The_Chronicle_of_Marisa 作:霧子のエビの天ぷら
魔理沙が入院した日の翌朝、病院の受付にある人物が訪れた。見た目から判断するに、年齢はおよそ30代後半から40代前半といったところだろうか、もしくはそれ以上といったところか、と鈴仙は思った。
赤みのかかった紫、以前輝夜がこの色をワインレッドと名付け、結局大してお気に召さなかった色の和服と少し深めにかぶった服と麦わら帽子を着用しているためか、顔から感じられた大人びた妖艶さをより引き出し、どこか胡散臭ささえも感じる。
ふと、帽子の後ろから伸びた髪が目に留まった。
サラサラとして美しく、それでいて滑らかさを感じさせる金髪は、これから彼女を案内する先の病室にいる患者のそれと瓜二つだった。もし患者がこのまま年を重ねていれば、この人のようになっていたのかもしれないと鈴仙は思った。
「この病棟には目的の患者様もいらっしゃいますが、当然ほかの患者様も入院していらっしゃいます。病院にいるあいだはできる限りお静かにしていただけると幸いです」
「ご丁寧にありがとうございます、わざわざ案内までして下さるなんて……病院で騒ぎを起こさないのは大人として守るべきルールです、そう心配なさらずとも結構ですよ?」
「すみません、うちの病棟に来て患者との面会を希望する方には全員に言うことになってますので。それに、あなたはあの娘の
「……娘が多大なご迷惑をおかけしているようで……」
「……その分こちらからの依頼も引き受けてもらっているので何の問題もありません」
少しだけ、普段付き合いのない存在からは分からないほどに少しだけ声のトーンを下げ、言葉を溜めてからそういった。
ノックをすると、中から誰だ、と尋ねる声が聞こえる。どうやら寝ては居ないようだ。
「私、鈴仙よ。面会希望が一人いるんだけど……今大丈夫?」
鍵が開く音が響き、スライド式の扉が音も無く動く。
「……待ってたぜ。とりあえず中に入ってくれ。鈴仙、同席してくれないか?私としてはそっちの方がやりやすい」
「……了解。すみません、患者本人の希望ですので2人きり水入らずという形にはならず、私が同席する形となりますが……」
「鈴仙、そいつに許可とる必要は無いぜ。拒否したら帰ってもらうだけだ」
「あらあら、冷たい……彼女の陰の気質を引き継いだのかしら。私としてはどっちでもいいわ」
「決まりだな」
2人新たに魔理沙の個室に入り、パイプ椅子に腰をかける。
「久しぶり……魔理沙。だいたい20年ぶりかしら?」
「私としては二度とあんたのツラを拝みたくはなかったけどな。私ももう大人だ、一応礼儀は通しておいてやる……お久しぶりですね母様、相変わらずなようで少しほっとしました」
「そういうあなたはどうなの?……聞くまでもない、か」
すぐそばに箒とミニ八卦路を置いているものの、魔理沙の服はいつものゴシックスタイルではなく水色の入院服、髪の毛の先端は枝毛状に絡まっているため少しボサボサ、目元にはクマができ、少し痩せた状態だった。
「わかってるなら質問しないでくださいよ……疲れるんだから……時間が惜しい、さっさと本題に行きましょう」
「そうね……こんな手紙を寄越しているのだもの、よっぽどの案件なのでしょう?」
「あなたにとってはどうでもいいかもしれませんが、ね。少なくとも私にとっては重大な件であることに変わりはありませんよ。鈴仙、話してもいいよな?」
「私にそのことを禁止するような権限はないわ。あったとしてもしないけどね」
「そっか、ありがとう──母様、私……あと少しで死にます」
「…………は?」
魔理沙の母、霧雨有梨沙は理解ができないと言った感じで目を白黒させている。
「嘘、よね?あらやだ、あなたったらしばらく見ない間にすっかり冗談が上手くなったわね」
「嘘じゃねえよ。私だって好きでこんなところにいるわけじゃない!」
「魔理沙、落ち着きなさい!……有梨沙さん、信じられないという気持ちはわかりますが、これは紛れもない事実です」
「嘘……嘘よ、そんなわけない!」
「お気持ちは痛いほどわかります、ですが一旦落ち着いてください。他の患者にとって迷惑になってしまいます」
凛と済んだ声が病室に反響する。
「師匠……!!」
「あなた……誰?」
「霧雨魔理沙の主治医をやらせていただいております、薬師の八意永琳と申します」
「主治医……」
「魔理沙、検査の時間よ。水分を飲んでおきなさい。長丁場になるから」
「そんなにかかるのか……わかった、水を飲んだらすぐに行くよ」
「うどんげ、魔理沙をMRIまで連れていきなさい。機器のスタンバイは既にてゐにさせてあるから、多分着く頃には開始できるでしょう」
「了解です師匠!魔理沙、私の肩に捕まって」
「あ〜、悪いな……」
「いいのいいの、歩けるうちに歩いた方が健康にいいもの」
「霧雨有梨沙さん、あなたにも検査に同席してもらいます」
「……?」
「そっちの方がいろいろと説明しやすいですし、検査後すぐにあなたにも彼女の体の状態と今後の治療計画をお話しようかと思います。構いませんね?」
「……はい」
「協力感謝します。実力行使をせずに済んで安心しました……ではこちらへ」
入院病棟から少し診察室よりに言った場所に多数の検査室を集めた空間がある。その中の一室、上にMRIとだけ書かれた部屋の中に、指紋認証を通した後に魔理沙と鈴仙、そこから少しして、魔理沙と鈴仙が入った部屋の隣に永琳と有梨沙が入室した。
「なあ鈴仙……さっきの機械なんだありゃ……お前が触れたら勝手にドアが開いたけど……」
「指紋認証システムよ。ここにはこの機械も含めて精密機器がいっぱいあるからね、ほぼ無いとは思うけど、万が一患者が迷い込んでも開くことのないようにこれでロックをかけてるの」
「そいつはまた……大層なことで」
「それだけ勝手にいじられると困るってわけよ。魔理沙、そこの台に寝てちょうだい。別途に比べるとちょっと硬いけど我慢してよね」
「検査なんだろ?文句言わねえよ」
魔理沙を仰向けに寝かせた後、鈴仙はなれた手つきで魔理沙の体が動かないように固定する。その作業が終わったあと、魔理沙を部屋に残し、入ってきた時とは別の扉を開けて隣の部屋に入った。
「師匠、準備終わりました。いつでも行けます」
「てゐ、機器のスタンバイは?」
『10分前に終わってますよ先生?』
部屋の角に付いている小型のスピーカーから、姿の見えないてゐの声が響く。それを聞いた永琳はひとつ大きく息を吐くと、マイク越しに魔理沙に話しかけた。
「魔理沙、今から検査を開始するわ。動けないとは思うけど、詳しくデータが取れないから動かないようにね。では今から、検査──開始」
永琳が手元にあるスイッチを押した直後、機会が魔理沙の体を飲み込み始めた。その様子を確認した永琳はそばに置いてあった複数のディスプレイに、獲物を狙う鷹のような視線を注ぐ。
脳から肺までは画像の解析幅も荒く、永琳自身も流し見程度だった。
「師匠、そろそろ腹部に差し掛かります」
「了解よ。魔理沙、ここから画像の解析度上げるために移動速度を低下させるわ。長期戦になるけど……頑張ってちょうだい」
「先生、一体いつまで……」
「すみません少し黙っててください。ここらかが正念場なので」
有梨沙の問に一切の隙間なく答えた永琳は目を見開き、四方八方に瞳孔を動かし、3秒で切り替わる画像をくまなくチェックしていく。そして、ディスプレイから一切目を離さずに時折数字だけを打ち込んでいく。
それから数時間経って、MRIによる検査は終了した。
てゐが魔理沙を部屋に送った後、永琳、鈴仙、有梨沙の3人は個別診察室にいた。
「……必要な画像は……これと、これと、これと……よし、これで全部ね」
「あの、先生……あの娘は……」
「……そうですね、材料も揃いましたし、話してもいいでしょう。単刀直入に、最も大きい症状をいうと、癌です」
冷静に、少し曲げたら冷酷とも取れる口ぶりでそう告げた。
「……どうにか、ならないんですか?」
「無理です。我々に出来るのはせいぜい無理矢理でその場しのぎの延命措置程度ですよ」
ボロボロに破け、綿が飛び出た人形を色鮮やかな糸で縫っても、それは元の人形じゃないでしょう?と突き放すように告げた。
鈴仙は何も言わなかったが、一抹の不安を感じていた。人間の親は自らの子の死に対して過剰な程に拒絶反応を示す。自分の中で何が何でも否定して、それを肯定するものに対しては時に瞬間的に湧き上がる殺意に身を委ねることすらある。そしてこの傾向は──とりわけ母親には強く現れる。
その予感は的中した。突如有梨沙が立ち上がりいきなり永琳の首を締め始めた。その目が怒りの色で染め上げられていることは、日の目を見るよりも明らかだった。
「ちょ、何してるんですか!?」
「うどんげ、手を出す必要は無いわよ。すぐ終わるから」
首を締められているにも関わらず、表情を一切買えることがない。そのことがさらに有梨沙を激昴させる。
「先生、あなた……魔理沙の主治医だって言ったわよね?」
「そうですね、言いましたよ」
「……じゃあ魔理沙を助けなさいよ、魔理沙の病気を治しなさいよ!それが医者の仕事でしょう!?」
「あ、あの、落ち着いて…」
「ウサギは黙ってて!!」
その言葉を聞いて、永琳の目にはただただ、軽蔑しか無かった。軽蔑以外の一切が消え失せていた。
「残念な人……あの娘の母親っていうんだからもう少し聞き分けのいい人を期待してたんだけど……期待はずれね」
腹部に拳を叩き込み、たった一撃で意識をすべて刈り取った。
「し、師匠!?何やってるんですか!?」
「何って、ゴミ掃除。今回のゴミはよく喋るゴミだったわね……あぁ五月蝿かった。うどんげ、このゴミ外に出してきてくれない?」
「だ、出すってどこに……?」
「人里の霧雨魔法店の裏に収集場があったはずだから、また騒ぎ出す前に捨ててきてちょうだい」
「ち、ちょっと扱いが雑じゃないですかね……?」
「あら心外ね。
「程度!?程度ってなんですか!?立派な傷害罪ですよ!」
「いいからさっさと行きなさい。鍋の具材にするわよ?」
「ヒィッ、それだけは勘弁してください……行ってきます!」
鈴仙と入れ違いに、長い黒髪の、永琳と比べて少し小柄な女性が部屋に入ってきた。
「ねえ永琳、さっき鈴仙が持っていったあれ何?」
「姫様、お気になさらず。ただの生ゴミです」
「生ミ=ゴ?」
「生ゴ=ミです。そんなどこぞの神話に出てきてSANチェックしそうなもの鈴仙に運ばせるわけないでしょう?」
「それもそうね。あなたなら地下室に運んで革を燻製に、臓器類はホルマリン漬けにしそうだもの」
「大体合ってますけどそれ聞くとただの猟奇的趣味ですね」
「大体合ってるとかいう時点でアウトよ」
「……今日は、反省会ですかね?」
「もちろんよ。寝かさないから」
そんな他愛もない会話をしていると、また1人室内に入ってくる。
その人は、青く綺麗なドレスがところどころ擦り切れ、顔や腕に泥が付着し、手には籠いっぱいの不気味な茸が乗せられているという、なんとも珍妙な格好だった。
「え、永琳……!!例の、例の物取ってきたわよ!」
「あらアリス、久しぶりね」
「……あ、ど、どうも……」
「フム、確かに受け取ったわ。──姫様、少し薬の調合を行います。手伝っていただけませんか?」
「え?でもあなたの能力……いや、何でもないわ。そういうことなら、先に調合室で待ってるわよ」
「はい、では後ほど。アリスさん、今日はどうする?面会時間はまだあるけど、魔理沙に会っていく?」
「……いや、今日はやめておくわ。あの娘に負荷をかけたくないし。それに、昨日から寝てないし風呂にも入ってない……帰って風呂に入って寝たいわ」
「そう……それなら、今日はうちに泊まっていきなさい。お礼も言いたいし、うちの薬湯は疲労にいいのよ?」
「……あなたがそう言うならそうなのでしょう。なら……お言葉に甘えてみましょう」
「着替えは和服があるから、それ使ってちょうだい」
「了解よ。それじゃあ、今日はよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくね」
時同じくして、魔理沙の病室には顔にガーゼを当てたパチュリーと、腕や足の一部に包帯を巻いた小悪魔が来ていた。
「……そう、そんなことが……」
「悪いな、余計な心配かけさせてしまったようだ」
「あなたはそうしたかった。私も連れてきたかった。私たちの願いがぶつかりあった結果、あなたの願いが勝っただけのこと……いつかはこうなる運命だったのよ。これからどうするの?」
「これから、か……なーんにも考えてないや」
魔理沙はベッドから体を起こし、窓から晴空の下の庭を見下ろした。
「今まで散々エンジンふかして生きてきたから、動けないときでやることがわからなくなっちまったのかも知れないな。ただなぁ、この本もあるし……」
魔理沙が手に持ったのは、魅魔から渡された、中身のない本だった。
「何その本?うちの本じゃないわよね」
「魅魔様…いや、私の師匠から渡されたんだ。この本は私のための本だって。いつの日か、この本の真名が刻まれるその日まで、なにか書けって」
「何書いてるの?私にも見せなさいよ」
「えー、なんでだよ……」
「いいじゃない別に」
「パ、パチュリー様、流石に人のプライベートに土足で踏み込むのは……」
「小悪魔、あなたも気になるでしょう?魔理沙が書いてる痛々しいポエム……」
「そんなもん書いてねえよ!」
「気になります!」
「小悪魔ァ!?」
「魔理沙さんの黒歴史ですよ!?一生に一度拝めるか拝めないかの代物ですよ!?」
「ふざけんなコラ!」
「この娘の黒歴史はもうあるわよ。えっと確か、『うふふ』──」
「ちょっとお前ら表でろ顔面にマスパ当ててやる」
「はいはい、病人が興奮しない興奮しない」
「ぐっ……!」
「しかし、気になりますねその本……何なのでしょう?」
「わかったら教えてよね」
「分かった時お前らがいたらな」
「私たちは一旦紅魔館に帰るけど、多分そう遠くないうちにまた来るわよ。今度は妹様を連れて」
「おいおい、あいつ大丈夫かよ……?」
「妹様も能力制御上手くなってるから大丈夫でしょう。スペルカードも置いて行かせるし」
「不安しかねえ……まあ、そういうことなら、あまり期待せずに待っておくよ」
「ではまたいつの日か。御機嫌よう、魔理沙」
「お大事に〜」
来客が帰った後、窓から再び空を見上げる。
数日前とは違って雪は降っていなかった。世間はそろそろクリスマスの準備で忙しくなる頃だろう。春の足音はおろか、新春さえまだまだ遠くにありそうな時期である。
──あと、どれぐらい生きていけるだろうか
そんな疑問が頭から離れない。少し頭の回転が鈍くなった頭で、ボーッと外を見る。窓を開け放ち、くすんだ空気を入れ換えようとした。その時入った風が、頬をなで、髪の隙間を通り抜ける。
そして、まるで日記帳のように出来事が綴られた本のページをパラパラと捲った。