ゼード…ピース依頼事務所の所長。過去に勇者として魔王を倒した経験あり。
ロザ…エノスの古城に住む女性。手が二回り程大きく、赤く鋭く尖っている。バラが大好き。
スラー…スライム系のリーダー。ゼードにはスーさんと呼ばれている。物理が効かず、そっくりに変身が出来る。魔族四天王の一人。
ベルフェ…悪魔系のリーダー。皆からはベルと呼ばれている。魔力はピカイチだが、人語が話せない。魔族四天王の一人。
レント…植物系のリーダー。非攻撃的であり、戦闘スタイルも待ち伏せて敵を誘い込むのを得意としている。魔族四天王の一人。
「あら?こんなに可愛いお花、咲いていたかしら?」
セントクルス城の中庭の一角に、一輪の白い花が開いているのに一人の女性貴族が気が付いた。一緒に居た男性がそれを見て、自身の豆知識を披露する。
「これは"ガーデニア"だね。花言葉は『喜びを運ぶ』や『優雅』なんかだよ。君にぴったりな言葉さ」
「あら、お上手ね」
「でもおかしいな。この花は普通、夏くらいに開花するからこの時期に咲くなんて珍しいんだよね」
「あなたに似て、おっちょこちょいなのかしら?」
「はははっ!そんな僕もこの花の香りを嗅げば治るかもね。ガーデニアの甘い香りは気持ちを落ち着かせる効果もあるんだ」
しかし、男性貴族が花に顔を近付けた途端、マリオネットの糸が切れたかのように倒れ込んでしまった。
「ど、どうなさったの!!?……って、あら?何だか急に眠く――」
女性貴族も言葉を最後まで言い切る前に、その場に倒れてしまった。寝息をスースーと立てている。
それだけではない。中庭、厳密に言うとセントクルス城全体の人の大半がその場にへたり込んで眠ってしまったのである。午後ではあるものの、まだ陽は空に残っているし、眠りこけるには早過ぎる。
それも当然である。これが、"そういう魔法"だからである。
☆
――兵士館地下倉庫。
外部から開けられないように細工をしてから、こいつはそこに居た。緑髪に尖った耳をした魔族。
そう、レントである。
「全く……。俺一人置き去りにするなんて酷いよね。"攻め込むのが苦手なら、敵陣を蜘蛛の巣にすればいい"、なんて頭おかしいんじゃないの?まあ、極力戦闘に参加しなくていいって言うし、ここにはたんまりと酒もあるから文句は無いけどね。
…………さあ、見せてもらおうか。勇者の戦いってものを」
☆
『やることはやったよ。後は勇者たちが頑張る番だよ』
レントの声が聞こえてきたのは、事前に渡されていたクチナシの花からである。
――クチナシ、またはガーデニア。初夏に甘い香りを放つ美しい花だ。その良い香りから香料などが作られ、東方ではその実が漢方として利用されているくらいらしい。開花時期は全く異なるが、植物系のリーダーであるレントにとって時季外れの花を咲かせることなど造作も無いのだろう。正直な話、俺自身はあまり花に興味が無いので、メジャーな花しか分からない。例えば、これが白いバラだと言われて渡されていたとしても疑わなかったであろう。
昨日、城へ向けて飛び降り、条件を満たして魔王城に転移した。だがその際、一緒に来ていたレントは連れ帰らなかったのである。勿論、意地悪をした訳ではない。意地悪をするならば、レントだけ先にゴラドの背から蹴り落とす方が手っ取り早い。残してきた理由は、レントの得意な戦術を使わせるためであった。そのまま城内へ忍び込ませ、時間を掛けてゆっくりと自分の根城にする。あれからまだ一日も経っていないが、今頃は城のありとあらゆる場所にあいつの根が張られていることだろう。
「さあ、覚悟は良いか!好きなだけ暴れてもいいが、なるべく殺しはするなよ?城本来の戦力が削られちまったら、ロザの術が意味無くなるからな」
俺の問い掛けに皆が頷く。その様子に満足し、ふっと肺に溜まっていた空気を吐き出す。そして、一気に息を吸い込むと大声でベルに催促する。
「ベル、転移魔法頼む!!」
掛け声に応じ、ベルが前方に手を翳す。そして瞬く間に大きな黒い渦巻きが現れた。この先はいよいよ戦場である。先頭に立っていた俺は、他のメンバーの心の準備が整っているかちらりと後ろを確認する。だが、すぐに目の前の渦へ視線を戻す。俺が心配する必要など端から皆無であったからだ。一瞬覗いた皆の顔は、惚れてしまいそうになるくらい頼もしいものだった。俺はこれから戦いへ行くというのに、思わず口の両端を釣り上げる。そして持っていたクチナシの花を胸ポケットに挿すと、一気に渦の中へ駆け出した。
暗雲に飲まれたのは一瞬で、すぐに明るい空が見えてきた。さっきまで薄暗い魔王城に居たため、その明るさに目がやられかけたがすぐに明順応が働き、周囲の様子が見えてくる。
昼過ぎの巨大王国の城内。それなのに異様な静けさを放っていた。それもそのはず、優雅な時間を過ごしている貴族は勿論のこと、あちこちで警戒任務へ当たっている兵士や騎士もぐっすりと眠っていたからだ。
「な、何故皆眠っているのだ!?」
「……そりゃ、こいつに訊いてくれ」
あまりの光景に、ロザが驚きの声を上げる。俺はジト目になりながら、胸ポケットにある一輪の花に目を落とす。
『うーん?催眠の魔法を掛けたから、としか言いようがないよ。けど、魔法に抵抗力の無い人にしか掛からない魔法だから、少しでも魔力を秘めている人には全く意味無いんだけどね』
「そういうことだ。……さーて、奴さんどもやって来たぞ。ロザ!カモフラージュ頼む!!時間は俺とベルが稼ぐ!」
俺たちが進入してきたことにやっと気が付いたのか、相当な数が眠っているのか、漸く警備兵たちが現れた。さすがは大帝国なだけあって、中庭に結構な人が眠っているのに、押し寄せる兵の数も波のようである。
「とりあえず、俺が突っ込むからベルは後方からの援護。スーさんは、ロザの支援と物理防御な!ベルは優先的に魔術師を狙ってくれ」
「了解だ!ロザ、いくぞ!!」
スーさんがそう言うと、チューインガムを膨らますが如く、巨大な水の風船を創出した。それを見てロザが一人で頷くと、右手の鋭い爪で左腕を引き裂く。腕からは大量の血液が飛び散り、水風船へ飲み込まれていく。普通なら、そんな多少の血が混じったところですぐに透明な水に薄まってしまうだろう。しかし、風船へ入り込んだ血はじわじわと広がっていき、一瞬のうちに真っ赤に染め上げてしまった。
「ほぅ……。面白い術だな」
「感心してる場合か!そっちにも行ったぞ!!」
スーさんとロザがカモフラージュに専念している傍ら、俺とベルは迫りくる大量の兵士や騎士を相手にしていた。殺さないように手加減はするものの、相手も一国の兵士たちである。場慣れしている輩も多いのだろう。しかし、その剣筋はあくまでステレオタイプの剣術だ。王国式とでもいうのだろうか、腕前はそこそこあるようだから正規の大会では存分に活躍できるのだろう。だが、俺のような野良の戦法にはすぐに対応できないらしい。
俺は花壇の土をブーツで掘ると、襲い掛かってきた連中へ蹴り上げる。所謂、目潰しである。正々堂々と戦おうとしていた兵たちには予想外な攻撃であろう。けれども、俺にとって真正面から戦おうとするなんて馬鹿のすることだ。生き残ってなんぼの修羅場を、何度もくぐって学んだことでもある。案の定、兵たちは両腕でその土を防ぐ。それだけの隙があれば十分で、先頭の奴の土手っ腹に蹴りを放って後方の兵をも巻き込んで吹っ飛ばす。
その時、眩い光が視界にちらついた。それは、奥の方に居たローブを纏った連中からであった。王国専属の魔術師である。レントの催眠魔法は、魔力を宿している者には効かないと言っていたから、魔術師なんかは丸々生き残っているのだろう。そいつらへナイフを投てきしようと袖口から出すが、それよりも先に俺の後方から紫とも黒とも言えないおびただしい色の球体が猛スピードで飛んで行った。直径30センチメートルくらいのその球体が、魔術師に当たると弾け飛び、魔法を放とうとしていた恰好のまま前へ倒れ込んだ。
振り返ると、その術者は勿論のことベルであった。
「こ……殺してないよな?」
「~~~~~~~~」
『生命力を奪っただけだから大丈夫だって』
レントが花を通じて通訳してくれているが、それは果たして本当に平気なのだろうか。後遺症なんかが残らなければいいが……なんて淡い希望を抱いて敵に向き直る。
今、振り返った感じだと、ロザの術は第二段階へ進んでいるのか、さっきの赤い風船は消えていた。見えなくなっていた、が正しい表現だろうか。額には大量の脂汗が浮かんでいたので、かなり無茶をして頑張ってくれていることが分かる。協力兼ロザのガード役のスーさんもしっかりと役目を全うしているようで、俺たちが逃して近付いていた兵を物凄い水圧で跳ね飛ばしていた。
やはり、剣を使う相手だとイツキの凄さが身に染みて感じる。訓練はしているのだろうが、その太刀筋は僅かにぶれていて、力任せに剣の重みで敵を叩き斬ろうとしているようにも感じられる。その軌道も一直線で、最低限の動きで簡単にかわすことができる。
振り下ろしてきた一撃を半身になってかわし、踵でその逆刃を踏み付ける。勢いを増長された剣は、そのまま地面へ減り込んでしまう。相手は驚きつつも引き抜こうとするが、そこそこ深く刺さっているので容易く抜けはしない。対して、そんな動揺した敵の側頭部に回し蹴りを放つことは、赤子の手をひねるようなものだった。
ベルも放てるのは球体だけではないようで、腕を真横へ振るとまるで次元が歪んでいるかのような跡ができる。それを前方へ飛ばし、纏めて薙ぎ払っていた。当たった者は弾き飛ばされるでもなく、斬られるでもなく、その場に膝から崩れ落ちる。また生命力を奪っているのだろうが、結構本気で心配だ。ベルのことだからそこら辺は調節をしてくれているのだろうが、それでも不安なものは不安なのである。
…………それにしてもおかしい。
レントは先に城内の大半を眠らせた。しかし、それは魔力耐性の無い者に限ると言っていた。だったら何故、ハクジュンの主要メンバーが出て来ないのだろうか。何人か深緑色のコートを着た連中は居たが、イツキやトビといった強敵の姿は見ていない。イツキはともかく、トビの戦法はどちらかと言えば乱戦向きなのである。まさか、眠ってしまったとは考えにくい。誘われているのだろうか?それとも何か別の理由か。どちらにせよ、ロザを守りながらの現状で姿を見せてこないのは、こちらとしてもありがたかった。
☆
「ゼード、終わったぞ!!」
私が叫んだ頃には、城内の兵士たちをほぼ床に伏せさせていた。正確な時間は分からないが、体内時計だと12、3分だろう。ゼードが示した時間より早く終わったが、目標の10分までには完成しなかった。その間、皆を余計に戦わせていたと考えると、とても申し訳なく思う。
遠くで、ナイフを盾で防がせてから股の下をスライディングして後頭部に蹴りを放っていたゼードがその声に気付き、こちらへ顔を向ける。
「本当か!?……じゃあ、試しに――」
周囲に敵が居ないことを確認すると、袖口からナイフを取り出し真上に向かってぶん投げた。ナイフが城の一番高い地点を越えると、まるで吸い込まれるように空へと消えた。そして、また落下してきたために空からナイフが突然現れたかのように降ってきた。カモフラージュは完璧だろう――。
「危ない!!」
その様子を皆が見上げている時、城壁上の回廊の窓から鉄砲が飛び出ているのに気が付いたからだ。狙いは中庭のほぼ中心に居て、辺りに隠れる場所が無いゼード。危険を察知し、声を上げるのとほぼ同時に銃が火を噴いた。
しかし、ゼードはあくまで冷静だった。落下してきたナイフを逆手でキャッチすると、そのままの動作で銃弾を斬るのではなく、回転しながら弾く。そして、前を向くといつの間にか反対の袖口から出していたナイフを投てきし、銃口を真っ二つにした。そして、まるで事前に示し合わせていたかのように、間髪入れずにベルフェが黒球を放つ。姿は見えないが、人の倒れる音で目標が沈黙したのを確認できた。
「わっ!!?」
「危ないぞ!!ゼードからの跳弾で、危うくロザに当たるところだったぞ」
「え、嘘?ごめん」
スラーの言う通り、弾かれた銃弾が石で作られた井戸に当たって跳ね、私に一直線で飛んできた。スラーが守ってくれたから良いものの、私だけでは全く反応できなかった。
「大体、ゼードの実力があれば弾丸くらい斬れるだろう?」
「……あのね、ナイフのリーチ分かってる?斬った時点で二つに分裂するの。この短さじゃ、俺を避ける前に半分になった弾丸の欠片が両方当たるからね?しかも、これ安物のナイフだよ?刺さればいいくらいにしか思ってないから」
ゼードはもう一方に持っていたナイフを袖口にしまい、戦場のど真ん中だというのに伸びをする。
「じゃっ、雑談はこれくらいにしてロザのカモフラージュも終わったことだし、残敵を殲滅しましょうぜ?」
ゼードはこちらに向かってダッシュをしてくると、通り過ぎざまにスラーとベルフェの肩を叩く。これまでに何度も見た、にやけ面をしながら。
「思う存分やってくれ。でも、あんま建物と人は壊すなよ?」
「……手加減しろと言っているのと一緒ではないか」
「~~~~~」
『分かったってさ。俺もせっかくだから、ちょっとだけ手伝おうか』
「お?お前にしては珍しいな。じゃー頼むぜ!!」
その掛け声と同時に、前の二人から凄い威圧を感じる。これが魔力というものなのだろうか。それが溢れんばかりに溜まった瞬間、二人から強力な一撃が繰り出される。ベルフェは広げた両手からどす黒いビームのようなものが二本吐き出され、スラーは両手を地に付け、敵の足元から強力な水柱を噴き上げる。声だけしか聞こえないレントは、防御に専念したのか、二人の攻撃から守るように塀や建物に一瞬でツタを生やしていた。
無論、そんな攻撃を食らったらひとたまりもないだろう。ビームに当たった者は壁まで吹き飛ばされ、激流に飲まれた者は跳ね上げられてから地面へ落下した。文字通り殲滅である。だが、息絶えた者は見た限り居ないようで、気絶しながらも呼吸はしているようだった。ここまで圧倒的だと、仲間の私でさえ格の違いを感じて身震いする。
『ちょっと、スラー!!?浸水するからあんま地面に水使うの止めて!!』
そんな緊張感の中に、情けないレントの声が花から聞こえてくる。
「……お前、今どこ居んの?地下?」
『そうだよ!!びっくりしたなーもー!』
「……だってさ?」
ゼードはスラーに話し掛ける。その二人の表情はいつの間にか、悪いものへと変貌していた。
「……チャンスか?」
『何の!?本気で逃げ場無いから勘弁してって!!』
必死の説得に、スラーは一息吐いてから空を見上げる。
「今日のところは止めておこう。日頃の鬱憤を晴らすのはまた別の機会にだな」
「だな。あいつ居ねーと二人の場所分かんねーしな」
ゼードとスラーの暗殺計画が中止されるのを聞いて、クチナシからはほっとため息が聞こえてくる。そして、一刻も話題を変えたいのか重要な情報を話し始めた。
『一応ね、この城全域に根を張り巡らせてみたからさ、町長の居場所は分かったよ。別塔の地下牢だね。で、ミュゼなんだけど……どこにも反応が無いんだ』
「……ここには居ねーってことか?」
『いや、むしろ逆かな。反応が無いことで居場所を明確にしてくれちゃっているんだよ』
「時間ねぇんだから、さっさと教えろよ」
『そう急かさないで。確かにここへ連れて来られた形跡はある。でもそれが、礼拝堂でぷっつりと消えているんだ』
「つまり、礼拝堂に居るってことだな?」
『もしくは、そこで殺されたか………………なーんてね』
冗談では済まされないことを軽々しく言ってみせる。こちらの様子が見えていないから好き勝手言っているのだろうが、一瞬で場の空気が悪くなったのを感じる。それを払拭するかのように、ゼードが何度も頭を横に振り、皆へ指示を出す。
「そうならねぇように急ごう。それぞれ決めた計画通りのまま行動してくれ」
空気を変えようとしてくれたところ悪いが、おずおずと私の現状を説明する。
「……済まない、作戦通りにいきたかったのだが、カモフラージュに相当体力を奪われてしまった。私は動けそうにない。別のことに意識をやると術が解けてしまいそうだ」
「そっか……。俺もめちゃくちゃなお願いしてたしな。ロザはここで待機しててくれ」
「本当に済まない……」
「謝んなって。ほら、さっきのこいつら見ただろ?絶対にミュゼを助けて来るから、お前はここで隠れて休みつつ、術に専念しててくれ」
「……分かった。ミュゼのこと頼むぞ?」
私がそう問い掛けると、ゼードは満面の笑みを見せる。そして、胸を拳で何度か叩くと自慢げに語る。
「あぁ!俺たちに任せておけって。俺だって一応、"元"勇者だからな」
「ふっ……私にとっては今日こそが勇者に見えるがな?」
「よしてくれ、もう勇者は引退。だって、もう宿敵が居ないんだからな」
「今の宿敵なら、ミュゼを攫ったこの国の王ではないか?」
「だーかーら!俺は"ピース依頼事務所の所長"として助けに来てんだよ。二人しか居ないんだから、勝手に引き抜きされちゃ困んだよ」
「…………そうか。では、頼んだぞ。"所長さん"」
そのことにゼードは何も答えなかった。ただ目を瞑って、深呼吸をしている。次に大きく息を吸うと、パチッと目を見開いて大声を出す。
「っしゃあ!行くぞ、お前ら!!」
その掛け声と共に、皆が一斉に走り出していく。去って行くその背中は、とてつもなく大きなものに見えた。彼らならば、きっと……いや、絶対に二人を助け出してくれるであろう。そう、私にも強く感じられた。
「…………へー。何だか面白そうなことになってるね、"お姉さん"?」
☆
カッチャカッチャカカカカ――――。
妙に心地の良いリズムが聞こえてくる。
「……貴様がこっちへ来るとは思わなかった。大方、娘っ子の方へ行くと予測していたのだがな」
別塔の前。梯子を上がれば中へ入れるという所に、刀を携えた大男が待ち構えていた。ただ立っているだけなのに威圧がひしひしと伝わってくる。木の板を三枚重ねた楽器のようなものをポケットへしまうと、俺へ言葉を浴びせてきた。
「地下牢の場所を詳しく知ってんのは俺だけだからな。お前こそ、王サマの傍に居なくていいのか?」
「ああ、本来ならばそうだった。しかし、その役割をトビに代わってくれとせがまれたのだ」
「トビが?」
「あくまで予想だが、貴様と戦いたかったのだろう。こうしてすれ違ってしまった訳だが」
「さぁ?俺がここでお前をぶちのめして、すぐに行けば間に合うんじゃないか?」
俺の挑発が少し効いたのか、イツキは襟を正す。そして、鋭い眼光でこちらを睨み付ける。
「わんや貴様を一度打ち破っているのだぞ?どの口がそれを言えるのだ?」
「前は不意打ちだったろうが。あんなもんノーカンだ、ノーカン。それに俺だって、お前用の対抗策を練って来てるんだ。次はお前が一瞬でやられちまうかもしれねぇぞ?」
「ほう……。それは楽しみだ。貴様がどこまでやれるのかを試させてもらうぞ」
目を細めてイツキが喋る。しかし、そうは言うもののまだ腰の帯から刀を抜こうとはしない。
「何だ?まだ様子見ってか?」
「いや、違う。不意打ちとは心外だから、わんぬ術の仕組みを先に教えておこう。わんぬ術は――」
「"磁力操作"、だろ?んで、前回は鞘で殴ってきた時に発動させたんだろう。だったら、一撃も食らわなきゃいい話だ」
俺が先にネタばらしすると、イツキはまた感嘆の声を上げる。
「ほう……。そこまで割れているとはな。さすがは魔術に特化したモンスターたちという訳か。そうだ、この鞘で相手に触れるまでは磁力操作は全く使えない。これっぽっちもだ。それまでは、己の刀一本で切り抜けるしかないのだ」
そう言ってから、姿勢を正して俺に向かってお辞儀をする。前に一度見た光景だ。そして、続きも同じように頭を戻すと、高らかに声を上げ自らを名乗り始めた。
「わんや、ハクジュンの頭領、イツキと申す。これより王より命じられた『セントクルス国防衛』任務のため、貴様の首頂戴致す。……知っているとは思うが、これをしないと気が引き締まらないのでな」
「あ、ども、ゼードです。ピース依頼事務所の所長です。よろしくネ!……こんな感じで良い?」
「…………貴様が名乗る必要は無い」
俺のボケを華麗にスルーし、帯刀していた刀を抜き放つ。まだその刀は鞘へ納められたままで、やはり磁力操作という自分の得意分野へ持っていこうとしているのが感じ取れる。一応、間合いが一瞬で詰められる感覚はレアリムとの戦闘で学んだが、できる限りその状況に持っていかせたくはない。前回は既にその状態であったから、今回はあの鞘に触れないよう遠距離で攻めていくつもりだ。
俺は両手に持てるだけナイフを取り出すと、力いっぱいに投げつけた。
(どれかしら当たれ!!)
しかし、イツキは目に見えぬほどの速さで抜刀すると、その居合い抜き――右上――左上――の袈裟切りの三振り。
そして、ゆっくりとした動作で納刀する。たったそれだけで、その全てを叩き落としたのだ。
「ば、化けモンかよ!?」
「わんぬ流派に『防御』という概念は無い。常に攻めの姿勢であるのだ。……さて、次はわんぬ番か?」
その言葉に思わず姿勢を低くして、攻撃に備える。イツキはふっと一息すると、俺へ向けて突進してくる。それはあまりにも直線的で、猪突猛進そのものだった。
だが、あの得物のリーチは計り知れない。1メートル近くもある刀は、先程の抜刀でもかなりのナイフを払いのけていた。その素早い居合い抜きは、正面だと間合いが読みづらいのだ。しかし、直進ともなれば攻撃に合わせて回避などそう困難ではない。
――はずだった。
「ぐがぁっ……!!?」
突如として走る激痛。しかも、その方向は相手が詰め寄る前方からではなく、背部からのものであった。痛みを堪え首を動かして見てみると、花壇を囲っていたレンガの一つが剥がれ、それが背中へ直撃していたのだ。その勢いはとてつもないもので、俺の身体を僅かに宙へ浮かばせるほどだった。そして、眼前に迫るはイツキ。その手元の帯刀からは、鋭い鈍色がちらりと顔を覗かせていた。
身動きが取れない上に差し迫る太刀。術の条件が整っていなくとも、この男は疑似的に磁力操作と同じ状況を作り出していたのだ。
(これじゃ前と何も変わらねぇ!一旦、仕切り直す!!)
咄嗟にナイフを投げ、近くの地面へ刺し込む。紐の付いたものだ。後方からのレンガの一撃に加え、急なナイフ方向への引き寄せ。衝撃の波は抑えきれるはずもなく、俺の右肩や腰に想像以上の負荷が掛かる。
そして、左耳へ空間そのものを抉り取るつんざくばかりの風の音。俺目掛けて、太刀が振り下ろされたのだ。紐付きのナイフを放ったのは、そのナイフを中心に遠心力を利用して、レンガとイツキの直線上から逃れるためだった。
だが、一方のナイフはそんなに深く刺さっていなかったらしく、すぐに地面から抜け、受け身も取れずにイツキの斜め後方へ引っ張られる形で吹っ飛ばされた。
勢いを二、三回転してからやっと殺し、片膝を付くようにして体勢を立て直す。しかし、イツキは追撃して来るようなことはせず、その場で刀を鞘へ納めていた。代わりに俺のすぐ真横へ飛んで来たものがあった。
それは真っ二つに斬られたレンガだった。
砂埃と自分を削りながら転がってきたレンガは、まるで専用のノコギリで切られたかのように綺麗な断面をしていた。すんでのところでかわしていなければ自分もこうなっていたと考えると、思わず身が震えてくる。
「ふむ……やはりそう容易くはいかないか」
「お前……前もって"レンガに術を施して"やがったな?やっぱ不意打ちじゃねーか」
「事前に策を講ずるのは卑怯だろうか?そもそも、ここへ攻め入るのに奇襲を仕掛けたのはそちらだと思うが」
「さすがはハクジュンの頭領サマだ。勝つためなら何でもありってことか」
「…………任務のためならば、な。しかし、一撃で葬れなかった相手は久方ぶりだ」
「『一撃必当』だっけか?失敗したな」
「何も外したら負けな訳ではない。初太刀に精魂を籠めて振るうだけだ。……そして、敵を倒すまで力は籠め続ける」
「随分と都合の良い流派ってことだ」
皮肉を込めて告げると、イツキは目に見えて不愉快そうな顔をする。どうやら、自身の流派を貶されたことが癪に障ったらしい。しかし、どこか苦い表情に見えなくもない。
「わんねーかなり流派を自己流に改変しているからな。きちんとした修行者から見れば、異端であることに間違いはないだろう」
「まぁ、あんたも相当に苦労しているってこった。じゃあ、少しばかり愉しませてやらねぇとな。そう簡単に終わったら、お前だって拍子抜けだろ?まだ俺だって本気出してないからな!」
言い放ちながら、軽く跳ぶように立ち上がる。まだ、あいつに触れてはいないため術の効果は受けないが、先程のレンガのように"別のものに術を掛けられていたら"話は別だ。やはり、どこから攻撃が来るのか分からない上に、間合いは有って無いものと考えるべきだろう。
(やっぱり"これ"じゃ戦いづらいな……。でも、"あいつ"の言っていた通りに活路は見える!!)
俺は横っ飛びをしてあるものを両手で掴む。たった今、二つに分断されたレンガだ。それを地面すれすれに投げつけ、更に先程同様ナイフをばら撒く。超低空を転がるように投げたレンガは、イツキの刀がギリギリ届かない位置でバウンドした。多少削れているので、俺でも予期せぬ跳ね方で。
イツキの太刀筋は一切のブレが無い。おそらく、数ミリの誤差もなく刀が振るえるのだろう。だが、その一撃一撃自体はかなりの大振りなのである。普通ならばこの攻撃の直後に隙ができるのだが、この男は鍛え抜かれた腕力で、気が付いたら次の攻撃モーションへと移行しているのだ。
だからこそ、このイレギュラーな動きをしたレンガは捉えられにくいに違いない。そして案の定、叩き落すのを中断したイツキは最低限の跳びでそれらを避ける。無数のナイフが飛び交う空中へ――。
けれども、さすがはイツキといったところか。
空中でも構わずに刀の柄に手を掛けると、また抜刀からの三連撃でナイフを叩き落した。
――――"空中"のは。
「跳ね返れ!!」
「…………!?」
ばら撒いたナイフの中には、地を這うように投てきしたものもあった。しかし、宙を舞っているので当然のことながら届くことはない。
"物に当たって軌道が変わらない限り"。
それらのナイフはイツキの真下を進み、そしてぶつかる。
先に投げて、イツキの後方で停止していたレンガに。
レンガに当たったナイフは高い金属音を立て、弾かれるようにして回転する。その幾つかが、後方からイツキを襲う形で。俺も把握できないくらい異質な軌道を描いているので、大振りのこいつには叩き落せるはずがない。仮に、無理やりにでも防ぐことに意識を持っていくとすれば、俺へ背を向けることになるのだ。
「ぐっ………………!!」
イツキはその大きな体格に似合わないくらい機敏に宙で身体を捩って、跳ね返ってきたナイフを回避した。だが、それは普段の身のこなしからも見せたことの無い、初めての隙であった。
こうなることは予測できていた。何故ならば、先程こいつが自分で語っていたからだ。
イツキにとって、"『防御』という概念は無い"と――。
だから、俺は反撃など来ないことを確信しながら、その一瞬のチャンスをものにしようとする。
イツキが回避行動へ移った瞬間、俺は懐から短剣を抜きながら駆け出していた。
狙うはその着地――――。
「うぉらぁあああああ!!」
イツキは地に着けた足でそのまま後方へ飛び退いたが、横へ振り薙いだその腕には確かな手応えがあった。同時に飛び散る血液。べちゃりと生々しい音と共にそれが地面を汚す。
両手で刀を握っているはずのイツキは、左腕をだらりと下ろしていた。その二の腕の辺りを斬り裂いたのか、血が滲み、深緑色の制服はどす黒くなっていた。そこそこ深い傷を付けられたのか、下げている指先からも血が垂れ落ちている。
しかし、イツキは自分の傷口を一瞥しただけで手を刀の柄へ戻してしまった。
「止血とかしなくていいのか?結構ガッツリいったからな?そんくらいなら、待っててやってもいいぜ」
それでもイツキは、刀を頭の右前で握り切っ先を天へ向けたまま姿勢を崩さない。
「言ったはずだ。敵を倒すまで力を緩めることはない。ここで死ぬようなことがあれば、わんねーその程度の人間であったということだ」
「死なばもろともってか?自殺願望があんなら、お前一人でやっててくれよ」
「さて、どうだろうか?死ぬのは貴様一人かもしれない。これでやっと"条件が揃ったからな"」
その言葉に引っ掛かりを覚え、額に皺を寄せる。そして、じっくりと刀男の姿を眺めてみた。すると、普通あるはずのものが無いことに気付く。その腰の帯に、鞘が納められていなかったのだ。
「ぶっ……!!?」
下を向こうとした瞬間、顎に強烈な打撃を受け苦痛の声が漏れる。二、三歩後退しただけで転倒は免れたが、すぐに取り返しのつかないことをしたと悟った。顎をすくい上げるようにして跳ね上がったものは、高速回転をしながらイツキへと向かう。近付くと回転を止め、その血まみれの左手にすっぽりと収まる。
大太刀の鞘が。
「これで分かっただろう。死なばもろともではなく、肉を切らせて骨を切るが正しかったようだ」
「…………いつ地面に置いたんだよ?」
「正直な話、身体を捻った際に落としたのだがな。だから一番相応しい諺は、"怪我の功名"だろうか」
過程はどうであれ、鞘に触れてしまったことは事実だ。あいつの言っていた通り、磁力操作が直に俺へ作用することになる。ここからは一気に向こうのペースになるだろう。
俺は左手で下顎を押さえながら、イツキへ向けて短剣を構える。
「磁力操作が使えるようになったんで喜んでると思うが、俺だって対策はしてきているんだ。そう簡単にいくと思うなよ」
「ならば、試してみるといい」
そう言われた途端、俺の身体は自由を失いイツキ目掛けて引き寄せられる。…………だったら、それを生かせばいいのだ。
レアリムとの模擬戦で学んだこと。間合いを一気に詰める相手というのは、言い換えれば一瞬にして自分の得意な間合いへ持っていく、ということだ。だから彼女は、あの戦闘の最後に誤って足を踏まれてしまったことで、それに対応できなかった。
ということは、"間合いを詰められる前に、こちらがその懐へ飛び込めばいい"。
「っ……が…………あっ!!」
イツキが俺への磁力を操作するのと同時に、思い切り地面を蹴ったのだ。相手は停止していると想定した対象を、それに応じた力で引き寄せる。だが、実際は向かってきていたので引き寄せるパワーはとんでもないことになる。俺も手には短剣を握っていたが、あまりの速さにそれを使うことを諦めた。代わりに、その厚い胸板へ高速の頭突きをお見舞いして――。
胸部への強い衝撃に、一瞬息が止まり掛けたのか、途切れたうめき声を上げてイツキが吹っ飛ぶ。大男が刀を振り下ろそうとした状態のまま後方へ跳ね飛ばされる光景など、そうそう見られないだろう。しかしすぐに立て直したかったのか、左手と右に持った刀を地面へ突き立て、大地を削るようにして停止する。左腕に力が加わったためか、その傷口からは鮮血が噴き出てている。
俺も追撃ができればしたかったのだが、頭突きの影響で頭がくらくらして叶わなかったのだ。一体、どれだけ鍛え上げればあんなに鋼鉄な胸板が出来上がるのだろうか。いっそのこと、教えてほしいくらいである。
対して、得意の磁力操作が破られたイツキは不思議にも笑っていた。通常では覗うことのできないこいつの笑顔。――笑いというのは不可解で、本人は心の底から笑っているだけなのかもしれないが、はたから見ている人間にとっては恐怖を覚えさせることもある。
……今のこいつがその状態であった。
「…………面白い、やはり貴様らは面白い!娘っ子も貴様も、一体どれだけの可能性をその小さな身体の中へ秘めているというのだ」
「……んだよ、何かまだ魔法を隠し持ってたりするのか?」
「いや、わんやモンスターのように魔力は存分でないのでな、これしか使えん。……だが、磁力というのは何も引き寄せるだけではない」
そうしてまたもや、俺の身体が宙へ浮く。しかし、今度はイツキとは"反対の方向へ"――。
「痛っ…………!!?」
見えない力で弾き飛ばされた俺は、別塔の壁面へ叩き付けられた。またしても頭と身体に打撃を受けた俺は意識を失い掛けるが、すぐに交戦中であることを思い出し、現実へ舞い戻ってくる。けれども、これまで速攻を仕掛けてきていたイツキはまださっきの場所に居た。向こうもダメージの蓄積で、思うように身体が動かないようだ。それでも、こうして俺の動きを止めるくらいの術を放つくらいだ。底力が半端ないのか、勝利への執念が足り過ぎているのか。
そう簡単には動かせないはずの身体をおもむろに動かして立ち上がる。そして、ゆったりと幽霊のような動きで一歩一歩確実にこちらへ近付いてくる。だが、俺だって負ける訳にはいかない。あいつの言う小さな身体に残る力を総動員させ、全身に力を籠める――。
「…………ぁぁぁあああああああ………………!!!」
右腕、左腕、右足――と段階的に壁面から部位ごとを力任せに引き剥がしていく。その光景を見たイツキはこちらへ向かう足を止め、その場で頭の右前に刀を持っていく。誰が語るでもない、示し合わせた訳でもない。本能的に二人は、次で決着させると悟ったのだろう。
漸く、全身が壁面から離れ、己の二本の足で地面へ立った。そして、イツキに倣うように俺も短剣を首の前で構える。しかし、その目は敵を見据えてはいない。ただ、ぼんやりと前を見ているだけだ。勝負を捨てた訳ではない。五感を捨て、全神経へ集中を持っていっているのだ。
両者の間に言葉はもう要らない。たった今まで激闘を繰り広げていた別塔前は、気味の悪い静寂が辺りを包み込んでいた。風で花壇の花や砂が揺れているが、そんなもの耳には入ってこない。聞こえるのは、自分の心臓と息遣いの音だけ。
互いの呼吸が整った瞬間――俺は一気に動き出した――――。
地を蹴るのと同時に引き寄せられる感覚。向こうはまた、磁力を操作して俺を引っ張ってくるつもりらしい。だが、もうその速さにも慣れた。さっきは腕が前へ出ずに頭突きとなったが、今度はきちんと短剣を構える。
そのまま高速でイツキへ迫ると同時に影が俺を覆う。ぼやけていた視界を取り戻すと、そこには今にも太刀を振り下ろそうとしているイツキが居た。俺が速さを掴んだのと同様に、向こうもタイミングを得ていたのだった。こうなれば、後は己の力での勝負になる。単純な力比べとなれば勝算は無いが、今はこの速さという慣性と体重をプラスしている。現在の俺の力は、通常時とは比較にならないくらい重い一撃になるだろう。それこそ、イツキとも渡り合えるくらいの――。
しかし、ここで大きな誤算が生じた。
猛スピードでイツキへ向かっていた俺の身体が、ふっと宙で停止したのだ。咄嗟に理解する。磁力操作の引き寄せと反発が"均衡"の状態になったのだと――――。
「………………二度も同じ手が通じるとでも思っていたのか?」
俺は瞬時に防御の体勢に入る。この間合いでは、得物のリーチの差で攻撃が届かず、一方的にダメージを食らってしまう。たとえ防御をしたとしても、普段のように弾くことは物理上不可能に近いため、真っ向から攻撃を受け止めなくてはならない。何度も見ているイツキの振り下ろし。その威力がどれほどのものかを身をもって知っていた俺は、ごくりと生唾を飲み込む。
ここで更に、もう一つ予想外なことが起こる。
俺がイツキの力を過小評価していたことだった。イツキの刀は、彼の持つ元来の力に加え、俺を真下へ叩き込む磁力のベクトルが相乗され、とてつもない威力を発揮したのだ。受け止めた短剣を通じて、全身へ重圧が掛かる。だが、それは一瞬のことであった。一度、圧を受けただけでそれからは何も感じなかったのだ。というのも、横に寝かして刀に触れた短剣は、まるで小枝のように根元からぽっきりと折られてしまったのだ。そして、受け止めるものが無くなった刀はそのまま俺の身体へ――――。
「な……――――――」
単語も出なかった――。
肉体からは噴き上がる液体――。
刀は一刀両断せずに身体の途中で止まっている――。
どうしてだろうか、不思議と痛みは感じない――――――。
「やはり"ゼード"の言う通り、お前は相手を斬ったその時にだけ隙を見せるな。まあ、それは勝ちを確信したのと同様であるから私にも生まれてしまうだろうがな」
噴き上がった液体は真っ赤ではない。どちらかと言えば、青い"ゲル状"のものだった。イツキは突然の出来事に刺さっていた刀を引き抜こうとする。しかし、全く動かない。押さえ付けられている訳ではない。吸収されるが如く、その体内に留まっているのだ。
「お前の敗因は三つ。
一つ。いくらゼードでも、同じ手が二度も通用すると思うほど愚かではない。
二つ。ゼードは攻撃を察知できても魔力を感知することはできないから、磁力操作に合わせて行動することは不可能だ。
三つ――。お前の相手がこの私、"スラー"であったことだ」
そして、ゲル状の身体はイツキをも覆い込むくらいに肥大した――――――。
☆
静まり返った地下牢。そこに一人残された町長は何を考えていたのか。いつ殺されるかも分からない恐怖、永遠に続く孤独感に潰されそうになっていたのか。けれども、当の本人は自分の身のことなど考えてはいなかった。
かつての罪人であり、英雄でもあるゼードのことを。
(一体ゼードさんは、この延々と続く日々をどう送っていたのでしょう。期間では、私よりもずっと長い時間、この密閉感に襲われていたはずです……。だから、私も身体が動かなくなっても心だけは殺さないようにしないと)
その時、不意に地下牢の重い扉が開かれた。正確な時間は外が見えないので分からないが、まだ夕食にはかなり早い時間であっただろう。この空間へ足を踏み入れ、確実にその足音は町長の檻へと近付いてくる。そうして、侵入者の姿が目の前に現れた。
ここに閉じ込められている間、ずっと思い描いていた人物――――。
「ゼードさん!!?」
町長の暗い思考は一瞬にして吹き飛び、少しでも接近しようと両手で鉄格子を掴む。しかし、一方のゼードは苦笑いをするだけであった。
「あー……期待してるところ悪いが、俺はお前の思い人じゃねぇんだ」
「…………え?」
その言葉の真意が分からないといったふうに目をぱちくりさせていると、ゼードの姿をしたものは実際に見てもらった方が早いと判断する。すると、たった今まで人の形をしていたものが、溶けるように歪なものへなっていく。衝撃的過ぎる光景に、町長は短い悲鳴を上げ座りながら背面の壁まで後ずさりする。そうして、人の容姿を崩したものは結局何の形にも収まらず、スライムとなった。
「初めましてだろうな。お前が町長か?」
町長は思考が追い付かず、ただ質問に対して首を何度も縦に振るだけだった。
「私はゼードに頼まれ、町長を助けに来たのだ」
ゼード、という単語に反応して町長は自我を取り戻す。さっきまでおびえていたのが噓のようにスラーへ近付くと、矢継ぎ早に質問攻めをする。
「ゼードさんは無事なんですか?今どこに居るんですか?一緒に捕まったミュゼさんは平気なんですか?」
「待て待て、落ち着け。とりあえず、まずはそこから出そう」
スラーはズズズ……とゲル状のまま移動すると鉄格子の鍵穴へ手を伸ばす。そして、身体の一部を差し込むと、穴の形状に合わせて硬化させる。そのため、どんなに開けるのが困難な鍵穴でも、そこに身体を注ぎ込めるのならスラーにとってそれは意味をなさないのである。いとも簡単に牢屋を開け放つと、町長を外へ招く。町長は覚悟を決めたかのように頬を両手で叩くと、自分の足で立って牢を出る。
「さっきまであれほど戦慄していたが、もう大丈夫なのか?見ての通り私は魔族だぞ?」
「……ゼードさんに言われました。『ミュゼが魔族だと知っても変わらずに接してくれるか?』と。それはつまり、モンス……魔族だからといって偏見を持たないでくれ、ってことなんだと思います。あなたは私を助けてくれましたし、ゼードさんの知り合いでもあるみたいです。だから、私はあなたを信じます」
そう強い意志を持って語る町長へ、スラーは微笑み掛ける。
「きっとあいつはそこまで考えていないと思うがな。しかし、私を信用してくれるとなれば話は早い。さっきの質問だが、ゼードは無事だ」
それを聞いて町長は、ほっと胸を撫で下ろす。今の今まで、拘束されていた人物がここまで他人を心配しているのだ。この町長とやらも、人が良いのだとスラーも確信する。
「……と言っても、今のうちは、だがな」
「何故ですか!?」
「今現在、同時進行でゼードはお嬢……ミュゼの救出へ向かっている。だが、おそらく向こうには、トビが待ち構えているだろうからな」
トビ――その名前には町長も聞き覚えがあった。自分をここへ放り込んだ人物、そして以前町外れでゼードを殺しかけた張本人であったからだ。
そんな不安げな町長を見て、スラーはふんと鼻を鳴らす。
「案ずることはない。ゼードには私たち、魔族がついているのだ。人間などに後れを取るはずがないだろう?…………全く、人間の勝手なわがままに魔族を巻き込まないでほしいものだがな」
「……すみません」
「お前が謝る必要は無いだろう?この国の王にそれを言わせなければな。……さて、ここからなのだが、本当ならば町長を安全な場所まで連れて行きたい。しかし、私とてゼードたちが心配なのは事実だ。だから、このまま向こうへ合流する。…………お前はどうしたい?」
町長はその質問に対して即答をした。合流するということは、戦場へ赴くということである。自分が行ったとしても戦力になるどころか、足手まといだ。
「私も連れて行ってください!お願いします!!」
――でも、それでも、町長の意志は揺るがなかった。足手まといになって皆に迷惑を掛けてしまうかもしれない。だとしても、町長は自分の目でゼードの姿、そしてミュゼの安否を確認したかったのだ。
その受け答えを聞いて、スラーは満足そうな表情をする。
「完全に守りきれるとは保証できない。だが、ここまで来たのだ。お前に傷が付かないように尽力をしよう。そうでないと、ゼードに何を言われるか分かったものじゃないからな」
その旨を伝えると、自分の姿をまた変え始める。ぐにゃぐにゃと蠢いてから、小型の翼竜、ドラゴネットへと姿を変化させた。
「さぁ、この背に乗るといい。日常の中ではあり得ない特等席だぞ?」
町長の意思はとっくに固まっていたようで、小さく頷くと、何の躊躇も無しに竜の首元へ跨った。
「しっかりと掴まっておけ。追い付く前に振り落としていたら、気付かないだろうからな」
そう言い放つと、二つの翼を羽ばたかせ宙へ浮かぶ。
そして、開け放っていた地下牢の出入り口から高速で飛び出した。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
初めましての方は初めまして。
お久しぶりの方はお久しぶりでございます。
碓氷 修夜です。
19話です。あれ?この作品ってバトルバトルしてるものだったかな、とギャグが少ないと不安になっていた回でした。イツキとの戦闘は予想外、というか反則的な幕切れでしたが、そのくらい私の中でも強敵になってしまっていたのです。絶対的な相性を持っているのはこいつしか居なかった訳です。
無事に町長の救出に成功したわけですが、次回はまた違った視点からのお話になる予定です。期待していてください。
それでは改めまして、ここまでお読みいただきありがとうございました。