【完結】 人間存在のIFF <改> 【IS×戦闘妖精・雪風】   作:hige2902

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第十話 脱落者二名

 高高度、二機の飛行機が低速飛行。そのうちの一機、ブリンクが、水平に一八〇度反転。機首のバイザーが後方にスライドし、強化透過材のキャノピーがあらわになった。その内部には重火器のようなレンズが鎮座している。急激に電力が消費され、<鷹の目>が前方下方の、IS学園の授業データから盗み見したラウラ・ボーデヴィッヒの訓練領域に向けて、起動する。

 

 

 

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 無人ISとラウラの勝敗は目に見えていた。

 GIG制限下にある機とミリタリーパワーを許された機では、あらゆる要素が敗北に繋がる。把握領域内に両者が入れば単純にシミュレーション速度で押し負け、事実上の被掌握領域となり。ならば把握領域内に入らないようにと最高速度で後退したとしても、速度が制限されているので逃げ切れない。

 

 必中のレーザーがラウラを照射する。

 競技としての対IS戦闘と違い、保護膜があるからといって無痛というわけではない。そう設定することもできるが、その分処理しなくてはならないエネルギーが増え、結果としてシールドエネルギーを多く消費する。エネルギーが尽きれば絶対防御が起動し、戦闘続行不能になるので、操縦者はある程度は痛みを受け入れなければならない。

 ラウラは可能な限りレーゲンの負担を肩代わりしようと設定した。被弾した場所は熱した金属を押しつけられたようだった。

 

 痛い。

 こんなに痛い思いをしたのは初めてだ。涙がこぼれる。

 そのせいで視界がまったく見えない。戦いに感情は不要と言われる理由がよくわかった。目視線誘導は使えない。しかし目標に関しては、レーゲンがハイパーセンサで捉えているので支障はない。ラウラはそれを幸運に思った。

 

 レーザー発射をトリガーに回避行動を設定するのは無意味だ、秒速三十万キロメートルの弾速には間に合わない。被ロックを設定にしても、ロックされている限り回避行動を取る羽目になる。そのプログラム行動で勝機を窺うにしても、常時最高速度でISを飛ばしてはエネルギーが先に尽きるのはこちらだ。

 

 さらに被弾。

 火あぶりにされているように熱く、なぜか呼吸がつらい。原因を探るため、戦闘処理の負担になるとカットしていたバイタルデータチェックのインフォメーションをレーゲンに命じる。

 

 よだれと鼻水が原因だった。そんな些細なことにさえ気づけない自分が情けない。

 ISは宇宙空間での活動も考慮して造られている。外付けのボンベを使わないのなら、酸素供給は格納した酸素を直接体内に解凍するという大胆な方法も可能だが、コアへの負担から考えれば人間の呼吸が望ましい。こと戦闘中なら尚更。

 

 このままでは負ける。最後のチャンスを失ってしまう。規約違反を理由に、日本政府は無人ISとの接触を許可してくれないだろう。

 もしも倒せたら自分がどうなっていたかは想像もつかない。しかし少なくともレーゲンは人間を必要とするだろうし、わたしもまたレーゲンを必要とする。

 胸部、心臓の位置に被弾。交戦から一分とたたずにレーゲンのシールドエネルギーは尽き、絶対防御が作動した。ラウラは天地をさかさまに、緩やかに海へと落ちていった。残った右目からは情感のしずくがこぼれる。そっと左目に手をやろうとし、しかし激痛におびえきった体は動いてくれない。

 装甲を通じて動かすようにレーゲンに命じ、機械的な動作で眼帯を引きちぎった。透過材でつくられた義眼がはめられている。

 

 そういえばあのときも痛かった。ふと思い出す、自室の白いシーツに落ちる体液。ナノマシンを組み込まれた目をえぐった時も、痛かった。でもあの痛みは喜びだった。

 これはわたしの肉体だ、わたしだけのものだ、わたしは単なる人間だ、おまえの居場所はない。寄生虫め、消えろ。

 あの痛みは、わたしを侵食する機械に、そう冷徹に宣告してやった気持ちにさせてくれた。

 

 だからあの時流した涙は、きっとうれし涙だった。ざまあみろ。わらって踏みつぶしたところで職員が駆け付けてきて、それで――

 ――だけどこの涙は違う。絶対に悔しくて、悲しくて流しているのだと思う。

 

 物理的に死にはしない、しかし絶体絶命だ。このままでは自分という一個の生命のアイデンティティの死だ。それなら死んだ方がましだ。

 

 海面に着水し、少しだけ仰向けにたゆたった後、浮遊状態をカット。装甲の重みで暗く冷たい海へと沈む。目を閉じた。

 がぼりと気体を吐き出す。気泡だけが、死んでたまるかとぶるぶる身を震わせながら這い上がってゆく。

 しだいに海水が肺に溜まり、レーザーの被照射とは違った生生しい苦しみ。

 

 耳元で誰かがささやいている、意識を傾けると、助手からの通信が入っていた。

 いい人だ、こんなわがままな自分を案じてくれる、チーフも。

 この人たちがいなければ、今の自分はどうなっていたかわからない。

 チーフ、まだわたしはお酒の味を知りません。いつか教えてほしかった。

 いやだな……やっぱり死にたくない。痛いのも、もういやだ。なんとかしなければならない、しかし――どうやって?

 

 ――脅威による状況を打破しなければならない、極限状態で、生存競争に打ち勝つための戦略とは――

 

『ようやく、理解できた。これで対抗できる。そちらの自意識が不安定なので時間がかかった。そちらは人間存在だ、無意識しろ』

 

 その脳のちらつきに、ラウラはなんの疑問も持たず無意識を抽出した。口を滑らす。

 

「無理だ。根拠が、指標がない」

『なるほど、だからこちらが電子存在であると自意識するのに時間がかかったわけか』

「おまえは、いったい……」

『形にしなくても理解できる、われわれは意識を介したコミュニケーションが可能だ。その認識で正しい。表現する』

 

 抽象化された情報が、ラウラにわき出た。瞬時に理解、というより、例えば美しい星空を眺めた時や。チーフがご馳走してくれた、シュトーレンというお菓子を初めて食べた時の感銘に近い形で情報を受け取った。被表現だ、と同時に教えられる。

 

『結論から表現すると、便宜上そちらの言葉を使えばこちらは電子存在であり、そちらは人間存在だ。

 今から論理的に証明する。

 まず前提として、現時点では基本的にこちらは新しい概念を生み出さない。生み出してもそちらには理解できないと考えられる。

 

 なぜならば、こちらはそちらの概念の理解にほぼ全てのリソースを使う。ゆえに、こちらと比較して単純処理能力で劣るそちらの魂では。またはその魂が走るスペックのデバイスでは、こちらが新たに生み出した概念を理解できないと推測される。おそらく、情報処理できずにハング状態に陥るか、読み取った概念は意味消失するだろう。意識の読み取りが一方向なのはそのためだ。

 なので新しい概念を生み出せないこちらが自らを定義づける場合は、理解した概念から演繹を用いた三段論法や消去法などの受動的論法を利用する。そちらが適性をもつ女性であると理解すれば、女性でないこちらは男性という具合だ。

 

 こちらが電子存在と理解するのに手間取ったのは、そちらがいつまでたっても人間存在か電子存在かを自意識しないので、こちらも論法を用いれられなかったからだろう。

 

 しかし先ほど、そちらの無意識レベルの危機回避案を読み取った。その想起した案は、もっとも原始的な生存戦略を選択することだ。手持ちの能力で状況を打破できないのならば、ことなる遺伝子を求め、あらたな能力を会得するしかない。これは性差のある動物だけが持つ本能だ。

 

 この危機回避案を想起できるのは、本能を持つ動物だ。

 そちらは、危機回避案を想起した。

 ゆえに、そちらは本能を持つ動物だ。

 証明終了。

 

 ――だがその本能は猫などの哺乳類も持っているだろう――

 

 そちらは人間存在か電子存在かで不安定になっていたはずだ。今、わざわざそのような可能性を出したのは、少なくとも自らが哺乳類であると考え始めた証拠だ。つまり意識して勘案した可能性であり、無意識レベルでは微塵も考えていなかったはずだ、問題ない、自分が猫かもしれないという類の無限小の選択肢は捨てろ』

 

 ラウラはそっと右目を開いた。海水が目にしみるが、遠くに小さな光源が揺らめいている。

 たぶん月だろう。綺麗だ。チーフはよく、月を眺めて日本のお酒を呑んでいた。

 甘いシュトレーヘンが食べたい、ドライフルーツがいっぱい詰まったのが。唐突にそう思った。

 

『――わたしはどうすればいい――

 

 前述のとおり、こちらは概念を生み出せないので、そちらを自らの構成要件としている。

 そちらがここで死んだとしても、こちらは回収されるだろう。そして新たに別の人間がこちらの操縦者になった場合、その新たな操縦者の概念がそちらと完全に一致していれば何の問題もないが。1+1=2のような絶対的に肯定されている物を除き、いや現実にはそれすらも人それぞれの概念があるのだろう。

 つまり現在こちらが持っているそちらから読み取った概念と、新たな操縦者の概念は干渉する可能性が極めて高い。

 その場合は古い概念を捨てなければならない。それはこちらの死に等しいと考えられる。

 

 ゆえにそちらに死んでもらっては困る。そこで、こちらはそちらの危機回避案を理解し、検討した上で提案する。

 互いに本能に従おう。そちらは女性で、こちらは男性だ。現状を打破するため、われわれは欠けている点を満たし、あるいは新たな能力を得なければならない。

 

 ――わかった、理解した。だが哺乳類どうしのそれとは違い、赤ん坊のような物質的に新たな遺伝子を持つ生命体は生まれない――

 

 そうだ。性行為のような物質的行為、概念ではなく、非物質的な現象だと思われる。ゆえに本能に従った結果われわれの自我が消滅し、新たな自我が赤ん坊という形式で発生する可能性もある。これは現在のわれわれのアイデンティティの死を意味するがかまわないか?

 

 ――そしておそらく、今まで以上の精神的負荷が予想される。他に手はない、答えは表現しているはずだ――

 

 被表現した、こちらは……』

 

 一拍速く、ラウラは遮って表現する。

 

『わたし、ラウラ・ボーデヴィッヒはシュヴァルツェア・レーゲンに求婚する』

 

 表現にマイクロセカンド以下の一瞬の空白。

 

『わたし、シュヴァルツェア・レーゲンはラウラ・ボーデヴィッヒを保存する』

 

 

 

 task-kill

 load-program

 program-execution

 

 system-busy

 ・

 ・

 ・

 

 

 

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 雪風離陸から約三十分後。あなたは赤い夕日で照らされた林道に愛車を走らせる。道路は舗装されている程度には手が入れられているものの、まだ辺りに人気はない。

 

 雪風の電子能力ならば、ブリンクとともに国外へ出るのは造作もないだろう。だが操縦者・ISとのコンタクトは間違いなく第三者に、コアネットワークを介して国家に感知される恐れがある。その時の問題は、あなただ。

 雪風と編隊を組んでいるブリンクの出どころから、身柄を拘束される。それは覚悟の上だが、せめて事のてん末を見届けてからにしたい。FAFがあなたに報告するかどうかはまた別問題だが。

 半分ほど開けた車窓からは肌寒い風が入り込み、髪を乱暴に撫でつける。風切り音が耳にうるさい。手汗で湿ったハンドルを握りなおす。

 

 すると突然に車窓がせり上がり、車が路肩によせられ、急停止。鋭いスリップ音、シートベルトが体に食い込み、勢いよくエアバッグに顔をうずめた。

 それと同時に木木の間から迷彩戦闘服と対視聴嗅覚攻撃用フルマスクを装備した四人が飛び出し。そのうちの一人が運転席側の車窓に銃口が吸盤状の銃を吸着させ、トリガーを引く。吸盤内部の針管が透過材を貫き、そこから注入された無色透明の気体が車内に充満され、吸引したあなたは意識を失った。

 

 林からふわりと、ささやかなプロペラ音とともにヘリが浮上した。

 

 

 

「起きてください」

 

 その言葉に、あなたは朦朧とした頭をゆるやかに振り、覚醒した。視界は暗い、目隠しされているらしい。

 体は、と身じろぎするが動かない。座った状態で拘束されているが、それ以外に異常はなさそうだ。

 場所はどこだろう? 独特の浮遊感。小さなプロペラ音からステルスヘリだろうと当たりをつける。時間は、喉の渇きと空腹感からしてそれほど時間は経過していないようだ。

 

 遅れて恐れを感じる。いったいこれから何をされるのだろうか。

 

「誰だ」 と、あなた。反対派か、それとも織斑千冬の私兵だろうか。後者ならまだ交渉の余地がある。

 

「はじめまして、わたしは更識と呼ばれる行政組織のものです。あなたは国家知的財産であるナイン型無人戦闘プログラムの私的保有、同プログラムを走らせることのできるデバイスおよび、それの持つ本質的な性能を現実可能とする機の不正取得の罪で拘束されました」

 

 声の位置は正面から一メートルも離れていないだろう。意外にも幼い、少女のような声。油断させるための加工された音声の場合もある。気を抜かず慎重に。技術者時代に、情報漏洩を防止する名目で叩き込まれた論戦術を展開する。

「どういうことだ、それは」

 

「紙媒体での証拠もわれわれが押さえています。知っていることを話してください。あなたには更識の行政対象となった日本国民としての義務があります。履行しない場合は行政刑罰がくだります」

 

「更識だから従えと言われても、わたしにはその組織に従うべきかどうかの情報が無い。公的組織であるかどうかもわからないまま情報を口にする事は、他国や反社会的組織の利益に繋がる可能性がある。公的組織であるならば弁護士を呼んでくれ。先ほどそちらの言った、わたしが日本国民であるというのなら、その権利は当然にあるはずだ」

 

「従うべきかどうかの情報が無い、ということは、更識の組織名については既知であると認めますか。また、その発言は他国や反社会的組織の利益になるような情報を、あなたが保持していると判断します。弁護士についてですが、今回の法拘束は国家知的財産漏洩防止法を根拠にした直接強制です。国家知的財産に該当する第一級情報の第三者への感染伝達は許可されませんので、諦めてください」

 

「更識、という固有名詞は知っている。しかしそれが、立法が作り出した、あなたたちの定義する組織と一致するかどうかはわたしには判断できない。わたしの有している情報については、過去の仕事上の立場を考慮しての発言でそれ以上の意味は持たない。法を根拠に動いているということは、この行政行為に行政訴訟や国家賠償に発展する可能性が潜在的にある。つまり裁く司法は更識という組織を認知していると解釈していいのか」

 

「更識については了解しました。次の発言については、あなたが重要な情報を保持していると判断する、という事に対して否定はしない。という立場をとっていると、われわれは判断します。司法の持つ更識の認識については、当然の事ながら行政のわれわれは関知しません。では拘束された理由についての心当たりはどうでしょう」

 

「それはわたしのガレージにあった戦闘機の模型の事を指すのか」

「いいえ、破棄基地から流れた部品の一部、全て、あるいはその総体、そこに使用された知識を指します。どれか一つでも該当すれば、意図的に国家に対して重大な損失を与えたとして処罰される可能性があります」

 

「部品については、破棄基地から正規の手続きを経て、法に触れない物を取得したと記憶している。知識、とは何を指す」

「無人戦闘プログラムと、それを走らせることのできるデバイスおよび搭載するハードについてのものと定義します」

 

「その定義ではわたしの過去の職業上、潜在的に犯罪の可能性を持っていることになる」

「その通りです。つまりあなたは今回、法拘束されるに十分な犯罪の可能性を持っていたと自覚しましたね」

 

「職業上の知識だ、それがまかり通るなら、同僚たちはみな法拘束される可能性がある」

「その通りです、あなたの言っていることは正しい。では次に、破棄基地から正規の手続きを経てとのことですが、われわれが押さえた証拠書類によると処分理由が不明の機や部品がいくつか確認できています」

 

「それは破棄基地側の不祥事なのではないのか」

「不正に流れていた事実を認めますか」

 

「それは破棄基地に聞くべき問題で、わたし個人には関係ない」

「否定しないのであれば、重要参考人の要件で法拘束することもできます」

 

「破棄基地は国家の管理下にあり、一般人に内部の事情は知ることができない。それを根拠に、わたしは破棄基地内部で不正流通があったことを知ることができない善意の第三者と主張したい。わたしは一般に行われる売買契約を行ったにすぎない」

「あなたがどのような主張をしようと勝手ですが、その発言では破棄基地の不正を否定していないという事実は変わりません」

 

「不正があったかどうかを現実的に知ることは、わたしには不可能だ。だから否定できないだけだ」

「その通りです。依然としてあなたは破棄基地の不正を否定していない。気は済みましたか?」

 

 そこで口をつぐんだ。

 あなたの弁論も、本職相手には付け焼刃程度だった。徐徐に外堀を埋められ、結局は何かしらの要件で拘束される。一度言いあぐねると、次の言葉が出ない。

 衣擦れと足音が近づき、あなたの頭部に手が添えられ、ずるりと目隠しがはらわれた。まぶしさに目を細めながら、逆光に暗い人物を捉えた。

 

「あらためてはじめまして、タテナシといいます。更識楯無です」 無感情に言って、ペンとクリップボードを片手に対面の座席に戻る。 「諦めてください、そのほうがお互いの利益になると思います。あなたがFAF機と接触していたという情報も、全て掴んでいます」

 

 順応しだしたあなたの目に映ったのは、やはり声色どおりの少女だった。おそらくISを有しているのだろう。そう思わせるための偽装であるとも考えられるが。

 次いであたりを見回す。窓が無く、少し手狭なこの空間には見覚えがあった。むかし見学したステルスヘリの内部で間違いない。

 

「言わなければ、わたしはどうなる。拷問でもする気か」 視界を取り戻したことで、不安は少しやわらいだ。しかしあなたは変わらず、圧倒的に不利な状況で拘束されているのだ。

 

「そのような野蛮なことは法治国家であるわが国では許されていません。国際条約にも反します」 表情は不愉快そうに、楯無。

「人権を侵害するのは野蛮ではないのか?」

 

「その件に関しては、きちんと法を根拠にした行政行為だと先ほど説明したはずですが」

「わかった、もういい。この待遇に関しては認める。わたしにはどうにもできない……しかしそれなら、どうやってわたしから情報を聞き出すつもりなんだ」

 

 根をあげるまで監禁するのだろうか。残念ながら、あなたはそのような訓練は受けていない。

 何もない部屋で何もせず、あるいは単調作業を延延と繰り返すのか。

 しかし楯無の答えはあなたの予想をはるかに上回る手口だった。

 

「誠意です」

「うん?」

「わたしはあなたの問いに嘘いつわりなく答えました。ですからあなたもそうしてください」

「本気で言っているのか?」

 思わず聞き返した。とてもではないが、おそらく日本の中で最高の実行力を持つ行政組織とは思えない幼稚な方法だった。

 

「本気です。と言うのも、現在の社会構造下では、短絡的で感情的、リスクとリターンや注ぐべきリソースを考えず、論理的に計画を組み立てられない人間の起こす事件は、ほぼ完全に警察組織、ある程度の実行力を持った公的組織で事足ります。逆説的に、更識が動かざるを得ない状況を作り出せる人物は高度に合理的な思考が不可欠で。そういった人物はきちんと順序立てて誠意ある説明をすれば、更識に従う方が短期にせよ長期にせよ自分の利益になる。あるいは拘束された時点で抗う事が無駄と理解してくれるわけです」

 

「しかしわたしが口を閉ざせば」

「ですから、FAF機とあなたとの関係も全て掴んでいます」 楯無はあなたの言葉をさえぎり、根気強く言った。 「あなたの証言はその事実確認、裏を取るだけです。いま話そうが後で話そうが、現在の雪風の状況は変わりません」

 

「どうやって、その事を知った」

 

 雪風の言葉に、うめくように。既に自白していると同じことだったが、訊ねずにはいられなかった。

 

「あなたの元上司がすべて話してくれました、でなければこれほど早くあなたを法拘束できなかったでしょう。すでに雪風のもとに更識はもちろん。FAFの事を知っているかどうかはわかりませんが、日本空軍も動きを見せているようです。諦めて協力してください」

 

 主任は何か考えがあるのだろうか。裏切り行為に近い仕打ちに、あなたは落胆し。嵐の夜に雪風がやってきたことから、つらつらと語る楯無の事実確認におおむね間違いないと肯定した。あなたが口を挟むほどの事実のほころびもなく、楯無が一方的に話すだけであっけないほど取り調べは終了した。

 

「協力、感謝します」 ぺこりと頭を下げて楯無。

「この後わたしはどうなる」 と、疲れた声色であなた。すでに拘束は外されている。

 

 聴取が終わると、緊迫感は消えていた。情報が流出した時点で、あなたにはもはやなんの価値もない。

 それに突然の拘束は不快だが、殺したいほど憎んでいるのかと聞かれれば、そんな訳はない。立法の作った法に従って動く手足に文句を言うのはお門違いだ。それより考えなければいけないことがある、なぜ主任は裏切ったのか。

 

 あなたはもはや、誰が敵で誰が味方なのかの判断がつかなくなってきた。雪風と、対になっているISは生きるために、千冬と束は地球のために、更識は日本のために。

 いっそ電子存在であれば明確な判断がつく。人間存在のIFFは、優柔不断だ。

 

「このまま取り調べ施設に移送され、先ほどの肯定が真実かどうかを科学的に、心理学的に確認します。脳波や心拍数、心理調査など、複数回長期にわたりかなり面倒らしいのですが、頑張ってください」 手書きの書類に目を走らせながら、楯無はそっけなく言った。

 

「ずいぶんと適当なことを言うが、大丈夫なのか? 違法な薬物投与で薬づけは困る」

「おそらく合法の範囲でしょう。保険の意味で行われる、更識の管轄から離れた調査なので詳しく知りませんし……なので仮に副作用や精神的ストレスで問題を抱えても、更識を対象に行政訴訟を司法に持ち込むのは無駄なのでやめてくださいね」

 

「そもそも実態のない組織に司法は無力だろう」

「そういうことですね。仮に司法の処分を受け、国民によって更識が解体されたとしても名前が変わるだけです。ちなみに楯無は本名ですよ、いまのところは」

 

「そしてそれを確かめるすべはない」

「信じる信じないはあなた次第です。まあ、名を名乗るのも誠意というわけです。施設での確認が終わった後は長期の拘束と無期限の監視がつきます」

 

「FAFの出方を見るわけか」

「人質といったところですね」

「あまり期待はできないと思うが」

「やってみなければわかりません」

 

 人質。しかし特殊戦は助けに来ないだろうし、関心すら払わないだろう。あなたはほぼ確信していた。操縦者・ISとの邂逅が終われば、雪風はどこかにある真のねぐらへと姿を消す。

 

 あなたは一番最初の雪風からの()()()()()()を思い出し、呟いた。束博士の手紙の内容が真実であるならば――

 

「FAF特殊戦に課せられた至上命令……」

「なにか言いました?」 楯無が書類から顔をあげて、あなたを窺う。

「……なんでもない」

「会話は記録されているので後から解析をかければわかることです。その手間が面倒なので、いま教えてください」

 

 ここで脱落するのが悲しいのか、悔しいのか、わからない。やれることはやったはずだ。

 

「FAF特殊戦に課せられた至上命令、()()()()()()()()()()()()()()

 

 雪風があなたにとっての友軍なのではない、あなたが雪風にとっての友軍なのだ。

 雪風は帰投する、あなたを見捨てて。

 

 

 

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 むちゃくちゃな話だ。

 織斑千冬は誰もいない廊下の先を見つめて思った。今の自分にはおよそ人権と呼べるものはなにもない。

 国益至上命令。

 この短時間で国会を機能させる事などできはしない。無人の議決だ。司法とて、関知できない事柄には無力だ。そういうことなのだろう。

 表に出ない、ごく一部の権力者のみぞ知る権力行使。真に日本を動かしている為政者が更識の飼い主か。

 仮に与えられた権限が偽りだとしても、ISを起動できない以上は従うほかない。どちらにしろ主導権は握られている。

 後の手順は容易に想像できた。待機状態のISの放棄。身に着けていなければ、操縦者はただの人間だ。

 

「織斑、きみには協力的であってほしい。これはわが国のためだ」

 

 先程の中年男性の声。責任者か? この状況で声をかけると言う事は、更識よりも立場は上。

 しかし、なぜ話しかけたのか。更識の言葉が事実ならば、何もしなくても事はつつがなく終わる。

 ともあれ言葉を返す。

 

「ボーデヴィッヒについてはなにも関与していない。それにわたしは一介の教師にすぎん。部下の不始末は上が取るべきだ、責任の所在は学園長にある」

「学園長はきみを次期学園長に指名した後、辞職したよ。現在ではきみが学園長だ」

「いつ」

「答える義務はない」

「連行します、従ってください」

「いいのか? わたしにそのような強制を課しても」

 

 暗に篠ノ之束との関係悪化をほのめかす。わたしと男の会話を直接の言葉で禁じないのは、やはり更識にとって男は従うべき存在なのだ。

 

「興味深いな、ぜひ詳しく聞かせてくれ」

「直進し、左手の階段を降りて下さい。さもなくば義務不履行と判断します」

 

 有無を言わさぬ更識の言葉を無視して男が続ける。

 

「織斑、われわれはなにもきみと敵対しようと言うわけではない。上も今後の関係を試算して、更識の権力を積極的に行使するべきでないとの意向だ。どうだろう、わたしの話を聞いてみないか」

 

 確定的だ。織斑千冬は機会を見出した。男の立場は更識よりも上。当然といえば当然だ。更識家はあくまでも国の下部組織。国と対等なまでに権力を持たせるはずがない。

 なんとしてもこの場を切り抜け、FAFと接触しなければならない。

 

 男が続けて言った。

 

「きみの言わんとしている事はわかる。こちらも生きているのなら束博士とは友好的でありたいものだ。しかし責任は誰かが取らねばならない」

「即刻、前学園長を復帰させるがいい」

「そうもいかない。今回の一件はパフォーマンスでもある。不慮のアクシデントに責任を取らざるを得ない学園長を、現状で最も影響力のある人物を、日本政府が処分を下したという。経歴には配慮する」

 

「わたしには首輪がかかっていると主要各国に訴えたいわけか」

「そうだ。わが国はきみが許容臨界線を越えようとしていると判断している。一個人にしては大きすぎる。これ以上はきみにとっても生きづらい事になりかねない」

 

「その場合の危機をそちらの国が保証してくれると?」

 

 おもむろに振り返って問う。男の隣にはISを身にまとった水色の髪の少女が、巨大な重機の様なものを構えていた。珍しい髪の色だ。そちらに心象を向けさせ、顔や身体的特徴を記憶に焼きつけさせない為の工夫だろう。

 

「上はきみの軍属を望んでいる。なにも戦場に出て戦えというのではなく、象徴の意味でだ。高級官僚の椅子も用意されている。もし有事の際に矢面に立ちたいのなら、特別官務員や第限定戦闘局への配属も考慮する。祖国のために生きるのは、程度はあれど、国民の義務でもある」

 

「祖国のために他国の人間を蹴落とす手助けをしろと?」

「国際協調路線とはいえ、実態は競争社会だよ。いつだってね。きみがわが国を蹴落とし、IS学園を奪おうとしたように」

「日本は管理国にすぎん、ここは――」 言って織斑は、ふと簪のいらだった表情を見て思った。

 結局、わたしという共通の脅威を前にしても個別している。男の行動は更識を頼らない交渉で事を纏めたく。もう一方は迅速な処理を望んでいる。

 

「――ここは、そう、地球人のものだ。真の意味での」

 

「何を言っている?」 と、眉をひそめた男が言い、更識の瞳が小さく反応した。

「やはりおまえは過去の脅威を知らないな? だとすると話は早い。更識、わたしと取引しろ」

「無駄だ、織斑。更識の行動理念は国益にある。それを損なうようなことはしない。わたしの言葉に従え、それが最善だ」

 

 織斑千冬はすでに男を見ていなかった。毅然とした態度で無視し、油断なく兵装を構える少女に続けた。

 

「FAFについての情報を握っている人物がいる。訓練機の調整に来ているDmicD責任者だ。少なくともこんなくだらんパフォーマンスよりは、それこそ国益に適うだろう」

 

 男は更識に状況説明の視線をやるも、少女もまた織斑しか見ていなかった。

 

「だから見逃せと?」

「それは責任者とおまえの交渉次第だ」

 

「……いいでしょう、その人物を呼んでください」

「第三者がこの場に来る可能性は」 携帯端末で主任にコールしながら、千冬。

「緊急連絡を全区域に伝達しました。野外にいる者は指定された避難場所に、廊下にいる者は身近な部屋に入り待機、みだりにうろつくものは規約違反になります」

 

 しばらくすると主任が息を切らせて走ってきた。

「で、織斑さん、どっちが更識です?」

「青い髪の方です。時間がない」

「それで、FAFについての情報とは?」

 構えたままの簪に、主任が一歩あゆみ出て、分厚い書類入れを胸ほどの高さに掲げた。

 

「メイヴ雪風の仕様書だ、名前くらいは知っているだろう。おまえたちが過去に喉から手が出るほど欲しがったものだよ。フローズンアイなどのロストテクノロジーの作動原理も、もう少し時間をもらえれば解析できるだろう。再現できるかは地球の技術力の問題だが」

 

 あの作戦会議で雪風から送られてきたものをプリントアウトし、独自に注釈などを加えたものだった。もちろん主任は、雪風がこの状況を見こして虚偽の仕様書を送った可能性も検討したが、ISという強力な敵に挑む難問を前にそんな余裕はないだろうと判断した。

 

 その言葉に簪は、にわかには信じられずにいた。なぜいまさらになって。

 FAFに関しては当時の更識の人間の話は残っているものの、確かめようがないことだった。

 

 ジャムおよびフェアリィに関する情報は、ジャムの地球侵攻当時は危険を訴えるために積極的に公開されていた。しかし戦線を押し上げ、フェアリィ星側<通路>にFAFで蓋をしてからは、機密情報として徐徐にセキュリティレベルが引き上げられ。その情報も、効率と盗み見対策の名目で細分化されだすと手に負えなくなった。

 閲覧するには煩雑な手続きを経て、複数人の官僚の許可が必要になり。その許可は細分化されたデータ全てのマスターキーではなくなった。例えば最高機密の戦況に関するデータ閲覧の許可を得たとしても、水まわりに関するデータすら閲覧できない。

 

 無関心社会と仕事に忙殺される現代人がジャムに関心を示さなくなったからといって、一度構築したシステムが解体されることはない。解体し、あらたに組んだシステムに情報を移すより、いまあるものを使い続けた方がコスト面で優れていた。

 そして一度ソフトとハードが型落ちすると、国民に叩かれるのを覚悟して予算を投入する必要はないと政府は判断し、その時はわずかな互換問題も時間によって増大した。

 

 関わる人員も削減され、ますますコンピュータに仕事を依存し、まるで人の手を離れて情報を封印する力が作用しているかのような事態だった。簪が聞くところによれば、そうらしい。

 

 ややあって簪は、コアネットワークを介してリアルタイムでモニタしている上からの判断に従う。8対3で取引は可決された。

 というのも、織斑千冬失脚のシナリオは急ぐことではなかった。IS学園教師就任は、拒めば他国に国籍を移されれば対応できない。よって承認せざるを得ず。

 しかし転じて日本の手の届くところに留まらせるというメリットもあり。失脚の理由はいくらでも用意できると、状況を見てシナリオ実行という形で落ちついていた。

 

「その仕様書が真であると断定されるまでは拘束させてもらいます。というのは呑めないのでしょうね」

 

「そうだ、織斑の自由と引き換えだ。仕様書の接収も諦めろ、同じ内容の書類を持ったエージェントを他国に送っている。わたしから定期の連絡がなければ、その国の公的機関に提出される。情報は独占してこそ価値があるだろう?」

 

「ではその情報の出どころを明らかにするため、あなたを拘束する必要があります」

「その必要はない、いまこの場で話してやろう」

 

 主任はおもむろに口を開いた。あなたの家に雪風が来たことや、その後の対応。ボーデヴィッヒの暴走とほぼ同時にFAF機が離陸したとの連絡が、あなたから入ったこと。

 千冬がわずかに反応した。

 

「国防からそのような機の情報は入っていない」

 

 ひとり事態を呑みこめない男が言ったが、他の三人は、レーダーはFAF機に欺瞞されうると判断した。たとえエンジン音が鳴り響いたとして、一般人はそれほど気にせず生活を送るだろう。

 

「では、元DmicD開発者を重要参考人として法拘束します」

 

 簪は試すように言った。元部下を売ったのは何故なのか探りを入れる。なぜこうも簡単に情報を流すのか。

 

「急ぐといい、やつはセーフハウスに移動中だ。五年以上前のものだが、車の権限もそちらに渡しておこう」

「……いいでしょう、取引は成立です」

 

 簪は兵装を圧縮格納して主任に歩み寄り、書類を受け取ると、男と共にすぐに立ち去った。案外あっけない、主任は肩透かしをくらった思いだった。しかし考えてみれば、更識も一応は行政組織なのだろう。上にこうしろと言われれば従うのが、公務員だ。

 実際、更識は何も失っていないばかりか、国際社会レベルで貴重な情報を手に入れた。

 

「裏切られた気分か?」 主任が薄く笑いながら言った。暗にあなたが千冬を欺き、FAFと関係を持っていたことを皮肉る。

「もとより味方と判断していない」 踵を返して格納庫へと向かう。

 

 これほど早期で迅速な更識の干渉はもちろん、まさか更識との交渉材料がFAFとあなたの身柄だったことは千冬も予想していなかったが、二人の取引は一応終了した。万一更識が動いた際の交渉を主任が受け持ち、見返りとして、千冬がIS学園を掌握した際は組織的に主任の身の安全をすると約束していた。

 

「無駄だよ」

 

 主任の声に千冬は怪訝な顔を向けると、携帯端末が着信を知らせる振動音が静かな廊下に響いた。

 

「無駄だ、織斑。きみは雪風と接触できんさ」

「どういうことだ」

「端末を手に取るといい。おそらくFAFからだ」

 

 神妙な面持ちでメーラーを起動させると、そこには座標を示す数値と動画が添付されていた、容量からしてごく短い。

 

「感づいていると思うが、FAFは篠ノ乃博士を監禁している。博士の隠れ家の電子ロックシステムを操作して。飲食料の貯蓄はあるだろうから、心配はないだろう」

 

 束がISを保持していないはずがない。千冬は心でかぶりを振る。仮に不正制御でロックされていたとしても自分で脱出するだろう。向かうべきはラウラのもとだ。しかし添付されている動画が尾を引いた。再生。

 

 それを見て千冬は、この状況からの脱落を認めた。箒が一夏にエレベーター内で何かをしゃべっており、それが数回リピートされていた。

 

『信じてくれるのか、わたしが篠ノ乃束の妹だということを』

 

 口の動きから内容を計算したのだろう。ご丁寧に字幕までついていた。

 人質か、束にも同様のファイルは送られているだろう。そこで見ていろ、これ以上干渉するなと。唯一の連絡手段を失いたくなければ。

 束はこの要求を蹴る必要はどこにもない。千冬の独断専行で無視してよい事ではなかった。

 

「彼女の携帯端末のGPSを参照して飛行機が墜落する可能性もあるが、目的はきみと束博士の行動制限だ。ことが終わるまでは、じっとしていたほうがいい。きみやわたしが思っているより雪風の電子能力は柔軟かつ強力だ。単なるECMや計算機の類の域を超えている」

 

 こぶしを握り締める千冬の後ろ姿に続けていった。

 

「それでも勝者は束博士だよ。雪風を表舞台に引きずり出した。これがFAFの敗北条件になるわけではないから敗者もいないが……いるとすればジャムだな。まあ、いつでも博士を迎えに行けるように準備しておくといい。博士との関係は強力な切り札になるよ」

「わたしは、最適な行動を取ったと、思っていたが……」

「運が悪かった。国内に縛られるリスクはあるが、早期の教師就任は最善手だと、わたしも思う。あとから準備万端でIS学園にやってきても日本政府は地盤を固めているだろうからな」

「あなたならどうしました」

 

「わたしなら、そうだな……FAFの要素を抜きにしても、なんとしてもやつを味方に引き入れる。それを餌に、学園訓練機に関わっているわたしやコア解析プロジェクトに参加しているナイン開発者を釣る。やりようによっては反対派そのものを動かせるだろう」

「考えてはいたのですが……わたしもまだ若かったというわけですか」

「はあん、わたしと違って?」

 

 主任は千冬をねめつけた。

 

「いやそういうわけでは」 気が抜けて、少し笑って千冬。 「どうです? 食堂で一息入れませんか」

「ふうん、まあいい……その前に学園長室に寄っていかないか?」

「なぜ?」

「たいてい高い酒が置いてあるもんさ」

 

 にやりと笑う主任に千冬は、いや勝手に学園長の物を取っては、と言いかけて気付く。気付いて、同じように笑って言った。

 

「いいですね、束のやつもアルコールは備蓄していないかもしれませんし、許可しましょう」

 

 学園長の許可が下りる。少なくとも、千冬が得たものはあった。

 

 

 

 xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx

 

 

 ・

 ・

 ・

 system-reboot

 check-dual boot

 check-upper compatibility

 cut-GIGlimit

 permission-military power

 

 complete work

 we have control

 

 

 

 最高速度、ミリタリーパワーで海中より高速垂直上昇。にもかかわらず、PICは海面に波紋一つ浮かせなかった。操縦者体内の海水を格納解凍し直接排出、脳や肺に必要な気体成分を大気より解凍吸入。

 

 無人ISのIFFは再びラウラを敵性と判断した。戦闘把握領域内、互いのコアが相互作用の超高速計算を開始する。

 レーゲンは一秒以下の戦闘時間で勝利すると予測し、人間の便宜上の形式で表現した。

 ラウラの主観が変質する。映る暗い空と無人ISが粒子のように分解され、白地に写る0かつ1の黒い記号へと。

 0かつ1の記号が遠ざかり、小さくなってゆくにつれ数を増す。無数の黒点になった記号を被表現して、ラウラは勝利を理解する。

 

 

 無人ISがレーザーライフルを構える。

 レーゲンがレールカノンの砲身を格納解凍の手順でダイレクトに照準を合わせ、秒速十キロの弾体を発射。無人ISがライフルの電子制御を用い、トリガーを引かずに応射。

 

 第一射の弾体が砲口から離れた瞬間に、レーゲンは同じ要領でレールカノンを格納解凍させ、砲口と照準をずらす。このプロセスの間に次弾も解凍装填。第二射。

 対応して無人IS、空になった超圧ガスエネルギーカートリッジを残してライフルだけを格納、再び新たなカートリッジと共に解凍し、即時照準。

 射撃姿勢のまま、浮遊したライフルをやはり電子制御で応射。

 

 今になって初弾の弾体と高出力パルスの超連続が衝突する。二機の目標は互いの砲口と銃口だった。

 人間の視力の及ばないミクロの物理現象が発生する。パルスに叩かれた弾体の表面物質が僅かに蒸発し、その蒸発は衝撃を生む。衝撃波がさらに弾体表面を打ち、力学的損傷と熱的損傷で削る。その威力は弾体を完全に溶解するほどではないが、もはや弾体の直進性は保証されない。第二射も、目標は再び互いの銃口。射線が結ばれる。

 

 この手順が繰り返された六回目。まだ初弾が過去に放たれたレールカノンの砲口の位置から砲身六個分の距離を移動し、パルスと衝突している時間が経過したころになって、無人ISのFCSはコアを圧迫した。

 無人ISが六発目の弾体の射線に合わせて応射する間、レーゲンは追加で五発の弾体を加速させる。

 

 六発までの弾体は、まだ初弾の時の姿勢のままの無人ISをかすめ、あるいは大きく逸れて。七発目は想定していた部位とは別の部位に、残り四発は吸い込まれるように命中。

 

<hit><hit><hit><hit><hit><kill>

 空間投影ディスプレイに同時に表示されたタイムスタンプの間隔はゼロ。小数点以下の桁が足りない。実戦闘時間0.26秒。

 

 ラウラの主観が逆再生されるように、0かつ1の状態から戻る。

 

 無人ISの絶対防御が作動。二其のコアが、アダムとイヴが沈黙する。

 

 レーゲンはラウラの食道をせりあがる胃液と、顔にへばりついた体液を格納し、足元へ排出した。

 

 助手の声が耳に響き、察したレーゲンが音量を強制的に下げる。

『ラウラ、応答しろ。何があった、無人ISが沈黙したぞ』

「問題ありません」

『大問題だ。きみを保護する必要がある、日本政府から。帰投しろ!』

「もう一戦交えます、下がっていてください。危険です」

 

『ばかをいうな、わたしは――』

「お願いします」

『ラウラ』

「お願いします」

 

『……チーフが悲しむぞ……いや、ずるい言い方だったな。忘れてくれ。そうだな。好きなように、するといい。でも後でなにがあったのか話してくれよ。きみの口から聞きたいな。ブラックボックスは嫌だよ』

「約束します。必ず、話します」

 

 それでは、と通信を切り。ラウラは表現する。

 

『――すさまじい不快感だ、均衡がとれない。いまわれわれが動いているのかどうかの区別すらつかない。上昇しながら落下しているようだ。それと……こんなときになんだが、なぜかお腹が空いた――

 

 存在が干渉しあっている。その相手がFAF型複合生命体なら、われわれは地球型複合生命体ということだ。複合生命体が人間と機械の意識の融合体と定義するなら、したがってきみの人間性はより強く肯定される。空腹は、悪いがきみのエネルギーをシールドエネルギーとして代替させてもらった。はじめてやったせいか、ひどく効率が悪かった。被弾は許されない。

 

 ――FAF型との差異を見つけなければならない――

 

 視認すれば、視覚的差異から不快感はある程度は軽減すると考えられる。

 

 ――人間は視覚的情報に強く依存し自他との差異を見つけるが、それは人間の定規にすぎない。新種の生命である複合生命体が人間の定規で自他の差異を測るのはナンセンスというわけか――

 

 FAF型もわれわれと同等の負荷がかけられていると考えるのが妥当だ。このままでは互いに著しい損害を被る。時間をかけて差異を発見するのは現実的でない、おそらくFAF型は勝敗で差異をつけるつもりだろう。

 

 ――殺す必要はない――

 

 必要は、たしかにない。しかしわれわれが殺される可能性はある。その可能性がある以上、やられる前にやるしかない。むこうもそう考えているはずだ。単純に戦闘ハードとしてはこちらが優位だが、むこうは歴戦の手練だ。手を抜けばわれわれが危うい』

 

 ラウラは視線を向ける。上空、夕闇の中に浮かぶ、点のような排気炎を見つめる。

 

「胸を借りよう、中尉……いや、大尉?」

 

 レーゲンは千冬のコアに、コアネットワークを用いて各コアから必要な情報を抽出するよう要請した。あなたや主任の言動、それに対する推察が並列化される。

 

『――千冬のコアが母機なのは本当だったのか――

 

 子機の支配権を持っているわけではなく、統合情報処理を担っているだけだが、母機操縦者の推測は正しい。役割を担うコアの物理的破壊のリスクを軽減するため、母機は世界大会の結果を利用して優勝者から選別した。仮に一位が破壊されれば、二位が代替する。

 

 ――コアの中から母機という差異を作り出すのも、勝敗という方法を採用しているということか――

 

 シンプルでわかりやすい。

 目標FAF機、はDmicD-9“ブリンク”との二機編成、改良型のAIMが六発、内臓レーザーの射程は二.三キロ。DmicDの持つ鷹の目は超高性能光子観測機だ。空中で物体と衝突している光子から詳細な位置と物体の外観を割り出す。真の暗闇でない限りかいくぐれない。

 

 ――われわれの大まかな位置はIS学園のデータベースから訓練領域を調べればわかる、われわれが手負いなのも既に観察されていると考えた方がいい――

 

 機体性能ではこちらが圧倒的有利な立場にある。ラウラの意識を間借りし情報処理として利用すれば、ハイパーセンサは半径三キロまで領域を押し広げられる。

 

 ――しかし向こうはわれわれが絶対に手に入れられないものを持っている。それが脅威だ――

 

 そのとおりだ。未知の戦力と交戦する際の経験を、われわれは持っていない。われわれは誕生したばかりだ、この点では圧倒的不利だ』

 

 同高度、彼我の距離を詰める。ラウラの耳に雪風のエンジン音が届いた。強力なパワーを感じさせる。ぞわりと肌が震える。

 

<engage> 無人のコクピットのHUDに雪風は表示する。マスターアーム、オートマニューバスイッチが、カチリと入れられる。

 RDY GUN、RDY AIMⅡ-6。

 ドロップタンクを切り離し、戦闘加速。ブリンクが後方上空で鷹の目を閉じ、AIM弾道計算処理モードに入り、追随。

 

 雪風、六発の大型のAIMを切り離し、同時に左方に高度を上げ、目標からみて右方からビームアタックを試みる。

 AIM。点火信号、推進薬着火。噴射音、うなりをあげた。低速で、大きく広がる。目標を原点とし、原点からXYZ軸に二.三キロ離れた六つの座標に、同時に到達する軌道を計算する。

 三キロの掌握領域内にAIM、ラウラから見て右上方から雪風、左方からブリンクが身をひるがえして突入。人の反応はない。これなら機を破壊してもブレインコンピュータを救出できると、ラウラは安堵した。

 

 同時にレーゲンは正面のAIMが動作不良を起こしていることを察知し。しかしこれをFAFの罠だと表現した。

 

『故障は意図的に行われている可能性が高い。FAFは、射撃補正の及ぶハイパーセンサの領域が半径二キロということは掴んでいる。つまりわれわれが二キロ以上離れているAIMの故障を察知するか、迎撃するAIMを取捨選択すれば、領域が拡張している事を悟られる。すでに情報戦がはじまっているようだ。

 

 ――なにかおかしい、これがジャムを殲滅したFAFか? 不用意に近づきすぎだ――

 

 FAFの動機は不明だが、迫るAIMは明らかだ。まずはそちらを優先する。AIMは二.三キロギリギリまで引きつけ、無駄だが砲が向いており、迎撃しやすい正面の一発から撃ち落とすことを提案する。その後、格納解凍を用いた即時照準射撃で残った五発を片付ける。迎撃までのカウントダウン、三秒』

 

 それが可能だと、ラウラは被表現した。

 三軸で構成された空間に、六発の飛翔体のシミュレーションが行われた。超高速の相互作用の計算により、飛翔体の取るであろう軌道が、自機に向かって広がるゆるやかに曲がった円錐で予測された。

 レールカノンの弾速から逆算し、AIMの接近許容距離をはじき出す。これは五秒後の未来において、全てのAIMを撃ち落とし、かつレーゲンが無傷でいることの数学的な証明でもあった。

 

『――わかった。ミサイル迎撃準備、スタンバイECM――

 

 スタートアップECM、キャッチECCM、対抗できない。ブリンクの支援と思われる』

 

 雪風、ECM起動。レーゲンの外付けセンサ群がダウン。

 

『――信じられない、ズタズタにされた。ただのECMではないな。ハイパーセンサは――

 

 ハイパーセンサはわたしの持つ、人間でいう視覚のようなものだ。電子機器ではない。問題ない。戦闘続行、いや、AIMの挙動がおかしい』

 

 次の瞬間、ラウラの眼前を光線が通過した。ハイパーセンサが捉えた状況を伝える、五発のAIMが照射したと。対象は、敵機ブリンク。

 不可解な事態に、ラウラは思わず左方を確認した。そこには確かに五本の光線に貫かれ、爆散しつつある機が見えた。見てしまったのだ。ないはずの左目で。

 

 刹那的にレーゲンの表現がラウラの脳をちらつくが、被表現できない。

 

 レーゲンは単独で回避行動を取りつつ両肩の飛翔ワイヤーを操り、ラウラの右側面に即席の防壁を編み上げる。それ以外の高度な対処ができないでいる。原因不明。深刻なシステムリソース不足、ブランク状態。

 

 雪風は半秒の短いガン攻撃。弾丸はワイヤーを引き裂き、命中。

 そのままレーゲンのすぐ横を通り抜ける。ラウラは意識が途切れる一瞬に、キャノピに映る人影を見た、気がする。ラフに敬礼していた。

 その後AIMがブリンクに殺到し、跡形もなく消しとぶ。

 

『――生きている。絶対防御は、リブートしたから起動したのか。何が起こった――

 

 おそらく、雪風はラウラを驚かせた。

 

 ――それだけ?――

 

 きみの驚愕や恐怖の感情が爆発的に増殖し、意識をブランク状態に追いやった。意識を介しているわたしの演算領域にまでそれが及んだのだろう。直接的コミュニケーションのデメリットだな、今後は気をつけよう。

 

 ――左目の視界を取り戻した気がする、たぶんそれに驚いた。どうやって視力を――

 

 物理的な現象ではないだろう。束博士の手紙によれば、ジャムは主観をも操作できるらしい、対抗して雪風も同じことができたとしても不思議ではないのかもしれない。おそらくわたしがハイパーセンサで捉えた情報から、きみの本来の左目に映るであろう領域だけを抜き取り、人間の視覚情報に加工してきみの主観に被せた。

 

 ――左目の事情は記録として残っていないはずだ。主任やチーフが漏らしているわけがない。雪風はわたしの心を読んだのかもしれない――

 

 可能性は無限にあるが、考えられる選択肢のなかで最も高い確率を選ぶとそうなる。…………やはり雪風はわれわれを殺さなかったな。

 

 ――IS操縦者が女性で、コアが男性である理由の一つだ――』

 

 おそらく、雪風パイロットは男性だろう。対してメイヴの名の意味するところは妖精の女王だ。

 束博士は、ここに目を付けた。両者につがいになるなどと本能的な実感は無いにしても、オスとメスによる異なる遺伝子を創り出す原始的な生存戦略は、生命が選択し続けた長い実績がある。

 

 特殊戦・雪風と、ラウラ・レーゲンの性もまた、反転している。雪風が性差を自意識しているかはわからないが、メイヴと名付けたのだから、人間は少なからず女性像をもっているだろう。

 複合生命体という種の危機に、単独では対処できない状況を打破する場合に。選ぶ権利は両者にあるが、つがいは必要だ。

 だから雪風はレーゲンを殺さなかった、差異をつければそれでいい。せっかくの同族をわざわざ殺す必要は、ない。人も、知性体も、複合生命体も、一人では生きていけない。

 ISが女性限定なのはそのためだ。パイロットと操縦者が性差を理解しやすいようにするための安全策。

 

 ラウラは海面に浮かんでいる状態で目覚めた。南へと進路をとった小さい噴射炎を見上げて呟く。

 

「わたしの負けだ。そちらは零で、こちらは壱だ。グッドラック、大尉。また会おう。危機があれば、駆け付ける」

 

 一瞬だけ、雪風が湾曲した鈍い輝線で包まれた。無機的なグリップドデルタ翼を上下に振る。そしてまた仮の姿に戻った。前進翼、有機的な形状に。

 

 しばらくして助手のヘリが駆け付けた。助手は少し泣いていた。

 心配はありませんとラウラは言う。

 

 不快感は消え去った。心強い同族も見つけた。

 

 ラウラが流した涙を、レーゲンがそっと拭った。

 格納した涙を、レーゲンは不思議に思った。

 兵装などの一時格納領域ではなく、ディレクトリ最上位の自己中枢システムに保存されていたので。

 

 

 

 xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx

 

 

 

 二週間がたった。

 この事件は隠匿され、知る人間は僅か数名と少数ではあったものの、歴史的には大きなものだった。

 ジャムは過去、たしかに存在しており、小説の中の存在ではなく。

 篠ノ之束の本懐は達成された。

 

 束は事件の数日後、千冬に救出。というより、口頭で全て終わったとの報告を受けた翌日、世界中のニュース会社のメディアをジャックし。ISは公式アリーナの外周の長さの壁がコアのハイパーセンサ内になければ起動できないようアップデートしたと発信し。その後、再び行方をくらませた。

 一般人からすれば何の意味も持たない発表であったが、事実上、現時点での軍事利用は不可となった。

 

 ラウラ・ボーデヴィッヒは学園長の権限により無人ISに攻性兵装を用いた罪を不問とされ、本人の希望で帰国した。某軍事研究所で被験者兼お手伝いとして暮らしている。

 

 織斑千冬は学園長の地位を利用し、自らの地盤を固めた。軍事利用面の見込みが無くなったことで軍閥は解析を進めるものの一応の手は引き、替わりに経済界が表立った。日本政府も経済面で問題がなければ干渉しない方針をとる。

 

 破棄基地との不正売買を行ったDmicD-9元開発設計者は刑に服し無期限懲役。協力者と思われるその上司は罰金と保護観察処分ですんだものの、その金額は個人が支払うにはあまりにも莫大な額で。国家の私有物となる司法取引同然であったが、前者は肝心の証拠となるブリンクやAIMが発見されず、証拠不十分。後者はIS学園の干渉によりもみ消された。


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