【完結】 人間存在のIFF <改> 【IS×戦闘妖精・雪風】 作:hige2902
蝉が鳴く正午。IS学園の食堂、織斑千冬はデュノアの操縦者技術の向上項目をタブレットPCに入力しながら昨夜の会話を反芻していた。
ラウラ・ボーデヴィッヒがカミングアウトした事実は、自らが試験管生まれであること。それがISに拒まれる要因であるならば、コアは純粋な人間かつ女性しか認めないということになる。
しかしそれと決定するには情報が少なすぎた。他の試験管生まれも同じ現象が起こっているのかどうかを確かめないことには、ボーデヴィッヒの不調は別の要因が絡んでいる可能性が残る。
仮定として起こりうる状況を推測していかなければならなかった。自然と表情が険しくなる。
織斑千冬の危惧する未来での戦争。当然ISが使われる。そのとき操縦者が純粋な人間女性で限定された場合は、戦争下にある国の男女比はある程度崩れる。子孫を残すという手段は試験管で解決できるので人口は問題ないとしても、生み出された子供はISを動かすことができず、戦力の低下はまぬがれない。となると、自然と戦力に直結する純粋女性の持つ価値は高まる。
その事実に直面した時、未来の政府はどのように対応するのだろうか。
まず試験管から女性を生みだす。成長後、その試験管生まれの女性が性行為により妊娠した子供がIS適性をもつのであれば、戦力は十分に貯蓄できることになる。できなければより純粋女性の価値が高まり、ネットの噂が現実のものとなる。人口の少ない国が最も影響を受けるだろう。
例外として技術者が制限を外すことに成功すれば、起こりうる強力な女尊男卑の問題は解決する。またはISの無人機化。これが実用できれば少なくとも戦争については従来と変わりないのだが。
IS無人機化計画はもちろんあるが、その目処はついていない。コア自体がまったく不透明であるので、当然といえば当然だった。
コーヒーを含み、目頭を強く揉む。
しかしそれほどまでに大規模な戦争など起こるわけがない。それに、自分の戦争の行きつく先は、そうならないように組織を設立、運営すること。そのためにIS乗りとしての才能を利用すると心に決めたのだ。
一息つき、運営する組織が介入できないほどの世界大戦に突入する要因をいくつか考察することにした。結果に至る過程をつぶせばよいのだから、無駄にはならない。
小規模の紛争から独立戦争、大国に連鎖し大規模の代理戦争に発展。
天変地異による極度の資源の枯渇。それの奪いあい。
何者かが世界のミサイル制御システムを掌握し、弾道弾を各国へと発射するというのはどうだろう。当然ISによって落とされるが、引き金にはなる。
そこまで考え、やはりとかぶりを振る。
今度は友人の篠ノ之束に思いを巡らす。私的な感傷ではなく、解決の糸口をそこに見出そうとして。
なぜ、有人機にしたのだろうか。彼女の腕と脳ならば、無人機化はたやすそうに思える。
人間を戦場に連れ戻して一体何になるというのか。無意味な死を強制させるような狂人ではないはずだ。それは唯一の友人である自分が誰よりもよく知っている。
ISが、闘争が人間でなければいけない理由。そんなものはない。違うとでも言うのだろうか。
時代は変わった。戦争は人の手を離れ、他国の戦争はまるで別世界の出来事のように人人は生活を送る。自国の戦争でさえ対岸の火事だろう。高価なおもちゃが失われるだけ。
会いたい。会って話さなければならない。なぜISを造ったのか、有人でなければならない理由は? アリーナでしかISを起動できないようにコアをアップデートできないものかと。そう、例えばコアの周囲が一定の長さの円形状の外壁――アリーナのような、に囲まれていなければ起動とその継続が不可能にし、それをセンサーで確認させ。
「先生?」
と、ここで思索の糸は断たれた。シャルロット・デュノアの真面目な英語。タイプする手を止め、はっとして視線を向けると、おそるおそるといった感じで。
「あの、すごく難しそうな顔してましたけど」
「そう心配がるな」 わずかに微笑み、安心させるように言った。 「おまえの成績のことで悩んでいるわけではない。よくやっているよ、おまえは」
「いえっあの」
デュノア、図星を指され、笑って取りつくろう。それを見て織斑千冬、思考を切り替える。
「このあいだおまえに貸してもらった小説、面白いな。まだ半分ほどだが」
椅子を引いてやり、デュノアを隣に座らせた。アイスココアを注文してやる。
「嬉しいです。わたしも大好きなんですよ、あの本」
「しかし驚いたよ。おまえが
「いやあ、なかなか話の合う友人ができなくて。よく女っぽくない趣味だと言われます」
「IS操縦がなかなかなのも、その趣味が一役買っているのかもな」
「そうなんですか?」
「空間座標の認識やその移動などをSF的解釈により柔軟に理解し、実行しているように感じるよ」
「ありがとうございます。こういうのって日本語では、備えあれば憂いなしって言うんですよね。合ってます?」
「発音だけはな。意味はちょっと違う」
アイスココアがウェイターに運ばれてきた。いただきますとデュノア。織斑千冬はタブレットPCを操作し、なんとなしに借りた小説のデータを呼び出す。 「そういえば。おもしろかったので調べたのだが、市場には出回っていないようだな」
「実はですね、
「させた、ということはおまえが依頼したのか?」
「そうですよ。なのでその電子媒体の本はわたしと先生と、復元を依頼したライターしか持っていません。原本を持っている人は他にもいるかもしれませんけど、どうでしょうね。かなり貴重らしいですけど」
「大丈夫なのか」
「著作権は切れちゃってるでしょうし。まあ、個人が楽しむ分には問題ないって法務の人も言ってましたよ」
それを聞き、織斑千冬はそうだったなと今更ながらに思い出す。シャルロット・デュノアは、肩書だけだが、社長でありながらISを動かすという自社製品宣伝のためにIS学園に入学したのだ。
「なるほど。ところでデュノア、相談なのだがこのデータをわたしの知り合いにコピーして渡してもいいか? 探している人がいてな、題名からおそらくこれだと思うのだが」
表紙のページを呼び出す。 「作者名がないな」
「保存状態が悪くて欠落している部分がかなりあったので完全なオリジナルとは言えませんし、表紙がない状態だったので、原作者名もわからないんですよ。タイトルは確かですけどね。これでよければ、ええ、どうぞ。でも、誰なんですか。女性ですか?」
デュノア、お年頃の女の子。気になる。データ複製の承諾を差し出した。対価を求める。
「対無人戦闘機演習に使われた訓練用標的機のオリジナルを造った人だよ。おまえも太平洋の訓練領域で相対しただろう」 なんとなしにカップをもてあそび、中のコーヒーを揺らして答えた。 「おまえの考えているような関係ではないよ」
「なんだ、いや忘れてください。DmicD-9でしたっけ」
「それはオリジナルのほうだ。おまえが、この学園の生徒が墜としているのはそのデッドコピーだよ」
「じゃあ、名前はDmicD-TSですか」
「そうだ。ブレインコンピュータはナイン型ではないし、内装も似通ってはいるがオリジナルのものとは違う。鷹の目の出力も低いしな。かろうじてDの名を冠するが……知らなかったのか」
「見た目が一緒だったのでつい……あ、でも大丈夫なんですか。お知合いなんですよね?」
「なにがだ?」
「だって先生、五年前にDmicD-9を撃墜しまった!」
慌てて口に手をやるデュノア。織斑千冬、その様子に苦笑。目の前に広がる、ぎらつく海に視線をやる。
「別にかまわんさ。もはや周知の事実だ。一応機密扱いだが、上はそれほど重要視していないし、この学園では知らない人間の方が少ない。その人も知っていたが、根に持っていなかったよ。むしろISに肯定的だった」
「むむむ、それは何か裏がありそうですよ。怪しい」
「わたしもそう思ったが、違うよ。まあ表面上取り繕っているだけかもしれんが……たぶんあれは思想からなるものだ。あの人は
「兵器……」 数秒思案してようやく合点がいったように。 「ISはないと思いますけどね」
「そうだな」 短く答えると、腕時計に視線をやり続いてコーヒーを飲みほした。デュノアもそれにならう。
「そろそろ時間だ。指定のヘリポート前で待機。ちょうど対無人機戦闘演習だな」
「でもわたし、苦手なんですよね、あのバイザー。どうも睨まれているようで」
脳裏に浮かび上がった光景。飛来する四つのシーカー。その後方より戦闘加速を持ってして迫る巨大な鉄塊。なんとおそろしく無機質なこと。
「本物はもっと冷ややかだ」
「え?」
デュノアは思ってもない答えに織斑千冬を見上げた。いつもと同じ、口をへの字に結んだ真面目な表情。
「ほら、さっさと行け。訓練用レーザー兵装だぞ」
二人は席を立ち、並んで廊下を歩いた。
「ちゃんと準備してますよ、もう。先生こそ日焼け止め忘れちゃだめですよ。日差しが強いんですから」
その夜、織斑千冬は自室にて、訓練機から転送したデュノアのデータを過去のものと比較していた。
携帯端末に連絡が入る。作業を一時中断しディスプレイを見ると弟、一夏の文字。非常時以外は使わない約束である秘匿回線。眉をひそめる。
加えてこの時間帯。デスクに置いてあるデジタル時計を見やると、ちょうど日付が変わった。
エージェントからのメールをチェック、これといった連絡はなし。
ヘッドセットをつける。
据え置きのPCと有線、逆探知をかけ、通話。状況をタブレットPCの投影ウインドウでモニタ。黒地に緑の線で日本地図が映し出され、全土を囲む正円が赤線で描かれる。
「どうした、こんな時間に」
赤い正円が狭まるとともに、地図がズームする。東西、地方、都道府県、市、区。それに伴い、緑の線はより緻密になり、情報量を増し、より鮮明な地図になる。円は点になり、場所を特定。自宅マンション、最上階、自宅。
ドアロックのログをチェック、侵入の痕跡はなし。エージェントにフロアの監視カメラをチェックせよとのメールを送る。
『千冬ねえ、あの、その、何から話せばいいのかわからないんだけど。まず、確かめないといけないことがあるんだ』
ひとまずは胸をなでおろす。身の危険を知らせる単語の組み合わせの暗号はなかったので。念のため、肉声チェック。
「落ち着け、一夏」
『ごめん』 と、深呼吸が向こうから伝わってくる。
『あの、ISコアに意識があるかどうかを知りたいんだ。千冬ねえなら知ってると思って』
「いきなりどうした。なぜおまえがそんなことを気にする」
小さなウインドウが新しく投影される。合成音声の特徴は検出されず。およそ本人であるとの結果。
『お願いだ、教えてほしい』 思いつめた声。優しく言い聞かせる。
「さあな、羊の夢くらいは見るかもしれないな」
『大事なことなんだ』
「あまり姉さんを困らせないでくれ」
『……無人機が、束博士は無人ISを造った。もう、すでに』
ばかな、出かかった言葉を飲み込む。しかし弟であるならば、このような冗談を言うはずがない。
「どういうことだ、なぜおまえが」
『これ以上は……』
「わかった、今から帰る。直接話そう」
『ありがとう、千冬ねえ。信じてくれて』
通話を終了。用意していた最低限の荷物が入ったバックを手にし、部屋をでる。更識家がうっとうしいが、どうとでもなると携帯端末から運行管制システムにアクセス、いくつかの手続きを無視して無人のモノレールに乗り込んだ。
本土に着くと、エージェントに手配させた車で自宅マンションに直行。
そして弟と、その幼馴染である箒から驚くべき事実と予測を聞かされた。
しばらく議論し、考えをまとめると、ふと織斑千冬の抱えていたある疑問が解決へと繋がった。
あなたの持つ、強い兵器開発競争の肯定。それは巨大な兵器体系に携わるが故だと考えていたが。
急ぎあなたに連絡を入れた。手紙など悠長なことをしている暇はない。部屋のジャミング装置に期待する。
五回のコールを経て、通話。
「織斑千冬です。夜分遅くに申し訳ありません。ただ、緊急の用件がありまして……ええ、はい」
誰? と弟が姉に視線で訴えた。あとで話すと返す。
違和感はあった。いや違う、これは違和感ではなく
「実はどうしてもお尋ねしたいことがありまして」
タブレットPCを起動。電子書籍をサポートするソフトウェアを操作し、しおりから前回読み終えたところを呼び出す。悟られぬように深呼吸。平静を装う。
僅かに眠りを引きずるあなたの声に悪びれもせず、言った。
投影したウインドウから視線を外さずに。
教え子より借りた、オリジナルの復元版。
インフォメーション・バーに映る『
「あなたはジャムという存在を知っていますね」
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約五年前のあなたはモニタに図面を描いていた。曲線、直線。航空力学、電子工学、材料力学、機構学、制御工学、空気力学、熱力学。それらに則り、燃料タンク、ブレインコンピュータ、エンジンなどの納まる場所などなどを確保しつつも、小型化を図り、重量を減らすために。更なる高性能機を作るために。
「おい」
すると突然呼ばれ、振り向いた。上司だった。年下だが信頼の置ける人物であり、尊敬に値すると思っていた。
「上が呼んでいる」
はてと首をかしげる。あなたはこの分野において類まれなる才能を持っていた。ミスなどした覚えはない。するはずもなかった。デスクを離れ、向かった。
上質な木材の扉をノックする。
「入りたまえ」 少し鼻につく声。
柔らかな灰の絨毯を踏みしめ、目の前に広がる窓からの光に、少し目を細めた。上の者の顔は逆光により影となり、見えなかった。意識して焦点を合わせなかったのかもしれない。たしか……まず、ほめられた覚えがある。君の設計した例の機の生産コストが、わが国の制空権の、戦術思想を満たす、高高度の高速大陸間弾道ミサイル迎撃成功率が、それによる戦術、戦略的価値において云々と。
つらつらと言葉を並べると、上の者は一息つき、デスク上のパネルに触れた。右手の投影壁に映像が映し出された。
年端も行かぬ少女が露出度の高い、鎧のようなものを身に纏い空を駆けていた。あなたは雲と太陽との相対速度から見て、おおまかにそれが超音速飛行であることを知った。続いて戦闘機が現れる。見間違うはずもない、DmicD-9。可動式バイザーが瞬きをするように見えたことから、“ブリンク”と名づけた。あなたが核となって設計、生産した無人戦闘機だ。いわばわが子同然だった。それが、無残にも散った。唖然とした。ありえるのか、このようなことがと。心血注ぎ、さまざまな人の助けを借り、作り上げた結晶が投影壁一枚、投影された光越しに音をたてず砕けたのだ。ぞっとした。
「インフィニット・ストラトス。ISと呼ぶそうだ」
あなたの心境をよそに、声は無遠慮に投げかけられた。ISについての簡単な説明の後、続けて。
「我が国もISを手に入れることができた。君に新たに開発してもらいたいのはそのISの、そのISとやらの」
やめてくれ。
実験データ収集、機能性テストおよび向上のための無人機を開発してもらいたい。
目頭が熱くなる。攻撃性のないレーザーを模擬弾としたシミュレーション戦闘なのだから武装面での考慮は不要とのこと。海中に没したとしてもデータを収集できるようにとのこと、なるべく低コストで作れとのこと。きみならできる、わたしは信じているとのこと。
その命はつまり、結局のところ。敗れを前提とした機を作れとのことだった。
あなたは熱弁を振るう。そのISとやらが、いかに兵器として不完全か。スペック上、他を圧倒していたとしても、代替のない兵器は兵器としての価値を持たぬことを。しかしそれは単なる屁理屈に過ぎないことはわかっていた。不透明な兵器だからこそ実験を繰り返し解析するのだ。主力となるかどうかはその結果を見て判断する。
当然腰を曲げ、頭を垂れたのはあなただった。いや、たとえあなたの言ったことが正しかったとしても、組織に身を置く者はみなそうなるのだ。自分のつま先と上質な灰の絨毯を見つめる。鉄の味がした。
ふらつく足で退室する。仕事場に戻る前にトイレの個室に入り、白い便器にゲロをぶちまける。センサーが反応し、それは音も無く渦に飲み込まれ、排水された。口をぬぐい洗面所の鏡を見る。感想は特に思い浮かばなかった。
口をゆすぎ、唾液と血と口内に残った胃液を吐き出す。トイレから出ると、腕を組んだ上司が目を瞑ったまま、向かいの壁に背を預けていた。ぽつりと言った。
「すまんな」
あなたは視線どころか体を向けることもできなかった。壁に視線を泳がす。
「今日は早退していい」
「はい」
背を向け、歩き出すあなたに上司は。
「話がしたい。今夜うちに来い」
あなたはデスクにも寄らず、仕事着のまま手ぶらで自宅に帰った。帰路のことは覚えていない。意識が覚醒したのは上司からの電話によるものだった。秘匿回線。
「もしもし」
小さな舌打ちが聞こえた。
『……五分はコールしたぞ』
椅子に座っていることに気がつく。窓の外はすっかり暗くなっている。
「すみません……なんでしょうか」
今度は露骨に聞こえた。おぼろげに会話を交わす。
やはり忘れているか。今すぐわたしの家に来い。今、自宅だな? ああ……そうだ。当たり前だろう、地下のほうだ。それとPCを忘れるな、仕事用ではなくプライベートのやつをな。おい、聞いているのか……まったく。車の権限をよこせ、おまえは後部座席に乗り込むだけでいい。いやまて、切るな、到着するまでな。…………乗ったな?こちらでも確認できたが。上出来だ………………ほう……いい度胸だな、きさま。いいか、二度は言わん、よく聞けよ。
受話音量が上げられた。どうやら携帯端末の権限まで渡してしまったらしい。セキュリティ制限があるので一部のみだろうが。
顔色の悪い放心状態のヤツと別れ、その後連絡がつかない。自殺を図ったかと思うだろうが、バカめ…………いや、すまん。言い過ぎた。許せ……おまえ、帰ってから飲んだか? ……そうか、ならいい。そろそろだ。
二階建ての小さな家に到着した、よく見る一般的な外装だ。車のドアが開かれ、降りると玄関先で主任が腕を組み待っていた。
「冷える。さっさと入るぞ」
自動で駐車される車を一瞥し、あなたは家に上がった。スリッパを履き、玄関横の階段を下りると、しゃれた木製の扉が見えた。たしか、間には何かしらの電波対策を施した金属板が仕込まれていると聞いたことがある。上司は横のパネルを操作し、ロックを解除。小さなバーだった。
趣味だそうだ。バーの雰囲気は好きだが、他人のざわめきが我慢ならず、自宅に作ってしまったらしい。カウンター席はもちろん、なぜかボックス席まで設けてある。
「まあ、座れ」 上司はカウンターに立ち、水を注いだジョッキを出した。
言われるがままカウンター席に座り。出された水を飲み干す。一杯くらいはかまわんだろうと、続いて半分ほどビールが注がれた。主任は自分のショットグラスにウィスキーをそそいでいる。
あなたはそれを見て注がれたビールを一気に飲み干した。
「わたしの分はないんですか」
「……吐くなよ」
嫌そうに新たなグラスを取り出してくれた。干しレーズンを小皿に用意し、あなたの横に座る。
しばらくは無言で飲んだ。
ふいに主任がグラスを眺めて言った。 「おまえも、あの映像を見たろう」
あなたは答えられなかった。
「ブリンクは強い、最強だ。衛星と鷹の目で敵の早期警戒管制機のレーダー範囲外からでさえも捕捉、戦艦などの管制装置に頼らずとも超長距離AAMをアクティブでも誘導できる。ドグファイトにおいても、前主力機に勝利してのけた」
あなたはなんとか口を動かす。
「でも負けた。信じられません」
「……わたしも信じられなかった。わたしは……だがあれは仕組まれたものだと考えている。不利な条件だった。でなければおまえのブリンクが手も足も出ないままやられるものか」
よどんだ目を向けた。「不利な……」
「ずいぶんと、こたえたようだな。わたしは、あの兵装ではISに勝てなくて当然と考えている。しかも互いを確認した状況だ。空戦で鍵を握るのは最大速度でも空戦格闘、機動能力でも旋回性能でもない。いかに敵よりも早く目標を発見できるかだ。その後長距離ミサイルで攻撃、殲滅。ドグファイトなどそうそうあるものではない。いかにブリンクが万能機とはいえ、あの状況はすでにわれわれの機の優秀な索敵、ステルス性能を無効化していたと言える」
アルコールのせいだろうか。体が火照り、血が巡っていくのがわかった。もう一口呑み、あの映像を脳裏に描く。
「そういえば積まれていたのはMSAC社の中距離でしたね」
「戦闘機の兵装は作戦によって変える。当たり前だがな。あれとマイクロミサイルでは格闘戦を挑まざるをえんよ」
あなたは空になった上司のグラスにお酌した。
「しかし、あの機動性能を見るに長距離なら当たるとは言いきれん。弾頭を広範囲に被害を及ぼすものにするか、高度な電子制御があれば別かもしれんが。デュノアのマイクロも優秀だったが、それも含め全てただのAAM……厳密に言うなら。戦闘機を対象とした空対空ミサイルに過ぎん」
あなたはレーズンをつまみ。 「対IS用兵装が必要と?」
「わたしはそう思う」 上司もつまんだ。
上司はおもむろにタブレットPCを取り出した。ウインドウは投影せず、本体の物理ディスプレイを操作した。
「例の映像だ。必要だろう? おまえには」
あなたも鞄からPCを取り出す。
「いいのですか?」
「機密事項だ。原則一般には映像記録の持ち出しは禁止されている。その中にはわたしやおまえも含まれる。念のため有線で送るぞ」
おまけだ、とスペック等の情報も転送された。
「それで、おまえはどうする」
「その、練習台はどうしても作らなければなりませんか」
「……そうだな」
上司はいったん席を立ち、カウンターに向かい別のボトルを取ってきてくれた。飲むか? と。
「わたしも詳しいことは知らされていないが、ISコアは世界主要各国へと売却された。その総数は約七十らしい、ということはどの国のトップも把握している。だが肝心のどこどこの国はいくつ手に入れているか、ということはまだ掴めていないそうだ」
「日本が購入できた機数は少ない?」
「おそらくな、五機もあればいいほうだと思っている。本来であればそんな貴重なものを大空の下で模擬戦闘実験などせん。衛星の目もある。わざわざ他国に無償で情報提供するようなものだ。だがISコアを開発したのは篠ノ之束という日本人女性だ。国籍もな。政府は彼女との関係を暗に主張したいらしい」
「なるほど」
「模擬戦闘を行うほどの余裕があるのは、解析にまわすISコアが潤沢だからであり、それだけ多く都合してもった。あるいは用意させた。どちらにせよ、わが国は諸君らよりも当然に彼女と密接であるとな」
「避けられませんか」
「たとえ手にしたのが一機だけでも強行するだろう。博士が日本国籍を持つ日本人である以上、ISに関して、日本政府は各国に対し優位に物事を進めなければならない。これはそのための布石だ。再起を図りたいのさ。わたしならそうする」
本格的な解析は数が揃ってからになるだろう、と付け加え。
「それと、避けては通れん事情はもう一つある。ここからはわたしの推測に過ぎんが。わざわざおまえを指名し、釘を刺したのも理由があると思う」
「と、言うと」
主任はグラスに残ったウィスキーを一息で呷った。気づき、あなたは空になったグラスに三分の一ほど注ぐ。
「ISの軍事利用を推進する連中がいる。ま、当然だがな。上層部でもおまえは有名だ、DmicD-9は極めて優秀だから。で、IS推進派はわれわれを……第一人者のおまえを快く思わないだろう。わかるな?」
「少し酔っていませんか」
「この程度。酔ったうちに入らん。悪いが水をくれ……ウム。その横槍も考えられる。おまえは今回のプロジェクトだけを降りることは許されないだろう。……まあ先ほど言ったように推進派云云は憶測だ」
「参考にはなりましたよ」
あなたはカウンター奥にきれいに並べられたボトルを眺めながら、また一口含む。ブリンクとISの戦闘について考えをめぐらせた。
先ほど渡された映像を再生。何度かリピートし、ISの動きを目で追う。
やはり、たとえ兵装を変えたとしても、状況が変わっても。勝率は三割ほどではと、生みの親であってもそう思えた。
ミサイルを例にとっても、基本的に戦闘機は、ECMやチャフなどを除けばこれといった直接的なミサイル迎撃機構を持っていない。機関砲で撃ち落とすことも不可能ではないかもしれないが、銃口は進行方向を向くので物理的限界がある。
対してISは最大速度でバックできるので、迫るミサイルから逃げる形で銃口を向けることができる。腕という戦闘機にはない要素がそれを容易にさせる。
また、武装面でも劣る。ミサイルを撃ち尽くしたあと、残るは機関砲のみだがISはデータ格納による豊富な火器を有する。
さらにISの三次元高機動は近接戦闘時にたやすく戦闘機の背後を取るだろう。逆の場合は意味がない。ただ振り向けばよいのだから、戦闘機ほど背後を取られるということは致命ではない。
主任の考えは、筋は一応通っているが細部を詰めれば粗が出る。そして、この人はそのことに気がつかないほど愚かではない。つまり、励ましているだ。
しばらく思案し、残ったウイスキーを飲みほした。
組織に属していては。
「辞めようと、思います」
「そうか」
「すみません」
「誰もおまえを責めはせん、むしろ謝るのはこちらのほうだ。件の訓練用標的機は間違いなくブリンクの改修、いや、劣化コピーになるだろう」
「かまいませんよ」 一拍置き、あなたは少し笑って言った。 「しかし、こいつはうまいですね。三十二年物ですか」
暗い話はここまでにしようと。気づき主任も。
「ほう、わかるか。どれ、褒美にわれがお酌してやろう。めったに無いぞ、心せよ。少し遅いが、乾杯といこう」
「はい主任、光栄であります」 あなたは主任のグラスに注ぎ足した。
「乾杯!」
久しぶりに声を出して笑いあった。
その後なんとく、昔話に花が咲く。酒は上等で、つまみもうまかった。
あなたはISのことなど忘れようと思った。田舎に引きこもって隠遁生活でもしようと。それでいいではないか、悪くない。所詮兵器開発などいたちごっこだ、いずれブリンクに変わる戦闘機は世に出る、それについて不満を垂れるほど子供ではないはずだ。たまたまそれが飛行機の形をしていなかっただけなのだと。
そう、剣に対抗するために弓を、対抗するために銃を、対抗するために戦車を、対抗するために戦闘機を、対抗するために大陸間弾道ミサイルを。ISもその仲間に入っただけ。
脳裏の違和感は酔いにまどろみ、消えた。
朝を迎えた。上司はボックス席のソファーに眠るあなたを見やり、置手紙を残して出勤した。餞別代りにどれでも一本持っていけと記しただけだが、それで十分だと思った。言いたかったことは昨日、全て話したつもりだった。
車に乗り込み、携帯端末を取り出す。部下に連絡を入れる。
「わたしだ、あいつは降りるそうだ。ああ、才はあったがナイーブすぎた。いや、プライドが高すぎたのかもしれん…………それほど問題ではない。性能向上を命じられているのではないからな。それに比べればコストダウンを含めたとしても、デッドコピーを作ることくらい造作もないだろう? ……まあ、痛手には違いないがな。何とかするさ。…………気持はわたしも同じだ。……ああ。ではな」
通信を切ると、短く溜息を吐き、そして昨日のトイレでの出来事を振り返った。
「われわれにとって屈辱的なのは理解できるが」
ちらと見た部下の目は見開かれ、焦点は定まらず、顎に粒を作るほど強く下唇を噛み締めていたのだ。そのときは思わず目を伏せた。
「なにがおまえをそうまでさせる」
僅かに残った酔いは、連鎖的にある事を想起させた。はじめて飲んだ時にあなたがひどく真面目な顔で言っていたこと。
「
主任はなんとなくだが予測した。あなたが決して戦闘機から離れられないことを。例のISの映像を何千回と繰り返し見るであろう事を。
急にあなたがおそろしいようなものに感じ、言った。
「……
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突然の振動音に意識が呼び戻される。懐かしい夢を見ていたような気がする。
ナイトテーブルに置いてある、届いたばかりの真新しい最新の携帯端末が着信を知らせた。
ライトスタンドを点ける。寝ぼけまなこをこすり、確認。織斑千冬。時刻は三時半。非常識な時間だった。
そもそも連絡は手紙で行なう手筈だったのでは。
電話に出て少ない言葉を交わす。そして織斑千冬から出た驚愕の言葉。
あなたは、たっぷりと十数秒かけて返答した。