The_Chronicle_of_Marisa   作:霧子のエビの天ぷら

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第17話 崩壊しゆく幻想

 ゆっくり、ゆっくりと目を覚ます。上には見慣れない、約3ヶ月間見続けてきた天井とは違った物が広がっていた。口の周りに違和感がある。朧気な視界にピントを合わせつつ、手で口元をまさぐる。滑らかで、角を持たない四角錐の物体に手が当たった。口元から引き剥がそうとしたが、腕に力が入らないからか、数ミリ浮かんだだけで外れると言った感覚はない。

 

 次に手を伸ばしたのは腹部だ。少しだけ違和感がある。……なにか、医療器具でも入れられているのだろう、麻酔がかかったかのように腹部の感覚が混沌として明確としない。何が入っているのかはわからない、しかし、この機器で生かされていることは間違いない。

 

 力なく、両手をベッドに倒した。足の方へ。当たるはずの肉が無い。有機物質がない。柔らかさと弾力と芯の通った硬さがあるはずの、それが無い。

 

 そう、足がない。

 

(あぁ、そういえばそうだった……)

 

 視界も、感覚も夢や幻想の類の中にいるような感覚である上に、塗りかぶせるように魔理沙は朧げな記憶をたどった。

 

───私、足を切断したんだ。

 

 

 

 

 

 現実が簡単に変わらないことに相反して幻想世界はあっさりと表情を変える。それは敵から味方へ、天使から堕天使へ、神から死神や悪魔へと変わることとよく似ている。

 

 でもこれは──あまりにも唐突で、理不尽ではないか?

 

 そうアリスは思った。魔理沙が起きたことは視認できる。腕がハッキリと動いているためだ。

 

 魔理沙の体に何が起きたのかは全貌はわからない。把握しきれない。だが、今の私では救うなんていうことは、到底不可能なことは嫌というほど理解していた。

 

 「なんで……なんでこうなっちゃうのかしら……?」

 「正直、私にも分からないよ。人間の寿命がいくら短いとはいえ、こんなに……」

 「どうにかして、救えないかな……」

 「それは今のあなた程度のちっぽけな存在では絶対に不可能よ、断言してあげるわ。母親として、ね」

 「!!………神綺様……」

 「おいおい、それはあんまりじゃないか?」

 「あなたは黙っててなさい魅魔。連絡をくれたことは感謝するけど、娘に道を指し示すのは母親の仕事よ」

 「……神綺様、さっきのどういう事ですか。絶対に不可能って」

 「そのままの意味と考えてくれて結構」

 「この世界に、幻想郷で絶対に不可能なことなんて……!!」

 「ないと本気で思ってるの?なら片腹痛いわ、本当に愉快で愉快でたまらない」

 「で、でも魔理沙は!実際二何度もやってのけました!私にだって……」

 「まだ気が付かない、か。恋は盲目というべきなのかしらね?……アリスちゃん、それが実現できたのはね、この子には力があったからよ。絶対に勝つという鋼の如き意志の力、その意志を遂行するだけのパワーがあったからこそ、彼女は奇跡を起こした、違う?」

 「そ、それは……!そうかもしれません……」

 「あなたには何もかもが足りないのよ。力も衰える一方、その癖して精神は迷い、弱さを露呈させて貧弱なものになっている。その癖していっちょ前に救おうだなんて……ちゃんちゃらおかしい、神様にでもなったつもり?」

 

『ア、アリ……ス……?そこに、いるのか……?』

 「!!魔理沙!!そうよ、私よ!ここにいるわ!」

 「魔理沙……目を覚ましたのか!」

『あぁ、魅魔…様、それに……神綺様じゃ、ないですか……お久しぶりです……』

 「久しぶりね、魔理沙」

『は、はは……情けない……とこ、見せて……申し、わけな……い……』

 「魔理沙、もういい、もう……喋るな……!」

 魅魔の言葉を聞いてか否か。魔理沙は再び上を向き、眠りについた。

 

 

 

 

 

 それから約1分後、沈黙を破ったのはアリスだった。

 「……神綺様、あなたはさっきこう言いましたよね?『今のあなたじゃ救えない』、と」

 「……えぇ。確かにそう言ったわ」

 「なら、方法はあるんですよね?私に力と意志がないだけで、術はあると解釈していいのですよね?」

 「……!そうなのか、神綺!?」

 「……あるわ。一つだけ。たった一つだけ、この状況を打開する術が」

 「教えてください。その方法を、その奇跡を起こす方法を!」

 

 少しだけ、場が静まった。

 

 「……覚悟は、あるのね?」

 「そんなもの、既に出来ています。あの娘の、魔理沙ためならば、この命くれてやりますよ」

 「よく言った、それでこそ我が娘、私の最高傑作よ!」

 「!!そ、それじゃあ……!」

 「──あとで、魔界に来なさい。渡すものがあるわ。魅魔、その娘のこと、頼んだわよ」

 「……アリス、って言ったか。よろしく頼む。今のところ、頼みの綱はあんただけだ」

 「……はい」

 「先に行って準備してるわ。それじゃあ、またあとで」

 不敵な笑みを浮かべると、まるで空気に溶けるようにして、神綺は消えていった。

 

 

 

 

 

 魔界の中央には神殿がある。神殿はそこに建てられた、というよりむしろ魔界が神殿から生じたと言った方が適切であることを知るものは少なくない。

 「おかえりなさいませ神綺様」

 「お疲れ様でした、お食事の用意をしましょうか?」

 「お迎えありがとう、幻月、無月。食事は後でいいわ。これから来客があるから」

 「なるほど、ではその方のおもてなしを?」

 「そんな余裕はないから気にしなくていいわよ。ちょっと物を渡す人がいるぐらい」

 「……?」

 「その間は悪いのだけど、外にいてくれないかしら?ちょっと、内密に話したいから……」

 「畏まりました。……最近は何かと物騒です。お気を付けて」

 

 大きな木製扉が閉じる。1人きりで広い部屋に残された神綺は、不意に本棚に手を伸ばした。そして1冊の本を手に取る。多種多様の魔法理論、魔法論理のイロハから超一流と呼ばれるものでも扱える存在が限られる魔法を扱うものが平然と陳列している中でもその本は露骨に異質だった。

 

(……この本。この本はあの娘のために私が作ったもの。渡す期待はいつか来るとは思っていたけど……こんなに早くに来るとはね……)

 

──あの娘に感謝しなくちゃかな?

 

 直後、鋭く切り裂くような閃光が背後から瞬いた。

 

 「……予想より少し遅かったわね。でも、来てくれて嬉しいわ、アリスちゃん」

 「……神綺様。要件をさっさと済ませましょう。もう時間は余り残されていないことは明白」

 「……分かった。この本を持っていきなさい」

 

 神綺は手に持っていた、異質な本を投げ渡した。

 

 「……これは……」

 「死者と生者の書。かつてグリゴリオ・アルレウスが死神と契約を交わした際に手に入れた叡智を結集させた、ありとあらゆる病を治す術が書かれているとされている魔道書」

 「通称──ネクロノミー・オリジン。なるほど、この本なら……」

 「治せるかもしれないわね。でもこれは曰く付きだってこと、忘れてないでしょうね?」

 「勿論です。この知識を手にした時、知識を得たものから一番大事なものを奪う。ある時は命、ある時は名声、ある時は富……そうやって、今まで流れてきた」

 「私の要件はこれで終わりよ。さっさと行きなさい。お姫様が待ってるわよ?」

 「……有り難うございます、神綺様。この恩はいつか必ず……!!」

 

 神綺の家から病院に戻った後、アリスはひたすらに書を読み続けた。大事な友達を、決して失いたくない存在を助けたい、その一心で。

 

 その書によると、どうやら術の行使のためにはいくつかの材料が必要なようだ。幻想郷に広く分布しているメジャーな薬草からあまり見ない茸や果実類まであり、その量はかなり膨大であった。

 

 その事実を知ったアリスは本を手にしたまま脱兎の勢いで外に飛び出した。焦りと期待とをごちゃ混ぜにした表情を、この時彼女は初めて浮かべた。

 

 

 

 

 

 一方その頃、永琳は少し、いやかなり焦っていた。傍から見るとそんな素振りは一切無かったが、内心ではあと数秒で爆発する爆弾の前にいるような心境だった。

 

 人に不老不死を与える蓬莱の薬が有効打とならない。考えうる限りのありとあらゆる薬を投与した。しかしそれでも状況は全く改善しない。それどころか日を追うごとに、1分1秒ごとに状況が悪化していく。自分の努力を、懸命の治療を嘲笑うかのように病魔は魔理沙の体を食い荒らす。

 

──何がありとあらゆる薬を作る程度の能力よ。

──目の前の患者一人助けられないじゃない。

 

 苛立ち。自己嫌悪。助けたい人が目の前にいるのに助けられないことに対する絶望、喪失感。

 不意に机の上に目をやる。そこには様々な色の空の褐色瓶が転がっていた。その光景が目に入った瞬間、意識が少しなくなった。

 

 気がついたら、床には砕けた瓶と散乱した紙類が無造作に広がっており、肩を大きく震わせていた。

 「し、師匠!?これは、一体何が……」

 何も答えず、ふらふらと足を運び、力なくベッドに座り込んだ。

 「……大丈夫ですか?最近働き詰めですし、少し休んでみては……」

 「……いや、大丈夫よ。私にはまだやらなければならない事があるもの」

 「ですが……」

 「あなたが心配してくれてるって言うのはよくわかるわ。でも患者が待っているのでしょう?」

 少し疲れが浮かんだ、やつれた笑顔を見せた。

 

 「……!!」

 「ごめんなさい散らかして……すぐに片付けるから、患者さんには扉の前で待ってもらっててもいいかしら?」

 「師匠……分かりました。あなたがそうおっしゃるのであれば──次の方は扉の前でお待ちください!」

 

 片付けながら永琳は口を開いた。

 「うどんげ……これからのことはよく見ておきなさい。医学を、薬学を、己の実力を過信した結果どのような未来が待ち受けるのか…あなたにとってもいい教訓となるケースでしょう」

 「……?」

 「無論諦めるつもりは毛頭ないわ。そんなことしたらそれこそ本当にあの娘たちに顔向けできなくなる……治療を諦めることは、患者を見捨てることと同義だもの」

 「……師匠がひとりで抱え込む必要なんて無いですよ。私は八意永琳の一番弟子です。あなたの問題は私の問題……あなたが悩んでいることは私も一緒に悩みます。私も一緒に考えます。私たちはいままでそうやってこの永遠亭を切り盛りしてきたんじゃないですか」

 永琳のそれとは対照的に、明るくて優しい笑顔だった。

 「……ふふ、私な〜に悩んでるんだろ。賽は投げられたって、とっくに分かっていたのに。なんだか悩んでたのが馬鹿らしくなってきちゃった。──うどんげ、ありがとう。お陰で大事なことを思い出せた気がする。さぁ、さっさと続きをやっちゃいましょう!」

 「!はい!次の方、どうぞ中へ!」

 

 

 

 

 

 ICUの中では魔理沙はまだ横になっていた。体の自由も効かず、動くのは腕だけ。誰かがいるような気がするが、少し視界が定まらない──まるで、濃い霧の中にいるようで。少し寂しくて、悲しくて、孤独感を味わった。

 

──まだ、飛べるかな?

 

 身体に意識を集中させようとするも、いかんせん魔力が無さすぎる。入院前の時と比べると、もう0.1%も残ってないのではないか?と疑えるほどにだ。

 自分の腕には点滴が刺さっている。胸には10個を超える電極が貼り付けられ、右手側にある心電図モニターからは分間に58回の無機質な電子音が響く。

 

──力を奪われ、翼をもがれ、足を失った私に未来はあるのか?生きる価値は……あるのか?本当にあるのか?

──わからない。なぜ自分がまだ生かされているのか。なぜあの時に死ななかったのか。なぜまだ生きることを望む存在がいるのか。もはや今の私は抜け殻、搾りかすと言っても過言ではない。むしろそちらの方が表現的には正しいとさえ思える。

──あの本も意味がわからない。魅魔様は何を狙ってあの本を渡したんだ?私のための本、私のために作られた白紙の本。何が言いたかったのだろう。

 

 回路は鈍くても、思考がままならなくとも、考えることは出来る。思いを馳せることは出来る。しかし、それ以外のことは出来ない。

 

 歩けず、動けず、見れず、戦えず、立てず……人間として出来て当たり前のことが何一つできない。情けない、無力すぎて情けない。情けなさ過ぎて、涙が溢れるぐらいに情けない。

 

 小さく咳き込むと、口から血が吹き出て人工呼吸器の内側を赤く塗った。

 

──なあ霊夢。お前なら……お前がこの状況にいるとするなら、お前はどうするんだ?

 

 この場に一番いて欲しい、この場にいない友に向かって、答えが返ってこない問いを投げた。

 

 

 

 

 

 風がときおり強く吹く中、霊夢は今日も空を見上げていた。昨日泣きじゃくったようには見えず、どこか大人びていて、近寄り難い美しさがあった。

 

 違う点があるとするならばその目がいつもとは違って焦点が合っておらず、虚ろだったという点だろう。

 「……霊夢?どうしたの」

 「……紫様?いかがなさいましたか?」

 「霊夢が反応しない……いつもなら後ろに立っただけで呼ばれるのに……」

 「……変ですね。肩を揺らしてみましょうか」

 ユサユサと前後させるも、手から箒が滑り落ちる程度で反応は無い。

 「……霊夢……?」

 「……あぁ……なんだ、紫か……」

 虚ろな目のまま答える。その眼に光が宿らないまま。

 「霊夢、大丈夫なの?最近変よ?」

 「紫様の言う通りだ。少し休んだほうがいい」

 「……あんたらに心配されるほど、私は堕ちぶれちゃいないわ」

 「……でも……」

 「そうだぁ、いいとこに来てくれたわ」

 不意に、不自然なタイミングで、不気味な笑顔を浮かべた。

 「ちょうど1人でやるのも退屈だったの。だから私たちで、花火をやりましょう!」

 「花火……?正気か!?今はまだ3月だぞ!?」

 「……いいじゃない、やりましょうよ。いいわよね?紫」

 「霊夢……あなた……」

 「あぁ~いい遊び相手が出来た!やはり持つべきは友よねぇ。そう思わない?」

 ごちゃごちゃと、決していいとは言えない手際で乱雑に準備を始める。その瞳は未だに虚ろのままだった。

 「紫様、これは……」

 「慌てちゃダメよ。こうなることは元々シュミレート済みだったでしょ?」

 「はい。ですが……」

 「確かに、ここまでとは……ちょっと予測が甘かったかしら」

 紫と藍、二人の目線は霊夢に注がれていた。心が壊れたかのように、脳機能が失われたかのようにイカれた様相を見せる彼女に。

 

 「何やってんのよ紫、藍!さっさと始めるわよ~」

 「今行くわ~。──藍、もしもの時は……」

 「わかっています。力ずくでも抑えます」

 「よろしい。それじゃあ行きましょうか。私たちの、ひっそりとした、水面下の戦争に」

 

 こちらに向かって笑顔を向けて手を振る霊夢は幼い少女のようだった。もしその笑顔も幼い少女のあどけなさがあれば紫と藍も何ら迷いなく近寄っただろう。

 

 もし仮に──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女の笑顔が、狂っていなければ。

 

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