【完結】 人間存在のIFF <改> 【IS×戦闘妖精・雪風】 作:hige2902
あなたは昼間だというのにガレージで飲んでいた。時間を確認しようとし、ポケットに手をやり思い出す。携帯端末は湖の底だ、PCも。
首をめぐらせガレージ内の壁掛け時計を見やる。二本の針が回転するアナログ時計。あれならば疑う必要はない。しかし、だからどうだというのか。畏怖すべき女王は変わらず目の前にいる。
まぶたを閉じる。暗闇を作り出し記憶を掘り起こす。この一週間で何度も繰り返した行動、実にスムーズ。
あの夜、織斑千冬と別れた後、異変に気がついたのはなんとなしに携帯端末をチェックしたとき。バッテリー残量の示す数値は僅か十数パーセント。眉をひそめる。
いくらなんでもこの減りようはおかしかった。起床後、充電器から外したときはたしかに満タンだった。織斑千冬が現れるまで、これといって使用していない。ドアがノックされたときは少なく見積もっても九十パーセント以上はあったはず。
つまり、彼女と出会ってから別れるまでに何らかのソフト、プログラムが秘密裏に起動していたと推測される。自宅のPCを使い、チェッカーを通そう。運転モードをマニュアルにし、スピードを出す。
たった数時間の間にこれだけ消耗していたということは、端末はフル稼働していたはず。放熱に気がつかなかった自分を呪う。
Sg51はフェイク、端末への侵入が真の目的か。それにしてはしゃべりすぎな気もするが。
数分の思案ののち、ようやく気づく。新着メールが一件。タイムスタンプは十数分前。
予感し、チェック。やはり例の機から。チェッカーは無駄に終わるかもしれない。
本文は無し。代わりに添付ファイル。データ量は数ギガ。バッテリーが心もとないので、自宅PCでダウンロードすることにした。
織斑千冬と雪風はなんらかの関係があるのだろうか?
自宅に到着。ラックの上の、やはりバッテリーが減っていたタブレットPCを掴み、書斎へ。腰かけ、デスクに置いてある据え置きの、二重連結型の防壁迷路を通してメーラーを起動。数秒でファイルのダウンロードが完了、開示。中身は……
織斑千冬の個人データ。その量にたじろぐ。
身長、体重、健康状況、月経周期、現住所、家族構成などの、プライバシーと呼べるものの全てが過去に遡ってまで、多岐にわたり詳細が記されている。
しかしそれよりも目を引いたのは、彼女に関する、想定される状況下における行動予測の項目だった。全体のデータ容量の七割を占めている。
ばかなとあなたは椅子から転げ落ちた。このファイルはあってはならないものだ。
いわゆる性格判断のテストから職の適性などを計ることは許されているが、行動予測の計算のプロファクティングは一昔前に人権団体が騒ぎ立て、最終的には世界レベルで禁止されるに至った。
しかもこのデータ量から見るに、シミュレートされた状況は相当なものだ。一回のテスト情報量からでは導き出せない。いくつかの――日本では学校施設の入学時に実施される、付属の学校同士でも共有してはならないそれを収集したと考えるのが自然だ。当然、ISに関する立場に着いたときのものも含まれているだろう。
あなたはよろよろと立ち上がり、考えをめぐらした。
誰がこのようなことを? 決まっている。
携帯端末を握りしめ、ガレージに走る。データファイルの最後に記されたMAcProⅡの文字を見ることなく。
きっとあの機は、携帯端末を操作し、マイクで織斑千冬の名前を拾い、彼女を特定したに違いない。友人のプロファクティングデータがないのはその証拠だ。名前を呼ばなかったので友人の情報を特定できなかったのだ。
いつから……いつからこの端末は雪風に汚染されていたのか。
はじめて織斑千冬の名前を呼んだのは玄関で会ったとき。いや。とガレージの扉を乱暴に開け、足早に歩み寄る。
先日の友人との会話を思い出す。雪風からのメールを調べてもらった時、
もっと前から、ひょっとするとあの嵐の夜以前からという可能性もある。
出しっぱなしだった即席の足場を上り、キャノピーを震える両手で叩きつけ、言った。
「おまえは、一体」
それと同時に気づき、自問する。
思考の海に沈みかけるも数秒で浮上する。はっとしてキャノピーを開いて友人に教えてもらった方法で起動。テストモード。
内部電力は全体の三分の一程度に減っていた。間違いない。あの時、システムが起動しなかったのは、積まれていたコンピュータが電力の残量を数値的に見て、電力不足により起動を拒否したわけではない。
ふいに織斑千冬の言葉が脳裏をよぎる。
――人工物がこころを持つということは信じがたく、それが明確に定義できないものだということは承知していますが、この際置いておきましょう――
――言語を理解するには互いが言語を理解していなくてはなりません。同様に、意識を理解するのであれば、互いに意識を理解していなくてはならないと、わたしは考えています――
雪風はそれを持っていると判断すべきか? いや、今は優先すべき事柄がある。その問題は後回しにして、あなたはおぼつかない足取りで書斎に戻る。友人に手紙をしたためた。
『今すぐわたしの端末と有線したPCを廃棄しろ。そのPCとリンクさせたPCも可能な限り。汚染の可能性が高い。データ自体は分散してコピーをとってあるな?』
迷ったが、織斑千冬宛の手紙は書かなかった。
自称友軍の雪風が情報を知らせたということは、あなたにとって彼女が敵か味方か判断すべき人物だということはわかる。慎重にならなければならなかった。
「しかしそもそも敵とは誰を指す」 恐れを誤魔化し、イラついた口調。
そのままガレージに戻り、車を出す。この手紙は一刻も早く投函すべきだと思ったのだ。
携帯端末は完全に充電がなくなり、使い物にならなかった。物理キーでドアロックを解除。夜道を走る。
手紙を出し終え、玄関をくぐったときは日付が変わっていた。どっと疲れが出る。自棄になり、PCと端末を外に持ち出す。ぬらぬらと揺らめく湖へ放り投げる。
どうせしばらくすれば、あなたが注文したことになっている最新の端末が届くだろう。これがなければ雪風はあなたとコミュニケーションをとれないからだ。
雪風が、あなたが過去に受けた性格判断テストから行動予測をはじき出しているのなら、端末の破棄は予定調和でしかなく。従って女王はそのようにするだろう。
書斎に保管してある、餞別代りにともらったウィスキーを飲みたくなる。やめた。呑み飽きたいつものやつを掴み、再びガレージへ。どかりと機材に腰を下ろし、勢いよく瓶に口をつけ、咳き込む。空っぽの胃にアルコールが浸みこむのを感じる。
しばらくの間、ぼんやりと雪風を眺め今日起こった出来事を反芻した。一時間ほどかけて考えをまとめる。
ひょっとすると、雪風の真の狙いは、織斑千冬のプロファクティングデータからの敵味方の判断を迫ったのではなく、自らの存在を認めさせたかったのではないかと。現にあなたはそう感じている。
あの機、などとではなく、いつのまにか雪風と呼んでいることに気づいたからだ。
ふと織斑千冬の言葉をもとに、感じたことを呟く。
「ISは意識を持っているが、言語文字による間接的コミュニケーションは不可能……しかし現段階では一方通行ではあるが、直接的に意識の同化という手段でのコミュニケーションは可能……そして雪風はその逆」 だから?
わからない。酔いが回る、身を任せる。雪風は今度こそ電力不足により、テストモード以外の起動を拒否するだろう。すべてはコネクタを製作してからだ。考える時間は、ある。
あなたは雪風を思い知った。
まぶたが重い。
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空調の効いた体育館。織斑千冬が壇上に立つと黄色い歓声が沸いた。女三人寄ればかしましく、その十倍。いらだちを隠せず一言。だまれ。
静まる会場で簡単に始業式の挨拶を済ませる。指定された席に、教頭を差し置いて学園長の隣に戻る途中、織斑千冬は予想を超えるアップデート後の操縦者適性判断の対応に恐怖を覚えた。同時に罪悪感。だがやりやすくなった。上位存在たる女王コアが存在するのなら、それはわたしのISかもしれないと、羨望のまなざしを送る生徒を見て自身の考察を確かなものにしていった。
あなたとの会談から一週間ほど。伊豆諸島よりやや本土に近い場所に建設された巨大人工島。その中心にそびえ立つIS学園が完成を待たず開校した。
各国より集められたエリート学生三十人が入学。一般的な学校が夏休みに入る直前だったが無視。基本的に、本学生に長期休暇はない。
建設決定から数年しかたっておらず、学園の建物自体は三割程度しか完成していないが問題はない。初代学生となる人数は高が知れていたので寮や教室は最低限確保し、その分訓練用アリーナや射撃場などを優先させた。
出入りには厳しい検査を受けるが、本土とは最新型の懸垂式モノレールで移動する。
島にはそこそこの娯楽施設、量販店、病院などで小規模の町が構成されている。利用客はその従業員やIS兵器などのメンテナンス、データ収集などを目的とした技術者や学園の建設業者。
教育に関する学園関係者は五十四人。三種類の担当教師が存在し、主に技術、整備、座学をそれぞれ分担する。身体トレーニングは技術科目、兵器に関する知識は整備に、一般的な学業は座学で学ぶが、そこには当然、戦術も含まれる。
基本的に、一つの教室単位は学科ごとの教師三人と二,三人の生徒から構成される。その組み合わせは経歴、プロフィールを参考に、入学前から生徒と教師が指名し合い決定する。というのは建前で、実際のところは各国のIS責任者が話し合いで決める。大抵は自国の生徒に自国の教師を当てるのだが、日本政府の権限は強く、ほとんどの教室に日本国籍の日本人が組み込まれた。
試験的意味合いが強い本学園は、三学科の授業時間の配分をその教室を受け持つ教師の裁量で決定することになった。生徒は全員が専用のISを持っているが、人間の技術面での向上を当面の目的としているため専用装甲は原則使用禁止とし、訓練用IS装甲『打鉄』に換装される。
また、生徒の持つ専用装甲を含む全てのIS兵器は、スポーツ用として電子的制限、GIG制限と呼ばれるものが掛けられている。兵器によっては弾速や威力により一瞬で勝敗が決してしまう問題を解決するため、決められた数値を上回るものはこの制限下に置かれる。
人数が少ないとはいえ、実際にISを動かし訓練をする場合はアリーナを使う。基本的に一つの教室が占領することとなるので、技術教師がその週に使用する時間をコンピュータに入力し、集められたそれぞれの情報を元にプログラムが各教室に時間を割り振る。
現在は三つのアリーナが完成しているので順番待ちの問題はないが、将来の学生に備えてのこと。
技術科目を骨組みに造られた時間割はその後、技術と同じように集められた整備、座学を肉付けし、可能な限り毎週同じ時間帯を選択し、その週の時間割が完成する。
入力される情報は、各教師が話し合いで年間の授業時間を決めたものを週で分けるものになる。これは生徒の欠けている部分を柔軟に補うことが目的である。
だが、真の目的は別にあり、このシステムは織斑千冬が一枚噛んでいた。
教室は数字と英字で区別される。しかし、そう時を置かずして、生徒たちの間ではその教室の生徒から見た、または他教室から見た代表的な教師の名前で呼ばれはじめた。主要三学科での差別はない。単純に生徒からの人気が教室名を決定した。
その中で一際異様な教室が存在する。生徒は一人しかおらず、織斑教室の名で呼ばれる学び舎は三学科を一人の教師が、その教室の名を冠する人物が全て一人で受け持っていた。
教室の生徒。現デュノア社社長。シャルロット・デュノア。
彼女は見事、指名した教師に教えを請う立場に立てたことを喜んだ。それはほかの生徒と同じく憧れや尊敬に近いものからなるが、織斑千冬からはIS乗りとしての見込みがあっての指名ではなかった。ミサイル部門において二強と呼ばれるほどの片割れの、現在は客寄せパンダだが、会社を継ぐであろう人物との関係を打算した結果だった。
生徒指名段階で各国の代表者の資料に目を通したが、めぼしい人材はいなかったという理由もある。
教え子が好成績を出せば、それだけ教師に対する羨望は高まる。授業外で接することは最低限で十分だと考えたのだ。投資する時間は少ないほうが良い。
いや、開校兼入学始業式を見るに、どうせここの生徒はみな『第二世代組』だろうと高をくくった。放っておいても支持は集められるかもしれないと。
開校より二十日後。
「……先生。織斑先生」
その教科書のようなイギリス英語に気がつけば紫色の瞳が向けられる。広い教室に二人、最初は違和感も覚えたが、慣れてしまえば静かでいい。
「なんだ。できたのか」
と、満面の笑みの生徒から古典的な紙媒体のテスト用紙を受け取る。
GIG制限の細かい数値、公式戦アリーナの大きさやルールなどの規則が書かれたそれを数秒眺め、ばかばかしいと丸めて放り投げるのを堪える。携帯端末を操作して参考書の入ったファイルを転送。二ヶ月早いが、問題ないと判断。
「いいだろう。では、これらの現代主力IS兵器のスペックを来週までに記憶しておけ。発射シーケンスまでな。昼食休憩を挟んだ後、グラウンドだ」
「これ、全部ですか」 とデュノア。自身のタブレットPCに転送された容量を見てうんざり。
「おまえのところの物くらいは知っているだろう。他社製品の研究にもなる。よかったな。こんな勤勉な社長を持った社員は幸せだ」
「うー、ISに乗りたいですよ」 待機状態にあるISコア。制服の下の十字のネックレスに手をやる。
「たった二時間乗っただけで吐いたのは誰だ」
ISは無重力無慣性状態を作り出す。よって、成人しきっていない未発達の肉体を考慮すると、無茶はさせられないが宇宙飛行士レベルの訓練が必要とされる。
しかしもっと厄介なのは無慣性の方だった。これにより、亜音速程度でも人間の意識が強い違和感を覚える。速度は出ているのに体には何の影響もでないのはおかしいと本能的に感じ取り、そのストレスから胃の中の物を戻すといったことが多い。GIG制限を離れた超音速飛行が可能になるミリタリーパワーでは、それが顕著になる。
織斑千冬の考えるそれとは違い、公式が評価するIS適性はこのストレスに対する先天的な体質を指す。無論、訓練によってある程度慣れることはできるとの研究結果もある。
「……ご飯食べてきます」
突き返されたテスト用紙を受け取り了解の返事をすると、豊かなブロンドの髪をとぼとぼと揺らし食堂へ向かった。ころころと表情を変える様はまるで小動物だ。
広い食堂では数人が食事を取っていた。
デュノアが食堂で何を頼もうか悩んでいると、ややぎこちない英語で声がかけられる。同言語で返す。学園の共通言語は英語と日本語だ。
「こんにちはシャル。ね、一緒しよう」
「いいよ。調子はどう?」
「体力トレーニングが厳しいわ。でも、IS乗りには必要だし。そっちは、天下の織斑千冬先生の教えは厳しい?」
「まあまあかな……いや訂正。大変、やりがいはあるけど」
牛乳とスパゲッティを注文し、チャーハンをトレーに載せた新しい友人とテーブルにつく。
「厳しさも一番、か。そういえばシャルは一人クラスだからクラス代表を決める試合はないのかな」
「たぶんないと思うよ。いただきます」 着替えの時間を考えるとのんびりしている暇はないので、急いでフォークを回す。
「いいなあ。ぜんぜん馴れない打鉄でやらなきゃならないから、クラス代表になれるか不安だよ」
「そっか、専用装甲はクラス対抗試合じゃないと換装できないっけ」
「操縦者の技術向上が当面の目的だからね。いいなあライバルのいない教室は」
「そんないいものじゃないよ」 ムッとして答える。 「世界優勝者に教えてもらっているわけでしょ。先生の顔に泥を塗るわけにはいかないよ」
「じゃあやっぱり優勝狙ってる?」
「負けたら終わり、新しい教師を紹介してやるって」
「わあ大変、予定じゃ年に四回開催されるのに? まあ、トーナメント方式なのが救いね。総当たり方式だったら目も当てられないわ」
「シード枠ってないのかな」
「あんたの国の技術者がデータを取れないってわめくわよ……で、それはなに? とっても、その……おいしいの?」
懐から粉末の入った小瓶を取り出し、牛乳に入れてグラスマドラーでかき混ぜるデュノア。濃いベージュに染まる。
「プロテイン。先生が三食欠かさず飲めって。おいしいよ、とっても。美味」 グイとあおる。口に同色の髭を作り。 「一口どう?」
シャルロット、目がうつろ。友人、気づかず粘質な液体の入ったグラスを受け取る。
「本当……ねえ、本当? 飲むよ? 本当に………………おえっぷ。罠だ……織斑教室は姑息な手を使う。保護膜は味覚を守ってくれない、うえ」
デュノアは笑い声を上げ、つき返されたグラスを受け取り一気。
「こういった、おえ、地道な努力が成果に繋がる、と思う。ごちそうさまマズイ!」 グラスを持ったまま固まる。
「それは知ってる」
ぎこちなく首を向けて言う。 「違う。しまったって意味のほう」
「毒薬と間違えた? それでも疑わないよ、わたしは」
「……食べ過ぎた。午後はマラソンと無重力訓練だ……また怒られる」
「胃がどっかに行っちゃう薬でもあればいいのにね。ご愁傷様」
「しかも今日は先生の指定した定食を食べなかった。絶対にばれる。なぜかばれる。すっかり忘れていた。問題は山積みだ。うー、ひとまずエチケット袋をデータ格納しようかな」
「おばか……しかし案外悪いアイデアじゃないかも。ISの無重力無慣性ってのはどうも気持が悪いのよね。ごちそうさま」
「ウーム、あ。そういえばさ」 とデュノア。腕を組み、データ格納について考えをめぐらしていると、思い出したように友人に尋ねた。
「知ってるかなって思って。あのね、ユキ……」
トレーを持った少女がテーブルのすぐ横を通り過ぎる、目が合った。ちらと見えた左目の眼帯。右の赤い瞳は自分と同じく、カラーコンタクトだろうか。ショートカットの銀髪が目立った。
長い時間視線を交わしたように思える。実際には一瞬。
「ラウラ・ボーデヴィッヒさんだってさ、ドイツの」
耳元でささやくように言った友人の声。
「一人かな? もうちょっと早く来ていれば、誘ったんだけどな」
「どうかな。あの子、誰とも仲良くしないって噂だよ。ウム、今度誘ってみようか」
「そうだね……わー、もうこんな時間。ごめんね、もう行くよ。リン」
鈴音はあわただしく駆けていくシャルロットの背に言葉を投げかける。 「おーい、さっきの話はなんだったんだよ。気になるじゃない。もうっ」
シャルロットは更衣室に駆け込み、十数秒で体操服に着替えてグラウンドへ。屋根のあるベンチで織斑千冬が腕を組んで待っていた。距離はあったが、じろりと睨まれる。開始五分前。ぎりぎりだ。
「まあ、いいだろう」 と腕時計を見て織斑千冬。 「とりあえず五周だ、休憩を挟み無重力訓練」
デュノア、了解し走り出す。
横腹をさすりながら走る生徒を一瞥し、織斑千冬はタブレットPCを操作。クラス対抗試合の下準備にかかる。
生徒からすれば、競争心が煽られるイベントだが、教師陣にしてみれば単純に優劣を計られる。現状では一学年しかないので、IS学園で最も有能な教師が決定される。
大人は、勝敗は装甲の性能に左右されると理解できるが、生徒の間ではそのように判断するだろう。
何としてでもデュノアには優勝してもらわなければならなかった。教え子の公式戦無敗はIS学園掌握の足がかりになる。
織斑千冬は、クラス代表模擬試合を自身の戦争の一作戦領域と捉える。遠慮はしない。あらゆる戦闘は情報をより多く支配した者に有利に動く。
薄い唇を僅かに吊り上げ、来週の時間割をセントラルコンピュータに送信。
この計画は開校より数ヶ月も前から進行していた。
まず、建設業者の管理するPCに侵入。一日おきに学園に向けて送信する建設進行状況の業務連絡メールに、独自に組み上げた遅効性分割型ウイルスを数十回に分けて秘密裏に添付するよう操作。この時点では意味を成さないゴミデータでしかない。
事業連絡メールが送られた先のコンピュータは、人工島の住民、各教師の連絡に使われるものだ。そこでウイルスは更に分割され、送信先のアドレスが教師宛の時に限り、連絡メールにランダム抽出されたウイルスが一定数潜りこむ。
教師、保健室やデータベース室などの職員のPCから、住居などの生活全般に関するものや、必要だと思われる備品の要望。開校後は教師の持つ五十四のPCから一週間の時間割がウイルスと一緒に学園のセントラルコンピュータに送信される。それが繰り返され、断片が蓄積される。
先のメールに隠された最後のピースで、それらが組み上げられ、完成。
閲覧権を取得。それと同時に、ウイルスは自動消滅する。
公開されていない、日本がGIG制限の確認と称し、各国に提出させた全生徒の持つ専用装甲、兵装の詳細なスペックをチェック。この情報は誰も閲覧できないこととなっているが、日本政府は秘密裏に覗いている。彼女が侵入した痕跡は、政府の痕跡とともに国家が組んだプログラムが自動で消去してくれる。
ここまでの作業は不特定多数の人間がそこそこいる場所で行わなければならなかった。自宅と違い、操作していた場所を特定された場合しらを切ることができる。
デュノアの手こずりそうな機と操縦者を、ピックアップ。重要な項目を記憶し、セントラルコンピュータとのリンクを切り、念のため壁を背にして、オンライン機能を持たない別のタブレットPCに入力。情報量はかなりのものだったが、全て打ち込んだ。
一息つく。デュノアのISと比較し、評価をつける。
操縦者:シャルロット・デュノア
使用IS:ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ
オールラウンダーを構想とした、量産機のカスタム。大容量データ領域を持ち、大量の兵器を瞬時に解凍格納できる。
これといった長所はないが、短所もない。量産機らしい器用貧乏といったところ。GIG制限を前提として開発された実包を使った兵器が多い。
操縦者:凰・鈴音
使用IS:甲龍
近、中距離機。不可視の衝撃砲を二門装備。射角の制限はなし。近接格闘性能は高い。
見えない砲弾は驚異だが、事前に仕組みがわかれば問題ない。このISと当たる時だけハイパーセンサを空間変動に敏感に設定。局地的な変化の確認をトリガーに、発射にかかる時間を計算させれば、彼我の距離から着弾までの時間もはじき出せるだろう。
一定距離を保ち、弾幕を張り、持久戦に持ち込めば問題ない。焦れて突貫してくれば儲け物だ、連装ショットガンでカウンターできる。
操縦者:セシリア・オルコット
使用IS:ブルー・ティアーズ
遠距離支援試作機。高出力レーザーによる長距離射撃が主な攻撃手段。四基のレーザー型の半自立高速飛翔砲台と二基のミサイル発射装置を持つ。待機時は装甲と一体化。
注:飛翔砲台のレーザーは熱を持たない、対ハードウェア用の電子兵器である。現代無人機を想定しているが、IS装甲にもそれなりの効果が期待できるとされている。
おそらく学園内で最強の機。
GIG制限の掛けられたレーザー兵器は、トリガーを引いてから発射まで僅かなタイムラグが出るよう設定してあるが、驚異であることには変わらない。大気の状況に左右されるが、レーザー光は理論上、秒速三十万キロメートルで進む。発射と着弾は同時といってもいい。
飛翔砲台は半自立であるなら問題ない。飛翔体の確認後、デュノア社お手製のマイクロミサイルの飽和攻撃で操作どころではないだろう。本体か飛翔体か、動きが鈍ったほうにマイクロを誘導してやればいい。調整の難しい試作機だ、量産機相手では厳しいだろう。
操縦者:ラウラ・ボーデヴィッヒ
使用IS:シュヴァルツェア・レーゲン
中、遠距離機。レールカノン。プログラム、または目視線誘導に従って飛翔するワイヤー、両手のプラズマブレード。機体前方にPICを発生させ、重力、慣性を操作し、動体を停止させるAIC機構を持つ。
レールカノンが驚異。AICを警戒し、接近戦を避けて垂直ミサイルなどで多方向から攻めるか……
キーをタイプ。提出されたデータの偽装を考慮し、全ての装甲、操縦者の数値を一段階大きく評価。操縦者の性格も計算して作戦を練る
その途中、そういえばと思い出し新たにウインドウを開き映像を再生。アリーナの様子を映し出す監視カメラの映像を拝借したもの。この程度はどの教師もやっていた。
二機の打鉄がGIG制限最大速度で高機動。模擬弾を使用した射撃訓練。訓練機を使っているので射撃補正も同性能。純粋に操縦者の技量が計られる。
一方的な試合。数分後、教師の止めの合図で終了。一方は呼吸を荒げ、膝をつく。顔が青い。
もう一方は悠々と装甲をコアにデータ格納。
ラウラ・ボーデヴィッヒ、敗北。
「フムン」
あごに手をやり思案。入学前の操縦者データではボーデヴィッヒの技量はトップクラスだった。何か問題が起きたか、これが演技であるならばたいした役者だ。
織斑千冬は視線をメインディスプレイに戻し、入力。
ボーデヴィッヒ:障害とはなりえず。
「当面の仮想敵はオルコット、か」
兵器の装填数、連射間隔、有効射程範囲、飛翔砲台の速度、諸諸を調べ上げる。これだけお膳立てすればデュノアでも負けることはないだろう。