ゼード…ピース依頼事務所の所長。過去に勇者として魔王を倒した経験あり。
ミュゼ…魔族の娘。今はピース依頼事務所に住み込みで働いている。
「どうして……」
ミュゼは下を向きながら、わなわなと震えている。
「言うな……」
「どうして……!」
「言うな…………!!」
カッと目を大きく見開き、上を向いて叫ぶ。
「どうして雪山なのよー!!」
「言うなっつったろ!!意識すると余計に寒くなるわ!!」
「あー、今寒いって言ったー!!言葉に出したから寒くなってきたー!!」
「馬鹿野郎!先に『雪山』という、寒さを連想させる単語を出したのはお前だからな?」
「知らないわよ!何、一人で連想ゲームしてんのよ!!」
「想像力豊かなんだよ、畜生!!」
「ちょっと前まで花見で、もうすぐ春かな?穏やかな季節になってきたかな?って思ってたのに、何よ!吹雪じゃない!?辺り一面、銀世界じゃない!!」
「どこー!?春どこー!?お花さんどこー!?」
「……すいません、静かにしてもらえますか?」
「「あ、はい……」」
――――――――――――――――――――――――――――――――
3月の下旬。一人の依頼人が事務所を訪れた。毛皮のコートに毛皮の帽子、毛皮のズボンと毛皮まみれの中年の男だった。毛皮といっても高そうなものではなく、焦げ茶一色で、毛もごわごわしてそうなものだった。だからと言って、安物という訳でもなさそうだ。あくまで予想だが、これらの毛皮はこの男自身か、仲間内で捕った動物で作られた品だろう。本人は自らを商人だと語ったが、その傍らで猟師としても活動しているに違いない。
「……で、ノーエンスに荷物を届ければいいんですか?」
ノーエンスとは北の積雪地方にある町だ。年中雪に覆われ、狩猟を主として栄えている。しかし、自給自足をしようにもあまりの寒さに作物を育てることができない。そのため、商人たちにとっては、食料を販売する絶好の商売場所でもあった。しかも、春には大きな祭事があるらしく、今のうちから準備に取り掛かっていると小耳に挟んだことがある。その材料なども持ち寄っているのだろう。
「いえ、そのままノーエンスで商売をしますので、私たちも同行します」
「ん?ということは、荷物が沢山あるということですか?」
「あるにはありますが、荷馬車を使いますので。お二人も、そちらに乗っていただければと思います」
「…………乗っているだけでいいんですか?」
「はい」
「えー……着いた後に、俺たちも商売の手伝いをするとか?」
「もしかしたら、積み降ろしくらいは頼むかもしれませんが、あくまで往路のみの輸送の依頼ですので。商売は私たちだけで行います」
「……それ、俺ら本当に必要ですか?」
輸送だけの依頼にしては不審な点が多過ぎる。運搬に必要な条件は全て揃っている。しかも依頼をしておきながら、俺たちは歩かず馬車に乗っているだけ、というのもおかしい。楽なこと極まりないが、それはそれで何か釈然としないものがある。あまりの訝しさに思わず、依頼の必要性を疑問視してしまったが、男は躊躇いなくきっぱりと答えた。
「えぇ、必要です」
そうは言われたものの、納得できずにうーんと唸っている。そんな俺を見かねて、男が一枚の紙を取り出して渡してくる。
「……そして、こちらが今回の報酬ということで。如何でしょうか?」
俺はまだ解せないまま、紙を受け取る。 紙には今回の依頼内容、そして報酬の金額が記載してあった。内容に関しては、さっき説明されたことと殆ど相違無い。
報酬についてだが、ノーエンスへは片道でおよそ2日掛かる。依頼は行きで終わりなのだが、勿論帰って来なければならない。報酬の中に、その復路の分も考慮しておいてもらわなければ、元が取れないのだ。果たして、この内容で4日分の報酬が期待できるのだろうか。最悪、話を蹴ることも視野に入れなければならない、そう目を細めながら紙を眺めていた。
しかし、油断していたせいもあるが、俺はあまりの驚きにソファから落ちそうになる。
「……これ、間違いじゃないですよね?」
「合っています」
「……成る程。ただの輸送、って訳ではなさそうですね」
「お話が早くて助かります」
紙に記載してある金額は、一般的な依頼料より桁が一つ多かった。好条件、高報酬ともなれば、それなりに裏があるものだ。そして、依頼内容について記載されていた"ある熟語"を指さしながら、男に尋ねる。
「じゃあ、この『護衛』について詳しく教えてもらっていいですか?」
「と言うことは、依頼を受けてくださるのですか?」
「……内容次第、ですかね」
「……いいでしょう。…………最近、ノーエンスまでの輸送ルートにスノーウルフの群れが現れるのです」
「スノーウルフ――確か、ノーエンス地方に生息する獣型の魔族ですよね?」
「えぇ、よくご存じで」
「……何故今更?あいつらは、以前から住んでいたんじゃないですか?これまでも、何回か襲撃に遭ったという話を耳に挟んでますけど」
「そうですね。度々商人や旅行者などが襲われていました。しかし、あくまで"度々"だったのです。それが、最近になって急激に被害が増えていまして。更に、荷物よりも人間をターゲットにしているみたいなのです」
「食べ物とかじゃなくて……人間を?」
「はい」
「成る程。要するに、輸送しているお前たちを、俺たちが護衛するってことですね」
「そういうことです」
「……だったら、傭兵でも雇った方が良いんじゃないですか?」
「それも考えたのですが、やはり確実性を高めた方が良いかと思いまして」
「確実性?なら、尚更に戦い慣れた傭兵を頼るべきじゃ――」
「いえ、"以前"のお噂は聞いております」
「…………そーですか。今更すっとぼけるのも無駄って訳か。……ミュゼ、お仕事ですよー」
「待ってました!!」
その言葉に反応して、二階で待機していた同居人がバタバタと降りてくる。そんな大声を出したつもりはないのだが。本当に地獄耳だな、こいつは。
「スノーウルフぶっ殺せばいいのね?」
「うん、合ってる、それでいいよー」
「……何でそんなにやる気無いのよ」
「寒いの嫌いなんだよ」
「それでは、受けてくださるんですね?」
「はい、やりますよ……」
「……当日は防寒具をお貸しましょうか?」
「いやー、ありがたい。でも多分、意味は無いので」
男は素直に、意味が分からないと顔に出している。いや、コートが、ね……。袖が開いているから、冷気が直に侵入してくるのだ。違うコートを着用すればいい話なのだが、そうなると戦いづらくなって仕方が無い。
依頼前からブルーになっている俺に対して、ミュゼが無い胸に手を当ててふんすと鼻から息を吐く。自慢げな表情を見せ、片目でこちらを見下してくる。
「アンタ男でしょ?寒さくらいで情けないわねー」
――――――――――――――――――――――――――――――――
「……お前、寒さなんて余裕って言ってなかったっけ?」
「限度ってものがあるでしょ!?マイナスになるなんて聞いてないわよ」
「お前は温室育ちだから、あんなこと言ってられたんだよ。もっと、寒さや暑さに慣れとかないと。この先辛いぞー?」
「ブーメランよ、それ。あと、城は冷暖房無かったわよ!」
「あぁ、寒くてしゃーなかった!無駄に広いくせに、何で設備はクソなの?今度、魔王に直談判してやろう」
「もうアンタが倒してるでしょうが。ボケてるの?」
「うそうそ。イッツ勇者ジョーク!……誰が勇者だ!"元"勇者だ。間違えるな」
「間違えてるのはアンタでしょ?自分で墓穴掘ったんじゃない」
今度は怒られないように、小声で言い合っている。黙っていればいい話なのだけれど、そうすると睡魔が襲ってくる。雪山での睡眠は死を表すと、どこかで聞いたことがある。それに喋っていれば、多少寒さを忘れられるのだ。会話がヒートアップすれば、文字通り身体も多少温かくなっている気がする。ゼードも同じように寒さを紛らわせたいのでしょうけど、それでも座りながらガタガタと目に見えて震えている。
「そういや、スノーウルフについて聞いてなかったな」
唐突にゼードが切り出してくる。さっきまでの漫才とは、打って変わって本気の表情だった。私も真剣な相手には、真剣に応えるというのが筋というものだ。ここで嘘を言ったって仕方が無いので、真面目に付き合ってあげた。
「スノーウルフはノーエンス地方に生息している――」
「そういうデータは知ってる」
「……じゃあ何が聞きたいの?」
真摯に受け止めてあげようとした途端にこれである。こいつは、やる気というものを根本から折ってくる天才なのではないでしょうか。
「魔王を倒した時にある程度、人間と魔族のわだかまりは解消してやっただろ?それに、『勇者の二ヶ条』で禁止したはずじゃねーか。何で今更?」
「……あれで解消できたと本気で思っているなら、一周回って尊敬するわ。『勇者の二ヶ条』だって、アンタが自慢できるようなことじゃないでしょ」
『勇者の二ヶ条』を発言したのは紛れもなく、ゼードである。しかし、あまりにも言っていることに纏まりがなく、結局それを要約したのが完成品になったのだ。つまり、原案をペラペラと喋っただけで、きちんとした形にしたのは学者や専門家なのだ。偉そうにしていても、纏めたのはこいつじゃない。
「うるせーな、それは今関係無いだろ。何で魔王国の命令を無視して人間を襲っているか、ってことだよ」
「……まぁ、王国と言っても魔界を完全に支配していた訳じゃないしね。大方は王国の意向に賛成、って感じだったけど、スノーウルフみたいな反乱分子も居たってこと」
「あー、そういや"魔界代表会"の時も居なかったな。てっきり寝坊してただけだと」
「アンタじゃないんだから」
「で、スノーウルフは何で王国に逆らってたんだ?不信任?」
「あいつらは元々、何かに縛られるのを好んでないのよ。自分の生き方は自分で決めるって」
「それだけ聞くと、友達になれそうだな」
「アンタもスノーウルフも気まぐれ過ぎて、すぐに仲違いしそうだけれど」
人間とオオカミだけど、気まぐれ勝負では近所の野良猫にも圧勝できるレベルでしょう。
その時、ガタンと馬車が大きく揺れ、スピードが落ちる。何か段差があった訳ではなさそうで、そのまま停車する。これまで、ペースを崩さずに来ていたため、考えられるのは"異常事態"以外あり得なかった。
私たちは互いに顔を見合わせる。ゼードに至っては既に中腰だ。
「スノーウルフだー!!」
商人の一人が大声を上げる。その声を皮切りに、私たちは馬車から飛び降りた。冷気が頬をなぞって身体が震えるけど、今はそれどころではない。周囲は見渡す限り真っ白な世界。しかし吹き荒れる雪とは異なり、3時の方向の白い山脈に、銀の点々としたものが動いている。数にして30ほど。真っ直ぐ、こちらに向かって来ている。
何人かの商人が、猟銃を取り出して狙いを定める。その手つきは慣れたもので、一切の迷いが無い。誰かが合図をした訳でもないのに、一斉に銃が火を吹く。しかし、その弾のどれもが標的には当たらなかったみたいだ。腕が悪かったとか、そういう問題ではない。敵の動きが速すぎるのだ。さっきまで、米粒くらいにしか見えなかった連中は、いつの間にかその全身がはっきり目視できる程度にまで接近していた。
「に、逃げろ!!」
対抗策を失った商人たちがパニックになり、蜘蛛の子を散らすが如く、あちこちへ駆け出そうとする。纏まっていれば被害は最小限で済むでしょうけど、バラバラになってしまっては、速さも強さも上の向こうに敵うはずがなかった。
商人たちは恐怖で絶叫していたけれど、それを越える声量でゼードが叫ぶ。
「どこにも行くな!!死にたいなら勝手にしやがれ。それが嫌なら、馬車ん中入ってろ!!」
「し、しかし……!」
「最低限、報酬分の働きはしてやるよ。……けど、依頼人が死ぬってのは気分悪いからな。そこんとこは本気でやってやるよ」
「…………。皆、早く馬車の中に入るんだ!!」
依頼人の男が一声掛けると、どうしていいか分からずにウロウロしていた商人たちが、我先にと馬車へ飛び込む。飼い主たちの奇妙な行動に、繋がれている馬たちが困惑していた。気が付くと、周囲には私とゼードしか居なくなっていた。その間にも、スノーウルフたちが迫ってきている。
ゼードは近くの馬を落ち着かせつつ、私とアイコンタクトを取ると、意地汚そうにニヤリと笑う。
「ちょっと揺れるからじっとしてろよー。……よっしゃ、頼むぞミュゼ!」
「……めんどくさいわね。アンタ一人で頑張りなさいよ」
「一応、二人に依頼されたんだからさ、お前も働けよ。……というか、出掛ける前はやる気あるくせに、何で出たら億劫になるんだよ!」
「…………」
「つか、働くのは当たり前だろうが!」
「アンタのためになるのが癪なのよ」
「何で!?依頼人、依頼人様のためです!!」
さすがにあの量を一人で対処するのは厳しいのか、是が非でも私に助けを求めてくる。ため息を漏らすと、ゼードに向けて指を四本立てて見せる。
「肉まん四つ」
「……三つ」
「じゃあ止めた」
「よし、分かった!分かったって!買ってやるから早く頼む!!すぐそこまで来てるから!!」
「いやー、帰ったら楽しみね。肉まんが五つも食べられるなんて」
「増えてんじゃねーか!!」
私は雪を被った地面を思い切り叩く。その衝撃で、微かに地面が揺れる。その2秒後、揺れが大きくなったかなと思った瞬間、馬車や荷車の下の地面がゆっくりと盛り上がった。まるで、その場所だけ大陸が持ち上げられているみたいだ。あまりの展開に驚いて、馬車の中の商人が奇声を上げ、馬が暴れようとする。
「おっと、危ないわね」
動こうとした馬たちの四本の足を、土が絡め取って拘束する。動こうにも、根骨の辺りまで土が固めてしまっているので、胴から上を僅かに揺らすことしかできない。
地面は4メートル近くの高さまで上がると、ひときわ大きな揺れと共に停止した。
「おいおい、馬を殺すなよ?」
「当たり前でしょ。足が無くなったら困るじゃない」
「……馬にしてみりゃ、かなりのトラウマもんだろうな」
「馬だけに?」
「うっせぇ。ほら奴さんども来たぞ」
スノーウルフたちは、もう200メートル先くらいまで迫っていた。かなりのスピードで走っているのでしょう。
「……私もう魔力切れだから、後はアンタに任せるわ」
「おい、嘘つけ!全然、余裕だろうが!!」
「精神的にかなり気を使ったのよ?あんまり本気で揺らすと、雪崩が起きるから」
「いやいや、それはありがたいけど――」
「寒いから先に馬車へ戻ってるわね」
「――っておい!?……うわ、本当に戻りやがった」
私は馬鹿を放って、馬車に乗り込む。中に入ると、商人たちが揃いも揃ってガタガタと震えていた。
「何、アンタらも寒いの?」
「怖いんですよ!死の瀬戸際ですよ!!というか、何故ここに居るんですか!?守ってくださいよ!!」
「大丈夫よ、アイツなら」
「……勇者様だからですか?」
「それ聞いたら怒るわよ。まぁ、気になるなら見てみれば?」
商人たちは、こそこそとカーテンを僅かに開いて外の様子を確認する。開いた部分から風が入り込んで、個人的にはかなり迷惑なのだけれど。自分が提案したことだから、今更止めろと言うのもおかしな話だ。……それに、私も商人たちの後ろから覗いていたため、閉めてもらっては困る。
「だああああああ!数が多いんだよ!ってか、何でいっつも敵が大量なんだよ!!」
外ではゼードが大騒ぎをしている。輸送集団の先頭から最後尾まで60メートル以上あるけれど、何とか凌ぎきっていた。スノーウルフが、持ち上がった大地に跳び乗ろうとしたところを蹴り落とす。反対側から登ろうとした敵には、ナイフを投てきする。ただ、一匹も殺してはいない。ナイフも身体目掛けて放ってはいるものの、深い傷は与えず、掠める程度の位置に投げてバランスを崩させている。さすが、体力には自信があると豪語していただけはある。一時も休むことなく、常に走り回って戦っていた。
所長の秀でている点は、何も体力だけではないと思う。敵の様子を瞬時に判断する動体視力と、それについていく身体能力もかなりのものだ。現に今だって、跳び掛かってくる爪をすれすれでかわし、カウンター気味に蹴りを叩き込んでいた。背後からの敵にはナイフを投げているけれど、勿論相手もただ垂直にジャンプしている訳ではないので、空中で身体を捻ったりして回避を試みている。しかし、所長はそれをも見越した上で投てきしているのだ。
……アイツは嫌いだけれど、きちんと評価するべきことは評価する。だから、そんな私を評価してほしい。
「おい!ミュゼ、聞いてんだろ!?お前もちょっとは手助けし――うおっ、危ねっ!!いや、本当助けてください!お願いします!!!」
煩くなければ、もっと純粋に評価できるのだけれど。ゼードはひいひいと泣き言を漏らしているけど、その動きを見ている限りは当分平気そうだった。
「ああ言ってますけど、平気なんですか?」
「大丈夫よ。本当にヤバくなったら助けるから」
10分程、防衛戦が続いたかしら。ついに、スノーウルフたちの猛攻が収まる。何匹かは銀の身体が血で滲み、所々赤く染め上げられている。けれども、一匹も雪面に死骸として転がってはいない。ゼードが致命傷を避けて攻撃していたのもあるけど、スノーウルフたちの生命力の高さも窺えた。対するゼードは、肩で息をしている。たかが10分だけれど、一人でずっと戦い続けていれば当たり前だろう。それでも尚、来襲に備えて警戒は解いていない。
両陣の呼吸が整い、再びスノーウルフが飛び出そうとした瞬間、雪山に遠吠えが響いた。ここに居るスノーウルフとは、また別の声だった。ゼードは、体勢を更に低くして緊張を高めていたけれど、敵の増援は来なかった。来ないどころか、私たちを襲っていたスノーウルフたちが回れ右をして、山へ戻って行ったのだ。数匹は敵意剥き出しに、ゼードを睨み付けてから走り去る。何とも言えない幕切れだったけれど、私たちはスノーウルフを追い払ったのだ。
……正確には、ゼード一人で。
☆
「待って待って、もう無理。今襲われても何もできないからね。黙って大人しく、喰われる道を選ぶからね」
スノーウルフたちの姿が雪山に消えるのを見届けると、俺は雪の上に仰向けで倒れた。両手両足を開き、大の字になって、だ。もう限界だった。自力で馬車へ歩くのも困難だった。仕方なく、商人たちに肩を貸してもらい、荷物と同じように馬車へ積み込まれる。ほぼ体力的に瀕死状態だったが、何とか生きている状態だ。無傷でなかったら、メンタル面で依頼を投げ出しているところだった。投げ出したい気持ちは、もう十分あるが。
「ありがとうございました!いやー、お強いですねー!!私たち感動してしまいました、さすが勇者様!」
「勇者じゃ――いいや、もうつっこむ気力も無いわ」
「一人でやっつけちゃうなんて、勇者様かっこいー」
「……ミュゼ、お前は許さんからな?何だその屈託の無い笑顔は?馬鹿にしてるのか?」
「ユウシャサマカッコイー」
「お前、本当俺が復活したら覚えとけよ」
暫く馬車に揺られると、休憩地点にでも着いたのか、緩やかに停止する。いつの間にか眠ってしまっていたらしく、気が付くと一緒に乗っていたはずのミュゼも居なかった。ゆっくりと起き上がると、外からミュゼの楽しそうな笑い声が聞こえてきた。どうやら商人たちと話しているようだ。
……もう少し、ミュゼを外に出すということも必要なのかもしれない。
馬車から降りると、既に外は薄暗かった。吹雪は収まっているみたいで、深々と空から氷の粒が降り注いできている。しっとりとした空気が、身体に絡んでくるようだ。ミュゼたちは、焚き火を囲んでわいわいと賑やかそうにしていた。
「おうおう、何だか楽しそうじゃんか」
「やっと起きたの?皆で夕食中よ」
「所長さん、どうぞこれ食べてみてください」
「おっ、シチュー!?旨そうだな」
商人から手渡された器を覗く。白いシチューに、野菜がとろりと浮かんでいる。ブロッコリーやニンジンが良いグラデーションになっていて、とても色鮮やかだ。具が沢山乗るように、スプーンで掬って口に運ぶ。冷えていた身体が、温かさを思い出したかのように感覚を取り戻す。触れた舌も、ほんのりとした甘さにとろけてしまいそうだった。
「あー、五臓六腑に染み渡るわー」
「おっさんか」
「うるせーな。いや、でもこれ本当に旨いわ」
「ありがとうございます。得意料理なんですよ」
「こいつこれしか作れねーんだよな」
「ちょっと黙ってろ!」
辺りが完全に暗くなるまで、商人たちと談笑していた。そんな中、火にくべられた鍋を見て、ふとあることを思い出した。俺は慌てて、リュックを取りに馬車へ戻る。
「うわっ!?」
「……どうしたの?」
「コーヒーめっちゃパンパンになってる!」
途中で飲もうと待って来ていたインスタントコーヒーの袋が、これでもかというくらいに膨らんでいた。重量のある紙風船レベルだった。
「あ、気圧で膨らんじゃってますね。気を付けてください」
「気を付けろって!?そうだ、穴、穴空けよう。ハサミ……やっべ、忘れた!ナイフでいいか……って、ナイフ少な!?あ、拾って来るの忘れた!!」
袖口を漁った俺は、収納されているナイフの少なさに驚いた。昼間、スノーウルフと戦ってそのままダウンしたから、投てきに使った分を回収し忘れたのだ。消耗品と言えど、再利用を心掛けなくてはすぐに無くなってしまうし、何よりまた購入する費用が掛かる。
「さっきから煩いのよ!」
「いや、だってこれ、また買わないといけないんだぞ!?なるべく安物買ってるけど、出費痛いんだからな!!」
「なら、使わなければいいでしょ」
「正々堂々戦って、勝てる訳無いだろ!」
「元勇者とは思えないわね……」
「うるせぇな。……わぶぅ!?」
ナイフでインスタントコーヒーに切り込みを入れた瞬間、強く袋を握っていたせいか、粉が吹き出し顔に直撃する。ほぼ、破裂したに等しいので、かなりの勢いで掛かった。
「……持ちネタにしようとしてるの?」
「してねーよ!器用なネタだな、おい!」
ギャーギャーと騒いでいると、少し離れた所に居た商人が、こちらに向かって声を飛ばしてきた。それに、応答するために傍に居た別の商人が、大声で答える。
「おーい、そろそろ見張り代わってくれー」
「おう、今行くからちょっと待ってろー」
「見張り立ててんの?」
「はい。いつ襲ってくるのか分からないので」
俺は顎に手を当てて、少し悩むと顔を上げる。そして、交代しようと腰を持ち上げていた商人を掴まえる。
「……よし、俺が朝まで見張りやるよ」
「え!?いえ、護衛をしていただいているだけでも……」
「金貰って仕事してるんだ。それくらい依頼のうちだろ?はいはい、俺が代わるって伝えといてくれ」
「えっ?あ、ちょっと――」
背中を押して、無理やり商人を送り出す。しかし、本当に伝えて良いのか心配になったのだろう、10メートルほど進むと、こちらを振り返ってきた。俺は笑顔を見せ、軽く頷いてやると、向こうも頷き返して歩き出す。
そして、周りが誰もこちらを気にしていないのを確認すると、ミュゼに小声で話し掛ける。
「ミュゼ、ちょっといいか?」
「お断りよ」
「さっきスノーウルフたちが……って、話も聞かずに拒否するなよ!」
「どうせ、昼間みたいに魔法使えってことでしょ?」
「うっ……妙に察しがいいな。……頼む、肉まん増量キャンペーン開催してやるから」
「肉まんはもういいわよ。そうね……ドーナッツがいいわ」
「はいはい、買ってやるから。それでだけどな――」
俺はミュゼに顔を近づけると、誰にも盗み聞きされないように耳打ちする。それに対して、向こうの反応は素っ気無いものだった。いつも通りと言えばそうなのだが、会話の中でこっちは逐一何かしらのリアクションを示しているのに、ミュゼは表情一つ変えずに受け答えをしている。しかも、やり取りの最中ずっと、肉の串焼きにかぶりついている始末だ。
話を終えて、俺は深いため息をついた。
――どうやら、これは長い夜になりそうだ。
☆
「本当にいいんですか?」
「気にするな。昼間、馬車ん中でぐっすり寝てたから眠くないんだよ。お前らはノーエンスに着いてからがメインだろ?それまで、しっかりと英気を養っとけ」
「はぁ……。では、お言葉に甘えて。宜しくお願いします」
「あーい、おやすみー」
ぺこりとお辞儀をして、本来見張りの番をするはずだった商人が馬車の中へ潜り込む。一人になった俺は、ぐーんと伸びをして今晩に備える。そこで不意に、後ろから声が掛けられた。
「おやすみなさーい」
振り返ると、完全に寝支度を済ませたミュゼが、薄ら笑いをしながら立っていた。
「……お前はもうちょっと手伝おうとか思わないのか?」
「馬車の中で寝てないから眠いのよ」
「そもそも、スノーウルフと一人で戦わせたのはお前だからな?」
「はいはい、明日じっくりと聞いてあげるわ」
「……あーもういいから、早く寝てこい」
「言われなくともそうするわよ」
何を言ったところで無駄だと判断した俺は、早急に会話を終了させる。向こうも端から、付き合う気などさらさらなかったみたいで、欠伸をしながら踵を返して歩き出した。所長に対しての気遣いなど、あったものじゃない。気が置けない関係なのだと、無理やりにでも自分を納得させる。
「ったく、可愛くねぇなー。……おっと、地獄耳だから聞かれちまうな」
不平を漏らしながら、用意してあった折り畳みの椅子に腰掛ける。当たり前だが、椅子の良し悪しを説明するまでもない。これは持ち運びに特化させたもので、とにかく地べたに座らないようにするためのものである。つまり、座り心地最悪なのである。もう座った瞬間から、枠組みのパイプに尻が当たり、ほのかな痛みを生み出している。更に、独りになったのを待っていたかのように、吹雪が再開する。それも、何処となく強さが増している気がする。
「寒ぅ……こりゃ、何かしてないと死ぬな。…………剣でも磨いとくか」
袖口をまさぐって、ナイフの残量を確認する。一、二、三……残り四本。ジャラジャラと引っ張り出して、刃こぼれのチェックもしてみる。特に傷なども無かったので、一応全部使えるはずだ。ナイフは消耗品レベルなので、最悪買い足せばいいのだが、この雪山ではどう頑張っても調達ができない。こりゃ足りないなー、などと思いながらナイフを袖口へ戻す。
そうなると、"この短剣"を使って戦う羽目になりそうだ。懐から取り出した短剣を抜剣する。辺りは真っ暗だというのに、刃が青白く光っている。……なるべく、こいつは使いたくない。しかし全く鞘から抜かないというのも、武器として死んでしまうため、適度に使用して切れ味を保っている。俺は、乾いた布で少し擦ってから鞘へ収めた。
さて、本格的にやることが無くなってしまった。仕方がないので、ちゃんと職務を全うしようか。そう思い、椅子に座ったまま、腕を天に伸ばして身体をリラックスさせる。ぐーんと、身体を大きく反らした。しかし反らし過ぎて、後ろにバランスを崩してしまった。背もたれが存在していないため、支えてくれるものが何も無いのだ。
完全に重心を後ろに持っていかれる寸前で、両手を地面に付いてバック転のように回転する。勢いを殺さないよう、そのまま足を振る。それは、刈り取る鎌の如く。振り抜いた足に、何かを蹴り飛ばす感覚。それと同時に、キャインという短い悲鳴が上がる。俺が体勢を立て直すのとほぼ同時に、後ろで雪が舞い上がる。
雪の粉が晴れると、中から痛みを堪えているスノーウルフが姿を現した。
「不意討ち狙うなら、もう少し殺気抑えてこい。あと、風呂!獣臭いわ!」
吹っ飛ばされたスノーウルフは、立ち上がりグルルルル……と威嚇する。この一匹だけではない。よく見えないが、夜の闇を纏わせつつ、周囲に沢山存在しているみたいだ。確実に昼間襲ってきた数よりも多い。
「こんな夜中に皆でぞろぞろと……。夜逃げでもしてんの?」
「いや、どちらかと言うと"追い掛ける"側だろうな」
獣の唸り声に混じって、人間の言葉が聞こえてきた。その一声で、騒がしかったオオカミたちが瞬間的に口を閉じる。
海を裂くように大量の獣が両側に寄り、暗闇から一匹のスノーウルフがゆったりと歩み出てきた。他の銀色とは異なり、雪の山と見間違えるほど、真っ白なオオカミだった。
真っ白なスノーウルフは、俺と正面から対峙する。他のは、周りを囲うだけで襲ってくる気配は無い。この真っ白なのがアクションを起こすまで、こいつらも跳び掛かってくるような真似はしないみたいだ。それでも、常にじっと睨まれ続けているというのは、あまり気分が良いものではない。
「お前は人間の言葉が話せるんだな。いやー、ありがたい。魔族の言葉は、種族で違うから覚えられなくてね」
「人間だって、方言が色々あると聞く。それを踏まえたら、どっこいどっこいだろう?」
「そういやそうだな。じゃあ、言い直そう。興味が無くて、覚える気にならなくてな」
一瞬の沈黙の後、俺たちは大声で笑い始めた。突然の爆笑に、他のスノーウルフたちは驚いているか、唖然としているだろう。スノーウルフの表情を読むことができないのが、本当に残念で仕方が無い。おそらくだが、この白いスノーウルフとは気が合いそうだ。
……こんな出会い方でなければ、の話だが。
「で、わざわざ何の用なんだ?一旦仕切り直して、わざわざ夜に攻めてくるなんてさ」
このまま雑談しているのも結構だが、こっちにそのつもりはない。さっさと、本題を切り出した。白いオオカミは、笑みを残したまま俺に告げる。口角を上げた口元からは、鋭い牙が見え隠れしていた。
「お前と話がしたくてな」
「なら、昼間来れば良かっただろ?ちょっと離れた所で見てたんだからさ」
「……ほぅ、よく見えたな」
「あぁ、他人より目が良いからな。それと、大声で夜にもっかい来るって言ってたし」
「魔族の言葉は分からないのだろう?言葉の分からない人間には、ただの遠吠えにしか聞こえないはずだが?」
「そっちは、魔族の言葉に精通してるスペシャリストが居たからな」
これに関しては、「そうか」と一言呟いただけで、特に言及はされなかった。
話している最中にこのスノーウルフは、時折楽しそうに喉を鳴らす。この会話のどこが面白いのだろうか。仲良くなれそうと言ったが、感性は少しずれているのかもしれない。
「……つーか、そんなことはどうでもいい。俺は何で人間を襲ってたのか、ってのを聞きたい。普通に食料狙った方が旨いし、波もあまり立たないだろ?」
「そうだな。人間を喰らうより、食料の方が断然旨い。だが、目的が"あえて波風を立てていた"、としたらどうだ?」
「わざわざ退治されたがって居た、と?」
「いやいや、待っていたんだ。"お前"をな」
「…………」
「『勇者の二ヶ条』なんてものを作った手前、魔物が人間を襲っていると聞いたら、放ってはおけないだろう?」
つまり、俺がここに居て、こいつと会話をしていること自体、こいつのシナリオ通りだったということだ。手のひらの上で踊らされていたようで、何だか癪に障る。俺は若干、イライラしながら話を続ける。
「……で、その目的は達成された訳だが、俺と何を話したかったんだ?まさか、無意味に世間話を楽しむってだけじゃないよな」
「それも悪くはないが、ちゃんとした理由がある」
これには何も応答しない。無言で促し、この真っ白なスノーウルフの出方を窺う。スノーウルフは、また嬉しそうに喉を鳴らしてから答えた。
「最近……というより魔王が倒された後だな。
…………この世界の"魔力バランスが崩れ始めている"」
「そりゃそうだろ。魔王が居なくなって、そっくりそのまま魔力残ってますー、なんて方がおかしいだろ?」
「そうではない。魔王が制御していた分を考慮しても、極端に魔力が不足している」
「はぁ……?そんな話、お前以外の魔族から聞いたことも無いぞ?」
「他はまだ気が付いていないだけだ。我らスノーウルフは、自然と同調しているため、そういったバランスには敏感なんだ」
「……分かんねぇな。つまり、お前らは、俺に何をしてほしいんだ?」
俺の問い掛けに、スノーウルフは口角を下げる。急にその表情から、"笑い"が消えたのだろう。そして、一呼吸置いてからはっきりと俺に告げる。
「お前が魔力のバランスを正せ」
「……魔王を倒した俺が原因でバランスが崩れたから、責任を果たせ、と?」
「そうだ。魔王の行動には賛同しかねる点が幾つもあったが、居なくなってそれなりに魔力制御に尽力していたのだと分かった。それを踏まえても、奴とは分かり合えなかっただろうがな」
「成る程。言いたいことは分かった。……けど、もし断ると言ったら?」
「……自分で考えろ」
「そっかー。じゃあ――」
「「交渉決裂だな」」
バッと、示し合わせたかのように、瞬時にお互い距離を取る。俺は地面を蹴って、後ろに跳ねた。足と手で雪を削りながら、その衝撃を分散させる。体勢を整えようと前を見据えた瞬間、氷柱が顔面目掛けて飛んできているのに気付いた。思わず、ナイフを投げて軌道を僅かに逸らす。しかし、完全に逸らすことはできなかったらしく、頬を掠めていった。摩擦でチリチリと痛む感覚はあったものの、どうやら血は出ていないらしい。
――あと三本。
「お前……肉体派かと思ったら、魔法も使えるのか」
「それくらい当然の嗜みだ」
「おうおう、可愛くねぇなー。どっかの怪力馬鹿と同じくらい可愛くねぇ」
「……何の話だ?」
「何でもねー、よっ!」
俺は真っ白なスノーウルフに向かって走り出す。それに気付いて、向こうもワンテンポ遅れて突っ込んでくる。距離にして3メートルくらいの所で、スノーウルフが大きく地面を蹴って、跳び掛かって来た。
しかし、俺はそれを予想していた。ほぼ垂直に跳び、その更に上へいく。鋭利な爪をすんでの所でかわし、空中で倒立でもするかのように逆さまになりながら、ナイフを相手の背中目掛けて投てきする。
――あと二本。
捕らえた!!
――そう感じた時には、投げたはずのナイフの切っ先が、何故だか自分に向かってきていた。おそらく、尾っぽで跳ね返しでもしたのだろう。これは完全に予想外で、慌ててもう一本、袖口からナイフを取り出して弾かれたナイフを防ぐ。判断が遅れたせいか勢いに圧され、手に持っていたナイフ共々、後方にもぎ取られる。これによって、空中でバランスを崩してしまう。だが、無理に着地しようとせず、転がるようにして追撃される距離から脱する。全身を強く打ち、激痛が走る。だが案の定、攻撃を詰めにきていたようで、氷柱が頭上を通過していった。
――――あと一本。
「げっ!肉体強化の魔法も使えんのかよ」
「スノーウルフを統べる者として当然だ」
肉体強化魔法――一時的に身体の一部を増強させる魔法だ。増強と言っても幅広く、今のヴォルフみたく尻尾を鋼鉄のように強靭なものにするものや、足を異様に速くすることだってできる……らしい。
回復魔法もこの応用で、負傷した部分の細胞を活性化させることで、急激に傷を癒すのだそうだ。効果時間も術者の技量に反映されるらしく、ほんの一瞬で強力なパワーを生み出す者や、長時間継続させて使用する者も居る。ヴォルフは前者だったようで、今はもう効果は切れている。
だが、これまでの経験からして、力不足だから一瞬しか使えないのではなく、魔力の温存のために短時間の効果を選択している場合が多い。
「あ、やっぱりお前が長なんだ。"魔界代表会"に出てなかったから、分からんかった」
「あんなものに出るほど、暇ではなかったのでな」
「へぇ……。そういや、そんな多忙な長さんの名前を聞いてなかったな。もし、名前って概念があるなら教えてくれ」
戦闘の途中、ってことで一瞬戸惑いが見えたが、すぐに冷静さを取り戻す。
そして、俺が次の攻防でこの争いを締め括ろうとしているのに勘付くと、今までにない目付きをして答えた。
「……ヴォルフだ」
「おぉ、なんか恰好いいな。俺は……名乗らなくても知ってるよな?」
「無論だ。ゼード」
「随分と俺も有名人になっちゃってなー」
「さぁ、決着をつけよう」
「……言われなくとも」
俺たちは、じりじりと間合いを詰める。中々、どちらも動き出さない。摺り足で、微かに前や横に位置取りを変えるだけだ。
そうして互いが、僅かな動きさえも止めた瞬間、一斉に地面を蹴る!
攻撃魔法に肉体強化魔法。単純な接近戦を挑んだら、勝ち筋はかなり少ない。だったら"単純でない"接近戦に持ち込めばいい話だ。
踏み込んで一気に前へ出たが、二歩目はその場で急ブレーキをかける。ヴォルフは微かに動揺して軸がぶれたが、構わずこちら目掛けて突っ込んで来た。さっきヴォルフがジャンプを仕掛けてきた距離、約3メートルに達した時、俺はブレーキを掛けた際に靴の上に溜まった雪を、思い切り蹴り上げる。今回も、ヴォルフは同じ距離から跳び掛かってきた。自ら舞い上がる雪に突っ込む形で。
「産まれも育ちも雪の国。この程度、目潰しにもならんわ!!」
それにもかかわらず、だ。雪で前が見えないだろうと踏んで、左に身体をずらしていたのだが、それすらもお見通しだったようで、掻き分けて正面から現れる。
衝撃に備え、俺は右手で最後の一本を構え――。
――動かない。
ナイフを握っていた右腕が動かない。横目で視線を落とすと、雪面から氷が伸びていて、右手首をがっちりと固定している。いつの間に封じられていたのだろう。巻き付いた感覚は無かった。そして、そんな悠長に考えている暇も無かった。眼前には、触れたものを全て剥ぎ取るための10本の爪。
だが、俺も伊達に何度も死地を潜り抜けてはいない。
俺は指先のスナップだけで、ヴォルフへ向けてナイフを放った。そう、手首が動かなくとも指先だけで投てきは可能なのだ。しかも、この至近距離では回避などできるはずがない。致命傷にはならないだろうが、この一瞬の爪の攻撃を止める"ひるみ"を誘発させるには十分だ。ナイフを全て失ってしまうことになるが、圧倒的不利な立ち合いを、仕切り直しにまで持っていける。そうなれば、今度はナイフ無しで攻撃を組み立て直せばいい。
そう、"思っていた"のだ。
ヴォルフの脇腹にナイフが突き刺さるか、刺さらないかのギリギリのところで、攻撃のために伸ばしていた腕を防御に切り替えた。この時点で防御しても手遅れで、ダメージの軽減はできても、そのまま攻撃に移行することは不可能だ。
しかし、またしてもナイフは弾かれる。手首の固定と同時に、肉体強化魔法を発動していたのだ。正直、敵の実力を見誤っていた。ここまで魔法に長けているとは思わなかった。爪は防御に転じたため、こちらを向いてはいない。だが、不思議とヴォルフはそのまま俺に突っ込んでくる。これでは、正面衝突は避けられない。
俺は鋭く尖った爪にばかり意識を集中していた。爪に裂かれる心配の無い今は、多少攻撃を食らっても、次の展開へ移る余裕があると過信していた。
しかし、俺はヴォルフの"もう一つの武器"を忘れていた。
ガバッと開かれた口の中で、薄気味悪く光る鋭利な"牙"を見るまでは――。
「がっ…………!!?」
目に見える世界には真っ白な雪と、それに負けないくらい真っ白なスノーウルフの首から下。首から上は視界には入らない。というのも、ヴォルフの牙はがっつりと俺の首を捕らえていたからだ。牙が首の肉に食い込む。周りのスノーウルフたちは、熱が入って思わず感嘆の声を上げる。勝利を確信して零れた歓声。
しかし、当のヴォルフだけは冷や汗を流していた。
「……旨いか、俺の肉は?なぁ、ワンころ」
噛み付かれていた俺の身体が、割れるように砕ける。その衝撃で、ヴォルフの身体が宙に浮く。目をこれでもかというくらい見開いていて、驚きを隠せないようだった。"殻"の中に居た俺は、姿勢を低くして、左手に短剣を握っている。そのまま、斜め上方向に一閃――。
赤い液体を撒き散らしながら、ヴォルフは後方に転がっていく。
「ちっ……浅いか!」
ヴォルフはよたよたと立ち上がり、俺をキッと睨み付ける。真っ白だった身体は、赤くにじみ、下の雪まで汚していた。
「初めから土の衣を被っていたのか……」
「あぁ、もう動きにくくて仕方ねーの。けど、これは俺の魔法じゃないからな?つーか、魔法なんて俺使えねーし」
「ならば、一体……」
「私よ」
どこからか女の声が聞こえたかと思えば、俺のすぐ傍の土が盛り上がり、やがて人の形になる。
……俺にとってはよく見慣れた、憎たらしい姿に。
「ミュゼ!?お前は死んだはずでは……」
「知らないわよ。ゼードに聞きなさいな」
現れたミュゼは、そう言いながら俺の肩を小突く。本人は軽くやったつもりなのだろうが、俺個人としては今日一番のダメージだった。
「魔族の言葉に精通しているスペシャリスト…………成る程。これほどまでに精通している者は、他に居ないだろう」
「褒められてるぞ、良かったな」
「うっさい」
☆
――数刻前。
俺はミュゼに顔を近づけると、誰にも盗み聞きされないように耳打ちする。
「それでだけどな、スノーウルフが次、いつくらいに襲ってくると思う?」
「……今夜ね」
「早過ぎだろ!」
「しかも、昼よりも大勢で」
ミュゼは考え込む様子もなく、きっぱりと答えた。それはまるで、未来が見えているかのように。
「……なしてそんなことが分かるんで?」
「去り際に遠吠えが聞こえたでしょ?あれは、スノーウルフたちの言葉で『一旦退いて、今晩出直す』って意味なの」
「確定じゃねぇか……。じゃあ改めてお願い、今夜中だけでいいから魔法で防護してくれ」
「無理よ」
「ドーナッツ買ってやるって言ったろ!?」
思わず耳元なのに大声でつっこんでしまい、ミュゼからビンタが飛んでくる。しかも、咄嗟に俺がそれを避けてしまったものだから、とてつもなく不服そうな顔をしている。確かに悪いのは俺だけど、殴ることはないだろう。向こうも反射的にやってしまったことだから、悪意が無いのは分かるけれども。
しかし、ミュゼ本人はそこまで気にしていなかったようで、しかめっ面のまま話を再開する。
……しかめっ面の時点で、気にしてなくはないだろうが。
「勿論貰うわよ。ちゃんと話は最後まで聞きなさい。完全に守るのは無理ってこと」
「ん?どういうことだ?」
「物理的な攻撃は防御できるけど、魔法での攻撃は防御できないわ」
「何故?」
「どれくらいの魔力を持っているのか、予想ができないからよ。相手が強すぎたら、当たり前だけど防護壁は破壊されるし、逆に弱すぎても、防護魔法が過剰に反応して暴発するわ。けれど、それに対して物理なら、おおよその予測はできる。……あ、もし肉体強化とかされたら防御できないってのも付け加えとくわ」
「け、結構条件厳しいな……」
「私が近くに居たら、もっと防御できる幅が広がるんだけどね。アンタが一人で見張りするんでしょ?というか、夜襲してくるってのも何となく分かってたから、見張り役を名乗り出たんでしょう?」
「……さぁ、どうだか。ほら、早く魔法掛けてくれ」
「頼んどいて随分と偉そうね。それ」
適当な掛け声と共に、ミュゼが創出した土で俺を飲み込む。一瞬、完全に土に埋もれたが、すぐに消え去った。あまりにも唐突で驚いたが、服や口の中へ入り込むといった不快感は無かった。
「ぶはっ!?お前、急に土掛けんな!!魔法掛けろっつったんだよ!」
「今、魔法掛けたのよ」
「…………本当かー?」
「信用できないなら別にいいけど。……いい?この防護魔法は一回限定。それに、肉体強化がされてない、物理攻撃のみの防御だからね」
「……ん、了解」
☆
「いつから居たんだよ?」
「今さっきよ。依頼人優先でしょ?」
「おー、よくやった!商人たちを逃がしたんだよな?」
「えぇ。もうかなり先まで進んでいるはずよ」
「うっし、じゃあ……」
ゼードはスノーウルフたちを見渡す。これまで傍観を極め込んでいた外野も臨戦態勢だ。自分たちの長が傷付けられて、じっとしていろという方が無理な話かもしれない。殺気立って、グルルル…と今にも食い千切りに来そうだ。
そんな私たちは、互いの顔を見合わせると、渇いた笑みを浮かべた。
「「逃げる!!」」
同時に回れ右をして駆け出す。ヴォルフはボロボロであるにもかかわらず、力強く一鳴きする。その声に呼応して、周りのスノーウルフたちが動き出した。すぐに近くに居た四匹が、我先に成果を上げようと迫ってきた。けれども、ヴォルフほど戦い慣れしていないため、その攻撃は直線的だった。回避は容易で、ゼードは高く跳び上がり、私は土に潜ってスノーウルフたちの後方へ移動する。
そのまま、脇目も振らず山を駆け降りる。後ろからは、波のように大量のスノーウルフたちが追い掛けてきている。
「何か追われてばっかりだな、俺!」
「悪いものにでも憑かれてるんじゃないの?」
「ああ、一回見てもらう!」
「ついでに頭も見てもらえば?」
「お前は成長ホルモン見てもらえ!胸の成長が止まってる原因分かるかもよ?」
「…………」
「止めろ!!無言で足引っかけにくるな!コケたら洒落にならん!」
走りながら、土の塊をゼードの足元に創出してみるけれど、あっさりと避けられる。本当に転ばれても困るのだけれど。
それはそうと、いつまでも走り続けているのも骨が折れる。さすがに麓まで駆け抜けようなどと、馬鹿なことは考えていないはず。何かきっと策があるに違いない。……そうでなくては、堪ったものではない。
「……で、どうすんの。このまま逃げてたって、どうしようもないでしょ」
「うん、ぼちぼちかな」
ゼードはちらちらと辺りを確認しながら、そう告げる。最後に迫り来るスノーウルフたちを振り返ってから、私に向き直り、ニヤリと笑い掛けた。
「ミュゼ、昼間みたいに地面殴れ」
「はぁ?あれ、かなり気を使うのよ――」
「いや、思いっきりやれ」
一瞬、何を考えているのか理解できなかった。加減無しになんて、自殺行為にも等しかったからだ。だって、そんなことをしたら――――。
「……そういうことね。了解!巻き込まれないでよ」
「あぁ、いっちょ、どでかいのかましてやってくれ!」
私はくるりと反転して、その場に止まる。そして力の限り、雪の積もった地面を叩く。今度は力の調節なんてしない。魔法も使わない。だから当たり前だけど、地面も盛り上がらない。その代わりに、軽い地震が起きる。揺れで何匹かのスノーウルフは転倒するけど、残念ながら狙いはそれではない。魔法効果を伴わない揺れ、これによって雪粒同士の結合力が崩れ、斜面上の雪や氷を巻き込みながら流れ落ちる。大量の積雪が崩れ落ちると、"雪崩"が発生するのだ。
元から雪が積もっていたのに加え、さっきから荒れている吹雪の影響もあって、流れる雪はとても多い。雪崩はスノーウルフよりも、誰よりも速く、下に向かって進んでいく。一瞬のうちに、スノーウルフたちを巻き込む。あれだけ沢山居たスノーウルフの姿は、もう雪に紛れて見えなかった。
それでも尚、自然の力、スピードは収まることを知らず、先頭を走っていた私たちにどんどん接近していた。
「ほいじゃあ、飛ぶぞ!」
「アンタは何もしないでしょ!」
雪の波と10メートルくらいの距離に差し迫った時、私たちの足元に土の足場を創出させる。勿論、これで高台を創っただけでは、雪崩の威力に押し負けてしまうでしょう。でも、今の目的は"逃げる"こと。
だから、バネのように足場を勢い良く跳ね上げて、夜空へ飛び上がった――――。
――――――――――――――――――――――――――――――――
「――で、スノーウルフたちは生きてんの?」
「生死を確認した訳じゃないけど、あの程度で死ぬほど脆くないでしょ」
「だよなぁ……。ま、いっか。報酬も貰ったし、町は祭りムード全開だし」
「さすがに、お祭りの最中に乗り込んでくるほど、無粋じゃないことを祈るわ」
ノーエンスの祭りは正直、華やかさに欠けるのではないかと思っていた。雪国だからか、あまり活気付くイメージが無かったからだ。しかしこの光景は、そんなイメージを根本から覆すほどに賑やかだった。まだ準備中ではあるが、出店も多く並び、氷像なんかも作られている。これが開催ともなれば、どれほどのものになるのか想像もつかない。商人たちが、掻き入れ時と言っていたのも頷ける。
一方で、スノーウルフの問題が解決したとは言えない。大きな打撃は与えたものの、そんなのは一時凌ぎでしかなく、回復したらまた人間を襲うかもしれない。けれども、解決策が見出せないのも事実であった。ヴォルフは、『魔力のバランスを正せ』と言ってきたが、話が壮大過ぎて具体案が浮かばないのだ。そもそも、魔法の使えない俺には、ピンとさえこなかった。もっと魔法に長けている者が、何とかするべきなのだろうが、やっぱりそれも浮かばない。
結局、保留にするほかなかった。
「どうする?祭りが始まるまで残るか?」
「いいえ。雪国はもう懲り懲りよ」
「だな。さっさと我が家に帰るとしますかー」
俺たちは騒がしくなりつつある町を後にして、落ち着ける事務所への帰路に足を向けた。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
初めましての方は初めまして。
お久しぶりの方はお久しぶりでございます。
碓氷 修夜です。
『勇者と魔娘の3年間』の3話です。スパンがかなり空いてしまって申し訳ありません。その分ちょっと長く……長くなりすぎました。大体、1話毎に1万字前後を目安にして書いているのですが、長くなりすぎてしまいました。無駄な所を省けば抑えられるとは思うのですが、妥協させてください。
さて、今回は比較的(?)戦闘回です。やはり戦闘を文字で表現するのは難しく、ちょっとでも皆様に理解されていれば個人的に成功かな、と思います。読みづらいかもしれませんが、まだまだ成長の余地があるとポジティブに考えます。
それとまた新たな固有名詞も出てきてしまいました。あまり固有名詞で伏線を立てるというのは好みでないので、なるべく減らしたいとは思っているのですが。固有名詞での伏線は読んでいて、理解しづらくなるので。伏線は会話などの中に差し障りの無い程度に登場させて、忘れた頃に回収するのがベストだと思います。……まぁ、それを書く技量は私にはありませんが。
そして、早くもネタ切れ感が……。おおよその設定と結末だけしか考えずにやっているので真ん中何も決めてないんですよね……。次は大体、4、5、6月の話でしょうが、ネタが浮かばなかったら夏になっているかもしれません。
行き当たりばったりのこの作品ですが、また見かけましたら是非ページを開いていただけたらと思います。
それでは長くなりましたが、ここいらで締めさせていただきます。
改めまして、ここまでお読みいただきありがとうございました。