勇者と魔娘の3年間   作:碓氷 修夜

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☆登場人物
ゼード…ピース依頼事務所の所長。過去に勇者として魔王を倒した経験あり。

ミュゼ…魔族の娘。今はピース依頼事務所に住み込みで働いている。


トビ…中央国秘密部隊ハクジュンの成員。影で暗躍し、どんな命令でも断らない。しかし、その姿勢はやる気のなさが漂っている。

イツキ…ハクジュンの頭。刀使いで、三板という楽器を持ち歩いている。


ベルフェ…悪魔系のリーダー。皆からはベルと呼ばれている。魔力はピカイチだが、人語が話せない。魔族四天王の一人。

レント…植物系のリーダー。非攻撃的であり、戦闘スタイルも待ち伏せて敵を誘い込むのを得意としている。魔族四天王の一人。


カルドレア…現セントクルスの王。ある時期から人が変わってしまったかのようになる。


case:24   王城激震

「……ゼ…………ミュゼ……ミュゼ?」

 

 

誰かが私を呼んでいる。不確かな心地のまま目を開くと、そこは見慣れた個室だった。時刻は既に昼近く。珍しく寝坊をしてしまっていたみたい。昼ではあるけれど、陽が射し込むことはない。窓の外では暗雲が城を包むようにして高速回転をしているからだ。

そう、ここは魔王城――――。

 

私は伸びをしてベッドから降りる。床にあったスリッパを履いて立ち上がり、もう一度伸びをした。身体がだるい。少し寝過ぎてしまったためでしょう。寝間着から普段着に着替えるとドアノブを捻って外へ出る。

城内は閑散としていた。けれど、これは今日に限った話じゃない。この魔王城には私を含めて三人しか居ないのだ。その内の一人に至っては、寝る時でさえどこに居るのか分かったものではない。城内で生活しているのか、出掛けてそこに寝床を用意しているのかさえも不明だった。

 

階段でエントランスに降りて、そこから廊下を真っ直ぐ進む。突き当たった扉は食堂。ダメ元で立ち寄ってみたけど、中から人の気配がする。

私はノックもせずに扉を押し開けた。

 

「おや?おはようございます、ミュゼ殿。ゆっくり睡眠のお時間が取れたようで何よりでございます」

 

血の巡りが悪いのかと疑ってしまうくらいに白い肌。皺だらけの顔と老人特有の枯れたような声。私に気付くや否や、すっと姿勢を正して作業をしていた手を止める。どうやらちょうど調理をしていたみたい。けれども、それは昼食の準備らしく、無駄に長いテーブルの上には一人前の料理が蝿帳を被せて置いてあった。

 

「おはよう――もう昼だからこんにちはかしら」

 

料理中のハインツに声を掛け、私は自分の席に着く。食事が置いてあった場所。これは私の朝ごはん分なのでしょう。

 

「もうすぐ昼食が出来上がりますので、少し待っていてくださいませ」

 

「ありがと。それまでこれ食べとくわ」

 

蝿帳を外して朝食を食べようとすると、ハインツが焦ったように言葉で私を制止する。

 

「ミュゼ殿、そちらは冷えてしまっています。今、温かいものをお出ししますので」

 

「良いのよ。凄くお腹空いてるから」

 

それだけ受け答えすると、忠告を無視して食べ始める。確かに冷え切ってしまっていた。けれども、空腹を訴えていた身体にはそれで十分だった。空っぽで暇をしていた胃も漸く活動ができるようで喜んでいるみたい。次から次へと食べ物を口に運んでいると、目の前に飲み物が差し出される。調理の手を一時停止して、紅茶を入れてくれていたらしい。ハインツはしっかりと茶葉をお湯で開かせるため、私の姿が見えてからすぐに取り掛かっていたのでしょう。

お礼をしてからカップを口に近付ける。その瞬間から強い香りが鼻孔をくすぐる。ミルクティーにしたアールグレイかしら。そんなことを考えながらカップを傾けて一口。程良い温かさが、味や香りと一緒に全身へ染み渡っていくのを感じる。

ほっと一息つきながら、いつの間にか調理場へと戻っていたハインツに話し掛ける。

 

「そういえば、アンタどうしてご飯作ってたの?いつも私に訊いてからじゃない。珍しいわね」

 

「本日は魔王様が出てこられましたので、腕によりを掛けて準備しているのです」

 

その言葉に私は大きく反応する。なかなか会えないから、姿が見られるかもしれないと思って嬉しくなってしまったのだ。私の様子を感じ取ったのか、ハインツは一つ咳をしてから頼み事をしてきた。

 

「大変申し訳ないのですが、ミュゼ殿は魔王様を呼んできてはもらえないでしょうか?私はお食事の準備から手が放せません」

 

「良いけど、どこに居るの?」

 

「それは私にも分かりません。城内に居ることは確かなのですが」

 

「……分かったわ。ここに来たらすぐに呼びなさいよ」

 

「かしこまりました。では、お願い致します」

 

会話が終わるとすぐに朝食分の食事を平らげ、食堂から出ていく。来た道を戻り、エントランスの真ん中で立ち止まる。見上げると高い天井から、お世辞にも趣味が良いとは言えないシャンデリアが垂れ下がっている。

 

(さて……了承したもののどうしたものかしら。人が居ないくせに無駄に広いからね)

 

ハインツの管理が行き届いているため埃などが転がっている訳ではないけれど、数人だけで住むには広過ぎる。これからの捜索のことを考えるとため息を吐かずにはいられなかった。

 

そう目を落とした時だった。真っ赤なカーペットを汚すかのように土が零れている。掃除のし忘れ?いや、それはないでしょう。いつも引いてしまうくらい完璧に手入れがされているのに、こんな目立つところを欠かしているとは到底思えない。よくよく周囲を見回してみると、点々と土が落ちているのだった。拾い上げて魔力を流し込んでみると、異質さがより増していく。少なくともどこか別の場所から持ってこられたことは確かだった。

土は外に通じる扉から階段へと続いている。露骨な誘導に怪しさを感じるものの、侵入者の可能性も捨てきれないから行くしか選択肢は無かった。

 

通った形跡はエントランスから階段へ続き、私の部屋とは反対側に進んでいる。残された証拠を見ていって気付いたけれども、これは誰かがどこかの童話のように道しるべとして置いていったものではない。衣服に付着したものが徐々に剥がれていっているのか、運び込んだ土そのものを零しているようだった。浮き彫りになっていく不審な点に疑わしさは増す一方で、どんどん城の深くへ誘われる。

 

やっとのことで辿り着いたのは部屋の扉の前。廊下の脇から伸びた通路の行き止まりにある部屋。……けれども、ここはおかしい。ここであってはいけない。何故なら、本来"ここに部屋は無い"はずだからだ。いくら広いといってもずっと暮らしてきた住まい。だから間取りくらいは把握している。それなのに、見覚えのない部屋がそこに存在していた。

だけど、あり得ないと口にしながらも犯人が誰だか分かってしまった。頭が痛くなってきて、手でこめかみを押さえながら扉を開ける。

 

そこに広がっていたのは、植物園のようなドーム型の部屋。全面が曇りガラスになっていて、雲に覆われているはずだけどやけに明るさを感じられる。城の奥まった場所にある空間としては不可能なつくり。そもそも外見と内部の面積が一致していない。

それらの非現実を生み出した原因が部屋の中心に屈んでいた。

 

「一体何をしているの?"パパ"」

 

 

そう、私のパパ――魔王がそこに居た。

 

 

呼び掛けに気が付くと振り返って、腰を上げる。

 

「あぁ、ミュゼ。こんなところでどうしたの?」

 

「それはこっちの台詞。それよりここは何なの?」

 

「ここはボクが今日拓いた場所だよ」

 

「……さも当然のように空間を広げないでくれる?」

 

さらっと喋った内容は常人には理解の及ばないものだった。空間を自在に操り、しかも弄ったまま固定するなんて正気の沙汰じゃない。けど、あっさりと語ったのはいとも簡単に実現できるからに違いない。それを成せるのは、無限大な魔力を持っているパパか悪魔系のリーダーくらいでしょう。

 

「それよりどうしたの、その葉っぱ」

 

パパがしゃがんでいたのは円形に作られた花壇の側。そこの真ん中に一つの植物が植えられていた。10センチくらいの背丈しかない苗木。どうやら観葉植物のようだった。

 

「レントに貰ったんだ」

 

「やっぱり」

 

妙に納得した様子なのは、廊下に落ちていた土からレントの魔力を感じていたからだった。だから、追いながら犯人はレントじゃないかと予想をしていたけれど、これで全てが繋がった。

 

「何ていったかな……"幸せになれる木"だったかな?」

 

「随分と危なそうな名前だけど」

 

「結構大きくなるみたいだよ」

 

「……ふーん」

 

そこまで植物に興味の無い私は適当に相槌を打つ。

 

「経緯はどうでもいいけど、ここへ運んでくるまでに土を振り撒いてたみたいよ。後でハインツに呆れられても知らないからね」

 

「えっ!?……しまったなぁ」

 

パパは本当に気付いていなかったようで、困惑しながらもみあげを指で掻いている。

 

「でも意外。パパって園芸好きだったんだ」

 

「いやいや、これが初めてだよ」

 

「じゃあ、どうして苗木なんて貰ってきたの?」

 

私の問い掛けにパパは露骨に暗い顔をする。けれど、すぐに表情を笑みに変える。それでもどこか無理をしていそうな痛々しいもの。

 

「これから忙しくなるから、緑でも見て癒されようかなってね」

 

「……人間界に攻め込むこと?」

 

「……うん。大変だけど、やらなくちゃいけないんだ」

 

やっぱり心苦しそうで見ていられない。元々、パパは争いを好む方ではない。それなのにどうして、そんなに大きな計画を立てているのかと何度も尋ねているけれど言葉を濁されてしまうばかりだった。

 

「魔界だけでも領土は足りてるし、いざとなったらここみたいに空間を広げられるじゃない。今だってお金を納めてもらってる訳じゃないし、金欠でもないでしょ?どうして、わざわざリスクを背負ってでも侵攻しようとしているの?」

 

「それでも……必要なことなんだ」

 

「…………もしかして、人間に迫害されたことが理由?」

 

パパはその高過ぎる魔力のせいで人間界を追われたと聞いたことがある。そして、行き場所を失った果てに辿り着いたのがこの魔界なのだそうな。

しかし、ゆっくりと頭を横に振って否定されてしまった。

 

「復讐なんて虚しいだけだよ。する方もされる方も、プラスになることは何も無い。それにボクは人間を恨んだりしてないよ。誰だって理解できないものは怖いんだ。いつか自分に降り掛かってくるかもしれないけど、分からないから何が起きるのかも分からない。だから自分から遠ざけようとするのは、至って普通の感情なんだよ」

 

「じゃあ――」

 

パパはそれ以上何も言うつもりはないらしい。そこまで強情になる理由は分からないけれど、自分を曲げることは決してないでしょう。それなら私にできることは、サポートをして苦しみを和らげることしかなかった。

 

「パパならきっと大丈夫だよ。弱い人間たちになんか負けないって」

 

「ミュゼ、ボクもその弱い人間なんだよ?」

 

「あっ……」

 

こうして魔界に住んではいるけれどパパは人間。魔族よりも魔力を多く保有しているからその事実を時々忘れてしまう。

 

「パパは弱いかい?」

 

「……いいえ」

 

「人間は強い。でも、魔族だって強い。魔族を蔑視せず、人間を軽視せず、だよ。ボクはどっちも経験しているからね、どちらの強さも分かっているんだ」

 

「…………」

 

 

「ミュゼだって強い子だよ。――だから目を背けちゃいけない」

 

 

その瞬間、周囲の景色がガラスを落としたように砕け散った。ガシャンというけたたましい音と共に世界が割れる。崩れ去った景色の向こう側から現れたのは、真っ暗な世界。何も無いのではなく、何も見えない。色が付いているのはパパだけ。色というのはこんなにも温かいものなのだと再確認させてくれた。パパを視界に留めておかないと不安で仕方がない。

傍に駆け寄ろうとすると目で制止されてしまう。パパは優しく私に微笑み掛けると、ゆっくりと口を開いた。

 

「ボクは何も恨んじゃいないし、後悔もしていない。ボクの全てを彼に託したんだから」

 

真っ暗な世界の一部分にふんわりと何かが浮かび上がる。ぼやけた形だけど、それが何なのかを直感で理解することができる。パパのようには温かくなくて、とてもトゲトゲしている。それなのに、何故か安心する。そんな光だった。

 

「美しい記憶の中は自分も世界も輝いていて居心地が良い。でもね、それだけなんだ。そこから一切の広がりは無い。こればっかりは魔法や科学でもどうにもならないね。だから、記憶を増やしていくんだ。それがどんなに醜くて辛い記憶でも、動ける場所が広がっていく。ずっと同じ場所に留まっていたら、心と身体が死んでしまうからね」

 

(でも――)

 

反論しようとして、言葉が喉に詰まる。首を押さえようとして自分の状況に気付いた。私までも真っ暗なのだ。手も首も身体も声も真っ暗だ。

それでも、私はパパに向かって叫んだ。

 

(でも、現実は苦しいの!痛くて苦しくて…………パパが居なくて冷たい……)

 

私の声は音にならない。けれども、パパは真っ暗に塗り潰された私から感情を読み取ってくれたのか、さっきよりも穏やかな顔をする。

 

「だったら逃げれば良いよ。本当に辛かったら、無理して挑み続ける必要なんかどこにも無いんだからさ。逃げてミュゼという幸せを掴んだボクが言うんだから間違いないよ」

 

そう語る顔はこれ以上ないくらい幸せそうだった。

 

「聞こえているでしょ?ミュゼを呼ぶ声が」

 

私が俯いて黙っていると、パパの方からこちらへ向かって歩いてきた。

 

「大丈夫。彼ならきっと気付いて行動してくれるはずだから。……パパが保証する」

 

そのまま歩みを止めずに、パパが真っ暗な私と重なる。

 

――その瞬間、粒子になって溶けてしまった。

 

でも、消滅していない。

その温かさはここにある。

ずっと内側にあったんだ。

 

私は熱を帯びた頭を上げると、不確かな光に向かって走り出した。

 

 

胸の中にある温かさを感じながら――――。

 

 

大きな破裂音と共にカプセルが粉々となり、欠片が周囲に飛散する。ゼードがカルドレアの結界を利用してカプセルに飛び込んでから30秒後の出来事だった。再びガラスを打ち砕き、中からゼードが転がり出てきた。しかし、自らの意思で脱出した様子ではない。内部から現れたゼードは、くの字に身体を折り曲げて背中から落下し、勢いそのままゴロゴロと二、三回転してから床に伸びる。その異質な光景にベルだけではなく、カルドレアたちも呆気に取られていた。

 

「何よ……寝起き一発目から気分悪い……。頭に響くのよ」

 

声に反応して皆がこちらを振り向く。ぺチャリと液体で濡れた地面へ足を突き、カプセルの中から外へ歩いていく。

 

「ミュゼ!」

 

心底嬉しそうな表情をしたベルが声を掛けてくる。彼女が大声を上げるなんて、とても珍しいことだった。それに反応して、倒れていたゼードも顔を上げて怒鳴る。

 

「お前!折角助けに来てやったのに、ぶん殴ることはないんじゃねぇの!?」

 

突き出したままだった右腕を下ろし、左手でこめかみの辺りを押さえる。

 

「煩いわね。頭痛いって言ってるでしょ?……やけに身体も重いし」

 

重いというか気だるさがずっと残っていた。まるで寝過ぎてしまった休日のように。関節を動かす度に骨がポキポキと音を鳴らし、要領を忘れているのか筋肉が力の無駄遣いばかりする。余計に身体が重くなる原因でしょう。

 

ゆっくりと身体の様子を確かめていると、強い力の展開を感知する。そちらへ目を向けると、どうやらカルドレアたちが結界のようなものを張ったみたい。この感じはハクジュンが使っていた"魔法と似通った術"と同じものでしょう。起きた時は椅子に座っていた王が、いつの間にか私と距離を取るように反対側の壁へ移動していた。残存していた力を調べると、それまでは障壁のように張っていたらしいけれど、今度は自分たちだけを覆うようにして発動させている。無駄を省いて効率良く結界を維持させるためでしょう。

 

「よくもやってくれたわね。あの"もののふモドキ"には今度たっぷりお礼をするとして、アンタは許さないわよ」

 

「…………」

 

私の言葉にカルドレアは目を瞑ったまま黙りこくっている。微塵も心に響いていないとでも言いたげなようだ。その分、傍に居た二人の司祭は目に見えるくらい動揺していた。少し離れた位置に居たゼードとベルはこちらへ歩いてきて、王たちに身体の正面を向ける。

 

その時、背後から何かを肩に掛けられた。見下ろすと使い古された黄土色のコートが目に入る。ゼード愛用のコート。

それと同時に衝撃的な事実を視認してしまった。

 

 

「えっと……カッコつけてるとこ悪いんだけど、せめてそれでも羽織っとけ。さすがに裸のまんまってのは、俺も居心地が悪いしさ」

 

 

そう――コートを掛けられるまではずっと生まれたばかりの姿だった。私は小さく呻きながら上着に袖を通す。素肌の上からコートというのもガサガサして気持ち悪いけれど、この際何だって良い。

前までしっかりと留めると、後ろで待機していたゼードを近くに招く。何の不審さも持たずに近寄ってきた男の頭を、裾が捲れない程度に振りかぶって叩く。

 

「いっでぇ!!?」

 

「そういうのは先に言いなさいよ!!」

 

「指摘する前にお前が吹っ飛ばしたんだろうが!」

 

「どっかで割り込めたでしょ!?こんな醜態を晒す前に!」

 

「無茶言うなって!」

 

「それともサービスシーンだと思って放置してたの!?」

 

「思い上がりも甚だしいぞ!誰もお前の貧相な裸体見ても得しないから!!」

 

緊急事態にもかかわらず、ギャーギャーと騒ぎ立てる。けど、大目に見てほしい。私だって尊厳にかかわる緊急事態なのだ。

暴れる二人の仲裁に入ろうと、ベルが尽力していた。

 

『やっぱり俺たちはこうじゃないと。綺麗で美しく、なんてのは柄じゃないね。ね、ベル?』

 

『そんなこと言ってないで手伝ってよ!』

 

『いやー助けたいのは山々だけど、ゼードの魔気を無駄にはしたくないからね。ごめんね』

 

『調子の良いことばっかり言って……』

 

どこかからレントの声がする。言い争いながら耳を澄ますと、どうやらゼードの腕に巻き付いた植物から聞こえるみたい。正確にはそこから伸びた白い花かららしかった。ベルに話し掛けているのに人間の言葉なのは、ここまで通訳をしていたからでしょう。

 

 

そんなことを考えている時だった。何かがこちらに向かって飛来してきていたのだ。咄嗟に後方へと飛び退くと、ゼードも気付いていたようで背中側に重心を持ってきていた。けれども一歩だけ下がると、今度はつま先の方に力を籠めて地面を蹴った。理由は一目瞭然だった。運動神経が悪く、すぐには避けられないベルを助けるためだ。

私たちがさっきまで居た場所に赤黒いものが叩き付けられる。これは触手?顔を上げて、伸ばされてきた方角へ目を向ける。形状を保たず、外見を全て詰め込んだような物体がそこにはあった。口がどこにあるのかも分からないけれど、常に聞こえてくる叫び声。視界に捉えているだけで胃の辺りがキュッと締め上げられ、内容物を外へ外へと押し返そうとしてくる感覚に襲われる。真っ当に生きてきた人なら絶対に見ることはない存在。でも、見るのは初めてだけど私はあれが何なのかを知っていた。

 

「くはは。感動の再会といったところか。良いだろう、そいつは用済みだ。くれてやる」

 

『追い詰められたのに随分と余裕だね』

 

「ふん、貴様らこそあれをどうにかせねば未来は無いぞ?」

 

『どれだけ待ったって援軍は来ないよ?』

 

「ほぅ、ハクジュンを始末したか。もっと役に立つと思っていたのだがな」

 

二人が話している一方で、ゼードはベルを心配そうにしていた。

 

「どうした?具合悪そうだな」

 

手を引いて抱き寄せているベルの顔をまじまじと見つめてゼードが問い掛ける。ベルは嬉しそうな反面、恥ずかしさから逃れようと私に助けを求めてくる。

 

「魔気を殆ど使い果たしちゃって、もう魔法が使えないって言ってるわよ。……というかアンタ、ここでは魔法使えないはずでしょ?どうしてそんなに消耗してるのよ」

 

「ベルは魔素――だっけ?それを使わなくても魔気だけで魔法を出せたんだ。そっか、さっきの骸骨か。頑張ってくれたもんな。安心して後は俺たちに任せてくれ」

 

所長はとんでもないことをさらっと言ってのける。とんでもないことをしているのはベルだけど。魔素を取り払われているこの空間で、平然と魔法が使える時点でかなりおかしな話でしょう。例えるならば、真空状態の部屋で呼吸をしていることと同等だった。

それを踏まえても、ギリギリまで魔気を消費するなんて自殺行為に近い。魔気は完全に使い切ってしまったら、もう元には戻らない。大半の魔族は魔法に依存して生きている。それを失ってしまうとなると、日常生活を過ごすうえでも大きな穴が空いてしまう。命の危機に瀕していたとしても、全てを使い切るのには相当な覚悟が必要でしょう。

私はベルを視界に入れながら、脳内で盲目の人形師を思い返していた。

 

「あ、そっか。説明しないとな。あの集合体のことなんだが――」

 

「大丈夫よ。知ってるから」

 

「知ってる?あの中から俺たちの会話を聞いていたのか?」

 

「違うけど……分かるの」

 

"あの子たち"の姿を見たのは確かに初めてだった。けれど、ずっとその声は聞こえていた。カプセルは外部と完全に遮断されていた。だからこそ、内部に集中していたのかもしれない。もしかしたら、あの子たちが話し掛けてきていたのかもしれない。聞こえてきたのはきちんとした言葉じゃなかった。幾つも重なり、囁きのような叫びのような。それでも声として音にするということはつまり、誰かに届けたいからでしょう。その対象が他人なのか自分自身なのかは分からない。それでも、自分の気持ちを吐き出さずにはいられなかったのでしょう。

 

「……成る程な」

 

「なによ?」

 

「何でもない。さて、問題はアレをどうするかだな」

 

ゼードは意味深長な言葉を漏らしながらうんうんと頷く。しかし茶化している様子ではなく、真剣な眼差しで集合体を眺めている。事の重大性を理解しているからでしょう。

ゼードは人間。それでも、魔族と無縁とは言い難い立場に居る。2年前のあの日、魔王を倒して人生の方向性が決まってしまった。人間と魔族の共存――それをゼードは目標として掲げている。けれども、ゼードはそんなに崇高な人間じゃない。多少は自分の意思もあるでしょうけど、乗り掛かった船で現在を過ごしている。かの有名な勇者様が、流れに身を任せているだけの状態なのだと思うと笑ってしまいそうになるけれど、でもゼードでなければこうもいってなかった気がする。

正義感が強く魔族に対して敵対心を持っていれば、魔王を倒してもなお剣を鞘には収めなかったでしょう。争いを好まず和平を求めに来ていたとすれば、まず魔界へ訪れる前に問答無用で殺されていたでしょう。その点ゼードは、当時から魔族に対してそこまで興味を示していなくて、むしろ別の場所へ憎悪が向いていた。後から聞いた話だと、必要以上の戦闘は避け、さっさと目的だけを済ませようとしていたらしい。だからこそ、道中で殺されずに魔王城へ辿り着けたのでしょう。それに、"素質があった"とレントからも聞かされている。私はあまり運命という言葉は信じていないけれど、この男に関してはそれが当てはまるのかもしれない。

……ゼードは置かれている状況を後悔しているのかしら。星の巡り合わせが良かったら、こんなにボロボロになる生活は送らなかったはずでしょう。

 

と、ここまで考えて無駄な悩み事だったと自嘲的に笑う。もし問い掛けていたとても、きっとこの男のことだから

『どうせこうなってたさ。俺が勇者になってなかったとしても、お前らは出しゃばりだからどっかで会ってるよ。顔見知りには嫌われたくないから、なんやかんやで似た感じになってるさ』

なんてことを言うのでしょう。そんな"知人"のためにこんな場所まで助けに来る、馬鹿で正義感皆無のお人好しなんだから――。

 

「私が終わらせるわ」

 

「はぁ?お前知らんだろうが、アレに触られるだけですっげー痛いんだからな。自己修復するし、魔力だって吸収する。追い詰めているようでこっちも首の皮一枚だぞ。それにお前だって、閉じ込められてたから本調子じゃ――」

 

「問題無いわ」

 

だからこそ、私だって応えたい。私だって人間と無関係じゃない。人間社会の一端で過ごしている身としては、ゼードとほぼ同じ立場。唯一、違う点としては――。

 

私は大きく息を吸い込んでから、立ったままのカルドレアへ声を掛ける。

 

「無様ね。アンタは自分の勝手で何もかも失ったわ。人望も道徳も、そして王という位もね」

 

長い白髭から目を離さずに、無人となった玉座へ歩いていく。そして、あえて大きな音を立てるようにその椅子を蹴り倒した。それでも人の王は全く動じずに、利己的な態度だけを示す。

 

「目的のためなら、そんなものなど不要だ。いっそ煩わしいくらいだ」

 

『王という立場じゃなかったら、こんな大それた計画を実行できなかったんじゃないの?』

 

「それもそうだ。行使の力、その点だけは感謝している。だが、無駄なものを省いていくのも上に立つ者にしかできん。たとえそれが王位であろうとな」

 

「なら、さっさと死んだ人に固執してないで気持ちを切り替えたらどう?」

 

それまでどのような言葉をぶつけても全く響かなかったカルドレアが、私の一言で豹変する。目をぎょろっとこちらへ向け、怒りの感情を露わにする。

 

「知ったような口を効くな!貴様はあいつの何も知らないだろう!!」

 

「えぇ、知らないわ。でも、きっと奥さんが蘇生したとしても人の道を外れたアンタを見てドン引きするわ。私だったらそうだからね」

 

「貴様の意見などどうでもいい!口を慎め!大事な人を失う悲しみなど貴様に分かって堪るものか!!」

 

「分かるわよ!!私だって――」

 

堰を切って溢れ出した言葉をぐっと抑える。横目でゼードを窺うと目を伏せて深く考え込んでいた。ベルやレントもきっと同じような表情をしていたでしょう。私は頭を軽く振って気を紛らわすと、哀れな男に呼び掛ける。

 

「この世界にあるものはいつか終わりがやってくるの。生き物だけじゃなくて、創られたものにも。そりゃそうでしょ。永遠なんてものは存在しないの。だから、いつか訪れる最期は受け入れなくちゃいけない。自分であっても、他人であっても。ずっと先でも、すぐ近くでも。別れってそういうものでしょ?どこかに後悔する心があっても割り切らなくちゃいけないのよ。

……なんて偉そうに言ってるけど、そう簡単に割り切れないわよね。私だって何度復讐しようかと思ったわ。けど、その度に顔が浮かんでくるの。思い出を美化するつもりはないけれど、思い出は汚したくない。良い思い出も悪い思い出も、全部ひっくるめてあの人との思い出なの。私一人の感情で塗り潰したくない。皆が忘れても、私が思い続けていれば本当の意味で消えることはないのよ」

 

「なら、もっと多くで覚えてれば絶対大丈夫だな」

 

『忘れようにも忘れられないよ、あの人は』

 

『皆から慕われてたからね』

 

語っていた私の肩がポンと叩かれる。いつの間にか真横にゼードとベルが立っていた。所長の左腕から、存在を主張するかのようにレントの花も背を伸ばしていた。

キメ顔で肩に手を置いていたゼードは小声で話し掛けてくる。

 

「ミュゼさん、ミュゼさん?その……復讐は今もお考えで?」

 

「安心しなさい。最近は片手で数えるくらいしかないわ」

 

「今度から鍵掛けて寝るわ……」

 

 

「……復讐なんて虚しいだけ、ね」

 

「え、何?」

 

「夜道は気を付けなさい」

 

所長に注意喚起をしたところで、話を本題へと戻す。

 

「アンタ、人の心を考えたことないでしょ?不老不死や死者蘇生だって絶対じゃない。奥さんを生き返らせた後、アンタの魂の移し替えが失敗するかもしれない。そうなったら、同じ悲しみを奥さんに味わわせることになるのよ」

 

「そうならぬために多くの犠牲を払ったのだ!」

 

「そして何より、生き返った奥さんの気持ちはどうなのかしらね?」

 

「黙れ黙れ黙れ!!あいつらを飲み込め、集合体!!」

 

カルドレアの悲鳴にも近い怒号で集合体が再び行動を始める。身体全体を蠢かせ、孔をパクパクと開かせる。浮遊するでもないのに翼を羽ばたかせ、無数の手足が地面を叩く。行動前の予備動作、流動し続ける物体でもそれが読み取れた。瞬きはできない。動き出しの一瞬、それが明暗を分けるでしょう。

 

「どうすんだ!?何とかしてあいつの隙でも作るか?」

 

「作れるものならやってみなさいよ。アンタは万が一に備えて、ベルを守ってて。それと……王様への暴言でも考えときなさい」

 

「……了解っと。じゃあ、一任するぞ」

 

「はいはい、集中したいから静かにしてて」

 

『本当に大丈夫なの?』

 

「平気よ。アンタも早く魔気を回復させられるように努めなさい」

 

心配そうに見守るしかないベルを庇うようにしてゼードが右手で短剣を構える。今更だけど、左腕はぽっきりと逝ってしまっているらしい。レントの植物が巻き付いているのは、それを固定するためかしら。首の皮一枚で繋がっているというのは、あながち間違いじゃないかもしれない。そんな満身創痍の状態なのに、こちらにも気を配っているみたい。ベルを庇いつつ、私を助けられるように飛び込む用意もしている。何が『一任する』よ。信頼されているのか、されていないのか分かったものじゃない。

少しイラっとしたところで、程良い緊張感になってきた。何故だか笑みが零れてくる。あまりの馬鹿馬鹿しさに自分自身に呆れてしまったからでしょう。意思のある相手なら私の顔を見て何かしらのアクションを示したでしょうけど、集合体はその内部でしか行動原理が生まれない。だから、私が向こうに呼吸を合わせる。生きているのかも分からない集合体に呼吸が存在しているかという話だけど、要は目を凝らしていれば良い。

ひと際大きく息を吐いた次の瞬間、集合体が触手を伸ばしてきた。私はその動き出しを確認するや否や口を開く。

 

「――大地は時に揺るがす慟哭となる。時に鎮める休息となる」

 

「呪文!?魔法は使えねぇってさっき言っただろ!」

 

『……違うよ、ゼード。あれは魔法じゃない』

 

自身の魔素が凝集していくのを感じる。魔法はイメージ――創造だ。けれども、"これ"も原理は同じ。一旦固まりかけた形をわざと崩壊させる。そして再び積み上げる。また砕く。それを何度も繰り返す。自分の想像した形状へ、創造すべき形状へ。

猛スピードで迫りくる触手。目の奥がチカチカして塞ぎたくなるけど、視線は逸らさない。構成に難儀し、額から汗がつーっと流れる。顎に溜まった滴が大粒になって、重力に逆らいきれずに落下する。それでもまだ完成しない。焦っているつもりはないけれど、心臓が鼓動を刻み過ぎてはち切れそう。魔力か、それとも生命力を欲している触手が私へ手を伸ばす。もう遅いけれど、今からでも逃げ出したくなる。それでも口と創造の粘土をこねる動きは止めない。

その時、漸く頭の中でかちりという音と共にピースが嵌った。しかし、触手も私の肌から数センチしか離れていない場所にまで接近していた。触れるか触れないか、そのギリギリで最後の羅列を音にした。

 

 

「此の怨嗟は地より深く、忘却をも葬りて静止せよ!」

 

 

言葉と同時に触手が私を絡め取る。ゼードとベルの私を呼ぶ声が微かに耳へ届いてきた。それに応えるようにしてふっと息を吐く。視界を覆う内臓のような色。まるで、巨大生物に捕食されてしまったかのような光景。その色が徐々に焦げ茶色に染まっていく。例えるならば、ゼードのコートに黒いペンキをぶちまけたような色。そこからまた土色へ変色していく。文字通り土の色に。

触手は私に触れる寸前だった場所から凍るように石化していく。集合体本体も侵食を防ごうと別の触手を伸ばすけれど、石化した部分に触れる度にそこからまた侵食が始まる。私は腕を振って固まった触手を払いのけた。

 

――しっかりと固めた土はとても強く堅くなるけど、ただ固まっただけの土は弱く脆い。

 

手で軽くどかしただけなのに簡単に崩れ、砂となって溶けてしまった。一部を砕けば残りも勝手に崩壊するから、私はいとも簡単に全身を外へ脱出させることができた。それでも石化は止まらずに、どんどん集合体の肉体を蝕んでいく。身体に付着した集合体の欠片を払いながら目の前まで歩いて行った頃には、全てが石になっていた。

 

「……辛かったでしょう?」

 

私は石になった集合体を一撫ですると、パッと間合いを取る。固く握り締めた右手を大きく振りかぶり、力の限りで集合体を殴り付けた。

 

ピシャン……!!

 

まるで凍った水溜まりを踏み付けたような心地良い音。前には吹き飛ばず、少しずつ土にヒビが入っていく。

やがてそれが大きな裂け目になると、溶けるようにして石は砕け散る。無風だというのに、欠片は空気に乗って粒子化していった。

 

「ゆっくりお休み」

 

意識した訳じゃないけれど、すっとそんな言葉が零れ落ちた。

 

 

「な……何故だ!貴様……いや、ここでは魔法は使えないはずだ!何故魔法が使える!?」

 

「そんなのアンタお抱えの秘密部隊に訊いたらどう?私は見て真似しただけよ」

 

カルドレアは初め茫然とした表情をしていたけれど、次第に怒りの形相へと変わっていった。後ろに居たゼードたちも駆け寄ってくる。

 

「お前……ひやひやさせんなよ」

 

「あら、平和だとつまらないんでしょ?」

 

「最近は物騒過ぎて困ってんだよ。誰かさんが誘拐されたりとかな」

 

話しながら私に怪我が無いことを確認したゼードは、そのままカルドレアに視線を向ける。

 

「さ、チェックメイトだ、クソジジイ。もうその結界しか残ってねぇんだろ?」

 

二人の司祭は顔を引きつらせる。どうやら戦いの術は持っていないみたい。王は背の壁を杖で叩き、司祭たちの背筋を伸ばさせる。

 

「……して、どうするつもりだ?わしを殺すのか」

 

「殺――」

 

「殺さねぇよ」

 

即答しようとした私の言葉に被せるようにしてゼードが回答する。しかも、生かすという。

 

「ちょっとアンタねぇ、このまま見逃すって訳!?いくらアンタが甘ちゃんだからといって、魔族がこれだけ犠牲になったのよ!復讐とか関係無しに、人間としても魔族としても許せないわよ!!」

 

思わず感情的になって所長に詰め寄る。この期に及んで何を躊躇っているというのか。規模が規模なだけに温情の余地なんて無いはずでしょう。これにはベルも同意のようで、高速でうんうんと頷いている。

 

「待て待て!誰も見逃すなんて言ってねぇだろうが!!こいつにはしっかり裁判を受けてもらうんだ。その上でしっかり罪を償ってもらう」

 

「……どういうつもりだ?」

 

「どうもこうも、そのままの意味だ。嫌がらせの意味も込めてな。生物っていう大きな分類の道徳から外れたお前が、人間っていう小さな区分の法律によって裁かれるんだ。こんなにも滑稽な話は無いだろ?」

 

『でも、カルドレアは王様でしょ?きっと都合の良い判決が下ると思うんだけど』

 

「そん時は、裁判員も纏めて殺す。この国――いや、人間界そのものが腐ってそうだし、魔界にでも亡命するかね」

 

『じゃあ、俺は文句無いや。ゼードが魔界に住むってことになったら面白そうだからね』

 

「先に言っとくが、魔王は継がねぇからな?……どうだ?昔、牢屋にぶち込んだ相手に、今度は自分が牢屋にぶち込まれるってのは。最っ高の気分だろ?」

 

「ああ、最高だな。…………最高に気分が悪い」

 

悪意たっぷりの問い掛けにカルドレアは歯を見せて笑う。けれども、愉快だから笑顔を見せているのではないでしょう。表情には外見と内面の二つの感情が含まれている。純粋な感情であったら二つとも同じになるけれど、そんなに心が綺麗な人はむしろ稀有だったりする。一つは表面通りの感情。他人が表情を見たまま感じたもの。もう一つは内側に隠して他人には見せない感情。分かりやすい例が子供の嘘泣きだったりする。大声で泣き叫んでいるように見えてその実、構ってほしいから注意を引いている。歳を重ねるにつれてその巧妙さが増し、他人には胸に秘めた思いが窺えなくなる。

でも、この男の感情は内側のも溢れ出していた。怒りや憎しみ、更には蔑むようなもの。正確には分からないけど、とてもぐちゃぐちゃに捻じ曲がった感情。一般的にはこれを狂気と言い表したりもする。もしかしたら今になって現れたのじゃなく、ずっと前から内側に巣食っていたのかもしれない。本人にも自覚が無い形で。

 

「小僧、貴様には魔王討伐という功績がある。だから勇者という扱いで命までは奪わずに、二度目の牢獄生活で済ますという恩赦を考えていたのだがな」

 

「"元"勇者だ。お前にはもうそんな権利は残されてねーよ。それに、仮にそうなってたとしても三度目だけどな!」

 

「知らぬうちにまた罪を犯していたか」

 

「ほぼ冤罪だよ。あの戦闘国家の勘違い。お前こそ大人しく投降して、罪の告白でもしたらどうだ?案外、王位剥奪なんかで情状酌量してくれるかもよ」

 

冤罪については思い当たる節があるけれど、今は関係無いから黙っておく。

 

「時すでに遅し、だ。人道を踏み外したわしの後方には無が広がっている。行き着く場所まで進まねば何も残らん。誰にも理解されなくとも、それがわしの決めた王道なのだ」

 

そう呟くと司祭たちに指示を与える。二人は困惑しながら命令に従った。驚くことに自分たちを覆っていた結界を解いたのだった。これには私たちも顔を歪ませる。一体どうしたのか理解できなかったのだ。

 

「素直に観念する……って面じゃねーな。何がしたいんだよ、お前は。無駄な足掻きだぞ?」

 

「…………」

 

カルドレアは俯いたまま震えている。ここからでも持っている杖が揺れているのが見えるくらいだった。とても険しい顔をしたまま、手にも力が籠っていた。

やがて、何かを決心したかと思えばポケットから何かを取り出してこちらへ投げてきた。それは拳くらいの球体が五、六個。けれども、所詮は老人の投てき。速度はかなり遅い。前に走り出したゼードは床に置いてあったナイフの束を蹴り上げる。顔の高さまで浮かんだそこから、引き抜いた一本で黒球を切り裂いた。

 

けれども、切断した隙間からバシュゥゥという気の抜けた音と共に白煙が噴き出す。

 

「なっ……!?毒か!!?」

 

『ただの煙幕だよ。害は無いみたい』

 

一つ切ったところで異変に気付き、袖で口元を覆っていた。切り損ねた他の球も地面へ転がってから同じように煙幕を吐き出す。たちまち周囲は白く曇り始め、数歩先も見えないくらいになってしまった。

 

「くっそ!全然見えん!クソジジイを逃がすなよ!!」

 

「そんなこと言われたってどうしようもないでしょ。アンタこそ入り口でも塞いできたら?」

 

『塞いだら煙が留まったままになっちゃわない?』

 

そんな緊張感があるのか無いのか分からないような会話をしていると、機械音が鳴り響く。多分、カルドレアが装置を起動させたのでしょう。また魔族の犠牲が増える、と焦り始めたところに追い打ちを掛けるような事態が発生する。突然、視界ゼロの空間から悲鳴が聞こえてきたのだった。声の主はあの司祭たちでしょう。何か不測の事態が起きたのは確かでしょうけど、煙のせいでさっぱり分からない。聞こえてきた方向から場所を探ろうにも、起動音が喧しさを増していて特定には至れない。

 

「ミュゼ、さっきの石化の応用的な感じで探知できねぇのか!?」

 

「見聞きしただけで発動できたのってかなり凄いことなのよ!?そう簡単に言わないでくれる?できても時間が掛かるわ」

 

「じゃあ時間掛かっても良いから頼む!」

 

「それより煙が晴れる方が早いと思うんだけど」

 

「なら、このまま突っ込んで――」

 

動き出そうとしたゼードを呼び止める。そして、できる限り低い声を作って話し掛けた。

 

「闇雲に動くのは止めた方が良いわ。……足の裏に神経を集中させてみなさい」

 

「……"何か居る"…………!?」

 

装置が騒音と震動で邪魔をしていて分かりにくいけれど、それとは別の存在が動いている。かなりの重量を持つものが、ズルッズルッと地面を這っているかのような感覚。煙の中でまた集合体を創り出したのかもしれない。

 

そんな焦燥感に駆られていた私たちが晴れた視界に捉えたものは、とんでもなく衝撃的なものだった。

 

「これは…………」

 

 

セントクルス城、地下深く。そこでは秘密裏に外道のような実験が進められ、数多くの魔族が犠牲になった。その首謀者は国王カルドレア。

そして、目の前に居る"そいつ"もカルドレアの変わり果てた姿だった。

 

「グオォォォォ……」

 

そいつはかつて人間だった頃には想像できないくらいの呻き声を上げた。さっきの集合体のようだけど、使われた肉体の総数が少ないのかまだ形を保っていた。大きさは3メートルほどで、天井すれすれにまで迫っていた。表面は青緑色の堅そうな鱗に覆われ、下半身は蛇のような尻尾を生やしていた。脚は無く、腕の代わりに羽のような鎌が左右に三本ずつ突き出ている。顔は醜く歪んでいて、同化し掛けている王冠だけが王だったと辛うじて判断できる材料になっていた。二人の司祭は身体を深く切り裂かれ、部屋の隅で息絶えている。おそらく鎌で攻撃されたのでしょう。飾りのようで大きな殺傷力を持っているらしい。もはや、敵味方の区別もついていないのでしょう。

 

「こいつ、自分を混ぜやがったな!そんなことしたら戻れなくなるんだぞ!お前が一番良く分かってんじゃねぇのか!!」

 

ゼードが歯を食い縛りながら叫ぶ。けれども、その声はもうカルドレアには届いていない。一度肉体同士を纏めてしまったら元には戻れない。さっきの集合体やゴーレムで王も学んでいたはず。それなのに、自らを素材にした。人間の姿を捨ててまで捕まりたくなかったのかしら。

……違う。カルドレアは不老不死を諦めたけど、"もう一つの目的"のために動いている。

 

「エマ……何処ダ…………エマ……」

 

この『エマ』というのが奥さんの名なのでしょう。殆ど自我を失っていても、本能のまま名前を呼び続けている。どれだけ本気で愚かな行いをしていたかが察せられる。

 

「やっぱお前は自分勝手だよ。お前なんかが特別じゃない。皆、辛いこと苦しいこと忘れたいことを受け止めて生きてんだよ。どんだけ見た目強くなってもなぁ、心の弱さは変わんねぇからな」

 

『終わらせよう。俺らのため、殺された魔族たちのため、そしてカルドレアのためにもね』

 

『……くるよ!!』

 

ベルが魔族語で声を上げるのとほぼ同時に、カルドレアの鱗が私たちに向けて放出される。レンガ並みの大きさと厚みを持った鱗は、押し潰そうと高速で回転しながら飛んでくる。

 

「ミュゼ、弾けなかったやつのフォローしてくれ!」

 

そう言ってナイフを構えたまま一歩前に出る。私は言われた通り、ゼードの後方とベルの中間に入った。そして飛来してきた鱗をナイフで迎撃する。

ガチンという短く高い音を上げて叩いたけれど、勢いに負けて手からナイフが弾き飛ばされる。丸腰になったゼードは、情けない声を出しながら横っ飛びをした。

 

「うえっ!?固ぇ!!」

 

「だからって避けないでよ!ぶっ飛ばすわよ!!」

 

「しゃーないだろ!?」

 

女の子二人を見捨てたくせに言い訳までしている。ゼードが居なくなって直に飛んできたものを私は拳で殴り付ける。確かに堅くて重い。完全に勢いを殺すことは難しく、私でさえ方向を変えるので精一杯だった。

持久戦にもつれ込んで鱗を全て射出し終えたら、幾分か楽になると思ったけれどそう上手くはいかないみたい。飛ばした部分はツルツルになるけど、またすぐに体内から堅そうな鱗が浮かび上がってきた。その一工程の間に様々な箇所から鱗が飛んでくるため、懐に飛び込む隙を与えてくれない。

いつの間にか私が攻撃を凌ぎ、ゼードがベルの盾という立場の逆転現象が起きていた。

 

「アンタたち、私を助けに来たの?それとも助けられに来たの?」

 

『助けに来たはずなんだけど……』

 

「助けたんだから、次は助けて!お願いします!!」

 

『二人とも情けないねー。あ、無論俺も情けない組だけどね』

 

私の救出隊はただのお荷物に成り下がってしまったみたい。むしろ、よくこれでここまで侵入できたと一周回って感心してしまう。……そんな会話をしているけれど、少しでも気を抜いてしまえば全身を殴打されるでしょう。それくらいの猛攻だった。これならもう一回、ハクジュンの"魔法でないもの"を使った方が良いかもしれない。

その考えに至り、私は急いで呪文を唱えるために口を開く。だけど、急に視界がぼやけ始めた。

 

――あれ?

――――おかしい。

 

 

――――――身体が動かない。

 

魔気を"魔法でないもの"に転換させようとした瞬間、私の身体から力という力が抜けていく。腕を上げることもままならず、自力で立つこともできなくなってその場にペタンと座り込んでしまう。幾つかの鱗が迫ってくるのが見えるけれど、防御も回避もできないでただ眺めるしかなかった。

 

そのまま私は鈍い音を耳に残しながら後ろへと弾き飛ばされる。けれども、そこまで大きな痛みは感じない。それはそうでしょう。鱗が直撃したゼードの衝撃に巻き込まれて倒れ込んだだけだったから。

 

「悪い……調子乗ってお前に頼り過ぎた」

 

突然動けなくなった私に気付いて、咄嗟に飛び込んでくれたのでしょう。そのせいか、まともに防御姿勢に入れなかったようで、全身に堅い鱗を食らってしまったらしい。ゼードの肩が頬に当たって後ろに倒れ込んだため、顔がかなり痛いけれど所長に比べたらなんてことはない。痛みで瞑っていた目を開いて真上を見るとベルが屈み込んで、私たちを心配してくれていた。最初はそれなりに離れていたから、思ったよりも後方に吹き飛ばされていたようだった。

金属音に気が付いて向こうを見ると、ナイフが一本床で跳ねていたところだった。私を庇いながら持っていたナイフを投てきしていたらしい。けれども、堅い鱗に覆われた肉体にはかすり傷一つ付けられていなかった。それでも効果はあったみたいで、衝撃に反応して身体を変化させ始めている。より強固にしているのでしょう。作り変えている間は攻撃を停止していた。大きな隙だけど、反撃に移る気は起きなかった。

 

「復帰したてで身体重いか?後は俺が動く」

 

「え、えぇ……」

 

私は煮え切らない返事をする。自分自身、今の状態について困惑していたからだった。

 

(さっきのは身体が重いとかじゃなかった。全く自由が利かなかった。身体から何もかもが抜けていくような感覚。そう、これじゃあまるで"あの時"みたいに――)

 

そう思いながら私は自分の身体を見回す。と、そこで私の手に何かが付着しているのに気が付いた。真っ赤な血。べっとりとまだ乾いていない血。手だけではなく、太腿も湿っているように感じる。よくよく考えたら、ゼードが私の下半身に覆い被さっているような状態になっている。いくら庇って倒れ込んでいるとはいえ、コートの下は何も着ていないため、そこに頭を預けられていると私も居心地が悪い。けれども、払いのけられるはずもなかった。

何故なら、出血しているのはゼードだったからだ。

 

「アンタ!?俺が動くって、血だらけじゃない!」

 

どうやら出血しているのは頭かららしく、起き上がったゼードの頬を伝ってぽたぽたと地面を汚していた。すぐさまベルが水色のハンカチを取り出して、慣れた動作で頭に巻いて止血をしていた。それでも出血が酷いのか、見る見るうちにハンカチが黒く染まっていく。

 

「多分、お前らが思ってる以上にヤバい。すげぇ寒いし」

 

「じゃあ――」

 

動くのを止めようとしたところで、突然ゼードが私が着ているコートのポケットをまさぐり始めた。

 

「ちょ、ちょっと!!?こんな緊急事態にどこ触ろうとしてんのよ!!?変態!訴えるわよ!!」

 

驚き叫ぶ私を横目に何かを取り出した。ポケットから引っ張り出したもの、それは見覚えのあるものだった。

深緑色の手袋――私がバースデープレゼントで渡したものだった。

それを震える手で両手に着けると、満足そうに笑う。

 

「うん、これで問題無い」

 

「……今の今まであるの忘れてたんじゃないの?」

 

「大事に取ってあったんだ。滅茶苦茶あったかい」

 

息を手袋に吐きながらポンポンと手を叩く。流れ出た血液で左目を開くことができないみたいで、ずっとウインクしている形になっていた。とても痛々しいけれど、どこか自信に満ち溢れている。

やはりおかしな人間だ。だけど、それに期待している私も負けず劣らずおかしいのかもしれない。

 

「手だけじゃ寒いでしょ?」

 

「あぁ。だからさっさとけりをつける」

 

フラフラと立ち上がるゼードをベルが支える。私は大きく息を吐き、吸うのと同時に身体に力を籠める。もう妙な感覚は無いみたい。私も後に続いて立ち上がる。

 

「あいつを止めてやる義理はねぇが、ずっと前から一泡吹かせてやりたかったんだ。計画を阻止して、そして二度とそんな気が起きないようにしてやる」

 

補助してくれていたベルの顔を見てその手を引き離し、自分の足だけで身体を支える。まだよろよろと危なっかしいけれど、首だけを動かして肩越しに私たち二人を覗く。その目に映っていたものに負の感情は欠片も見られない。

 

「けど、俺は御覧の有り様だ。無理しない程度にサポートしてくれるか?」

 

問い掛けながらにっこりと笑う。傷だらけの身体に思わず目を覆いたくなるけど、不思議と安心感がある。それに対して私は真剣に頷く。ベルも同じ感情を受け取ったのか、胸に手を当てて首を縦に振っている。

ゼードが顔をカルドレアに戻すや否や、ベルが私の傍に駆け寄ってきた。

 

『ミュゼ、私にもさっきの教えて!』

 

『良いけど……アンタも知ってるように"教える"って難しいわよ?』

 

魔法はイメージ。頭の中で思い浮かべたものを創造する。だからこそ、ある程度の基礎は教えられても完璧を教えるのは不可能に近い。それこそ、脳内が丸々同じ人でなければできないでしょう。そんなことが可能なら、伝言ゲームなんてものは丸写しの共有で楽しくもなんともない。

ベルは私より魔法に長けているはずだから、言わずとも理解しているでしょうけれど。

 

『だから感覚を共有させて?』

 

『ここじゃ魔法は――』

 

そう言い掛けたところでベルが私の手を握ってくる。その途端、まるでベルの全てが私に流れ込んでくるような錯覚に陥った。おそらく、向こうにも私が伝わっていっているはず。さっきベルは魔気だけで魔法を使っていたと言っていたから、それを利用しているのでしょう。

それにしても――。

 

『これで大丈夫でしょ?』

 

『……アンタさっき魔気使い切ったって言ったわよね?そこら辺の人より全然残ってるじゃない』

 

『減ってるよ、"10分の1くらい"に。急激に減少して気分悪くなってたけど、もう慣れたから大丈夫!』

 

つくづくこの子の無尽蔵さには驚かせられる。けれども、これなら私の魔力も補ってもらえそうだ。いくら"魔法でないもの"だとしても、魔素の無い空間で使い続けるのは困難だったからだ。

 

『さあ、頑張るよ!ゼードのために!!』

 

『癪だけどね』

 

私たちがイメージを練っている一方で、ゼードも腕から生えた花と喋っていた。

 

『ゼードにしては、やけにやる気だね?』

 

「そうか?まぁ、前々からあいつには借りがあったしな」

 

『もしかしてミュゼを危険な目に遭わされて怒ってる?』

 

「それも含めて、だ」

 

『含めて?』

 

「ミュゼは勿論、一般人の町長や魔族たちも巻き込みやがって。自暴自棄になるのは構わねぇが、だったら他人に迷惑掛けるなって話だよな。それに何より、自分だけが悲劇のど真ん中に居るって勘違いしてんのが気に食わねぇんだよ」

 

言い終えた途端、ふらりと少しよろめいた。けれども、すぐに持ち直して調子を確かめるように足の裏で地面を蹴る。

 

「……レント、俺で魔力を補ってるって言ってたよな?ってことは、俺の身体の様子が分かるってことか?」

 

『うん。目を逸らしたいくらいにバッチリと』

 

「あとどれくらいなら動けそうか?」

 

『0分。思ってるよりダメージ大きいよ?後遺症残したくなければ、ここは戦略的撤退をオススメするけどね。ミュゼと町長の奪還は成功した。本来の目的は達成しているんだよ。作戦は遂行しました、これ以上何をお望みで?』

 

レントからストップが掛かる。私から見ても出血が酷く、肌から血の気が引いて青白くなっている。立っているのもやっとでしょう。しかし、所長は笑いながら短剣を右手で握る。

 

「じゃあ、言われた通り"59秒"で終わらせないとな。本当にまずかったら、お前から先にこの話題を口に出すだろ?」

 

『……やれやれ。魔界に救護班を用意させておくから、なるべく早く済ませてよね。出血多量で死んでも責任取れないよ』

 

そしてゼードは顔を上げる。視線の先はカルドレア。カルドレアも身体の再構成が終わったようで、きちんと見えているかも怪しい瞳で私たちを見下ろしている。

 

「いい大人なんだから物事の善悪くらい自分で判断しろよ。勿論、自分の物差しじゃなくて客観的な目線でな。クソジジイには難しいか?じゃあ、一例として。今のお前は誰がどう見たって悪だ。この世では償いきれないくらいのな。けど、俺も他人にどうこう言えるような聖人じゃねぇ。どうこうすんのもめんどくせぇしな。だから、"次"はそういった奴に会えるように祈っとけ」

 

そう喋り出して一歩ずつ、よたよたと前へ進んでいく。子供が歩く速さよりも遥かに遅い。けれども、しっかりと確実に足を踏み出していた。言葉が届いたのかは定かじゃないけれど、カルドレアが叫び声を上げる。そのまま、先程と同じように全身の鱗を隆起させるとゼードへ向けて放たれる。標的のゼードは歩くのに精一杯で、攻撃を受け流すことはおろか、回避にも移れないでしょう。でも、無抵抗のはずなのに身体に当たる寸前でピタリと停止して床に落下した。隣からはベルの呪文を唱える声が聞こえてくる。私も負けてはいられない。蛇のような尻尾から剥がれたばかりの鱗を石化させ、粉々に砕く。

 

「俺はお前のせいでなりたくもねぇ勇者になっちまった。そんで魔界に行って、沢山の奴らと出会った。そしたらどうだ。俺は自分のことでさえパンクしそうってのに、お前のせいで守りてぇもんが増えちまった。……間違いを正してくれる大切な仲間だ」

 

自分を奮い立たせるための独り言か、カルドレアに向けての説教なのかは分からない。でも私にとっては、さっき『ゼードが勇者になっていなかったとしたら』という回答をもらった気がした。くだらないことに脳のリソースを割いてしまったと呆れ、どこか嬉しくもあった私は籠める力を更に強くする。

ゼードの歩みは次第に速くなっていく。初めは前に進むのがやっとだったのに、今ではもう普通に走っている。どこにそんな体力が残っているか不思議だけれど、らしいと言っちゃらしい気がする。助走の勢いでカルドレアの数メートル手前から深く踏み込み空へ躍り出る。その高さはほぼ天井のカルドレアの目線と同じくらい。

カルドレアは殺意を向けられているのを感じ取ったのか、並んだ鎌の両腕でゼードを迎え撃つ。私たちはそれに合わせて呪文を唱える声を大きくした。連なった鎌の片方は空中で歪に捻じ曲がり、もう片方は石となって崩れ落ちる。

 

けれども、破壊される直前でその内の一本が身体から分離してゼードへ刃を向ける。ゼードは雄叫びを上げながら迫り来る刃物に短剣をぶつけた。攻撃を弾いて戦う普段のスタイルからはとても想像できない姿だった。四方に大量の火花を散らして、二つの金属が交差する。じりじりと鍔迫り合いをしていたけど、キンッという高い音を最後に刃物同士の衝突が終息を迎える。鎌を退けることには成功したようだけど、ゼードの手からも短剣がもぎ取られてしまった。

空中での勢いを殺され、自然落下する。しかし、そのまま私たちに声を飛ばしてきた。

 

「もっとだ!もっとあの堅ぇのよりも強いやつ!強いのを寄越してくれ!!」

 

私ははっと目を見開く。絶え間なく射出されている鱗の対処を、手のひらを通してベルに任せると伝え、私は別のものを創造する。

 

――ただ固まっただけの土は弱く脆い。けれど、しっかりと固めた土はとても強く堅くなる。

 

どこからともなく土や砂が風に吹かれ集まってくる。創造する場所は空いたゼードの右の手の中。

 

 

その手にしっかりと収まり、且つ強く――堅く――。

鱗に覆われた肉体を穿ち――貫く――。

 

 

砂の一粒一粒ががっちりと結合して、より繋がりを強固なものにしていく。手元から順に形が構成されて先端まで創造されたとき、それは"土の剣"になった。

 

ゼードは指先で確認するように柄をなぞると、満足したかのようにしっかりと握り締める。更に手の上から植物が巻き付いて、絶対放さないようにサポートした。地面に着地した勢いのまま膝を曲げると、バネが弾かれたように再度カルドレアに向かって飛び掛かる。一瞬、剣先が床を擦ってバチンと火花を散らした。これだけでも創出された練度を察することができるでしょう。私がいま創り上げられる最高のもの。それをあいつに贈る。

 

肘を曲げ、目線の位置まで剣を持ってくる。その切っ先は留まっていた空気を裂き、一点に向けて伸ばされる。

カルドレアも本能で感じ取ったのか、攻撃用に飛ばしていた鱗を障壁となるように前面へ展開した。二重、三重――それこそ分厚く防壁というのに相応しいものになる。それでもゼードはその壁、その奥へ向けて全力の一撃を放つ。

 

――衝撃。

巨大な力がぶつかったため、周囲の空気が押し潰される。あまりの反動に髪を延々と靡かされ、衣服もばたばたと吹き荒らされる。隣のベルも愛用しているとんがり帽子を風に奪われ、後方へさらわれていく。それでも風が止むことはない。力が拮抗しているようで、剣と障壁は互いを押し込もうとして離れない。完全に停止している訳じゃなくて、僅かに押したり押されたりで接着点の座標を変えていた。双方の思いの丈をぶつけているのでしょう。

 

「確かにお前の気持ちは強いよ。……けどなぁ、俺にはお前に負けない絶対の理由がある」

 

ガキィィン!!

 

鱗に突き立てられていた剣とは別に複数の威力が加わった。切っ先を中心に円で囲うかのような追撃。それは動かないはずの左腕から伸ばされていた。青々とした緑。ゼードの魔気を糧として活動している植物によるものだった。

 

『俺だってただの通信機じゃないんだよ。代わりに、ちょっと多めに消費しちゃうけど』

 

一対一で均衡を保っていた状態に一人分の力が加算されれば、どうなるかは明らかでしょう。けれども、レントは力で押すのを目的としていないようで、どっちかといえば抉じ開けるような援護をしているみたいだった。剣を丸く包むような植物の突きは、内側へえぐり込むように進んでいく。剣と植物は壁のその一点に力を掛け続ける。

 

そして、耐えきれなくなった鱗の防壁に小さな亀裂が走る。カルドレアは修復を試みるけれど、大きな隙を見逃すほど愚かじゃない。

まるで見えない何かがゼードの背中を押すように更に力が加わる。理由は自然と私の中に流れ込んでくるのですぐに理解できた。防壁を構成するために全ての鱗が防御に転じたため、手の空いたベルが背後から力を与えているのだった。

無論、私だって剣の創出だけして傍観していた訳じゃない。剣に力を流し込み、先端からそれを放出する。より深くへ到達できるように。

 

「俺は皆の力を借りて戦ってんだよ!!皆の気持ちを背負って戦ってんだよ!!!」

 

 

ピキッ…………!

 

様々な轟音が鳴り響く空間に小さな音が鳴り響く。一つや二つではなく、無数の亀裂が壁全体に刻み込まれていく。その進行を妨げるものは何も無い。

 

 

「『「『いっけぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!』」』」

 

四人の声と力が重なり防壁を突き抜ける。貫いた後も止まることはなく、カルドレアの身体目掛けて吸い込まれていく。

 

「グオォォォォ………………――――――!!?」

 

 

 

 

 

 

(――――――――――エマ――)

 

 

半壊状態の礼拝堂。壁や天井には穴ぼこが無数に開き、内装は焦げ付いている。屋内なのに空が見える素敵な物件は、月光が隙間から注ぎ込んでいた。

その光に照らし出されるように一人の男が床にうつ伏せで倒れていた。息は絶えておらず、目も開いている。しかし、起き上がる気力は残っていないらしく、そのまま朝を待とうとしていた。

 

(…………)

 

彼は黙ったまま数刻前の出来事を思い返していた。

 

 

「サンキューな、ゴラド。もう帰っていいぞ?」

 

「え?まだ一分くらいしか経ってないぞー」

 

「うん、大丈夫。まだ出番はある"かも"しれないから。はい!ゴラドさんお帰りでーす!!」

 

「ちょ、ちょっと待ってく――」

 

赤いドラゴンの叫びも虚しく、黒い雲に飲み込まれて消えてしまった。どうやら、入り口で待機していたとんがり帽子の魔法のようだ。

ドラゴンに殴られて吹っ飛ばされたトビは、女神像を破壊してから壁にぶつかって漸く止まった。そのまま重力に従って祭壇を転げ落ちる。想定外の一撃に、身体が言うことを聞かない。

指先すら動かせずに倒れていると、足音が二つ近付いてくる。それらは傍で停止すると、声を掛けてきた。

 

「ずるいなんて言うんじゃねーぞ?端から正々堂々と一騎討ちするつもりなんてなかったしな。それにお前が前に話したんだぞ。自分の弱みを理解しろ、って」

 

「……言わねーですよ。"殺し合い"にルールなんてものは存在しねーですから」

 

「…………」

 

心臓を動かすだけでやっとのはず身体は、何故だか口からは達者に言葉がぽんぽんと転がり出てくる。

 

「何をぼさっとしてやがんです?さっさと止めを刺したらどーです。……それとも見逃してくれるんですか?」

 

「んー、じゃあ見逃すかー」

 

「……本気で言ってやがんですか?」

 

「ここで嘘ついてどうなるんだよ。それに俺、生まれてからこのかた、嘘なんてついたこと無いですし」

 

「~~?」

 

「律儀に突っ込まなくていいから」

 

倒れているトビには二人分の靴しか見えない。さっきまで礼拝堂内には敵意が渦巻いていたが、今は綺麗さっぱり消し飛んでいた。

 

「それに今日はお前らが誘拐した連中を助けに来ただけだから。お前の相手をしてるだけ時間の無駄なんだよ。……それに、お前にも助けなきゃいけねぇ奴が居んだろ?」

 

「…………」

 

「あんな話聞いといて、同情するなって方が無理な話だろ。ここで殺すと後味わりぃし。あと、顔も知らない奴に凄い恨まれそうだしな。俺、とーっても心の清い持ち主だから」

 

「~~??」

 

「あの……不思議そうな顔されると困るんだけど。こう見えて結構デリケートだから、意外と凹むよ?」

 

すぐ傍に立っていた人間はため息をついてから、ゆっくりとトビの横を通り過ぎる。後をついていくかのように、女物のブーツを履いた魔族も歩いていく。

それからトビを気にする様子は無く、二人とも女神像の下から続いている隠し通路へ降りていった。

 

 

(…………)

 

この時、トビは何を考えていたのだろう。妹のことか、ゼードのことか、それともセントクルスの今後か。微かに瞬きをしているのが判別できるくらいで、全くと言って良いほど動かないのだ。そのため、外部からではその表情を読み取ることは不可能だった。

 

 

ギイィィィ……。

 

物思いに耽っていたトビは、礼拝堂の扉が押し開けられた音を耳にする。彼の視界には何も映っていなかったが、何者かが接近しているのを察知した。

 

「あれ、どーしたんですか?そんなみすぼらしい恰好しちゃって。まさか無様に負けて、命からがら逃げてきたんですか?"お頭"」

 

トビが姿の見えない相手に声を飛ばす。そいつは感心したように息を漏らすと、もはや役目を果たせそうにない長椅子の側面に背を預ける。

 

「よくわんだと分かったな。気配は隠していたつもりなのだが」

 

「だからですよ。全く気配を感じねーのは親方くらいしか居ないですから」

 

カッチャカッチャカカカカ――――。

返事の代わりに聞こえてきたものは、聞き覚えのあり過ぎる三板の音色だった。来訪者はイツキ。ハクジュンの頭にして一番の強者。

トビは軽口を叩いていたが、このイツキが戦いに敗れたと知って内心かなり動揺していた。

 

「貴様も随分と派手にやられたようだな。これは後始末に骨が折れる」

 

イツキは今にも崩れてきそうな内装をぐるりと見回しながら大袈裟に語る。

 

「勇者にそんなに後れを取ったか」

 

「あの野郎相手になら勝ってましたよ。純粋にモンスターに負けたんです。不意打ちだったんで普通に油断してましたね。言い訳のしよーもねーです」

 

「油断か……。わんにん油断が敗因だな」

 

イツキは自嘲しながら、床に何かを落とす。トビは耳元の騒音で煩わしそうに顔をしかめた。力を振り絞り、イツキからの落とし物を確認しようと頭を動かす。やっとのことで視界に映ったそれは、長い鞘と真ん中でぽっきりと折られた"鉄くず"だった。

 

「こりゃーお頭も完敗ですね。命があっただけ儲けもんってやつですか?」

 

「いや、武人にとって刀は魂そのものだ。死しているのと変わらん」

 

「へー、そりゃまた」

 

「どうやら残心を欠いていたようだ。そんな当たり前のことを失念していたとは、初心を思い返さねばなるまいな」

 

イツキは手に持っていた三板をポケットにしまうと、背もたれにしていた長椅子から身体を離す。そして、姿勢を正して真剣な表情をしながら口にした。

 

「やはり強敵と対峙するというのは、何かしらを学ばせてくれるな。……そして、トビ。貴様も勇者から影響を受けたような顔をしているな」

 

「……そっから顔、見えてねーじゃねーですか」

 

「そんな気がしただけだ」

 

「……どーですかね」

 

トビは顔を伏せたまま答える。倒れたまま横を向き、表情や仕草などを見せないようにしているのだろう。図星かどうかは本人にも分からない。彼自身、気持ちの整理がついていないからであった。普段は心中を窺い知ることが困難なトビでも、悩み事を抱えているときだけは分かりやすいとイツキはつくづく思うのであった。

 

 

そんな床に寝そべったままのトビだから誰よりも早く異変に気付いたのだろう。地中深くから音が聞こえてきた。やがてそれは揺れを伴って大きくなってくる。

 

「何か――」

 

言い終えるよりも早く、"それ"は地上に到達した。振動を感じてからは1秒にも満たなかった。轟音を上げながら地中から現れた"それ"は礼拝堂の地面を突き破り、天井にも大穴を空ける。開放された空には、破壊された建物のそれぞれが舞っているのが見える。イツキは直前で感じ取り、その場から大きく跳んで距離を取った。しかし、誰よりも早く察知したトビは回避できなかった。そもそも動くことが困難だったからだ。

衝撃に巻き込まれ、軽々と屋外へ弾き飛ばされてしまう。墜落した痛みで呻き声を上げるが、目を開けてそれどころでないことに気付く。同じように飛ばされてきた瓦礫が周囲に降ってこようとしていたからだ。トビは殆ど動かせない身体を丸くし、腕で意味の無い防御を固めるしかできなかった。幸か不幸か潰されるようなことはなかったが、落下し壊れた欠片が髪の隙間や鼻や服の中に入り込んでくる。

 

そして何より、ついに全壊してしまった礼拝堂の屋根を見て驚愕する。正確にはそこに乗っかっている地面から湧いて出た正体に、だ。

 

「……てめーまさか、飼い主様ですか?」

 

全身を青緑色の鱗で覆われ、下半身は蛇のような尻尾。四肢は無く、頭部には王冠らしきものが肉体と一体化している。そして胸部から腹部に掛けて、巨大な風穴が開いていた。身体における40パーセント以上が失われているのだ。その状態で何故生きて、更には動けるのかあり得ないくらいだった。ただ一つ理解できるのは、少なくともアレは生物の括りからはもう外れてしまっているということだ。

そいつはイツキを見つけるなり、障害物など気にせずに進んでいった。

 

「未ダ終ワラナイ……身体ガ足リナイ……身体ヲ寄越セェ!!」

 

「ぐっ……見境無しか!」

 

カルドレアに手足は無いが、欠けた肉体から黒い腕のようなものが伸びてきて獲物を探している。武器が破損しているイツキは鞘だけで、闇の手招きを退ける。術を使って周囲のものをカルドレアにぶつけるが、どれだけ当たっても腕の蠢きは止むことなく直進してくる。動じない相手に彼も攻撃を凌ぐだけで精一杯であった。

しかし、なかなか思うようにいかないカルドレアはイツキを諦めた。代わりに発見したトビに目標を変え、猛スピードで向かっていく。

 

「トビ、そこから離れろ!」

 

イツキが叫ぶが、そうは言っても身体が動かない。どうやらカルドレアは不足した肉体の一部をトビで補おうとしているらしい。人外の巨体が迫ってくるというのはどれだけ強靭な精神を持っている人でも、威圧されてしまうだろう。加えて今のトビは身体の自由も利かないのだ。恐怖する他ないだろう。

しかし、彼の感情は恐れではなく不甲斐ない自分に対しての怒りだった。

 

(さっきてめーはカガリを助けるために決意固めたばっかじゃねーですか!何でこんなところで寝てるんですか!早く起きてあいつのため粉骨砕身の如く働けってんですよ!!)

 

だが、彼の思いとは裏腹にやはり身体はもう限界だった。無駄だと分かっていても僅かに残された力で這って逃げようとする。無論、巨体と言えど動き出してから数十センチしか移動しない相手を捕らえるくらい造作もない。それでもトビは足掻くことを止めようとはしなかった。

迫ってくる影は濃さを増し、漆黒の腕が伸ばされる。トビは無力な自分を恨みながら目を閉じた――。

 

 

しかし、待てども待てども身体を掴まれる感覚は無い。瞼の裏はこれ以上ないくらいに真っ暗だ。すぐ近くに居るのは間違いない。もしかしたら、既に取り込まれていて自我だけが独り歩きをしているのかもしれない。ただ、それにしては自身がしっかりと確認できる。

トビは意を決して、その両の目を開いてみた――。

 

 

「なっ…………!!?」

 

驚きで言葉も出なかった。カルドレアが伸ばしていた腕から、見覚えの無い物体に守られていたからだ。カルドレアよりも遥かに大きな図体、二足歩行の姿のその全てが石と岩で構成されていた。いつの間にこんな瓦礫の山のような存在が近付いていたのかと仰天するが、より不可解な行動としてそいつが大きな手でトビとカルドレアを分断していたのだ。

話には聞いたことがあるかもしれないが、この魔製人形がゴーレムであるとはこの時のトビは思いもしなかった。

些細な疑問が吹き飛ぶくらいに、衝撃的な事実が突き付けられようとしていたからだ。

 

 

「…………アナタハ、ワタシニトッテ……ヒーローナノデスカラ」

 

 

ゴーレムが喋ったということよりも、その内容がトビの内側で暴れ回る。全身の毛が逆立つのを感じた。

 

「邪魔ダ!!」

 

ゴーレムはその巨体に似合わず、カルドレアの攻撃を受けて簡単に吹っ飛ばされてしまう。弾かれた身体は集まっていた岩を分離しながら地面を転がる。ある欠片は他の瓦礫に衝突して砕け、ある欠片は身を削りながらレンガの上を滑る。

トビは小石の一つ一つを認識できるかと勘違いするようなスローモーションの世界を目を見開きながら眺めていた。先程と異なり、自身にゴーレムの欠片が降ってきても気にしない。

 

カルドレアは煩わしそうにゴーレムの残骸を見送ると、トビに視線を戻す。すると、そこには動かないはずの身体を震わせながら立ち上がるトビの姿があった。

 

「未ダ動ケタカ」

 

そう呟いたものの、取り込むのに至っては些末な問題でしかないようで本能のままに再び腕を伸ばす。

だが、その腕はまるで水の中へ投げ込まれたマッチの火のようにヂッという音を立てて消滅する。痛みは無いのか、消えた腕の先を不思議そうに見下ろす。再度顔を上げると、今度はカルドレア自体が吹き飛ばされる。身体の表面は腕と同じように少し溶け掛けていた。

離れた場所で一部始終を目撃していたイツキは、今の出来事を興味深そうに観察する。

 

(トビの魔力が格段に上がった?術を使用せずにその魔力だけで弾き飛ばすとは……。あれは感情に影響しているのか)

 

予想外の反撃を受けたカルドレアは礼拝堂の壁に激突した。しかも、そのまま磔にされたように壁に押し付けられて身動きが取れなくなる。魔力の圧に押し潰されているからだ。周囲もピリピリと空気中の魔素が振動するのを肌で感じる。はみ出した圧でさえこれほどなのだ。一点に向けられているカルドレアが動けるはずもない。

 

「グガァァァァ……!!貴様ァ!!」

 

両足で立っているトビはきちんとした自我があるのかも不明なくらいに意識が朦朧としていた。何とか意識を保っていられるのも、あの怪物を殺すという明白な感情によって突き動かされているからだ。

足を少し開き、片腕を前へ伸ばす。手のひらには膨大な魔力が集結しているのを感じられる。

 

(無詠唱か)

 

イツキも詠唱無しで術を使っているようだが、実は事前に鞘に施してあるのだ。それを戦闘中に解放して、疑似的に無詠唱と同じ状況を作り出しているに過ぎない。それこそ詠唱無しで魔法を使えるのは、上位のモンスターや一部の例外だけだ。今のトビがどれだけ異質なのか、魔法に詳しくない人間でも分かるだろう。

肥大していく魔力はゼードと戦った時を既に超している。それでも彼はまだ魔力を手放そうとはしない。限界ギリギリまで高めるのだろうか。

 

 

「はーっ!やっと地上だ。大丈夫か、皆?スーさんたちと合流してすぐにクソジジイを追うぞ!」

 

『アレは野放しにはできないからね』

 

「そもそも、あそこまで手伝ったのにアンタが仕留め損なったのが原因でしょ?」

 

カルドレアの背後、礼拝堂の床にぽっかりと空いた穴の中から複数の声が聞こえてくる。話し声が耳に入ってきたトビはピクリと反応を示す。そこから声が近くなるのに比例して魔法が更に凝縮していく。

 

「つーか、何であんなんなのにまだ生きて――」

 

視界の奥、穴から声の主の頭が現れた瞬間、溜めていた魔力を全て放出する。火球の大きさは先程と大して変わらない。しかし、その熱やスピードは桁違いだ。

吐き出された攻撃をいち早く察知したゼードは、後から登ってきていた味方たちをも巻き込んで飛び降りる。

 

「――何か来る!戻れ!!」

 

「「きゃああ!!?」」

 

 

精度を無視し、ただ莫大に集められた魔法で創られた火の玉。

それは直線状にあるものを余すことなく飲み込んでいく。

無造作な暴力の火球は壁に締め付けられていたカルドレアに直撃した。

触れた途端に破裂し、抑えきれない爆炎は向こう側へ突き抜けていく。

 

「マ、未ダ…………ワシニハ――――――」

 

 

あり余った魔法の威力は城の内壁、外壁までも破壊して消滅した。

地上が静かになってからも少し待ち、安全なのを魔法で確認してもらってから漸くゼードが外へ顔を覗かせる。すると、そこには礼拝堂の骨組みすら存在していなかった。それだけではなく、炎を纏った台風でも通過したように一直線に焼け野原が広がっていたのだった。

 

一方、術を放ったトビは憑物が落ちたように意識を失うとその場に倒れ込んでしまった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――

 

『セントクルス城爆発事故』

 

――そんな見出しの雑誌がテーブルの上にほっぽってある。手に取り、ページをパラパラとめくって該当の記事を見つける。

 

『15日未明、セントクルス中心セントクルス城で計四門の大筒が暴発、外壁の一部を破損するという事故が発生した。』という書き始めで、見開き1ページに渡って事細かに書かれていた。被害状況に関しては、犠牲者怪我人はゼロ。爆発は町の外まで及んだが、幸いなことに破損した城の北側には通路が一本通っているだけで家は一軒も無かったのだという。修復作業が進められる一方、管理体制に疑念が残る――などという内容が記載してあった。

 

 

先月のあの夜のことは、世間一般にはこういった発表がされていた。使っていなかった大筒に何故火薬が詰められていたのか、暴発にしては規模が大き過ぎやしないか、そもそも何故こんな深夜に起きたのか――など、おかしな点が数えきれないほどあるものの、結局ハクジュンがうやむやにするのだろう。この一件の真相は俺たちやハクジュンの連中、城に勤めている一部の兵士しか知らない。

本来ならば俺たちはしかるべき罰を受けるはずだろうが、事の発端であるカルドレアがああなってしまっていた以上、公に裁くこともできないので免れている。そのつもりは無かったが、圧倒的な力を見せつけてしまったので、報復を恐れているというのもあるのだろう。

 

それとカルドレアについてだが、国として爆発事故から半月後に死亡したという発表がされた。死因は病死。六年前から人前に姿をあまり見せなくなったのも、この病気が原因だと関係者は言う。葬儀も国を挙げて執り行われた。式では棺の外側しか窺えなかったため、本当かどうかは分からない。遺体を確認したという貴族も居るが、口裏を合わせるように言われたか、ハクジュンが用意した偽者だろう。実際に、クランガンから買った情報によると本物の遺体はまだ見つかっていないらしい。どこかで生きているのか、欠片も残さずに燃やし尽くされてしまったか。

死亡の発表と同時にブリリアレ殿下が正式に新国王に就任した。といっても、そもそも実質的に政治を行っていたのはこいつだから、よくある暗殺なんて噂は話題にすら上っていなかったと記憶している。国のトップの肩書が変わるだけで、今更大きく国の何かが変わる訳でもなかった。

 

さて、俺たちについてだ。まず、町長。巻き込んでしまってそんなことを言える立場でないのを承知の上で、あの日の出来事について黙っててもらうようにお願いをした。すると、二つ返事でオーケーしてくれた。話したところで誰にも信じてもらえないかもしれないが、そういった噂自体を立たせたくなかったのである。俺たちが城へ乗り込んだのは攫われた二人を助け出すためで、闇を暴こうなどとは一切考えていなかったからだ。暴いたところで、情勢が荒れるだけで得をすることは殆ど無い。むしろ、国からの後ろ盾が無くなるため大損だ。

何事も無かったかのように戻った町長は、不在の間に積もりに積もった仕事に追われてしまっているらしい。職務放棄で解任、なんて提案もあったようだが、不在の間に代理を立てられないくらいだ。町長の代わりを務められる人材は居ないということで、引き続きその職に就けているようだ。仮に解任が濃厚になっていたとしたら、いち町民としても断固反対の構えを見せていただろうが。

要求されていたセントクルスからの資料請求は必要なくなったと取りやめられたが、それ以外の業務が溜まってしまっていたらしい。まだあの一件から会えていないため、かなり忙しいのだろう。年が明けてすぐに姿を消してしまっていたのだ。年次の取り決めなんかがあるのかもしれない。

 

次に魔界。セントクルス地下から救い出された魔族は100人にも満たなかった。それほど多くの命が奪われてしまっていたということになる。話によると城の水堀にも多くの遺体が沈んでいるということだが、そちらには全く手が回っていない。人目を避けるのが困難なことと、今は復讐に燃える魔族たちを鎮めるので精一杯らしいのだ。気持ちは分からなくもないが、助け出された魔族たちの傷を掘り返すことになりかねないので何とか抑えてほしい。俺がうたう『人間と魔族の共生』がまた随分遠ざかってしまったと愚痴を吐かずにはいられない。

四天王の奴らも様々だ。あれからレントは、"仲間"を手伝ったお礼として雑務の手伝いを強要してくることが多くなった。見返りを期待する仲間とは……小一時間問い詰めたいくらいだ。

ゴラドは出番が少なかったことに不満を抱いているらしく、会う度に戦いを挑んでくる。……これは前から変わらないか。上手くいなして大きな戦闘には至っていないが、正直身が持たないので一刻も早く止めてほしい。

ベルには反対に避けられている。他の人が俺たちを魔界に呼び出す際にワープホールが必要なので全く会わないということはないが、目を合わせようとはしてくれない。思い当たる節は……いくつかあるが、謝っても関係の修復はまだである。

スーさんは全く変化無しだった。今まで通り、ふらっと遊びに来ることもあれば、全然姿を見せないこともある。しかし、これはこれでつまらない。本人の見た目はウェットなのに、物事に関してはドライである。

 

 

最後に――。

 

バタンと乱暴な音を立てて、玄関の扉が開かれる。

 

「ただいまー。あー、寒かった」

 

買い物を終えて帰宅した同居人が白い息を吐きながら入ってくる。ひと月前のことなど忘れているかのようであった。

 

「……何よ。言いたいことがあるならはっきり言いなさい」

 

寝転がりながらボーっと眺めていたのを咎められる。そこに冷たい外気が流れ込んできて、露出していた素肌を撫で回される。身を縮めながら腹筋に力を籠めて起き上がった。

 

「お帰り。寒いから早く閉めろ」

 

「寒空の中、買い物してきた相手を少しくらい労ったらどうなの?」

 

「文句あんならじゃんけんで負けた自分を恨め」

 

ぶつくさ言いながら上着や防寒具を脱いでいる。身軽になってから、俺が居座っているソファを素通りして買い物袋をキッチンへ持っていく。

 

「あ、コーヒーはすぐ飲むからしまわなくていいぞ」

 

そう声を飛ばすと、袋から物品を取り出していた手が止まる。そして、苦笑いをしながらこちらに顔を向けてきた。

 

「ゼード、悪いお知らせがあるわ」

 

「……おい、まさか」

 

嫌な予感がする。いや、これはもう確定だろう。引きつった表情を返すと、こくんと頷いた。

 

「えぇ、買い忘れたわ」

 

「お前ふっざけんなよ!どれだけ買ってくるのを心待ちにしてたと思ってんだ!!」

 

「文句あるなら私に買いに行かせた自分を恨みなさい」

 

「開き直んなよ!どーすんの、死活問題だよ!こちとら」

 

「一日くらい飲まなくても死なないでしょ?」

 

「お前、コーヒーだけ買ってき忘れ率高くない!?何、嫌がらせ!?あーもういいや、自分で買ってくる!」

 

俺は背もたれを飛び越えると、いつもの黄土色のコートを乱暴に手にする。羽織りながらコポケットに両手を突っ込み、手袋を取り出す。手にしっかりとはめてから、ドアノブに手を掛ける。

すぐに出かけようとしたが、リビングの方から飛んできた声で動きを止めた。

 

「いってらっしゃいな」

 

呑気な声色に苛立ちを隠せないが、深呼吸をして一応の挨拶を返す。

 

「あぁ、行ってくる。留守番頼むぞ、ミュゼ」

 

大きな声で告げてから外への扉を開け放つ――。

 

 

ピース依頼事務所は今日も通常営業です。




ここまでお読みいただきありがとうございます。

初めましての方は初めまして。
お久しぶりの方はお久しぶりでございます。
碓氷 修夜です。

24話にして『王城激震編』完結でございます。かなりの長編で、しかもこの話の文字数もえっらいことになっております。ここで言うべきことは本編の方で語っている気がします。内容は、カルドレアの言った方ではない王道の展開になっていると思いますが、いかがでしょうか。

長編を書く度に、自分は長編に向いていない短編が書きたいなどとのたうち回っていますが、作品においてとても重要な話でしたので頑張りました。学べるようなことは少ないかもしれませんが、皆さまが楽しんでいただけていれば幸いでございます。

次回以降なのですが、暫くは短編ものが続くと思います。上では頑張ったなどとぬかしていますが、やはり大きな反動がきているので短編が書きたくて仕方がありません。
……と、その前に一つだけ番外編を入れるかもしれませんが、それは私の気分次第でございます。

年末年始の挨拶も込めまして、今年最後もこの一言で締めさせていただきます。


それでは改めまして、ここまでお読みいただきありがとうございました。
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