ナザリックへと消えた英雄のお話   作:柴田豊丸

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後世の書籍「各国各時代、最も人心を照らした英傑たち」より抜粋

 「小さな剛拳」イヨ・シノンはその昔、帝国と公国と王国の三国を股に掛けた英雄である。妖精神なる異教の神に仕えたという彼──伝承を知る諸兄等にとっては違和感を感じる事甚だしい表現だろうが、彼が『彼』だったのは明らかな事実である──が表舞台に姿を現したのは、今の世に言う「リーベ村の防衛戦」が初である。
 誰よりも笑い誰よりも泣き、常に感情豊かに人と交わり続けた彼の生涯において、この出来事が今後の生涯を定める契機になるとは、恐らく当時の彼自身も知る由も無かったであろう。
 


イヨのこれから、そして転機

 走る。より速く走る、より強く走る、より無駄なく走る、より上手く走る、より負荷を掛けて走る。漫然と走ってはいけない。自分が何をしているかを知覚し、自分の体の状態を何よりも知らなければならない。

 何処までも何処までも誰よりも、只管に上を希求する。

 

 イヨにとって鍛錬とは日常である。とても辛く、厳しく、嫌で嫌で仕方が無い最高の娯楽だ。

 

 焼け付くような痛みを肺が訴えている。喉に棘でも生えているのかと思うほど呼吸が辛い。連続して酷使し続けた脚の筋肉は発火しているかのようだ。振う腕すら鉛の如き重さ。耳を澄ますまでも無く筋繊維の千切れる音が聞こえてきそうである。

 

 自分には限界が近づいている。それはしっかりと認識しなくてはいけない。まだ大丈夫だなどと自分を騙しても意味は無い。むしろ目を背けた分だけ限界の向こう側に踏み込み続ける覚悟が薄れる。

 

 やがて心より先に体が尽きる時が来る。それはそう遠くは無い。そしてその時が来たら、自らの意志で尚も走り続けなくてはならない。

 

 そして自分に告げるのだ。

 

 心よりも先に体が力尽きるだと? 生意気な事を言うな、事実お前はまだ走り続けているではないか。気合が物理法則を覆す事など有り得ない。太陽に向かって明日は南から上って北から沈めと命じてみろ。

 

 それで太陽は運行を変えるか? 変える訳が無い。

 

 走り続ける事が叶うのは、それが事実可能だったからに他ならない。限界を超えたのではなく、お前が自分に設定した限界が低すぎたのだ。基準を修正しよう。無理でなく、可能に。さあ新たな限界を臨みに行こう。

 より加速する。まだ終わらない。精根尽き果てそれでも続け、とうに失うはずの意識を繋ぎ留め、本物の限界が何処かを知るのだ。

 

 自分というモノの性能を知らずして、自分を万全に使いこなせる筈は無いのだから。

 

 これが終わったら熱くなりすぎた体を適度な温かさまで冷やし、解してから筋力トレーニングだ。腕立て伏せは四パターンの五十回ずつ、腹筋は五パターンの六十回ずつ、側筋と背筋は二パターンの百二十回ずつ、スクワットは三パターンの八十回ずつ。それらを一セットとして三セットほど。

 

 それが終わったら各種各段階に分けて基本動作。次は打ち込み。そして、相手はいないが一人で実戦形式をやる。

 

 血反吐を吐く程度の練習など誰でもしている。手足から骨が飛び出ていてもテーピングを巻いて試合に出場して勝ってしまう選手などごまんといる。素人から初めて一日十五時間の練習をこなして七か月で全国優勝を果たす人物だって沢山いる。

 

 というかみんなイヨの通っている道場の先輩の話である。

 

 あんな化け物を間近で見ていたらこの程度で十分などとふざけたことは言えない。

 

 既に強かった昨日の自分より更に前に。今日も強くなり続ける自分を更に先に。明日も強くなってもっと上に。

 

 そうしてこそ強く在り続け、より強くなることが出来るのだ。──因みに、自重を負荷とする筋力トレーニングは今のイヨでは効率的な練習とは言えない事がこの後判明した。二十九レベル前衛系の筋力は、小さく軽量な身体で熟す腕立ての数百回程度では全く疲労しなかったのだ。より高負荷の練習方法をイヨは模索し始めた。

 

 

 

 

「うっわ……細い、ひょろい、筋肉付いてない……」

 

 洗面桶の水面に映った自身の半裸体を見て、イヨは茫然と呟いた。

 

「一つも無い。開放骨折や粉砕骨折、裂傷の跡が……やっぱり、僕じゃなくてイヨの身体なんだなぁ」

 

 細い。すっごく細い。決して不健康なほどの痩せぎすという訳では無いが、現役の体育会系部員として人並み以上に鍛えていた現実での身体と比べ、今の身体は余りに痩せて見えた。

 

 脂肪は適度に薄く、全体としては健康体といって差し支えないが、どうにも筋肉の未発達具合がイヨの脳内の自分と違い過ぎていて、結構な違和感を醸し出している。

 体感における違和感は無くとも、記憶と照らし合わせればおかしいと分かるのだ。

 

 ぶっちゃけて言えば、女の子みたいな身体付きである。無論胸は無いし、骨格も男性のものだが。

 

「この身体でどうしてあれだけの怪力が……ゲームの時と同じといったらそれまでだけど、この世界はこの世界で現実なわけだし……物理法則からして違ってるのかな?」

 

 この小学校高学年生の女児の様な体で、イヨは昨日オーガの頭部を消し飛ばしたのである。

 現実として考えると間違いなくおかしい。体重が五十キログラムに遥かに満たないだろう人間が、その十数倍も重い生物を一撃の元に殺すなど、荒唐無稽も良い所だ。

 しかし、ユグドラシルの常識で考えれば何もおかしい事は無い。二十九レベルのプレイヤーがレベルにして一桁台の雑魚を十体や二十体纏めて屠った処で、それは至極当たり前の事である。

 

「ゲームの様な法則がある世界……鍛えれば鍛えただけ強くなれる? 筋肉繊維の数と太さからすれば物理的にあり得ない力を実際に出せてる……非物理的な出力の源か、だとしても出力に見合うだけのエネルギーを何処から?」

 

  ──こう、鍛えれば鍛える程筋肉じゃなくて魔力的な何かで強くなるとか。

 

 そう考えるイヨだが、リーベ村の住人の中には日々の農作業や狩猟で鍛えられた見事な筋肉を持つ者も多い。

 

 やはりこれは、世界の理からして違うからこそ成り立つ不可思議とでも考えるしか無いのか。

 質量保存の法則やエネルギー保存の法則は無いか、もしくは、この世界の成り立ちを元に全く別の要素をその身の一部として成立しているのだろうか。

 

「顔も、ユグドラシルでは無表情だったからまだしも、表情がついたら随分とまあ……」

 

 悪く言うと、能天気そうな緩い顔である。良く言っても、ぽわぽわした子供っぽい顔。

 いや、髪と瞳の色が白人系の金色になっていることを除けば、殆ど現実のイヨと同じ顔ではあるのだが。

 

「これは鍛えなおさないと。まずはランニング、筋トレから始めよう。村長さんに挨拶したら予定を聞いて、暇を見つけて少しずつやっていこうっと」

 

 モンスターの襲撃を蹴散らしてから既に夜は明け、イヨは村長であるティルドスト・ウーツ宅の一室に宿泊していた。

 

 貸してもらった天然素材の衣服──麻や木綿と云う種類の繊維で出来ているらしい──の半袖の上着と長ズボンを着こみ、イヨは貸し与えられた部屋を後にした。装備品の類はアイテムボックスに突っ込んであるので、実に身軽である。

 解いたままの白金の長髪がちょっと不思議な感じだが、現実で髪型を三つ編みにしていた事は無く、従って髪を結う事も出来ないので、取りあえずはこのままにしておくことにした。

 

 さして広くも無い屋敷の中である、少しも歩かない内に居間に着いた。既に起きて来ていた村長がテーブルに付いており、奥の炊事場からはコトコトとスープを煮込む音が聞こえて来ていた。

 

「おはようございます、イヨさん。よく眠れましたかな?」

「おはようございます、村長さん。ぐっすりでしたよ」

 

 何せ昨日は色々あった。ゲームの中から別世界へ転移し、死にかけた人を助け、流れる様にモンスターの群れと戦闘をし、その中で多くの命を奪い、救い、今後の方針を定めたのだから。

 空気清浄循環機能付きのカプセルベッドしか知らなかったイヨだが、機械装置のついていない昔ながらのベッドも良い物だと思った。寝転んだ瞬間から記憶が無いほどである。

 

「改めて、昨日は本当にありがとうございました。あれだけの数のモンスターの襲撃を受けて一人の死傷者も無いとは、正に奇跡です。これも全て貴方のお蔭です」

「いえいえ、僕は出来る事をしたまでですが、皆さんがご無事で何よりでした」

 

 あの戦闘の後、イヨはそれこそ駆けずり回って働いた。妖精たちも召喚時間が過ぎるまでは一生懸命働いてくれた。何せやる事は山ほどあった。負傷者の治療、死体の片づけ──ただ埋めるだけではアンデッドになりかねない為、ある程度様式に沿って弔わねばならないらしい──傷付いた柵の補修、どさくさに紛れて襲って来る魔物への警戒など。

 

 ほとんどの装飾品を筋力増強系のものに付け替えて一人でオーガ二体を引きずったり、スキルを使用して地面を殴って大穴を掘ったりとイヨは大活躍であった。お蔭で丸一日ほど掛かって終わらせる筈だった後片付けが三時間で終わってしまったほどだ。

 

 細かい所を言えば射った矢の回収や、ゴブリンとオーガの装備品を剥ぐ作業もあった。使えそうな物は村に時折やってくる商隊に売却して現金に、駄目そうな物は炉で鋳溶かしたりして、資源として再利用するらしい。

 

 ちなみ、売却して作った現金の主な使い道はイヨへの謝礼だそうだ。

 

 アイテムボックス内に多少の金貨が入っていることを知ったイヨは尚更謝礼を受け取る事を拒んだが、リーベ村の住民殆どに受け取って下さいと頭を下げられては、謹んで頂くしかなかった。子供が道理に沿わない我が儘を言って大人を困らせてはいけないのだ。

 

「あの、村長さん。僕は今日からなにをすればいいんでしょうか」

「はい? なに、とは何の事ですかな?」

「働かざるもの食うべからずと言いますし、何か仕事をしなければな、と思いまして」

 

 当然の気持ちで申し出た願いだったが、村長は泡を食って否を訴えた。

 

「貴方は村の救い主、村の大恩人ですよ! そんなお方に雑務などやらせてはリーベの沽券にかかわります! 現状でも恩に報いるおもてなしが出来ているとは言えませんのに、この上その様な──」

「で、でも、昨夜も色々な事を教えて頂きましたし、そのお蔭で今後の目標も出来ました。それだけの事をして頂いて、ただ惚けている訳にはいきません!」

「いえですからこちらにはまず村を救って頂いたという大恩が──」

「だからってそこまでして頂く訳には──」

「それに情報提供などは当たり前の親切の部類ですし──」

「だったら僕の助力だって当たり前のことで──」

 

 既に昨晩、イヨはこの周辺の地理や国家などの情報──ゲーム的に言うなら世界観に当たる情報を、村長や元兵士などの村の有識者たちから得ていた。

 

 聞けば聞くほど恐ろしい世界であった。なんと人間種が主となる国家はルードルット親子に聞いたスレイン法国、リ・エスティーゼ王国、バハルス帝国、公国で後他にも幾つか──たったそれだけで大体全部なのだと云う。

 

 その他の国は亜人種が主となる国家であったり、人間を食べるビーストマンで構成されていたり、オーガだかトロールの国もあるらしい。

 

 ではこの世界は人間種国家とその他種族の国家で覇権を争っているのかと云うとそうでもなく、王国と帝国など毎年カッツェ平野なるアンデッドが跋扈する地で戦争をしているのだとか。

 

 いや生物なのだからそれは争う事もあるかと思うが、やってる場合なのだろうか。

 

 亜人種は人間種より大体強靭だと言うし、頭の方も賢い種族は多いとか。その上モンスターは幾らでもそこら辺をうろついているし、普通の獣も沢山いる。狩人の職業に就いている者以外の村人では狼にも勝てない場合が多いという。そこだけはイヨの世界と同じなのだ。

 

 なんだか物凄く恐ろしい世界にイヨは来てしまったようである。

 

 そんな世界では二十九レベルでしかないイヨなど外見通りに文字通りの子供扱いなのではと思ってしまうが、この世界に在ってはイヨ並──即ちレベルにして三十前後──の強さを持つ者は非常に少なく、その領域に達した者は英雄と称され、人類の到達点、人類種の切り札などと呼ばれるらしい。

 

 ──呼ばれる、らしい。

 

 その数は非常に少なく、対モンスターを得意とする傭兵、冒険者の中にあってはアダマンタイト級と呼ばれる最高位者の中でも一握りの存在のみ。

 てっきり上にはヒヒイロカネ級とかアポイタラ級等があって『十代半ばでアダマンタイトとは将来有望な子だなぁ』的なニュアンスで褒められているのかと思っていたら、アダマンタイト級が最高位なのだった。

 

 公国内にアダマンタイト級の冒険者チームは居らず、その下のオリハルコン級冒険者チームが三チームいるのみ。公国が現在は実質的に従属しているバハルス帝国や、近くにあるリ・エスティーゼ王国にはアダマンタイト級が二チームずついるそうだ。

 

 冒険者チームは通常四人から六人位までが最も多いらしいので、間をとっても一チーム五人。五×四で二十人。

 無論の事、村長が知らない強者や表舞台に出てこない存在もいるだろうが、三十レベル前後の人間が三国の中で二十人。

 

 因みに、公国の国民の数は大まかにいって三百万人ほどだとされている、らしい。イヨの元いた世界、イヨにとっての現実世界ほどしっかりした戸籍制度が無い為、正確な所は不明なのだとか。

 

 近隣三国の数百万から数千万人中、三十レベル前後が推定二十人?

 

 正直に言って、イヨはこの話を聞き、己の中でのユグドラシルの知識と合わせて考えて────良く人間滅びなかったですね!? と思ってしまった。

 

 魔法関連の話も聞いたが、普通に才能のある人間が努力の限りを尽くして到達できるのが第三位階までで、第四位階以上はごく一握りの天才や飛び抜けた英雄の領域なのだと言う。

 単独で第六位階魔法を行使できる人物は一応実在しているらしく、帝国の首席宮廷魔法使いフールーダ・パラダインがそうであるらしい。それ以上の領域の魔法を行使した話は過去に魔神と戦ったという十三英雄など、噂やお伽噺程度には聞くものの、実際に使った実在の人物というのはとんと聞かないそうだ。

 

『あの、第七位階や第八位階、もしくはそれ以上の魔法の存在をご存じありませんか?』

 

 とイヨが問うと、

 

『そ、そのような神の領域にある魔法が存在するのですか!』

 

 と、村長たちに大層驚かれてしまった。

 

 総体的な感想としては──この世界やばい。というか人類がやばい。

 

 過去には八欲王や魔神といった神話的存在が実在していた様だし、人間を食料とする人間より強大な種族が国家を作ってもいる。それでいて内輪揉めが常態化している。よく今の今まで人類が滅びてなかったものだと、つくづく思う。

 

 イヨが良く友人とやっていたTRPG、SWの世界観に近いと云えば近いが、それでいて魔法やモンスターなどはユグドラシルと一緒だ。三十から百レベルのモンスターなど腐るほどの数がいたはずだが、本当になんで人類はまだ存続しているのか。三十レベルそこそこの人間が此処まで少数ならば、それこそ三十五レベルとか四十レベルのモンスター一体で国家が破滅しかねない筈である。

 

 何処かの秘密組織が人知れず人類の為に強敵を抹殺しているのかも、なんて創作の様な安易な想像をイヨはしてしまった。

 

 イヨの様な、対等の戦いを楽しみたいが故に積極的なレベル上げをせずに、むしろレベル下げを行う特異な人間でなければパワーレベリングなどの手段で持って一月二月で百レベルに達する事が出来たユグドラシルとは雲泥の差だ。

 

 これが現実とゲームの違いという事なのだろうか。

 

 それに、ユグドラシルでは金貨しか流通していなかったが、この世界では銅貨や銀貨もあるらしい。使用頻度的にはむしろ銅貨銀貨の方が主流だとか。大部分の人間にとって金貨は日常で使う貨幣では無く、商取引や貯蓄が主な使い道らしい。

 見せてもらった硬貨はやたらと不揃いでべっこべこに歪んでいたが、村長はそれを当然のものとして考えている様子だった。イヨの世界の硬貨も、百年も遡ればこういう出来だったのだろうか。

 

『あの……神隠しの逸話とか伝承って、この辺りにありませんか? 以前にも僕みたいな人が来たとか、そうでなければ何処か他の地でそういった言い伝えは無いでしょうか? どんな小さなことでも良いので教えてください』

『申し訳ありませんが……この近辺でその様な言い伝えは聞いた事がありません。転移を可能とする魔法の存在や、そういった系統の罠がある事などは小耳に挟んだこともありますが……他の大陸からの転移など、其処まで規模の大きなものは寡聞にして……』

 

 村長から受けた情報提供は大体これ位だが、イヨは凹んだ。それはもう、傍目から見ても分かるほど凹んだ。はたはたと涙を流して咽び泣き、多くの人を狼狽えさせてしまったほどだ。

 

 村長を始めとするリーベ村の人々には、イヨの故国は遠く離れた他の大陸にあるものと伝わっている。故にイヨはこの辺りの文化習俗にまるで疎いという方便、理由付けとなっているのだ。

 

 人生の殆どを生まれた村落の中で生きる村人たちにとって、想像の付く『遠方』とは精々が隣村か直近の都市、もしくは隣国位である。自分たちが住んでいる村は公国にあり、その公国の近隣には帝国があり、周囲には法国や王国が存在する。恐ろしいモンスターたちの国もある。そこまでは如何にか知識があり、実感は無いまでも感覚として『とても遠い』と理解しているのだ。

 

 だが、その先は? 

 

 この世界の人間の誰しもが、その先に何があるのかを知らない。

 大陸は何処まで続いているのか、海の向こうには何があるのか。

 其処には自分を見知った者など誰もいない、人間すらもいないかもしれない。

 もしも自分がその遥か遠い地へ、見知った物が何もない場所に行ってしまったら? 

 

 異世界と他の大陸という便宜上の変換があったにせよ、リーベ村の住人はイヨの状況をほぼ正確に把握し、その恐怖と心細さに打ちひしがれる少年に心から同情し、心配した。

 イヨとしては人前で泣いてしまって恥ずかしい位の認識でいたが、そんな悲劇にあってしまったのに、この子はそれでも見ず知らずの自分たちを助けてくれたのだと、リーベ村住人は感謝と敬意を新たにしたのである。

 

 そしてイヨの方はと云えば、一度年甲斐もなく泣く事で感情の奔流を鎮めていた。

 

 そして考え付いた。

 

 帰る方法を探しながら、自分と同じユグドラシルのプレイヤーを探そうと。自分では無い人の話を聞けば、何かが分かるかもしれないからだ。

 

 こちらの世界に来たのが自分だけなんて云う発想は、そもそもイヨの頭に浮かばなかった。だって、ユグドラシルにおけるイヨは特別でも何でもない存在だ。

 例えばワールドチャンピオンとか、大手のギルドマスターとか、ワールドアイテムの所有者とか。

 そういった人物であったなら、何某かの運命の導きによって、通常では成せない大事を成す為に呼ばれたのだと納得できたが、イヨは違う。

 たかが二十九レベルの一般プレイヤーだ。特別な職業も特殊なスキルも縁が無く、ユグドラシルへの思い入れだって廃人級のプレイヤーと比べたらあんまりない。

 

 まだイヨでは無く、中身である現実の篠田伊代の方が特別と強弁できるだけのものを持っている。

 

 小学校二年から六年生までの空手道全国大会の優勝者だ。身長が伸びず、中学一年生ごろから勝てなくなったが、伸びない身長をカバーするだけの修練を積み、高校一年生の現在になって都大会を突破し関東大会に出場が決定。今一度全国一位の座に返り咲かんと奮起している。

 生来女性的な容姿の持ち主で、未だに女子と間違われる。身長も百五十センチちょっとしか無く、同級生どころか後輩にも「伊代ちゃん先輩」「伊代ちゃんさん」「シノちゃん」などと呼ばれて慕われている。とてもとても可愛らしい七つ離れた双子の弟妹がいる。名前は弟が千代で妹が美代。

 

 王道とは言い難いが、なんとなく主人公っぽい気がする。

 

 そういったぽいとかぽくないとかの感覚的な話を無視しても、サービス最終日のユグドラシルには数千から数万のプレイヤーがいた筈である。その中でイヨだけがこちらに来てしまったと想像するより、他のプレイヤーも来ている筈だと考える方が確率的にありえそうだった。

 

 他にもプレイヤーはいる。イヨはその事については半ば確信している。そして多分探せば見つかる。

 

 何せ彼ら彼女らはこの世界でこの上なく目立つ。二十九レベルのイヨですらアダマンタイト級だ英雄だと騒がれるのである。ユグドラシルの大半を占めていた百レベルプレイヤーはあっという間に国際的に有名な存在になるだろう。

 

 百レベルの前衛は万軍を切り裂き、単身にて一国を落とす事も容易だろう。

 百レベルの後衛は空間を超越し、万人単位の大量殺戮を行う事も至極簡単だ。

 

 流石に其処までするプレイヤーがいるとは思えないが、それ程の強大過ぎる力を持って身を潜め続けるのは難しい。本人がそうしたくとも周りは絶対に放っておかない。

 そこまで考えると、何もしなくても見つかるよね、とイヨは至極楽観的になった。他のプレイヤーもやっぱりプレイヤーを探すだろうし、血眼になって探さなくてもその内出会えるだろう。

 

 とすればだ。後に残る目的は『帰る方法を探す』である。正直さっぱり分からない。世界間の移動、しかもゲームやってたら何時の間にか異世界に。そんな訳の分からない事態の究明などどこから手を付けたものか。

 取りあえずは、この世界に同じ様な話が伝わっていないか探す事にする。所謂神隠しの伝説を探すのだ。パワースポットみたいなものが原因かもしれないし。

 

 この世界で当分生きていくのだから、働かねばなるまい。しかしイヨは住所不定身元不詳かつ無職の未成年。言葉は何故か通じるが文字は読めない。そんな子供がどうやって職に就くのか。

 村長たちの話を聞いて、最適な方法を直ぐに思い付いた。

 

『僕は冒険者になります!』

 

 日銭を稼げる。腕っぷしがあればやっていける。情報を集めやすい。依頼内容によっては他国にも行ける。色んな人に出会えるからそのうちプレイヤーとも会えるだろう。多分他の人も同じことを考えると思うし。正にイヨの天職だ。イヨがモンスターを倒したり薬草を見つけたりすれば、それで人助けも出来るのだ。

 

 元兵士の老人が言うに、この国で冒険者をやるなら公都が一番らしい。帝国の国境とも近いから栄えているし、この国で最も多くの人が集まる。三チーム居るオリハルコン級チームの内、二チームも其処にいる。

 

 一旦行く道を選んでしまえば、イヨの単純な頭は悩みを生まない。次に商隊が村を訪れるという五日後まで、村を手伝いながら自分を鍛えて待つのみだ。

 商隊は二週間ほどかけて公都まで行くらしいが、リーベ村から謝礼が出るし、旅の間に荷馬車等の護衛を務めれば給金が貰える。ユグドラシルの金貨も持っている。後は冒険者になって働けばいい。

 

 良し。悩むことは何も無い。

 周囲の人間がおや? と思うほどあっさりイヨは泣き止んだ。

 泣かないだけで、合えない両親や弟妹を思うと無論悲しいが、悲しみすらも前進する力に変えていけるのがイヨだ。

 

 そうして一夜を明かし、現在。イヨと村長との労働交渉は──

 

「ではイヨさんが進んでやる仕事はボランティアとして扱い、こちらが依頼する仕事は謝礼に色を付けると云う事で対応を……」

「謝礼の増額は村の経済を圧迫しない程度の良心的な価格に留めるというのは?」

「ぐっ、そうでしたな。それが双方の妥協点としては最良でしょう」

 

 賃下げ交渉は双方が妥協し、イヨの『自由労働』を認めると云う形で決着した。

 村長は厄介な問題を片づけられ、得をする。

 イヨはタダ飯喰らいを回避しつつお金がもらえる。

 両者両得である。 

 

 緊急に頼みたい用事は無いという事なので、まずは食べましょうとそこで食事が始まった。

 

 豚肉と一緒に野菜を煮込んだスープとパンだ。パンはスープに浸して柔らかくしてからたべるらしい。

 村長は終始粗末な物しか出せず申し訳ないと恐縮していたが、実はこの食事は、イヨの価値観からすればとんでもないご馳走である。

 

 畑や牧草地を見た時から分かってはいたが、この世界の食材は全て天然の土と水、そして人の手で作られている。対して、イヨの常識からいえば食材とは工場で生産される物である。それも、本物の食材など祝い事の時でしか食べられず、普段口にするのは味と外見をそれっぽく作っただけの人工食品だ。

 

 工場では無く、汚染以前の手法で作られた食材はとんでもない高級品である。イヨの家は貧しくないが際立って裕福でも無く、そんな高い物は食べられなかった。

 初めて食べる天然の風土が育んだ食べ物。野趣が強く、味自体が濃い気がした。

 パンもなんだか体に良さそうな味がして美味しかった。

 

 この後のトレーニングも頑張れそうだな、とイヨはご満悦である。何度も言うが、彼の頭は単純なのである。家族との別離に泣いてから僅かに一夜。にも拘らず美味しくご飯を頬張れる神経は豪胆というか、冷淡というか。直面している物事に対して誠実とでも表現すればいいのだろうか。

 

 食事のあと、イヨは大きな声で行ってきまーす! と言って村長宅を出て行った。

 これから村の外周をランニングするそうである。

 

 なんとも元気で前向きな人だ、と村長は半ば感心しつつその背を見送った。




と云う訳で、冒頭の文章はランニング中のイヨの描写でした。

イヨは原作でモモンガ様が気付いた部分・可能性を考慮している部分にまるで考えが及んでいない為、既読者の方からすれば「あれ? そこスルーなの? なにも気付かないの?」な感じになりがちです。

他のプレイヤーとの敵対の可能性とかもある意味考えていません。人間同士相性の良し悪しは当然あると考えているので、現地人だろうとプレイヤーだろうと一緒くたに「まだ見ぬ人々」としてしか捉えていないからです。特別現地人とは分かり合えないだろうとか、プレイヤーなら悩みを分かち合えるだろうとかも思って無いです。彼の頭の中ではみんな「人間」でひとくくりですから。

次回は作者が捏造設定した国家・公国や大公のお話をします。短くなりそうです。

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