赤い薔薇は狂い嗤う 作:シルバー・ウィング
「攻撃、開始ッ!」
黄の王の号令と共に降り注いできたのは、豪雨の如き遠距離攻撃だった。
邪魔者を始末することから考えたのか、そのほとんどが由仁子を狙っていたが、彼女は要塞モード時とはかけ離れた俊敏さでバックダッシュし、見事に回避して見せた。
由仁子が叫ぶ。
「この包囲網をまずは抜けるぞ!」
「はい!」
「わかりました!」
その言葉にハルユキとタクムも頷く。とにかく360度囲まれたこの状況では撤退も応戦も不可能だ。幸い、敵はこのクレーターをぐるりと包囲しているため、壁そのものは薄い。一点突破で一気に囲みを破り、大通りまで出ることができれば脱出ポイントのあるサンシャインシティはもうすぐそこである。
由仁子の連射で東の囲みの一点に綻びができかけているのを見たハルユキはその一点に向かい地面を蹴る。黒雪姫を抱えるハルユキを援護すべく、タクムがその跡に続く。
とその時、背後で指揮を執る黄の王イエロー・レディオの、爽やかながらどこか軋みのある声が一際高く響き渡る。
「――
「うわっ!?」
黄の王の必殺技により、視界がぐるりと回り始める。たちまち進むべき方向もわからなくなり、平衡感覚も失われていく。
「フィールドが、回って……!?」
呆然と口走ったハルユキに由仁子の鋭い声が飛んだ。
「回ってるように見えるだけだ! 本当は何も動いちゃいねぇ! 目をつぶって走れ!」
「そんなこと言われても、もうどっちに走ればいいのかもわからないよ!」
すでに実際にはどの方向が目指していた東なのかまったく解らなくなっている。闇雲に突進して出口から遠ざかってしまっては元も子もない。
「あっちだ!」
「こっちです!」
「お互い逆方向で、説得力がまるでない!」
瞬間、生じた硬直を狙い打つかのように、クレーターの外側から、怒涛の斉射が螺旋を描きながら襲い掛かる。
これは避けられない、とハルユキは悟る。ならばせめて黒雪姫だけは、守らないと――。
広げた羽の下にその黒曜石のアバタ―を包もうとしたその時、逞しい何かにハルユキは体を覆われた。
「伏せて!」
それはタクムだった。タクムはその大型アバターの逞しい両腕で三人を丸ごと抱え、倒れるように覆いかぶさってたのだった。
「タ……タク!」
そんなハルユキの掠れた声は、凄まじい炸裂音にかき消される。視界が白く塗りつぶされ、熱気が頬を炙る。そしてすぐ耳元で、親友の押し殺した悲鳴が弾けた。
「ぐううううううう!!!」
今、タクムの広い背中にはありとあらゆる種類の遠距離攻撃が雨あられと降り注いでいる。
このフィールドにダイブした際の簡易レクチャーで、黒雪姫からこのフィールドでの痛覚は通常の対戦フィールドに比べおよそ倍程度に増大されているから注意しておけ、と言われていたのを思い出し、ハルユキは叫ぶ。
「やめろ……タク、もうやめろ!」
通常対戦で生じる痛覚刺激も通常のニューロリンカー用アプリでは有り得ないレベルなのだ。その倍の痛覚となると今、タクムが味わっている痛みはもはや想像も絶する。
場合によっては、ハルユキが狙撃回避のために造りだしたあの違法アプリで生じる痛みをも上回るのではないか――。
「い……いいんだ、ハル。君への借りは、こんなこと、くらいじゃ……返せな……」
かつてブレイン・バースト喪失の恐怖から、バックドア・プログラムをチユリにしかけ、黒の王の首を狙ったあの一件をタクムは未だ悔いている。
幼馴染を裏切ったというその事実は、未だ重くタクムの心を縛り付けていた。
無論、チユリもハルユキもその一件に関してはもう許している。ハルユキに至っては黒雪姫が病院から退院し、加速世界に復帰するに至るまでの間、タクムには世話に成りっぱなしだったのだ。今となっては借りがあるのはむしろ自分のほうであるのだ。
だからハルユキは叫ぶ。
「ない……そんなものない! 何度言えば解るんだタク!」
しかし親友はその上から退こうとはしない。ただ苦悶の声を上げて、ハルユキ達を雨あられの砲撃から守り続ける。
「醜悪な……あの木偶をとっとと焼き尽くせ」
黄の王の厭わしげな声が、無数の射撃音に混じって、かすかに届く。
それに幾つかの射撃音が呼応するが、しかしタクムは倒れない。
おそらく、現在の敵集団に含まれる赤系バーストリンカーには、それほど高レベルの者はいないのだろう。それに対してシアン・パイルはまだレベル4とはいえ青系の、しかも耐久力重視型だ。それ故にこれほどの集中攻撃を受けてもまだ倒れずに耐え続けていられるのだ。
だがそれは同時にタクム本人が味わう苦痛がどこまでも長引くことも意味する。
タクムは黄の王の必殺技の効果が終了するその時まで三人を守り続ける気なのだ。親友の覚悟を読み取ったハルユキはもう何も言えなかった。
「……あんたのことを頭だけっつったのは撤回するぜ、シアン・パイル。あと三十秒だ」
「りょう……かい、で……」
がすっ。
嫌な音が響いたのはその時だった。
タクムの重量級の巨体がゆっくりと持ち上げられていくその光景をハルユキは呆然と見つめる。
すぐ背後に立っていたのはシアン・パイルとほとんど同じくらいの体躯を持つ青緑のデュエルアバターだった。その右腕の先端の凶悪な三本の爪がシアン・パイルの胸部装甲を貫き、持ち上げていたのだ。
おそらく待機させられていた近接タイプの一人が、業を煮やして飛び出してきたのだろう。青緑アバターは太い声を放つ。
「若手の≪青≫の中じゃそこそこやる、と聞いてたけどな。ただの硬さ自慢の壁かよ、シアン・パイル」
串刺しにしたタクムをぐいっと持ち上げ、青緑アバターは低く嗤う。
「へっへ、くたばる前にちゃんと覚えろよ。お前を倒したのはこのサックス……」
「馬鹿の名前に……興味はない」
右腕を自分の胸の中央に押し当てたタクムが、弱々しくも毅然とした叫び声で放つ。
「≪ライトニング・シアン・スパイク≫!!」
その青白き閃光はタクムごと、青緑アバターの身体を穿いた。
「タ……タク!!」
凄い、やっぱりお前は凄いよ。僕よりずっと強くて頭もいい――自慢の親友だ。
胸中に吹き荒れるその感情を言葉にする機会は……今はない。
「後……任せたよ、ハル」
痛みに悶える青緑アバターに伸し掛かったタクムは最後にハルユキの顔を見て掠れた声を漏らし――。
「≪スプラッシュ・スティンガー≫!!」
黄の王の回転木馬の効果が切れたのは……タクムがその身と引き換えに爆散したその時のことだった。
+++
あまりに凄絶な相打ち劇に戦場には刹那の沈黙が流れる。
これは逃走のチャンスだった。タクムが文字通り命をかけて稼いでくれた時間だ。絶対に無駄にしてはいけない。
しかし身体が動かなかった。自分でも説明できない感情が、胸の奥で渦巻いている。
親友に守られるだけで何もできなかった自分に対する無力感。他人の心を弄ぶ卑劣な黄の王への怒り。そしてそれ以上に――自分の右腕に抱えられたまま、まるで電源の切れてしまったかのように力なく項垂れる漆黒のアバターへの――。
「先輩……先輩……」
黒雪姫先輩……なんで……なんで立ってくれないんです……」
「無駄だ、シルバー・クロウ」
呟いたのは由仁子だった。
「≪
ざし、と力強い足音を響かせ、まっすぐ立ち上がった彼女からはある一種の覚悟が感じられた。
「……悪ぃな、シルバー・クロウ。頭では理解できてんだ。シアン・パイルが捨て身で稼いでくれたこの時間を無駄にしてはいけないってな」
沈黙に支配される戦場に由仁子の声が静かに響き渡る。
ゆらりとその小柄な身体から立ち上るのは濃縮された闘気と怒り。
「けどな、あんなもの見せられて、尻尾巻いて逃げれるような精神は持っちゃいねぇんだよ。ここで逃げ出すのはあたしのココが許さねぇ」
自らの胸を叩き、由仁子はハルユキに告げる。
「……時間を稼いだといっても向こうの陣形はまだ無傷に近い。皆で逃げるのはまず無理だ。ここはあたしが奴等を惹きつける。だからあんたはロータス抱えて逃げな」
「そ……そんな」
「元からこのプランで行くつもりだったんだ。早く行け」
「で……でも……」
ハルユキが言葉を返す前に由仁子は黄の王に向き直ると静かに宣言する。
「イエロー・レディオ……ここでテメェはぶっ潰す」
来い、
+++
でも、それでも僕は言ったんだ。仲間だって――。
黄の軍団に向けて一斉放火を開始した由仁子をよそにハルユキは黒の王の身体を抱きかかえたまま歯を食いしばる。
仲間だと、ハルユキは言った。ここで由仁子を置いて逃げてしまえば、自分から、そして黒雪姫からも何かが決定的に失われてしまうような気がするのだ。
だから逃げない。仲間を置いて逃げるなんて、仲間のすることではやはりないから――。
「……」
ハルユキは黒雪姫をその場に横たえた。見ると、砲撃を続ける由仁子の背後に張り付こうとする近接型アバターの姿が見える。
そのアバターに向かい、ハルユキは突進する。
「うおおおおおおおお!!!」
ハルユキの飛び蹴りで近接型アバターは吹き飛ばされた。
すでに逃げ出していると思っていたのか、頭上から由仁子の驚いた声が聞こえてくる。
「なっ!? 逃げてなかったのかよ!? シルバー・クロウ!」
「言ったはずだろ。仲間を置いて逃げるのは嫌だって」
そう言い返すと由仁子は唖然としたようにハルユキを見てから、やがて長くため息を吐いた。
「ほんっっっとうに筋金入りの馬鹿だな。ここでアンタが死んだら、アンタの主の命も終わりだって解らないのか?」
「そんなの解ってるよ! でも仲間を置いて逃げるなんてできない。先輩だって、同じ状況に陥ったら絶対にそう言ってるはずだ!」
ハルユキの叫びに由仁子は言葉を失ったかのように押し黙っていたが、やがて諦めたかのようにチッ、と舌打ちする。
「……そこまで言うならもうあたしは何も言わねぇよ。シルバー・クロウ、ケツに密着した近接型の相手だけ頼む」
「わかった!」
由仁子の指示にハルユキは頷いた。その視界の隅には横たえられた漆黒のアバターの姿がある。
――あの人は、黒雪姫先輩は決して完全無欠の超人じゃない。僕と同じ中学生の、傷つきやすい一人の女の子なんだ。
思い返されるは己の心無い言葉に涙する黒雪姫の姿。完全無欠で自分とは程遠い世界の住人だと思っていた彼女が初めてみせた涙は、ハルユキの心の奥に深く刻み込まれている。その時、ハルユキは彼女があらゆる面で優れていても、あくまで自分と同じ中学生でしかないことを悟ったのだ。
彼女は強くあろうとする。自分の弱さと向き合おうと、乗り越えようと、強くあろうとする。
そう、ハルユキが憧れたのは彼女の絶対的な強さに対してではない。
ありとあらゆる逆境に抗おうとする魂の輝きに、ハルユキは絶対的に惹かれたのだ。
――だからあなたはもう一度立つはずだ。先代の赤の王とどんな間柄だったのかは知らないけれど、その記憶を乗り越えて、立ってくれるはずだ。そうでしょう!!
新たに迫る敵アバターを相手にしながら、ハルユキはその銀面の下で無音の叫びを放つ。
「舐めるなぁぁっ!!」
由仁子が吼え、左右の主砲とミサイルポッド、機銃をがしゃりと展開する。
それらが一斉に火を噴く――その直前、奇怪な音がハルユキの聴覚をかき回した。
ノイズとしか言いようのない高周波の雑音が空気を揺らす。同時に視界が二重に三重にぶれる。
放たれたスカーレット・レインのミサイルが突如空中で錐揉みし、あらぬ場所に突き刺さって爆発していく。外周の遠距離型を狙った主砲のビームもまた上方に狙いを逸らし、遠く離れたビルに命中してかすかな爆発音を轟かせた。
「くそっ……ジャミングだ!」
由仁子が舌打ちして叫び、本能的に黄の王の姿を見るが、彼が必殺技を使用している気配はない。
「レディオの奴じゃねぇ……手下の黄色のどいつかだ! 探せ!」
「わ……わかった!」
答えると同時にハルユキは羽を広げ、強く地面を蹴って飛び上がった――その時。
「≪エレクトリック・セラピー≫!!」
何者かの技名発声と共に地上から伸びてきた二本のワイヤーがハルユキの両足首に巻きつき、そのまま地面に叩きつける。
衝撃に息を詰まらせながらも、ハルユキは手刀でワイヤーを切断しようとするが。
「っ……!?」
全身に走る激しいショックにハルユキの身体は硬直する。見れば離れたところで両腕からワイヤーを伸ばすメカニカルなアバターが、背負ったトランスのような装置を盛んにスパークさせている。
スタン効果が主の攻撃らしくダメージはほとんどないが、身体が思うように動かせず、足首のワイヤーを振りほどくことができない。
「ぐ……う……!」
呻くハルユキに、発電アバターが甲高い哄笑を浴びせてきた。
「きひひひひ! しばらくそこで寝てろや小僧! あの小娘が全身ひん剥かれるまでなぁ!」
その言葉通り、由仁子の要塞型アバターに向かって飛び掛っていく複数の近接型の姿が見えた。砲の死角に回り込むや、強化外装の接合部に拳や蹴りを浴びせ始める。
「うっしゃあ! あのスカーレット・レインだってこんなモンだぜ! お前ら、皮全部剥いてあのガキ引き摺り出せっ!! 何度もぶっ殺して最後の一ポイントまで奪って辱めろ!」
「ぐっ、この離しやがれぇ!!!」
由仁子が残存武装を一斉に発射するが、全てジャミングにより虚しい爆発音を響かせるだけに留まった。
そんなスカーレット・レインを見て、抑揚豊かな笑いが高らかに響き渡る。
「ははは! はははははははは!!」
黄の王イエロー・レディオはその細い長身をゆらゆら揺らし、喜悦に身を捩る。
「なんと無様で、なんと滑稽な姿だ! これが
容赦のない侮蔑の言葉に由仁子は怒気を孕んだ言葉をぶつける。
「あたしのことはなんとでも言うがいいさ。けどあの人を侮蔑する言葉は許さねぇぞ! 取り消せ!!」
「その状態でよくそんな口を聞けたものですねぇ。もはやあなたの命は風前の灯だというのに」
そしてイエロー・レディオは地面に横たわる黒雪姫を舌なめずりするように見回す。
「さて、敵の無力化も成功したところで私はメインデッシュといかせていただきますか。食欲はそそらない色ではありますがね!」
ははは、と嗤いながら、イエロー・レディオは悠然と歩を進め始める。
――このままじゃ先輩が……先輩が!
「くっ……そぉ……!」
ハルユキはがむしゃらに身体を動かそうとするが、それは意志だけで、身体は微塵たりとも動いてはくれない。
こんなところで終わってしまうのか。こんなところで。
加速世界の最果てを
こんなところで――。
「せ……せんぱい――――!!!!」
ハルユキの絶叫が辺りに響いたその時。
「悪いわね、レディオ。その女の首は私のモノなの。だからアナタは――消えてくれる?」
戦場にどこか妖艶でありながらも王の威厳に満ちた、女性の声が響き渡り。
どこからともなく現れた紅蓮の炎に包まれた不死鳥が高らかに嘶き――黄の王の身体を包み込んだ。