case:01 ピース依頼事務所
「ほいっと。頼まれてたもんです」
「おおー、いつもありがとうございます。相変わらず速いですね」
「魔法さえ使えりゃもっと速いんだがな」
「何度も聞いてますが、本当に何も使えないんですか?」
「何度も言ってるが、何も使えん」
「それくらいの技量があれば、使えてもおかしくないと思うんですけどね?」
「魔法覚えてる時間があったら、剣でも磨いてた方が有意義だろ?」
「そんなもんですかね。あ、これ依頼料です」
「……ん、あい受け取った。じゃあ、何かあったらまたお願いしやっす」
「えぇ。信頼してますよ、勇者様」
「"元"勇者だ。間違えるな」
――――――――――――――――――――――――――――――――
魔王が宣戦布告をして各地を魔物に襲撃させたのが4年前。
各国は魔王討伐のために、勇者を送り出しては失敗を繰り返した。神の加護やお告げなんてものはなく、ただ無闇ひたすらに"勇者"をでっち上げては、魔王を討てとだけ命じて、魔城へ送り込んだ。目に見えてはいるが、名ばかり勇者たちでは名声を轟かせるどころか、まともに冒険できるはずもなく、命を落としたという報告だけが聞こえてきた。それでも勇者と呼ばれる一般人を送り続けた理由は何だろう。一刻も早く平穏を取り戻したかったのか、他国よりも先に魔王を討ち取り、本物の勇者が居る国として優位に立ちたかったのか。そんな理由、勇者たちには知る由もない。
勇者に選ばれた一般人は、遠回しに死刑宣告をされたようなものだ。見知らぬ土地で朽ち果てるか、魔王を倒す、という究極の二択を迫られていたからだ。初めのうちは、それはもう勇者を名乗っても恥じることはない猛者たちが送り出されていた。しかし、終盤では一般人、もしくは罪人を死刑執行の代わりとして勇者に起用していたほどである。
そして3ヶ月前、そんな馬鹿げた勇者ごっこは、漸く終わりを告げたのである。やっと一人の勇者が魔王を倒したのだ。人々は大いに喜んだ。勇者として死地に駆り出される心配事が無くなったためか、純粋に魔物という恐怖から解き放たれたためかは、各々にしか分からないだろう。しかし、その勇者を派遣していない他の国は、心から喜ぶことができなかっただろう。少し考えてもみてほしい。勇者が恐怖の根源である魔王を倒した、ここまではいい。しかし、それはつまり、その勇者は魔王よりも遥かに強いということだ。その勇者が軍に加わり、他国を攻め込むことも十分に考えられたからだ。魔王討伐でさえ、あれほどの数を送って失敗に終わったのだ。それを打ち負かした勇者を相手にするなど、もってのほかであっただろう。
そこで勇者は各地に発言した。"ある決まり事"を世界中に呼び掛けたのだ。今ではその言葉は、『勇者の二ヶ条』なんて呼ばれているらしい。
こうして世の中は平和になりました――。
――――――――――――――――――――――――――――――――
「平和過ぎんだよー。依頼なんて殆ど来ねぇ」
俺はどかっとリビングのソファに寝転がっている。時刻は15時ちょっと前。陽も傾いてきたというのに、朝からトイレと食事以外動いていない。さっきまで日陰だったのに、太陽が落ちてきたせいで光線をもろに食らって渋々と起き上がる。
「ミュゼ、コーヒー」
「暇なんでしょ?自分で淹れて」
「……かわいくねぇなー」
向かいのソファに座って本を読んでいるミュゼの横を通り抜け、キッチンへと向かう。横目でちらりと覗くと、どうやらファッション誌らしかった。
「何、良いモデルでも載ってた?」
「アンタと一緒にしないで。普通に服を見てるのよ」
「服だぁ?まるで女の子みたいじゃんか」
「純正な女の子よ。ぶっ飛ばすわよ」
お互い軽口を言い合っているが、ミュゼは雑誌から目を離さないし、俺も構わずにインスタントの缶を開けている。まだ3か月しか経っていないが、もう慣れっこだ。
「大体服なんて三着あればローテして……って、おい!空じゃねーか!!」
キッチンを飛び出し、ミュゼの元へ駆け寄る。そして、目の前にあるテーブルに缶を叩き付けるような勢いで置いた。そのまま問いただそうとしたが、缶の底にほんの僅かに残っていたコーヒーの粉が舞い上がって、真上にあった自分の顔に直撃する。
「わぶぅ!?」
「……何してんのよ」
そこでミュゼは、漸く持ち上げていた雑誌を降ろした。褐色の肌に、相対する銀髪。髪はあまり手入れされている様子はなく、腰までただ伸ばしているだけ、という印象を持たせた。一見、外国の人間と言われても納得しそうだが、目を見れば違うと判断できる。目を見れば分かる、というと何だか精神論のようにも聞こえるが、そのままの意味である。彼女の目は白目の代わりに金色が光っている。
そう、彼女は人間ではない。
「お前っ……これっ……コーヒー買っとけって言ったじゃん、俺!」
「いつ?」
「今朝だよ、今朝!で、お前が買い物行くっつったから頼んだんじゃん!?」
「あー……そうだっけ?」
「言ったよ!どーすんの!?死活問題だよ、これ!依頼来てもやる気出せないからね!?」
「そんな一日二日コーヒー飲まなくたって死にはしないでしょ?それに依頼だって来る気配無いじゃない」
「そーだけど!あーもういい、自分で買ってくる!」
「夕食も何か良さそうなの買ってきて」
「お前今日何買い物してきたんだよ!!?……しゃーない、買ってくるか」
「いってらっしゃーい、なるべく早くね」
「はいはい。……ったく」
俺は"いつもの"コートを羽織ると、鍵の掛かっていない扉を開けて外へ出る。黄土色の袖口の広いコートだ。所々、煤けたり破れたりしているが、これはこれで気に入っている。所謂、名誉の負傷というものだ。
2月の穏やかな天気。といっても、春はまだまだ先の様子で、冷たい空気が肌を撫でていく。マフラーを取りに戻ろうかと一瞬頭を過ったが、ミュゼに変な目で見られそうなので、我慢して町の裏通りを歩いていく。
☆
「なーにが『ニット系アイテムで男子はイチコロ』よ。男子イチコロにするならアンデッド系の魔物でも呼んできなさいよ」
カフェイン中毒が出掛けてから数十分が経っただろうか。ファッション誌にいちいち突っ込みを入れながら楽しんでいたけれど、ちょうど読み終えてしまった。そうなってしまっては、もう何もすることが無い。ここのところ、客足がさっぱりで時間を持て余しているのだった。最後の仕事はいつだったか。つい2日前には、お得意様の商人へ薬を届ける依頼があったけれど、私は留守番を任せられていた。あいつ曰く、「たかだか薬の小包一つ運ぶのに、二人も要らないだろ?」だそうだ。当たり前っちゃあ当たり前なのだけど、私だって仕事をしたかった。仕事熱心という訳ではなく、単純に気分転換がしたかったのだ。
「私はあいつの駒使いじゃないのよー」
まぁ、あいつのために動いたことはそんなにないのだけれど。一番忙しかったのは、魔王が倒された直後の数日だろうか。しかし、これは依頼や仕事ではなかったのでノーカンだ。
その時、デフォルト設定の着信音が据え置きの電話機から鳴り響いた。待ってました、といわんばかりにソファから飛び降りて、足取り軽く電話へ向かう。相手の顔なんて見える訳でもないのに、笑顔で受話器を耳に当てた。そして、外用のはきはきとした言葉で応答する。
「お電話ありがとうございます。こちら――」
「ミュゼ殿、お元気――」
ガチャンと受話器を置いて、通話を強制的に切断する。暫くの間、受話器に手を押し当てたまま静止していた。そのまま深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。
「……今のは空耳、そう空耳。電話なんて掛かってきていなかった。そう、きっとそう――」
自己暗示の言葉は、ジリリリという再び鳴らされた着信音で遮られる。その音は先程と打って変わって、異様に喧しく感じられる。さっきまでの笑顔なんて消え失せ、無表情で受話器を取る。
「ミュ――」
私はここまで素早く動けるのだと、自分に感心してしまうくらいのスピードで通話を切った。もう、"置く"なんて生易しいものではなく、文字通り"叩き付け"た。気のせい気のせい。受話器から聞き覚えのある声が聞こえてきたのは、きっと疲れているからだ。……いや、仕事は無くて暇なのだけれど。暇だからこそ、きっと呆けてしまっていたのだろう。
そして本日三度目のコール音。ため息を吐いて、渋々と受話器を取る。
「何故電話をお切りになるのですか!?」
「何でアンタが電話掛けてくるのよ。そっちでトラブルでもあったの?」
「トラブルなど、私が居る限り起こるはずなどないでしょう!」
「……じゃあ何の用なのよ」
「それは……ですね、ミュゼ殿の声が聞きたかった――」
相手が言葉を紡ぎ終える前に受話器を置く。限界だった。もう、色々と。深呼吸で抑えられるレベルではない。適度な休養と睡眠を必須としている。次に電話が掛かってきたら――。
ジリリリリ……。
「いい加減にしなさいよボケ爺!!こっちはアンタに構っているほど暇じゃないのよ!!」
「ご、ごめんなさい!また掛け直します……」
「は……ぁ……?」
――人違いだった。
先程のしゃがれた老人の声ではなく、一転して蚊の鳴くような弱々しく可愛らしい女の声。
「すっ、すみません!何かご用でしたか?」
「えっと……あの、依頼なのですが……」
☆
「うー……さぶ……」
2月を舐めていた。空気は肌を撫でるどころか、切り裂きにきている。2月に殺される……。コートを着ているが、袖口が広いので風通しもバッチリだ。防寒の意味を全くなしていない。
「温かいうちに帰って、早くコロッケ食いてー」
帰りに惣菜コーナーを覗くと、美味しそうなコロッケが並べられていた。夕食を頼まれていたし、何と言ってもあの鼻孔をくすぐられる、良い香りに食欲をそそられたのだ。しかも、ちょうど揚げたてだったようでアツアツだ。
「一個食っちまおうかなー?いや、バレるとミュゼが煩いからなー。いや、でもこのまま冷やすのもコロッケに悪いしなー。わざわざこんな寒い中買い物に来たんだし、バチは当たらないだろ、うん、そうだな!」
結果の決まっていた自問自答の末、歩きながら袋をまさぐりコロッケの入った包みを探す。もしバレても、言い訳もバッチリだ。比較的上の方にあったため、取り出すのに苦労はしなかった。
「おおーっ!ほっかほか!じゃあ、お先にいっただきまー――」
袋からコロッケを半分露出させ、かぶりつこうと口を大きく開けた瞬間だった。行き違う男と肩がぶつかり、衝撃で湯気の立っていたコロッケは包みを飛び出し、砂利道にべチャリと落下した。
「んのおおお!!?俺のコロッケが……。おいてめぇ、何してくれとんじゃあ!!」
がっくりと膝をついていたが、すぐさま立ち上がり、そのまま立ち去ろうとしていた男の肩を掴まえる。もう若干涙目である。
「コロッケまだあるけど、このコロッケはもう帰ってこないんだぞ!?せめて詫びでも入れてコロッケ供養しろよ!!」
支離滅裂である。自分でも何を言っているのかが意味不明だ。前をちゃんと見ていなかった俺も悪いが、せめてコロッケに謝罪してもらわないと気が済まない。コロッケがきちんと成仏できない。
「何か言えよー!!」
「ああん……?」
振り向いた男は、顔に縫い跡のある絵に描いたようなごろつきだった。スキンヘッドであからさまに柄が悪い。普段なら、近付くのさえご遠慮願うタイプの人である。しかし、こちらから声を掛けて、更に喧嘩まで吹っ掛けてしまったのだ。もう後には引けない。行くとこまで行くしかなかった。
「何か文句あるんか?にいちゃん」
「ないっすー……ってあるわ!食べ物の恨みは怖いぞ、末代まで波及させるからな!?」
「食べ物一つで小さい男やのぅ」
「お、カチンときたぞ俺。いくらごろつき相手だろうが、一対一なら俺だって――」
「何やってんだ?」
「ああ、アニキ。何かこいつが突っ掛かってきとるんですわ」
不意にどこかから声が聞こえてきた。振り向くと、脇の路地裏からごろつきたちが、まぁ出てくるわ出てくるわ。数にして30くらい。
「俺らに喧嘩吹っ掛けてタダで済むと思うなよ」
「おい……誰だよ、世の中平和っつったのは……あ、俺か」
気付くと辺りをごろつきどもに囲まれていた。いや、もう本当勘弁してください。
「俺はただコロッケが食いたかっただけなの。別に喧嘩したい訳じゃないから」
「今更何怖じ気付いてんだよ」
「いや……怖じ気とかじゃなくて……」
「アニキが勇者だから気迫で尻込みしてるんすよ」
「勇者?ごろつきの間違いじゃなくて?」
「おめぇやっぱり舐めてんだろ!!」
「よせ、お前はもう少し冷静になれ」
アニキと呼ばれた男が、ヒートアップするごろつきたちを手で制止する。そして、そのままゆっくりと俺の前まで歩いてくる。金の短髪に、がたいの良い身体。
先にも述べたが、この世の中には勇者が沢山居る。多くが帰らぬ者となったが、生存中に魔王が倒されて、そのまま元の生活へ戻った勇者も数多く居るのだ。このアニキと呼ばれている男も、その中の一人なのだろう。
「けどさ、もう魔王が居ないのに勇者を名乗るってのもおかしな話じゃないか?」
「そりゃそうかもしれないが、わしらは勝手に勇者にされたんだ。なら勇者を語るのも勝手だろ?」
この男の言うことは一理ある。国から有無を言わさず勇者にされ、魔物たちの巣窟へ強制的に送られたのだ。そして魔王を倒したらお役御免。不満が募らない方がおかしいだろう。
「成る程ねー。で、その勇者サマが何故ごろつき紛いのことをしてるんだ?」
「わしはな勝手に勇者にされたが、嫌じゃなかったんだ。元から闘いというのが好きでな。魔物たちと闘っているのも楽しくて仕方なかった。けど、『勇者の二ヶ条』のせいでモンスターを狩ることができなくなっちまった。どうするか?なら、ターゲットを魔物から人に変えりゃいい話だろ?つまりそういうことだ」
「……ふーん、こういうのが居るから面倒なんだよな」
「ああん、何だ?」
「人と魔族の共生が、な」
俺は袋から何かを摘まみ出し、上空に向けてぶん投げた。30くらいの人間が一点を見上げる。
あれは――インスタントコーヒーだ。
そう頭が認知できた瞬間、真下から飛んできたナイフに裂かれ、粉が周囲に散布される。そして、茶黒い雨が良い香りを纏いながら降り注ぐ。辺りからは絶叫する者、顔や服に付いた粉を払う者、怒り狂う者が入り交じってパニック状態だった。
俺はナイフを投げると同時に逃げ出していたから何も被害は無い。……いや、インスタントコーヒーがお釈迦になった。これでは、事務所を出る前の状態から何も変わっていない。……あ、いやコロッケがあと3つある。ってか、そもそもコロッケなんて無ければ――。
「居たぞ、あそこだ!!」
向こうからコーヒーの粉を被ったごろつきどもが、走って来ている。それぞれの手には、いつの間にか武器が握られている。長ドス、カットラス、ロング・スピアー――その他、諸々の凶器。長物ばかりで、飛び道具が少ないのがまだましだろうか。
「やっべ!!」
厄介事には関わらないというのが一番だが、関わってしまった以上は仕方ない。こうなってしまった場合の対処法は、ただ一つ――。
「全力でこの場から逃げる!」
「待ちやがれ!!」
「うわっ、この絵面酷い!」
いかにも悪そうで強靭な肉体の男どもが、華奢な一人の男を追っている。端から見たら、借金取りにでも追われているのかと勘違いされてしまいそうだ。ただ現状は、"金"の代わりに、"命"を狙われているのだが。
「ちくしょー!!ミュゼの奴がちゃんとコーヒー買ってきていれば、こんなことにはならなかったんだ!!」
☆
「……っくちゅん!」
「風邪ですか?気を付けてくださいね、まだまだ寒いですから」
「大丈夫よ。多分馬鹿が騒いでるだけだと思うから」
女は意味が分からなそうに愛想笑いを浮かべていたが、わざわざ説明する必要もない。
「さっきも電話口で聞いたけど、改めて依頼内容を教えてちょうだい」
「あの……ですね、"凱旋通り"を一本離れた裏道知ってますよね?」
「ああ、あの舗装されてない道?」
「そうです。あそこにですね、最近あまり風紀のよろしくない人たちが入り浸っていまして。通りがかりの人から金品を巻き上げたり、軽い暴力を振るわれたという問題が起きているのです」
「それは警察や自警団にお願いするのが筋じゃないの?」
「それが……その人たちが勇者を名乗ってまして……」
「あー……」
残存勇者というものを国は無視した。勝手に仕立て上げ、魔王を倒したらお役御免とばかりに、ばっさりと切り捨てたのだ。代わりと言ってはあれだが、ある程度の問題ならば国は目を瞑るのである。勇者を保護、又は報酬を与えようにも数が多すぎた。だから仕方なく、国は勇者のアクションに対して極力動かないようにするという暗黙の了解があるのである。
しかし、国単位ではさほど問題ではなくとも、小さなコミュニティにとってはとても大きな問題なのである。
「分かったわ、その勇者どもをぶっ殺せばいいのね」
「違います!!ただ懲らしめてもらえればいいんです。相手が勇者なだけに、あまり大々的にはしたくないので」
「ふーん。人間も大変なのね」
「まぁ、町長として町民の苦情――意見は無視できませんから」
「アンタ若いのに町長なの?」
「えぇ、うちの家系が町長を継いでいますので」
「へぇ……」
彼女が町長だろうがなかろうが、正直興味は無いので素っ気なく返事する。話が途切れたので、私は目の前に出されていた菓子を一口で頬張った。うん、不味くはない。もごもごと咀嚼していると、女がちらちらと私を見ているのに気付いた。
「私の顔に何か付いてる?」
「い、いえ!ただ……」
彼女は言葉に詰まり、中々切り出そうとしない。そんな彼女の代わりに、私が話し始める。
「何で魔物が人間の手助けなんてしているのか……でしょ?」
「それは……」
「いいわよ、気を使わなくて。私自身だっておかしいと思ってるから。……でもね私よりも、もっと、ずっと、おかしな人間を知ってるの。あいつは人間だろうが、魔物だろうがお構い無しにお節介なのよ」
「勇者様ですか?」
「それ聞いたらうちの所長は怒るわよ?」
ふふふっと、私は笑って答えた。しかし彼女は、愛想笑いも忘れて目を点にしていた。意味が分からなかったのかしら。
「どうしてですか?」
「会ってみれば分かるわよ」
余計に訳が分からないと首を傾げている。これ以上、私は何も喋らなかった。
その時、玄関の戸が勢い良く開けられて、転がり込むように一人の男が入ってきた。息も絶え絶えで、急いで走ってきたのだろう。呼吸が整わないうちに、男が焦った様子で喋り出した。
「町長!また例の勇者たちが暴れています!!」
☆
「しつこい!いい加減諦めろって!誰も責めたりしないから!プリーズギブアップ!!」
体力には自信がある。しかし、それを踏まえても限界が近付いていた。俺は常に全力で走っているのに対して、相手は数でこちらを追い詰めているのだから、どちらが優勢なのかは火を見るより明らかであった。それに、あまり周囲に被害を及ばさないために、なるべく人通りの少ない道を選んで逃げているのだ。そのような道というのは、道幅もそれほど広くなく、先回りされてしまったら詰みである。幸いなことに、どうやら相手は頭の方があまりよろしくないのか統制が殆ど取れていない。これまで捕まらなかったのもそのおかげだ。
「つっても、もう駄目だ……。足千切れそう……」
「居たぞ!!こっちだ!」
「うわ……つらぁ」
後ろからの怒鳴り声に思わず振り向いて、前も見ないまま走り出す。すぐ左の交差点の死角で、敵が待ち構えているのにも気付かずに――。
「とったぁぁ!!」
街中だというのに、海賊刀を頭目掛けて降り下ろしてきた。その声と姿に驚いて、俺は思わず足が止まってしまう。しかし一瞬で平常心を取り戻し、左足を軸に半身になるようにして、右足を僅かに後ろへずらした。攻撃を避けながら右足はそのまま宙へ浮かす。ガキンと刀が地面を叩くのとほぼ同時に、右足の回し蹴りを敵の顔面に食らわせた。男は降り下ろした状態で、体勢を崩さずにそのまま仰向けに倒れた。
「あ、ごめん。つい反射的に」
「やりやがったなてめぇ!!」
後ろから追ってきていたごろつきたちが、更にヒートアップする。俺の寿命がどんどん縮んでいくのを感じる。冷や汗をだらだら垂れ流しながら必死に逃げた。
それからまた10分くらい経っただろうか。いい加減に相手も学習したのだろう。道の真ん中に俺が居て、両側にごろつきが陣取っている。前も後ろも逃げ場無し。いわゆるゲームオーバーである。辛いことに、これはゲームでなく現実ということだ。
「漸く追い詰めたぜ、あんちゃん」
「はーい、負けましたー。だから命までは取らないでくださいお願いします」
「うるせぇ!!」
こんなに謝っているのに許してくれない、酷い。こうなりゃ、とことん抵抗してやろうと戦闘モードに移行する。真っ向から相手を見つめたが、怯むどころか今にも飛び掛かって来そうだ。どうやら俺には、威厳というかオーラのようなものは存在していないらしい。そもそもごろつき相手に、メンチの切り合いで勝てるとは到底思えないが。
両者の間で火蓋が切られた瞬間、後ろから叫び声が聞こえてきた。叫び声というか断末魔のような声だった。俺はともかく、ごろつきたちまでもが停止している。
「……こんなところで何してんのよ」
振り返ると、うつ伏せの状態で巨体の男が倒れている。そして、それを片足で踏んづけているうちの所員が居た。
「ミュゼ!?お前こそ何でここに?……いや、それはどうでもいい。お前のせいで勇者御一行とエンカウントする羽目になったんだ、どうしてくれる!」
「はぁ?何言ってんの?」
「俺もよくわかんねぇよ!……家でゴロゴロしてたんじゃないのか?」
突然口元をきっ、と上げ尖った笑いを浮かべる。その表情は、人間染みたこいつが改めて魔族なのだと実感できる。ドヤ顔のまま、ミュゼは話し始めた。
「依頼よ。私が受けてきてあげたんだからね、感謝しなさい」
「依頼だぁ?……内容は?」
「そうね……」
彼女はごろつきたちを一瞥すると、淡々と言葉を続けた。
「"害虫駆除"かしら」
「……いかにも俺ら向きの依頼って訳だ」
「だけど殺しちゃいけないんだって」
「俺をお前と一緒にするな。節度くらいはわきまえてるつもりだ」
俺は袖口からナイフを取り出して、こきこきと指を鳴らす。
「……さぁ、お仕事の時間だ」
☆
2対30以上。数字上ではとても大きな差だった。多勢に無勢、という言葉があるように少数のこちらは完全に不利。しかし、これはそれぞれの数がほぼ同等の力を持っている場合である。直接対決するスポーツなどで考えると、数の多い方が圧倒的に有利だ。理由としては、皆が同じルールに従っているため、他より秀でている者もルールの中でしか力を発揮できない。でも、現在の状況はどうでしょう。ルールなんて存在していない。あえて言うならば、向こうは完全に殺しにきているけれど、こちらは依頼主の意向によって命を奪ってはいけないという制約があるくらい。
つまり、"命を奪わない限り何をしてもいい"ということである。
「な、なんだあいつら!?」
「束になって掛かってもびくともしねぇ!」
私は元々武器なんて使わない。自分の身体だけで戦うのだ。そもそも魔族は、人間よりも遥かに身体能力が上なので、女の私が人間の男を相手にしても負ける要素が見当たらない。おそらく、魔族の男と素手で戦っても引けを取ることはないでしょうけど。波のように襲い掛かってくる人間を、掴まえては投げ飛ばす。ぽっくり逝かないように手加減するのが大変だ。
一方、人間の相方は素早い動きで敵を翻弄している。開いた袖口からナイフを取り出しては、絶対に当たらないように調節しながら投てきする。刺さらないと分かっていても、目の前へ飛んでくる凶器に一瞬、無意識に身体が怯んでしまう。その0.5秒にも満たない敵の躊躇を見逃すことなく、懐に潜り込み一撃で敵を沈める。勿論、死なないようにナイフではなく蹴りで昏倒させているのだけど。
気付けば、30以上居たごろつきは片手で数える程度にまで減っていた。残りは地面で伸びている。
「アニキ!あいつらかなりつえーですぜ!?」
「見れば分かる。……おい、あんたら何者だ?そっちの姉ちゃんは魔物みたいだが」
「何者か……ねぇ。職業でも言っときゃいいの?俺は"何でも屋さん"の所長だ」
「何でも屋?」
「正式には『ピース依頼事務所』って言うんだけどな。まぁ、依頼を受けて気が進めば何でもやりますよ、って感じ」
「聞いたことねぇな」
「ミュゼ……うちも広告とか出した方がいいのかな?」
「あんまり広まると忙しくなりそうでそれはそれで嫌ね」
所長は拳を顎に当てて、本気で悩んでいるようだった。仕事が無いのも暇で仕方がないけれど、休む暇も無いくらい忙しいのも問題だ。何事も、程々なのがちょうどいい。
アニキは、そんな私たちを無視して質問を続ける。
「……兄ちゃん、名前は?」
「名乗る程の者じゃねぇよ」
「何かっこつけてるのよ」
「あいたっ!」
隣でふふんと鼻を鳴らしていた馬鹿の頭をグーで殴る。
「お前のパンチは洒落にならないから止めろ!」
「アンタがそんなこと言ってるから知名度が低いのよ」
言い合いをしていた私たちに割って入るように、アニキが突っ込んできた。そしていつの間に手にしていたのか、巨大なハンマーを横薙ぎに振る。私たちは咄嗟に後ろに飛び退いたけど、アニキはそのまま追撃してきた。しかし、私の方ではない。
「兄ちゃん、ちょっと手合わせしてくれないか?」
「ぐっ……!」
着地した隙を狙うように、アニキが攻撃していく。ハンマーを振るというより突き刺すように突進する。力では敵わないと悟ったのか、袖口から取り出したナイフで僅かに軌道をずらし、衝撃を受け流すように大きく横へ回転して避ける。
「おいおい……力比べがしたいなら相手は俺じゃねぇだろ」
「生憎と女に手は出さないって決めているからな。それにあんたが気になる」
「気色悪いな、俺にそっちの趣味はないぞ」
アニキは振り返りつつハンマーを回し、隙を作らないようにする。ただのごろつきかと思っていたけれど、伊達に勇者をやっていなかったらしい。私はちょっと真剣に二人の対峙を見ていた。やはり実力のある者たちの戦闘というのは、見ているこちらまで集中してしまう。思わず熱が入ってしまうのだ。
だけど、背後から生き残っていたごろつきたちが、一斉に飛び掛かってきたのに気分を害された。こちらも力で敵わないと判断して、まとめてかかってきたのだろうけど、無意味だった。イラっとした私は、右足で地面を叩くように踏む。それに呼応するかのように、私の真後ろの地面から壁が生えてくる。ごろつきたちは、突如として地面から現れた壁に反応することもできずに正面衝突してしまった。かなりの勢いでぶつかったが、壁はびくともせずに立っている。ちょっと横から覗き込んでみると、重なるようにしてごろつきたちが倒れていた。辺りを見回してみても、残っているのはアニキただ一人だった。
「姉ちゃんの方は魔法も使えるのか」
「こんな所で使うなよ……短気」
「聞こえてるわよ。後でぶっ飛ばすわ」
「うわ……地獄耳。どうやらお前との勝敗に関係なくボロボロになりそうだ」
穏やかに話しているけど、二人とも戦いの手は一切緩めていない。四方八方から繰り出されるハンマーの一撃をまともに受けず、飛び退いたり、ナイフで軌道を逸らしたりして攻撃を凌ぐ。とても激しい攻防だ。ハンマーとナイフが接触する度に火花が散っている。しかし、そんな攻防で一つおかしな点がある。
「おい、何でさっきから"反撃"しないんだ」
ハンマーの攻撃後、アニキは隙を減らすために牽制をしている。それでも完全に隙を無くすことは不可能だ。しかし、それでもうちの所長は反撃のチャンスを捨てて次の攻撃に備えていた。
「んー?だってお前言ってただろ。『闘いが好きだ』って。だったら、長く闘えてる方が楽しんでもらえるかなって」
「……手加減してたって言うのか?」
「いや?割りと本気でやってたよ。もう手がじんじんしてるわ」
へらへらと答えているが、何故あいつが反撃しなかったのか本当の理由を私は知っている。
「……長引いたら依頼主から報酬金が多く貰えると思ってるのよ」
「ばっ、馬鹿!そ、そんな訳ないだろ!?」
「…………」
アニキは黙っているが、恐らく引いているに違いない。ごろつきに引かれるなんて、うちの所長も悪いベクトルで劣っていない。
「安心しなさい。もう、先払いで報酬貰ってるから」
「……は?何でそれ先に言わないの?うわっ、マジかよー!!」
ここまでくるともう外道レベルである。
アニキは我に返り、ハンマーを頭目掛けて降り下ろす。しかし、空を切り地面を抉るだけだった。所長は降り下ろされるハンマーとアニキの僅かな隙間に潜り込み、腹へ膝蹴りを食らわせる。アニキは呻き声を上げたが倒れない。所長は地面を蹴って再び距離を取る。
「ぐはっ……!あんた、本当に何者だ……」
「……」
それでも所長は答えようとしない。そもそも答えるつもりなど毛頭ないのでしょう。
突然、私は頭の中に所長が言い放った、『名乗る程の者じゃねぇよ』という言葉が甦ってきた。何故だか、妙にムカついてきた。イライラし始めた私はもどかしくなって所長の名前を叫んでやった。
「早く終わらせなさい、ゼード!!」
所長の名前を聞いた途端、アニキが驚愕した。目を真ん丸に開き、大声を出す。
「ゼードだって!?あんた、まさか魔王を倒した勇者か!?」
所長――もとい、ゼードはアニキに向かって走り出した。アニキは態勢を立て直し、ハンマーを横へ薙ぐ。先程ならばゼードは距離を保ち、なるべくハンマーの範囲外にポジショニングしていた。けれども、駆け出した足を止めることなくそのまま突っ走る。そしてハンマーの重たい一撃が迫った時、ゼードは小さくジャンプした。それでも高さ的に避けられない――。
そこからはまさに一瞬の出来事だった。
襲い掛かるハンマーに対してゼードは短剣を取り出して、真っ向から打ち合った。ヘッドの部分ではなく、柄の部分へ。激しい衝突音と共に何かが宙を舞う。ハンマーの先の部分だ。ゼードは迫りくるハンマーを切断したのだ。
これは偶然ではない。これまで反撃をせずに、のらりくらりと避けていたのに答えがある。実は攻撃をナイフで凌いでいただけではなく、何度も柄の部分の同じ所を傷付けていたのだ。そして、傷の付いた部分への一撃。幾度となく付けられた傷に加えて、アニキ自身の攻撃のパワーとゼードのパワー。これらの要因が上手く噛み合って、このような芸当がなされたのだ。
つかみどころが無く、ただのうのうと生きているように見え、対策は完璧にしてくる。最後の瞬間のために全てを費やす――魔王を倒しに来た時もそうだった――。
そしてゼードは空中の勢いを殺すことなく、柄の部分だけになったハンマーを持つアニキへ踵落としを食らわせる。衝撃はかなりのもので、巨体が前へ弾き飛ばされるように倒れ、身体が地面に叩きつけられてから動かなくなった。
「"元"勇者だ。間違えるな」
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ごろつき勇者騒動から約1ヶ月。事務所で依頼も来なくて堕落しきった生活を送っている――はずだったのだが――。
「はーい、今出ますよー」
呼び鈴の音で、寝そべっていたソファから起き上がり、玄関へ向かう。そして、鍵の掛かっていない扉を開ける。外には一人の男が立っていた。
「魔王を倒した勇者様ですよね!」
「人違いです」
扉を閉める。どこから情報が漏れたのか、魔王を倒した勇者が居る、という噂が広まっていた。ここ最近ずっとだ。誰からか……まぁ、容疑者は何人か居るものの、それは些細な問題にしか過ぎない。問題は、実際に来られると依頼うんぬんの前に外出はおろか、事務所でのんびりごろごろすることもできないのだ。
「うるせーな!!さっきからずっと呼び鈴鳴らしまくって!思考中だっつーのに」
「すいません、話だけでも聞かせていただきたくて」
「するか!大体、来るにしても電話か何か寄越してからってのがマナーじゃないの?」
「しましたよ」
「は……?ワタシシリマセンヨ?」
脳の処理が追い付かず、何故かカタコトになる。
「昼前に奥様が出られたのですが……?」
「ケッコンシテナイヨワタシ?」
「そうなのですか?てっきり女の方が出られたので、そうかと」
事務所の電話に出られる女は、どう考えても一人しか該当しない。嫌な予感を胸に抱きつつ、先を促す。
「で、その女は何だって?」
「『あー、報酬に色を付けてくれたらいいわよ』って」
「あんのクソアマー!!!」
お読みいただきありがとうございます。
初めましての方は初めまして。
お久しぶりの方はお久しぶりです。
碓氷です。
活動報告でもお伝えしましたが、連載中の『月影テールライト』と同時進行でこれから書いていきます。
恐らく、今までより遥かに投稿ペースは遅くなると思いますが、宜しくお願い致します。
それでは改めて、ここまでお読みいただきありがとうございました。