The_Chronicle_of_Marisa 作:霧子のエビの天ぷら
八意永琳が帰ってから一日が経った。夜空には星が瞬き、月光が魔理沙の顔を照らしていた。
魔理沙の頭には、彼女の──八意永琳の言葉が反芻されていた。
『手術を受けなさい魔理沙。そうしなければ、近いうちに三途の川を渡ることになるでしょうね』
(近いうちに死ぬ、か……)
今まで想像さえしていなかった死という現実が今になってようやく現実味を帯びてくる。ふと、5年前の夏のことを思い出した。
あの日はとても暑い日で、蝉がとにかくうるさかった。涼むために冥界に行った時、西行寺幽々子としたある会話が思い出す。
「ねえ魔理沙。あなた、本物の魔女になるつもりは無いの?」
「あ?なんだよ突然……」
「捨虫の魔法、修得するつもりは無いのかってことよ」
「あー、それか……ないな。絶対にない。今はないし、多分未来永劫ない」
「なんでそう言い切れるの?」
「捨虫の魔法ってさ、完全な魔女になるための必須魔法なんだよな。人間よりもはるかに長い寿命を得られ、実質的に老いることがなくなるヤツ」
「そうよ?………それがどうかしたの?」
「私が否定したのはそれが理由だ」
魔理沙がそういうと、幽々子は口元を扇子で隠して目を丸くした。
「私はさ、人間であることが楽しいんだ。そりゃあ長く行きたいっていう希望もあるぜ?でも、人間をやめちゃったら意味が無いんだよ。私は人間だ。そのことはほかの誰よりも自分が良く知っている。人間であるからこそ見える景色、感じれることがある。それが見えなくなっちまうのは困るし、そうなっちまったら私が今まで頑張ってきたことが意味をなさなくなっちまう。それは嫌だからな、私は完全な魔女なんてものになる気は無いぜ」
「………そう、それがあなたの答えなのね」
「悪いな幽々子、せっかくの提案なのに」
「あなたの意志の固さはあった時から変わってないもの、ここまで言い切ったってことは、もう私が何を言っても無駄なんでしょ?」
「へへ、まあな」
「ほんと、あなたって人は……8年前、ここに始めてきた時から何も変わってないのね」
「そういうお前らも、だろ?」
あの時の決意は未だに変わっていない。たとえ儚く散る命だったとしても………それもまた一興だとさえ魔理沙は考えていた。ベッドから降りて月を見上げる。2年前霊夢やレミリアと共に乗り込んだあの場所がとても遠くに感じられた。あの時はあれだけ近いと感じた場所がとてつもなく遠く感じる。
(死ぬ間際に何をするか……か。まともに考えてこなかったけど、やっぱり相場は決まってるよな!)
腕から点滴の針を引き抜き、ベッドの上に無造作に放り投げる。備え付けのタンスを開けて中からいつもの服を取り出し、袖を通した。長袖ではあったが薄手で、冬に着るには少し寒いように見える服だったが、今は寒さを全く感じなかった。むしろ、ワクワクと高揚で体が火照り暑いぐらいだった。
(みんなに謝るのは………後でいいや)
窓を静かに開け放ち、月光の降り注ぐ雪原へと放棄に跨って窓から降りていった。
夜は常闇のように深く、昼間とはまったく違う世界の様に感じさせる。こんなにも深い夜の中でかけるのはいつ以来だろうか、とても懐かしいもののように感じた。
門を越え、紅魔館から飛び出そうとしたその時、後ろから声をかけられた。
「待ってよ魔理沙」
振り向かなくても誰のものか分かる、懐かしい声だった。紅魔館に来て初めて出来た友の声だった。
「ねぇ魔理沙、もう行っちゃうの?」
「……ああ」
「どうしても?」
「どうしても、だ。私には、やらなきゃいけないことがあるからな」
「一言ぐらい挨拶してくれても良かったのに……」
「すまないフラン。忙しくてな。次にここに来たら、今度はお前の部屋に行くよ」
「本当に?」
「勿論だ、約束する。……私は、大事な友達との約束は破らない人間だからな」
決して振り向かない。
「……じゃあさ、弾幕ごっこ、しようよ。私、前にやった時よりずっと強くなったんだよ?パワーも上がったし、美しさだって………」
「ほー、そうか。そいつは楽しみだな」
「じゃあ……!」
「でもダメだ」
振り向かず、突き放すように言う。
「……私には、やらなきゃいけないことがあるんだ。今はお前とは、遊べない」
「魔理沙………」
「次私が来た時は、もう弾幕ごっこはしたくないって言うぐらいまで遊んでやるよ」
「……本当に?」
「……ああ、本当だ」
「本当の本当に?」
「疑り深い奴だなお前も。言っただろ?『大事な友達との約束は破らない』ってさ。だからさ──待っててくれ
」
「うん、うん!わかった、ずっと待ってるよ魔理沙のこと!」
「………じゃあな、フラン」
「絶対の絶対、約束だからねー!!」
魔理沙が飛び立ち、常闇の空に消えたあとは、ただ、フランの声だけがこだましていた。
「はぁ………魔理沙、なんで……なんで私にも隠すのかなぁ」
涙が溢れ、頬を濡らす。日が昇っていた頃の騒動もあり、もう魔理沙と会えないのではないか。そういう気持ちが、心を満たしていく。
「あれ……おかしいな。悲しくなんか、ないはずなのに………」
拭っても拭っても、紅い双眸から溢れる涙は止まることを知らなかった。
「うっ………ひぐっ………グスッ……魔理沙ぁ………」
溢れでた涙が頬を伝い、積もった雪を溶かしていった。
「何泣いてんのよフラン、情けないわね……それでも私の、誇り高き吸血鬼の妹なのかしら?」
「お、姉……様……」
涙を拭い、レミリアの方へと振り向く。
「べ、別に泣いてなんか……!」
「嘘が下手ねあなたも。すぐそうやってわかりやすい嘘をつく。──目、真っ赤よ?」
「……何しに来たの」
「私の家よ、どこ歩こうが勝手じゃない?」
「そうか、私を連れ戻しに来たんだ。またあの部屋にブチ込むために」
「はぁ………フラン、ちょっとこっち来なさい」
不審に思いつつもふわふわと飛んで近づくフラン。少しして、レミリアの元へたどり着いた。
そして。
──パチン
頬をひっぱたく音が響いた。
「……な、何すんだよ!」
次の瞬間、フランはレミリアに抱き締められていた。
「ほんっと、馬鹿ねフラン………どう使用もなく馬鹿で、不器用で、嘘が下手っぴで……」
「な、ななな何すんだよ!離せよ!」
「嫌よ。───ねぇフラン、よく聞きなさい。涙を我慢する必要性なんてないの。泣きたい時はね、思いっきり………泣けば、いいのよ」
「………お姉様?」
フランは、レミリアの言葉が少し震えていることに気がついた。それが、レミリアが泣いているからだと気がつくのに少し時間がかかった。
「お姉様……泣いてるの?」
「バカね……そんなわけ、ないじゃない……」
「嘘、バレバレよ……」
「どれだけ運命を操っても、魔理沙の運命を変えられなかった……どれだけ努力を重ねても、魔理沙は近いうちに死んでしまう。私の能力で、どんな運命でも、どんな悲劇でも回避できると思っていたのに……」
「お姉様、魔理沙は………あと……」
「このままだったらね…もって、あと半年」
「半年、あとたった半年なんだ……」
吸血鬼という種族は人間や魔法使いと比べたら果てしなく長寿である。自分たちが取り残されていくことはもうわかりきっていたことだった。全部理解して、覚悟は既に決めていたはずなのに………2人の目からは、大粒の涙が溢れて止まらなかった。
その涙は夜の雪原に落ち、消えていった。
「いいんですか咲夜さん?あの2人を放っておいて……」
「いいのよ。あの2人はもう、私たちがここに来た15年前のあの2人じゃないもの」
「それもそうですけど、心配と言いますか……」
「心配症ねえ美鈴は。───大丈夫よ、きっと」
「魔理沙さん、行っちゃいましたね。追わなくていいんですか?」
「行かせてあげなさい。人が最期にする事は、人生の最期を彩るのに相応しいと思ったことなのよ。邪魔するのは、野暮ってものじゃない?」
「咲夜さんも、そうするんですか?」
「んー………どうかしらね。私はあの2人の傍にいれるだけで十分だし、ここ以外には行くあても大した思い出もないし……出来ることなら、私は最後の最期まであの2人の従者でいられたらとは思うわ」
咲夜と美鈴は、静かに2人を照らす月光を達観したかのように見上げるだけだった。
翌朝、魔理沙がいた部屋はざわめきが起こっていた。
「ちょっと、どうなってるのよ!?なんで魔理沙が部屋にいないのよ!」
「お、落ち着いてくださいパチュリー様……」
「落ち着いてるわようっとおしい!」
「あの子、点滴を無理やり剥がして行ったってわけ?無茶苦茶を………ねえ咲夜、あなたは何か知らない?」
「いえ……私は何も」
「とにかく探しましょう。あの子はそう遠くに行っていないはず」
「見つけたらロイアルフレアの後に説教ね」
「……殺さないでよね?」
「善処するわ」
晴天の中、魔理沙はただ1人で空を駆けていた。口元には無邪気な笑みがこぼれる。
自分の目標に向かって、一心不乱に飛び続けていた。
「まずはあそこに行くか。頼んでいたものも出来ているだろうし……うん、それがいい」
「おそらく魔理沙が最初に向かうのは……」
「最初に向かうべきは……」
「「妖怪の山、河城技術工房」」
追うものと追われるもの。病人とそれを心配する友人の意志が交錯する、幻想郷史上最大の逃走戦が、今その火蓋を切った。
それぞれの意志を持った役者は第一の舞台、妖怪の山へと集結していった。