彷徨っていた。
周りには文明の香り漂う街灯の光も無ければ舗装された道路もなく、マエリベリーが住んでいるはずの京都の景色も見えなければ、よく二人でいる蓮子の姿も見えない。それどころか、周りには木立の薄暗い景色と湿った下草が野放図に生え放題している地面がどこまでも広がっていた。
「ここ、どこよ…。」
思わず呟く。口に出して改めて現在の状況が嘘ではないことを確認した。少なくとも、目の前に広がっている景色はマエリベリーが見ている景色に違いなく、そして声の響くような空間であることは確かだった。
そう、これは現実なのかもしれない。
慌てて歩こうと思わず一歩を踏み出すと、下草を踏み潰すような感覚と水に濡れるかのような感覚がダイレクトに伝わってきて、ぞっとした。靴が、無かった。
「どうして…?」
単純にもう、訳がわからなかった。
そもそもここに来る前、京都にいたときに何をしていたかを思い出そうとしても、記憶に霧がかかっているかのようになっていてほとんど何も思い出せなかった。
かろうじて思い出せたのは、蓮子と何かをしていたという事実だけ。だが、蓮子はここにはいない。
恐怖に押しつぶされるようにマエリベリーはゆっくりと座り込んでしまった。ただただ恐ろしいという感情だけが、胸の奥から徐々に心全体を覆い尽くすように静かに流れ出てきた。
それでも、いつも通り蓮子が居たのなら、もしかしたら彼女の持ち前の元気さと隠された何かを暴こうという本能的に刷り込まれてる感情に従ってこの場を共に駆け出していたのかもしれない。後先考えないかのような疾走感に、時間と場所のわかる目を引き連れて、自分の手をとって行こうと言ってくれる友人の存在が、ただただ恋しかった。
それがまるで、千年も前の事のように感じた。
だが、今蓮子はいない。いつまでも恋しさに浸っている場合ではなかった。
出口の全くわからないどこまでも続くように見える森。どうにかここを抜け出して人家のあるところか何処かまでたどり着かなければならない。マエリベリーは目標を決めると、これから歩き始めようと思ったところでふと気がついた。
もしかして、これは現実なんかじゃなくて、私の夢かもしれない。
現実なんかではなくて、心の見せる幻想でしかないのかもしれない。
気づくと当たり前のような話だった。
だいたい、今の時代の京都で何をしていたとしてもこんな深い森の中に迷い込むことなんてまずありえないし、そもそも蓮子がいないのも、夢の中の世界だったからならぴったりかも知れない。彼女は夢の中までは来れないのだから。
それに、何をしていたかを思い出せないのも夢の中であれば今は寝ているはずなのだから、頭が万全に働いてるはずもなく当たり前の話だ。どうして靴がないのかも考える必要がない。
気がつくと心臓は早鐘を打つかのように高鳴り、どこまでも幸福感が湧いてきていた。今はただ、この風景から一刻も早く逃げ出すことができるというのがうれしくてたまらなかった。ついさっきまで感じていたはずの恐怖は完全に吹き飛び、心は希望に満ちていた。
帰ろう。現実に帰ろう。
矢も盾もたまらず、マエリベリーはゆっくりと自分の頬を捻って………、再び意識を失った。
「あっ。」
起きるとそんな声が聞こえた。
ゆっくりと声のした方を眺めると、ほっとしたような顔で蓮子が立っていて、周りを見渡してみれば別に見慣れた風景が広がっていた。確か蓮子の部屋だったはずだ。
どうして自分は蓮子の部屋にいるのだろう。わからずゆっくりと起き上がる。ほんの少しふらふらするが、別に寝起きのぼんやり感と言った感じで、特にこれということはない。
ふと自分の居るところを見てみると、普通のベットのようだった。きっと、普段蓮子が使っているベットだろう。そう思うとなんだか数年ぶりに会ったかのように恋しくて思わずかけられた布団を抱きしめて匂いをかぐ。
期待したような匂いはせず、ただほんの少し、洗剤と汗の香りがした。
「おはよう、メリー。お布団は恋しい?」
気がつくと蓮子はコーヒーを入れてきてくれていたみたいで、マグカップを2つ持ってきていた。きっと、寝起きに良いと思って入れてくれたのだろう。本当は紅茶のほうが好みなのだけれど、と思いながらゆっくり落とさないよう慎重に貰う。
一口啜ったその味は、渡る世間を思い出させるような苦さをしていて。思わず苦笑する。そうしてちびちびとコーヒーを飲んでいると、蓮子は静かに話しかけてきた。
「気分はどう?」
特段悪いところもないので、別に気も入れずに答える。
「特に悪くないわ。なんていうか、寝起きって感じ。」
「そう。頭が痛かったりはしないのね、良かった。」
そう言われてみると、ほんの少し痛いような気がした。そういえば、どうして私は寝ていたのだろう。
「うーん、少し痛い気もするけれど。ねぇ、蓮子。」
「なあに、メリー?」
「私、どうして寝てたんだっけ?」
尋ねてみると、蓮子はほんの少し驚いたような顔をして肩をすくめて、覚えてないとはねえ、なんて言いながらサテライトでの出来事を話してくれた。言われてみるとそんな事もあった気がする。だけど、それはまるで随分昔のことだったかのような奇妙な感覚がした。
「それで、どうして私は倒れたんだっけ?」
「だから、二人でずーっとサテライトについての話をしてたら高校生くらいの女の子が注文を取りに来て、貴女がメニューを取ったらそのまま流れるように前に突っ伏したのよ。思わず唖然としたわ。」
「なんだか恥ずかしい倒れ方ね。結局、お医者さんはなんて?」
「知恵熱って。そんなに考え詰めるような事を話してたわけでもないのにって言ったら、複数のことを脳内で同時に処理してる人は陥りやすいんですって。」
だが、マエリベリーにそのとき何かを考えていたという記憶はなかった。ただ、何か最後におかしなことがあった気がする。でも、それがなんの事かも思い出せなかった。
「お店にも迷惑かけちゃったみたいだし、今度謝りに行きましょうか。」
「あ、それなんだけどね。サテライト、閉めるんですって。」
「あら、そうなの?」
「ええ。メリーの言ってた噂の店長が、なんでももうやりたいことは十分にやったし目的も達成したからこれからは悠々自適の暮らしをどうたらこうたらとか。だから、気にしなくてもいいって。彼女、たしかに噂通りの見た目だったわ。」
まるで老人のような言い草だとマエリベリーは思った。そう、まるで老人。どうやら、噂の永遠に若い店長も脳はよる年波に勝てなかったらしい。そう思いながらゆっくりと身体をベットからおろそうとして、ふと気がついた。靴下が妙に土で汚れていた。
「蓮子、これ…。」
どういうことだろうと親友に目を向けると、友人は目を見張って靴下を眺めていた。汚してしまったことにもしかしたら怒っているのかも知れない。そう思って、謝ろうとした時。
「メリー、貴女、ベットから降りて外を歩き回ったりした?」
蓮子は不可解そうに尋ねてきた。そうは言われても、何も知らないのだから、マエリベリーは首を横に降ることしかできなかった。
「そうよね。だって、途中でほんの数分用事をした以外は、ずっと見てたのよ。寝かせた時はこんなの付いてなかったのに…。」
そのままブツブツ呟き出した友人を眺めて、マエリベリーは自分の靴下を眺める。そこには確かにこの時代になってからは珍しくなった泥がついていて、帰ったらキチンと洗濯しなければならないと主張していた。
それにしても、いくら軽いとはいえ自分の事をベットまで運んできて横たえるなんて蓮子は意外と力持ちなのかもしれない。そう、考えが横道にそれたところで蓮子はあっけらかんと言い放った。
「まあ、いいわ。とりあえず貴女を家に送らないと。靴下は貸してあげる。」
そう言いながらテキパキと準備を始める蓮子に、いつも通りを感じて苦笑しながら、マエリベリーは静かに頷いた。
続きまでしばらく期間が空きますがご容赦ください。