勇者と魔娘の3年間   作:碓氷 修夜

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☆登場人物
ゼード…ピース依頼事務所の所長。過去に勇者として魔王を倒した経験あり。勇者の前は罪人?

ミュゼ…先代魔王の娘。今はピース依頼事務所に住み込みで働いている。


グド…過去の事故のせいで顔を火傷で失った魔族の老人。顔にウサギの面を付けて隠している。西の町まで送り届けてくれるよう依頼した。

リディ…ウェーブがかった金髪とぱっちりとした青い瞳が特徴的な少女。グドと一緒に依頼をしてきた。


case:11   ツクリモノノ心

「おじさん!これください!!」

 

椅子に座っていた僕は手元の本から、声のした方向へ顔を上げた。見ると、カウンターの机越しに子どもの目から上だけがひょっこりと覗いていた。机に手をついて見下ろすと、小さな女の子が居た。その手には、ピンクの洋服を着た、鉛筆くらいの大きさの人形が握られている。髪はおそろいの赤毛だ。女の子の後ろには、母親と思われる女性が笑顔で見守っている。

 

「うん、6Gだよ」

 

女の子は首からぶら下げた黄色の財布をたどたどしい手つきで開けると、中から硬貨を取り出して、カウンターの上に並べ始めた。頑張って貯めたお小遣いなのか、小さな金額の硬貨が次々と置かれる。しかし時折困ったように後ろを見ては、女性に助けを求める。母親は「その茶色いの」などと言って、答えを導いていた。

 

「はい!おねがいします!!」

 

「……よし、ちょうどだね。ちょっと貸して」

 

広げられた硬貨を数え、僕は立ち上がってカウンターの前に行く。しゃがみ込んで女の子の目線に合わせると、人形を受け取った。人形を一瞥してから女の子に視線を戻し、笑いかけながら質問をする。

 

「この子ちゃんと大事にしてくれる?」

 

「うん!」

 

「じゃあちょっと待っててね……」

 

僕は片方の手に人形を乗せると、もう片方の手で包み込む。そのまま目を瞑り、ぽつぽつと言葉を紡ぐ。

全て言い終わるのと同時に、箱を開けるように上に乗せた手を開いてみせる――。

 

 

すると、横になっていた人形が――ひょっこりと独りでに立ち上がった。

 

そのまま僕の手のひらから女の子の肩へジャンプする。驚きと喜びの感情が入り混じった女の子を横目に、人形は行儀よくお座りをした。

 

「わぁー……!おじさん、ありがと!!」

 

手を振りながら店を出ていく女の子に、僕も手を振り返す。母親もこちらにお辞儀をしてから、扉に付けたベルを鳴らしていく。

 

 

――これが僕の仕事だった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――

 

「リディーーーーーー!!!!」

 

「落ち着きなさいって!!」

 

ゼードの後に続いて、崖から飛び降りようとしているグドの腕を思い切り引っ張り、無理やり生還させた。引き上げられたグドは、すぐさま起き上がって"ふち"に駆け寄る。けれども、また大声で叫ぼうとしたところで、今度は自分自身の身体が止めに入った。息を吸い込んだ途端に、声より先に咳が溢れ出てきた。その場に膝から崩れ落ちたグドを、まずは安全な場所まで引き戻し、私も傍に座り込む。

 

「……ほら、言わんこっちゃない。少し水飲んで身体と頭を落ち着かせなさい」

 

グドの手荷物を勝手に漁り、中から水筒を取り出して手渡す。リディが居ないから適切な処置は分からないけど、見よう見まねで背中をさすってあげる。

 

暫くずっと咳き込んでいてまともに会話もできなかったけれど、やっと治まってきた。お面を少し上にずらして、ごくごくと水分を補給する。口を離してから一、二度大きく深呼吸をすると平静を取り戻したようで、申し訳なさそうに話し掛けてきた。

 

「……取り乱してしまい……すみませんでした」

 

「いいわよ、別に。それに目の前であんな光景見たら、誰だって発狂くらいしたくなるわよ。でも、安心なさい。うちの馬鹿所長が何とかしてるだろうから」

 

「しかし……かなりの高さがあったはずです……。いくら川に落ちたとしても……きっと……」

 

絞り出していた言葉が途中で詰まってしまって、そのまま閉口してしまう。腿に置いてある手を見ると、どんな感情からかふるふると震えていた。

下手をしたら自分も落ちていたという恐怖。思わず手を離してしまったという後悔。ただ打ちひしがれていることしかできない私憤――。

 

そんなのは本人にしか分からない。だから私は、私自身に言い聞かせるように言葉を並べる。

 

 

「大丈夫よ。リディは絶対生きてるわ。何か考えがあったからゼードだって飛び込んだのよ。絶対、大丈夫」

 

その言葉にグドは一瞬驚いたのか、震えも含めて動きがピタリと止まった。だけどすぐに、こわばらせていた身体の硬直を解いて、いつも通りのゆったりとした口調に戻る。

 

「そう……ですね。……はい」

 

ウサギの顔が空を向く。深い霧に包まれていて、天上は何の輝きも放っていない。それでもグドは存在しない二つの瞳で、映るはずのない光を確かに見ていた。

それからお面の下でふーっと鼻息を吐いた。

 

「…………ミュゼさんはやはりお強いです。いつでも冷静で……こんな老いぼれよりもしっかりしています」

 

言われた通り、私は自分でも驚くくらいに落ち着き払っていた。ふと数十メートル先に視線を移すと、地面の一部が剥ぎ取られたかのように欠落している。収まったとはいえ、まだ細かい砂や石が底の見えない谷底へ転がり落ちている。……それだけじゃない。ついさっきまで一緒に歩いていたリディとゼードも飲み込まれてしまった。しかし、だからといって何かできるわけじゃない。

 

「まぁ、ね。ここで騒いだってどうにもならないでしょ」

 

「…………すみません」

 

直前まで、声を上げていた自分が咎められていると勘違いしたのか、申し訳なさそうに斜め下を向く。私はそのまま視線を横に動かして、途切れた地面の先を見る。

 

「別にアンタを責めてるわけじゃないわ。ただ自分の無力さを呪ってるだけ。どうにもならないから、信じるしかないのよ」

 

「信じる……ですか……?」

 

同じ言葉を繰り返し、不思議そうに顔を上げる。それに対して私はふふっと笑ってから話を続けた。

 

「ええ。所長は嫌いだけど、この何か月かで"一応"信頼できるって分かったから。そっちはもっと長いんでしょ?5年前……だったっけ?アンタらは好き同士で、付き合いももっと長いんだから。……アンタが信じないで誰が信じてあげるのよ?」

 

「…………」

 

グドはそのまま黙り込んでしまった。私もあえてそれ以上は何も言わず、気持ちの整理がつくまで待っててあげることにする。

二分くらいかしら、自分の中で納得ができたのか小さく頷くと、大きく息を吸い込んだ。

 

「はい!僕以上に彼女を信じてあげられる人は居ません!だから信じて前へ進みます。……どこかでリディと合流できることを信じて」

 

「えぇ、そうね。……でも決意に水を差すようで悪いんだけど、今日はもう休みましょう。辺りも暗くなってきちゃったし、私も魔力使い過ぎて疲れちゃったわ」

 

「し……しかし……」

 

「アンタだって体調が万全じゃないでしょ?心配なのは分かるけど、会う前にダウンしちゃったら本末転倒よ」

 

「……分かりました。ミュゼさんにもこれ以上ご迷惑は掛けられませんから……。……どこにテントを張りますか?」

 

「え?ここでいいわよ?」

 

「え……?また崩れたら危険ですし……」

 

「心配いらないわ。さっき地面に魔力流したら、もうそんな気配は無かったから」

 

グドは絶句し、声にならない言葉が口から漏れ出していた。

 

「……やっぱりミュゼさんはお強いです」

 

「……何か今度は褒められてないように感じるんだけど」

 

「い……いえ。……ただ……もう少し向こうへ移動しませんか?あくまで……気分的な問題なのですが……」

 

「?いいけど……」

 

何故かグドはほっとしたように胸を撫で下ろすと、よたよたと立ち上がる。

 

「肩貸しましょうか?あ、でもこんなにくっついたらリディに怒られちゃうかしら」

 

「いえ……大丈夫です……。どこかに掴まらせていただければ……」

 

「はいはい」

 

私も遅れて立ち上がり、グドの手を引いてあげる。申し訳なさそうに「すみません……」と小声で漏らして、私の後をついてくる。

 

 

場所を変えるために歩いていると、ふと先刻に自分が語った話に誤りがあったことに気が付いた。過ぎたことだからもういいけど、どうにも引っ掛かってしまった。一回気になってしまうと何だかむずむずして気持ちが悪いので、立ち止まらずに後ろのグドへ話し掛ける。

 

「ねえ?さっき私、アンタらが会ってから5年、って言ったけど、もうちょっと長いわよね?」

 

「え……?…………そうですね……事件の前から知り合っていましたので……」

 

「"40年"くらい?」

 

「ちょっとミュゼさん…………私はともかく……リディがそんな歳に見えますか?」

 

グドが思わず鼻で笑いながら、握っている手をぶんぶんと揺らす。しかし私は頭を横に振ると、至って真面目に話し始めた。

 

 

「違う違う。"最初から"だとしたら、それくらいでしょ?」

 

 

その瞬間、ゆっくりとしたペースに合わせて歩いていた私の足がガクンと蹴つまづいたかのようにもつれる。急にグドが立ち止まったため、置いて進んだ私が引っ張られてしまったみたい。力は断然私の方が上でしょうけど、歩いていただけだったので力を籠める必要がまずなかった。慌てて体勢を立て直して、ちょっと恥ずかしく思いながらグドを振り返る。

しかし当の本人はそんなこと一切意に介せず、微動だにしないで私を見ていた。

 

「………………て…………」

 

「え?」

 

いつもより断然小さな声で、更にお面の中でこもってしまっていたから、私の耳では上手く聞き取れなかった。もう一度話してもらおうと促すよりも先に、グドがはっきりとした口調で喋った。

 

 

 

「……どうして……あなたが"それ"を知っているのですか?」

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――

 

「おい……おーーーーい?……聞いてますか?」

 

ザッザッという小石をどかしながら進むのと、ズザーッという常に地面を耕すように引きずる二つの足音が、両側の絶壁にぶつかって"こだま"している。勿論、常に流れ続けている川のせせらぎは聞こえてくるが、それしか生物の"聲"が聞こえてこない。まるで世界から生き物という生き物が全て、どこかに丸々持ち去られてしまったかのような錯覚さえ起こさせる。

だとしたら、さながら俺たちはそんな無人島に漂流してきた冒険者だろうか。ここは川辺だが、人気の無い場所に打ち上げられたという点では、あながち間違いでもないだろう。

 

そんな河原を、ぜーはーと辛そうに肩で息をしながらリディが歩いていた。俺は心配になって、余計なお世話どころか、邪魔にしかならないと頭では理解していても、声を掛けずにはいられなかった。

 

 

「……なぁ、聞いてる?」

 

「…………ゼードさんは黙っててください」

 

「……怒ってる?」

 

「どうして助けてくれたのに、怒らなければならないんですか?感謝してもしきれないほどです。……それにどちらかというと怒りよりも、情けなさでいっぱいです」

 

「情けなさって……地面が崩れるなんて、普通誰も思わないし、仕方ないんじゃないか?」

 

「本当なら私がグドを守ってあげなくちゃいけなかったんです!……でも、それどころか逆に私が助けられていて……。いっそのこと私なんか見捨ててくれればよかったんです」

 

「そんなこと言うなって。……それに俺がお前助けるために飛び降りたのは、被害を最低限に抑えるためでもあったんだぞ?」

 

「そんなの……ゼードさんが来なければ私一人が犠牲に――」

 

「俺が行かなかったら、代わりにグドが来てたさ」

 

「あ……」

 

それまで苛立ちで丸まっていた背中が、ピンと伸ばされる。俺は目を閉じて、その後のもしもの事態を思い浮かべる。

 

「あの様子じゃ、どんなに説得したって俺たちが目を離した隙に、崖へダイブしてただろうよ。……お前はグドが何よりも大事なんだろ?だったらまず、お前自身が死んじゃダメだ」

 

「……ごめんなさい。ありがとうございます」

 

「いーや、俺こそありがとうだよ」

 

「ゼードさんは言う必要ありませんって。私が悪いんですから……」

 

「じゃあ俺がお前助けたのと、お前が俺を助けてくれたのでノーカン。それならいいだろ?」

 

「でも……」

 

「そういうことにしてくれ。……そういうことにしてくれないと、今の自分が情けない…………」

 

「どうしてですか?」

 

「どうしてって――」

 

俺はゆっくりと目線を上げて、リディの後頭部を見る。

 

 

「女の子に"おんぶ"されてるこの状況だよ!!」

 

身体のどこにも力が入らず、なすがままリディに背負われていたのだった。俺の両腕を肩の上を通し、胸の前でクロスさせて押さえ込んでいる。しかし、体格差のせいもあって完全におぶることはできずにいた。だらりとはみ出た脛から下は、そのまま引きずられるようにして川岸に二本の平行なラインを描いていた。

どうにか動かせるのは、目と口くらいのものだった。頭も思うように動かせないので、視界のほとんどがボリュームたっぷりの金髪で埋め尽くされていた。

 

「仕方ないじゃないですか。動けないんですから」

 

「颯爽と助けに来た結果がこれだぞ!?かっこ悪いにもほどがあるだろ!?」

 

「助けてくれたじゃないですか」

 

「その後がこれじゃ意味ねーじゃん!!」

 

「ちょっと……暴れないでください!」

 

駄々をこねて思わず身体を揺さぶってしまった。ただでさえ自分よりも大きくて重い男を担いでいるのだ、きっと絶妙なバランスによって保たれているのだろう。

 

「あ……すまん。重いだろ?降ろしてくれていいんだぞ?」

 

「下濡れてますから」

 

「もう既にびしょ濡れだろ。お前も疲れてるだろうし、遠慮しないで降ろせって?」

 

「疲れてないので大丈夫です」

 

「いやいやいや、きっと自分には分からない疲労が溜まってんだって。もっと身体を労わろう?」

 

「ゼードさんも労わってください」

 

「お前だって――っーー…………」

 

身体が動かないことをすっかり忘れて、頭を持ち上げようとした。その瞬間、首や肩、背中にまで激痛が走り、言葉にならないうめき声を上げる。

 

「悪化しますから、黙ってましょう?」

 

「…………」

 

痛みと正論で何も言い返せない。俺は大人しく、リディの気が済むまで引きずられ続ける覚悟を決めた。

 

 

どうしてこんなことになっているのだろうか――――。

 

 

ガシッ!!

 

俺は伸ばされたリディの右手を掴んだ。ここへ来るまでに、一緒に落下している土塊にぶつかって身体中は痣や砂だらけ。けど、そんなこと関係なかった。彼女を捕まえることは第一目標に過ぎず、問題はこの後どうするか、だった。このまま何もしなければ、高速で落下してコンクリート並みの水面へ叩きつけられるだけである。最悪、途中に岩でもあったらそれに当たってぺしゃんこだろう。

 

まずはリディをこちらに引き寄せる。目に涙を溜めて何か話そうとしているが、気づかないフリをして無視を極め込む。そもそもかなりの高さから風を踏み抜いて落ちているのだ、聞いてやろうにも聞き取れないだろう。むしろ舌を噛まないか心配だが。

パラシュートでも持っていたら綺麗に下へ着地できただろうが、俺はそんなに用意周到な人間ではない。趣味などで使っているなら別だが、まず所持さえしていなかったと思う。

 

俺は彼女を左腕で抱え込んで片手をフリーにすると、ナイフを両側の絶壁に向けて投てきする。空気に穴を穿ちながら進んだナイフは、壁からはみ出た岩の隙間に引っ掛かるように突き刺さった。ナイフからは紐が伸びていて、俺のリュックへと繋がっている。飛び出た紐はまるで、バンジーロケットのようにV字になって、これ以上落下するのを食い止めてくれた。その衝撃で、リュックを中心にグルングルンと振り回され、両肩にもがれるような痛み広がった。しかし、それよりもリュックが千切れなくて良かったという安堵の方が大きかった。掻き回された胃から、胃液が逆流してきそうになるのを堪えるのに必死でもあったが。

 

 

数秒間世界が高速で回転した後、激しい揺れを経て漸く止まった。頭がぐらぐらする感覚に襲われながらも、小脇に抱えたリディに目を落とす。彼女も落とされまいと、必死に目を瞑って俺の服にしがみついていた。

 

「……生きてるか?」

 

「どうにか……」

 

すぐに反応できるところを見ると、目立った怪我などはないらしい。

ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、真上から気配を感じる。――巨大な土塊だ。

一部の地面がごっそり欠け落ちたのだ、その大きさは優に俺たちを押し潰すだけに留まらないだろう。俺は咄嗟にホルスターに手を掛ける。しかし、目的のものをはそこにはない。

 

(しまった……!ナイフがもう無い!?)

 

コートであれば大量に袖口にしまえたものの、ホルスターでは二本が限界だ。その二本は紐を伸ばして命綱の如く、俺たちを谷の途中で支えてくれている。残りのナイフはリュックの中だ。勿論、この状況では開いている猶予など存在しない。

 

「リディ!手を離すからそのまましっかり掴まってろ!!」

 

「えっ……ええー!!?」

 

了解を待たずに挟んでいた左腕を離して、代わりに左側の紐をしっかりと握る。俺は右手で、懐から短剣を抜き取ると、何の躊躇いもなく右側の命綱を裁った。このままペシャンコになるよりも、横へ逸れて落下した方がまだマシだと思ったからだ。しかし、回避など許さないとでもいうかのように、辺りを覆い尽くす影を伴って土塊が降ってくる。

 

俺は紐を破った短剣をそのまま土塊に向ける。そして斬る、というよりも払い除けるように斜めから叩いた。いくら土だからといえど、元は長い年月をかけて出来上がった大地なのだ。簡単に切断できるはずがない。それに目的は切り裂くことよりも、この状況から逃れることだ。

 

土塊を弾いた瞬間に、身体が物凄い勢いで引っ張られた。両側の紐で保たれていた均衡が崩れ、ターザンロープの如く、左側のナイフを軸にして壁へ引き寄せられる。想像以上の反動で、むち打ちになったのか、首を始めとした肉体が悲鳴を上げる。

 

降り注ぐ土塊から身を守ることには成功したが、次の危険が迫っていた。遠くにあった絶壁は、ぐんぐんと大きくなっていく。しかし、ダメージを受けすぎた身体はピクリとも動かない。

 

 

そして、無抵抗に壁へ叩きつけられた――――。

 

 

「ここなら大丈夫そうです」

 

俺はやっと背中から降ろされ、大きな樹の足元に座らされた。乾いた地面を探し出してくれたみたいだが、やはり自分が濡れてしまっているから関係なかった。

 

「ん、サンキュな」

 

「身体動きますか?」

 

「動くなら自分の足で歩いてきたわ」

 

「ですよね……」

 

リディは苦笑いをしてから、地べたに座り込む。ふーっと息を吐きながら、髪に溜まった水滴を手で拭っていた。

 

「……あれからどうなったんだ?」

 

「あれからって……」

 

「壁とごっつんこした後」

 

納得したように声を漏らすと、一つ咳をして話始めた。

 

「激突した衝撃で私たちは、川まで転落しました。その間もゼードさんは私を庇ってくれていたんですけど……覚えてませんか?」

 

「全く?」

 

目を横に動かすと、リュックの一部が千切れているのが見えた。ナイフよりも先に、リュックの限界がきたのだろう。さすがに二人分の体重を、片側だけでは支えきれなかったのだろう。

……二人分、か。

 

「そ、それで川に落ちたんですが、途中でゼードさんが止めてくれたお陰で、そんなに高さはなかったみたいです……。それに深さもありましたから、何とか無事でした。そして、気絶したゼードさんを引っ張って、川岸に泳ぎ着いたんです。結構流されてしまったみたいですが……」

 

「そっか……。お前は怪我してないか?」

 

「多少の擦り傷はありますけど、問題ありません。……私のためにごめんなさい」

 

自分の身体を見回してから、ボロ雑巾のような俺を見て頭を下げた。

 

「それはさっきノーカンにしただろ?」

 

「そうでしたね……あっ!」

 

急に何か思い出したのか、慌ただしく自分の荷物を漁り始める。そして、"それ"を取り出した。

 

「これ、忘れないうちに渡しておきます」

 

 

差し出してきたのは――短剣だった。いつも懐にしまっているもの。20センチくらいの長さで、鍔は付いておらず、一般には装飾品として好まれるものだろう。しかしこれは、柄の部分にも目立った彫刻は施されておらず、どっちつかずの見た目をしていた。

短剣を大事そうに両手で持つと、動けない俺の太腿の上に寝かせた。軽量のはずなのに、何故だかずっしりと身体の奥まで沈み込んでくる感覚がする。

 

水を吸って服が重くなっているはずなのに、どうしてか胸の辺りが軽く感じていた。その感覚は、物理的なものだけではなかったのだろう。

 

「ああ……。無くしてなかったか」

 

「……それ、とっても大事なんですよね?」

 

「何で?」

 

ぐいっと顔を近づけて、興味津々に質問してくる。

 

「だって……川岸に引き上げるまでずっと離さないで握ってたので。気絶してたのにですよ?大事にされてなかったらそんなことしませんし、こんなに手入れもされてないですから!」

 

「剣とか詳しいのか?」

 

「いえ……」

 

小さく首を横に振ったが、すぐにパッと目を見開いて喋り出した。胸に手を当て、キラキラと目を輝かせている。

 

「ちゃんと大切にされているものなら、詳しくなくても分かります!」

 

ふんすと鼻から息を吐いて、自信ありげな表情を見せる。これ以上にないドヤ顔であるのだが、不思議と苛立ちは覚えない。

 

「まぁ、大切にしてるっちゃあしてるかな。使ってるうちに愛着も湧くしな」

 

「やっぱりそうですよね!」

 

「……やけに嬉しそうだな」

 

「い、いえ……」

 

指摘されると、慌てて距離を取って平静を装う。かなり動揺しているのか、意味もなく荷物をほじくり返したりしていた。

 

ふと思い立って、ちょっとは動くようになったかと腕に力を籠めてみる。だが、まだダメなようであまりの苦痛に顔を歪ませるだけだった。リディに見られないようにやったつもりが、気づかれてしまったようで、再びこちらに近寄ってくる。

 

「あまり無理しないでください。死んでいてもおかしくなかったんですよ?というかよく生きていましたね……あ、皮肉を言っているわけじゃないですよ!?」

 

「分かってるよ。これでも鍛えてるからな。そんな簡単にくたばって堪るかっての。……それ言ったら、お前だって人間じゃないだろ?」

 

「…………私ですか?どうして?」

 

「崖から落ちたってのに、一つや二つの傷で済んでるんだからさ」

 

「それはゼードさんのおかげですよ。庇ってくれたって言ったじゃないですか」

 

リディは口角上げて屈託のない笑顔を見せる。疲れている時に見たらそんなの吹っ飛んでしまうくらいだろう。それくらい、気持ちのいい笑顔だった。

 

 

――目も笑ってくれていたら、の話だが。

 

「比喩じゃねぇよ」

 

「……え?」

 

「お前は"人間じゃない"よな?だからと言ってグドみたいに"魔族でもない"」

 

「………………そんなわけないじゃないですか。どうしてそんなこと言うんですか?」

 

「俺鍛えてるって言ったけどさ、腕力だけはからっきしダメなんだよね。だから、いくらお前が軽くても、"片手"で抱えられるはずないんだよ」

 

「そんなの――」

 

「――なあ?……お前は一体何者なんだ?」

 

 

永遠とも思える間。静かな夜を風が吹き抜けていく。生暖かい風が、湿った身体を気味悪く撫でていった。居心地が悪いはずなのに、誰も動かない。動かせるはずの目も、ただじっと一点を見ていた。

視線を外していた彼女はやっと観念したのか、固く結んだ口を解いた。それでもなお、こちらに向き直りはしない。

 

 

「……そうです。私は人じゃありません。……私は………………私は……――――」

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――

 

「お、グドさん!」

 

「どうも。精が出ますね。……すみません、魔納石ありますか?」

 

魔納石は魔力を中に取り込める石だ。採掘量はそれほど多くはなかったけど、価値は皆無に等しかった。というのも、吸収できる量は無限ではなく、魔力を注ぎ込んでもそれを取り出す方法がないからだった。量が量なだけあって、身に着けていても魔法から身を守ってくれるわけでもなかった。だから掘り出されても、道端に転がっている石と大差がないから捨てられてしまう。

それでも、僕にとっては大事な商売道具だった。"人形の重要な動力源"だったからだ。

 

 

僕は魔法がほとんど使えない。攻撃魔法なんてもってのほかで、微々たる魔力放出くらいが限界だった。その代わりに、他人よりも細かな調整ができた。そんな僕だからこそ、魔力を籠めた"魔納石自体を動かす"ことが可能だったのかもしれない。

 

それを応用して動く人形を作れた。勿論、魔納石をそのまま人形に入れては危険だし、何より重くなる。そのため、魔納石を小さく砕いて砂状にしたものを人形に埋め込む。こんなサイズでは、魔力を吸収する力はほとんど無くなってしまう。でも、人形程度を動かすには申し分なかった。相対的に持続力も減ってしまうから、100日程度で動かなくなってしまうけど、それを前提に購入してもらうので問題はない。

 

「おう、いっぱいあるよ」

 

「……すみません、いただけますか?」

 

「あいよ。その箱にあるから持って行って」

 

「ありがとうございます。……いつも思うのですが、本当にタダでもらっていいのですか?」

 

「何を今更言ってんだい。あったってどうせ捨てるだけなんだから、グドさんに使ってもらえた方がいいって。ウチの娘も楽しそうに人形と遊んでるんだからよ」

 

「……ありがとうございます。では、遠慮なくいただきます」

 

手に持っていたランタンを床に置き、足元にあった木箱を開いて中身を確認してみる。中にはぎっしりとエメラルドグリーンともターコイズともとれる、5センチくらいの石が詰まっていた。これが魔納石だ。

僕は大量の石を無料でもらえるにもかかわらず、覗きながら思わずため息を吐いていた。

 

「……ところでグドさん?」

 

「はっ、はい!?」

 

「"例の人形"はどうです?」

 

あまり心から喜んでいないのがバレてしまったかと焦ったけど、どうやら違ったらしい。でも、僕が苦心して悩んでいることと内容は同じだった。

 

「先月分を丸々全部使ってみたのですが……やはりダメみたいです……」

 

「量だけ揃えてもだめかあ。もっとでけーのじゃないとなあ」

 

「そうみたいです。今までのでは、あの子を動かす程の魔力が籠められないみたいですね」

 

「うーん……」

 

二人して腕を組んで唸っていると、ぶおーっという太くて鈍い吹鳴が、三つ聞こえてきた。霧で周囲の様子は窺えないものの、その汽笛はこの町のどこにいてもはっきりと耳に届いてくる。ここの住民にとってはもはや、生活の一部ともいえる音だった。仕事を終えて、山盛りの石炭を積んだ船が戻ってきた合図なのだった。

三つめの汽笛の残響が消え切る前に、向こうから声が飛んできた。

 

「おーい!!荷降ろし手伝ってくれー!!」

 

「あいよー!!……じゃあグドさん、船手伝いに行ってきやす」

 

「はい。お時間取らせてしまってすみません」

 

港へ走っていく後ろ姿が、あっという間に霧に飲まれていく。残された僕は、心の中でもう一度お礼をして、石を待ち帰ろうと試みる。木箱の上にランタンを乗せて、ゆっくりと立ち上がる。しかし、ランタンが倒れそうになったので、素直にこの方法は諦める。

ちょっと考えてから、中にランタンを突っ込んで石と同席させた。傷が付いてしまいそうだけど、この際仕方ない。閉じてしまうと、明かりの意味が無くなってしまうから、蓋を木箱の下にはめ込んで両手で抱え上げた。

 

 

店まで戻ってきた僕は、肩で入口の扉を押し開ける。そのまま店内をスルーして、裏の工房の机の上に木箱を置いた。それなりの重量があったため、腕を伸ばして存分に発揮した筋肉を休める。中からランタンを持ち出すと、店の方へ戻り、カウンター裏の椅子にどかっと腰掛けた。背もたれに体重を乗せ、全身の力を抜いて、ぐるぐると回り続けているシーリングファンを見上げていた。ずっと眺めていたら、吸い込まれそうな感覚に襲われて目を瞑る。そのまま居眠りでもしてしまいたかったけど、今度はさっきの会話が頭の中をぐるぐると駆け巡っていた。

 

僕は目を開いて、ゆっくりと顔を横に向ける。

 

 

そこには人間の子供の女の子――の人形が佇んでいた。

 

彼女は、夕日に照り付けられた雲のような金色の髪をしていて、何物にも染まっていない顔立ちをしていた。そのブルートパーズみたいな瞳は、覗き込んだらどこまでも深く沈んでいってしまいそうになる。人形は真っ直ぐ虚空を見つめ、つまらなそうにじっとしている。

 

 

この子はまだ仕事にする前、魔界に住んでいた頃に、趣味で造った人形だった。種族間の領土争いで魔界を追われ、人間界へ逃げてきた時も、離さずに持ってきていたのだった。それだけ、思い入れが深かったのだ。辛い時、支えになってくれて、悲しい時、励ましてくれた。勿論話すことなどできないけど、そんな気がしていた。

 

そしてこのウェデントで、魔納石の存在を知ったのだった。

 

それからというもの、数え切れないほど多くの人形を作り続けて動かしてきた。だけど、どうやってもこの子だけは、動かすことができずにいた。どれだけの魔納石を消費してもダメだった。どれだけ頑張っても、どれだけ手段を尽くしても、その足で走り回ってくれることはなかった。

今でも諦められないから、こうやって傍に置いていたりもする。以前、老夫婦が彼女を譲ってくれと言ってきたことがあった。動かないと念を押しても、それで構わないと。さっぱりと割り切るチャンスだったかもしれない。

……でも、やっぱり捨てきれなかった。長年一緒に居たのだ。たとえ動かなくたって、最後まで一緒に居たいと思うのは必然だろう。

 

 

僕は勢いをつけて立ち上がると、人形の前まで歩み出た。暫くその姿を眺め、そっとその髪を撫で下ろして、ため息を吐いた。

 

「ごめんね……君を動かせる魔納石がないんだ。もっと大きい……君が動けるくらい大きなものがあれば……」

 

そう呟くと、彼女が慰めてくれようとしたのか、笑顔を見せてくれた気がした。

 

 

 

――その翌日だった。採掘場で30センチ超えの巨大な魔納石が発見されたのは。

 

 

「くそっ!!どうして動かないんだ……!」

 

焦りと苛立ちで作業台を殴りつける。衝撃で乗っていた工具が跳ね上がり、床に落下する。

 

あの日、掘り起こされた巨大な魔納石をすぐに店へ持ち帰った。そして、入っていた予定を全て無視して、作業に取り掛かった――。

……それから数日経った今でも、人形が動く様子はなかった。

 

「もっと大きなものじゃないとダメなのか……それとも質のいいものなのか……」

 

髪を掻きむしりながら人形を睨み付ける。どれだけ魔力を籠めても、動く気配は全くない。頭を抱え込んでいても、ただ、いたずらに時が過ぎていくだけだった。

……しかし、動かないおおよその理由は、見当が付いている。多分、どれだけ石のせいにしたってダメだろう。

 

 

――僕の魔力が足りないんだ。でも、大量に籠めたところで、調整ができなかったら意味がない。だから他人にも頼れない。

 

 

僕ができないのだから誰にもできない。

僕は誰よりも上手に魔力が籠められる。

僕が一番人形に長けている。

僕は――――――。

 

 

……そうやって、自己暗示を掛けなければ、どうにかなってしまいそうだった。誰に掛けられているでもない、得体の知れないプレッシャーに、一日中付きまとわれていたからだ。

 

 

頭を両腕で挟み込んで悩んでいた僕は、コンコンと軽く叩かれたノックで我に返った。接客業が染みついていたからか、反射的に「いらっしゃい」と挨拶しながら、店へ顔を覗かせる。反応してしまってから、しまったと後悔した。こんな気持ちで応対をしても、粗相をしてしまいそうだったので、今日はもう店じまいにするつもりだったからだ。

でも、その客人を一目見ると、そんな考えは吹き飛んだ。カウンターに置いてあったランタンを持ちあげると、外へ足を運んだ。

 

「人形はどう――って、その顔を見れば分かるか」

 

「はい……どうも上手くいかないみたいで……」

 

「そんな思い詰めないでくだせえ。誰も責めたりしてないからさ。けど、あのお嬢ちゃんが動いたら、一躍この町のアイドルになるだろうなあ。……あ、俺のアイドルはかかあだけどな!」

 

「はい……頑張ります。……炭鉱のお仕事は?」

 

「今夜は霧が深くてねえ、危ねーから中止になったんだ」

 

そう言われて辺りを見渡そうと目をやっても、何も見えなかった。日が沈んで気温が急激に下がったせいか、普段より濃い霧が町の視界を奪っていた。この分だと、外の炭鉱の方も真っ白に違いない。

こういった現象はウェデントでは珍しくない。朝と夜、気温の変化が大きい時間帯には、目の前さえ見えないくらいの霧が発生する。加えて、工場からの白煙も相まって、その状態を助長させてしまう。

この明かりがなければ、まともに歩くこともままならないだろう。

 

 

その時だった。これからのんびりと夕食の準備でも始めようかとしていた町中に、誰のものか分からない絶叫が響き渡った。あまりの大声で、聞きつけた住民たちが何事かと玄関から飛び出てきた。只ならぬ状況に、ざわざわと騒ぎ立てているけど、声を上げた正体はいまだ現れない。

 

「今のは……」

 

「ちょっと見てきやす!」

 

「あ!ちょっと――」

 

僕が止める間もなく、声のした方へ駆け出して行ってしまった。足音から、他にも何人かが向かっているみたいだった。初めて訪れた人ならまだしも、ここの住民は昔から霧の中で暮らしている。だから見えずとも、音を頼りに探し出すことなど造作もない。

 

 

しかし、次に霧から現れたのは人間ではなかった。それらは、目で追うのがやっとのスピードで、頭上を飛び抜けていった。

 

 

――ドラゴン系の魔族だ。

 

ドラゴンは、決まった場所を住処にして暮らしている。テリトリーに入ったりしない限り、襲ってくるような真似はまずないはずだ。ましてや、人間界に来ること自体、あり得ない話だった。

何故こんなところにと疑問に思うより先に、再び悲鳴が聞こえてきた。それも一つや二つではない。四方八方から、この世のものとは思えない絶叫が上がる。建物も壊されているのか、崩れ落ちた瓦礫が起こす振動が、地面を通して染み込んでくる。この身体の震えは、揺れからきているものだけではないだろう。

 

 

僕はあちこちから心を突き刺してくる助けには脇目も振らず、店の中へ逃げ込んだ。そしてカウンターの中に入ると小さくなって、一刻も早くこの地獄が過ぎ去るように祈り続けた。いっそのこと、これが全部、たちの悪い夢であればまだよかったのに。

視覚と聴覚を遮断し、込み上げてくる吐き気を抑える。

それでも塞いだ手の隙間から、周囲の音がするりと侵入してくる。耳を通過し、脳全体を砕くかのように、叫び声が響いてくる。

 

空気を振動させるように轟く咆哮――事切れる直前の断末魔――――。

 

この中には僕の知り合いのも混じっているだろうけど、もはや"声"として発音されていないから分かりようがなかった。……むしろ分からなくて良かった。只でさえ、唐突に訪れた非日常で気が狂いそうになっているのに、判別できてしまっていたら、正気を保っていられる自信なんてない。

 

より深く耳を押し込んで音をシャットアウトし、現実から隔絶されようと努力をしていた。

 

 

だからかもしれない。

 

柱が破壊され、降ってきた天井に気が付くのが遅れてしまったのは――――――。

 

 

目を開けると僕は床に倒れていた。身体中が千切れるように痛む。腕は傷だらけで、頭から出血していたのか、襟が血で固まってカピカピになっている。先刻と打って変わって、周囲は不気味なくらいに鎮まり返っている。どれくらい気絶していたのか。考えていたって何も分からない。とりあえず、町の様子を見て回ろう。そう思って身体を起こそうとした――。

 

しかし、下半身が動かない。肩越しに見てみると、腰から下が、落ちてきた梁に乗っかられて、身動きが取れなくなっていた。それほど痛みを感じなかったのは、カウンターだったものが上手い具合に支えになってくれていて、重さが直に伝わらなかったからだった。奇跡的に助かったのかもしれないけど、このままではどうすることもできない。

 

僕はまだ魔族も居る可能性を視野に入れて悩んでいたが、結局大声で助けを求める。だけど、助けどころか足音一つさえ聞こえてこなかった。魔族が占領したとしても、人間が追い返したにしても、誰も居ないのはおかしかった。

 

 

その時、微妙なバランスで引っ掛かっていた瓦礫が崩れて降ってきた。僕にはぶつからなかったけど、床に落ちた風圧で木屑が顔に当たる。反射的に目を瞑ったけれど、口や鼻から入ってきて、思い切り咳き込む。吐き出した空気を吸い込もうとして、更にむせてしまった。今度は木屑ではない。鼻孔をくすぐる独特な匂い。確認すると、今の瓦礫でランタンが壊れ、オイルが漏れ出してしまったらしい。

 

地面を流れてくるオイルをぼんやりと眺めていた瞬間、引火して炎が吹き上がる。あまりの熱さに顔を背けようとしたけど、下半身が固定されているので逃れることができない。必死に手で振り払おうとしても、実体がないからゆらりゆらりとかわされてしまう。それどころか、発火しているオイルが、じんわりとこちらに向かってきている。

顔を焼かれるとめどない痛みで、自分でも驚くくらいに声を上げる。誰も助けてくれるはずないと、頭では分かっていても、身体の奥から溢れ出てくるものを抑え切れない。でもその感情も、開いた口から喉を焼かれ、吐き出すことさえできなくなってしまう。何度痛みで意識を失っても、次の痛みがそれを許さない。その間隔も次第に短くなっていき、しまいには、唯一感じていた"痛覚"さえ消えかかっていた。

 

僕は素直に"死"を受け入れるしかなかった。どれだけ足掻いたって、余計に苦しくなるだけだからだ。その時にはもう、腕で炎を掻き分けることも止めていた。だらりと横に伸ばし、目前に迫った炎という死をただじっと待っている。

 

 

全てを諦めていた僕の指先が、何かに触れた。手放そうとしていた意識を、右の中指に集中させてみる。つるつるとしていて、人肌に柔らかく、優しい感触――。

 

 

普段触り慣れている僕は、すぐにそれが"あの人形"だと分かった。

 

人生やり残したことは多かったけど、一番の心残りは、この子を自由に動かしてあげられなかったことだった。何十年も共に過ごしてきて、ただの一度もその姿を見られなかったのは悔しかったし、何より申し訳なかった。

 

そう思うと、最期にこの子に対して何かできないかという感情が芽生えた。しかし、まともに動くこともできず、残された時間も僅かだった。してあげられることなんて――――。

 

 

――あった。どうせ僕はもう死んでしまうんだ。だったら必要ないじゃないか。ただの自己満足に過ぎないかもしれないけど、これで全部の諦めがつく。

 

 

 

そして、僕は彼女に自分の持っていた魔力を全て注ぎ込んだ――――――――。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――

 

「……そうして人形――"リディ"が動き出したわけね」

 

朝日は昇っているみたいだけど、昨日よりも深い霧に包まれて目視することはできない。……まぁ、おかげで暑さも和らいでくれているからいいけれど。

私のまとめにグドがゆっくりと頷く。

 

「…………まさか本当に動いてくれるとは思いもしませんでした。……それどころか……自我を持つなんて…………。……リディが居なければ……私はあの時死んでしまっていたでしょう。……奇跡……なのでしょうか」

 

「奇跡ねぇ……」

 

熱く語るグドの手に力が籠り、繋いで歩いていた私の左手をぎゅっと握り締めた。いつものペースで進みたいのは山々だけど、グドを気遣うのと、そこそこ急な下り坂になっているので、スピードを緩めざるを得ない。気遣いは無用だと言われたけど、やっぱりそうもいかなかった。

 

私が考え事をしているとグドが、こほんと軽く咳をする。また体調が悪くなったのかと思い振り向くと、どうやらそうでもないらしかった。ただ、ばつが悪くなってした咳払いのようだった。

自分がベラベラと喋っていたから、私が気分を害したと勘違いしたのでしょう。勿論、そんなつもりはなかったのだけれど。

 

「……ミュゼさんはいつからリディの正体に……気づいていらっしゃったのですか?」

 

「最初からよ。初めて会った時から、生き物の反応じゃなかったもの。……でも確信、というか答えを教えてもらったのはミヴィルに着いてからだけどね」

 

グドは一瞬黙り込んでから、おずおずと問い掛けてきた。

 

「……二人で汽車に残った時ですか?」

 

「ええ。向こうにも私が疑ってたこと、バレてたみたいだけどね」

 

汽車が停まって身支度を整えている最中に、突然リディが私だけ留まるようにと言ってきた。そして、男性陣が居なくなるや否や、私に教えてくれたのだった。

 

グドは「そうですか」と一言溢すと、もうそれ以上は追及してこなかった。けれども、二人しか居ないのに、沈黙が続くというのは何とも気まずい。とうとう、居心地の悪さに耐えきれなくなった私は、自らから話題を提供してあげる。

 

「そう言えば、今でも人形って作ってるの?」

 

「いえ……目が見えなくなってしまってからはもう……。しかし……小物は今も作っています」

 

「小物?」

 

「はい……人形の洋服やバッグなどです……。リディのサポートがなければできませんが……。……このお面も私が作ったものなんですよ?」

 

そう言って、被っているウサギのお面を指でこつこつと叩く。

 

「へぇ、手作りだったんだ。ずっと気になってたんだけど、それ可愛いわよね」

 

「リディも喜んでくれていました……。…………ストックがあるのであげましょうか?」

 

「えっ!?…………いいの?」

 

「ええ……少しばかりのお礼の気持ちだと思って……受け取ってください」

 

心の中が読まれ、思わず驚きの声をあげてしまった。声のトーンだけで分かってしまうほど、欲しそうにしていたのかしら。グドは立ち止まって、繋いでいた手を離す。そして、荷物を漁ると、中からいくつかのお面を取り出した。

 

「へー、色んな種類があるのね」

 

「はい……。元々は人形用だったのですが……見えなくなってしまってからは……人でもつけられるものを作っていました。……と、言っても……元よりリディのような……大きな人形も作っていたので……人形用も人間用もさほど変わりませんが……」

 

「これは?」

 

目が見えないグドにも分かるように、持っていた一つのお面にちょっと触れてあげる。

 

「狐面……ですね。極東の国では……キツネに取り憑かれた者は神通力を得られると聞きます」

 

「ジンツウリキ?」

 

「魔法のような超能力だとか……。生憎と……私のお面は……そのようなマジックアイテムではないですが……」

 

「へー……」

 

「……どうぞ……差し上げます」

 

「えぇ、ありがたくいただくわ」

 

私は前に出された狐面を、両手で受け取る。そのお面は、本物のキツネと遜色ないくらいに精巧な出来栄えで、本当に見ないで作ったのかと疑ってしまいそうになる。さすがにもこもこの体毛は表現できないから、実物よりスリムな印象を受けるけど。それと、屋台で置いてあるようなものは、赤と白の二色を中心に彩られているのがほとんどでしょう。でもこれは、赤の部分が濃いコバルトブルーで着色されていた。

貰ったものの、今すぐ使うつもりもないから、壊さないよう慎重にバッグへしまう。

 

「……良い笑顔です。……そんなに嬉しそうにしていただけると……私も作ったかいがあります」

 

「……さっきから実は見えてるんじゃないの…………?」

 

「いいえ……何となくそんな気がしただけですよ。随分と……楽しそうにしていらっしゃるもので」

 

「そうだけど…………いい?ゼードには絶対言っちゃダメよ?アイツに知られたら小馬鹿にされるでしょうから」

 

「……勿論ですよ。仲が良さそうで何よりです……」

 

静かに笑うグドに、また言い返そうと口を開く。しかし、言い訳をしたところで、墓穴を掘るのが目に見えてるから、そのまま大人しく口を閉じる。

 

 

暫く歩いていると、左側に本道とは別の小さな坂があった。それは今まで下りてきた坂道とは、比べ物にならないほどの角度をしている。高さはそんなにないみたいだけど、グドではちょっと大変かもしれない。

 

「……どうかしたのですか?」

 

「道が二つに別れてるのよ。真っ直ぐと左の坂」

 

「ウェデントへは……このまま真っ直ぐでいいはずですが……」

 

「坂を進むと川辺に下りられるみたいだけど――」

 

「左へ行きましょう!」

 

「――どうする……って、聞くまでもなかったわね。結構急だけど大丈夫?」

 

「勿論です!」

 

「焦って落ちないでよ?」

 

平時のグドからは想像できないほど、はきはきと答える。かなり興奮しているみたいだった。表にはあまり見せなかったけれど、内心はずっと焦っていたのでしょう。いつも一緒に居た、言わば己の半身のような存在。そんなリディが、消息不明になっているなんて、気が気じゃなかったと思う。

 

先を急ごうとするグドの手を引いて、着実に一歩ずつ進む。しかし、何度も足を滑らせそうになっていた。危なげない様子に見ていられなくなって、抱えて一気に飛び下りることを提案した。けれども、グドは自分の足でなければ意味がないと、これを断った。グドなりに、何か意地でもあるのでしょう。

時間をかけて、やっと河原へ下り立った。驚くくらいに静かで、生き物の気配など微塵も感じられなかった。

 

「……ふふっ」

 

「どうかしたのですか……?」

 

「いえ。さ、進みましょ!」

 

敷き詰められた砂利を踏む度に、靴が2cmほど飲み込まれてしまう。それと同時に、喧しいくらいにジャッジャッと小石が鳴る。グドも歩きづらそうに、大股になって足を持ち上げていた。

 

「こんな場所が……あったのですね。……私はあまり……採掘場の方へは出向かなかったので……」

 

「家の近くにあっても、ここは通りたくないわね」

 

「今思えば……私はリディにしか興味を持っていませんでした……。もっと外に出て……見識を広めるべきだったと……少し後悔しています」

 

 

「…………ねぇ、アンタはリディのこと、どう思ってるの?」

 

「どう……とは?」

 

唐突に投げかけた質問の意図が理解できなかったらしく、聞き返してくる。

 

「汽車の中では、カップルなんて言ってたけど、実際はどうなのかしらって」

 

「そうですね……好きな気持ちは同じですが…………私にとって家族なようなものです」

 

「でも、リディは人形でしょ?実際の家族とは違う。一緒に暮らしていても本当は、どう思ってるのか分からないじゃない。偶然の産物に、娘だって認識はあるのかしら。だったら、傍に置いているのは何なの?もしかしたら、ただの――」

 

「……何を言っているのですか?」

 

「え……?あぁ……ごめんなさい」

 

私は知らず知らずのうちに熱くなっていたみたいで、グドが割り込んでくれたおかげで我に返った。変な姿を見せてしまって、途端にきまりが悪くなってしまった。

深呼吸で落ち着きを取り戻そうとしていると、後ろからぽつりと言葉が聞こえてきた。それは私に話しかけているのではないらしく、独り言のように呟かれたものだった。

 

 

「……リディは家族です。どんな楽しさも……困難も……二人で分かち合ってました……。そこに……血の繋がりはなくても……関係ありません。私はリディが大事で……何ものにも代えがたいのです……。だから……私にできることなら……彼女のために全て費やせます。これまでだって……そうやって生きてきました。……後から築かれる家族とは……そういうものじゃないでしょうか?」

 

いつの間にか足を止めて、振り返っていた私に、ウサギのお面が笑いかけてくる。見えないけれど、下の顔も同じ表情をしていることでしょう。目を丸くしていた私は、ふーっと息を吐いて、いつもの自分を取り戻した。

 

「そうだったらいいわね……」

 

私は頭をぶんぶんと振り回して、気持ちを一新させる。

 

「よーし、早く二人に追いつくわよ!」

 

「はい!……追いつく?」

 

力強く頷いたグドが、言葉の引っ掛かりに気付いたのか、不思議そうな声を出す。私はふふんと鼻を鳴らすと、地面を指さす。

 

「アンタには見えないかもしれないけど、既に砂利が沈んでるのよ。つまり、ここを誰かが歩いたってこと。こんなところを進んでるのは……分かるでしょ?」

 

「もしかして……!」

 

その返答の代わりに、足元から手ごろな小石を拾い上げる。そして、先の見えない霧に向かって、思い切り腕を振った。石が霧の壁を穿つように飛んでいく。

投げてから4秒後くらいに、キーンという金属音がここまで聞こえてきた。

 

「あら?弾かれちゃったみたいね」

 

「リディーーーーーー!!!!」

 

肩をすくめている私を尻目に、グドは音の聞こえた方向へ駆け出して行ってしまう。

 

 

「随分遠くまで流されたじゃない。……無事で何よりよ、ゼード」

 

――――――――――――――――――――――――――――――――

 

「本当に大丈夫なんですか!?昨日まで全然動けなかったのに!」

 

「あぁ、問題ねぇよ。寝て起きたら絶好調だ」

 

「でも……」

 

「心配しなくて大丈夫よ。馬鹿は風邪ひかないって言うでしょ?」

 

「風邪とは違うんじゃ……」

 

「ナチュラルに馬鹿扱いしてんじゃねーよ……っと」

 

前を歩いていたゼードが急に立ち止まる。顔を上げると、道の両脇に損壊した石柱が建っていた。立派なものだったのでしょうけど、今は所々欠け、剥がれ落ちてしまっている。右の石柱に至っては、一部が丸々抉り取られてしまっているから、いつ倒れてきてもおかしくない。

私とゼードがグドを見ると、こくんと軽く頷いた。

 

 

「……着きました。ここが……ウェデントです」

 

 

先頭を代わったグドとリディの後に続いて、町へ足を踏み入れた。魔王侵攻の被害に遭った町――その光景を見た途端、私とゼードは思わず息を呑み込んだ。

 

「凄いわね……」

 

「…………」

 

かつて人の住んでいたそこは、何千年という月日が流れたかのように、荒れ果てていた。海風に耐えていた石造りの家は、壁だけになって、外から上へ伸びている階段は、途中で崩れ落ちてしまっている。霧の中を照らし続けていた街灯も、真ん中でぽっきりと折れ、頭の部分が瓦礫と一緒に地面へ転がっている。敷かれた石畳から、新たな生命の芽が生えてきていることからも、誰も通行しなくなってから時間が空いていることが感じられた。

 

ここが霧の町――。

 

噂には聞いていたけど、実際にこうやって見たのは初めてだった。攻め入った側では、美談として語り継がれていたけれど、いざ間近にしてみると言葉を失ってしまう。それくらい、見るに堪えない有り様だった。

 

散乱している瓦礫を避けながら町中を進んでいると、ゼードが斜め上を見ながら怪訝そうな顔をする。

 

「何だあれ?あれだけ無傷だけど」

 

それに続いて私も見上げてみると、大きな物体がそびえ立っていた。近くまで寄って確認してみると、どうやらそれは、簡略化した炎のオブジェらしかった。5mくらいの高さがあり、材質は分からないけれど、姿が反射するくらいの光沢を放っていることから、人工物であることは確かだった。

 

「あのオブジェは……町を襲った魔族たちが置いていったものです。……大方……制圧の"しるし"として設置していったのでしょう」

 

それは、私にとっても初耳だった。魔王が指示したのか、侵攻組が勝手にやったのかは分からない。隣に居たゼードが、くるりとこちらを向く。

 

「知ってた?」

 

「知るわけないでしょ、私が。魔王に聞いたらいいでしょ?」

 

「もう居ねーだろ」

 

「アンタが闇に葬ったからね」

 

「言い方がなんかアレだな……」

 

「ゼードさん……?」

 

「おう、どした?」

 

少し先に居たグドが、真っ直ぐ私たちを見ている。拳をウサギの顎に当て、何かを必死に思い出そうとしているみたい。

 

「確か……魔王を倒された勇者様のお名前も"ゼード"……でしたよね……。貴方は…………もしかして――」

 

言い終わらないうちに、所長は頭の後ろで手を組みながら歩き出した。グドとリディの間を通り抜けながら、とぼけたような声を出す。

 

「……さぁ、どうだろうな?もしかしたら、俺かもしれないし。もしかしたら、同じ名前の別人かもしれないし。

……どっちにしたって、もう…………終わったことだ」

 

「そう……ですね……。すみません……」

 

「何で謝るんだよ――うおっ!?」

 

突然、情けない声を上げて飛び退る。何か踏んづけたのか、慌てて足をどかしているみたいだった。足元をじっと凝視して、"それ"を拾い上げた。――ボロボロになった小さな人形だ。落ちていた理由が答えに結び付いたのか、はっとして前の建物に視線を移す。

 

「ここって……」

 

 

「……はい。ここが……私の店……"でした"」

 

その声は、どこか寂しげで哀愁を帯びているように感じる。店だったものは、今やその面影はなく、ただの瓦礫の山だった。落ちている人形も一つや二つではなく、よく見るとそこら中に散らばっていた。煤けたものや、腕や足が取れてしまっているもの――。

かつてこれらが、店先に並んでいたことを思い浮かべると、なんとも言えない気持ちになってくる。

 

「そっか……。じゃあ、一応ここが目的地ってわけか」

 

「ここまでありがとうございました。これ、残りの依頼料です」

 

リディが頭を下げながら、お金の入った麻袋を差し出してくる。長かったようで短かった依頼も、これで漸くおしまいだ。

しかし、ゼードは袋を見つめたまま、一向に受け取ろうとしない。

 

「……なぁ?お前らってこの後どうするんだ?」

 

「この後……とは?」

 

「俺たちが帰った後だよ。連れてきたものの、本当にここで寝泊まりするつもりか?こんな荒れ地……いや、言い方が悪かったな。……自分の店があるとはいえ、完全に外だぞ?」

 

「そのつもりです。私たちは屋外での寝泊まりには、慣れてますから」

 

「でも食事は?水は?リディは無しでも大丈夫かもしれないけど、グドはそうもいかないだろ?」

 

あからさまに顔をしかめると、矢継ぎ早に質問を浴びせる。対してグドは、リディの後ろへ回り、両手で彼女の左右の肩を掴みながら言い返す。

 

「……私はこれから何も口に入れるつもりはありません。……どうせ残された時間は多くありませんから。……やりたいことはもう……全部……やらせていただきました。だから……最期はもう……静かにリディと過ごしたいのです」

 

「けどさ――」

 

「ゼード」

 

食って掛かろうとしたところを呼び止める。おもむろにゼードへ近づくと、肩に手を乗せた。

 

「……行きましょう」

 

「ミュゼ!!こいつらは自殺しようとしてるようなもんなんだぞ!?そんなん見捨てられる――」

 

「……私たちが介入できる問題じゃないでしょ?これは二人の問題なの。私たちがあれこれ言える立場じゃないわ」

 

「…………」

 

「……すみません。どうか……お願いします……」

 

グドが頭を下げたのを見て、リディも続く。ゼードは目を瞑って、唇を噛み締めていた。突然、肩を揺すって私の腕を振り払うと、絞り出すように喋り出す。

 

 

「……まだ貰わねぇ」

 

「え……?」

 

「ゼード!!いい加減に――」

 

私が叱りつけるように声を荒げると、それ以上の大声を出して制止をしてきた。

 

「貰うのは全部が終わってからだ。自殺だろうが、心中だろうが、好きにしたらいい。……けど、死んでからはどうすんだ?そのまま道端で腐り散ってくだけか?そんなん俺は見たくねぇ。気分わりぃし。だから、貰うのはまだだ。お前らが死んでから勝手に貰いに来る。言っとくけど、拒否権はないからな。ちゃんと枕元に金置いてから死ねよ、分かったな?」

 

二人はぶっ飛んだ条件にぽかんとしていた。けれども、意思を汲み取ったのか、力強く頭を縦に振った。

 

「分かりました……ありがとうございます……」

 

「…………帰るぞ」

 

そう言うと、背を向けて足早に歩き出した。そんな後ろ姿を見て、二人に笑いかける。そして、私もゼードの傍に走っていく。横に並んで、顔を覗き込んでみても、仏頂面は崩さない。

 

 

「子供みたい」

 

「……うっせぇ」

 

「結局、前金は交通費とかで消えちゃったから、ただ働きね」

 

「……後で取りに来るって言ってんだろ」

 

「ふふっ……そうね」

 

「……何笑ってんだよ」

 

「別にぃー」

 

そうして私たちは、町の外へ向けて歩き出した。

 

 

 

――不意に聞こえた風を切る音。

 

 

そして――――何かを"貫く"音。

 

 

 

立ち去ろうとしていた私たちは、不穏な音に気が付いた。瞬時に振り返った私の顔に、べちゃりと生温かいものが掛かる。それが何かは、確認するまでもない。目の前に広がる光景が、全てを物語っていたからだ。

 

 

一列に並んで立っていたグドとリディの胸から、一本の"剣"が突き出ていた。昨夜、私たちを崖上で襲ったものと同じような剣――。

 

 

「……リ……リデ……ィ…………」

 

「…………あ……ぐ……」

 

息も絶え絶えに、口からうめき声を漏らす。

 

 

私が思わず声を上げるよりも先に、ゼードが動いていた。

 

「お前ぇぇえええええ!!!」

 

数メートルの距離を走る、というより跳び、そのまま剣の持ち主を蹴り飛ばした。相手は剣を離すこともできないまま、くの字になって瓦礫を巻き込みながら地面を転がっていく。その拍子に、二人の身体から剣が引き抜かれ、慣性によって後ろへ倒れ込む。

 

「……!!」

 

反射的に走り出したけど、ゼードのように素早くは動けないから、二人は音を立てて地面に崩れ落ちてしまった。それでもなお、私は急いで二人の元に駆け寄った。

 

30代くらいの襲撃者は、痛みで起き上がれずにうずくまっていた。しかし、ゆっくりと近づいてきた足音に対して、素早く上体を起こし、剣を向けて気丈に振る舞う。そんな彼を見下ろしながら、ゼードが聞こえるか聞こえないかというくらいの声量で問いただす。

 

「……何でこんなことしたんだ」

 

「だって……!!モンスターは危ないんだ!!居たら危険なんだ!!」

 

「あいつらがお前に何したってんだよ!」

 

「僕の家族がみんな殺されたんだ!!町のみんなも……世界中も!!!」

 

興奮しているのか、二人の会話は全然噛み合っていなかった。男の方は喋りながらも、狂ったように剣を振り回していた。

 

「それは襲ってきた魔族たちだろ!こいつらは違うじゃねーか!!むしろこいつらだって、何もかも奪われた被害者なんだぞ!!自分だけが苦しいとか思ってんじゃねぇよ!!」

 

「また殺されるかもしれないんだ!!僕は死にたくない!!!」

 

「やってることが町を襲った連中とおんなじだってこと、分かってねーのか!」

 

「これは敵討ちだ!!死んだみんなのために駆除してるんだ!!!」

 

 

ゼードは昂った神経を落ち着かせるように深呼吸をすると、また小声で話し始めた。

 

「……敵討ち、か。……だったら、グドたちの仕返しってことで、ここでお前を殺してもいいってことだよな?」

 

「なっ……!?お前は人間だろ!!どうしてモンスターなんかの味方をするんだ!!!」

 

「別にどっちに肩入れしてるとかじゃねーよ。パッと見で、ムカつくって思った方の敵やってるだけだ。今回はお前が馬鹿言ってるから、お前の敵やってるだけで、魔族の味方とは言ってねぇだろ」

 

「モンスターなんて、何も考えてないド低能ばっかりだろ!!ただ暴力に訴えて、全部奪い去ってく!!そんな奴らの――」

 

「――――」

 

 

怒鳴りつけていた男が、突然現れた巨大な手に掴まれる。リディたちの傍に膝をついて座っていた私が、ついに我慢の限界を迎えたのだった。手のひらから錬成した土を伸ばす。そして、創り出した腕で、その戯言を黙らせる。

加減なく握られた手は、ぎりぎりと男を締め上げていく。男は潰れたカエルのような声で苦しんでいるけれど、気にせずにさらに力を籠めていく。

 

そして、握り潰そうと最後の力を入れようとした時――。

 

 

まるで庇うかのように、ゼードが土の手首を短剣で切り裂いた。切断された先は、魔力の伝達が断たれ、砂のように崩れてしまった。解放された男はそのまま下に落とされ、強制的に締め出された空気を必死に吸い込んでいた。掴んだ際に折れてしまったのか、左腕をわざとらしく押さえている。

 

「ゼード!!」

 

私は憤激を感じて、所長に鋭い目つきを向けた。しかし、こちらを無視して男に言葉を掛ける。

 

「……お前さっさとどっかに消えろ。本当は警察に引っ張って行こうかと思ってたんだが、連れていく途中でぶち殺しちまいそうだ。俺もうちのミュゼちゃんも、お前なんかのせいで汚れたくないからな。…………魔族を殺したいなら、他所でどうぞ勝手にやってくれ。そんなの俺には関係ないし。……ただ、もうそのツラ見せんじゃねーぞ」

 

淡々と、これっぽっちの感情も籠っていない口調で語る。その眼差しは、酷く、冷たいものだった。

男は咳き込み、涙目になりながらもなお、私を睨み付けている。

 

「お前もモンスターだったんだな……。だったら――」

 

 

男は何か言葉を続けようと口を開いた。しかし、それ以上は何も発しなかった。なぜなら、その開かれた上唇に、ゼードが短剣の切っ先を押し当てていたからだ。触れている部分からは、僅かに血が滲み上がっている。

 

「……聞こえなかったか?消えろっつってんだよ」

 

「ひっ……ひぃい!!?」

 

男は悲鳴を上げると、左肩を押さえながら逃げ出していく。足をもつれさせながらだったけど、すぐに霧の中へ消えていってしまった。

 

 

ゼードは構えたままだった短剣を下ろし、しゃがみ込んだまま、私に声を飛ばしてくる。

 

「……二人は?」

 

「リディはまだ何とか動けるけど、グドは…………」

 

視線を倒れている二人に落とす。ウサギの面が、倒れた拍子に、三つに割れてしまっていた。お面の中から現れた口の前に手を翳しても、息が感じられない。胸元も溢れた血で服を汚しているだけで、呼吸に伴う胸の上下運動も見られない。グドはもう完全に――――。

 

リディも動いているとはいえ、刺されてぽっかりと胸に穴が空いている。中には人体ではあり得ない、大きな石が見える。あれが魔納石なのでしょう。血が出ない代わりに、凄い量の魔力が噴き出ていた。このままじゃ、リディが動かなくなってしまうのも時間の問題だった。

私は魔力を送り込もうと、リディの胸に手を置いた。少しでも足しになるかと思ったからだ。けれども、彼女は私の腕を掴んで、静かに首を横に振る。

 

「どうして……!?」

 

「……ミュゼさんでは、魔力を入れても私を動かすことはできません。…………グドからの供給ももうありませんから……すぐに止まっちゃいます。

……それに、さっき言ってくれたじゃないですか。これは二人の問題だ……って」

 

「さっきとは状況が違――」

 

「同じですよ。……ちょっと早まってしまっただけで」

 

何とかできるはずだと信じて、高速で頭を回転させる。けど、考えても考えても、有効な手立ては浮かんでこない。むしろ、どんどん焦ってしまい、冷静な判断すらできなくなっていた。

つかつかという音に顔を上げると、向こうに居たゼードが歩いてきていた。そして、数歩離れた場所に立ち止まる。

 

「……おい。聞こえるか?」

 

「…………はい」

 

「さっきの話だが……やっぱ撤回するわ。今、金を貰う」

 

「ちょっと!!そんなこと言ってる場合じゃ――」

 

「いいんです。……どうぞ」

 

リディは取り出した麻袋を掴んで、できる限りゼードの方へ伸ばす。その腕はカタカタと震えていた。人の震えとは異なり、まさにゼンマイの切れかけた人形のようだった。

所長はそれを腰を曲げて拾い上げ、中身も確認せずに懐にしまった。しまい込んでからは、もう口を開こうとはしない。そのまま衣服を整えると、下に居る私たちには目もくれず、立ち去ってしまった。

 

「……ごめんなさいね。きっと泣くのを見られたくないだけだから」

 

「分かってますよ。ミュゼさんも早く行かないと、置いてかれちゃいますよ。……ゼードさんにも伝えてください。ありがとうございました、って…………」

 

「……ええ。じゃあ、"また"ね」

 

 

「はい…………"またいつか"」

 

――――――――――――――――――――――――――――――――

 

「ねぇ…………グド?覚えてる?最初、私はグドのこと"お父さん"って呼んでたよね。

でも……グドが、恥ずかしいから止めてくれ、って……。あの時のグド、可愛かったなー……。

それと…………ウェデントを離れる夜に歌をうたってくれたよね。元々住んでた魔界の民謡だっけ?……正直あんまり歌、上手くなかったよね。

…………でも、嬉しかった。私のために頑張ってくれてたんだもんね。

私にドレスを買ってくれたこともあったよね。喜んでくれるならって。……勿論嬉しかったけど、一番のお気に入りはそれじゃないの。……一番のお気に入りは…………私が動けなかった頃、グドが最初に私に着せてくれた洋服。可愛さも値段もドレスの方が上って言ってたけど、あの洋服がグドから貰った、最初のプレゼントだから。私にとっては、一番大事なの。

 

………………。

 

良いことだけじゃなくて、辛いこともあった。人間に石を投げられたこととか……。お前たちモンスターのせいで人は大勢死んだ、って。グドだって死にかけたのに…………。

私は止めてって怒ったんだけど、グドは耐えてるだけだった。

 

みんな、大切な人を失ってしまったんだ。どうしようもない怒りや悲しみを、どこかにぶつけないと心が壊れてしまうから。八つ当たりだって分かってても、感情が抑えられないんだ。みんなが魔族を恨むのは仕方ないことだし、僕だって恨めしい。

僕は魔族だ。それは変えられない。苦しいけど、受け入れるしかないんだ。

でも僕にはリディが居る。理不尽でたくさん奪われてしまったけど、リディが傍に居てくれる。どんなに挫けそうになっても、僕には支えてくれる人が居る。それだけで十分なんだ、って……。

 

グドは凄いよ。私だったらやり返しちゃう。けど、それじゃあいつまで経っても終わらない。どっちかが折れないと、憎しみは無くならない。僕は人間が好きだから仲良くしていたい、ってグドは笑ってたよね。

 

…………どうだったのかな。憎しみは無くなったのかな。グドはどう思う?

……私は全然ダメだったと思う。心なんて一朝一夕じゃ変わらないもん。心があるかどうか分からない私が言うのもおかしいけど…………。

……でもね、それでいいんだよ。憎しみが無くなるのが一番だけど、無くなってほしいって思い続けてることが重要なんだと思うの。じゃなかったら、永遠に憎しみ合ってるだけだと思うから。

 

グドは幸せだった……?

…………私は幸せだったよ。前に……せっかく動けるようになったのに、自分の介護をさせているみたいで……心苦しいって言ってたよね。けど、グドが居なかったら…………私は生まれてなかったし、こうやって自由に動ける日は来なかったんだよ?それに、一番近くで……グドのことを見ていられたから、私は楽しかった。

 

だから………………私はグドが大好きで……感謝してもしきれないよ…………。

ねぇ、グド…………?

もっと……いっぱイ…………お話し……し……テ……いタカっ…………タ……なぁ…………。

 

アリがトう…………………………

 

 

 

…………グド、大好きだよ……ずっと――――――――」

 

――――――――――――――――――――――――――――――――

 

「随分と立派なのができたじゃない」

 

ウェデントを海岸沿いに歩いて、少し南へ行った所に、小さな岬があった。俺たちはそこに居た。

 

――グドとリディの墓を作って。

と言っても、墓石は一つしかない。理由は、二人をバラバラにしたくなかったからだ。石の下で、二人が仲良く一緒に眠っている。

 

「さっすが、有り金をはたいただけはあるわね。まるで、どこぞの王様のお墓みたいじゃない」

 

「…………」

 

「でも、良かったの?」

 

「……何が?」

 

「町の中じゃなくて、こんな辺鄙な所に作って」

 

俺は墓石の前にしゃがみ込んだまま、空を見上げる。今日はいつもより霧が薄く、微かに青色が見える。

 

「町の中に作ったら、ウェデントが復興したときに困るだろ?」

 

「復興って……あそこはもう――」

 

「するさ、元通りに」

 

「……ええ。そうね」

 

後ろに立っていたミュゼが、声を漏らしながら伸びをした。墓を立てるのに魔法で、いろいろと手伝ってもらったから、お疲れなのだろう。

 

「で、帰りはどうするの?もうお金残ってないじゃない」

 

「そりゃあ……歩いて帰るしかないな」

 

「…………嘘でしょ?」

 

「あぁ、冗談。クランガンに連絡入れといたから、汽車は顔パスで大丈夫だ」

 

「さすがにね。歩きで大陸横断なんてしたくないわよ」

 

俺だって疲れているんだ。一週間も歩きっぱなしというのは、疲れてなくても過酷すぎる。想像しただけで、吐き気がするほどだ。

ミュゼは深呼吸をすると、じっとしたままの俺に声を掛ける。

 

「さあ、帰りましょう。暫くは事務所でのんびりしていたいわ」

 

「……そうだな」

 

両腿をぱんと叩いて気持ちを入れ替える。その勢いで立ち上がり、もう一度墓を見下ろした。

 

振り返ると、既に歩き出していたようで、ミュゼはもう坂を下り始めていた。

俺も後を追って、一歩踏み出した瞬間、どこからともなく声が聞こえてきた。

 

 

『……ありがとうございました』

 

 

突然のことで動きが止まり、驚いて目を見開いた。しかし、お化けは大の苦手だが、不思議と恐怖は感じない。

下を向いて小さく笑うと、顔を上げて来た道を戻り始めた。




ここまでお読みいただきありがとうございます。

初めましての方は初めまして。
お久しぶりの方はお久しぶりでございます。
碓氷 修夜です。

11話です。……11話に収めていいのでしょうか?今回は、本文28000字越えという大ボリュームでお送りしました。普段の倍以上の数字です。
……本当は分割すべきだったのでしょうが、上手く切れそうな場所が見つからなかったのと、サブタイがもう浮かばなかったのです。毎度毎度、構成力の無さが顕著に現れてきて嫌気が差します。

とはいえ、これで『ツクリモノノ心編』が終わりました。この三つの話は、後々の話にもかなり影響してくるので、大きなターニングポイントの一つだったかなと思います。
この話は、『勇者と魔娘の3年間』の世界において、闇の部分に当たります。今までは、比較的平和な部分を描いていたのですが、人間と魔族の争いは終わっても、小さな火種はたくさん転がっているよ、ということを書いたのがこれでした。諸悪の根源を叩いても、そう簡単にはいかないというわけですね。そう言うと、どことなくブラックな感じがして何か嫌ですね(笑

だから次回は、シリアス皆無のギャグでも書こうかと。天邪鬼なので、期待はしないでください。

全体的な話をすると、もうすぐ1年目が終わります。つまり、1/3がもうすぐ終わろうとしているわけですね。『勇者と魔娘の3年間』なので。果たして物語は進展していたんでしょうか?……不安になります。


それでは改めまして、ここまでお読みいただきありがとうございました。
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