勇者と魔娘の3年間   作:碓氷 修夜

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case:13.5  傾 -カタムキ- /前編

中央国セントクルス。

 

大陸の中心に位置しているこの国は陸地の1/7の大きさを占め、人口4,100万人という最大の絶対君主制の王国だ。経済、文化の中心地である当国はビザを必要としないことからも毎日数多くの人が出入りをしている。理由としては、セントクルス自体に入国することは自由なのだが、南北を高い壁が分断していて北部の王宮へ行くのに厳重な審査を経なければならないのだ。しかし、一般人にとっては王宮へ用のある者の方が珍しく、南部には広場や美術館、見世物小屋、娼館など観光だけでも飽き足らない。中でも広場で開かれているマーケットには人だけでなく物も集められ、セントクルスに行けば手に入らない物は無いとまで言われている。

それほど人が多いのに大きな事件が起こらないのは、軍事体勢が優れているからだ。町のあちこちでは兵士が目を光らせ、交代で四六時中警備を怠らない。単純な軍事力なら軍事国家と銘打っているザックダランよりも遥かに上だろう。軍隊における兵士の数が勝っていることに加え、セントクルスには影で暗躍する秘密部隊が居ると噂されている。その秘密部隊の一人一人の戦闘力が師団一個分にも相応しているらしいのだ。……噂に尾ひれがついていて真偽のほどは定かではないが。正確な人数も分からず、もしかしたらそんな部隊端から存在していないのかもしれない。

 

 

その秘密部隊の名は"ハクジュン"――。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――

 

「ふあぁ……昨夜はちょっとばかし飲み過ぎましたかね……」

 

6月28日。ハクジュンの成員の一人であるトビは、苦い顔をしながら上半身を起こした。完全に昨日の夜、下町で飲み明かしたせいである。極度の頭痛に悩まされながらも彼はパジャマから普段着に着替え始める。秘密部隊と言えど、彼の着衣はラフそのものである。一応、指定された制服はあるのだが、縛られているのに嫌悪感を抱いている彼は反発の意も兼ねてこの恰好をしている。……まぁ、正直なところ制服がかっちりしていて着心地が悪いからというのが一番の理由らしいのだが。

今日の彼のファッションはネイビーのパーカーをチャック全開にして羽織り、インナーには白と黒のモノトーンボーダーのシャツを着ている。そして、下はベージュのカーゴパンツを穿いていた。パーカーの左右から伸びている紐の長さもかなりまちまちなことから、彼の適当さが伺い知れる。しかし、そこらを肩で風を切って歩いていたとしても、誰も彼がハクジュンの成員だとは夢にも思わないだろう。ちなみに他の成員は人目につかないよう行動をするので、変装などする必要もない。彼も別に変装のつもりではなく、過ごしやすい恰好をしているだけなのだが。そのおかげで、口うるさく言われることもある。

 

着替え終えた彼は、部屋の片隅まで歩いていく。今さらながらこの部屋には、窓もなければ出入り口の扉もない。ベッドと着替え用のタンスが置かれているだけだ。角にしゃがみ込むと、殴りつけるように床板を叩いた。すると、綺麗にその一部分だけ開き、下の部屋へ降りられるようになった。

 

「うわぁお!!?」

 

下から悲鳴にも近い叫び声が聞こえてくる。逆さまになって、頭だけ出して下の部屋を覗くと尻もちをついた男が居た。傍には長いコック帽が転がっている。

 

「急に開けないでくださいよ。帽子に当たってびっくりしましたよ」

 

「すみませんでした。チビで幸いでしたね」

 

「チビは余計です」

 

トビはその隙間から飛び降りるのと同時に、開いていた板を閉じた。下は調理場になっていて、上を見てもタイルが張ってあるだけで、まさか部屋が隠されているなどとは思わないだろう。王宮であるもののシェフは彼一人だけで、朝から晩まで料理をこしらえている。そのため、トビがここで寝泊まりをしているのを知っているのも彼一人だけなのである。ちなみに、離れにハクジュン用の部屋も用意してあるのだが、トビはここが気に入っているらしく、そちらのトビの部屋はいまだに空室になっているそうだ。

 

「料理長、朝食くださいな。腹減っちまってしょうがねーんですよ」

 

「ありませんよ。しかも、もう夕方ですよ。食べたいなら街に出て勝手に食べてください」

 

「随分とひでー言いぐさですね。これでも立場的にはてめーよりも遥かに上なんですけど」

 

「なら、尊敬できるような振る舞いをしてくださいよ」

 

自分には目もくれずに料理の下ごしらえをしている料理長に口を尖らせつつ、料理場の出口に向かう。しかし、トビがドアノブに手を掛けた途端、料理長の方へ振り向いて思い出したかのように質問をする。

 

「そういや、"良い食材は手に入りましたか"?」

 

「…………いえ。何も無いですね」

 

「そうですか。りょーかいです」

 

ニコッと笑顔になると、トビは料理場を飛び出していった。

質問、いやこれはむしろ詰問に近いだろうか。問い掛けをした時、トビの目は普段とは異なっていた。目が据わり、全てを見透かされたような瞳。

それはまさしく、殺人鬼の眼光であった。

 

 

その表情を知っているのも料理長だけなのだった。

 

 

「さってと、飯はどうしますかね」

 

王宮で料理のご相伴にあずかれなかったトビは空腹のまま正面階段を歩いていた。このまま下町に降りて酒と一緒に食事にありつこうか。しかし、それは昨晩の二の前になってしまうことを意味していた。安酒の飲める店を二、三店思い浮かべていると、後方から怒号が響いてくる。それが知っている声で尚、自分に向けられていると悟ると嫌々ながらも振り返ざるを得なかった。

 

「貴様!!城という厳粛な場でその装い!ふざけているのか!!」

 

「これはこれは、大臣様。お褒めに預かって恐悦至極にございます」

 

ハクジュンは王宮内部でもその存在は秘匿とされているため、トビの立場上はどこぞの貴族という扱いになっていた。その貴族がこんな恰好をしていたら、文句の一つや二つ言われてもおかしくないだろう。この大臣は特にそうだった。説教が好きなのか、話し始めると二十分は拘束されてしまう。言われ続けても、直す気が皆無のトビもトビであるが。

けれども、今日は違った。思わぬ所から助け船を出してくれたたからだ。

 

「その辺にしたらどうですか?大声でみっともない」

 

「……はっ。これは失礼致しました、ブリリアレ殿下」

 

大臣は頭を深々と下げると、足早にその場を立ち去った。去り際にトビへ舌打ちするくらいなのだから、反省などしてはいないのだろう。

 

ブリリアレ。この男は現王の弟君であり、実質的に政治などを執り行っている。しかし、王をないがしろにしているわけではない。むしろ、その反対である。約6年前に王妃が病で亡くなってからというもの、王はまるで抜け殻のようになり、自室に籠ることが多くなってしまった。そのため、王の代理としてブリリアレが表に立って国を動かしてきたのだった。

そんな最中、世界を震撼させたのが魔王侵攻である。この出来事を切っ掛けに現王は気力を取り戻し、勇者制度などを下すことになった。だが、久々に人前へ顔を出した王はまるで別人のように変貌してしまっていた。温厚だったはずの王は、人命をただの道具としか思っていないかのように扱い、力に自信のある者が現れなくなるとそこらの一般人や罪人をも勇者に仕立て上げ、敵地に送り込んでいった。城から遠く離れた地で勇者が死亡してしまったとの報告が入ってきても、王は表情一つ変えずに新たな勇者を任命していたのだ。

魔王が討伐されてからは、以前ほどではないがまた自室に籠る日々を送っていた。しかし、この頃には人格が変わったことから悪霊に憑りつかれただの、自室での行動が全くもって不明なことから怪しげな研究をしているだの、さらには横領の疑いがある、などといった黒い噂も絶えなかった。

 

「トビもあまり目立った行動は慎んでもらえますか?」

 

その現王に代わって職務を行っているブリリアレもハクジュンを自由に動かせる一人であった。

 

「目立ってるつもりはねーんですけどね。……わざわざ俺に声を掛けてくるっつーことは何かご命令で?」

 

小声で問い掛けられたブリリアレは、申し訳なさそうに苦笑いを見せる。きっと王族に生まれてさえいなければ、親しみやすい居酒屋のオーナーでもしていただろう。そのくらい人がいいのだ。

 

「はい……。それがエノスの丘辺りで比較的大規模な争いが起きているそうで。あまり被害が大きくなる前に何とか解決してもらいたいのです」

 

「そんなん、お頭とかに頼めばいーじゃねーですか。わざわざ俺が行く必要でもあるんですか?」

 

「イツキたちは勇者記事案件で出版社や印刷所へ向かってしまっているので、空いているのがトビだけなんですよ」

 

勇者記事案件。この勇者とは魔王を討伐したゼードそのものだ。世界を救った立役者のゼードが取材陣に囲まれるのも、至って当然なのである。しかしこの人物がまた曲者で、勇者として名を挙げる前は王宮の地下牢に投獄されていたのだった。

先にも述べた通り、彼も罪人から勇者に仕立て上げられたうちの一人なのである。魔王討伐の成功は祝福すべき事柄であるのは確かなのだが、罪人出身の勇者ともなると大っぴらに褒め称えることができないのが現実であった。幸いなことに、彼本人から魔王を討伐したのは自分だと口外しないでほしいとの申し出があったために、世間一般には魔王討伐の勇者の名は公表されていない。

しかし、土に埋めて根も葉も完全に隠しきったはずの噂は、どうしてだか涌き出てきてしまうものである。どこから漏れたのかは不明だが、時折ゼードに対して取材や記事が設けられることがある。堀り当てた側としては大スクープなのだろうが、国としては好ましくない。だから、それを根本から潰すのもハクジュンの任務の一つであった。出所が分からぬように圧力を掛けてうやむやにし、場合によってはそのもの自体を"抹消"することもあった。

 

「はぁー……面倒なことこの上ないですが命令なんでやりますよ。そいつらを喧嘩両成敗っつーことでぶちのめしてくりゃいーんですか?」

 

「い、いえ……。殺めるまではいかなくとも鎮めてもらえればいいんです。ジャクも既に向かっているので」

 

「……あいつが行ってんなら俺が行く必要ねーんじゃねーですか?」

 

「それが、どうにも手に負えないようでして……」

 

ジャクもハクジュンの成員である。彼の立ち位置は、専ら戦闘よりも情報収集、情報操作、隠蔽工作などの諜報がメインだ。ハクジュン自体、陰の存在であるから彼はさらにその陰に居ることになる。暗い所に入りすぎてもう真っ黒なのである。

しかし、いくら戦闘は専門外と言えど、ジャク自身も特別な訓練を受けているため、一般人と交戦することになっても問題はないはずなのだ。けれども、そのジャクの手に負えないということは余程の相手なのか、想定外の事態に陥っていることを意味していた。

加えて、トビはハクジュンの中でも異端で、他の成員は治安のために自主的に行動しているのだが、彼は命令が下るまでは決して動かない。それを重々承知しているはずのブリリアレが、こうして自ら口頭で伝えに来たということは――つまりそういうことなのである。

 

「……りょーかいです。エノスでしたっけ?せいぜい愉しませてくれりゃいーんですけど」

 

 

「お待たせしましたー。おーおー、こりゃすげーことになってますね。状況の方はどうなってやがんですか?」

 

エノスの丘に着いたトビは、"それ"の中核から600メートル程離れた高台の上に居たジャクを発見した。向こうからの狙撃でも警戒しているのかうつ伏せの体勢をとっている。対してトビは、さも気にしていないかのようにジャクの後ろに仁王立ちをする。仁王と異なる点はいかめしい表情ではなく、その気怠そうな態度が物語っている。

トビは自分に気づいたにもかかわらず、抗争に注視したままのジャクに説明を求める。その争いとは名ばかりの"超巨大な砂塵"という災害に弄ばれる人々の様子を。

 

「一部始終を詳しく話しましょうか?」

 

「現状だけでいーです」

 

ジャクは片目だけの暗視ゴーグルを着け、いまだ目標から目を離さない。しかし、彼はライフル銃など火器の武装は一切していない。ここから獲物を狙い撃つことなど彼の腕なら造作もないだろう。しかし、それはあくまで後方支援として活動している彼のポリシーが許さないのだとか。

そんな彼はきっちりとハクジュンの制服を身に纏っている。フード付きで裾が脛の下まである深緑色のコート。首元から裾にかけては、衿幅に白に一本の黒いラインの入ったストライプ柄になっており、機動性のためにか膝上くらいからスリットが入れられている。中にはブルーのワイシャツに濃いネイビーのネクタイが巻かれている。これがハクジュンの男女兼用の制服なのである。パンツに関しては基本的に何を穿いても自由ではあるが、ジャクは律儀にも黒のスラックスを穿いていた。

 

「発端は勇者ギルド『ヒロイスト』がエノスの丘に現れた正体不明の生物に怯えた住民から依頼を受けて、討伐しようと動き出したことです。そこで別のモンスターの妨害に遭い――今の有り様ですね」

 

「正体不明?」

 

「はい。連中は"化け物"と呼称しているようですけど。我々も以前から探りを入れていましたが、確かにそこいらに生息しているモンスターとは大きく異なるようです」

 

「へー、そーですか。あのバカみたいに魔力放出しているモンスター娘ちゃんの他に、仲間は潜んでやがんですか?」

 

「あれ、意外ですね。トビさんのことだから正体不明な生き物に興味示すと思ったのですが」

 

ジャクは漸く暗視ゴーグルを上げて獲物から視線を外すと、トビの様子を窺った。トビは相も変わらず砂嵐を他人事のように眺めている。

 

「どーなんですか?」

 

「はい。あの地表ごと操っているモンスターから南西に約970メートル離れた高台に、正体不明な生物、そして人間の男――」

 

そこまで言い掛けると、トビが何を気にしているのか悟ったようで微笑みかけながら話を続けた。

 

「――の二人です。蛇足ではありますが、残念ながらその男に勇者としての経歴はないようですよ?」

 

「…………そんで、ヒロイスト側はどーなってやがんですか?」

 

「まぁ、見た通りでしょう。前衛は消息不明、後衛はギルドマスターからの指示待ちといったところですか。けれども、この砂嵐のおかげで通信機が馬鹿になってしまっているようで、いまだに連絡が取り合えていないようです」

 

「そりゃー踏んだり蹴ったりですね」

 

「どうしますか?どちらに肩入れするにしても厄介ですよ。片や大手の人気ギルド、片や化け物より化け物レベルのモンスター。……あ、もしギルド側に肩入れするとしたらモンスターとの戦闘は任せますよ。自分では瞬殺されるのが目に見えているので」

 

「大物ギルド様には大変申し訳ねーですが、今回はあちらの手助けでもしましょうかね。お引き取り願えば、モンスター側も黙って引いてくれますでしょーよ」

 

「おそらくはそうだと思います」

 

トビはつまらなそうに鼻から息を吐くと、ジャクの横に置かれている機材の数々を見下ろした。どうやらジャクの思惑通りに事が進むことになりそうで、辟易しているのだ。

 

「確か連中は、無線がお陀仏ったって言いやがりましたよね?」

 

「言いましたね」

 

「はぁー……で、勿論てめーにはそんなこと関係ねーんですよね?」

 

トビが問い掛けると、その言葉を待っていたかのようにジャクが不敵な笑みを浮かべながら通信機のスピーカーを手渡した。後方支援がお手のものの彼にとっては朝飯前、いや睡眠状態でもやれるくらい容易なことであった。

 

 

「おい!おいっ!!……ちっ!!」

 

ヒロイストのギルドマスター、ヒュンヘンバルツは焦燥していた。指揮を執るために後方で動きを見守っていたのだが、急に発生した砂塵によって視界が奪われていたのだった。後方に居たのは、ご自慢のアサルトライフルを最大限に活用するためでもあったのが、それもままならない。たとえ600メートル離れていたとしても、面目標に命中させることが可能なくらいの腕前なのだが、こうビュンビュンと吹き荒ぶ嵐の前には手も足も出ない。砂程度で駄目になるとは思えないが、念のため銃口は真下を向けておく。万が一のために用意してきた無線も、さっきからノイズしか流さない。電波が乱反射するおかげで、受信障害が発生しているのである。

 

つまり現状ではどうすることもできず、手持無沙汰で袋小路な訳だった。募りあがった苛立ちを隠しきれず、近くにあった岩壁を殴りつける。殴ったところで、自分の手が痛むだけなので、さらにイライラを倍増させるに過ぎなかった。

すると、ここでさっきまで雑音しか飛ばしてこなかった通信機から声が聞こえてきた。

 

『――あーあーあー。聞こえてやがりますかー?』

 

耳に入ってきたのは妙に間延びした、神経をさらに逆立てるような声。おかげで自分のギルドのメンバーのものではないことが、一瞬のうちに理解できた。

 

「誰だ、てめぇ。うちの者じゃないよな?」

 

『お、聞こえてますね。そうです、訳あって名前は言えねーんですが、ただの野良電波ジャック犯とでも思っててください』

 

「ただの電波ジャック犯だぁ?この砂ん中で的確に通信を飛ばしてこられるくらいの技術持った素人がどこに居るんだよ」

 

『そりゃてめーのとこよりこっちの人材が優秀ってだけじゃねーですかね?今日はこんなつまんねー話するために通信してるわけじゃねーんですよ。てめーと話しててもかったるくて時間の無駄なだけですし』

 

「ああ、そりゃあお互い様だ!じゃあさっさと用件を話してもらえるか?こっちもてめぇに構っていられる程、暇じゃないんでね!」

 

ヒュンヘンバルツの口調が最初よりも強くなる。それも当然である。思うように侵攻できず立往生を食らっていた所に、一方的に煽られるような無線を入れられているからだ。相手の顔さえ見えていれば、沸点の低くなっているヒュンヘンバルツは躊躇いなくその引き金を引いていたことだろう。

 

『率直でいいですか?"今すぐてめーの寝床に戻ってください"』

 

「……ゼードに雇われたのか?」

 

『あんまりこっちの情報は出したくねーんですが、これだけは断言します。全くの見当外れですね。知り合いではありますけど、俺もあん畜生な勇者様はぶっ殺したいくらいですよ。だから、これはゼード君とは無関係です。そーですね……外の音が喧しくてぐっすりスヤスヤできねー地元民からのクレームとでも思っててください』

 

「…………つまりこの依頼からは手を引け、と?できるわけないだろ。名前も知らないてめぇなんかに指図されて、はいそうですか、なんて都合が良すぎると思わないか?」

 

通信機越しにトビが大きなため息を吐く。すんなり受け入れてもらえるとは思ってもいなかったが、改めて説得するのを考えた途端に全てが煩わしくなったからだ。一瞬、ハクジュンの名前を出してしまおうかと脳裏をかすめたが、それはそれで面倒な事態に発展するだろうと思い留まった。決して仲間を思いやったわけではない。

長期的に見て、もしここでハクジュンが公になり、解体されるとでもなったら一番困るのは自分だからだ。そうなってしまえば、たとえ奴隷となってでも王宮に残らなければならなかった。

そうまでして、彼には王宮に留まり続ける理由があるからだ。

……ハクジュンに属している現状も、待遇の良し悪しがあるだけで奴隷と何ら変わりないと想起したトビは薄く冷ややかに頬を弛めた。

 

『俺の口調が悪かったですかね?これは"勧告"じゃなくて、"命令"ですよ?"恐喝"…………なーんて捉えてもらった方が分かりやすいかもしれねーですね。揺する材料としては……そーですね、隠れてモンスターを狩っている、とか?こつこつとレベル上げに勤しむ姿は見上げたもんですが、二ヶ条に背いてギルド解散っつーことにでもなったら、そりゃー住民も悲しみますよね。……それとも、悲しむのはてめーの方ですかね?』

 

「……要求は何だ?金か?女か?」

 

すると無線機のスピーカーから独特な笑い声が響いてくる。無理やり文字に起こすと『くぅひゃっははは』だろうか。それくらい、なんとも発音しづらい不気味な声だった。その声を聴いたヒュンヘンバルツは、あまりの不快さに身体を震わせた。

 

『こっちの目的は既に伝えてあるじゃねーですか。もーお忘れですか?大人しく帰って、そのままお布団にでも入っておねんねしてくれりゃあいーんですよ』

 

「……分かった。けど、うちにもうちの"顔"ってのがあってね。黙って手を引く訳にもいかないんだよ」

 

『じゃあこーしましょう。化け物とはほぼ相討ちっつーことにして、暫くの間は化け物を幽閉したからエノスを通行しても安全ってことにします。ゼード君たちも最初から化け物の処遇をそーいうことにしようとしてたみたいなんで、ちょーどいいですね』

 

「そういうことにする、ってここまで人目についているんだからどうしようも――」

 

 

『"そーいうことになるんです"』

 

 

 

――その言葉を皮切りに無線は途絶え、ノイズのみが再びスピーカーから流れていた。

 

 

「お疲れ様です。それでは今の会話の通りにやっておきますね」

 

一方的に切断したトビが通信機を返すのと同時にジャクが言い放った言葉である。彼は咄嗟の出任せを本当に現実にしてしまう。それがどういった方法で行われているのかは、ハクジュンの成員ですら知り得ない。彼の諜報活動はハクジュンのみならず、セントクルスにおいても大変重宝しているのだ。だからこそ、世界中の誰よりも敵に回してはならない人物なのである。

トビとヒュンヘンバルツの通話中、ジャクは暗視ゴーグルを掛け直し、ギルドマスターの狼狽えっぷりをまじまじと観察していた。あの様子だと逆らって特攻するほど馬鹿ではないだろう。

うつ伏せから仰向けになり、ゴーグルを外して大きく伸びをした。いくら場慣れしているとはいえ、どんな命令でも緊張状態が続けば身体が凝り固まってしまう。その鎖を解放するかの如く、羽を伸ばしてやるのが彼はたまらなく好きなのであった。こうしてまだ現場に居るのにリラックスしてしまっているのは、もう相手に王手をかけていて、抵抗などあり得ない状態であると確信をもっているからだった。

団員同士の連携の崩壊、増長しきっていたリーダーの鼻をへし折ったことによる戦意喪失。そもそも、近所近辺の被害を顧慮しなければ、見守っていてもモンスター側の勝利は約束されていたようなものだった。それほど、力の差が圧倒的だったのだ。

 

そんなくつろいでいるジャクを横目に、トビは高台から平地に飛び降りた。不審に思ったのか首だけ向けて様子を窺う。というのも、彼同様トビも命令が終わったら全ての思考を放棄したかのように呆けていることが多いためであった。

 

「最後まで見ていかないのですか?」

 

「こんなつまんねーどん詰まりなんて見て、何が面白れーんですか?こっから警告無視して、本気でぶつかり合うっつーことにでもなったら話は別ですが。もしかして報告のことですか?そりゃてめーに任せます」

 

「分かりました。……ところで、トビさんはこれからどこかにお出かけですか?」

 

「そーですよ。予定がたんまりで参っちゃいます。夜通し出歩くことになっちまうかもしれねーですね」

 

トビは肩の調子を確認するかのように反対の手で揉みほぐしている。勿論この発言も出任せだ。命令が出されない限り動かないことは、指で数える程度でしか接点のないジャクでも既知の事実であった。私用であったにしても、ここまで本腰を入れているのは明らかに異常なことだった。

しかし、彼はあえてそのことに言及せずトビを送り出す。

 

「じゃー後始末よろしくお願いします」

 

背を向けて右手をひらひらと振る姿は、まるで親しい友人と学校帰りに別れるようであった。左手はパンツのポケットに入れ、ごそごそと何かを確認するように漁っている。

少し遠い場所まで歩いて行ったところで、ジャクがわざとらしく思い出したかのように声を上げた。

 

「あっ、そうだ。トビさーん!……聞こえてないですかね?まぁ、いいでしょう。独り言になってしまいますが、もし仮に捜し物をしているのなら、"街外れの廃墟"にでも行ってみたらいいんじゃないですかね?こんな夜には、何か珍しいものでも見つかるかもしれませんよ。多分、ですけど」

 

かなりかけ離れていたため声が届いたのかは不明である。聞こえていたのか聞こえていなかったのか、トビは歩くスピードを一切緩めずにジャクの視界の外へ消えた。

彼は頬を一掻きすると、暗視ゴーグルを掛け直し、騒動の終尾までを監視することに決めた。

 

 

エノスの丘の段丘地帯を越えたトビは、ジャラジャラと弄っていた左手を引っ張り出す。その手には大量のクナイが握られていた。ブリリアレの話で面倒な戦闘も視野に入れていたトビは、普段よりも多く持ってきていたのだった。

そして、先ほどの砂嵐。その中心にうっすら見えたのは紛れもなく、ミュゼに違いなかった。はっきりと確認できていなくても、あれほどの魔力を行使できるのは、故魔王、魔族四天王、そしてミュゼくらいしかいない。さらに、その中で土属性の魔法を得意としていることを判断材料にすれば、ほぼ確定したといってもいい。

 

現王は魔王討伐成功の報告をしに来たゼードと共に居たミュゼを見てすぐに、誘拐の命令を下していた。しかし、いくら王直々の命令だとしても、その命令が曖昧過ぎたのだった。

 

 

『あの小僧の横に居たモンスターの娘、あれを連れて来い。すぐにではないぞ?状況が整ったらだ。整い次第、貴様らには再度命令を下す。連れて来るのに方法は問わない。あの娘が死んでさえいなければ、だ。もしその際に小僧などの邪魔が入ったら……貴様らの好きにすればよい』

 

 

誘拐はするが、今ではない。期限も無ければ、何時なのかも不明瞭。

これには異端のトビのみならず、ハクジュン全体が何のアクションも起こせないでいた。その命令が下ってから約半年。それでも王の言う"状況"は整わないらしい。確認しようにも、自室に引き籠られてしまっていては、いくらハクジュンと言えど勝手に足を踏み入れることはできない。何名かはその理由を知っているらしいが、そんなもの勿論トビに興味などあるはずもなかった。あまりにも触れられなさ過ぎて、成員の中には王の冗談だったのではないかと考察する者も居るくらいだった。

 

しかし、トビはこの命令を今日ばかりはありがたく思っていた。正直、王が本気で言ったのか、冗談半分で言ったのかは、この際どうでもよかったのだ。なぜなら、それで都合良くゼードと殺し合いができるからであった。普通に押しかけては、勝手な行動だと非難されてしまう。彼はあれでも、人間界を救った勇者なのだから、理由もなく気分で殺害してしまったら責任問題は逃れられない。いくら自由奔放な彼であっても、ハクジュンを追われてしまうような事態は是が非でも避けたかった。

だが、今夜はわざわざミュゼが問題を起こしてくれたのだ。それを教唆したのがゼードだった、などと適当な言い掛かりをつけることで、釘を刺しておいたという大義名分が立つ。

だからこうして、何の気兼ねなくゼードをなぶり殺しにできるのだ。

 

 

「どうしていっつもてめーにはバレちまうんですかね?ゼード君よっ?」

 

――――――――――――――――――――――――――――――――

 

9月28日未明。セントクルスは夜間であっても人で溢れ返っている。昼夜を問わず営業している店や、夜だからこそ気合いを入れて客引きをする店が多く出店しているからだ。

だからこそ、一日を通して警備が緩むことがないため住民たちも安心して眠れるのだ。

 

中でもセントクルス城はより一層強い警戒態勢になる。しかしそれでも、人目につきにくい夜に闇を纏って侵入を試みようとする者も少なからず存在する。たまに、日中堂々推し通ろうとする輩も居るが、これは愚行でしかない。大体は門番の誰何によって不審者はお引き取り願うのだが、無理やり塀をよじ登ったり、馬車の荷台に隠れて忍び込んだりしていた。

その罪人には、冗談半分だった命知らずの一般人の他に、内部構造や王の動向を調査しようとしていた記者や探偵たちが居た。職務を全てブリリアレにを任せ、自分たちの知り得ないところで何かを目論んでいるであろう王に対する懐疑心の表れなのだろうか。それともただ、己のスクープ獲得のためだったのだろうか。

だが、これも本当かどうかは分からない。もしかしたら、中には一触即発状態の軍事国家ザックダランの内偵が紛れていたかもしれない。しかし潜り込めたといっても、水堀を超えた下中庭や幕壁の辺りくらいで、侵入から数分にも満たないうちに監視塔常任の騎士や城壁上の回廊の見張り兵士に捕らえられていた。そのため重罪であるのには変わりないが、塔や館など城の内部へ到達した者は居なかった。

だから国の重要機密の漏洩などは起こりうるはずもなかったのだ。

 

普段から厳重な警備なのだが、近頃はより強化されていた。理由としては、四日前に警備兵たちの動向を確認していたと思われる怪しい人影が目撃されたらしいのだが、どうにも捕らえることができなかったのだという。そのために見回りのパターンを変えたり、交代の時間をずらしたりして対策を練っているようだった。しかし、ハクジュンへ命令が下っていないところをみると、そこまで危険視しているわけではなさそうだ。

 

トビはセントクルス城が現在の住み処であり、立場上も出入り可能な貴族ということになっているため、夜間であろうと正面から堂々と入ればいい。だが、トビはあえて厳しい警備の目を掻い潜り、場内へと"帰宅"した。普段は叱られるくらいラフな恰好で我が物顔で出歩いているくせに、帰りだけは秘密部隊らしい部分を見せる。

再度述べるが、彼はこうまでして立ち入る必要はない。普通に戻って来ない理由は、防備のために作られた跳ね橋だ。彼は単純に橋がゆっくりと降ろされるのを、黙って待っているのがもどかしいのだった。さらにセントクルス城は、より外からの防衛を強化するために、城下町から戻るには二回の跳ね橋を通過しなければならないのだった。

 

今夜のトビは地上から十メートル程の高さにある火薬塔の窓から内部に忍び込んだ。火薬庫の中は、目を凝らしてやっとそこに何かあるのか判断できる程度に薄暗かった。当たり前だが、火気厳禁なので不用意に明かりを置くことができないからだ。

トビはさっさとこの火薬の臭いが鼻につく部屋を出ていきたかった。長時間嗅いでいると、気分が悪くなりそうだったからだ。しかし、彼を呼び止めるか如く、どこからともなく妙な音が聴こえてきた。確実に機械時計のような自然音ではない。

カッチャカッチャカカカカ――――変則的であるようで、心地の良い、明らかに人為的なリズムで音が奏でられていたからだ。それは、トビが命令の待機中などでよく耳にしていたものでもあった。

 

「何ですか?わざわさ待ち伏せるような真似しやがって。そんなに構ってほしかったんですか?」

 

トビが目を細めて暗がりを覗くと、柱の陰から一人の男が現れる。

ハクジュンの頭、イツキだ。

彼もハクジュンの制服を着ているものの、腰には帯を巻き、そこに刀を差している。そのため、制服がまるで着物のようになっていた。

そして、彼の左指には三枚の板を紐で結んだ物がはめられている。どうやら三板という楽器らしい。カスタネットの打ち合わせる部分が三枚あるといった形状だが、この辺りで所有しているのは彼くらいなものだろう。さっきの奇怪な音の正体はこれである。彼は材質にもこだわりがあるらしく、高級品の黒檀よりも樫の木で作った物の方が好みらしい。他の木材よりかなり低い音で、奏でていても、聴いていても落ち着くのだとトビはしつこいくらいに何度も聞かされていた。

 

「久しいな、トビ。どれくらい振りだ?」

 

「どーでしょう?久々なのは確かですけど。俺はお頭のような治安維持みてーな偽善ぶったことはしねーんです。飼い主様からの命令があれば別ですけど」

 

「ああ、そうだな。貴様という者はそういう奴だ。だから、わんにん貴様に一度でも強要した覚えはないはずだ。貴様はただ、言われたことだけしていればよい」

 

「……何か用なんですよね?わざわざ俺とこんなつまんねー与太話したかった訳じゃねーでしょうから」

 

「そうか、わんやそれでも十二分に有意義な時間が過ごせていたと思っていたのだが。それでは本題に入るとしよう。貴様の言う飼い主様からの指令だ」

 

「カルドレアが……?直に、ですか?」

 

「ああ、そうだ」

 

トビは暫く顎に手を当てて考え込むと、やがて近くの横倒しにして重ねてあった火薬樽の上に飛び乗るように腰掛けた。そしてわざと大きなため息を吐き、煽るように腕と脚をぶらりぶらりと揺らしている。しかしイツキは、気にする素振りなど一切見せずにあくまで冷然と構えていた。相手にされていないのだと勘違いしたトビは、少々むすっとしながら会話を続ける。

 

「つーことは、"例の実験"関連ですか?」

 

「ああ。だが、いつもの材料調達ではなく、別の指令が言い渡されている」

 

「別の?」

 

「ウェデントは行ったことあるよな?」

 

「軽ーく。後始末したぐらいですけどね」

 

「そこで最近騒動になっている"霧のモンスター襲撃事件"も知っているよな?」

 

「あー、モンスターだけが集中して殺されてるだとか、そんな話ですよね?随分と変わった加虐趣味をもった野郎も居たもんですよね。…………何となく読めましたよ」

 

トビは露骨に面倒そうな顔をすると、髪をガジガジと掻いて再びため息を吐く。

 

「理解が早くて助かる。貴様の想像通り、その犯人を黙らせてほしいらしい。そいつがなりふり構わず殺し続けているおかげで、貴様も動きづらいだろう?」

 

「別にそんなん気にしたことはねーですけど。どっちにしろ、俺にもってこいの命令っつーわけですね。いつから向かうんですか?」

 

「今すぐにだ」

 

「今!?お頭、だってたった今、我が家に降り立ったとこ見たでしょう?昼からでいーじゃねーですか!一睡くらい摂らせてくださいよ!!」

 

「貴様の一睡など信用ならん。それに、ウェデントまで汽車で一日程掛かる。車内で寝ればいいだろう」

 

「はぁー……りょーかいです。でも、せめて服くれーは着替えさせてくださいね。汗かいて気持ちわりーんで」

 

「ああ、それくらいなら構わない。……着替えの途中で寝るなよ?」

 

「さすがに着替えながらは寝ねーですよ……」

 

「貴様のことだ、どうせ制服は着ないだろう?だから、バッジは忘れるな」

 

「いーですけど、先に話通しといてくれりゃあいー話なんじゃねーですか?」

 

「貴様に対して恩に着せる義理があるか?返ってくる見込みのない恩など、売ったところで意味がないだろう」

 

「よくご存知で。過去に似たようなご経験でも?……それでは俺は飼い主様の忠実な犬として命令を果たしてきますよ」

 

トビは勢いよく樽を飛び降りると、イツキを視界に入れないよう隣を通り過ぎていった。しかし、出入口の扉に手を掛けたところでピタリと動きを止めた。そしてそのまま、背を向けた状態でイツキに質問をする。いつもの相手を小馬鹿にしたような雰囲気ではなく、彼にしては珍しい神妙な声だった。

 

「……じゃあ、"あいつ"に顔見せる時間もねーですよね?」

 

「……ああ、悪いな」

 

トビは一瞬黙り、息を飲み込んだかと思うや否や、いつもの調子に戻って乱雑に扉を開けて階段を降りていった。

 

 

「すみませーん。ちょっといーですか?」

 

トビは汽車の車庫で見つけた作業員に声を掛けた。どうやら数時間後から開始する運転のための点検や整備をしているようだった。

 

「こら!ここは勝手に入っちゃ駄目だ!運転開始は六時から、それ以外について聞きたいならこの先まっすぐ進むと駅があるからそこで質問してくれ」

 

作業員は手を止めることなく早口で言い放った。言葉がテンプレ化していることから、こういったことはよくあるのだろう。対応がおざなりなのは、普段駅で接客しておらず、こうして点検など専門の人員だからなのか。

 

「朝早くからお疲れさまです。こんな時間からもう準備してるんですね。まだ運転まで二時間半もあるじゃないですか。すげーですね」

 

トビの感情の籠っていない褒め言葉に、作業員は漸く手を止めて彼を睨みつける。

 

「さっきからなんだ。言いたいことがあるならはっきり言ってくれ」

 

「あ、そーですか?じゃー遠慮なく。"今すぐこの汽車、ミヴィルまで動かしてください"」

 

一見すると、トビのとんでもなく利己的な言い分だろう。汽車のダイヤグラムなど一切無視して、今すぐ動かせなどと頭がおかしいに他ならない。しかし、彼はその言葉と同時にポケットからバッジを取り出し、見せていた。

セントクルス王家の紋章である。鳥の王者とされるイーグルを象り、王家の中でも上位の者にしか与えられない物だった。王族の襟や胸に徽章として飾られているが、こうして実物を作業員がまじまじと見たのは初めてだろう。その証拠に彼は目を見開いて、食い入るようにバッジを凝視している。

このバッジが意味するのは、言わずもがなセントクルス上位の貴族以上で、あらゆる特権が認められることだった。厳密には定められてはいないが、その中には汽車を自由に行使することも含まれていることだろう。

 

けれども、そのバッジを見ても作業員はすぐには汽車を動かそうとしなかった。するつもりがないというよりは、何か躊躇っているようだった。

 

「ダメですか?」

 

「いや……えっとですね……」

 

そこでトビは自分の服装を思い出した。今日の彼のファッションはバッファローのプリントがされた白の半袖Tシャツ、カモフラ柄のチノパン。センスなど気にせず、そのままタンスの中の視界に入って涼しそうな衣服を選んでいた。こんな恰好の奴が王家の紋章を出してきたところで、疑われるのは当然である。

 

「察してくださいよ。このバッジ持ってるっつーことは身分も明らかでしょーし、わざわざこんな時間に来てんですからお忍びなんですよ。それとも、バッジを盗んだとか思ってんですか?盗もーにも、あのたけー壁越えて兵士たちにバレねーように盗むんですよ?そっちの方が難易度たけーじゃねーですか?」

 

「い、いえ……疑っているわけじゃ……」

 

「じゃー何なんですか?」

 

トビは睡眠時間が取れていないことからも若干苛立ち始めていた。しかし、その作業員がチラチラと近くに置いてあった作業台を気にしているのに気付いた。正確にはその上に置いてある時計の針を。

 

「なるほど、りょーかいです。そーですよね、今動かしたら確実に今日の営業に影響が出ますもんね。たくさんの問題出ますよね。そーしたら、すんげー額の被害出そうですね」

 

「そうなんですよ……本数がそれほど多くないので……」

 

「いーですよ、そこんとこは気にしないで。多分今日は他の客にめっちゃ怒られるでしょーが、信用問題についてはこっちで何とかします。それと、金については後日請求書でも送ってください。"セントクルス名義"で」

 

それはつまり、この案件は一人の貴族の事柄ではなく、国そのものが関係していると遠回しに語ったようなものだった。その言葉を聞いて作業員は身体を改めて伸ばし、大声を出した。

 

「かっ、かしこまりました!30分……いえ、10分で準備します!!」

 

「はいはい、それなりにお願いしますね。俺は中で寝るんで、準備終わったら勝手に出発しといてください」

 

それだけ告げると、相手の反応も待たずに汽車に乗り込んだ。作業員も作業員であちこちに電話で指示を飛ばしていたため、ちゃんと聞いていなかったようである。

トビは車内に入るや早々、さも当然のように一番良いスイートルームの扉を開ける。そして、どのオプションにも目もくれず、ベッドへ直行した。柔らかいものに包まれた途端、全てが真っ白になり、瞬く間に眠りの世界へと誘われた。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――

 

「ふあぁ……寝すぎましたね……」

 

彼が目を覚ましたのはミヴィルに到着し、車掌に肩を揺すられてからだった。つまり、ほぼ丸一日眠っていたことになる。汽車といえど、最高級の部屋のベッドともなれば、かなり品の良い物なのだろう。普段、自室のベッドで寝ている時よりも熟睡できた気がする。

勿論、それだけ動かずにいたら、身体が鈍るのも致し方ないことである。全身の痛みに加え、これからまた犯人を捜すとなると、とてもじゃないがやる気など起きなかった。まだ人相が割れていれば多少はましなのだろうが、霧の影響もあって姿さえ分からないでいた。

 

(誰だかも分かんねー敵を殺せだなんて、それこそ霧に包まれてやがんですよ。……いっそ、そこら辺の柄の悪そーな奴の首でも持ち帰って犯人です、つってもバレねーんじゃねーですかね)

 

まだ半分寝惚けたままの頭でとんでもないことを考えながら歩いていると、突然はす向かいの店から大声が轟いてきた。……そんなに大きな声でもないが、寝起きの彼にはとてつもなく煩わしいものに感じた。

しかもそれが、聞いたことのある声なら尚更である。

 

「――だから、そんなちっこいやつじゃなくて、もっとでけぇのあんだろ!?それ寄越せよ!そしたら後はどうにかすっから、この貧乳馬鹿女が――」

 

グシャリという生々しい音と共に呻き声が聞こえてくる。

 

「アンタどっちに喧嘩売ってんのよ。……とにかく、大きな石さえ用意してくれれば私が魔法で加工するから」

 

騒ぎが聞こえてきたのは石材店からだった。ここらは昔から石炭の生産量が高かった。その副産物として、様々な鉱物が掘れていたためこういった石材店は多く存在している。価値が無い石ころでも、加工して見栄えさえ良くすれば売れるからだ。

そんな店中で大声を出している男女二人組は加工品ではなく、加工前の鉱石を欲しがっているのだ。言うなれば、その細工の巧みさで食っている石大工に対して、お前の技術はいらないから素材そのものをくれ、ということに同義なのだ。

野次馬たちに紛れてトビは店内の様子を窺う。トビは仕事柄、忍びながら近づくのは得意なのだが、"彼"にだけはどれだけ気配を殺していてもバレてしまう。しかし、今は興奮しているからか、殴られてボコボコにされているからか気づかれてはいないようだ。

 

トビは黙って首を振る。今の目的はあれではない。"モンスターを襲撃している人間"が標的であって、"モンスターに襲撃されている人間"ではないからだ。……犯人が人間であると限ったわけではないのだが。

 

どうやら店内では、目当ての物が見つかったらしく事態に進展があったようだ。

 

「ほら、あんじゃねーか。こっちは急いでんだから早く出してくれよ。……え?金?ほれ、これで足りるか?……多い?時間ねぇんだから全部貰っとけよ」

 

どうやら態度は悪いものの、強盗ではなかったらしい。どちらにせよ、たちが悪いのには変わりないが。

等価以上の料金を払うと、先に女がとてつもなく大きな石を軽々と持ち上げて店から出て来る。想像していたのはせいぜい漬物石程度の大きさだったのだが、彼女が片手で担いでいるのは縦横二メートルはある岩だった。むしろ、よく店に置いてあったなというレベルである。本当に何の加工もされていないようで、ごつごつしていて形も整っていない。

集まった野次馬は、動揺しながらもそれを避けるために両側に広がった。ここだけ見ると、旧約聖書の一部分を再現したようである。

 

続けて男の方も出てきたが、店主に問い掛けられて立ち止まった。

 

「あ?何に使うかって?…………墓だよ。どこぞの貴族様のよりも、王様のよりも、立派で頑丈な墓を建ててやるんだよ」

 

そう言い残すと、少し先で待っていた女と合流して再度歩き始める。

 

「恰好つけちゃって」

 

「……うっせぇ」

 

ぼそぼそと喋り合いながら進む二人は、やがて霧に紛れて見えなくなった。

 

見えなくなってからも呆然としていた店主含め野次馬たちは、漸く我に返ったかのように各々動き始める。

トビもその一人だったが、すぐには動き出さずに青空の見えない天へ向けて両腕を伸ばすと、大きく伸びをした。そして今度はだらりと腕を降ろすと、首をこきこきと鳴らす。

 

 

「そろそろ俺もお仕事しましょーかね」




ここまでお読みいただきありがとうございます。

初めましての方は初めまして。
お久しぶりの方はお久しぶりでございます。
碓氷 修夜です。

13.5話です。番外編の番外編です。今回はこの作品の1年目の総括という扱いだったのですが、まさかのトビ視点という切り口です。だから、今回はあえて前書きの登場人物は無しでした。……前編になってしまったので、後編は入れますが。さらに言うと中編がないことを願います。多分そこまではいかないでしょうが。
今まで番外編というと、ロザ主役でしたが、今回はトビということで番外編の番外編なのです。しかも、自身初となる三人称視点での執筆でした。理由は単純です。トビの口調で地の文を書いてたら、途中でこっちが発狂するなと思ったからです(笑

さて、内容について触れていきましょう。1年目の総括ということで、物語の補完、トビなどのピース事務所やロザ以外の"裏側"の出来事でした。……後編は各話について語って長くなりそうなので、こっちで語れるところは語ってしまいます。

まず、6月28日。トビがヒュンヘンバルツと無線のやり取りをしている日ですね。この日は本編でいうcase:06、06.5、07の辺りの話です。本編でミュゼと会話したヒュンヘンバルツが、やけに聞き分けよく帰って行ったかという裏の出来事でした。
次に、9月28日。イツキと会話して汽車に乗り込んだので、ミヴィルに到着したのが29日。本編では『ツクリモノノ心編』であるcase:11の最後のシーンの前の出来事な訳ですね。あの後、二人組が戻って墓を作る訳です。その墓石調達をしていた場面が垣間見れました。

この先は後編で語るとして、やっと人間界中心のセントクルス、さらに言えばイツキ率いる秘密部隊ハクジュンが矢面に立ちました。身勝手な勇者制度、ゼードが魔王を倒した勇者なのに有名人でない訳、細かいことが明らかになりつつあります。王様に関しては一波乱ありそうですね。どうなるのでしょうか。
今回の主役であるトビにも何か裏事情がありそうですね。

今回、執筆中の次回なのですが、物語の補完も含めているので適当なことが書けず、なかなか進んでいかない感覚です。私自身の病気での体調のおかげもあって、画面に向かっている時間は普段よりもかなり長いのですが。
ただ、先には進みませんが、空いていた隙間にやっとパズルのピースを埋め込んでいく感覚なので楽しく作業を進められているのが幸いですね。

書いていて悩むのが時系列の整理なんですよね。本編では○月下旬、などと具体的な日付はぼかしているのですが、設定ではきちんと決めてあるのでそこを上手く調節といいますか、沿って裏話を書くというのが苦労しています。
そして、一番の難関がトビの服装。私自身がファッションに疎いため、トビにコーディネートするのが大変です。感覚としては着せ替え人形を持っていかに"らしく"させるか、というものなのですが、いかんせん持っている人形があのトビですから、可愛くもなんともありません。可愛らしい女の子なら頑張って考えてあげようという気持ちにもなりますが、こいつ相手では「何でお前のために服選んであげなきゃいけねーんだよ。何が今年流行のコーデだ。こちとら自分のさえ適当なのに」という複雑な気分でいっぱいです。ただ、そのおかげか現実にも逆輸入が効いてファッションの「フ」の字くらいは理解できるようになったのは、ありがたいことかもしれません。一刻も早く、この呪いの人形は投げ捨てたいですが、当分は懐で保管しなければならないみたいです。

さて、長くなりましたが、次回はもっと長いです。絶対に。
次回で本当に1年目が完結することを誰よりも願いながら床に就くことにします。


それでは改めまして、ここまでお読みいただきありがとうございました。
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