ゼード…ピース依頼事務所の所長。過去に勇者として魔王を倒した経験あり。
ミュゼ…魔族の娘。今はピース依頼事務所に住み込みで働いている。
町長…白い三角巾に緑の服がトレードマークの女性。先代の町長である父の後を継ごうと必死。影が薄い。
クランガン…魔術師のような格好をした商人。ナイフや情報を仕入れたりする際にお世話になる。
ベルフェ…悪魔系のリーダー。皆からはベルと呼ばれている。魔力はピカイチだが、人語が話せない。魔族四天王の一人。
レント…植物系のリーダー。非攻撃的であり、戦闘スタイルも待ち伏せて敵を誘い込むのを得意としている。魔族四天王の一人。
「こんな遅い時間までお手伝いいただきありがとうございました」
「いえいえ。シスターさんにはいつもお世話になってますからこれくらいは」
「今は"シスター"ではなく、"司書"ですけれどもね」
「そうでした。では、私はこれで」
「はい。お気を付けてお帰りください」
町長はシスターに見送られて、セントクルス大図書館を後にした。もう夕日は今にも沈んでいきそうで、辺りは薄暗くなり始めていた。ここの司書は交代制で、ヘーンフィオのシスターが週四で勤めていたりしている。シスターは他にも町で不動産業を営んでいたり、孤児院のように行き場のない子供たちを育てている。疲れている姿は一度も見たことはないが、町長の知っている人の中で一番勤勉であるのは確かだった。そのため、彼女自身の仕事が空いている日は自主的に仕事の協力をしているのだ。
無論、町長の彼女とて優雅に構えているほど暇ではない。そうであるのにもかかわらず、シスターの手伝いにはるばるセントクルスまで訪れているのは、彼女の人柄の良さを如実に表しているだろう。だからこそ、若くして一つの町の長として頑張っている彼女を、周囲の人々も放っておけないのだ。ヘーンフィオに見回りの兵士が存在していなくとも、治安がそこまで悪くないのは彼女のおかげなのかもしれない。
この時間にもなると、賑わっていたマーグー広場のマーケットも店じまいをする露店が多くなる。セントクルスで宿が取れていればもう少し遅くまで開けるのだろうが、この都市外から品物を引っ張ってきている商人も数多く居る。そうともなれば、暗い中で野宿しながら店を出すより、一度自分の町まで戻って、朝またここに店を構えた方が安全であるのだ。勿論、警備の兵士は町中にも配備されているので大きな事件こそはそうそう起きないが、少しでも可能性があるのなら無い方を選んでいるのだろう。
尤も、元よりこの都市に住んでいる商人や野宿覚悟で夜間ずっと開いている店もある。というのも、ここには夜から営業を始める店も多いからだ。今しがた通り過ぎた酒場も、中から露出の多い女性が現れて『CLOSED』と書かれたドアプレートをひっくり返して、『OPEN』に変えていたくらいだ。町外れには、娼館などもあるので夜遅くまで人が途切れることはない。
そんな人の往来の中で、町長の目に留まった二人組が居た。一人は2メートル近くも身長のある大男で、もう一人は町長よりも小さな背丈の少女。二人とも気候に似つかわしくない厚着をしている。それよりも気に掛かったのは、大男が背負っている巨大な麻袋だった。帰り支度をしている商人たちに紛れているため違和感こそは感じられなかったものの、どうしてか町長はその二人が引っ掛かったのだ。
あまりこういったことは良くないと思いつつも、彼女はその二人の後を追ってみることにした。
商人や観光客が町の外に向かう中、二人組は何故か城の外壁の後方に進んでいった。城は全方位を高い壁で囲われているため、そちらに行っても店どころか人さえ居ないだろう。浮浪者さえも見回りの兵士によって追い出されてしまうため、ごみ一つ落ちてはいない。
ちょうど城の真後ろ辺りで立ち止まると、大男は担いでいた麻袋を床に置いた。町長はバレないよう、角に隠れてその様子を窺う。地面に置かれた途端、その麻袋は勝手に蠢き始めた。
そして中から現れたのは――ミュゼだった。
「……下ろすならもっと丁寧に下ろしなさいよ」
「済まない。これでも細心の注意を払ったつもりだったのだが」
「こいつは何やったって文句言うんですよ」
「アンタも透明化させてる槍が、腰にガツンガツン当たって痛かったわよ」
「あれ?見えなかったから気付かなかったよ」
「ここで騒がないでくれるか?人に見つかったら厄介なことになる」
いがみ合っていた二人を宥めるように、大男が仲裁に入る。そして、ミュゼに申し訳なさそうに告げた。
「さて、娘っ子はこれからカルドレア王の元へ連れて行く。勇者もあの有り様だ。助けなど来ないと思え」
「……えぇ、承知の上よ」
大男はミュゼに現実を突き付けた後、大きくため息を吐いて言葉を続ける。
「正直な話、本当はこんなことはしたくなかったのだがな。王の命令だ、断る訳にもいかん」
「あら?アンタらのことだから忠誠でも誓ってるのかと思ってたわ」
「王国に忠誠は誓ってますよ。……ただ、王様に誓えるかって言われたら、それはまた別の話でしょ?何やってんのか分かんないし」
「アンタらでも分かんないの?何のためのハクジュンよ」
そんなミュゼの嫌味を無視し、不可視化させていた槍で城壁を一定のリズムで叩く。すると、継ぎ接ぎなどどこにも見当たらなかった壁が、くるりと回転して内部へ入れるようになった。叩いたのは何かしらの合図で、壁の向こうに居た騎士に隠し扉を開けさせたのだった。
「一体何のためなんですかね。まぁ、どっちにしろミュゼは王国――人間界にとっての人質な訳。尤も、王様がそのつもりであれば、の話ですけどね。連れてった瞬間に、ばっさり、ってことも十分考えられるから」
「そうじゃないことを祈っておくわ」
穏やかではない会話をしながら三人は城壁の向こうへと入っていく。そして隠し扉が閉められ、先程のように継ぎ目の無い城壁の一部へと戻っていった。
(このこと所長さん……誰かに伝えなきゃ!!……でも、誰に……?)
一部始終を目撃してしまった町長は、全てを把握できなくとも、ミュゼの身に何かまずいことが起きているのは、はっきりと感じられた。話の内容からゼードの安否も心配ではあったが、とにかくこの状況を誰かに伝えなくては大変なことになると一般人の彼女にも理解できた。
しかし、大男たちは王様の命令だと言っていた。そのため、王国の関係者に助けは求められない。だとしたら、誰の元へ駆け込めば良いのだろう。
そんなことを逡巡している時だった。背後から足音が聞こえてきたのだ。先も述べたように、ここへは誰も訪れる理由が無い。つまり、ここに用があるのは――。
彼女は恐る恐るゆっくりと、瞬きするのも忘れて、目を見開きながら顔を後方へ向ける。
そこに立って居たのは、ラフな恰好をした男。彼女は以前、この男を見たことがあった。町外れで、ゼードを瀕死に追い込んだ男――――。
「こんな場所で覗き見なんて、趣味わりーんじゃねーですかね?どーです、お嬢さん?」
――――――――――――――――――――――――――――――――
俺は町外れを訪れ、馴染みの商店を見つける。彼はレジャーシートへ乱雑に品物を置き、本人は折り畳みの椅子に座って暇そうに欠伸をしていた。こちらに気が付くと、急に背筋を伸ばして威勢の良い声を上げる。
「おっ、旦那!久しぶりっすね」
商人――クランガンはフードの下から僅かに見える口元を緩ませたが、俺の隣を見て不思議そうにへの字に曲げる。
「あれ、今日はミュゼさんと一緒じゃないんすか?旦那も女たらしっすねぇ」
「ちげぇよ、バカか。そんなんじゃねーから」
横に居るベルを見ながら答える。いつものとんがり帽子に加え、尻尾を隠すようにお世辞にも似合っていない、えんじ色のマントを着用している。心なしか悲しそうな表情をしたのは気のせいだろうか。
「それで、今日はどんな御用で?」
「ナイフとちっとばかしの情報を、な」
通常ならここで苦笑いしながら奥からナイフを取り出すのだが、クランガンはじっとこちらを見つめたまま動こうとしない。
「んだよ?金ならちゃんと持ってるぞ?」
「いやいや、金とかそういう問題じゃないんすよ」
普段とは打って変わってクランガンは要領を得ない回答をする。俺はどうしてなのか分からず、ただ額に皺を寄せて首を傾げるだけだった。隣のベルもどうしていいのか、手持無沙汰な様子で上着の裾やマントを指で弄っている。
暫くすると、 クランガンが何かを確信したかのように大きく頷く。
「やっぱ違うっすね」
「は?何がだ」
「あなたは旦那じゃないっすよね?」
「え?」
驚きを隠せない俺たちを他所に、クランガンは腕を組んで自分を納得させるように口を動かす。
「"本物"の旦那はここを訪れる時は決まって一人で来るんすよ。それなのに『ミュゼさんと一緒じゃないんすか?』って訊いたら、何も反論しなかったじゃないっすか。それに旦那は品物をナイフしか買わないっすけど、最近……というか殆ど最初っから"いつもの"としか言わないんすよ。ああ見えて、妙に通ぶるんすよね。
……けれど、見た目全く一緒っすから、以前お会いしたスー……さんってところっすか?」
そこまで言われ、俺――ゼードの姿をした男は廃墟中に響き渡るくらいの大声で笑い出した。ベルフェは信じられないといったふうに、前髪に半分隠れた目を大きく開けて驚いたまま固まっている。
「人間だと侮っていたが、中々見込みのある奴のようだ。話しながら自然と鎌をかけていたとはな。見直したぞ」
「商人は顧客との信頼感も大事っすからね。一度話した方は覚えているもんです。それで、旦那の代わりに魔族の四天王様が足を運ぶくらいですから、余程重要なことなんすよね?」
「ああ。お察しの通りだ」
しかし、そこまで理解しているのにクランガンは下唇に人差し指を当て、じっくりと何か考え込んでしまう。長いこと思考し、やがて頭を上げる。それでもフードの下の素顔を拝むことは叶わないが。
「ナイフは売ることはできます。……けど、さすがに情報までは売れないっすね」
「何故だ?」
「さっきも言ったっすけど、取引は信頼感が重要なんす。だからいくら本人から許可を得ていようとも、本人以外に機密情報を漏らすことはできないんすよねぇ……」
「ほう……この魔族四天王が頼み込んでいてもか?」
「…………そうっすね」
両者の間に気まずい沈黙が流れる。事の成り行きを何となく察したベルフェは、先に手荷物の中身を漁り始めている。そして、スラーは満足そうににんまりと笑みを浮かべる。ゼードの姿をしているものの、それは本人からは見たこともない表情であった。
「……ふむ、勇者が贔屓にしている商人なだけはある。信用に足る人間だ。ここでもし臆して喋っていたら、どうなるかは言うまでもないだろう」
一瞬その光景を想像してしまい、クランガンは自身の想像力を恨んだ。必死に恐怖を隠そうと引き攣った笑いをしているが、その座っている椅子ごとガタガタと震えてしまって音を立てているので、空元気っぷりが逆に見え見えになってしまっていた。
「ならば、ゼード本人に頼むとしよう」
スラーの言葉を彼は疑問に思ったが、それはすぐに判明した。ベルフェが既に準備していた手鏡をクランガンへ手渡してきたのだ。それは何の変哲もない手鏡。彼の販売している手鏡にも、似たようなものがあったはずだ。
「向こうの準備が整えば、そこにゼードが映し出されるだろう」
「はぁ……。便利な魔法もあったものっすね。……それで、さっきから気になっていたんすけど、そちらの無口な女性はどちら様っすか?」
「あぁ、こっちはベル。彼女も魔族四天王の一人だからよろしく」
スラーの紹介に、ベルフェは軽く頭を下げる。クランガンはよろしくと言われても、どうしていいのか分からずに乾いた笑いを浮かべるしかなかった。モンスターのトップ4ともいえる内の二人が目の前に居る。それだけで逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
そして、心の底から必死に早くゼードが現れてくれないかと、二人の視線を避けるように鏡を覗き込むのであった。
☆
俺はぼぉーっと、ベッドに寝転がりながらベルの屋敷の天井を眺めていた。できる限り動くなと、ベルに固く言い付けられてしまったのだ。あれだけ懸命に説得されては、断ることなどできるはずもなかった。
普段とやっていることは一緒なのだが、ベッドとソファの上ではやはり何かが違う。ソファでのんびりしている時はそうでもないのだが、ベッドでこうして横になっていると暇で暇で、時間を持て余している感じが強い。
無論、ミュゼが心配なこともある。わざわざ攫った手前、すぐに殺されるようなことはないだろうが、あのクソジジイが何を考えているのかが全く分からないのだ。すぐにでも動き出したい気持ちは山々なのだが、皆が言うようにこの怪我では足手まといになるのは目に見えている。
それに今、スーさんとベルを人間界へ送ってクランガンから情報を貰いに行ってもらっているため、帰還待ちということで何とか王城へ殴り込もうという衝動を抑えている。
「勇者、ベルフェ様からこれを」
「…………あのさ、お前の魔法でドア開けずに入って来られるのは分かんだけど、せめて一声掛けてくんねーかな?急に話し掛けられるとビビるんだけど?」
「だから掛けたじゃないですか、今」
「……もういいや。で、何の用?」
促すと、ジュリアスは無言で俺に手鏡を差し出してくる。思わず右手を出そうとして激痛が走る。何となく、こいつの前で痛がっている姿を見られたくなかったため、顔には出さないように左腕でそれを受け取った。
今でこそ、両手でナイフを握って戦うスタイルだから両利きのようになっているが、元々は右利きだったため咄嗟に出す手は右だったりもする。日常では何の問題も無いが、怪我をしている現在は致命的なダメージであったりもする。
手鏡は縦長で置いて使うタイプの物だったので、左手だけで器用にスタンドを広げて太腿の上に置く。当たり前だが、鏡に映っているのは自分の鎖骨から上だけだった。そんな包帯まみれの自分を見ていると、顎を中心に景色が渦巻いていく。
そして、渦が晴れたかと思えばそこに自分の姿は映っていなかった。代わりに居たのは、目深にフードを被っている商人だった。こちらがはっきりとその姿を認識するよりも先に、向こうから嬉しそうな声が聞こえてきた。まるで、ご主人の帰りを今か今かと待っていた忠犬のようである。
『旦那!!遅いっす!!お元気そうで何よりっす』
「……この有り様見て元気そうなんてよう言えんな。つーか、どしたの?」
『そうっすよ!何なんすか、この状況!?』
「……何が?」
それはこっちの台詞である。意味が分からない。不意に手鏡を渡され、二人にお使いを頼んだはずのクランガンと会話をしている。横目でジュリアスに事情の説明を求めようとしたが、いつの間にか部屋から居なくなっている。そんなパニック状態の俺へ、突如フェードインしてきた俺の姿をしたスーさんが事の顛末を話し始めた。
「――――事情は分かった。別にそこまでプライバシーを遵守してくれなくてもいいんだけどな」
『まあまあ。一応、あっしとしての決まり事、プライドがありますんで』
「ま、だから俺もお前を信用してんだけどな。……で、情報の方なんだがその二人にも聞かせてやってくれ」
『いいんすか?』
「ああ。今度の作戦に重要だからな」
『……ミュゼさんのことっすよね?』
「…………ああ」
俺が強く頷くのを見て、クランガンが深呼吸をする。そして、立ち上がったのか鏡面の向こうが大きくブレて、またフードの商人を映し出す。
『あっしが言うのもなんですけどね、今回ばかりは相手が悪すぎると思うんすよ』
「ミュゼを見捨てろってか?」
『そうじゃないっすけど、セントクルス城へ討ち入りなんて王国……いや、人間界にとって絶対大問題になるっすよ』
「誰があのクソジジイ討ち取るつったよ?」
『誰も王様なんて言ってませんよ?』
完全に失言である。頭に血が上っても、弱みを出さないように心掛けていたのだが、今のは完璧に誘導された。自分への苛立ちと呆れで、敢えて怪我をしている右腕を回して己を戒める。
『……まぁ、王様への愚痴は嫌と言うほど聞かされてましたからね』
痛みを目を瞑ったまま堪えて、ふっと息を吐くと、真っ直ぐに鏡を見据える。この時、クランガンを見ていたのか、はたまたその先にあるものを見ていたのかは自分でも分からない。
「勿論、あいつを殺してやりたい気持ちは十分ある。今、この場に居たらその首掻っ切ってる。……けど、第一目標はミュゼの奪還だ。そのためにも、お前の情報が必要なんだよ」
『……たとえ"不可能"だとしても、っすか?』
その言葉に俺は意地汚い笑顔を見せる。会話の中で待ち望んでいた台詞でもあったからだ。
――"不可能"。それがどんなに脆いものなのかを知っていたからだ。
すると、鏡の向こうのクランガンも目深のフードで見えているのか分からないが、俺の様子を見て口角を上げる。あっちもあっちで、同じ考えであったようだ。
「その反応見る限り協力してくれるんだな」
『旦那もこのお二方を寄越した時点で断らせるつもりないっすよね?』
「まぁな」
☆
クランガンとの会話を終えると、手鏡は通常の役割を取り戻したのか俺の姿を映し出した。暫く待っていてもジュリアスが回収しに来る気配が無いので、ベッドから立ち上がり、目立つように机の上にでも置いておく。無造作に放置しておいて、落下し、鏡面が割れたりでもしたら、あの腹黒メイドに何を言われるか分かったものじゃないからだ。
ふと壁際にあった棚の上を見ると、俺のシャツとコートが綺麗に折り畳まれていた。広げてみると、斬られたはずの部分はしっかりと縫い合わせてあり、血液もどこにも見受けられなかった。ベルかジュリアスのどちらかが修復してくれたのだろう。シャツは正直買い直せばいいと思っていたが、コートはお気に入りなので大変ありがたい。隣には残りのナイフと、鞘に納められた短剣も置かれている。俺はそれらを包帯の上から着込むと、鈍った身体をゆっくりと解す。いくら屋敷中を暖かく保っていてくれていても、さすがに上裸で出歩くことが憚られたからだ。
俺はジュリアスとは違い、魔法で穴を空けたりなんてことはできないので、普通に扉を開けて部屋の外へ出ていく。やはり、廊下は温度差があり、冷たい空気が俺の身を引き締めてくれる。
しかし、そんなことがどうでもよくなるものが目の前にあった。無数の木の根っこが生えた巨大な椅子に座っている男が居たからだ。その椅子のような何かは、動いていないとまるでそこに生えているのかと錯覚してしまうほどだ。
……そもそも椅子は動かないはずなのだが、こいつの"これ"は根っこが蠢きながら移動しているのを何度も見ている。
「……何で待ち伏せしてんだよ?」
「待ち伏せなんて人聞きの悪い。俺は勇者のことが心配で心配で」
「"元"勇者だ。間違えるな。それに、お前は他人の心配なんてするような奴じゃねぇだろ」
「心外だなー」
レントは言葉とは裏腹に全く気にしていない様子で、椅子から飛び下りる。3メートルはあろう高さから下りても、脚が痺れるなんてことはないのだろう。そして、何事も無かったかのように立ち上がると、椅子の足の部分であろう根っこに背中を預けて腕を組む。
「で?本当の目的は何だよ?」
「だから心配で――」
「そういうのはいいから」
レントの言葉を遮って真意を迫る。向こうは小声で「信用ないなー」と呟いてから、キッと俺に鋭い視線を向ける。しかし、顔はいつも通りへらへらとしており、真面目なのか、不真面目なのか判断がつかない。
「じゃあ本題に入るね。何でゼードはそこまでしてミュゼを助けようと思ってんの?」
「は?そんなの当たり前だろうが。何されるか分かったもんじゃねーんだぞ?お前はちげーのかよ」
「いやいや、俺らだってミュゼを助けたい気持ちは一緒だよ。
……けどさ、"勇者"は魔王との約束でミュゼを連れている訳でしょ?そこまで本気になる、心意気っていうの?そういうのを是非聞かせてほしいなー、って」
――――そう。
俺がミュゼと人間界で暮らしているのは、今は亡き魔王との"約束"でもあったからだ。
☆
俺は褐色肌の女の渾身の一撃を防ぎ、左腕で首の辺りを押さえ組み伏せた。そして、右手で短剣を逆手に持って構えている。少しでも手を下げたら、ある程度整った顔に風穴が空いてしまう。
それなのに、だ。彼女は不思議にも笑っていた。死を目前にして狂ってしまったのだろうか。いや、違う。おそらく自分を認めてくれたのだろう。これはきっと、彼女自身も無意識の反応であるに違いない。その根拠は、俺自身も無意識に笑っていたからだ。
だから彼女は、一片の臆した様子など欠片も見せずに俺へ語り掛ける。
「当たり前でしょ。……痛くないよう一思いにやりなさいな」
「…………分かった。先に地獄で待ってろよ」
そう言い放って、俺は短剣を振り下ろした――――――――。
「ちょっと待ってくれ!!!」
突如、この広い部屋に響き渡る重たい声。しかし、そんな急に言われても力を籠めた右腕は止められない。
カツンッ!!
咄嗟に目標地点を変えた短剣の切っ先は、固い床を叩いて弾かれる。彼女の左耳から数センチしか離れていない場所だ。代わりに長い銀髪が少し貫き破られたが、殺されずに済んだだけましだろう。
女を押さえ付けたまま声のした方向を見ると、いつの間にか玉座の傍に男が立っていた。青い肌に頭に二本の角。魔力が全く感知できない俺でも、その男の威圧感に押し潰されそうになった。
名乗られなくても分かる。この男が――魔王。
「勇者……いや、ゼードと言ったか。我が貴様らの敵である魔王だ。一先ず、我が娘を生かしてくれて礼を言う」
「生かすも何も、あんな大声出されたらびっくりすんだろうが。無理やり邪魔したようなもんだろ?」
「それでも瞬時に外してくれたであろう?…………うん、レントが通しただけのことはある」
「は?」
訳の分からないことを呟いて、魔王はうんうんと頷く。そして、玉座の肘掛けの部分を弄り始めた。何をしているのか分からずに、俺はそちらに意識を向けて警戒する。しかし、下に居る女にも注意をしなくてはならないため、若干額に汗をかき、どう対応すべきか迷っていた。でも、この女は魔王の娘であると自らが語っていた。そんないきなり消し炭にされることはないだろう……多分。
今後のありとあらゆる事態を想定していると、全く予想外な状況に発展した。魔王は肘掛けの蓋を開けると、中にあったボタンを操作する。すると、ゴゴゴゴ……と僅かな震動を感じた。集中していなければ、この部屋の中でも分からないような微細な揺れ。何事かと一層の用心をしていると、魔王は玉座の後ろに掛かっていたカーテンのようなものを捲り上げる。そこには、隠し部屋とでもいうのか、魔法で創られたであろう扉が顔を見せた。
「そんな所に部屋が……?」
これは魔王の娘でも知らなかったようで、驚きを隠せていない。そんな秘密の部屋の前で、魔王はこちらに振り向いた。
「勇者、貴様と二人きりで話がしたい」
「はぁ?この期に及んで何話すんだよ」
突拍子もない発言に、俺は食って掛かるように強い口調で反論する。ひしひしと感じられる圧倒的な力の前に、言葉だけでも威勢を張ろうとしたからだ。だが、向こうにはそれすらもお見通しのようで、顔色一つ変えずに言い放った。
「我の全てだ。"何故人間を襲った"のか、"何故侵攻を中断した"のか、"何故貴様が四天王を無視してここへやって来たのに見て見ぬフリをした"のか。ここで戦っても良いが、とうに万策は尽きているのだろう?」
「…………二人っきりになった瞬間、取って食われたりなんてしねぇだろうな?」
「無論だ。お目付の人間もそのようなことであるから、暫くの間、勇者の監視を止めてほしい」
これはトビへ向けて言った言葉だ。それに対してこいつは、いつも通りの表情を崩さずに気怠そうに答える。魔王相手にこの態度とは、前々から思っていたが頭のネジが何本か抜けているどころか、機能が誤作動を起こして馬鹿になってしまっているのだろう。
「いーですよ、どっちも手を出さねーってことでしたら。ラッキーなことに、監視の監視は付いてねーんで」
返答を聞くと、すぐさま身を翻し扉のノブを回す。僅かに見えたその先には、ライトが灯っているのか青白い光が零れてきていた。そして、馬乗りになって短剣を構えたままだった俺に向き直る。これは先に部屋に入れということだろうか。短剣を懐にしまい、転がるようにして彼女から離れる。グッと全身に力を籠めて立ち上がると、促されるままに魔王の方へ歩いていく。魔王の言っていたことは尤もで、さっきの褐色肌の女との戦闘のダメージのせいで、こうして身体を動かすだけでも精一杯であった。
魔王の傍まで行くと、大きく扉を開いてやはり無言で中へ誘われる。ごくりと生唾を飲み込むと、意を決して部屋へ一歩足を踏み入れた。俺が眩しさで視界を奪われている間に、魔王も部屋へ入ったのか扉が閉められる。これで退路は完全に断たれたと言ってもいい。
明順応が働き、次第に部屋の中の明るさに慣れてくる。そこで見たものは、想像とは遥かに異なったものだった。フラスコや試験管、顕微鏡、何が入っているのか分からない薬品の瓶――机の上にばらまくように広げられている資料らしき紙束――そこはまるで、どこぞの研究室だった。
入って突っ立ったままの俺に魔王が話し掛けてくる。
「汚い部屋でごめんね。ちょっと片付けるから」
そう言って紙を無造作に隅っこにどかし始める。その後ろ姿は、仮にもモンスターの王とは思えない。机の上に仮のスペースを作ると、壁際の椅子を引っ張り出してきて俺に座るように語り掛ける。おずおずと腰掛けると、向かいに魔王も座る。魔王の方は背の低い棚を椅子代わりにしているため、壊れそうにギシギシと軋んだ音を立てている。
「ふぅーっ……これで漸く落ち着けるね」
さっきまでの威厳はどこへ行ったのか、目の前にはだらりとリラックスして後ろ手を付いた魔王が居た。
「あのー……さっきと随分キャラ変わってません?」
「魔王だからさ、一応人前ではしっかりとしておかないといけないからね。でも今は、勇者であるキミと腹を割って話したくて」
「さっき言ってた自供みたいなやつ?」
皮肉を込めてそう告げると、魔王らしからぬ表情を見せた。それは、とても優しそうな顔。
「自供、か……。良いたとえだね。うん、これは魔族ではなくボク個人の悪行だから、それが正しい言い方かもしれない」
「個人つったって、人間とモンスターの戦争なんだから責任を一人で背負いきれるもんじゃねぇだろうが」
「いや、"ボク個人"だよ」
一瞬の迷いなく魔王はそう答えた。その即答っぷりに俺は少したじろいでしまったが、なるべく真剣な姿勢を崩さないように努める。気持ちだけでも負けてはならないと悟ったからだ。そんな感情を汲み取ったのか、座ったまま近くにあったビーカーを二つ掴む。
「コーヒーでも飲む?インスタントしかないけどね」
「……変なもん入れねぇだろうな?」
「何度も言ってるけど、キミに危害を加えるつもりはないよ。話し合いがしたいだけ」
「……じゃあ」
頼むとビーカーを机に置き、その少し上に手を翳すと茶黒い液体が降ってきた。液体が注がれたビーカーからは湯気が立ち、コーヒーの香りも漂ってくる。そのまま魔王は、無言で俺に片方手渡してくる。取っ手が無いため、受け取るのを戸惑ったが、覚悟を決めてそれをひったくる。しかし、思った以上に熱くはなく、冷えていた手にじんわりと染み込むような温かさだった。そして、恐る恐る口に含んでみる。暫く口の中に溜めていたが、一気に喉奥へ流し込んだ。どうやら、薬などを盛られていた気配はなく、心の中で一安心する。一方の魔王は、こちらなど気にせずにコーヒーを吟味していた。
「うん、舌が肥えていないから安物でも十分だね」
「……魔法って便利だな」
率直に思ったことが口から零れ出る。小声でボソッと言ったことだったが、狭い部屋だったので魔王の耳にも届いたのだろう。ビーカーの縁に口を付けたまま喋り出す。
「魔法は便利だけど、科学だって便利じゃないか。魔法はある程度の奥行きが見えてしまっているけれど、科学にはそれが無い。日進月歩して、新たな発見が次々と生まれる。可能性を鑑みるに科学の方が伸びしろがあると思うけどな」
「随分と人間の肩を持つんだな、モンスターの王のくせに」
「あ、そっか。言ってなかったっけ?魔王だけどボクは魔族じゃない。"人間"なんだ」
「…………はぁ!!?」
脳の処理が追い付かず、反応が遅れたが、衝撃の事実に持っていたビーカーを落としそうになる。代わりに、机の上に叩き付けるように置いた。
「魔王が人間って……どういうことだよ!?今だってそんな姿してるじゃねーか!!」
「見た目なんて魔法でどうとでもなるさ。人間の姿に戻ろうか?」
言いながら立ち上がると、突如魔王の姿が発光し始めた。俺はあまりの眩しさに、目を瞑った。
そして、次に目を開くとそこには――初老の人間の姿をした男が居た。
「どう?これがボクの本来の姿。……人間だって言ったけど、追放されたから"元"人間が正しいかな」
「じゃっ、じゃあ何で、人間なのに人間界を襲ったりしたんだ!?追放された、っていう仕返しなのか?」
男――魔王はもう一度ゆっくりと座ると、うーんと唸るように考え込む。
「確かにボクは魔力が高過ぎたせいで、人間界を追放されたよ。昔は魔法なんて未知の不可解な現象だったしね。恐れられたんだと思う。でも、人間を恨んでいる訳じゃないし、それが理由で人間界へ侵攻したつもりもないよ。もし、ボクもあり得ない存在に出会ったら、拒絶してしまうだろうし」
「だったら、どうして人間のお前が魔王にまでなって侵攻したんだよ?」
「…………じゃあ、そろそろ自供、本題に入ろうか」
一呼吸おいてから、コーヒーを残り三分の一くらいまで残して飲み込む。メモリが付いているから、あとどれくらいだか分かりやすい。俺も釣られて、同じタイミングで喉の渇きを潤す。と言っても、俺のはまだ半分以上残っているが。
「まずは、キミが一番気になっているであろう"人間界への侵攻"について、だね」
そう前置きすると、大袈裟に両腕を左右に広げる。そして、顔を天井に向け、まるで演説するかのように語り始めた。
「ボクはね、平和な世界を創りたいんだ。人間も魔族も、みんな一緒に。だから勇者がそれを引き継いでくれないか?……なんてのはただの建前。本当はただ――」
そこで一旦言葉を区切ると、オーバーなアクションを止めて、こちらに向き直った。そして、俺に微笑み掛ける。
「――"ミュゼのため"なんだ」
「ミュゼ?」
聞き慣れない単語に俺は思わず顔を顰めて、訊き返す。すると、魔王は笑顔を崩さずに、ふっとため息を吐いてから告げる。
「ボクの娘だよ。ほら、さっきキミが戦ってた女の子。ミュゼが住みやすいように、人間界へ侵攻したんだよ」
「……それだけの理由で?」
「そうだね、改めて客観的な立場になって考えてみると、壮絶な親バカだね。でも、本当にそれが理由。そのためだけに……正確にはあともう一個理由はあるけど、ミュゼのために魔族の皆を動かしたんだ。少しばかりやり過ぎた所もあったけど、それも魔王であるボクだけの責任だよ」
――今、分かった。
先程から魔王が見せているこの表情。これは"親が子供を想う顔"だ。剣の稽古をしている時の父さんは厳しかったが、親子三人で食卓を囲んでいた時は鬼の修行とは全く異なる表情を見せていた。
そう、この男が現在進行形でしているような優しい笑顔。
魔王である以前に、こいつも一人の親なのだ。
「え?お前が人間ってことはあいつ、ミュゼは人間とモンスターのハーフなのか?どう見たって、そうは感じなかったぞ」
「……いいや、完全な魔族だよ。正確にはボクの子供ではないんだ。……でも、ボクはミュゼのことを実の娘だと思って接しているし、愛情を注いでる」
「そっか……」
魔王の言葉には、どれだけの真実と嘘が混じっているのか俺には判断しきれない。しかし、今の言葉だけは本心であったと感じ取ることができた。だから俺も、それ以上は追及しなかった。
「次にボクがどうして"侵攻を中断した"か、だね。これは単純にボクの実力不足」
「実力不足?」
「勇者は魔法が使えないんだよね?」
「ああ、全く」
「じゃあ簡単に言うと、あと少しってところで、ボクの"魔力が尽きて"しまいそうになっているんだよ」
「魔力って無くなるのか?」
「うん。人によって違うんだけど、ボクはさっき言ったように魔力が沢山あったんだ。それこそ、魔族よりも。……でも、それは過信だった。自衛するための分はある程度残してあるけど、人間界へちょっかいを出す魔力は残っていないんだ」
「つーことは、今は魔力を溜めてまた攻め入ろうっていう充電期間な訳か?」
「普通に魔法を使ってたら、また溜め直すこともできるんだけどね。キミがこうやって話しながら体力を回復させているみたいに」
図星であった。先程のミュゼとの戦闘で乱れた呼吸を、会話しながら整えている最中なのだった。隙を見て寝首をかこうとしていた俺は、下唇を噛み締める。
「信頼できないのは分かるけどね。……話を戻していい?ボクも知らなかったんだけど、永続で発動している魔法はどれだけ時間を経ても回復しないんだ。ここ魔界は、人間界の地下にあるんだけど――」
「え、そうなの!?地底人じゃん!!」
「あ、そこからか。そうだよね、ボクだって知らなかったから当然か。地底だったから、魔界は元々真っ暗だったんだ。だから"人工太陽"を創ったんだ。でももし、ボクが死んでも人口太陽は魔界を照らし続けるんだ。これが"永続魔法"」
「…………えっと、つまり?その永続魔法を使い過ぎたから、侵攻を中止した……ってことでいいんだよな」
魔法の話になると頭がこんがらがってしまい、目の奥がチカチカしている。それを俺なりに何とか解釈して、魔王へ告げた。それを聞いた魔王は、眉間に皺を寄せて腑に落ちない顔をしている。
「"中止"というよりかは、"延期"の表現の方が適しているかな」
「まだ人間界への侵攻は諦めていない、と?」
「うーん……表現、というかニュアンスが違ってるのかな?ボクは人間界へ侵攻したつもりはないよ。結果的に侵攻するって形になっちゃっただけで」
「それの何が違うんだよ?」
「確かにボクは人間界へ侵攻した。でも、それは最初に町を幾つか襲撃しただけで終わらせるつもりだったんだ。そこから長期戦になって、被害が拡大したのは"女神"のせいでもあるんだよ」
女神――その言葉を聞いて、俺は身を震わせた。ここでも"あいつ"の名前が出てくるのか。机の下で、両方の手のひらに爪の痕が残るくらい強く握り締めた。
「女神はボクに『貴方が人間界を襲ったら、"勇者"という不死身の戦士を送ります。そうしたらおそらく……いや、確実にここまでやって来るでしょう』って、言ったんだ。けれど、女神と最初の勇者の間で何かあったのか、女神は地上へ降りて来られないくらいの傷を負い、勇者は同じ人間の手で殺された。そして人間界を襲い、もう魔力が尽きかけているボクは、この魔界に籠りっきりになって配下の魔族たちに警護をしてもらうことにしたんだ。でも、それからやって来る勇者たちは、名ばかりで不死身どころかすぐに死んでしまう。改めて、人間の弱さを思い知ったよ」
ついに耐えきれなくなった俺は、力を籠めたままの拳で机を殴り付ける。反動で俺のコーヒーが跳ねて、机上に二、三滴の粒を作る。口の中が僅かに鉄っぽい。噛み締めていた下唇から血でも出たのだろう。けれども、そんなこと気にもならないくらいに激昂していた。
「人間とモンスターを一緒にすんな!!弱くったって必死に生きてんだ!犠牲になった勇者の中には、国に命令されて仕方なくお前を殺しに行った奴だって居るんだよ!!俺の父さんだって、女神の企みに――あ…………すまん。熱くなっちまった」
余計なことを口走ってしまい、急に冷静になって椅子に座り直す。口元から垂れていた血を手の甲で拭い取り、コートの裾で拭く。凄い剣幕で怒鳴ってしまったのにもかかわらず、魔王は苦笑いをしている。
「いいよ。若干煽ったのはボクだしね。ボクも一応人間だから、その弱さ、逆に強さを知っている。……そっか、キミのお父さんが初代の勇者だったんだね。女神の胡散臭さはボクも感じてたから、その結末も納得だよ。
……成る程ね。ある意味、女神の目に狂いは無かったって訳か。キミのお父さんは確かに、他の人間よりも遥かに優秀で、強かったんだろうね。だからこそ、女神の思惑に気付いてしまったんだ。優秀過ぎるが故に、ね。だから今、こうして息子のキミがここへ来たのも必然だったのかもしれない」
「…………俺は父さんみたいに頭も良くないし、戦いが強い訳でもない」
「だからここまで"誰も殺さずに"来たんでしょ?途中からだけど、キミの動向は確認させてもらっていたからね」
全くもってその通りだった。魔王の元までへ行き着くまでに、戦闘らしい戦闘を行ったのはさっきのミュゼだけであったのだ。
「俺なんかが正々堂々と戦って、モンスターなんかに勝てるはずがないからな」
「……本当にそれだけ?」
「…………何だよ」
魔王は俺の目を真っ直ぐ見つめたまま、微動だにしない。それはまるで、頭の中を覗かれているようで――――。
「キミは人間も魔族も同一視している。勿論、悪い意味じゃなくて。平等に接してくれている」
「……お前、何か読心術の魔法でも使ったのか?」
「いいや、こればっかりはボクの"勘"かな。だからこれが、最後の自供の"四天王を無視したのに放っておいた"理由だよ」
「いや、意味分かんねぇんだけど。それとこれが、どう繋がってんだよ?」
素直に訳が分からないと渋い顔を見せる。それに対して魔王は、組んだ腕を机に置いて目を瞑る。そして、一文字一文字はっきりと聞き取れるくらいゆっくりと言葉を並べ始めた。
「キミにだったらボクは殺されてもいいかな、って」
「…………はぁっ!!?お前、何言ってんの!?」
「何言ってるも何も、キミはそれが目的でここまで来たんでしょ?」
「いやっ、そうだけどさ…………え、何で?」
「キミにならこの世界を任せられるかなって思ったから」
「重い!急に話が大きくなり過ぎて重い!!」
スケールの大きさに茶々を入れていたが、魔王の真面目な顔を見て、俺も真剣な眼差しになる。魔王は依然目を閉じたまま、話を続けた。
「一応訊いてみるけど、ゼードは魔王を引き継ぐつもりはない?」
「どんなマッチポンプだよ、それ。なる訳ねーだろ」
「うん、安心した。……でも、素直に降伏するのは魔王として面目もあるからね。幾つか条件がある」
「まぁ、その方がこちらとしても後でやりやすいし」
理想としては魔王と戦って勝つことだが、今の俺には不可能だ。後から作り話としてでっち上げようにも、憎き監視役のせいでそうもいかない。だったら、話し合いで相手を屈服させたという体で進めた方が、大きな問題は起こらないだろう。
「まず一つ、ボクが魔王の座を降りても魔界は人間の支配下には置かない。さっきも言ったけど、あくまで人間界を襲うように指揮したのはボク個人の問題なんだ。他の魔族には関係無い」
「そりゃあ、まぁ」
「次に、今後は魔族と人間を不必要に争わせない」
「……侵攻してきたお前がそれを言うかね」
「まあ、完璧にお互いの因縁を晴らせるなんて思うほど、ボクも自惚れてはいないよ。でも一応、勇者としてそういった声明をしてくれるだけで、少しは軽減されると思うんだ」
「うーん……果たして俺にそんな発言権があんのか分かんねぇけど、伝えてはみるわ」
「うん、頼むよ。……これぐらいかな?」
「え?二つだけ?」
仮にもモンスターの王である魔王を引きずり降ろすのだ。もっと、覚えきれないくらいの条件が出されるものだと思っていた俺は、拍子抜けする。しかしそんな俺へ、悪い意味で予想が的中することになる。
「……けど、それで納得いかない魔族も多分大勢居るだろうね。既に何人か心当たりがあるよ。彼らは血の気が多いからね。それは、キミがどうにかして」
「随分と投げやりじゃないっすか!?具体性の欠片もあったもんじゃないし!」
「そりゃ、どんな形であれ"魔王を倒した勇者"って扱いになるんだから、果たし状が紙吹雪のように降って来るよ」
そう言って、魔王らしい悪い笑みを浮かべる。反対に俺は、どんどん血の気が引いていくのを感じていた。
「じゃあ、話し合いはこんなもんでいいかな。この中では、お互い手を出さないって約束だったし。あ、元の姿に戻らないとな」
「…………そうっすね」
俺は今後のことを考え、当分人間界へは戻れそうにないと未来予知する。魔王は倒したが、生きて帰れる保証もない。先のことに絶望しながら、既に青肌に戻って席を立った魔王の後を追う。
しかし、魔王はトビとミュゼの居る部屋へ向かうドアノブに手を掛けたところで立ち止り、背中越しにこちらへ声を掛けてくる。
「勇者……いや、ゼード」
「……何?」
「降伏条件ではないのだが、一つ我と約束をしてくれないか?」
姿が変わって、口調も威厳のあるものに戻っている。俺は半目になりながら、魔王の言葉を待つ。
――――そう。
これが魔王との"約束"であった。
「ボクの娘、ミュゼをゼードと一緒に"3年間"人間界で住まわせてくれないか?」
「……は?何故」
予想外の言葉に、俺は背筋を正して訊き返す。だが、魔王は暫く黙ったままであった。身体があっちを向いているため表情は読み取れないが、何か深く考え込んでいるようだった。そして、長い沈黙の末、漸く口を開く。
「…………ボクは専らこの城の中で研究を続けていた。だから、ミュゼに父親らしいことは全然してやれなかったんだ。その代わりと言っては何だけど、もしキミが迷惑でなければ、ミュゼにもっと外の世界を見せてやりたいんだ。……勝手過ぎるよね、ごめん」
「……いや、構わないさ。向こうに断られなければ、の話だけど。でも、何で"3年間"なんだ?期限が迫ったらまた魔界に住まわせたい、とか?」
その質問にもすぐには答えない。まるで、この近距離なのに伝わるのに随分と時間が掛かっているかのようだ。それか、じっくりと言葉を厳選しているのか。
やっと適した言葉が見つかったのか、今度は俺へ向き直る。その様子に、俺は思わずギョッとした。
魔王の瞳から、大量の涙粒が顎に向かって滴り落ちていたからだ。顔をくしゃくしゃにしながら、魔王は深々と頭を下げる。
「まずは、ありがとう…………。期間については……いずれキミにも分かるさ。…………とにかく3年、3年間……!ミュゼのことをお願いしたい…………お願いします……!」
☆
俺は巨大な椅子の足の部分に寄り掛かっているレントの前を通り過ぎる。そして、数メートル離れた場所で立ち止まった。背中越しにも、レントの視線を感じる。
大きく深呼吸をすると、レントの質問に対して俺なりの答えを口にする。
「顔も名前も、居場所さえも知らない他人が苦しんでたって、俺には関係ない。だって他人なんだから。……けど、どれか一つでも関わりを持っちまったら、それはもう他人じゃなくて"知人"なんだ。知り合いに嫌われるのは御免だからなー…………って、これ誰かに話したな」
独り言にも近い言葉を羅列し、俺は背伸びをする。二、三日動かなかっただけで、身体が凝り固まってしまう感覚に陥っていたからだ。……町外れでトビに襲われた時は、ほぼ一か月だったからこれの比ではなかった。
その間、慣れないながらも世話をしてくれたのがミュゼであった。
「……けどさ、ミュゼはもう知人で済ませられる間柄じゃねぇだろ?そのくせ、知らねーことも多いけど。あいつは、何つーのかな?友人よりも上、"家族"って方が近いんじゃねぇかな。だから、約束とか関係無しに助けに行くっつーのが当たり前だろうがよ」
それだけ言い放って、場を後にしようとしたが、レントはどこか引っ掛かったようで、まだ俺に質問を続けてきた。
「家族?それは、恋仲としてってこと?」
聞いた途端、俺は思わず鼻で笑ってしまった。その質問があまりにも滑稽であったからだ。俺は踏み出そうとしていた右足を軸にして半回転し、レントへ向き直る。
「アホか。誰があんなのを恋愛対象として見るかよ。どっちかっつーと……妹か?」
「守ってあげたい、的な?」
「憎たらしいポジションだよ」
そう言って二人で笑い合うと、俺はそのまま近くの階段を昇って行った。レントの姿が見えなくなると、俺は真剣な表情になる。
(だからこそ……だからこそ、絶対に負けられないんだ……!!)
☆
「……ふーん、妹、ねぇ…………」
レントはそう漏らしながら、根っこから離れて反対側の壁へ寄り掛かる。ゼードが居なくなった今も、クスクスと笑ったままである。そのままの状態で、真正面から木の根っこを見据える。そして、まるで椅子に話し掛けるように喋り出した。
「盗み聞きなんて、お主も悪よのぅ」
演技ったらしくそう告げると、根っこが自我を持ったかのように蠢き始めた。勿論、レントの魔法なのだが。動き出した根っこは、カーテンの如く両側へずれていく。そうして中から現れたのは、ベルフェであった。顔を紅潮させ、耳まで真っ赤にしている。椅子の下が暗くて分かりづらいが、悪魔の象徴である尻尾も嬉しさを隠しきれないようで、ぶんぶんと騒いでいる。
『レントが押し込んだんでしょ!?』
「でも、良かったねー。ミュゼはゼードにとって、恋愛対象じゃないみたいだよー?こりゃ、ベルが第一候補かな?」
『そ、そんな訳……』
「けど、どうだろう?ゼードって、ああ見えて意外とモテるからなー。いつの間にか、彼女ができてたりするかもよ?」
『な、何が言いたいのよ?』
「早めにツバを付けといた方がいいんじゃないか、って話。じゃっ、頑張れー」
そう言い残すと、パッと壁から背を離して廊下の向こうへ歩いて行ってしまった。慌ててベルフェも追いかけようとするが、根っこに躓き、盛大に顔面から倒れる。
『ちょっと、待ちなさいよ!待ちなさいってばー!!』
ここまでお読みいただきありがとうございます。
初めましての方は初めまして。
お久しぶりの方はお久しぶりでございます。
碓氷 修夜です。
16話です。今回、ついに勇者と魔王のやり取りが明かされました。今後にとっても重要な部分になると思うので、気合入れて書きました(笑
そして、視点も登場キャラが多くなってきたので様々な面から物事が見られるようになってきました。
今回は何と言っても、『3年間』というタイトルにもある重要なキーワードがやっと本編で登場しました。二人の会話だけでは、まだ分からないですが、この期間、魔王の真意、いずれ明かされることになっていくと思われます。
次回は、ミュゼ視点多めで、何故誘拐したかというカルドレア王の陰謀について書いていきたいと思います。
それでは改めまして、ここまでお読みいただきありがとうございました。