赤い薔薇は狂い嗤う 作:シルバー・ウィング
「はぁ……」
加速世界初の飛行型デュエルアバターとして一時の加速世界の注目をさらった≪シルバー・クロウ≫こと有田春雪は重々しくため息を吐いた。
その理由は単純明快、ここ最近の対戦勝率の低下である。そしてその勝率低下の原因が、自身の遠隔狙撃回避率の圧倒的低さ。
このままじゃ……このままじゃ……先輩にも見捨てられてしまう……。
ハルユキの脳裏に敬愛する剣の主の失望の表情がよぎる。今まではハルユキが無様な失敗を犯したとしても、怒るどころか笑って励ましてくれさえした。だが、その失敗を続けていればやがては愛想を尽かされてしまうということをハルユキは理解していた。
そして自分を地獄のような環境から文字通り、救い出してくれた剣の主――黒雪姫から見捨てられるということは考えたくもないことだった。
強くなりたい。ハルユキはそう強く願っている。回避率を上げるためにアプリを組んで特訓もしている。それなのに回避率は一向に上昇しない。強くなれない。
僕は……どうすれば……。
それでも尚、どうすれば強くなれるか考え続けていた学校帰りのハルユキは自宅マンションの扉のロックを解除した。
「お帰りなさい、お兄ちゃん!」
「……だいま……」
靴を脱ぎ、不明瞭な声で応じてから一歩、二歩、三歩。――ん? 何かがおかしい。
ハルユキの認識では、この有田春雪なる人間は生まれてから今日までの十三年と十か月、一貫して一人っ子だったはずである。それなのに家に入るなり可愛らしい声でオカエリナサイ、オニイチャン?
なに、≪妹≫ってどんな都市伝説?
おまけに何やら甘く香ばしい匂いまで漂ってくる。これは幻臭でいいのだろうか。
肩から鞄を落とし、ふらふらと覚束ない足取りでリビングに向かい――ハルユキは見た。
普段は決して使われることのないキッチンスペースで動き回るエプロン姿の女の子の姿を。
なにコレ。どっから来た
思考能力を消失し、ただ眼前に広がる視覚情報を保存することしかできないハルユキに女の子はちらっと視線を向けると可愛らしく微笑む。
「今、クッキーが焼けるから、お手洗いして待っててくださいね、お兄ちゃん」
「うわっ!?」
今更ながらに悲鳴を上げたハルユキは、丸い体をリビングに繋がる扉に隠し、おそるおそる顔の上半分だけをそっと突き出す。
落ち着け、落ち着け、落ち着け!
全然落ち着いていないハルユキであったが、それでも懸命に思考を凝らし、あれが幻覚でもニューロリンカーに仕掛けられた悪意あるプログラムによって作られた
じゃあなぜ、ここに本物の女の子が存在しているのか。必然的に浮かぶ単純にして最大の疑問を前にハルユキはすぐさま回れ右。洗面台に向かう。
まままままずは言われた通り、手を洗ってうがいをしよう。ははは話はそれからだ。
早くも思考を放棄したハルユキであった。
+++
「えっと……ハトコのサイトウトモコちゃんでいいんだよ……ね?」
「はい。ふつつか者ですが、三日間よろしくお願いします」
あれから女の子の焼いたクッキーを機械的に平らげ(味はとても美味しかったが)、女の子の淹れてくれた紅茶をズズッとすすったところでようやく思考するという行為を取り戻したハルユキは、女の子――サイトウトモコちゃんから詳しい話を聞いた。
とはいっても、ただトモコの父親が海外に出張に行ってしまい、その間は一人では危ないということでハルユキの家が預かることになったというだけなのだが。
一通りの自己紹介が終わったところで部屋には沈黙が広がる。話題がない。
いけないいけない。トモコちゃんは小学五年生なんだぞ。僕がリードしてあげないと……。
見た目は明るく何事もないように振る舞っているように見えるかもしれないが、環境の違う部屋でほぼ他人に近い男と一緒に三日間暮らすというのはとてつもなく不安であろう。
そう考え、ハルユキは口を開く。
「……じ、じゃあ、その、えーと……これからどうする? げげ、ゲームでもする? 山ほどあるよ、四十年前くらいのからごっそり……」
言ってしまってからその大半が血みどろ地獄絵図系であることを思い出す。
しかし幸い、トモコは微笑んだまま首を軽く振った。
「あの、あたし、ゲームあんまりやらなくて。
言われて、ハルユキはブラウスのボタンが一番上まできっちり止められた細い首に現代の必須生活ツールであるニューロリンカーが存在しないことに今更ながらに気づく。グローバルネットに繋ぐニューロリンカーはあらゆる犯罪の温床なので、幼いうちは買い与えない家も少なからず存在する。トモコの家もその分類に当てはまるのだろう。
「じ、じゃあ、映画でも見る? 2D画面のヤツでも面白いのはあるよ」
だがトモコは今度も小さくかぶりを振ると、恥ずかしそうに言った。
「あの……それより、お話しませんか? お兄ちゃんの中学のこととか色々教えてほしいな」
そう言ってハルユキの座るソファーにちょこんと座りこんでくる女の子はどこの
ずきゅーん、という効果音が脳内に響いた気がしたハルユキであった。
+++
有田家のリビングにて由仁子はソファーに座ったまま動かずにいた。
敬愛する赤の王から与えられた≪執行猶予期間≫。由仁子はどうにかしてその間に親であるチェリー・ルークを≪鎧≫の呪いから解放したいと考え、そして行動を起こしていた。
たとえこれまでに≪鎧≫の呪いから解放された者が人もいなかったということを……そしておそらくはチェリー・ルークだけが≪特別≫などということはないだろうということを、頭の中では理解していたとしても――。
一回、由仁子が≪鎧≫に憑かれたチェリー・ルークと戦った時はその機動力の高さにとにかく驚かされた。自分の砲撃は全て避けられ、逆にヒットアンドウェイ戦法に持ち込まれ、結局はタイムアップ負けに喫してしまった。
ルークを救うにはまずその機動力を奪わなければならない。
その考えに至った由仁子であったが、同時に由仁子は如何にしてルークの機動力を奪うかという問題に直面した。
マーマレード・スナイパーの≪超精密遠距離狙撃≫、フレイム・ローズの≪超高熱火炎攻撃≫であるならおそらくそれが可能であろう。しかし、この二人に頼むということはすなわちチェリー・ルークの≪断罪≫を意味している。ただでさえ時間はないのだ、断罪するチャンスが目の前にあるのだとしたら彼女たちは私情に流されることなく、迷わずチェリー・ルークを断罪するであろう。
身内のバーストリンカーに協力を頼むわけにはいかない。その考えに至った由仁子はここ最近加速世界に登場した≪白銀の鴉≫に目を付けた。≪超長距離ジャンプ≫を保有するルークを抑えるに≪飛行≫アビリティを持つシルバー・クロウほど優れた適格者はいない。実力も由仁子と比べて格下であり、≪リアル≫さえ割ってしまえば力づくで言うことを聞かせられる自信があった。
しかし、大きな障害が一つある。シルバー・クロウは復活した黒の
裏切りたくねぇ……裏切りたくねぇよ!
自分のアバターに限界を感じ、行き詰っていた自分を拾い上げ、導いてくれたフレイム・ローズを。初めてリアルで会った時、緊張しまくっていた自分に向けて笑いかけてくれたあの優しい眼差しは今でも鮮明に思い出せる。
だけどルークはあたしの≪親≫なんだ!
由仁子は覚悟を決めていた。たとえ赤の王を裏切ることになろうとも、自分はルークを救い出すと。一パーセントでもその可能性があるのなら、主の意に背くことになろうとも、その可能性に賭けてやると。
≪ソーシャル・エンジニアリング≫――他人に成り済まし、オフラインでセキュリティを破るハッキングを決行し、シルバー・クロウのリアル――有田春雪という名の少年に接触することに成功した由仁子の計画はいよいよ大詰めを迎えようとしていた。
やるしかねぇ。やるしかねぇんだ……。
由仁子は計画の総仕上げを行うべくソファーから立ち上がった。まさかそのハルユキに自分の正体がサイトウトモコではないと見破られてることなど思いもせずに――。