と品格が見て取れる──があった。人間のそれでは無い。トロールだ。

 

「……おはよう、ございます」

「ああ。無事で何よりだ」

 

 イヨがベッドから上体を起こすと、掛けられていた毛布が滑り落ちた。幸い衣服は簡素で清潔な物が着せられている。

 周囲の景色を見るにここは恐らく医務室に当たる場所らしかった。置いてある物は兎も角雰囲気は地球でのそれと大差ない。

 

「神官と施療師、互いの関係者には席を外してもらった──ああ、俺もお前も死んではいない。治癒が間に合ったそうだ。お前は正直あのまま死んだと思っていたが」

「……私は……前衛系職業のレベル合計が一定以上で自動習得する【タフネス】というスキルを持っていますし、ベアナックル・ファイターの時【頑強】も取っているので……素の私と比べてHPは三割増しで多いんです……怪我だって沢山怪我の練習もしたので慣れてますし……」

「……まだ混乱しているようだな」

 

 ベッドの脇に座り込んだトロール──ゴ・ギンは背を丸めてなるべくイヨと目線を合わせようとしていたが、それでも彼の方がずっと視線は高かった。

 流石帝国が誇る闘技場だけあって広々としており天井も高い。それでも武王は頭を気にしつつ移動しなければならないだろうが、逆に言うと彼ほどの巨躯でもその程度の苦労で動き回れる位には空間的に余裕がある。

 

 イヨの魔力の回復具合などからするに、試合が終わってからそれなりに時間が経っていそうである。向かい合って過ごすには長すぎる沈黙が流れたが、一度口火を切ると会話は不思議とスムーズにいった。

 

「すいません……もうちょっと気を失っていたい気分です」

「奇遇だな、俺も気分は最悪だ」

「でしょうね。勝敗はどうなったんでしょうか? 私たちは続行する気でしたが」

「両者同時に戦闘力を喪失していたという判定で、引き分けになる」

「ああ……興行的に引き分けってどうなんでしょう」

「さあな。大抵の奴は俺の勝利に賭けたと思うが。興味が無いから分からない」

 

 強くなる事以外殆ど関心が無い、と武王は言った。

 また少し沈黙が続いたが、不思議と不快では無かった。

 

「俺の方が先に意識を取り戻した訳だが、今すごく俺の中でホットな話題があってな」

「大抵想像が付きます」

 

 イヨはベッドの上で胡坐をかいた。

 

「散々策を弄して準備に準備を重ねた上で真っ当に実力不足で勝てなかったどっかの小さな国の一応最上位らしい冒険者の話なんだが」

「強過ぎて敵がいないとか言っときながら油断が理由で格下に勝てなかったなんちゃら王のガだかグだかギみたいな名前のトロールの話もでしょう?」

「他にもある。最後の最後で決めれば勝てた一撃を普通に失敗してただでさえ矮小な身体を地面にばらまく羽目になった貧弱なチビの話もだ」

「なんかすごいカッコいい名前の必殺技を複数回使った末殺し切れずあまつさえ空中の身動き取れない相手にジャストヒット逃して反撃で死に掛けた下手くそなデカブツの話も、と」

 

 二人は凪いだ表情のまま敵対的とも言える言葉を穏やかに交わし合う。誰よりも何よりも己こそがそれを痛感していた。

 

「不覚でした……まさか最後にやらかすとは。己の未熟を痛感します」

「俺が試合を通して何回お前をぶん殴ったと思っているんだ? 反撃の余力が残っていただけでも自信を無くしそうだ。しつこすぎるぞ」

「それはこっちの台詞です。武王さんの何倍も蹴って叩いて、命と動作に関わる場所ばかり散々斬って焼いたのに。しぶとすぎます」

「最後の最後で俺もやらかしたがな」

 

 クソみたいな気分だ。そこは一致していた。

 

 観客たちの評価は当人同士のそれとは正反対だったらしいが、二人にとって重きを置く部分は客受けとは別の所にある。

 殺し合いと言う綿密なコミュニケーションを経た二人は少なくとも戦闘に関するお互いの姿勢については理解していた。意図的に情報を遮断している武王と違ってイヨは事前の情報収集で武王の人となりまで知っていたのだ。

 

「俺の連勝記録は途絶えてしまった──のだろうな。記録上の扱いなど知らないが。負けてはいないから無敗記録として続く、のだろうか。分からん、どうでもいい」

「人類最強の看板にも傷がつきました。ついこの前なったばかりだと言うのに」

「トロールで武王の俺と引き分けておいてその言い方は無いだろう。むしろ生物界トップクラスとでも名乗れ。そう言えば、最初に司会がなにか言っていたな? 冥府の騎士? だとかを倒したのだったか。強かったか? どんな奴だ?」

「武王さんよりちょっと小さい位の大きさをした、タワーシールドとフランベルジュで武装したデスナイトというアンデッドですね。戦ったら多分──」

「ああそれと、いい加減迂遠な言葉遣いは寄せ。目上を敬うなら俺の文化に合わせろ。ゴ・ギンでいい」

 

 特にアダマンタイト級になってからはイヨの部活動の後輩的礼儀正しさが美徳では無く気弱や威厳の無さ、よそよそしさと解釈される事が多くなってきていた。なにせ単に敬語丁寧語と言うだけではなくぺこぺこ頭を下げる。

 イヨは自分が落ち着かない──長年の元居た世界における家庭・学校・部活・道場教育で培われた礼儀や常識が抜けない──ので周囲の意見に反して頑なに敬語や丁寧語を使っていたりする場合が多い訳だが、異種族の文化を持ち出されると流石に迷った。地球にトロールはいないので人間目線の文化云々は流石に的外れ感がある。

 

 迷った末、

 

「……じゃあ、ゴっさんで」

「……ああ。お前程の者にそういう呼ばれ方をする事は正に誉れだ」

「はい?」

 

 神妙な口ぶりに首を傾げると、武王は子供が泣き叫ぶだろう顔をした。多分ちょっと眉をしかめた位だと思うのだが骨格からして違うので相当威圧感がある。

 

「分かっていて言ってくれたのではないのか? 俺達トロールにとって短い名前は勇気と力強さを表すものなんだが」

 

 イヨはトロールの一般的な文化までは学習していなかった為、『名前を短く縮めて呼ぶ』という行為が親しみを示すだけではなく相手の力強さや勇敢さを称賛している事にもなっているとは思っていなかった。

 ちなみにゴ・ギンという名はこれで一つの名前である。よほど集落や社会集団として大規模にならない限りトロールに姓はない。その三文字の名前から二文字縮めて呼ぶのだからこれ以上無い位に褒めちぎっている感じである。

 

「全然知らなかった」

「因みにイヨ・シノンという名前はそこそこトロール受けする名前だな。相手によっては冗談だと思われて笑われるかもしれんが、まあ人間のセンスにしては悪くない方だ。で、デスナイトだが、どのくらい強い?」

「ゴッさんと近い実力はあるけど、能力値が防御寄りで特殊能力の相性が悪いし再生を突破できないから一対一なら文句なくゴッさんが勝つかな。長期戦にはなるかも知れないけど。伝説過ぎて知名度が無い位珍しいアンデッドだから戦うのは難しいと思うよ」

「そうか……あまり強いアンデッドとは戦った事は無いから出来れば戦ってみたかったが。まあお前と伍する程のアンデッドなど到底闘技場には連れてこれないだろうしな。特殊能力はどんなのだ?」

「敵を引き付けるのと殺した相手をアンデッドにする。そうして作るアンデッドはデスナイトよりずっと弱い。あと倒したのは僕だけじゃなくてみんなで。数十人でボコボコにして討伐したよ。僕一人だったら死んでたよ」

 

 ゴ・ギンはしばしの思索の末、デスナイトに興味を無くした様だった。雑魚に群がられるのは面倒かもしれないが、生半可なアンデッドがいくら束になろうと彼の鎧と皮膚を貫く事は不可能だろうし、特になんの特殊能力も無いのでは再生を無効化も出来ない。後は棍棒で薙ぎ払われて終わりだ。

 

 イヨはその後も幾体か例を挙げて武王たる彼をして戦い甲斐があるだろう敵の情報を語った。此方の世界で見聞きしたものではなく多くはユグドラシルの話だ。そうでなくてはそう幾つも武王以上の相手の事など出てこない。

 

「イヨは博識だな……どれくらい実際に戦った事がある? というか何処に生息してる連中なんだ、公国か?」

「殆どは戦ったね。生息地は……僕の故郷かな。こっちだと幸いまだ見た事無い」

「殆どだと!? クソ、羨ましい奴だ。お前の故郷は大魔境か。俺も行ってみたいものだ」

 

 武王はジロジロとイヨの身体を眺めた。正直人間から向けられる視線だったとしたらロリコン──イヨは男だがそれ看破できる者は多くない──を疑う位執拗な物だったがまあ言いたい事は分かる。試合中の言動と言い、イヨの故郷がどこかの秘境の得体の知れない湿地か何かで変身を解くと不定形のどろりとした生き物になるとでも思っているに違いなかった。

 

「言っておくけど僕は人間だからね」

「嘘をつけ、お前みたいな人間がいるか。内実不一致も甚だしい」

「故郷は海の向こうだけど普通に人間の街だし両親も人間だから」

「尻尾をどう説明する気だ? 鎧側の機能じゃなさそうだったし動きが生身だったぞ。俺と殴り合える奴が魔法詠唱者な訳も無いし」

 

 イヨは無言で練技を使用し、ズボンとシャツの間から一瞬で生やした竜の尻尾を武王の眼前でぶらつかせた。トロールの巨大な目の奥で白金の鱗がキラキラと揺れている。

 

「練技っていう技術だよ。呼吸で空気中の魔力を取り込んで使う技なんだ。魔法とも違う技能であって種族とは関係ないものだよ」

「……技術だと? その気になれば翼も生やせそうだな? 身体を元の形に戻したりは幸い出来なかったようだが……」

 

 疑わし気な目でイヨの顔と尻尾の間で視線を往復させながら武王が呟く。

 

「ちゃんとそういう技を取得すれば翼も生やせるし傷も治せるし、極めれば竜に変化できるよ。僕の一生を練技の修行に捧げても竜変化の秘奥に至れるかは微妙だけどね」

 

 言葉を尽くして説明はしたが、武王は胡散臭そうな顔だった。謎の種族と謎の技術で怪しさはどっこいだと思ったのだろうし、なんらかの技術だとしてもおよそ尋常の術法では無さそうなものだというのが彼の感想だった。

 

「技術という事は習えば俺も使えるのか? 俺の身体から尻尾や翼が生えるって? 嘘だろう?」

「教えられるのが現状僕しかいないから習得は難しいだろうけど理屈としては可能だと思うよ。戦士の技能とは違うからちょっと寄り道になるけど間違いなく戦術の幅は広がるし……びっくりしたでしょ?」

「何をやってくるか分からない怖さは確かにあったがな……興味自体はあるが……」

 

 他にもイヨの見知った故郷のトロールは多くが神官戦士で戦神を崇め自己の研鑽を是とする種族だとか、次元を断ち切る武技に至った九つの世界を代表する九人の戦士の話など、二人は短い時間なりに多くの言葉を交わした。

 

 武王は概ね、イヨがしてきた冒険──と言うよりその途上であった多くの強者たちとの出会いを羨ましがったようだ。ワールドチャンピオンのあれこれなどは規格外過ぎて異郷の神話の類と思われた様だが。

 

「こんな気持ちになれたのは久し振りだ。惜しい気持ちもあるが、お前と戦えた事は俺にとって幸いだった」

 

 背筋を丸めたままポツリと武王が零した。姿勢のせいで凹んでいる様にも見えかねなかったが、声には喜色がある。

 文句なく友好的と言って良い武王の態度が、ある種の浮かれや軽度の躁に近い状態から来ていたのを、イヨはとうに察していた。

 

「無聊を慰めるには適ったかな」

「大いに」

 

 静かで、しかし力強い即答だった。

 

 巨大な、それこそ身体の比率が人間とは異なるので相対的にも絶対的にも巨大な顔には当座の所、満足の気が濃い。

 

「勝利を切望した。戦っている最中に、この俺がだ。何時振りだと思う? 下手をしなくともクレルヴォとの戦いにまで遡りかねないほど前の事だ。久しく味わっていなかった臨死の心境を、緊張を、痛みを、流れる血の脱力を存分に……」

 

 まるで理解の出来ない未知の技や動きに遭遇し、苦しめられ、己の限界に踏み込む事が出来たと。イヨはざわつく心を撫で付けるのに苦労した。

 

「勝てなかった事が悔しい気持ちだ。今となっては負けられなかった事が少しだけ惜しくもある。その可能性もあったものな。引き分けにまで持ち込まれたのは初めてだ、イヨ・シノン」

 

 賛辞と言って良かろう。割とべた褒めである。

 

「お褒めの言葉をどうも」

「本当に感謝している。今だから、お前だからはっきりと言うが正直退屈だった。鍛錬は好きだがやはり一番の糧は実戦だからな。張り合いが無かった」

 

 モチベーション維持に苦労しているのだろう、というのは戦闘記録を漁っただけのイヨでも想像できた事だが、この様子では結構根が深かったらしい。なにせ彼の様な生き物の口から負けられなかったのが惜しい等と言う発言まで飛び出てくるほどだ。

 戦っている最中もなにやらごちゃごちゃ考えていた様子なのでイヨは『自分に』腹が立った位である。

 

「お前は何歳になるんだ? まだ若い──いや、幼いな?」

「まだ十六歳……ですね。故郷とは暦や季節感が違うからちょっと混乱するけど、多分あと数か月で十七歳でしょうか」

「これからが伸び盛り……で間違いないな。先が楽しみだ。良ければ五年後か十年後、もう一度」

「武王ゴ・ギンさん」

 

 イヨはしかと口を挟んだ。

 

「今からもう一度私と戦って頂けませんか?」

「……なに?」

 

 ポカンとした顔。慮外の提案だったようだ。常識的に言ってもあり得ないものではあるだろう。

 治癒魔法を受けて身体は回復したがそれは文字通り身体が元の状態に戻っているだけだ。あれ程の激戦を戦い抜き身体を虐め抜いた負荷は重いと言わざるを得ないし、精神的にベストな状態とは言えない以上身体の方も高度な領域での動作においては精彩を欠くだろう。武具やマジックアイテムの損耗を考えても正気の沙汰ではない。

 なにより、

 

「ありがたい提案ではあるが、俺はもうお前を知ったぞ?」

 

 先の戦いは退屈に飽いた武王は自らに進んで不利を課し、相手の力を見て確かめながら戦って、それでもイヨの側が基本的に不利の戦いになっていた。単純に、武王がイヨの事を知っていたら全く話は違っていただろう場面が幾つもある。特にイヨが一時の優勢を勝ち取るのに役立った奇襲の類、同じ手はもう使えないのだ。

 

 所詮武具の損耗や心身の負荷、疲れはお互い様のものであり、総合的に見ると元から不利だったイヨが更に不利になっているだけだ。

 

「もう一度血沸き肉躍る戦いをしたいとは思いませんか? 私を逃して、次に戦うまでの数年間果たして歯応えのある対戦相手に巡り合えるでしょうか……?」

 

 ここで初めて武王はイヨの言葉遣いが戻っている──いや、イヨが戻している意味を悟りつつあった。自身の言動を思い返してみれば当たり前かもしれないが、怒っているのだ。拗ねているとも言えるかもしれない。

 どうもこの小さい生き物の根っからの気性であるのか圧が足りない為少し分かりづらいが、多分きっと間違いなく。

 

 素直に新鮮だった。武王にとって、この人間の都市での生活で友と呼べる者は唯一オスクだけだ。顔見知りにまで範囲を広げてもオスクの護衛を務めている首狩り兎や他の闘士が僅かにいるだけ、数えるのには両手足の指で足りる。それを悲しいとか辛いと感じる精神性が種族的個人的に微塵もない為適切な表現では無いが、周辺関係においては寂しい限りである。

 武王のファンを自称する観客は数としては多いかも知れないが彼はそんな連中の事は眼中にないし、何故か存在する武王を性愛的な対象として見ているド変態の存在等間違ってもカウントしたくない。

 

 武王の周囲に、戦闘面において武王と張り合おうとする者など久しくいなかった。

 

 武王の顔が笑みを形作る。ただしそれは友好的な物では無い。顔の構造が人間と異なる事など差し引いても、それは自身が相手より格上の存在である事を確信し、また誇示する偉大なる強者、戦士の獰猛な笑顔だ。

 ただそういう顔をすると、イヨが急激に機嫌を直してニコニコとして──トロール的に見るとキモい──笑顔を浮かべるのであった。

 

「随分な言い方だな、タネの割れたお前が俺を楽しませる事など出来るのか? ちっぽけなチビめが」

「たった一回戦っただけで僕の全てを知ったつもり? 随分向上心が無いね。例え格下からだって学べるものは学べるだけ絞り取っておく気概が無いと、この機会を逃して何年か後に戦う時、良い勝負どころか心折れる位あっと言う間に僕の足元に這い蹲る羽目になるかもよ?」

「自分からペラペラと色んな事お喋りしてくれたような気もするが?」

「本当の事なんか一っつも言ってないからお気になさらず。全部ブラフだよ、分からなかった? 僕実は今年で千歳になるドラゴンで本当は魔法も使えるし空に浮かぶ大陸から地上に遊びに来てるんだよ」

 

 どう見たって本当のことを喋ってただろうが設定が適当過ぎるぞ、と武王ですら思った。が、嘘を暴いて得になる事も無いし、ドラゴン云々はアホとしても実際にまだ手を隠している可能性自体は普通にある。

 練技なる変態的な技と言い、疑い出したらキリがない位には目の前の存在は武王の過去生で類例を見ない未知の輩だ。唯一知るのは己と一度は比肩したほど強く、そしてなりふり構わず強さを求めているらしいという事だけ。

 

 それこそ自分がそうであるように、先の一戦からイヨも武王の事をより詳しく知り、その情報を下にまだ見ぬ新手を繰り出してくる可能性は高いだろう。この小さな暫定人間と思しきちっちゃいのは、試合歴や戦歴においては武王より経験を積んでいるやも知れない者だ。

 

 何より、武王が再度の対戦に少し前向きになった瞬間のこの笑顔。のっぺりした人間面である事を考慮しても分かりやすい喜色が溢れ出している。

 

 ──人生において戦う事以外に何か楽しみはないのだろうか、これも一種の変態だろう。武王は竜尾をふりふりと左右に揺らしているチビを見ながらそう思う。

 

 ──まあ、何度でも命ある限り再戦できる、幾度でもお互いから学べるのが試合の良い所か。

 

「──良いだろう。ただし試合形式だ。お前が他の連中よりは殴り甲斐のあるサンドバッグである事は俺も認める。例え調子に乗った弱者の狂態だとしても、俺は戦わずして挑戦者を退けるほど狭量ではない。望んで負け犬になりたいというならその通りにしてやろう……!」

「負けるのはどっちかなぁ? 折角油断で招いた危機を必死こいて挽回してどうにか引き分けに持ち込んだのにもう思い上がりが復活してるぅ、流石身長は人間の二倍、頭蓋骨の厚みは千倍と言われるトロールの王様だなぁ」

「口だけは良く回る虚弱な人間が! 今度こそ勝つのは俺だ、イヨ!」

「今度こそ僕が勝つ! こと此処に至って勝つまで、そっちの全てを引き出し尽くして糧にし尽くすまで、ゴッさんがギブアップするまで幾度でも挑む!」

「口先と度胸だけは一人前だな! オスクの家に俺用の練習場がある、そこなら──」

 

 めっちゃテンションの上がった笑みで楽しそうに言葉を交わす二人が勢いよく立ち上がろうとしたその瞬間である。

 

「話はすべて聞かせて貰った!」

 

 二人が一瞬当惑する程の大声と共に部屋に侵入してきたのは髪を短く刈り込んだ恰幅の良い壮年男性──まさに二人が次の戦場として狙いを定めた家の持ち主、オスクその人であった。

 

「まずは二人に喝采を! 我が友に祝福を! イヨさん、あなたに謝罪と感謝を! あなたは私の予想を遥かに超える戦いを見せてくれた!」

 

 ずんずんと距離を詰めてくるその男の瞳孔は拡大し切っており極度の興奮状態にある事が理解できた。戦力的意味においては二人の何百分の一だろう彼の発する異様な雰囲気は奇妙な威圧感を纏っている。

 

「はっはぁ! これほどの、これほどの戦いになるとは予想もしていなかった! 吹き荒ぶ死の嵐! 舞い散る鮮血! それらをしてなお前に踏み込む猛々しい戦意! 命や平穏などでは到底及ばない臨死の高揚、戦士の魂が其処にあった! 分かるか、俺の気持ちが!」

「オスクさんはどうしたの?」

「こいつは戦士と戦いが好きなんだ」

 

 答えになっていなかったが、淡々とした礼儀作法で事を進める人物であるというイヨが以前会った時に感じた印象は完全に覆っていた。今目の間に居るのはどう見てもハイが極まったファンでマニアでオタクだ。

 

「今日は記念すべき日だ……! 我が友は情熱を取り戻し、好敵手を得た! あはは、イヨさん、あなたはたったの一戦で闘技場に日参する流血大好きなろくでなし共のスターだ! あなたがどんな種族で本当は何なのか知らないがそんな事はどうでもいい! その戦闘力! 尽きぬ戦意! 最高だ! もう一度戦いたいって!? 全く見上げた馬鹿野郎め!」

 

 握りしめた拳をぶんぶん振りながら熱狂的に語る友を見て、武王の口から『俺と初めて出会った時に次ぐ興奮度合いだな……』と呟きが漏れた。

 

「巡り合い、そして今一度ぶつかり合う二人に最高の舞台を用意しよう!」

「あ、はい。ちょっとどころでは無くうるさいと思いますけどお家の練習場にお邪魔させて頂けると──」

「今すぐ闘技場を明日まで借り受ける! 一時間くれ、それで十分だ!」

「ええ?」

 

 別に広い場所があれば良いのだけど、というかこれだけデカい箱なのだから幾らなんでも急に『今から明日まで借りる』なんて無理だろう。公民館や学校の教室だって日を跨ぐ位長く使うならそんな急には無理だ。その後の出し物やそれに関係する人々の都合もある筈だ。

 

「金とコネというものはこういう時の為にあるんだ。関係各所の担当者を金貨の詰まった袋で撲殺してでも最高の舞台を用意してやるさ! 今のうちに装備の代替品や諸々の用意をしていてくれ、誓って一時間だ!」

 

 脳の血管が心配になるほど赤い顔を満面の笑顔で彩って、嵐の様にやってきた男は嵐の様に去って行った。あとに残ったのはやや気勢をそがれた戦士二人だ。

 

「設備が整ってるに越した事は無いけど……」

 

 オスクの家は非常に広い。公都でもあれ程の広大な個人の邸宅は見た事が無いくらいだ。練習場の広さも相当な物だろう。だが流石に闘技場には及ばない筈だ。場所だって帝都の一等地である。

 共に近中距離以上の射程を持たないとは言え、生身から攻城兵器級の破壊力を繰り出す者同士の戦いを都市内で行うならば、闘技場以上に適した場所は無いだろう。しかも武王は無論の事今やイヨも非人間疑惑──妖精の血統等と言うファンシー風味なアレではなく血に飢えた獣系の──が濃厚を通り越して確実視されているだろう身の上だ。

 

「もしかしてオスクさん、観客まで入れるつもりじゃないよね? 万人単位の人なんか事前準備と計画無しに動かしてたらそれだけで死人が出るよ」

「あいつは其処らのどうでもいい人間が多少死んでも気にしないと思うがな。まあ冷静に考えて、俺達の為の舞台を整える訳だから観客自体は要らないだろう」

 

 勿論最も高名で有力な興行師たるオスクの力を以てしてもスケジュールを無視して闘技場を貸し切りにするのは非常に難しい。物理的経済的に難しい。だがあの様子では絶対にやり遂げるに違いない。

 武王もその辺りの事情に詳しい訳では無いが、恐らくオスクは各所に居る同好の士などの人脈を使う筈だ。闘技場は庶民から王侯貴族まで幅広く楽しまれる娯楽であり、流血愛好家や惨劇嗜好症者、バトルマニアは社会の上から下までどの階級にも存在する上、横のつながりが強い。

 

 武王を筆頭に幾人もの人気闘士を抱える興行師たるオスクは立場上そうした同類たちの中で一際強い影響力を持つはずだ。オスクの同類ならば今日の試合を見に来ていない筈は無いし、武王とイヨがたった一回の引き分けでは満足できず即日の再試合を行う等と言うイベントに喰い付かない訳もない。

 

 共に死闘の行く末を見守る権利を分ち合おうとでも言えば帝都中の地位と権力を持ち合わせた変態が生唾を堪えながら力の限りを尽くしてイヨと武王の万全な戦いを実現させるだろう。オスク主導の下でこの一戦を実現し観戦させる事は使った分以上に利益を生み、彼の人脈と影響力をより強固なものする事だろう。

 

 武王が推測を述べるとイヨはちょっと気持ち悪そうな顔をした。特に生唾を堪えるとかその辺りだ。要するに格闘技観戦が趣味なのだろうがなんだかちょっと変態チックである。

 

「実際に変態は多いからな。俺に抱かれたいという変態趣味の人間の女が確実に存在を知る限りでも三人いる。オスクが俺の嫁候補として名を挙げたからな。人間と俺の間に子が出来る訳が無いだろうに。そうと口に出して言われた訳では無いが視線が気持ち悪い奴は老若男女問わずもっといる」

「……武王って大変なんだね」

 

 強さに対する憧憬や好意が高じて性的興奮になっているのか単に趣味が特殊なのか知らないが、語り口調からしてもゴ・ギンがそういう異種族からの感情を心底気持ち悪がっている事は明らかだ。イヨは本当に同情した。

 別にお互いを尊重し、理解し合えるのなら異種族間の恋愛とて変わらず尊いと思うが一方通行かつ性欲が先走ったものはイヨ的に本当に無理だ。

 

「他人事の様に言っている場合か? あいつらは俺の顔が好きなんじゃない──と思いたい──俺の強さが好きなんだ。その俺と渡り合ったお前がそういうのと無縁でいられる訳は無いだろう。ましてやお前は同じ種族、少なくともそう見える外見を持つ存在だ。俺の百倍は変態に群がられるんじゃないか? 仮に同じ種族なら子供も期待できるしな」

「彼我の命を賭けてもそういう人にはお引き取り願うよ。でも、僕は既婚者だしアダマンタイト級っていう階級に囚われない地位があるからね。公国から感謝状とか勲章とかも貰ってるし、何より人間として法で守られてるから、社会的障壁という意味でゴッさんとはそれこそ立場が……」

「──クソっ! 卑怯者め! というか既婚者だと? お前にそんな真っ当な神経があったのか!?」

「ゴッさんもちょっとは恋に生きたら? 隣で支え合える人が出来ると練習にも張り合いが出るし、結婚は良いよ。生きる意味なんか多ければ多いほど良いんだから」

 

 ──友情と称するには血生臭すぎるものがあったし、実際イヨもゴ・ギンも生涯相手の事を友人などとは称さなかった。二人の口を通じて世間に伝えられるのは戦士としての互いの姿のみであり、親交を窺わせる物言いは基本的に無かったという。互いが互いに見出した最も大きな同調点、それは戦闘力であり戦意であり戦闘姿勢であったのだ。

 

 イヨはこの後幾度も武王の下へ出向いたが、ついぞ戦いに関する事以外で武王に会う事は無かったし、武王もまたそれ以外の用事でイヨの来訪を求めなかった。しかし、イヨは武王以外に好んで相手を罵倒する様な言葉を口にする事は無く、武王が武力ならぬ言葉で相手を打ち据える事もイヨに対して以外は無かったと周囲の人々は語っている。

 

 たった一つの共通点、たった一つの接点が二人を朗らかに笑いながら殺意を語り互いを貶め合い人生に口を挟む好き放題な会話を交わす間柄にした。二人は断じて互いを友人などとは認めなかった。

 

 同じパーティのメンバーである三人すらもがイヨの戦闘面に関しては『理解は出来ないが理解してあげたいし尊重したい、そして実際に容認し手助けする』という姿勢だったが、武王だけは、他の全てが違っていても戦闘面において完全に一致していた。

 イヨが武王に対して他の誰にもしない対応を自然とする様になったのは、本人にも自覚が無いがそういう理由だった。

 

 武王とイヨの間には互いを理解する手間など最初期を除いて殆ど無かった。そもそも二人はただ一点において同じだからだ。

 相手が何者なのか確認を済ませてしまえば後は思うままに交じり合うだけで良かった。殴り合い血を浴びる事が最上の交流であり、手段だったのだから。目的はただ一つ、更なる強さだ。言葉はついでであり、次の殴り合いの為の余興、手続きに過ぎなかった。

 

 強くなりたい。イヨと武王が身の内に易々と囲い込む巨大な欲求を遠慮なく解放し叩きつけ合えるという点で、彼らは少なくともこの時点では唯一無二だった

 

 二者の戦士が織り成す戦いは最終的に数千人に膨れ上がった目撃者、飛び切りの好事家たちと各所のお偉方及びその護衛によって広く口伝され、時間とともに国境をも越えて人々を震え上がらせたという伝説の一日。

 引き分けに終わった公式試合の後の準公式の死闘、度重なる事六回。『鮮血に染まる闘技場事件』、『大戦鬼と小戦鬼相喰らい合う』、『一昼夜に七度の死闘』として語り継がれる更なる戦いの幕開け、そのほんの僅か前の飾らぬ交流だった。

 

 なお、イヨの対武王における最終成績は一勝四敗二分けであったという。

 




一勝はイヨが奇跡を起こした訳では無く、前の一戦で武器が壊れていたので素手かつ殆ど裸の殴り合いになって拳士が勝っただけです。

HPが増える系のパッシブスキルはイヨが特別に持ってる訳では無くユグドラシル現地両方で前衛系の職業レベルを伸ばしてる人は大抵持ってます。現地勢は選択的に取った訳では無いかも知れませんが。

自動習得のものを除けば習得枠が限られた中から選択する訳ですが、前衛系としてHPが増えるスキルは持っていて基本的に得しかしないのでやりたい事が決まっていて枠を他の事に使いたくない人以外はほぼみんな持ってます。

割合で増えるので前衛系として特化していて元々HPが多い人は恩恵も大きいです。魔法戦士ビルドを目指していて習得したい必須スキルが多い人はそちらを、戦士系と暗殺者系を伸ばして至る上位職を目指してる人とかはより攻撃的なスキルだったり気付かれず近付く為の隠密系スキルを優先するイメージです。イヨは主な職業が前衛系肉体派職なのでHPに限らず身体能力に関するステータスは低レベル人間種なりに秀でている方です。当たり前ですが職業レベルを取得していない物事に関しては素人で、レベルとステータスが高い分同じく技能の無い一般人よりは優れている事もある程度です。

本編の最後の方に何か書き加えたい事があった気がしたのですが忘れてしまったので思い出したら加筆修正するかもしれません。書き溜めが尽きたので次の更新は少し先になります。帝国編はもう一つ二つイベントを片付けてから終了し、次は王国編になります。ナザリックも結構近づいてきました。

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