ミュゼ…魔族の娘。今はピース依頼事務所に住み込みで働いている。
町長…白い三角巾に緑の服がトレードマークの女性。先代の町長である父の後を継ごうと必死。影が薄い。
トビ…中央国秘密部隊ハクジュンの成員。影で暗躍し、どんな命令でも断らない。しかし、その姿勢はやる気のなさが漂っている。
イツキ…ハクジュンの頭。刀使いで、三板という楽器を持ち歩いている。
ハン…ハクジュンの成員。槍術に長けた女性。
カルドレア…現セントクルスの王。ある時期から人が変わってしまったかのようになる。
日が暮れて城内の貴族たちが屋敷へ戻るまで、私たちは外壁の内側に居た。内壁との間には水堀があり、泳いで渡るにも困難な広さだった。それまでの時間、私はイツキとハンに両脇を固められていた。拘束はされていなかったから、チャンスがあれば逃げ出そうとも考えていた。容易くないことは重々承知だったけれど、可能性が皆無な訳でもなかった。
……ついさっきまでは。
その安易な考えが不可能になってしまったのだ。
待機していると、不意に背後の壁が乱暴に叩かれる。一瞬驚いたけど、この隠し戸を知っている人物は限られているでしょう。ハンは決まったリズムで合図していたみたいだけど、これはそうとは思えないくらいに適当だった。ならば、該当する人物は一人だけである。
隣のハンは苦い顔をしながら、私越しにイツキへ声を掛ける。
「……あえて言及はしませんけど、どうしますか?」
「どうせトビだろう。入れてやれ」
大きなため息と共に、ハンが隠し扉を開く。そこには案の定、トビと、何故か町長の姿があった。トビはこれ以上ないくらい、にやけた面をしている。
「貴様がここを使うとは珍しいな。それで、その女は誰だ?」
「ヘーンフィオの町長ですよ。お頭たちがここでくっちゃべってたのを丸々聞かれてたみてーなんで、捕まえておきました」
「……そんな気配は全くしなかったが?」
「俺も気付かねーことがあったんで、単純に影が薄いんじゃねーですか?」
そう言ってトビが町長へ目を落とすと、まるで壊れた人形のようにこくこくと頷いた。怯えているのか、ガタガタと全身を震わせている。
呆れているのか、自戒しているのか、イツキは目を細めると二人にこちらへ来るように促す。
「とにかく、だ。そこで話していて、これより被害が拡大すると面倒だ。こっちへ入れ」
どちらも表情を変えることなく、外壁の内側へ足を踏み入れた。町長に目立った外傷は無いけれど、トビに何か言われたのか、状況が把握できていないのか、歩行さえもままならないくらいに戦慄していた。
「あ、先輩も居たんですね。お頭の陰に隠れてて全く見えませんでしたよ。決して背が低いから、とかじゃねーんで安心してください」
「それは嫌味として受け取っておく。それで、新人は何してたんだよ。命令でしか動かない新人が、珍しくそれを無視したと思ってたら、のんびりお散歩?」
「まぁ、いーじゃねーですか、たまには。そのおかげで、こーしてハクジュンが公に晒される危機を未然に防いだ訳なんですから」
「物は言いようだな。わんにん貴様が何をしていたのかは尋ねない。貴様のことだ、何か考えがあったのだろう。
……さて、ハン。そろそろ良い頃合いだろう」
「はーい」
間延びした返事をすると、ハンはぶつぶつと何かを呟き始める。それは私にとって馴染みの深い文字の羅列であった。
数十秒にもわたる長い言葉を言い終えると、眼下の堀の水が宙へ浮き、瞬く間に凍り付いた。それはまるで、外壁と内壁の間にある水堀を架けるような"氷の橋"。そう、ハンは呪文を唱えていたのだった。
けれども、魔族の私にはその詠唱に引っ掛かりを感じていた。
「魔法の詠唱のようだけど、ちょっと間違ってなかった?」
ハンが唱えたものは、私の知っているものとは僅かに異なっていた。所々、構成がおかしかったのだ。しかし、彼女とてハクジュンの成員だ。純粋にミスをした訳ではないでしょう。現にこうして、術は完成している。
すると予想通り、ハンはふんと鼻を鳴らすと、自慢するように語り掛けてきた。
「そりゃそうですよ。あたしたちのこれは魔法じゃないから。ハクジュンの忍びの術、"忍術"とでも――」
「あまり他言しないでもらえるか?一般に知られては困るからな」
問うに落ちず語るに落ちたハンを咎めるように、イツキが言葉を遮る。気付いたハンは、慌てて手を口の前に持っていき、頭を下げる。
「あっ……すみませんでした…………!!」
「全く先輩は、てめーが自信あることになると勝手に喋り出しちまう癖、どーにかした方がいーんじゃねーですか?」
ハンも自覚があるのか、トビからの嫌味を歯を強く噛み締めるだけで反論はしない。代わりに透明になっている槍で彼を貫こうとする。しかし、自然な動きで町長を盾にするようなポジションへ移動すると、彼女も小さく舌打ちして矛先を天へ戻す。
イツキが先頭に立ち、恐れることを知らないかのように橋を渡っていく。普段から使用しているのでしょうから当然なのだけれど。彼女らの術は、ロザのように魔素を塗り替える訳ではなく、むしろ応用しているようだった。ハンからは、多少の魔力しか感じ取れないけれど、この氷の橋を創出するくらいなのだから、相当"忍術"とやらは応用力に富んでいるみたい。このイツキからは、別格なほど魔力を感じるけれど。
次に、私とハンが渡ろうと重心をずらした途端、トビが呼び止める。
「あ、俺たちが先に行っていーですか?人質が居るんで落とされる心配はねーでしょーが、先輩が渡ってから橋、壊されたらどーしよーもねーですから」
「あたしも随分と、新人に信用されてないみたいだねー」
皮肉を込めて言ったのでしょうけど、トビは全然気にしている様子がない。反対に表情を崩さずにカウンターを入れてくるくらいだった。
「はい。現に今さっき刺されそーになりましたから」
そう言い放つと、固まって動けない町長の背を押してやり、橋を進み始める。反応すらも見ずに行ってしまったトビへ怒りが抑えきれないのか、その場で地団太を踏んでいた。
「アンタ、トビ相手になると全く殺意を隠せないのね。殺気しか感じないわ」
「あの野郎、頭のネジが吹っ飛んでからあたしのこと舐めているんですよ。まだ最初は、可愛げがあったんだけどね」
「"あれ"からは想像もつかないわね。それで今は、完全に下に見られているどころか、実力でも劣っている、と」
「なっ……何言ってるのさ!?」
図星を突かれて言いよどむハンを置き去りに、私も"忍術"とやらの橋へ一歩踏み出す。足の裏で感触を確かめるように、床を擦ってから逆足を出す。
「事実でしょ?…………何だか私だけで進むと、攫われたがってるように見えるじゃない。早く来なさいよ」
☆
「ここまでで良い」
城内の中庭を先導していたイツキが急に立ち止まり、後ろを振り返る。それに続いて、ついて来ていた四人も足を止める。
「ここからはわんが一人で娘っ子を連れて行く」
ハクジュン内でも特別な命令なのか、単純に部下思いなのか、イツキはここから私を一人でどこかへ連行していくらしい。……確実に前者でしょうけれど。
わざわざ人類の英雄にも近いゼードから私を引き離し、王の前へ行くのだ。ハクジュンでもトップのイツキしか、面会が許されていないのかもしれない。そこまでして、私を連れて来る理由は皆目見当もつかないけれど。
ハクジュンの他二人も、何となく分かっていたのか素直にそれを受け入れる。
「りょーかいです。あ、でもヘーンフィオの町長はどーしますか?城下の留置所へ送る訳にもいかねーですし」
「貴様が連れて来たのだから、貴様が何とかしろ。……と言いたいが、聞かれたわんぬ責任でもある。そうだな…………地下牢にでも放り込んでおけ。そちらは時期を見計らってどうにかしよう」
つまり、遅かれ早かれ、私の一件が解決したら町長は口封じされてしまうことになる。それが理解できた町長は、足に力が入らなくなってしまったのか、その場に崩れ落ちそうになる。咄嗟にトビが二の腕を掴んで、それは回避したけれど。
「あまり手間掛けさせねーでください。今、ここで殺ってもいーんですよ?」
そう言われ、町長は力を振り絞って己の力で自立する。それでも、頑張っているのが一目できるくらい、生まれたての仔馬のように脚を震わせていた。
「今殺すには早過ぎる。向こうが行方不明で処理し、新たな町長を決めるまでは待て。……そう時間は掛からないように、ジャクに手配はさせておくが」
イツキの言葉に対して、トビはわざとらしく音を立てて髪をガジガジと掻き乱す。
「たまにちゃんと仕事したと思ったら、こんな面倒なことになるとは思いませんでしたよ」
「普段のツケが回ってきたんでしょ?では、あたしは宿舎に戻りますので後始末ヨロシクネ、"新人"?」
さっきの仕返しのつもりだろうか。最後の単語をやけに強調し、逃げるように館へと駆けていく。しかし、一方のトビは相変わらず気にしている様子は無く、乾いたため息を吐くだけだった。
「あら、アンタにしては珍しいわね。短気だから追っかけてでも言い返すかと思ったわ」
「……てめーは俺のことを何だと思っていやがるんですか?先輩はそもそも、遊び道具としか思ってねーですよ」
「眼中にすらないのね……可哀そう」
そうは言っているけれど、実力はトビの方が遥かに上なのだろう。さっきからの一挙一動を見ていてもそれが分かるくらいだ。
……そして、そのトビよりもイツキの身のこなしが優れているのも。彼自身は普段通りにしているだけなのだろうけど、その一切の動きに隙が無い。おそらく、常日頃から身についているのでしょう。
「では、そちらは頼んだぞ」
イツキが一声掛けると、トビはやる気の無い返事をして二人は別塔の方へ向かった。町長はやはり動きが固まってしまっているので、介護のような形になっていた。その光景を見ていても面白そうだったけど、傍のイツキが無言で進み始めた。私も仕方なしについていくけれど、さっきから思っていた疑問を口にする。
「……何にも拘束とかされてないけど、アンタ私をちゃんと連行するつもりあんの?ハンだって、まだ帰さない方が良かったんじゃない?逃げようと思えば、いつでも逃げられるわよ?」
私が質問しても、イツキは足を止めるつもりはないようだ。そのまま、こちらを一瞥もせずに前を向いたまま返答した。
「では、やってみるといい。わんにん、"捕まえようと思えば、いつでも捕まえられる"」
あっさりと言い放つ。トビの眼中にハンが居ないように、イツキの眼中に私は居ないのだろう。
そして、イツキは言葉を続ける。
「それが理解できているからこそ、娘っ子も安易に逃げようとはしないのだろう?」
事実だった。私が逃げる隙を窺おうとする度に、イツキが"気"とでもいうべきか、そうはさせないものを放つのだ。それも場に留まらせるような生易しいものではなく、完全に息の根を断つようなもの。しかし、そんな"気"を放っていたら、トビやハンが気付いていてもおかしくはない。町長だって浴びた瞬間に卒倒してしまうでしょう。だから、実際には放たれていないのかもしれない。自分では分からないけれど、本能的に私がこの眼前の大男を恐れてしまっているのでしょう。それ以外に考えられない。
そんな事を頭で考えていると、前のイツキが再び足を止める。着いたそこは、何故だか"礼拝堂"であった。城内に礼拝堂があるのは当たり前である。王などの地位の高い者が礼拝に向かう途中で襲われる心配がないように、城内へ置かれている。
けれども、私が連れて行かれる場所はここではない。カルドレアの元である。そんな私の謎を紐解くように、イツキが高い口元から声を浴びせてくる。
「この先に王が待っている」
「こんな時間まで祈りに来てるの?随分と信仰心が高いのね」
「それについては否定はしない。だが、ここへの用事は礼拝ではない」
「はぁ?」
訳が分からない。会話は続いていたけど、内容は全く噛み合っていなかった。
そんな私を置いてけぼりにして、その大きな扉を開いた。
中は至って普通。ピカピカに磨かれた床、多くの人が座るであろう長椅子、そして祭壇には偶像崇拝なのか大きな女神像が立っている。その祭壇の前には、まるでずっと待っていたかのように司祭たちも居る。
けれども、やはり肝心の王の姿はどこにもない。
「やっぱり居ないじゃない」
「ほぅ……、さすがの娘っ子でも気付かないか」
「アンタ……私を随分と買いかぶり過ぎなんじゃないの?」
こいつにどう思われているのかは知らないけれど、かなり過剰に持ち上げられているようだった。幻滅されるのは何か癪なので、私も少し本気で"気付かない"ものを探ってみることにした。
まずは手始めに、感知を――――。
「…………ん?」
「漸く分かったか?」
「城全体から軽く魔力は感じるんだけど……ここの下、礼拝堂の地面からは何も感じない。と言うか、"魔力以外も"」
モノには元来、魔力が宿っているものもあれば無いものもある。人工物は勿論、自然物にもだ。特に自然物には、元より魔力が籠っていやすい。大地や海そのものなどだ。
しかし礼拝堂の床、正確には"下の空間"にぽっかりと穴が空いてしまっているようなのだ。たとえ魔力が無くても、何かしらの反応は返ってくる。それが、ここには"何も無い"。それはまるで、そこに何かが意図的に隠されているかのように――。
「それに気付けたなら十分だろう」
イツキは満足そうに腹から声を出すと、前方に居た司祭たちへ視線を送る。それはとても鋭いもので、隣に居ながらも凄いプレッシャーを感じた。その矛先を向けられていた司祭たちは、思わず姿勢をビシッと正し、機敏に動き始める。
そう思うや否や、司祭たちは祭壇へ昇り始めた。これだけでも十分に罰当たりなのだけど、更に女神像へ遠慮なしに触れる。女神像の後ろの方で何かを操作をすると、カチリと音がする。それから司祭たちが、女神像を二人掛かりで向かって右側へ押し始める。イツキがそちらに歩き出したので、私も慌ててついていく。祭壇の目の前へ着く頃には、女神像が丸々一体分移動していた。そして、元々女神像が立っていた場所には、ぽかりとひと一人分通れる穴と梯子が窺えた。
「……凝った仕掛けね」
私が皮肉を込めて告げると、イツキも少し笑いながら返してくる。
「わんにんそう思う。
…………さあ、ゆこうか。"王の元へ"」
☆
「じゃー、何日かここに居てくださいね」
鉄格子の中へ町長を押し込むと、トビは鍵を掛けながらそう言った。対する町長は、押された勢いで牢屋へ倒れ込むと、絶望しているのか何も声を発さずにすすり泣き始める。その様子を見ると、トビはやきもきして頭をガジガジと掻く。
「心中はお察ししますけど、運が悪かったと思って諦めてください」
しかしその言葉には、一切気持ちは籠っておらず、顔も無表情だった。町長にしてみれば、ただ目撃をしてしまったが故に、いつ殺されるかも分からない牢屋で何日も過ごす羽目になってしまったのだ。気持ちの整理などできるはずもない。尤も、できるようになる頃には生きていられる保証もない。
殺す対象に憎まれたり罵声を浴びせられたリ、命乞いをされるのには慣れていたが、こうして黙って泣かれるという経験はトビにとっても初めてであった。
それに困った訳ではないだろうが、いつかのように牢屋とは反対側の壁に寄り掛かると、腕を組む。
「……その左の牢屋、てめーからじゃ見えねーでしょーが、昔とあるくそったれが居たんですよ」
それは町長に話し掛けている訳ではないようで、独りでに喋り出していた。その異変に気付き、町長は身体を起こしてトビへ振り返る。トビは彼女を見てはいなかった。目を瞑って、遠い過去を思い出すかのように語っている。
「そいつの罪状は何でしたっけ?まー、何かくだらねー理由だった気がします。そいつは、いつ殺されてもおかしくなかったのに、人生に絶望していやがりませんでした。何人かへの恨みの感情しか無かったんです。けど死んで恨む、なんて考えずに、処刑されるために出される一瞬のために訓練しやがってました。むかつくんで、俺がその生に幕を下ろしてやろうと何度も考えましたが、さすがに俺個人の感情では動けねーんで、話し相手くれーにはなってやったんですよ。そーしたら、一瞬の隙を見て王サマへ一泡吹かせてやる、なんてほざきやがったんです」
憎たらしそうに話しているが、トビの顔は僅かににやけていた。
「俺はその時に実感しましたね。あいつは馬鹿だって。そのくらいの隙があるんなら、逃げ出せって話ですよ。勿論、そんな隙を作らせる訳がねーんですよ。こっちだって素人じゃねーんですから。あいつもそれは分かってたと思います。けど、分かった上でそーしてたんですから、本当根っからの馬鹿なんですよ。
そんな馬鹿だからこそ、世界に受け入れられたんでしょうね。今じゃそいつは、生きてそこを出て、のんびりと生き長らえていやがりますよ。
……不可能に近い使命をクリアして」
その物語は町長にも聞き覚えがあった。世間には出回っていないが、本人らしき人物から直接聞いた話。
「それって――」
尋ねようと声を掛けたところで、トビは後ろの壁を足の裏で蹴り、反動で鉄格子の傍まで近付いて来た。
「そいつの名前ですか?さぁ、忘れちまいましたね。思い出したくもねーですから。
あと、俺がこんな長話をした理由ですが、端から諦めていたらつまんねーですよ、ってことです。せめて、俺を愉しませるくらい泣き叫んで絶望してください」
言っていることが矛盾している。町長を励まそうとしたのか、ただ感傷に浸っていただけなのかは不明だが、確実に町長の心に生きようという気持ちが生まれた。先程までの涙も止まり、じっと隣の壁を見つめていた。
そんな彼女を無視して、トビは出入り口から出て行ってしまった。振り返るようなことはしない。そんな性格の持ち主ではないからだ。それ故、どうして彼女に昔の話をしたのか、一層謎は深まるばかりである。同情したなどとは考えにくい。彼自身も地上へ上がる石の階段を上りながら、疑問に思っていた。
(俺らしくもねーですね。最近、心が乱れていやがりますね。それもこれも、あいつのせいです。今度会ったらぶちのめしておきましょうか。
…………俺はただ、カガリのことを想って、目の前の敵を叩き斬るだけです)
一方の町長も、壁に手を付けていた。かつての英雄が眠っていたと思わしき牢を思い浮かべながら。付けた手のひらには、ひんやりと壁の冷たさを感じたが、同時にどこか温もりを覚えた。
(負けません。心が死んでしまったら肉体まで死んでしまいます。
……信じています。どうか私と、ミュゼさんを助けてください。所長さん……いえ、ゼードさん)
☆
礼拝堂の地下を10分ほど進むと、かなり広い空間へ出た。そうは言っても、それまでの道もただの抜け穴などではなく、しっかりとコンクリートで作ってあるトンネルのようなものだった。幅も十分動き回れるほどで、高さもかなりあったけれど、ここはその比ではない。
何よりも、その奇っ怪な光景に開いた口が塞がらなかった。
大きなカプセルに詰め込まれ、何らかの液体に浸されている魔族たち。それも一人や二人ではない。何十、下手すると何百という数のカプセルがそこにはあった。種族もまちまちである。亜人族にスライム族、植物族に悪魔族――多種にわたってそこに閉じ込められていた。魔族なら何でも良いといった雰囲気がひしひしと伝わってくる。魔界で話していた魔族たちの行方不明事件と無関係ではないでしょう。
カプセルの中の魔族たちは死んではいないようで、時折呼吸が泡となって口から零れる。液体にさらされているものの、溺れたりしていないところを見ると、特殊な液体なのかもしれない。けれども、皆眠っているように動かない。
「どうだ、モンスターの仲間がこうしている姿を見るのは?」
突然、声が聞こえて来た。イツキのものではない。もっと年老いていて、一度会ったことのある人物の声。亜人族のトログロダイトが入ったカプセルの後ろから、年配の男が現れた。
そう――セントクルス国の王、カルドレアだ。
「最悪、そして悪趣味ね」
カルドレアはあたかも心外とでもいうように、目を瞑り鼻から息を吐く。そして、青いマントを翻し、奥の壁際に置いてあった椅子へ腰掛ける。異彩を放っていた椅子はこのためにあったものなのかと、心の中で納得する。さながら研究所を思わせるこの場所には、どう考えても不釣り合いだったからだ。王は座ると同時に、脚を大袈裟に組む。
「それで、私を誘拐した訳を教えてくれる?ご丁寧にパーティーへ呼んでくれたみたいじゃなさそうだしね。私もアンタのコレクションに加えたいの?」
周囲を見回しながら私はカルドレアへ声を飛ばす。皮肉めいた言葉は、普段ゼードたちと交わしているけれど、今のはそんな生易しいものではなかった。
怒り――それも強烈な。見ず知らずの人たちだけれど、魔族の仲間がこんな酷い目に遭っているのには黙っていられない。人目を忍んで、こんな地下室まで用意し、まるでオブジェのように生きたまま飾る――生物の行いとは到底思えないほど卑劣で、憎々しいものだった。
しかし、カルドレアは額に皺を寄せると、信じられないような言葉を口にした。
「コレクション?貴様らのような下劣なモンスターなど金を払ってでも貰いたくはない。こうして置いてあるのは"実験"のためだ」
「実験?何の?」
思わずした質問に、人間界の王は半笑いで告げる。
「"魂の移し替え"だ」
言っている意味が分からず、私はきょとんとする。それを向こうも感じ取ったのか、懇切丁寧に説明してくれた。
「わしの目的は"不老不死"。そして"死者の蘇生"だ。後者についてはまだ見通しは立っていないが、前者は応用によって可能となった。幾つものモンスターの犠牲の上にな」
「…………」
「まさか実験台のモンスターが、ここにあるだけとは思ってはいまいな?何百という死骸が、水堀の下に沈んでいることだろう――」
言葉はそこまでで十分だった。この短いやり取りで、どれだけの悪事を働いていたかが理解できてしまったからだ。
そして何よりも、魔族を道具扱いしているのが絶対に許せなかった。
私は瞬発的に床を蹴ると、カルドレアまで一歩で飛び掛かる。右腕を大きく引き、全体重、そしてありったけの魔力を籠めてストレートを放つ。
ゴオォン!!
鈍い音が地下室中に響き渡る。空中に居たから分からなかったけれど、カプセル内の液体も揺れていたから相当な衝撃だったのでしょう。しかし、標的のカルドレアは一切表情を変えていなかった。咄嗟のことで反応できなかったのもあるでしょうけど、私の渾身の一撃はこいつに届いていなかったからだ。
――私の拳の前に棒切れがある。
そう、イツキが刀の鞘で攻撃を受け止めたからだ。
そのままの状態で、イツキは力任せに私を振り払う。宙では踏ん張れないので、身を預けて素直に後方へ弾き返され、受け身を取る。着地の隙を狙われないように、片足で周囲を蹴り飛ばすように回転しながら地面へ足を付けたが、どうやら追撃するつもりは端から無かったらしく、その場で腰の帯へ刀を差し戻していた。
「これだからモンスターは……。血の気が多くて仕方ない」
「ご無事でしたか?それと、王の前で無礼な真似、失礼致しました」
ため息をつくカルドレアに対して、イツキは大きく頭を下げる。当たり前だけど、ハクジュンの頭のイツキも王の前では口調も礼儀正しくなる。
「向こうが仕掛けてきたことだ、気にすることは無い。それに、ここでは"魔法が使えない"のだ。どう見積もっても、貴様に分があるだろう?」
そうなのだ。さっきのパンチは力だけではなく、魔力も籠めていた。いくらイツキの力が強いとしても、私との力比べで勝るはずがない。それが、ああして簡単に振り払われたのだ。魔法が封じられているのは本当なのでしょう。試しに魔力を放出しようとしたけれど、案の定それは叶わなかった。
その一方で、カルドレアはイツキに次の命令を下していた。
「おい、貴様。このままモンスターの娘に暴れられると厄介だ。跪かせろ」
「委細承知しました」
そう言うと、下げていた頭をこちらへ向ける。強制的にでもさせるつもりなのか、イツキは刀に手を掛けている。
「……何よ、やろうっての?言っておくけど、私は人間なんかより――」
ガクンッ…………!!
啖呵を切ろうとした途端、私の身体の自由が利かなくなる。グッと圧が掛けられたかのように上から押され、両手、両膝を地面へ落とす。まるで、跪いているかのように。
「どうして…………どうして、アンタは……"魔法が使える"のよ?」
力を籠めているけれど、一瞬でも気を抜いたら床へ潰されてしまう。振り絞りつつ、頭を上げ、前方の二人、正確にはイツキを睨み付ける。向こうはつんとした顔のまま、一切表情を変えていない。
「先程ハンが喋りかかったように、わんぬ術は魔法ではない。それ故、魔法妨害の影響も受けないのだ」
「…………ずるい」
私たちが会話をしていると割り込むように、カルドレアは持っていたステッキで椅子の脚を叩いて音を出す。
「頭は冷えたか、魔王の娘よ?」
「えぇ、おかげ様でね……」
「わしは貴様に協力をしてほしいだけなのだ。その身をもってな」
「無理やり連れてきておいて、何を今更……。分かったわ。話は聞いてあげるけれど、潰されそうなまま聞かされるのは勘弁よ?」
条件を出すと、カルドレアはイツキを横目で一瞥する。その瞬間に身体を上方から押していた力が弱まり、抵抗しなくても座ったままの状態をキープできるようになった。けれど、やはりそこまで甘くはないらしく、立とうとすれば圧が押し寄せてくる。
「それではよいか?わしの目的はさっき話したな。不老不死、文字通り老いることも死ぬこともない存在だ。それを魂の移し替えという形で完成させたのだ」
問い掛けておいて、さっさと本題へ入ってしまう。端から私の反応など気にするつもりはないのでしょう。
「尤も、肉体が死滅する前に新しい肉体へ魂を移し替えるため、厳密には不老不死ではないがな」
「それがこの大掛かりな装置って訳?」
「ふむ……。実際に見てもらった方が早いだろう。そこの貴様、見せてやれ」
ついてきていた司祭の一人が、魔獣族のバイコーンが入ったカプセルの前の装置を操作する。すると、カプセル内の液体が震え出し、繋がっていたパイプを通して"それ"に流れ込んでいった。液体が無くなり、重力によって地面へ下りたバイコーンは何故だかピクリとも動かない。それはまるで、生気が抜き取られてしまったかのように。
そんなことを考えている時だ、視界の外で動くものを見つけた。パイプに繋がっていた"それ"である。けれども、そんなのはあり得ない。そう、あってはならないのだ。
「どうして……!!?」
「説明しなくても分かるか。それならば話は早い」
私は何事も無かったかのように話を続けるカルドレアへ、キッと咎めるような強い眼差しを向ける。
「アンタ、自分が何をしでかしたのか分かっているの!?」
「当たり前であろう?そのためにわしは、人目を避け、こんな地下室で七年以上も研究を続けていたのだ。全ては我が愛しの妻のために」
そう語るカルドレアは恍惚の表情を浮かべていた。以前どこかで、カルドレアは妻、つまり女王を亡くしてから人前に出なくなったと小耳に挟んだことがある。その空白の期間に、こうして地下へ潜り、死者を蘇生する方法を模索していたのだろう。その前に自分が死んでしまっては本末転倒であるから、不老不死の方法も同時進行で探していたのでしょう。
しかし、それが魔族を犠牲にしても良い理由にはならない。言ってしまえば、個人の感情のために無数の命が奪われたのだ。許せるはずがない。
「アンタがしていることは人間、魔族、いや生物にとって道徳を踏みにじっているようなことなのよ!そんなので生き返っても、アンタの嫁はきっと全然嬉しくなんかないわ!!」
「わしは嬉しい。もう一度、あいつと話ができるなら。もう一度、あいつと庭を散歩できたら――――それほど嬉しいことは、わしにとって他にない」
無駄だった。こいつに何を言ったって、過去の幸せを取り戻したい一心であるから、外野の言葉などちっとも響かないでしょう。
隙を見てもう一度飛び掛かろうとしたけれど、先手を打たれ、私はイツキの術の圧で地面へ叩き付けられる。思い切り顔面を打ったため、鼻血が出ているのか、視界に真っ赤な血が見受けられる。
「暴れるな小娘。それで、だ。貴様を呼んだのは他でもない、研究向上のためだ。そこらの屑では持っている魔力などたかが知れている。だから、魔王の娘である貴様が必要だったのだ。魔界にはもっと強力な魔力の持ち主も居ると聞くが、一番手っ取り早く手に入れられるのは人間界に居る貴様だったのでな。それでも、野良モンスターとは段違いであろう?」
つまり、そんなつまらない個人の身勝手に付き合わされるために誘拐されたのか、私は。頭が痛くなったのは、打ち付けたせいだけではないでしょう。
「これ以上の言葉は不要だな。イツキ、魔王の娘をしまえ」
「……はい」
王へ向かってお辞儀をすると、ゆっくりとこちらに歩いてくる。そして、押し潰されて内臓が悲鳴を上げていた私を、いともたやすく持ち上げた。それでも、私は圧が掛かったままなので動こうにも動けない。イツキは自分のであるから、おそらく接地面だけでも術を解いているのでしょう。肩を組むと、のそのそと空のカプセルへと運ばれる。
「……女の子に対して顔は酷いんじゃない?」
「申し訳ない。しかし、貴様がそんな感情を持ち合わせていられるのもあと少しだ。それまで辛抱してくれ」
「女の子男の子以前に、生物として道理に反しているアンタらに気遣われたくないわね」
「では、諦めろ」
「…………そう言ってくれた方がいっそ、清々しいわ」
カプセルへ押し込まれると、司祭が前方のパネルを操作する。すると、逃げ出す前に透明な扉が閉められる。そもそも、圧が掛かっていたから端から逃げ出せるはずもなかったけれど。
閉まると同時に、床から液体が湧き上がってくる。濡れて気持ち悪くなるかと思いきや、衣服に触れても染み込みはしなかった。やはり特殊な液体なのでしょう。だから、満たされても死なずに済んでいたのかもしれない。その液体が丸々私を飲み込んでも、案の定呼吸は可能だった。だからと言って逃げ出せる訳でもないのだけれど。
「これから徐々に魔力を奪い取る。空になったら…………そうだな、器として他の魂を入れる実験器具として丁重に扱ってやろう。おそらく、かなりの研究成果の向上が期待できるからな。簡単に捨てさせずに、存分に利用してやろう」
そこまでされるなら、いっそ水堀に捨てられて他の魔族たちと一緒に沈んでた方がましでしょう。しかし液体に包まれている私は、文句が気泡となって現れる。
やがて、何故だか急に眠くなってきた。液体越しに見える景色がどんどん霞んでいく。
「安心して眠ると良い。次に目覚めるのは冥界だろうがな――」
耐えようと試みたけれど、無駄である。理屈は分からないけれど、謎だらけのものに囲われているのだ。どれが原因か特定することなど、不可能に近かった。それに、襲い来る睡魔の波には抗えるはずもない。
そして、私の意識はどんどん遠のいて行った――――――。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
初めましての方は初めまして。
お久しぶりの方はお久しぶりでございます。
碓氷 修夜です。
17話です。いよいよカルドレアがミュゼを攫った理由が明らかになりました。それぞれの思いが交錯する回……だったかなと思います。
次回はいよいよ王国へ進撃…………といきたいのですが、その前の準備回になります。どうやらすぐには行けない理由があり、ゼードにも引っ掛かりがあるようなのです。
期待していてください。
それでは改めまして、ここまでお読みいただきありがとうございました。