「春雨」
雨が、降っていた。
しとしとと振り続けている雨はまさしく春雨という言葉にふさわしくて、そんな、日本の季節というものを体現しているかのような雨が降りしきる日の午後、マエリベリー・ハーンは友人との待ち合わせ場所に向かっていた。
雨天決行雷雨強行。昨日の23時も回った頃に突然かかってきた電話はテンポの良い言葉を告げた。その時点で、明日の天気予報はすでに雨傘マーク。だが、友人の蓮子はそんなことにもお構い無しで、要件だけ告げるとすぐに電話を切ってしまった。
この日本という国の旧都である東京では、かつてその首都の中心部を繋ぐ円形の線路を走っていた電車も既に半分が廃線になり、車という環境汚染瓦斯を撒き散らす前時代的乗り物もほとんど淘汰され、その上を走るものの消えたアスファルトの道路はひび割れてしまったようなこの時代。
当然、現在の首都である京都にいてもその傾向は変わらず、人々はこの縦横無尽に道路が張り巡らされ、元は正方形であったという陰陽五行説の夢の果てのような都を歩き回る事になるのだ。なのに雨なんて、本当についていなかった。
雨が降ってしまっては、どこまでも古いものを維持しようとするこの国の千年の都と呼ばれる地の風景を楽しむこともできず、一方でこの科学世紀に至り未だに発展を続ける技術と同じでいつまでも新しくなり続け、天に向かって伸び続ける新時代の建築物群を眺めることもかなわず、どこまでも単調に単調に雨煙に燻られた薄暗い風景が見え続けるだけ。それが、マエリベリーにとってはつまらない光景だった。
そうして、自分の運のなさのようなものを恨みながら家を出て、何分たっただろうか。雨の中、なんとか時間に合わせてたどりついたにも関わらず蓮子は相変わらず、待ちあわせ場所に居なかった。彼女はいつも遅刻する、まるで嫌がらせでもするかのように。でも、いつも運が悪すぎて毎回毎回遅れるというわけではない。そんな非科学的なことが立て続けに起きてはたまらないというのがマエリベリーの持論だ。
当然、いつも遅れる理由はもちろん蓮子が適当だからだし、ごくたまに間に合うときもある。それでも一度、何か深い真意でもあるのかと聞いてみたことがあったが、もちろんなかったらしい。なぜなら、蓮子は大したことでもないかのように笑ってこう答えたのだから。
「だって、時間なんて空を見れば一秒たりとも違わずにわかるんだもの。だから、時計を持つって癖がなくって。」
まるで人を馬鹿にしていると言わんばかりに非科学的な言葉だが、親友である宇佐見蓮子にとっては、その言葉が真実であることを、マエリベリーは知っていた。実際、蓮子は空を見れば時間がわかるのだ。世の中でいう超能力者といったものだろう。
ただ、本当のことも言ってしまえば、彼女が時間をわかるためには空ではなく星を見なくてはならず、それに太陽を視れば目が焼けるからお昼間の遅刻の言い訳にはならないし、その上、今日みたいに雨が降っていても役に立たない。だから、時計を持つ癖をキチンとつけて欲しいと言うのが、マエリベリーがこの親友に願う最も切実な願いだった。
いつものように、待ちあわせの時間からしばらくの間、いかに蓮子に時計を持つ癖を持たせるかについて、待ちぼうけを喰らわされる少女は考える。
しとしとと降る雨が地面で跳ねて、蒼い目を持つ彼女の服の裾を濡らす。斜めに吹いた風が、異国風の名前と同様に、異国風の容貌を持つ彼女の美しい金の髪を湿らし、その東洋人では考えられないほどに白く透き通った手に雫をつける。そうして傘を持ちながら立って誰かを待っているらしい少女を、人々は通るたびにジロリと擬音がつきそうなほどに眺めていく。
この国では、西洋人は珍しい。無論、もっと珍しい地域は世界中を見ればたくさん存在しているはずで、人口比で言うなれば、外部から基本的に自由に入国することができて先進的文明を持つこの国の外国人は珍しいなどとは言えるはずもない。
さらに、ここは京都である。一国の首都ともなれば経済の中心とは限らないでもある程度の繁栄は謳歌しているのが常であり、ましてこの日本では経済の中心も京都が兼ねているので、外国人はかなり住んでいるはずだった。
だが、この日本では、外国人は珍しい。島国だからだろうか、どうしても人々にとって人間は黒い目に黒髪に薄橙の肌を持ったものが意識されるらしく、その容貌に当てはまらない西洋人は例え見慣れた人でも一瞥してきたりする。自分が異国人であるということ、それを感じる所が日本という土地らしいと前時代から言われていたのは変わらないらしい。
ずっと人々がジロジロ見てくる中、やがてマエリベリーがいい加減その想像の中で蓮子に時計を持たすことを諦め始めた頃、ようやくにして待ち人はやって来た。
「いやー、ごめんごめん。メリー、待った?」
時計を持たない人は、そう言いながら現れた。いかにも日本人の見た目をした友人が日本語で話しかけたからだろうか、人々はたちまちに興味を失ったようで、視線は逸れていった。そして、マエリベリーにとって最も迷惑千万な癖を持ち、そして、最も愛すべき明朗快活さをもつ親友は、今日も遅れてきた事に関して、たいした罪悪感を持っていないようだった。
元々期待してはいない。ただ、いつも遅れてやって来られる方として、いじわるのひとつくらいは言ってやらないと気が済まない。それに、この遅刻屋の親友は、マエリベリーの名前を日本語では読むことができないからという理由で、こちらの意向を聞くまでもなく勝手にメリーという呼び名をつけてしまうくらいに我田引水なのだ。
「約8分30秒遅刻。今日はいつもにもまして遅かったわね、蓮子。」
わざと、冷たい声で言い放つ。私は怒っている、とアピールする。正直これも、多少の時間差や気分の差はあっても、蓮子の遅刻のし過ぎによって既にルーチンと化したようなやり取りだった。
「ごめん、メリー。今日奢るから…。」
そう言いながら、蓮子はいつも通り謝った。しとしとと雨は振り続け、薄暗い電灯の光が二人を照らす。いつも通りのやり取りに、何か不協和音が混じった気がしたのは、次の瞬間だった。一瞬、その後ろに何かが見えた気がした。思わずまばたきする。だか、その時点ではもう何も見えなくなっていた。薄暗い中で見つめる親友の顔は、どことなく不気味に見えた。
「どうしたの、メリー?」
少し見つめすぎたのだろうか、蓮子が心配そうに声をかけてきたことで、マエリベリーの意識は現実に帰る。大方、気のせいだろう。
「ううん、何でもない。」
そう、きっと何でもない。蓮子の後ろに突然何かがあらわれたとしたら、死体の手を使って念写でもされた人の無念の霊くらいなものだろう。そう思うとマエリベリーは、さっきは何が見えたのだろうと思わず不思議に思って笑ってしまった。
そんなマエリベリーを見た蓮子は不安げな顔をしている。きっと心配してくれたのだろう。だが、そんなことで心配をかけるなんて嫌だった。だからこそ、余裕を取り戻したマエリベリーはとっておきの一言を言っておくことにした。
「パフェが食べたい気分だなぁって。」
次の瞬間、瞬く間に蓮子は「げっ」とでも言うように顔をしかめた。効果てきめんだったようだ。心配するような空気を纏っていた友人はたちまちにして勘弁してほしいという顔になり、先ほどまでの懸念は忘れてしまったようだった。なにせパフェは高くつくのだ。そのうえマエリベリーは、自分自身が食べても太らない体質なのをいいことに、食べると決めた時は2つほど平らげる事もある。蓮子の今回の大赤字は確定だ。
でも、奢るという言質はとってあるから大丈夫なはず、蓮子は約束を破るという事は基本的にしない。そう考えると思わず顔が綻んでしまう。蓮子に悪いと思っても、もう止まらない。
そのうち、蓮子も隣で苦笑を浮かべ始めた。いい加減、雨が降りしきるこの場所から何処かへ移ってもいい頃だろう。これから食べるだろうパフェのことを早くも考え始める。今日は何が良いだろう。ストロベリーパフェなんていいかもしれない。甘く甘く、そして少し甘酸っぱい。そんなパフェが食べたいと思うと、自然とお腹がすくような気がした。
それをきっとわかってくれたのだろう。早く行こうと訴えるように蓮子を見つめると、彼女は苦笑を微笑みに変えて、手を差し伸べながら聞いてくれた。
「どこのカフェにしよっか、メリー。」と。
だから私は、その手を受け取って、静かに前から少し気になっていたカフェの名前を告げたのだった。