ゼード…ピース依頼事務所の所長。過去に勇者として魔王を倒した経験あり。
ミュゼ…魔族の娘。今はピース依頼事務所に住み込みで働いている。
町長…白い三角巾に緑の服がトレードマークの女性。先代の町長である父の後を継ごうと必死。
「何回頼まれたってダメだ」
「そこをなんとか!貴方の活躍はもっと知られるべきです!」
「そうです、誇るべきですよ」
「俺が嫌なんだよ!それに、今以上にお前らみたいのが増えるだろ!」
男二人を強制的に外へ押し出す。そして、そのまま扉を閉める。鍵こそは掛けないが、無理矢理押し入ってくることはないだろう。入ってきたら、その行為自体が問題になってしまうからだ。勿論、そんなことすれば取材どころの話ではなくなってしまう。
案の定、男たちはそれ以上の抵抗を見せず、踵を返して帰り始めた。
「ちっ……!特集どうするよ」
「どうもこうもねぇよ。何か別のネタ仕入れるしか――」
「……壁薄いからお前らの会話全部聞こえてるんだよ」
俺はぼやきながらソファへ飛び乗る。どうやら新聞か雑誌の記者だったのだろう。勇者の話題は多かれど、実際に魔王を倒した勇者については、あまり世間には知られていない。仕方なく王や大臣には姿を見せたが、この町の人でも俺が件の勇者だと知っているのはほんの少数だろう。魔王討伐の報告の際に、情報が広まらないよう頼んだからだ。ちやほやされるのは好きではないし、俺があまり人前に出るのが得意ではないことも理由の一つである。
「なに、また追い返したの?」
キッチンから我が家の問題児が現れた。その手にはマグカップと菓子の包みが乗っている。こっちに持ってくるまで我慢できなかったのか、既に口には菓子がくわえられている。テーブルに荷物を置き、俺の向かいにあるソファに座った。
「……ミュゼ、それ来客用の菓子だって言ってんだろ。つか、お前のせいで信用ガタ落ちだかんな?」
「アンタが話さないのがいけないんでしょ?それに、どうせ追い返すなら、これだっていらないでしょ」
言いながら菓子を口に投げ入れる。まるで吸い込まれるように消えていき、次から次へと放り込まれる。
「お前が電話対応するからだろ!午後は空いてます、とか言うから来てるんだろうが」
「嘘は言ってないでしょ、嘘は。話すなんて一言も言ってないわ」
「半分詐欺だろこれ。どっちも得しないから止めろって」
「そう?私は見ていて楽しいわよ?」
「お前はな?当事者の気持ちも考えろよ。相手の立場になってもう一度考えてみよう!」
「先生、教科書忘れたので分かりません」
「お前はただでさえ、脳と胸が不足しているんだから他に……ぐはっ!」
「ぶっ飛ばすわよ」
「殴ってから言うな!殴ってから!」
ギャーギャーと騒いでいると、不意に呼び鈴が鳴らされる。その音で、騒いでいた二人の動きが止まる。いつの間にかマウントボジションを取られ、ボコボコにされていたので来客に救われた。
転がるようにして抜け出すと、そのまま玄関へと向かった。
「はいはーい、こんにちはー」
扉を開くと女の子が立っていた。白い三角巾を被り、緑色の洋服に抹茶色のエプロン。一見、どこぞの使用人みたいな恰好だと思ったが、雰囲気はむしろ雇う側のお嬢様の方だった。
「やあやあ、お嬢さん。何かご用ですか?」
「あ、先日はありがとうございました」
「先日?……ぐえっ!?」
「気色悪い。……あら、町長じゃない」
「……チョウチョウ?」
ミュゼに殴られて、壁にぶつかった俺は首だけ動かして来客を見る。記憶をほじくり返し、思い当たる節を探した。そして、一つの依頼を思い出す。
「あー、ごろつき勇者を懲らしめてくれ、って依頼の人か」
「その件はありがとうございました。おかげさまで、あれ以来大きな騒ぎは起きていません。……最近忙しくて、お礼にお伺いするのが遅くなってしまい、すみません」
「いえいえ。こちらこそ、こいつが勝手に話を進めて、報酬も先に頂いてしまったみたいで」
「……まるで私が悪者みたいな言い方ね」
「ちゃんと対応したんだろうな?」
「何度も言ったけど、完璧だったわよ。ね?」
「え?あぁ、はい」
突然話を振られ、慌てて返事をする。このあどけなさが可愛い。うちの暴力女も見習ってほしいものだ。
「何か失礼なこと考えてたでしょ」
「お前……時々鋭いよな。あー、立ち話もアレなんでこちらにどうぞ」
「あ、すみません。お邪魔します」
☆
「で、今日は何かご用ですか?」
ゼードは町長をソファへと促し、お茶とお菓子を出してからそう切り出した。普段はあんなにだらけているのに、客の前では急に真面目になる。当たり前っちゃあ当たり前だけれど。無性にまどろっこしく感じてしまう。
「えっと、大元の目的はお礼だったのですが、同時に謝罪をしに来ました」
「謝罪?何で?」
「えっと……私が魔王を倒した勇者様だと、言いふらしてしまって……」
「あー……犯人はお前か……」
ゼードは営業スマイルから、ぎこちない笑顔になっている。対する町長は、心底申し訳なさそうに下を向いている。でもあの時、町長は危ないからと家に残してごろつきたちと戦っていたはずだ。
「ミュゼ、お前が話したのか?」
「失礼ね。そんな軽い女に見える?」
「い、いえ!ミュゼさんは悪くありません!依頼して、そのまま任せっきりにするのはどうかと思いまして、物陰から見ていたのです。そうしたら……」
「成る程、それで知っていた訳ね」
「はい……。そこで貴方が魔王を倒した勇者様だと知って……」
「"元"勇者だ。もう勇者なんて辞めてるからな」
ゼードは勇者と呼ばれるのを極端に嫌う。まぁ、無理もないでしょう。
「噂が広がって、ちょっとした騒ぎになってしまったみたいで」
「いやいや!気にしてないですよ!」
「何、デレデレしてんのよ。さっきまでうんざりしてたくせに」
「で、デレデレなんてしてねーし!お前こそなんだ、羨ましいのか?やきもちか?嫉妬なのか?」
「相手がアンタじゃなかったら、羨ましかったかもねー」
「んだとこら!」
「落ち着いてください、二人とも!」
町長が見た目に似つかず、大声を出して仲裁に入る。やり方が慣れている気がするのは、町内会で激しい論争を抑えようと、必死になって習得したからではないと信じたい。
「止めてくれてありがとう!どうせこのまま喧嘩しても、ぼろ負けするだけだからな!」
「……じゃあ何で吹っ掛けてくるのよ」
「男にはやらなければならないことがあるからな……」
「いや、訳分かんないし。それで負けたら意味……いい加減ドヤ顔止めなさい!」
「……で、何で言いふらしたりしたんだ?」
「嬉しかったんです。ゆう……所長さんが、どんな理由で隠しているのかは私には分かりません。
それでも、私たち一般人にとって、貴方は勇者様に違いないんです」
その言葉は短かった。しかし、その短い言葉の中には、とても深い意味が詰まっている気がしてならなかった。それを汲み取ろうにも、魔族の私には到底分かりっこないだろう。
当のゼードは、斜め下を見て渇いた笑みを浮かべた。……一瞬、表情が曇って見えたのは何だったのか。
「……そりゃどうも。俺も早く終わらせたかったからな」
☆
「説明してあげなくてよかったの?」
「何をだ?」
「アンタが勇者だった頃の話」
「……まだ、いい。どうせ、いつか話さなきゃいけない時が来るさ」
「ふーん……」
ミュゼは窓から遠ざかっていく町長を眺めながら答える。……本当に町長を見ていたのか?俺にはその先の、もっと向こうにある何かを、見ているような感じがしていた。人や物じゃない、何かを。
「お前こそいいのか?俺が話しても」
「……私は気にしてないもの。今があるならそれでいい」
「そっか……」
普段なら賑やかな事務所に、暫くの静寂が訪れた。ミュゼは相変わらず窓の外を見つめている。既に町長の姿は見えないだろうが、何を凝視する訳でもなくぼんやりとしている。俺もソファに寝転がりながら、天井を見上げている。特に理由はない。特にミュゼと話すこともない。暇で時間を持て余している日もあったが、ここまで居心地の悪い日は初めてだ。ミュゼと事務所を始めた当初も、ここまではぎこちなくなかったはずだ。
そんな空気を入れ換えてくれるように、テーブルの上に置いてある電話機に着信が入る。取ろうと身体を起こすと、ミュゼもこちらに一、二歩、足を進めていた。そこで、ふと視線が合った。どうやらミュゼも、この空気に気まずさを感じていたようだ。こいつは俺が家に居る時は、全くと言っていいくらい、電話に出ることはないからだ。二秒程、変な譲り合いが起きたので、アイコンタクトでミュゼに指示を送る。ミュゼもそれを感じ取ったのか、立ち止まっていた足を動かして受話器を持ち上げる。
「お電話ありがとうございます。ピース依頼事務所です」
――――――――――――――――――――――――――――――――
「そっかー、花見の時期なのねー」
3月の半ば。時期的にまだ早いと思ったけど、この地域ではもう春先の花が咲き始めている。この地域というより、この場所と言った方がいいのかしら?他はまだ蕾の段階だけれど、この丘だけは花が咲き乱れている。
「ここは地元じゃ、有名な隠れスポットなんだよ」
有名なのか隠れなのかよく分からないけど、特殊な場所なのでしょう。
「たまには綺麗な花を見て、のんびりするのもいいわね」
「へぇ、意外だな。お前は身体動かしてる方が好きだと思ってたんだけど」
「勿論そっちの方が好きよ?たまには、って言ってるでしょ?」
「そうだよなー。酒でも飲んで騒ぎたい気分だわ」
「仕事中でしょ」
「知ってる」
わざわざ朝っぱらからシートを広げてお花見……というのも一興だけど、これも正規な仕事である。昨日私が取った電話の内容は、夕刻から職場の仲間と花見をしたいから場所取りをしておいてほしい、とのこと。
「お前、昨日はそんな早く出掛けなくていいんじゃね?って言ってたろ」
「そうね、これ見たらそんな呑気なこと言ってられないわね」
朝4時で、まだ日も完全に昇っていないというのに、辺りには場所取りをするための人間で溢れている。そこまでして、花見をしたいのかという疑問さえ浮かんでくるほどだ。
「酒は出ないが、後で飯でも買ってきて花見気分だけでも味わっとこう」
「ええ、"これ"さえ無ければちゃんと楽しめるのだけど」
私の顔には今朝ゼードから、「今日はこれ掛けとけ」と渡されたサングラスが乗っている。おかげで、綺麗なはずの花も薄暗く見えてしまう。隣の所長の顔を、直視しなくて済むという点だけが救いかしら。
「それで済んだだけましと思え。ぱっと見、お前は人間と大して変わらないからな。その目さえ隠しちまえば問題無いだろ」
「そうだけど、花を見ようにも暗くて見づらいのよ」
「俺らはお花見じゃなくて、ちゃんとした依頼で来てんだから、花見る必要なんてねぇだろ?」
「さっき酒飲んで、はしゃぎたいって言ってたのは誰かしらね。……それにしても、違和感というか、異物感が凄いのよ」
「しゃーねぇだろ?まだ世間はお前が思ってるほど、魔族に優しくないんだからさ」
「……何のために魔王倒したんだか」
「少なくとも、魔族との共生なんて考えてなかったよ。両者の軋轢が、そんな簡単に埋まると思うな」
「知ってる。まだ怨みつらみが払拭できていないからね。……お互い、ね」
「ミュゼ……やっぱお前――」
「前にも言ったでしょ、もう私は気にしてないって。けど、他の魔族がね――。はい、もう辛気臭い話はおしまい。折角の花見なのよ、もっと楽しみましょ」
私が一方的に話を終わらせると、ゼードも鼻から息を吐いて、それ以上この話題に触れることを止めた。胡坐をかいて、前に持ってきていた腕を大きく上に伸ばし、脱力したように後ろに両手をつく。
「……そうだな、無粋だった。ところで、"そっち"でも花見ってするのか?」
「"そっち"って魔界のこと?」
「そうそう」
「失礼ね。あっちだって花くらい咲くわよ」
「そうなんだ。知らなかった」
「……アンタだって来たでしょ?」
「いや、時期がな。冬だったし。それに最短コースで行ったから、寄り道なんてしてなかったんだよ」
「あー、そんなこと言ってたわね。今度案内してあげよっか?」
「まぁ、時間があったらな。……大丈夫か?それ、俺の身の安全は保証されてんの?」
「さあ?せいぜい、後ろから刺されないように気を付ければ大丈夫でしょ」
「全然大丈夫じゃねぇよ、それ!!」
☆
正確な時間は分からないけど、太陽がちょうど真上くらいだから昼過ぎでしょう。この時間帯になると、周囲はお祭り状態である。花見なのか、宴会なのか、よく分からないほどに騒がしくなり、屋台までもが建ち並んでいる。それなのにうちの所長といえば……。
「一応仕事中でしょ……。ぐっすりじゃない」
隣で横になって、すやすやと寝息を立てている。よくもまあ、これだけ喧しいのに眠れるものだ、と一周回って感心してしまう。しかし、これだけ天候が良いと昼寝をしたくなる気持ちも分からないでもない。けれども、何度も言うが、仕事中である。
それにしたって暇である。
さっきまでは、暇なりに下らない会話をして時間を潰していた。しかし、話し相手がこの有り様ではその方法も使えない。事務所でも、比較的何もしていない時間は多いけれど、今は外出中である。家でだらだらしているのと、外で、しかもあまり遠くへ動くこともできない状態では、時間の進み方が全然違うのだ。こんなことになるなら、読み終えた雑誌でも持ってくればよかったと後悔している。
それに、いい感じにお腹も空いてきた。普段なら、昼食を摂っていてもおかしくない時間でしょう。専ら座っているだけでも、生意気にお腹は空くのだ。それに加えて、宴会の席や屋台からいい匂いが漂ってくる。何も食べるなという方が酷なものだろう。
横目でゼードを見下ろすけれど、起きる気配など全く無い。私はゆっくり立ち上がると、伸びをして鈍った身体を弛緩する。こいつは放っておいて平気でしょう。私は財布だけ持つと、美味しそうな食べ物で溢れ返っている楽園へ飛び出した。
串焼き、焼きそば、酒――。
屋台に並んでいる食べ物を眺めては、涎が出そうになって、慌てて現実へ戻ってくるというループを繰り返していた。一番近くに出ていた、"トウモロコシ焼き"というのを買って、歩き食いしている。こちらでは、穀物として作られているらしい。初めて食べたけど、とても美味しい。少し歯と歯の隙間に引っ掛かるのが気になるけれど、美味しければそんなこと些細な問題でしかない。
次はあの"たこ焼き"というものに挑戦してみようか。
そんなことを考えている時だった。
「そこのお姉さんっ、何してんの?」
一瞬自分に声を掛けられていたとは思わず、通り過ぎそうになってしまった。
「ちょっとちょっと、待ってよ」
声の主が通せんぼするが如く、前に立ちはだかる。若い人間の男だ。相当酔っているのだろう。酒の臭いがここまで漂ってくる。足元もふらついていて、今にも倒れそうだが、これが中々倒れない。
「あー、私に話し掛けてたの。何か用?」
「いやー、見てたら暇そうにしてたからさぁ。一緒に花を見ながら話でもしようよ」
これは所謂、"ナンパ"というものだろうか。雑誌で読んだことはあったが、実際に声を掛けられたのは初めてだ。……というか、これだけ人が集まっている場所に来たのも、まだ二回しかない。今まで依頼で外出しても、人混みに飛び込むことはなかった。声を掛けられる機会自体が、存在していなかったのだろう。
尤も、私が魔族だと知れば、誰も近付いて来ないに違いない。この男もそうだと分かっていれば、わざわざ声を掛けてくることもなかっただろう。近寄らないどころか、遠巻きに酷いことを言われるかもしれない。
だからこそ所長が、このサングラスを渡してくれたのだろう。普段、あいつがサングラスを掛けているのは見たことがない。もしかしたら、私のためを思って買ってきてくれていたのだろうか。……あいつにも良いところがあるのかもしれない。ただの馬鹿だと思っていたけれど、少し考えを改める必要があるかもしれなかった。
「どうしたの?黙りこくっちゃって」
「え?ああ、ごめんなさい。ちょっと考え事してたわ」
とはいえ、この男をどうしたらいいものか。正直、のんびりしたかったので、付き合ってやる予定などさらさらなかった。
「私、今忙しいからまた会ったら誘ってちょうだい」
「えー、そんなこと言わないでよ。飯も奢るからさ」
「行く――訳ないでしょ」
あ、危ねー……。思わずついていってしまうところだった。食べ物を引き合いに出すとは、なんて卑怯な……。今時の子供でさえ引っ掛からないトラップに、まんまとやられてしまうほど、私も馬鹿ではない。心が揺らいだように見えたのは、気のせいである。
「いいじゃんいいじゃん。絶対楽しいって」
「えー……」
どうしたものか、一向に退く気配が無い。黙らせることもできるが、人も多いので騒ぎを起こすのは何としても避けたい。
困っていると、また後ろから声を掛けられる。しかも、今度の声には聞き覚えがある。
「……こんなところで何してんだ」
振り返ると、コートのポケットに両手を突っ込んだ男が立っている。そして、真っ直ぐこちらを見つめていた。
「あ、ゼード――」
「ちょっとこっちに来い。あ、何か話してましたか?すんませんね、ちょっと借りますよー」
ゼードは私の腕を引っ張り、無理やりその場から連れ出した。ナンパ男は、「何だ、彼氏持ちかよ」と唾を吐いて反対側へ去っていった。引き離した後も、ぐいぐいと私の腕を掴んだまま歩いていく。その間、ゼードは一言も喋らなかった。私もなすがまま、この男の後ろをついていく。
そうして、私たちが場所取りをしていたシートの所まで戻ってきた。そして、私を押し倒すようにシートに座らせる。
「な、何よ……」
「ちょっとここに居ろ」
「何なのよ……」
ゼードはいつになく、真剣な表情をしている。そしてゆっくりと息を吸うと、私にこう告げた。
「ちょっとトイレ行くからここに居てくれ!」
「……は?」
「いやさ、トイレ行きたくなって起きたらお前居ないんだもん。場所取りしてるから、とりあえず誰か残ってなきゃいけないじゃん?お前戻ってくるまで我慢しようと思ってたんだけど、帰ってくる気配無いからさ。待ってて、すぐに捻り出して戻ってくるか――」
「ふんっ!」
「がっ……!!?お前っ……腹は止めろっ……ダムが決壊するだろうが……!!」
「……早く行ってきなさい」
「言われんでもそうするわ……」
ゼードは腹を押さえながらトイレへ向かう。
前言撤回。
あいつに対する考えを改める必要なんてなかった。
☆
「依頼完了ー。いやー、すっかり夜だな」
依頼人たちが現れたのは、陽が沈んでちょうど辺りが暗くなり始めた頃だった。気前の良い人たちで、報酬にちょっと上乗せしてくれた。経費で落ちるから問題無いのだとか。問題は無くは無いだろうが、こちらとしてはありがたい。俺は上機嫌で瓶を抱えている。
「何か良さげなワインも貰ったし、ラッキーだな!…………ねぇ、何でそんな機嫌悪いの?」
「……別に?」
トイレから戻ってくると、膨れっ面のミュゼが座っていた。話し掛けても塩対応だった。理由を聞いても、「別に」としか答えない。女心とは分からないものだ。
「よーし、ただいま我が家!」
ピース依頼事務所は一軒家だ。しかし、特に看板などは出しておらず、窓に貼り紙をしているくらいだ。改めて見直すと、やはり目立つ板だけでも置いておくべきだろうか。
「ミュゼ、中からグラス2つ持ってきて。あ、あとワインオープナーも」
「……何で?」
「酒貰ったから飲もうと思って」
「だから何で外に?」
「だってさ……よいしょっ!」
ワイン瓶を抱えながらジャンプして塀へ、そして屋根に飛び移る。
「……アンタ本当に人間辞めてるわね」
「"元"勇者だからな」
「アンタが自分から口に出すとは思わなかったわ」
「まぁ、事実だしな。腕力は無いが、脚と体力だけは自信あるし。ほら、早く取って来いよ」
「はいはい」
俺は足を投げ出すように端へ座る。 ミュゼは言われた通りに、事務所の台所からグラスを二つ持ってきた。 そして、自分の立っていた地面を屋根の高さまで盛り上げ、歩くように隙間を跨いで屋根に到達する。俺に近づくと、無言のまま乱暴にグラスとオープナーをこちらへ寄越す。俺は呆れながら、それを受け取った。
「お前、そんな簡単に魔法使うなって」
「どうせ夜だし、ここら辺は誰も通らないでしょ?」
「そうだけどさ……おい、地面直せ!」
「人通らないでしょ?」
「俺らが家に入れないだろ!!」
ミュゼは渋々と地面を元に戻す。さっきまで、ここが山になっていたとは分からないくらい完璧に直されている。
「で?」
「ん?」
「何でわざわざ外で、しかも屋根の上でお酒飲むのよ?」
「いいじゃねぇか、たまには。花見で一杯……っつーのはできなかったけど、俺たちはこっちのが合ってるんじゃねーか?」
「月見で一杯、ってこと?」
「そうゆうことだ」
ワインオープナーを突き刺し、回しながらコルクに穴を空ける。そして、ポンという景気の良い音と共に、栓が抜かれる。その瞬間から、ラズベリーのような甘酸っぱい香りが、まだ注いでもいないのに漂ってくる。
俺が瓶を傾けると、ミュゼは黙ってグラスを差し出す。トクトクと、グラスに赤い液体が流れ込む。八分目まで注いだら、次は自分のグラスを準備する。ミュゼをちらりと見ると、グラスを見つめたまま不満げな表情をしている。
「アンタ……これ、香り楽しむ気あるの?」
「ソムリエじゃあるまいし。それとも、ソムリエ気分だけでも味わいたかった?」
「結構よ。……それ、貸しなさい」
「お、サンキューな」
ミュゼは俺の手からワイン瓶を奪い取った。俺は苦笑いをしながら、グラスを差し出す。そして、自分のグラスと同じくらいまで注ぐと、瓶の口を離した。そのまま、安定した場所に瓶を置こうと辺りを見回すが、見つからなかったらしい。屋根の上だから当たり前だろう。仕方なく、小脇に抱えている。
「おいおい、温まるだろ」
「しょうがないでしょ。もしかしたら、私の熱が籠って余計に美味しくなるかも」
「ははは、違いねぇ!けどさ、こういう時に魔法使えばいいじゃん」
「あ、そっか」
ミュゼは素直に納得し、土の台座を創り上げた。それもただの台ではなく、とても緻密に彫られたデザインをだ。四つの立て爪で支え、下の台座も何段も重なった構造になっている。
「妙に凝ってんな」
「当たり前でしょ。私という成分でヴィンテージ物になってるんだから」
「非売品だしな。勿体無いから、俺たちだけでいただこう」
「えぇ」
「「乾杯!」」
月見の季節はまだまだ先だが、この時期の月見というのも悪くないものだ。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
初めましての方は初めまして。
お久しぶりの方はお久しぶりでございます。
碓氷 修夜です。
『勇者と魔娘の3年間』の2話です。まぁ続き物と言えばそうなのですが、こんな感じである程度はオムニバスの様に1話完結で進めていきます。後半からは続き物になりそうですけれども。それまでに伏線を立てまくっておきます。……回収し切れなくなりそうですが。
さて、今回は戦闘シーン無しの、ある意味日常回です。花見だというのに二人とも花をまともに見てないですね。ミュゼは所謂、花より団子タイプで、ゼードは花より団子よりお昼寝タイプだと思っていますので、まともに花を見るなんて出来る訳がなかったんです。
次回は戦闘マシマシの回になる予定(←重要)ですので、また見掛けましたらまた宜しくお願いします。
それでは改めまして、ここまでお読みいただきありがとうございました。