【完結】 人間存在のIFF <改> 【IS×戦闘妖精・雪風】 作:hige2902
なぜだ。
教室に向かう四階の廊下でとラウラ・ボーデヴィッヒは思った。コアの第二世代アップデート以降、日に日にISに乗るのがつらくなってきている。無慣性からくる強いストレスを感じる。
なぜ? わたしを拒む。わたしは不要か、レーゲン。わたしはおまえを必要としているのに。
ふと窓の外を見やると、二機のISが訓練飛行していた。楽しそうだった。
「第二世代組が……」 忌々しげに呟く。ISをスポーツとして捉え、お遊び感覚で乗る彼女らは不快だ。
「いま、『第二世代組』と聞こえたのだが」
流暢なドイツ語にラウラははっとして振り返る。そこには腕を組んでいる長身の女性。
「織斑、先生……」
「おまえのISは第一世代のコアだな? でなければ先の発言はおかしい」 スッと目を細めて言った。
「わたしは何も言っていません」
「なにぶん敵が多い」 織斑千冬は懐からカードタイプのレコーダーをとりだした。 「言質を必要とする場面も多くなる」
ラウラは答えない。
「おまえ、入学前のデータと現在のデータでは大きく差があるな。いつからへたくそになった」
「あなたはわたしの担当ではない」
「第二世代アップデートからだな?」 変化があるとすればそこしかない。
「……だとしたら、なんだというのですか」
織斑千冬は、場合によってはラウラのコアが女王コアなのかもしれん、と考えた。
「学園に隠していることがあるな。提出されたデータと明らかに技量が劣る。改ざんしたか。本国に問い詰める」
「脅しですか。すべてはわたしが鍛錬を怠っていたからにほかなりません」
「だが少なくとも第二世代以降の操縦者だと偽っていたことはたしかだ」
ラウラは小さなこぶしを握り締める。
「わたしは心配して言っているのだよ。このままではISに乗れなくなるぞ」 歩み寄り、顔を近づけ、耳元でささやく。 「第二世代のアップデートはわたしが関与している」
はっとして後ずさり、敵意の目で睨みつけるラウラ。意に介さず受け止める織斑千冬。
「嘘を言うな」
「ここに集められた生徒を見て実感したよ。だがそれは間違っているかもしれん。わたしが意識していない事柄がアップデートを通して並列化されているのであれば、おまえだけがISに拒まれるのはおかしい。第一世代組という括りならばわたしもISに拒まれていなければならない」
可能性として示されるのは、女王コアは複数存在する。ラウラが特殊か、コアが特殊か。
「何を言って」
「知りたいか? なら言えよ、ボーデヴィッヒ。隠していることがあるだろう? どうせ調べればわかる。遅いか早いかの違いだ……今日中に追って連絡する。寮を抜け出しても問題ないように監視システムを欺く必要がある。わたしの部屋に来い」
「ばかな。そんなことが」
「学園のシステムの六割はわたしの管理下にあるよ。裏ではな。今、おまえがなんらかの電子機器を身につけていないこともわかる。携帯端末が教えてくれる」
ちらと腕時計を見て続けた。
「ではな。わたしには時間がない」
去ってゆく教師を、ラウラは黙って見送るしかできなかった。
その夜。ラウラは織斑千冬の指示に従い、部屋を訪ねた。殺風景な部屋。簡素な椅子にコーヒーが用意されていた。
「さっそく話してもらおうか」
「その前に第二世代のアップデートに先生が関わっているとはどういうことでしょうか」
場合によっては織斑千冬を殺さなくてはならない。ラウラはそう思った。
「お互いIS乗りだ、簡潔に話そう。ISは意識を持った群体だ。それらの情報はたびたび並列化される」
「その根拠はなんですか」
「この学園の生徒だよ。おかしいとは思わんか? 第二世代組はISに対してなんの危機感を持っていない。これは世界レベルでの世論操作によるところが大きいが、異常だ。年齢も均一化されているようだ」
「第二世代アップデート後の適性の判定はそういったISに対する危機感の薄い人間が選ばれた、ということですか」
「それと、わたしに憧れている人間、という条件も考えられる。明確にいつとはわからんが、モンド・グロッソでの単一使用能力起動の際、ISに意識を読み取られた。それはISに対する危機感だと思う。コアはそれの対策として第二世代のアップデート後の適性の判定は危機感を持たない人間に絞られたと見ている」
「その対抗策が情報の並列化の根拠ですか? あなたがISに対して危機感を覚えているのなら、あなたはISに拒絶されなくてはならない」
「そうだ、しかしわたしのコアはわたしを拒まない。それを根拠にもう一つの説、群体の中で上位存在となるコアが存在し、それは第一世代のコアが担っていると思う」
「それがあなたのコアと?」
「わたしが最も強いIS乗りということも理由するのではないかと考えている。世界大会での結果が並列化され、自動的に他のコアがわたしのコアの下位に置かれたとも」
妄想だ。ラウラは思った。しかし織斑千冬の顔はいたってまじめ。
「モンド・グロッソの際に読み取られたというのはISに対する危機感だけですか?」
「と思う。だからお前が第一世代組でありながらISに拒まれている理由を知るために呼んだのだ。今のところ第二世代のコアの判定基準は、ISに対して危機感を持っていない、女性、子ども、であると考えている。よくわからんのは第一世代のほうだ」
「では……」
「もういいだろうラウラ」 急かすように言った 「わたしの秘密は話した、おまえの秘密も話せ。両部屋はジャミング装置がぎっしり置かれているから盗聴の心配はない」
べらべらとしゃべっていたのはその自信があったからとラウラは納得する。
言うべきか、否か迷う。しかし、このままでは本当にレーゲンに……
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試験体四号は試験管生まれだった。生命の奇跡ではなく、人類の科学から生みだされた。
当時のドイツの軍事構想の一つは、遺伝子操作による先天的な戦闘適性を持った人間で軍団を構成し、ミクロの観点から軍事力の底上げを図ることであった。無人機同士の戦闘は膠着状態に陥ることが多かったからである。
しかし軍内部から、生命倫理を理由にこの計画に否定的な意見をもちだす者が続出。彼らは無人機ボケしており、人間が戦争をすることに違和感を覚えていたことも理由する。
わずかな亀裂が入る。
計画推進派は反対派に隠れて、秘密裏にこれを実行。十一人が試験的に生み出された。六名が男、五名が女だった。
彼らの戦闘能力は凄まじく、射撃能力は十歳の時点で訓練された軍人と渡りあうほどだった。体術は体格差を覆すまでにはいかないながらも相当だった。
しかしその中で、試験体第四号の戦闘能力は芳しくなく、まったく平均的な少女としか評価できなかった。科学者からすれば一定の確率で彼女のような不適合者が生まれるのは想定の範囲内だったので、単純に処理という判断が妥当だった。
その少女はなんとなくだが、訓練を通して自分が他の子供たちに比べて劣っているということは理解していた。二十五ヤード先の釘を撃ち抜けなかったし、力比べでも勝ったことがない。
子供というのは意外にも大人の態度に敏感で、このままでは自分がどうなるかも薄薄感づいてもいた。
その判断基準とするのはおそらく古典的な人間性などではなく、戦闘適性を数値的に表したデータだということも。
このころから彼女は生と死、人間と機械に対して深い興味を覚えるようになった。
ある昼下がり。銃器などに関する知識の、教育ソフトウェアを使っての訓練のときである。PCが簡素な仕切りで区切られた部屋で、キーのタイプ音が十一人分響く。ソフトウェアのAIがウインドウ上で、戦術を指南。わからないところをタイプすればすぐに補足し、こちらが指定した状況下での戦闘もシミュレートしてくれる。
ふと、四号の両の赤い瞳がそのウインドウの左上のインフォメーション・バーに止まる。徐々にキーを叩く指が鈍り、ついには止まった。瞬きを忘れ、食い入るようにそれを見つめる。
『Combat Program Guide Typ-S Ver 15.3』
以前はTyp-Rだった。Rはどこにいったのだろうか。なぜSになっているのか。フムン。
『四号、どうした?』
それにこのVer15.3、これも気になる。Ver15.2はどうなったのだろう。
『四号が使用しているPCの自己診断プログラムを実行しろ…………ウム……そうだな、もう少し様子を見ようと思ったが……』
三重の電子ロックの重たい扉が開き、職員二人が四号を連れて出る。四号、身動き一つせず。引きずられるように殺風景な自室へ。
ベッドに寝かされ、天井を見つめる。おぼろげながら答えを見つけたのは夜になってからだった。
Typ-Rが消えた理由。おそらくそれはSのほうがRより優れているからだ。同様の理由で、Typ-SのVer 15.3以前のバージョンは上書きされ、消された。
四号はいぶかしむ。わたしはこのような単純な回答を求めていたのかと。違う。再び思考の海に潜り、しばらくしてそうかと気がつく。
わたしはあのソフトウェアに強い親近感を覚えたから、これほどまでに関心を寄せていたのだ。
ある問題を高速かつ効率よく解決するために人間が作成したデジタル技術の完成形の一つ。コンピュータ、ソフトウェア、プログラム、アルゴリズム。それらの優劣は単純に数値で計られる。優秀なものは生存競争に勝利し、デジタル技術という世界で生き延びる。劣っていれば他に取って代わられる。
科学によって生み出された。
数値によって価値が決定される。
優秀なものに敗北を喫し、消える。
教育ソフトウェアが更新されたことでようやくその事実に気がついた。
そう考えると、なんだかクスリと笑える程度にはおかしい気持になった。
コンピュータプログラムなどの実体を持たない電子存在をデジタルと呼ぶなら、その対極に位置する人間存在は実にアナログだと思ったからだ。
ではわたしはそのどちらに属するのか。これがなかなかに難問だった。ひょっとすると自分の頭の中にはコンピュータが入っており、そのハード、またはソフトウェアは他の試験体にスペックの上で、数値的に劣っているだけなのではないだろうか。
もしも電子存在が意識を持ち、言語能力などの入出力が可能で、コミュニケーションがとれるのなら尋ねてみたい。
わたしは、一体……
そこまで考え、ぞっとした。体が震えだす。
そうなれば、きっとTyp-RやVer15.2も同じ事を聞いてくるに違いない。
シーツにくるまり、堪える。わたしはTyp-RまたはVer15.2か。それとも……
小さなこぶしでまぶたを擦る。
わたしと彼らとの違いは所詮、このこぼれ落ちる涙をぬぐえるかそうでないかの違いでしかないのでは……
枕に顔を押し付ける。こんなこと考えなければよかった。感傷的になりすぎた。
わたしは人間だ。こんなばかげた発想をするなんて、どうかしている。
「……
四号は浅い眠りについた。
翌日、十一人いた試験体は十人となっていた。試験体一号がいない。四号を除き、誰もこのことに疑問を持たず、特殊硬材で造られた広いドーム状の射撃訓練施設で淡々とマンシルエットを撃ちぬく。
四号は訓練官にそのことを質問しようと思ったが、やめた。どうせ答えてくれない。
処分されたのだろうか。Typ-Rのように。訓練しなければ。
四号は小さく身震いをした。
次の日、一号が戻ってきた。四号は訓練官の隙をうかがい、何があったかを尋ねてみた。互いに抑揚のない声。
「ISと呼ばれる新兵器の適性検査を受けたよ」
「それはどんな兵器だ」
「なんと言ったらいいかな、気持が悪かったよ。たぶんあなたも検査を受けるだろうから、自分で確かめてみるといい。意地悪しているわけではないよ。たとえが思い浮かばないんだ。きっとどのAIも答えてくれないと思う。わたしたちが知らないだけで、外の人は言い表せられるのかもしれないけど」
「そう、ありがとう」
じゃあ、と言って訓練に戻る一号の背を見送る四号。新兵器にあれこれ考えをめぐらし、慌てて自分も続く。早く数値を上げないと、処分されてしまう。訓練しなければ。
その翌日から、試験体は一人ずつ別の研究施設に移された。一応四号も。大きな四角い部屋にて、二メートルほどの、胴の前面がない機械の鎧と出会った。
「これはなんでしょう」 と四号。十メートルほど上の、透過材の向こうの技術者にマイクを通じて尋ねる。
『新兵器。今は詳しく知る必要はないよ。さ、さっそく乗ってみて。靴下を履くように足を入れて、服の袖を通すように腕を入れて、ソファに腰かけるように背を預けて』
言われるがまま。すると一瞬、背中が見えない力で後ろに吸い寄せられるような感覚。
『オーケイ、機動テストに入る。動いて』
「どうやってですか」
『いや知らんよ、わたしは男だから。あー訂正。まずは、なになに。初歩として、行きたい空間を目視し、そこにワープするようなイメージ。最終的には、空間をXYZの三軸で認識し、常に自分の座標を(0.0.0)と置き換え、かつそのイメージ状態を維持。移動したい座標を数値で表すことが望ましい。と書いてあるな。ワープって意味、わかる?』
「わかりません」
『きみら試験体はみなそう言うな。SFとか好きじゃない? わたしはこれが……うるさいな。そもそもわたしは乗り気ではないのだよ、この計画には……正規軍人のテストの方がましだよ、精神的にもうわっ』
いきなり透過材の前に四号が現れ、驚く研究員。
『……驚いたな。おい見たかきみ。しかしやっかいなことになったかもしれんぞ、こいつは……ウーム。四号、最初の場所に戻れるか? やれやれすごいスピードだ。わかった、訓練終了』
最初に身を預けたときとは逆の順序で鎧を脱ぐ。先ほど指示を送っていた研究員がやってきて、出口まで付き添った。
灰色の長い廊下の途中、進行方向を向いたまま四号がぽつり。 「わたしの数値は……」
「うん?」 と研究員。ちょうど四号が見上げ、研究員は見おろす。歩みを止める。
「実用に耐えますか」
「……きみは、優秀だよ。処分されはしない。さ、行こう」
計画推進派の研究員に引き渡されるとき、四号は一度だけ付き添っていた研究員のほうを振り返り、車に乗せられ、去った。
残された研究員。小さくなっていく車の影を眺め、タバコに火をつけた。
「チーフ」 と背後から声。
振り返らずに答える。 「なんだ」
「かの計画はわが国に必要でしょうか」
「わからん。われわれは兵器は造るが、軍人でもなければ政治家でもない。しかし給料は同じ国から出ている」
「人間が戦争するなんてナンセンスですよ」
「ISはそれを覆しかねん。そしてあの子が生き残るにはISの操縦者に、当面は被験者になるしかない。現段階でだが、正規軍人も含め、彼女が最も適性がある」
「寿命を全うするまでは大丈夫でしょう。とにかくわたしはどうも連中が気に食わない」
「やつらは徹底したリアリストなだけだ、そこに悪意は存在せん。だが、気に入らないという点に関しては、珍しく意見があったな」
「と、言うと」
「しかたがないだろう」
チーフと呼ばれた男は助手に振り向いて言った。
「今にも泣き出しそうな顔されたんだ」
一ヵ月後。計画反対派が前触れなく推進派の存在を察知し、非人道的と強く糾弾。国家保有のISを私的な研究に利用していたという証拠がある研究施設から、内部告発と言う形で提出され、受理。それを理由に推進派組織を解体。国民に知らされることなく事は解決した。
その際、四号を除く十人の試験体の扱いについては、養子という形で信頼置ける軍人に引き取られた。
四号はというと、その類まれなる才能を活かすべくISの被験者としての道を歩んだ。
数年の月日が流れる。
『こちらブリュンヒルト。バルバロッサ、応答せよ』
「こちらバルバロッサ。ブリュンヒルト、聞こえている」
『ブリュンヒルトよりバルバロッサ、状況を開始せよ』
「ブリュンヒルト、了解した。これより状況を開始する」
ドイツの黒い森で地面より三十センチほど浮いている黒い装甲のIS。その操縦者、ショートカットの銀髪と赤い瞳、左目は眼帯で覆われている。
装甲に内蔵されている通信システムを切る。コアネットワークと呼ばれるIS同士の通信システムは、それを持たないものとは通信できないのだ。
彼女は木々の間を縫うように、速度を落とさず超音速飛行。
ISは空気抵抗を無視できる。したがって空気の圧縮現象を生み出さず、衝撃波を作らない。
ハイパーセンサは周囲の乱立する木々をスキャンし、目的までの最短距離を計算。ルートが変わればそれを修正。
コンタクト。音もなく目標に接近。しかしそれは向こうも同じ。デフォルト設定のFCSは中、遠距離戦モード。
二機の距離が近づき、同時に中、近距離戦モードに切り替わる。
眼帯の少女が木々をじぐざぐに掻き分け、敵機の近接格闘兵装の射程距離へ踊り出る。敵機のFCSが近接格闘モードに自動で切り替えられ、連動してハイパーセンサはその範囲を自機周辺に絞り込む。プラズマブレードで迎え撃った。鋭い突き。
眼帯の少女はそれを見越してのプログラム行動、遷音速で三メートルほど急速上昇。目標機、空振る。その隙をリカバーするため、空振りをトリガーにしたプログラム行動。瞬時に後方の大木に身を隠すように退避行動に移った。
この時、目標機のハイパーセンサは近接格闘戦用のままで、仕掛けてきた機を戦闘把握領域から逃していた。
眼帯の少女はここぞとばかりに追撃、目標機の退避行動確認とほぼ同時。FCSを近接格闘モードに切り替える。連動してハイパーセンサもそれに従う。振りかぶる。有効射程圏内。敵機、攻撃の空振りから立ち直れていない。伸びた腕を戻している最中。
一方的に敵機を戦闘把握領域内に捕らえ、戦闘掌握領域と呼ばれる状況になる。ハイパーセンサの情報を元に、ISコア内中枢システムは現在の敵機の状態から、自機の取っている行動と照らし合わせて、敵機の取るであろう無数の行動パターンを並列処理し、未来においての敵機の最適行動をいくつかはじき出す。
その取るであろう敵機の最適行動から、未来においての自機の最適行動を逆算し選択。装甲を通して操縦者の動きを、間接などの肉体的制限を考慮し、補正する。
量子コンピュータレベルの相互作用の超高速計算はそれを一瞬で実行処理。
決着。訓練状況、終了。
簡素な事務部屋で 「ごくろうさん」 と提出されたレポートに目を通すチーフ。 「髪、切ったのか」
「はい」 と抑揚のない声で直立不動の眼帯の少女。 「目視線誘導の邪魔になるので」
「なかなか似合っているよ…………近接戦闘の勝敗を分ける要因はシミュレーションの処理速度に大きく依存する。操縦者の技量とFCSとコアの戦術判断を割合として表す場合、およそ三対七と思われる、か。その補正の効果はそれほど絶大なのか?」
「動作として作用する補正は僅かなものですが、戦闘掌握領域に捕らえた時点で勝敗は決すると思われます」
「となると、互いに戦闘掌握領域にとらえた状況、把握領域の時点では操縦者の技量がものを言うわけだ。プログラム行動は?」
「多用すればかえって危険です。トリガーにする状況は操縦者が決定するので、逆手に取られる場合もあります」
「なるほど」
チーフは安物の椅子に背を預けた。ダイエットしろと背もたれが抗議の音を上げる。ぎしり。しばらく目を瞑った後。
「ラウラ。おまえ、日本に行ってみないか」
「日本」 と眼帯の少女は脈絡のない単語にオウム返し。
「IS学園とかいう教育機関が設立される。スポーツとしてのな」
「わたしは研究所に不要と」
声が僅かに震えていた。慌ててチーフが遮る。
「違う。そうは言っとらんだろう。あれだ、おまえにはISスポーツ界の頂点に立てる可能性があるということだよ。表舞台の、こんな胡散臭い軍事研究施設じゃなくて」 ニカッと微笑んで――助手は不気味な顔だと言ったが。 「同世代の子もたくさんいるぞ」 と付け加える。
「興味がありません」
「その施設では技術面の向上が目的とされている。その三割の底上げが期待できるぞ」 にこにこ。助手は正しい。
「その学園がスポーツとしての教育を第一にしているのであれば、実戦に耐えるほどの技術を身につけることはできないと思われます」
取り付く島も無い返事。あー、ウム。とデスクのパネルに視線をやり、片手で操作。助手に文句のメッセージを送りつける。
『ぜんぜんうまくいかんぞ!』
すぐにレスポンスが。
『なんとか言いくるめて! 偵察だとか何とかいろいろあるでしょう』
チーフは視線を上げる。意味深に指を組み、深刻な顔。
「というのは建前で、実はきみには重要な任務があるのだ。他国のISを調査してきて欲しい。それにきみがIS学園で優秀な成績を出せば、わが研究所も鼻が高いし、ひいてはわが国の立場も大きくなるし、それに……他にもいろいろある。まあ、いろいろは極秘事項だから。いろいろについてこれ以上は詳しく言えない。それはいろいろと多岐にわたるので、説明するのはいろいろと大変だしな」
あれこれと説得しようとしたがラウラはなかなか首を縦に振らず。と、響くコール音。デスクの受話器を手に取る。
「なんだ、どうした。今忙しいのだ。取り込み中」
『チーフ! チーフ! またあいつらが!』 と大声で。おもわず耳から受話器を離す。
「……またか」 心底疲れた声。 「こんどはどの機材をぶっ壊したんだ?」
『わー危ない! もう、いや! チーフ!』
「落ち着け。今から助手を向かわせる。本当だ、向かわせる。だから……あー、ちょっと待て」 と、マイク押えて言った。 「ラウラ、とにかく行ってみろよ。得るものがあるはずだ。途中で嫌になったらまた戻ってくればいいさ」
戻ってこいと言う言葉に、ようやく渋渋と頷いた。
「よし、退室。悪いが忙しくなった」
真っ赤な顔で受話器に叫ぶチーフを後に、ラウラは事務室を出た。自室に続く、白く長い廊下を歩く。
そっちだ、そっちに行ったぞ!
回りこめ!
もう許さん!
研究所がにぎやかだ。
突然曲がり角から大きな黒猫が飛び出してきた。一抱えもするその猫は、勢いあまって自然とラウラに抱きつく形になる。不思議とそれほど重くはなかった。
遅れて飼い主の研究員が飛び出してきて、その猫を引っつかみ、駆け出す。いつだったか、ふらりとこの施設を訪れ、AIC開発に協力した人物だ。また遅れて十数人の研究員が後を追いかける。
彼らが走っていくほうを振り返ると、首根っこを掴まれた黒猫が手を振っていた。ように見えた。あれは前足だ。
クスリと笑い、ラウラ・ボーデヴィッヒは日差しに明るい白い廊下を歩き出した。
歩き出したのだ。
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「……なんとか説得できたか」
と呟くチーフ。一息つくまもなくコール音。相手は助手。
『うまくいきましたか』
「まあな」
『泣かさなかったでしょうね』
「危うかった。しかし、強く出なければしょうがない。彼女に軍人以外の道も示してやらなければ」
『渡りに船でしたね、日本のIS学園は』
「ま、各国からコアを提出させて、研究にまわさせないようにするのがもくろみだろうがな」
『すでに一つ、復元不能までばらばらにしちゃったから結構な痛手ですね。いったい日本はいくつコアを持ってるんだろう』
「さあな。それより頼むよ。ドイツのIS軍事利用推進派はラウラを手放したがらない。政府は頼りにならんよ。国が二分割されてしまう」
『いつの時代でも上は頼りになりませんよ。おっと失礼、政府は、に訂正。民衆の支持はこちらにあるでしょうから問題ありません。わが国の優秀なIS乗りを世界に知らしめるのだ! とでも言えば』
「それも重要だが、突然選出する生徒を変更するのだ。そちらの手筈はどうか」
『ぬかりありませんよ。大丈夫です……』 助手は一拍置き、ためらって言った 『さみしくなりますね』
しばしの沈黙。破ったのは助手のほう。
『彼女がIS以外の道を選んでくれればいいのですが』
「……無理だろうな」
『可能性はあるのでは』
「ないよ、まったく。ない。あの子はレーゲンを自分の半身と思っているから」
『それほどまでに。なぜ』
チーフ、言うべきか否か迷う。助手、いぶかしむが、すぐに左目のことだと察する。
『教えてくれませんか、そろそろ』
言われて三回ほど口を開いては閉じる。全研究員に、決して尋ねてはならないと肝に銘じさせた極秘事項。
「他言は……いや、一度しか言いたくない。聞けよ」
見えていないことは承知だが、助手は黙って頷いた。
「ラウラは自分が電子存在かもしれないと本気で思っていた。意識やゴースト、ソウルの概念で。ぬぐいきれんよ。おそらく。左目の件はそれを象徴している…………あの時、われわれが内部告発の証拠や文章を揃えている一ヶ月の間に、計画推進派は彼女の左目にマイクロマシンを組み込んだ。前方集中型のセンサーをコアとリンクさせ、鷹の目レベルの索敵能力を得るために。ISコアはデータ格納していない装置とは入出力を行わない。どんな通信システムも受け付けないし、ハッキングの類も不可能だ。あれはあらゆる電子システムから完全に独立して構築されている。それゆえの手段だった」
『信じられない……やつら。狂っていやがる』 感情を押し殺し、助手。チーフはかまわず続ける。
「彼女は自分の体が機械に侵食された事実に恐怖した。ひょっとすると次は臓器で、このままではコンピュータとなってしまうと。だから自らその瞳を……機械となったそれを、取り除いた……あの子がISに執着する理由はそこにある。ISはオーバーテクノロジーだが有人機という点ではアナクロで、人間でなければ操縦できない。ラウラにとってのISはつまり、自分が人間だと証明する絶対的な指標だ。それに――」
疲れたように額に手をやる。
「それにISがなければ彼女は処分されていた。彼女を救ったのはISだよ」
珍しく自分のこと以外に罵詈雑言を浴びせる助手をなだめた後、受話器を置き、チーフは目頭を揉んだ。
溜息をつく。
「われわれがすべきこと……はなんだ? 彼女のことを考えるならそれは……」