ナザリックへと消えた英雄のお話   作:柴田豊丸

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ご近所付き合いと吹き抜ける疾風

 イヨが実は酒に強いという事実が発覚したのはごく最近の話である。というのも、そもそもアルコールによる酩酊や泥酔はユグドラシルに数ある状態異常の一種として存在し、毒や病気に対するそれと同じく肉体の抵抗力で跳ね除ける事が出来るものであった筈だ、という事に少年は遅まきながら気づいたのだ。

 

 三十レベルを超える戦士系、主に肉体能力を伸ばすクラス構成のプレイヤーであるイヨが少々の酒で酔っ払うというのは現実の生身を持つというゲームとは異なる事情、小柄な体格などの個人差を考慮してもおかしいのである。

 

 思い至ったイヨがリウルの日課である晩酌に付き合い、あえて己の度量を超えて飲酒してみると結果は──全然酔わなかった。酒精を摂取した事によるほわほわ感などはあったのだが、意識をしかと固めて酔いを振り払うとそれらは思考や行動に支障のない心地良い範囲に留まった。

 

 己の薫陶がようやく実を結んだかと嬉しそうな様子を見せるリウルと心地好い一時を過ごしながら考えるに、おそらく今までのイヨの下戸同然の弱さは『お酒は酔うもの』として最初から抵抗を放棄した状態で飲酒をした結果、摂取したアルコールの影響を素直に受け入れて酔い潰れていたものと考えられた。

 最初から酔うつもりで飲みさえしなければ、イヨの身体はレベルの高さ、肉体の強さに相応しい病毒耐性──アルコール耐性を発揮する。外見に見合わない酒の強さを発揮できる訳である。

 

「私今からお昼食べに行くけど、一緒に行く人―?」

 

 しんと静まり返った帝都冒険者組合の中で、イヨの言葉が空虚に響いた。

 

 イヨはたった今午前の練習を切り上げた所であり、口に出した様に昼食を取りに行くのに同行する人はいないかと不特定多数に声を掛けた訳だが、返事をする者は一切いなかった。

 下は銅級から上はミスリル級までのたまたまそこに居合わせた冒険者たちは視線をあらぬ方向に固定したまま彫像の如く固まっている。

 

 武王との一戦以来、イヨに向けられる視線──引いては社会の見方というものはがらっと変わってしまった。

 

 それまでは何と言ってもアダマンタイト級冒険者、押しも押されもせぬ英雄であり、またその見目は非常に美しく可憐で、それでいて飾らない善良な人柄──英雄補正とでも言うべきもの込みで見慣れぬ人物なりに非常に高い評価を受けていて、街を歩けば人だかりが出来、冒険者組合や魔術師組合、神殿に顔を出せば顔を覚えてもらおう名を売っておこう一目お目に掛かりたいあわよくば言葉を交わしたいと大人気だったのだが。

 

 ──『殺戮人形』『血濡れの白金』『美貌の人外』『鮮血の幼戦姫』『妖魔令嬢』『小武公』『人の如き何か』『公国冒険者組合がテイムに成功した新種の妖怪』

 

 いずれも新たにイヨに関せられた綽名、異名、噂である。

 

 まあぶっちゃけ化け物みたいに強いどころか化け物そのものなのではないか、という噂が当然の如く、そして雨後の筍の如く巷間に流布しているのである。

 最大最強の武王と引き分けた、までなら単に評判が上がるだけで済んだだろうが『その叫びには人間の精神を脅かす力がある』『尻尾を生やした』『壁を四つ足で這い回った』『半身を潰されて尚息があり、内臓を零しながら武王を殺す為に這いずった』という事実が物凄く悪かった。

 

 まあ常識的に言えばそんなイヨの姿が人目に良かろう筈も無い、そんな所を実際に見た人々の話す事実が人聞き良かろう筈も無かったのだ。

 

 無邪気にイヨを見上げて『お姉ちゃん化け物なのー?』という疑問を呈した幼子をその母親が短距離走者もかくやという疾走で掻っ攫って逃げていく等という出来事はまだ微笑ましい方であった。

 

 今のイヨが街を歩いても人だかりは出来ない。怖いもの見たさであろうか人自体は集まるのだが、勇気ある少数以外は決して近寄っては来ないのである。イヨを中心に人並みが割れる程だ。

 

 どうも闘技場における興行的に、イヨはややヒール的なイメージを持たれてしまったようであった。

 

 反面、一部の人種からの人気は寒気がするほど高まった。多分武王に性的な目線を向ける人々の同族だと思うのだが、時たま老若男女問わず妙に粘り気のある視線でイヨを見つめる人がいるのである。恐ろしいのはそうした特殊性癖者の中に少なくない割合で社会的な成功者や高位の貴族が混じっている点だ。

 

 闘技場は高い人気があるもののどちらかと言えば庶民の娯楽であり、富裕層においては演劇などを好む者が多いと小耳に挟んだが、むしろ注ぎ込める金とコネの桁が違う分熱狂的な──行き過ぎなほどの──ファンというものは富裕層にこそ生まれるのかも知れない。

 

 推定オスクの同好の士と思しきそれらの人々の援助の申し出や個人的な親交を持ちたいとのお話はガッツリ増えた。それらの内節度がある常識的なものは受けたりもしたのだが、私を食べて下さい的なアレもあったのでそっちは懇切丁寧にイヨが人間であると言う事実を説いて最終的には逃げた。

 

 所詮英雄も本物の怪物には勝てないのだとかアダマンタイトと言えど公国冒険者ではこんなものかという方面での悪評が立たなかったのはまあ良かったのだが、どうも方向性こそ違うがこれはかなり不味いのではないかと思わざるを得なかった。

 

 それでもイヨにとって幸いだったのは少なくない数の理解者の存在である。

 まずは勿論の事【スパエラ】の三人だ。やれ可愛い美しいなんて評判が立つよりよっぽど箔が付くってもんだぜ、という開き直った様な励ましはそれでも嬉しいものだった。どんな評判でもこれからの活躍で塗り替えていけばいいさ、とも。

 

 次に、他ならぬバハルス帝国皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス陛下である。目の前である種怪物的な暴れっぷりを披露したにも関わらず、皇帝の態度は一切変わらなかった。本人曰くその人格を既に見知っている以上今更態度を変える必要もない、とのお言葉であった。中身が何であろうと交渉可能な知性と理性があってその力の矛先が人間に害を成す存在に向いているのなら構わないという考えも内心あるのかも知れないが、イヨが人間だという事も信じてくれているらしい。

 【スパエラ】のメンバーと帝国関係者との交流も以前と変わらず進んでいる。イヨも何度も帝城や魔法省に足を運んでおり、最高位冒険者としてお上の信認を受けているとの評判はイヨの人間としての評価を上げる数少ない一因となっていた。

 

 そして最後になるのが、一般人と比して魔法・モンスター・戦闘というものに高い見識があり、それ故か否か度胸のある変人の割合が高い──

 

「勿論の事私のおごりだしみんなが行きたい所に行くよー? 誰か私に帝都の美味しいお店を教えてくれる人ー?」

「ぅははぁーい!」

 

 さっきまでシカトぶっこいていた筈の冒険者の一部が勢い良く振り返って奇声と共に手を上げた。なんとも調子のよい連中である、冒険者という生き物は。

 

 ちなみに冒険者の頂点である【銀糸鳥】の皆様にはファン・ロングーを筆頭に『やっぱ人間じゃないね』と軽く笑われた。

 

 

 

 

 

 

「ちょっと奥まった方にある店なんスけど、超美味い豚の内臓料理出すんスよ。そこどうっスか?」

「ホルモンかぁ、私は良いよ。あんまり食べた事無いし挑戦してみたいな。みんなはどう?」

「内臓ぉ? ちゃんとした店なんだろうなおい、つーか臓物って食えんの? 腹壊したりしねぇ?」

「え、食った事無いッスか? うちの村とか普通に食うっスよ、ちゃんと処理して下拵え手抜かりなけりゃマジ美味いッス!」

「俺も結構好き。酒が進むし。でも当たり外れ結構デカいよね。外れは文字通りゲテモノって感じ」

「結構メジャーだと思うけどなぁ。全然食べた事無い? ビーさん育ち良いから」

「帝都生まれなだけで別に育ちは良くねーけど……つかみんな食った事あんの? え? 俺だけ?」

「俺も無いけど興味はある」

「育ち良ければ逆に食った事あるもんじゃね? 俺ぁ一回依頼の関係でお貴族様の晩餐に招かれたけどそこにもあったぜ、臓物料理。見慣れた臓物の原型は全く無かったけどな」

 

 イヨを筆頭にわいわいガヤガヤと雑談しつつ店に向かって歩いていく。今連れ立っている二、三十人ばかりの面子は当然ながら帝都に来てから知り合った者たちである。チーム全員で来ている者もいるが、関係無く友人関係で集っている者も居る。

 

 冒険者らしく格好も年齢もバラバラ、イヨの提案に最も勢いよく乗った『ぅははぁーい!!』の少女とその仲間たちが鉄プレートでランク的には最も格下だが、イヨを筆頭に高位冒険者も混じる集団の中で全く物怖じした感じが無い。スッススッスと非常に元気だ。中々いい度胸をした有望な人物である。

 

 表通りから裏路地の方に寄って行き、やがて辿り着いた店は積み重ねた歴史の風格がちょっと悪い意味で人目を引く、うち寂れた風情であった。立地と店構えを見て、高位の冒険者たちはちょっとばかり眉根を寄せる。

 

「俄然不安になってきたんだが。本当に美味いのか?」

「あのお店? この人数で入れるかな」

「大丈夫だと思うッスよ、まだちょっと時間早いッスから」

 

店の前を小さな子供が掃き清めている。如何にも生意気盛りといった面構えの少年は店に近付いてくる冒険者の集団に気付くと、

 

「あー? 父ちゃん、なんだか一杯お客だよ! 冒険者共だ!」

 

 店の中に向かって思い切り叫んだ。無論のことその声は冒険者『共』にも丸聞こえである。すると中から、

 

「馬鹿野郎ベッシ! どんなろくでもねぇ連中だろうと金さえ払えば客だぞ! 共だなんて言い方をするんじゃあねぇ! 丁重にお出迎えしやがれ!」

 

 子供のそれに数倍する、それこそ三軒隣の家まで響き渡りそうな馬鹿でかい怒鳴り声が届く。分かったよ父ちゃんと元気に返事をしたベッシ少年は真ん前まで来ていた『ろくでもねぇ連中』に向き直り、

 

「いらっしゃい冒険者の皆さん! うちは団体様大歓迎だよ、特に割引とかは無いけどってうわ、冒険者らしからぬすっげえ美人の姉ちゃん! もしかして噂の化け物? うちは人間の生き血なんかは出してないけど肉が美味いよ、あんたら酒飲むだろ? うちの黒エールは絶品だよ! 是非ともご賞味あれ!」

「……将来有望なガキだな」

 

 ミスリル級冒険者の男性が代表して感想を述べると、彼は傍らのイヨに『マジでここで食うのか?』と視線で問うた。のでイヨはうんうんと頷く。

 

 中々楽しいお店らしい。イヨは気に入った。

 

 

 

 

 

 

 冒険者たちが幾つものテーブルに分かれて座ると店はほとんど満員になった。

 

 てっきり臓物料理と聞いて、漫画やアニメで見る様なおフランスとかヨーロッパな感じの料理かと思っていたが実際に出てきたそれはモツ煮に近い代物だった。臓物特有の臭みを消す為か香辛料が効いてきて歯応えはありつつも柔らかい。ゴロゴロとした根菜の存在感が嬉しい具沢山の汁気たっぷりで汁物としてもおかずとしても美味しい。

 

 使い込まれた木の器にどっさりと出てきたそれと、他にもお任せで色々頼みつつみんなで掻っ込む。ちなみにパン──風味からして雑穀を混ぜ込んでいる様だが工夫によるものか普通においしい──は一人一籠ずつ山盛りで頼んだ。

 

 テーブルに所狭しと並んだそれら相手に、冒険者たちは勇敢に戦いを挑む。

 

「店員の態度からは想像も付かない程真っ当にうめぇな……なんか悔しい」

「立地と店構えの割に一丁前の値段取りやがると思ったらな。そうでなきゃ潰れちまうか」

「私これ好き。すいませんお代わりくださーい」

「美味いって言ったじゃないスかー。自分も食うのに不味いとこなんか推さないッスよ!」

「シノンさんめっちゃ食べますね!」

「お腹減ってるし、食べるのも練習だからね」

 

 イヨは冒険者としては際立って小柄で線も細いにも関わらず毎食大の大人三人前は食べる。本人の言う通り食べるのも練習、身体を作る為だ。そうでなくとも練習量とその強度が常軌を逸している為、それだけ食べないとただでさえ恵まれない身体が更に細ってしまう。

 イヨも体重、体型の維持向上に苦労しているのである。

 

 実際、大食できる体質、内臓の処理能力というのは才能だ。大量に食べそして消化する事が出来るという事は、大量に栄養を摂取して吸収できるという事だ。身体に取り込めるエネルギーの総量が多いという事である。それはより長く過酷な運動に耐え、また其処から来る消耗にも強く、そして回復が早いという余人より密度の高い生命サイクルを実現するのだから。

 

「みんなも遠慮せず食べなね。冒険者は身体が資本だよ」

「あざーっス!」

「ゴチんなりやす!」

「すんませんお代わり! 全部! あと酒下さい!」

「俺も! あと何か鳥系のやつ追加で!」

「あいよー!」

 

 冒険者は肉体労働者なので基本的に大食漢揃いだが、低ランクの若手たちはそれにしても必死こいてかっ喰らっている。ぶっちゃけて言うとこれは彼ら彼女らが貧乏だからである。どの国でも最下級層の冒険者の懐事情など辺境の農村に毛が生えた様なモノだ。

 

 飢え死に寸前という訳では無いけども、収入が収入なのでまともな飯屋で懐事情を気にせず好き放題飲み食いできる機会など早々なく、タダ酒タダ飯という機会を逃さずこれでもかと食いまくる。あわよくば今日一食で済ませて食費を浮かそうという魂胆であった。

 彼ら彼女らは一回の依頼で自分たちの月収や年収より稼ぐ輩相手に遠慮なぞしてやるものかと言わんばかりに食って食って食いまくっている。

 

 イヨと同じく十代、成長期真っ盛りの若者たちである。腹など何時でも空いているしどれだけでも食える。

 

「あーうめえッス! ここの飯久し振りッスよ!」

「なんか行きつけみてぇな雰囲気出してたけど久し振りなのか」

「アタシらの稼ぎでこんなまともな飯出すとこ行きつけられる訳ないじゃないスか!」

 

 悲しい事を大音声で開けっ広げにする少女であった。先達の冒険者たちも──イヨ以外──駆け出し時代の自らの食生活を思い出してか、だろうなぁと言わんばかりに頷いている。

 

ピンピンとした癖の強い金髪を短く乱雑に切り詰めている彼女はデカい口を開けてパンを噛み裂き、荒く噛み砕くやスープを含んで一緒くたに飲み下すと、

 

「前の依頼でちょっと危うい目に合っちゃったもんで、無理してでも治癒のポーションの一本や二本位保険として余計に持ってた方が良いよなってアタシら決めてて。それで最近色々切り詰めてたんスよね」

 

 そうそう、と食材に対して飽くなき戦いを挑んでいた彼女の仲間たちが顔を上げる。

 

「そうなんすよ。だから余計に、二重の意味でまともな飯久し振りで」

「タダ飯食わせてくれる人は神様です。ほんと、神様四大神様シノン様です」

「シノンさんが中身妖精だろうとドラゴンだろうと俺らマジ尊敬してるっす」

「いや私は人間だからね……すいませーん、この子たちに何か、少し時間経っても美味しく食べられるようなものでお弁当包んであげてください。他にも欲しい人いたら手ぇ上げて──」

 

 ばばっと、そこかしこで勢いよく複数の手が上がる。

 

「──五、六、七、八──八人前大盛りで」

 

 若者たちの盛り上がりは大変なものであった。

 

「マジあざーッス!」

「いよっ、大英雄!」

「神様―!」

「結婚してください!」

「ついでに娼館も奢って下さい!」

「それはお金に余裕が出来た時に自分で行きなさい。あと私は男だし既婚者だからね」

 

 一通り歓声を上げると、後顧の憂いを無くした少年少女たちは一層苛烈な戦いに身を投じていった。この分だと、この店の食材か若者たち、どちらかが全滅するまでこの戦は終わらないであろう。

 

『下の連中と飯食いに行ったとき財布出させるようなみっともない真似はすんなよ』とはリウルの言である。彼女はそこら辺の面子とか対面にかなり拘る。舐めた真似かましてくる奴をボコるのと同じ位、下の者の面倒を見るのは彼女の冒険者としての基本原則の一つだ。

 初対面のイヨと食事に行ったのも基本的にはその一環であり、終生の伴侶との出会いのきっかけにもなったその妻のポリシーをイヨも踏襲していた。

 

 とは言えその余りに気安い振る舞いはアダマンタイト級冒険者としての威厳に欠けると、イヨの外見と相まって裏で密やかに軽んじられる原因ともなっていたのだが、帝都においては【銀糸鳥】と武王とのそれぞれの一件以降そうした風潮は激減した。

 

 現在ひそひそと陰口を叩いていた者たちの間で『あの風貌相応の態度が今や逆に怖い』ともっぱらの評判である。

 

 

 

 

 

 

 冒険者らしくない冒険者という月並みな感想をイヨに抱いている人は多い。金級冒険者として活動しているボーデンもその一人である。

 

 まず真っ当な、それどころかかなり良い所の出だと思われる彼の出生。これだけでも冒険者の王道を外れる。自身もまたそうした経緯を持つ冒険者だからこその決め付け、経験則から言えば冒険者等という道を選ぶ奴は、選ばざるを得なかった奴は大抵が無学無教養な貧乏人だ。

 

 生まれた家が貧しく、その上長男次男といった未だしも先のある生まれ順で無かったから家を出ざるを得ず、コネも無ければ学も無く、不遇なりに地道に生きていくだけの勤勉さや自分は所詮大勢の中の一人だと言う少年少女が大人になっていく過程で悟っていく当然の自覚すらも無く。

 

 社会の中では耕す者が一番多い。そしてその耕す者の中ですら持たざる者は存在する。無い無い尽くしの者たちだ。

 

 展望も頼りも計画も無く自分一人の食い扶持くらいどうとでもなるだろうと手近な都会に出て、何の能も無いが故に当然の如く職にあぶれ、食うに困り、流される様にまたは無鉄砲無軌道な自信過剰の果てに冒険者となる。首に鈍い輝きを放つ銅のプレートを下げる事になる面々というのは大体がそうした経緯を持つ。

 

 大抵の冒険者とはたまたま死なずに済んだ奴らだとボーデンは思っている。それは金級という一端と言えるクラスに安住して長い自分自身ですら例外ではない。弱くて馬鹿だった若年時代にたまたま生き延び、そして偶然にもそこそこ素養があったからなんとなく長じた、ただそれだけと彼は思っている。

 

 無論その場その場において精一杯懸命に手を尽くし頭を使ったのは確かだが、死んでいった連中と自分を比べて何か明らかに違う特異性、先行きが明るく感じる様な目立った長所があったかと言うとそれは否だと言うのが彼の自己評価だった。

 

 なけなしの銭を叩いて冒険者となり、貧困農夫の普段着としか表現のしようが無い着た切りのボロと手入れの怪しい粗末な剣、そして空きっ腹を抱えてケチな依頼を受け、そして案の定二度と戻らない輩と言うのは非常に多い。ボーデンはたまたま生き残り、腹を満たし、偶然にも気の合う仲間を見つける事が出来た。

 

 生き延びている冒険者は幸運な者。より上に行く冒険者は幸運な上に才があった者。頂点まで駆け上がる冒険者は──生まれつき何処か余人とは違う、そうなるべき運命に生まれついた者。

 

 貧しい農民と言う括りの中で生まれた者達の中でも、三男四男といった言わば家督継承順位下位に生まれた者達には本当になんの先行きも無い。それ故に今日明日の飯に繋がる行為以外をした事が無い。だから当然知恵や知識を蓄える勉強も身体を鍛える練習もした事が無い。当然強いて努力する習慣など無く当たり前の様に計画性も無い。自覚のあるなしは兎も角今が良ければそれでいいという考えで行動している。

 

 酷く聞こえるかもしれないが大抵の場合はこれが事実である。何故ならただでさえ貧しい上に期待されていないからだ。今日明日の腹を満たすのが最重要事項である環境の中にあって、特に農地や家業を受け継ぐべき存在では無いとなれば輪を掛けて教育を受けていない。五年後十年後の栄達に繋がるかもしれない努力に注力できるだけの余裕も自由もそもそもないのだ。

 

 努力というものは努力できる程度に余裕のある、そして理解のある恵まれた場所に生まれた者の特権なのだ。

 

 『夢物語を追うより地に足の着いた行動をしろ』という周囲から掛けられる至極真っ当かつ常識的なお言葉もそれに拍車を掛ける。父も祖父も曾祖父も畑を耕して実直に真面目に生きてきたんだぞ、とかそういう奴だ。

 どうせ長じれば家から追い出されるか、それとも死なない分だけの飯を食わせてもらいながら嫁の当てもなく牛馬の如く働く以外に道の無いごく一般的な四男坊だったボーデンだってそう言い聞かせられて育った。朝から晩までさして広くも無い農地で父と兄の指図通りに働く汗と泥にまみれた日常における思い出は、ひたすらに空腹だったという漠然としたもの以外無い。

 

 例えば自分が何時かそれなりの財を築いて引退して所帯を持ち、子供が生まれたとして──子供は一人か二人が良い、多くても三人──息子が冒険者になりたいと言ったらボーデンはぶん殴ってでも止める。娘が冒険者と結婚したいと言ったら断固として認めない。

 そしてボーデンは声を大にして言うであろう、『わざわざ進んでろくでなしの仲間入りをして、一山幾らの無頼漢として死にたいのか』『明日をも知れぬ荒れくれ者と一緒になる気か、結婚したその次の日には未亡人になるかもしれないのに』と。

 

 魔法金属の名を冠するプレートを持つ上位冒険者たちの様な煌びやかな生活では無いにしろ、今や高望みさえしなければ余裕を持って食っていけるだけの稼ぎを得ているボーデンだが、それでも尚断言する。冒険者などまともな人間の就く職業では無い。社会的に言えばはっきりと賤業である。

 

 何の比喩表現でも無く賭けだ。その賭けに乗ってしまった時点で相当追い詰められ、煮立っている賭け。周辺の村落から毎年毎年都に集ってくる若さ以外にとりえのない能無し共が貧民街にたむろし、やがて裏社会の体のいい使い走りとなって治安を悪化させるより野で人知れず朽ち果てさせた方が世の中平和であるという人口調整装置だとすら思う。運のいい奴らは生き残って日銭を稼ぐ為に日夜モンスターを狩る様にもなるので、常に禄を食み任務中に死んだり怪我をすれば補償の必要がある騎士よりずっとお上の懐にも優しい。

 

 成る程確かにアダマンタイト級冒険者を筆頭に上位冒険者の暮らしぶりは、喝采を浴びる様は輝いて見えるだろう。何も持たずに生まれた者が自分の腕一つで世間に認められる、実に夢のあるいい話だ。しかしそれは一部の例外である。農民の中にだって大きな土地を持って多数の人を使い下手な貴族顔負けの悠々自適な生活をする豪農がいるのと同じだ。

 

 大抵の奴は死ぬし、生き残った奴も多くはあぶく銭で安酒をかっ喰らうその日暮らし。たまたま才能が有り運も良かったごく少数だけが人並み以上の生活を手に入れる。もう一度人生をやり直せたなら、ボーデンは冒険者では無くもっと他の道を選ぶ。二度も分の悪い賭けに勝てると思える程自分を信じられないからだ。

 

 ボーデンは正直に言えばイヨ・シノンが苦手だった。彼のコンプレックスをこれでもかと刺激する存在だからだ。妥協と打算で如何にか命を繋いできた彼の冒険者観にとことん見合わない存在だからである。

 特殊な出生の傑物が数奇な運命の果てに冒険に出て、若くして英雄として喝采を浴びるという、世間好みの英雄譚をそのまま歩んでいるその姿が眩し過ぎて嫌なのだ。

 

「まあ、俺達は何だかんだ今までで築いてきた知縁つーか、コネみたいなもんが多少なりともありますから。騎士の人らより組合にって話も多いっす。それに騎士の人たちってのは俺らで言う銀級位の実力があるらしいすけど、冒険者みたいに死んでも何の補償も無しって訳には行かない訳ですから、手に負えない得体が知れない費用が安く上がるっつって普通に俺らに回ってくる仕事ってのも相応にあるっすよ」

「ただあいつらはキツイと思いますね。あいつらで如何にかなる程度の仕事なんか普通に騎士の人らがやっちゃう訳で、自然と仕事は少なくキツくなりますし、その上で奪い合いみたいになるんすよ」

「成る程……」

 

 こうして付き合いで一緒に食卓を囲っていてもその存在に嫌な眩しさを感じる。

 

 丁寧な喋り方が、落ち着いた所作が苦手だ。王侯貴族では無いにしろ自分より遥かに恵まれた生まれである事が分かってしまう。四六時中訓練ばかりしている所も苦手だし女遊びをしない所も苦手だし贅沢をしない所も下の立場の者にも分け隔て無い所も苦手だ。それら全てが高潔さや度量の広さなどでは無く幼さから来ているのだから少し怖気がする。

 

 同じ種族の同性とは思えない様な外見も苦手だ。特別である事が一目瞭然に分かってしまう。

 気前の良さが、親しみやすさが、勤勉さが、強さが若さが身目麗しさが優しさが──輝いている。自分とは違って。だから苦手だ。

 

 髭が生えて、肌に染みがあって、傷だらけで──人として当たり前である筈の自分がなんだか殊更に見すぼらしく思えてしまう。

 

 ボロ剣を振り回していた若造の頃だったら素直にこの輝きに憧れる事が出来ただろう。ごっこ遊びで木の棒を振り回す、ただそれだけで自分は未来の大英雄だと信じられたガキの頃なら彼に惚れ込んだかもしれない。ボーデンは嫌な気持ちを抱く。アダマンタイト級冒険者に優しくしてもらった飯を食わせてもらったと無邪気にはしゃいでいる若者たちの様に、この『英雄』を好きになれただろう。

 

 同じ英雄であっても【漣八連】や【銀糸鳥】にはこんな気持ちを抱いた事は無い。彼らは自分より年上だし、一方的にではあるがずっと昔から見知っている。イヨ・シノンほどの嫌悪感は無い。

 

 この人は本当に人間なんだろうか。というか、生身なんだろうか。

 ボーデンは熱い汁物を啜りながら疑問を抱く。混血だか何だか知らないが肉の身体を持つ両親から生まれてきたのだろうか。赤ん坊として生まれ徐々に大きくなってきたのだろうか。この人が生まれた海の向こうの大陸とやらでは草木や獣が存在したのだろうか。

 

 実際に喋ってみると巷で語られるような残虐性や神秘性などは全く無い。それでも何処か、唐突にその辺からぽっと湧き出てきたのではないかと言う非現実、悪い意味で物語の中から出てきた様な印象が拭えない。これ程人間味のある、強さと立場以外年相応の少年であるのに。

 

 仲間たちからは全く理解してもらえなかったこの感想を、ボーデンは以降胸の中に引っ込めていた。それでも尚強固に、イヨ・シノンを気味悪く思う感情は彼の胸の中に巣食っている。

 

「そういう意味では公国が羨ましいっすね。帝国も景気は今までにない位上り調子なんですけど、どうも冒険者の肩身は狭くなってきてます。特に下の連中ですね。俺はもう今更ですけど、公国に活動の場を移した連中も多い。実際行けるかは兎も角、若いのも出来る事ならそっちに行きたいって思ってる奴は多いんじゃないですかね」

 

 最近の帝国の冒険者事情という当たり障りない話題を交わしながら、ボーデンは愛想笑いを浮かべる。と言っても口にする言葉は大部分が本心である。

 

 帝国では冒険者の斜陽が続いている。騎士が治安維持の一環としてモンスターを狩ってしまうからだ。討伐以外の仕事が無いでは無いが、やはり冒険者と言う職業の大本は対モンスターの傭兵、これに尽きる。

 

 モンスターを倒し結果として人の世の安全を高めているからこそ、冒険者は破落戸や無頼漢ではなく冒険者でいられる。まあ昔から冒険者をそれらの同類と目して疑わない人々は決して少なくないが。

 モンスターを倒さない冒険者は極論、武装してうろついている分だけただの喰い詰めた無職よりずっと外聞が悪い。一般市民の徴兵が無くなり、戦場が専業軍人だけの物となって世の人々の大半が生き死にの戦いを別の世界の景色と感じているのもあって、好き好んで戦う冒険者は一度悪く見られるとそれこそ、血に酔った危ない人種とすら思われかねない。

 

 騎士がモンスターを駆除する。殆どの人々にとってそれは安心安全な通行や生活を叶えてくれる非常に良い事である。実際騎士や皇帝に対する人々のイメージは大変良い。騎士が専業軍人では無く文字通りの騎士爵を意味した一昔前よりも、人々が口にする『騎士様』という呼称に込められた敬意は嘘偽りのないものだ。

都市の警邏にしろ都市間村落間を結ぶ街道の巡回にしろ、常日頃自分たちの生活を守ってくれているという実感がこれ以上無い形で得られるのだから当然だ。

 

 直接的に食い扶持が減る冒険者は例外的存在であろう。ボーデンは改めて実感した。国家がモンスターを倒し人々の安全を守る事が出来るならば、冒険者は必要ないのだ。勿論騎士が多種多様なモンスターの全てを倒せる訳でも無い以上、冒険者はまだ必要とされている。特に高位の冒険者はそうだ。

 

 だがやはり、世の中が乱れる様な事でも無ければ冒険者隆盛の時などはもう来ない気はした。そう遠くない未来、スレイン法国の様に帝国からも冒険者が消えるのではないか、そう考える者は多い。

 

「公国ッスかー。行きたいッスねーアタシらも。仕事一杯あるって聞くッス」

「んー……いやでも流石に他の国まではちょっと……」

「薬草の取れる場所とかモンスターの癖とか、やっと少しは分かってきた所だしなぁ」

「良くしてくれる依頼主さんとかいるし、やっぱこっちで頑張りたいよね」

「全く別の国って訳でも無いし同じ冒険者だろ? こっちでの経験やノウハウだって向こうでも通じるんじゃね? 俺は興味あんなぁ」

「人脈築き直し仕事覚え直し名前上げ直し。あと単純に遠いから金。その日暮らしもひーひーな俺らにゃキツいって」

「護衛依頼受けたり街ごとに仕事して稼げば何とか──」

「それにぃ、なんか公国ってシノンさんみたいなの沢山いそうじゃない……?」

「──うわあー…………」

「いや私みたいなのが沢山でうわあーって三重にどういう意味?」

 

 公国の冒険者は他国では『英雄の卵たち』『英雄の後継者たち』とも呼ばれる。勿論揶揄が十割のあだ名である。公国の冒険者は他国より知的で礼儀正しく上品で義に厚く(小賢しくて媚び諂いが上手でお高く留まっていて損得勘定が下手くそ)──でも弱っちい(しかも弱い)、というオチが付く所までがワンセットだ。

 二十年の最強不在の時代が落とした影は色濃い。一命を賭して国難を払った英雄たちは後進と公国社会に良い気風を残したとは言われるものの、弱けりゃ何の意味も無し。それが他国における評価だった。お上品にお高く留まってんじゃねーよ、弱い癖に、と。

 

 だが、今後は違った目線を向ける者も多くなっていくのではないだろうか。悍ましいアンデッドを退け、新たなアダマンタイト級が登場し、その腕前は一度は武王と引き分けるほど。最後が特に重要だ。この上ない実力の証明となるのだから。

 

 肩身が狭くなっていく帝国に対して、公国は帝国とのお手伝い戦で必要とされる戦力を手早く確保する為に、実力は兎も角気質においては他国のそれより良質と呼ばれる冒険者を重用し始めた。

 

 王国でも全く違った事情から冒険者の需要が増しているとされはするが、どちらかを選ぶなら公国と考える者は多いだろう。元より文化的地理的に近しい国だ。

 

 まあ、今目の前でわいわいやっている新人たちやボーデンが実際公国に活動拠点を移して上手くやっていけるかどうかは別の話だ。仕事が多いと言っても所詮自分たちは鉄から金級でしかない。何処の国においても貴重とは言えない存在だ。歓迎してもらえるだろう同席している高位冒険者たちとは違う。

 

 ──お上品で教養がおありになられる英雄の卵たちと仲良くできる気がしない。

 

 ボーデンはイヨ・シノンを上から下まで眺めると心中で嘆息した。新人共の言う冗談では無いが、こんなのと指向を同じくする冒険者が真に公国においては多数派なのだとしたら、ボーデンには無理だ。

 

 ボーデンは理由を明言できない、漠然とした自己嫌悪めいたもので沈んだ。この賑やかな食事の場において、ボーデンだけが外面を取り繕いながらも物憂げだ。

 

「あと五年か十年、命大事に無理なく続けて小金を貯めて……」

 

 ──故郷でそれなりの広さの田畑でも買って嫁さん貰って、のんびり暮らしてぇなぁ。

 

 とっくの昔に分かり切っていた事だが、自分は英雄は勿論の事一流にもなれない。自分たちの遥か延長線上にいる英雄は好きだが、突然降って湧いた様な小奇麗な英雄は好きになれない。

 

 ──勿論シノンさんにだって俺には全く想像が付かないながらも今まで歩んできた道、生まれ故郷であるテラスティア大陸での実力相応の苦労があった筈で、突然降って湧いた様ななんてのは俺の勝手な妄想、難癖、嫉妬だ。

 

 自分より若く強くそれに生まれにも容姿にも恵まれているらしいという点で言えば王国の【蒼の薔薇】、そのリーダーである伝説の魔剣の担い手も同じ筈で、しかしボーデンは彼女の冒険譚を聞きかじって感嘆した事はあれど、嫉妬した事はない。強いて言えば貴族生まれのご令嬢という点には生理的拒否反応があるが、決して嫌いではない。会った事も無いなりに尊敬していると言える。

 

 でも矢張り、ボーデンは目の前の少女の如き少年を好きにはなれない。彼自身は多分、世の中の善良な大半の人々と同じ位には自分を好いてくれていると思うが、それでも。

 

 ボーデンは手近な酒瓶を取ると、飲むつもりの無かった酒をぐいと呷った。アダマンタイト級冒険者の奢りだけあって皆全く遠慮せずに食いたい物飲みたい物を頼んだのであろう、店の外観からは想像もできない程良い酒だ。

 

 他人から生真面目でやや自虐的と評価される男であるボーデンだが、それでも立派な冒険者だ。嫌な事や面倒な事に対処する方法はとくと弁えていた──酒を飲んでさっさと忘れるのだ。

 

 タダ酒ならば尚の事良い。自分の懐が痛まない酒の味わいはどんな時でも格別だ。

 

 

 

 

 

 

 警邏中の帝国騎士ルイス・メルクは和やかげな存在感を放つ美貌を遠方に捉え、歩調を正した。都合三度目の遭遇という幸運に恵まれている彼だが、徐々に近づいてくる人物の可憐さには未だ慣れる事が無い。

 

「お疲れ様ですー」

 

 人々のざわめきと共に現れ、会釈と共に労いの言葉を投げかけてくれる彼女──アダマンタイト級冒険者イヨ・シノンに直立不動となって返礼しながら、ルイスは過ぎ去っていく後ろ姿に眼を奪われそうになる己を努めて律する。

 

「……確かに綺麗だけど、お前がそういう対象として見るには幼くないか? てかあの人、同性愛者で既婚者だろ。お前じゃ無理無理無理無理だって」

 

 高嶺の花。年齢差。そういう対象とする性。既に特定の相手がいる。四つの理由を挙げて律儀に無理を諭す物言い。

 

「俺はシノン様の事をそういう風に見てるんじゃないって何度も言ってるじゃないですか!」

 

 定期巡回に戻りながら、ペアを組んでいる先輩の騎士の軽口にルイスは軽く憤慨しながら返した。無論道行く一般市民の目があるのであくまでも二人とも小声だ。

 

「同じ年頃のガキの時分に彼女を見てたらそりゃあ俺だって胸を熱くしただろうが、いくらなんでもなぁ」

「だから……」

「分かった、分かったよ。そういう気持ちは理屈で割り切れるもんじゃないもんな。うんうん、俺にもそういう時代があったよ。思い余って妙なこと考えんなよ?」

 

 全く分かっていない癖に訳知り顔で会話を一方的に打ち切った先輩に対しルイスはそれこそ言葉の限りを尽くして誤解を取っ払いたい衝動に駆られるが、そうした努力が裏目に出る事は経験済みだ。

 彼はふん、と抗議代わりの鼻息を鳴らすと黙り込んだ。なんでこう年寄りってのは人の言う事を聞かないのだか、と内心大いに憤る。因みにルイスの相方たる先輩騎士は彼より十と少しばかり年上なだけで到底老人とは言えなかったが、バリバリの若者であるルイスにとってそれ位の年齢の人々は十分におっさんであり、憤りも相まって老人呼ばわりするのに良心の呵責は無かった。

 

 ルイスは端的に言うとアダマンタイト級冒険者イヨ・シノンのファンだった。別に顔やスタイルが好みだからでは断じてない──彼女の容姿が稀に見る美しさである事を否定するつもりもまた無いが──その温厚で分け隔て無い人柄と潔白さ、なによりも強さに憧れているのである。

 

 貴族では無いながらも代々帝都の一等地に居を構える非常に裕福な家に生まれたルイスにとって冒険者等と言う連中は今の所捕まっていないというだけの犯罪者予備軍みたいなものであったが──彼の父親はワーカーも冒険者も一緒くたにしていたし、幼い頃から騎士に憧れていたルイスにとってもそれら二つは区別する必要が感じられない程度には似たような物だった──彼女は別だ。

 

 そもそもルイスからしてみれば皇帝陛下に忠誠も誓っていなければまともな教育など受けたことも無い連中が街中を武装して歩いているという時点で気に食わない。どう考えたって治安上の危険因子としか思えないのだ。質の悪い傭兵が平時に山賊働きをしでかす様に、連中とて何をするか分かったものでは無いではないか。

 

 『別に連中の肩を持つわけじゃないがそれは少しばかり極端だぞ』と諭された事もあるが、帝都の中で経済的に何不自由なく生まれ育ったルイスからしてみれば冒険者が実際に人の役に立っている所など見た事は無い訳で。

 

『美しい帝都の街並みをまともに字が書けるかも怪しい連中がこれ見よがしに凶器をぶら下げて歩いていやがる』というのが彼の冒険者観の揺るぎ無い根本だった。

 

 騎士の統一された煌びやかな装備、整然と規律を持って行動する様子は人々に安心感を与える。対して冒険者はどうだろうか。騎士は帝国とその支配者である皇帝陛下に忠誠を誓い、いざという時に備えて日々訓練を重ね己を鍛える。対して冒険者はどうだろうか。

 

 安酒をかっ喰らった連中がただでさえ乏しい理性の枷を振り切って殺人事件を起こさない保証が何処にあると言うのだろうか。

 

 未だに諸侯が好き放題民を搾取している様な王国の如き遅れた国ならまだしも、偉大なる皇帝陛下がおわし、護国の偉人であるパラダイン様もおられ、そして自分たち騎士が日々切磋琢磨するこの帝国で冒険者の如き連中はいらないだろう。それがルイスの考えだ。

 

 まあ、アダマンタイト級などの数少ない上位の者たちは彼とて認めないでは無い。彼らはそれこそ騎士の中の騎士である近衛よりもなお強いし、その武装や物腰は成る程世間的に重んじられるだけのものがある。

 卑賤な者たちの中でも上澄みの存在として、彼らならばルイスとて一応尊重できる。最もそういう少数の例外を持って冒険者全体を見直すなど土台無理な話だが。

 

 で、イヨ・シノンである。ルイスは彼女のあらゆる面において冒険者らしからぬ魅力──決して外見の話では無い──にすっかり参ってしまっていた。

 

 まず、彼女は可憐だ。最初にそこを上げるとまるでルイスが彼女の容姿に心を乱されている様で誤解を招きかねないが、人間が主に視覚で周囲を認識する以上これは仕方ない事だ。

 

『お仕事中すいません、ちょっと道をお聞きしたいのですが』

 

 男が少女という存在に抱く願望を詰め合わせた様な。

 つまり、清らかで、たおやかで、優し気で、控えめで、繊細で。しどろもどろになって返答したルイスが彼女の首に冒険者プレートが下がっていたことを追認識したのは少し後になってからだ。

 

 良家の人間として同じく裕福で教養のある人間と付き合っていたルイスだからこそ分かる、彼女は貴族でこそ無いだろうが見た目相応の教育を受けた人間だ。ただ容姿に恵まれただけの村娘にあの様な雰囲気は纏えない。何故あのような少女が冒険者なんかに、と一人正義感から思い悩んでいたルイスは割とすぐに少女の正体を知った。彼女はとんでもない有名人だったのだ。

 

 帝都においても多くの人々が耳にしただろうから今更長々とした説明は不要であろうが、端的に言って彼女は隣国の英雄、絵本の中から飛び出てきた様な本物の戦乙女だった。

 

 あのような可憐な少女が無辜なる人々を守るべく、自ら身を張っておぞましい怪物と対峙し、それを打ち破ったという英雄譚は富裕層における典型的冒険者嫌いで知られるルイス・メルクでさえ胸を熱くせざるを得ないものであった。

 

 嫌いな連中の話など聞きたくないし興味も無いので今まで耳にした事は無かったが、有名人だけあって知ろうとさえすれば実に様々な情報を容易に聞き知る事が出来た。

 

 その奇想天外な来歴は元より、冒険者組合なり宿なりで日頃熱心に訓練に励む様。足繁く神殿に通い、また各所に多くの寄付を行っている事。酒は強いが殆ど飲まない事。下位者にも分け隔てなく接する人柄。数度に渡って皇城にも上り、陛下の信認を受けているとか。

 

 その他大勢の者たちは勿論の事、人間ですらない者が混じっている自国の英雄たちと比べても、ルイスはすっかり彼女に魅了されていた。

 

 強いて言えば彼女が自身を男性と名乗っている事には大いに首を傾げたし、同性愛者で既婚者だと聞いた時には自分でさえ理由の分からない衝撃を受けたが、良く考えれば大した問題では無い。

 

 正直その詐称の有効性はまるで無いと思えたが、あのような少女が野獣の如き冒険者の一員としてやっていく上での自己防衛の術だったのだろう、自身を男であると偽る事は。

 同性愛者だろうと既婚者だろうとそれで彼女の魅力が変わる訳では無い。むしろ自分の憧れが男に媚びを売る姿など想像もしたくないので、そこに至っては同性同士の清らかな愛こそが彼女に相応しいとも考えられた。

 

 イヨ・シノンが人と交わった妖精の末裔であるらしいという噂をルイスは半ば信じかけていた。少なくともエルフの血が流れている等と言う失礼極まりない──帝国の法がそう定めているのと同様にルイスにとってもエルフは同胞でも無ければ隣人でも無い存在で、端的に言えばそのイメージは森の蛮人である──噂よりはずっと頷けるものだ。

 

 相応の教育を受けた者、つまりそれだけの富、格式を持った家に生まれた者の言動には相応の色が出る。立場がある人間特有のものだ。社会で生きる限り誰しもが自由なただ一人の個人ではいられない。富んだ者、地位の高い者ほど『自分』という言葉に付随するものが増えていく。

 ほんの若造であるルイス・メルクでさえ一個人である前に帝国騎士として、そうでない時でもメルク家次男として振舞わざるを得ない。地位と富のある家に生まれた男女は己の恋心では無く家の利益に基づいて政治的に結婚する。ルイスにだって五つ年上の男爵家の三女である許嫁がいる。それが世の理だ。

 

 ルイスがイヨ・シノンに惹かれる理由とは、詰まる所其処なのかもしれない。彼女の幼子の様な無邪気な笑顔に、己の一人の力でもって己の運命、行く先を切り拓く自由に憧れるのだ。

 

 極稀に、責任ある貴き生まれであってもその全てを放り投げて冒険者という無頼の世界に身を投げる者がいる。ルイスが最近知り得た限りおいては王国の【蒼薔薇】なる冒険者チームのリーダー等もそういう人物らしい。少し前のルイスならばそういう人物の事を嫌った、いや理解不能な動機で貴種たる責務の全てを放り投げて野に落ちた狂人と見下したかもしれない。

 

 しかしそうではない、そうではないのだ。本物に触れた今のルイスならば分かる。そういう家に生まれた者として務めを果たせば、彼女は人並みに山も谷もあるだろうが、総体として見れば安楽な人生を送れた事であろう。イヨ・シノンとて転移の悲劇で全てから切り離されてしまった後でも、手持ちの財貨でも何でも使って穏やかな第二の人生を送る事は容易だった筈だ。

 

 彼女らが自分で選び、掴み取った未来は人を助ける為に戦う事。そういう運命を自ら切り開き、己に課したのだ。その一事で以てして、彼女たちは例え冒険者という賤業に身をやつしていようとも、凡百の無頼漢とは一線を画するとルイスは確信する。

これを尊しとせずして何が尊貴であろうか。

お伽噺の理想像たる騎士に憧れて現実に帝国騎士となったルイスは、彼女たちこそ真に英雄と呼ぶにふさわしい人物だと思ったのである。

 

 無邪気そのものの笑みを浮かべ、幼子の様な善良さのままに人を救うイヨ・シノンの可憐さは、成る程妖精の裔と讃えられるに相応しい。

 

 と、脳内で其処まで思考して、ルイスは直近の不愉快な噂話の数々を思い出して身動ぎした。

 

「どうした? 何かいたか?」

「ああいえ、なんでもないです。すいません」

 

 言動が少しばかり軽いながらも仕事振り自体は尊敬に値する先輩騎士がルイスの挙動に反応してその視線の先を追う。手配書に酷似した人相の誰かとか、それに類する何かを後輩が発見したとでも思ったのだろう。

 素直に申し訳ないと感じたルイスは頭を下げて謝った。

 

 しっかりと姿勢を正して巡回を続ける。騎士は常に善良なる人々に頼られ、そして悪党に畏れられる存在でなければならない。職務中に騎士に相応しからざる姿を晒す事は許されないのだ、とルイスは己に言い聞かせた。

 

 思い出したのは過日の闘技場での一件以降、巷で囁かれている根も葉もない噂話の事だ。

 ルイスは庶民の娯楽としての闘技場の必要性、人気は理解するが、あの品性の欠片も無い騒々しさと血生臭さが好きになれず、友人関係の付き合いで一度足を運んで以降見向きもしなかったのでとんと疎いのだが、どうも闘技場で彼女は武王なる巨大なケダモノ相手に酷く暴れたらしい、というのが噂の骨子だった。

 

 その噂の中身と来たら酷いもので、明らかに真実などどうでも良く、とにかく面白おかしく突飛で人々の興味を引く内容でさえあれば良いと言わんばかりだった。

 四肢から炎を噴いて相手を焼いただの獣の如く四つ足で走り回ったのだの、怪物の本性を露にして尻尾を生やして暴れただの。彼女が人間であるという大前提すら忘れてしまったかの如き荒唐無稽な作り話の数々。

 

 真に恐るべきは、少なくない割合の人々がその噂話を真に受けて彼女を怖がっている事だ。いくら他大陸出身の異邦人とは言え、イヨ・シノンは縁深い隣国の大公殿下から勲章を受けるほどの人物なのだ。少しは敬意を払ってはどうなのかとルイスは思わずにはいられない。

 

 巷間に流布する所によるとイヨ・シノンは本格的な春の訪れより前に公国に帰ってしまうという事であったが、ルイスはそれを非常に惜しく思う。

 

 公国が悪いとは思わないが、帝国に、帝都に居残ってはくれないだろうか。そう思わずにはいられないルイスだった。

 

 

 

 

 

 

 

 イヨは一通り同業者との交流を楽しむと会計を済ませて先に宿への帰途についた。わざわざ冒険者組合で鍛錬をするのは他の冒険者との交流と、ある種示威行為の様な意味合いもあった。俺達は公国冒険者を代表して此処に来ているんだからな、とはガルデンバルドの言だ。

 

 周囲のざわめきを気にせぬよう努めながら道を歩み、顔見知りがいれば言葉を交わす。人懐こい性格故、知己はそれなりに多い。

 

 帝都の大通りは公都のそれより更に人通りが多く活気もある。イヨはそれを好む質であったが、どうにもこうにも向けられる視線や感情の多量さにやや気忙しい思いもあった。目立つのは好きな方なのだが、自分の存在が人々の生活を搔き乱している風にも感じられた。

 

 午後からも【スパエラ】としての予定があるのでさっさと帰りたいのだが、こうまで人通りが多いと走るのも気が引ける。ので、イヨは例によって表通りではなく脇道に入ってショートカットする事にした。

 

 生来の優れた方向感覚と、帝都の広大な街並みの中でも冒険者組合周辺と宿の周辺は地理を把握しているので迷う事は無い。何時かの路地裏と違ってそこそこの広さがあり人もいるが、表の大通りと比べたら天国であった。

 

 イヨ的なビッグイベントは既に消化したが、【スパエラ】としての人脈作りなどはまだ途上である。予定していた滞在期間としても半分近くが残っており、武王戦の疲労も抜けた今はまた少し忙しくなってきていた。個人的にも挑戦を受ける側として再度闘技場への出場を打診されていた。

 

 なにより折角遠方まで足を伸ばしたのだからこれを機に【スパエラ】の欠員、神官などの癒しを担当する人物を見つけられないかとイヨは【アーマー・オブ・ウォーモンガー】を展開しつつ後方を薙ぎ払った。

 

 

 

 

 

 一際強い寒風が人々の首筋を舐めていった。

 

 冬の平和な小道に突如として響き渡った空裂音。

 

 通行人が驚いて振り返ると、其処には全身を鈍色の鎧に包んだ小柄な人影が、振り向きざまに背後を手刀で打った姿のまま固まっている。

 

 なんだあいつは。今の音はあの鎧の人が? おい、もしかしてあの、人? って──。

 

 ざわめく諸人が俄かに小柄な鎧姿に注目しだした頃、イヨは戦慄していた。

 

 欠片も感じられなかった気配。それでも自分は思考を挟む事すらなく感覚に導かれて反射で動いた。空を切る手の感覚。吹き抜けた疾風。

 

 武王の一撃にさえ耐える堅牢なる鎧、超アダマンタイト級の装甲には傷一つなく──しかし、その下でイヨの首には一筋の擦過痕が残っていた。

 

 ──拳足の間合いはおろか五感の及ぶ遥か外から、この場にいる全員の目に留まる事無く飛び込んでくる鋭さと速さ。

 ──淀む事すら無く手刀をすり抜ける巧緻。

 

「【アーマー・オブ・ウォーモンガー】の展開速度を上回る、とは……」

 

 状況があまりに違う故、断言は出来ない。出来ないが──今の一撃は、ともすれば武王のそれより尚速く、比べようも無いほどに正確無比だ。

 

「……何者」

 

 見知らぬ、自分より遥か格上の強者。イヨの背筋をぞくぞくとした感覚が這いずっていた。

 

 

 

 

 

 

「一体どういう事ですか!」

「あのさー、君新人?」

 

 暮れなずむ街外れの一軒家で、一組の男女が揉めていた。

 

「かの冒険者については調査の結果、問題なしと判断されたはずです! 貴重な人類の戦力であるアダマンタイト級冒険者に対し、あんな形での接触など認められていな──」

「はー、ちょろ過ぎて騙すのも馬鹿らしくなってきちゃったなぁ」

 

 無造作に。

 それでいて精緻な技巧に裏付けされた素早い剣閃が、まくし立てる青年の肩口を貫いた。悲鳴が上がるその前に、伸びた腕が口を塞ぐ。

 

「む!? むぅうー!」

「まず君さぁ、ちょっとは疑う事を覚えなよー。同じ六色聖典とは言え所属も別、しかも特例案件だからって現場指揮官に連絡取る暇も与えられないとか少しはおかしいと思わなかったのー?」

 

 マジックアイテムによって本来の顔とは別の顔を纏った女は、口元に歪んだにやけ笑いを浮かべながら一つ一つ、幼児に諭す様に優しく囁いていく。

 

「曲がりなりにも六色聖典の末席にいる以上優秀なんだろうけど、真面目馬鹿過ぎ。ま、本当に短い間だったけど裏切り者の逃亡幇助ご苦労様~」

 

 ぬりゅん、と。

 

 耳の下から刺し込まれた刺突武器の切っ先が青年の脳組織を一瞬で掻き回し、破壊した。

 

「ここ最近ちょっとばかし死人が重なったからってこのレベルの予備を現場に出してるのヤバいよー、まあそんなんだから私も逃げてる最中にこんな遊びをする余裕があるんだけどー」

 

 気味の悪いほどに口の両端が吊り上がった笑みで女は死体を見下ろす。かと思えば、その表情は一瞬で静まり、冷徹なものとなる。

 

「しっかしあの女ぁ、耳でも目でも肌でも私の接近を感じ取れてなかった癖に直感だけで迎撃しやがった。あの幼さで英雄の領域に足を掛けるだけはあるってかぁ、鮮血だか鉄血のお姫様ぁ」

 

 天才がぁ、と吐き捨てる表情は、夕の射光に照らされて読み取れない。しかし声色には溢れんばかりの嫌悪があった。

 

 女は一撃必殺に特化した戦士だった。どの様な強者であっても生き物である以上、脳や心臓といった重要な部位さえ破壊すれば死に至る。女は戦士として生涯を掛けて致命の一撃を対手に与える能力を鍛え、育んできたのだ。

 

 そうして結実した今の彼女は人外の領域に踏み込んだ強力な戦士であり、その一撃を前にして命を守り得る実力者は世界を見渡してもそう多くない。一度技が決まれば格下は無論の事、同格や格上の者さえ一撃の下に屠り得るのが彼女、なのだが──

 

「……ま、流石に行き掛けの駄賃で取れるほど軽い首じゃなかったかー。いいやいいや、忘れよ。カジッちゃんのとこまでまだまだ遠いし、疲れちゃうよー」

 

 




お久しぶりです。


金級冒険者ボーデン:自ら世話をした牛馬が懐きやすくなるタレント持ち。剣より鍬や鋤を扱う方が才能がある。本人の自覚無し。
帝国騎士ルイス:恋愛対象が十代前半から半ばの少女のみ。好みのタイプの異性に対してやや夢見がち。本人の自覚無し。
チラ見せンティーヌ様:次の出番はもう少し先です。

あと少しで帝国編終了、そのあと王国編という名の最終章を……始めたいんですけど実際どうなるかは分からないです!
十五巻楽しみですね! アニメ四期もね!

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