【完結】 人間存在のIFF <改> 【IS×戦闘妖精・雪風】   作:hige2902

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第七話 地球・夏

 IS無人機の報を受けたその夜、織斑千冬が弟の待つ自宅のドアを開けると、女物の靴があるのに気がついた。

 その場でバッグに手をしのばせる。

 外に出さずにグリップを握る。安全装置を外す。

 装弾数15、拳銃より一回り大きい程度、消音、サブマシンガン、イギリスの名銃、GLS‐マクランツ。

 

 玄関ドアの音を聞いてか、リビングのドアが開かれ、弟が顔を出す。

 

「おかえり、千冬ねえ。いきなりで悪いんだけど」

「誰なんだ」 遮り、強く問い詰める。

「いやあの、箒。知ってるでしょ? 幼馴染の。別に何もしてない」

「そうか」

 

 千冬は抑揚のない声でそう答えると、ドアノブを握ったままの一夏の横を通り過ぎ、リビングへ。陰鬱な表情でソファーに腰かける箒の姿を認め、携帯端末が何も知らせないのを待ってから、逆の手順でバッグから手を出した。

 一夏がリビングのドアを閉める。

 気持ちの悪い間を置いてから、箒がソファーから腰を上げて申し訳なさそうに言った。

 

「すみません千冬さん、こんな夜遅くにお邪魔してしまって」

「かまわんよ」 ローテーブルをはさんだ対面に座って言った。 「それなりの事態ならば」

 

 沈黙。

 弟が箒側のソファーに座るのを一瞥し、自分を恥じた。

 

「すまんな。それで、無人機とはいったいどういうことだ」

「この手紙を見てほしい」 と一夏。

 

 差し出された紙束を三枚ほど流し読みする。筆跡には見覚えがあった。それに秘密の英数列も上部に記されていた、おそらく本人だろう。そのまま最後までめくり、もう一度最初から。

 せわしなく右から左へと視線を文字に這わせながら言った。

 

「概要は?」

「ISを作った動機と目的それと……FAF」

 

 聞き慣れない単語にオウム返しをするが、読めばわかるだろうと頭の隅に追いやる。

 

「おまえが推測した無人機とやらについては」

「箒に送られてきたもう一つの資料と合わせて考えると自然だった」

 

 箒がバッグから小さめのアタッシュケースを取り出し、開けた。一冊の古めかしい()()()()()()。ひどく風化しており、茶色く変色していた。

 ちらと見やり、すぐに視線を戻す。

 

「わかった。手紙を読み終えたら目を通す」

 

 はらり、紙をめくる音が部屋に響く。

 

「千冬ねえは、知ってたの? 箒のこと」

 

 無感情を前面に押し出して、一夏が低い声で尋ねる。が、姉の対応は冷ややかだった。目もくれずに言う。

 

「これは姉妹間の問題だ。おまえが疎外感を覚えていたとしても、それは当事者が望んだ結果からこぼれ出たものだ」

「……ごめん」

「少し落ち着け、おまえらしくもない。……悪いが箒、こいつにコーヒーを淹れてやってくれないか、熱いやつを。喉が渇いているのなら、自分の分も淹れるといい」

 

 わかりました、とふらりキッチンに向かう背に、千冬はよもやと弟を勘ぐったが、やめた。当事者間の問題だ。思考を切り替え、読み進める。

 箒はお湯が沸くまでの間、慣れた動作で戸棚から幼馴染のマグカップと粉末のインスタントコーヒーを用意し、ポットを眺めてあの日を脳裏に描いた。

 

 姉から手紙が届いたあの日を。

 涙を堪えて。

 拳を握りしめて。

 歯がゆい、出来ることは何もない。

 

 

 

 おそらく姉は現在、FAFの猛攻を受けているというのに。

 

 

 

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 IS学園開校という歴史的なその日。とはいえ一般人には雲の上の出来事でしかなく、実際に高校一年生である彼女。箒は、なんら昨日と、過去に過ごした日と変わらない、初夏も近付くころを生きていた。

 彼女はその日も幼馴染である織斑一夏と、その友人の五反田弾と一緒に下校し、帰宅した。高級住宅街の一角、大きな家。

 

 ただいま、と母に帰宅の挨拶をして階段を上り、自室に戻る。制服から普段着に着替え、喉が渇いたので一階のリビングに行き、コーヒーを用意した。母はソファに体をあずけ、自分より大きなスピーカーから流れる音楽を楽しんでいた。ウーハーから抑え気味の低温が響く。2.1ch。

 

 箒にはそれの良さを明確には聞き比べることができなかったが、母曰く、ドイツの古市で見つけた掘り出しものらしい。

 まるで化石だわ、と父と二人っきりの旅行から帰ってくるなり、その奇妙なスピーカーのすごさを説明された。

 

 どう見ても巨大なサイコロからにょっきりと、音を出す部分の、コーンの芽が生えてきたようにしか見えない。慣れてしまえば可愛いらしいオブジェだ。大きな白鳥のようにも見える。

 

 そのことについて一度母に尋ねたことがある。

 部屋に設置されている家具などの障害物をスキャンし、音の反響を計算するタイプの、もっと薄くて小さいとスピーカーとアンプが安価で手に入るのというのに、なぜこのような古臭いタイプのものを買ってきたのか。するとこう返ってきた。

 

 たしかにそちらのほうが性能の面でも上回っているでしょうけど、それは機械が数値的に判断した場合であって、わたしがそちらの方が良い音を出力すると判断したわけではないわ。

 たぶん違いはわからないけれども。

 思いこみ効果ってやつね、と付け加え、ころころと笑った。

 

 おおらかな母らしい。

 箒がマグカップを手に自室に戻ろうとすると、クラシック音楽に耳を傾けたまま、母が言った。

 

「そうそう、あなたに荷物が届いていたわよ。テーブルの上」

 

 見やると一抱えする大きさの包みと、一通の国際郵便が置いてあった。差出人はすべて異なっており。両親にはペンフレンドと言ってある。

 箒はようやく来たのかと、はやる気持ちを抑えつける。それらを器用に抱え、階段を上がる。

 

 部屋の鍵をかけ。まずは手紙からと丁寧に封を切った。かすかに姉のにおいを感じる。時間の経過を感じさせる六枚の便箋が封入されており、姉の筆跡。赤いインクの万年筆。

 箒、それを見てにんまり。

 

 箒の姉。幼いころに家を出て、名を変え、情報操作し、社会的に存在しなかったことにした彼女は、このような手段でしか連絡をよこさない。

 

 小さい頃はずいぶんと淋しい思いをしてきたが。姉は、将来において自分の頭脳が家族に迷惑をかける可能性を考慮して動いたのだ。今になれば、もしも自分が身内の者と世に知られた場合、間違いなく何らかのトラブルに巻き込まれていたはずだ。

 箒は姉を尊敬していたし、感謝していた。

 

 両親は姉について語ったことはない。忘れてしまったのか、意図して話題にしないのかを聞く勇気はない。ぼんやりとした記憶によると、いつも両親にへんてこな疑問をぶつけてからかっていた。おかしな子どもに映ったに違いない。

 とにかく箒の家では姉の話題はタブーとなっていた。両親は篠ノ之束が自分の子だと気付いていない。その事実を知っており、定期的に連絡をとっているのは、今では世界でただ一人。箒だけ。

 

 心を躍らせ、いざ一行目を読む。とたんにサッと熱が引いた。それらは心臓の下に集められ、残留し、締め付ける。

 

 文体がいつもの姉のものではない。ひどくまじめに書かれている。いやな予感がした。

 他の二枚目三枚目と、ざっと目を通すがどれも同じく堅い。いつもならもっと、おちゃらけた感じで、つかみどころのないような文章。箒はそれを楽しみにしていた。

 

 何があったのかと食い入るように手紙を読み進め、書かれている通りに大きな包みを開封し、アタッシュケースと書類入れを確認。

 ケースは後回しにし、まずはこちらからとマチを紐とく。中にはやはり古びた紙の、十数枚の手書きの文章。指示通りに通し番号をチェックし、ようやく読み進める。

 

 鼓動が早まる。恐れを感じた。

 その手紙を読み終えると、その日から箒は図書館に通い詰め、ただひたすらに歴史と哲学、それにISについてをあさった。

 

 いつものように幼馴染の織斑一夏が登校を共にするために訪ねてきても、先に行っていてくれと頼んだ。読書を続ける人と並んで歩かせるのは気が引ける。

 

 無意味なこととは解っていても。彼女にできることは、それくらいのことしかなかったのだから。

 なにかの助けになればと懸命に、しかし時は刻刻と過ぎ去り。箒にとってのタイムリミット、一カ月が経とうとしていた。

 

 

 

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 日本でも指折りの高等学校。堂堂と都市部に位置する園学び舎の門をぞろぞろと進む生徒に紛れ、織斑一夏はゲタ箱で上履きに履き替える。ちょうどエレベーターが一階で停まっていたので何人かで乗り込み、三階のボタンを押した。

 一階、二階と停止した後、廊下に出てすぐの1-Aと札のある教室のドアを開けた。

 

 おしゃべりをしていたクラスメートが幾人か視線を向け、すぐに興味を失い会話に戻り。一夏は自習に励む勤勉な同級生を横目に自分の席に荷物を置き、机に伏している赤い長髪の少年の席に向かった。教室を見渡せる、ど真ん中の一番後ろ。

 

「おい、大丈夫か。起きろ、ダン」

 

 机に腰を預け、肩をゆすると、むっくりと寝ぼけまなこの親友が顔を上げる。

 

「うん? ああ、なんだ。一夏か」 大きく伸びをし、残念そうに言った。 「今日もダメだったか」

「いつも言ってるが、たぶんメイドさんが起こしてくれるようなことはないと思うぜ」

「なんでよ」

「なんでって。ここ高校、高等学校」

「わからんぜ、寝ぼけた子が間違えてコスプレ用のメイド服を着てくるかもしれん。ときめきというかな。それがないよ、イチカにはさ」

「おまえには常識がないよ」

 

 織斑一夏と五反田弾は中学のころからの仲だった。他人には悪友だと言い張るが、間違いなく親友で。確認し合ったことはないが、二人は確信していた。

 

 たわいない会話をしながら、朝会までの時間を潰す。これが中学校からの日常だった。

 ここ最近はそうでもないが、と五反田は心の中で付け足し、ぼやいた。

 

「あと数日で夏休みか。中学の時は楽しみだったんだが、高校ともなると宿題が多いらしいから複雑な気分だよな」 と、一夏。

 

「宿題なんてもんは作業だろ。淡淡と答えを書き込むだけで、ペンを動かす手が疲れるだけさ。おれなんか店の手伝いもあるし、人一倍時間がない」 うんざりしたように手を振り五反田。 「なんでデジタル化しないかな、どうせみんなネットやら誰かから教えてもらったりするんだろうから、変わり無いように思うんだがな」

 

「おまえはそれでいいかもしれんが、そんなのことやってるのが千冬ねえにバレたらと思うと……くそう、今度食べに行ってやる、五反田食堂のかぼちゃの煮つけが恋しくなってきたな」

「昼時は勘弁してくれよ。というか夏休みは部活が忙しいからなあ、あんまり会えないかもよ」

 

「なんだっけ、楽器を弾けるようになりたい同好会? 勧誘された理由がその派手な髪の色ってだけの。本当に入ったのか」

「モテそうじゃん」

 

「たしかにそうだろうけど。普段の活動ってなにやってんの……モテそう?」 眉をひそめた。

「そうだな、けっこう本格的だぜ? 先月は狙ったオーディエンスにピックを飛ばすファンサービスの練習とか、こないだはヘッドバンキングの練習をしたな。あれ、けっこう首にくるわ」

 

「その髪の長さでか。やめたほうがいいと思うが……うん?」 小首を傾げた。

「ああ。やっぱ髪の長いベーシストは直立不動で微動だにせず、黙黙と弾くに限ると再認識した」

 

「弾けるのか? ダン。いや、弾けるようになりたい同好会だったな……」 しばし視線を彷徨わせハハン 「わかった。家で練習してるんだよな。ベース、買ったのか?」

「そんな金はないが」 当然とばかりに両手を広げる。

「じゃあどこで練習してるんだよ」

 

 五反田は苦笑した。

「何言ってんだよ、楽器は弾けなくてもヘッドバンキングの練習はできるだろ?」

「そうだが」

「じゃあなんでわざわざベースを買わなくちゃならないんだ? イチカ、しっかりしてくれよ」 バシバシと親友の背中を叩く。

 叩かれ一夏、あごに手をやり。 「いやそれは理論的におかしいと思うが」

「そうか? 経済的でとても助かってるぜ。ピックは安いし、投げてどっかに行っちまわない限りは繰り返し使える。学園祭が楽しみだ、全校生徒の前でのライブは男の夢だよな」

 

 ジャカジャーンと架空のベースをかき鳴らす五反田に一夏は、その擬音はギターじゃないかと言いたかったが、それよりも楽器が弾けないのにどうやってライブをやるのか。そもそもメンバーは揃っているのかと疑問点が次次と浮かび上がり、面倒になったのでとりあえず頑張れよと応援しておくことにした。なんだかんだでうまくやるだろうと。

 

「ダイブする時はおれの所へ落ちてこいよ。タイミングを目配せしてくれれば受けとめる体勢作っとくからさ」

「おっと忘れるところだった。その練習もしなくちゃな。ちょうどいい、夏だ。プールが使えるかな」

 

 と、教室のドアが開かれる音がし、二人はそちらへ目を向けた。誰が来たかは時間帯で大体わかっていた。長いポニーテールが目を引く一夏の幼馴染、箒が、重そうなハードカバーを読みながら器用に机と人の間を縫って自分の席に着いた。

 五反田の目にちらと映ったタイトルは有名な哲学書。

 ハードだ、と思った。

 

「悪いダン、また後で」

 

 返事を待たずにそそくさと箒の席に歩む親友の後ろ姿を、その後のやり取りも含めて頬杖をつき、観察した。

 席に着き読書に励む箒の横に立ち、一夏が声を掛ける。

 

 やあ、箒。おはよう――

 うん? ああ、おはよう一夏―― と見向きもしない。

 

 そこで会話は途切れる。今となっては見慣れた光景だ。一方はひたすら本に目を通し、もう一方はなんとか会話を続けようと必死。

 

 今日はまた別のやつ読んでるの?――

 ああ――

 ふーん、そうなんだ――

 そうだ――

 

 箒は忙しそうにページをめくり、一夏は興味ありげに立ち尽くす。五反田は眉間を揉む。

 

 やがて授業のチャイムが鳴り、一限目が始まる。退屈な物理の授業を聞きながし、観察を続ける。

 

 箒は机の影に隠れて携帯端末に情報収集させており、隣の席の一夏はなんとか内容を知ろうと必死で、その手元をちらと盗み見し。一文を読み取ったのだろう、文章を自分の端末で検索していた。小さいスクリーンからはISらしき画像が見てとれる。

 もう見てられないと片手で目を覆う。これが女の子だったなら、なんといじらしいことだろうと胸を締め付けられるのだが。

 指の隙間を広げ、なさけない親友を窺い、溜め息。

 織斑一夏がやきもきするようになった原因は、文武両道を地でいく彼女が突然このように極端な本の虫になったからで。約一か月前からずっとこの調子だ。

 

 どうしたものかと窓の外に視線を移し、雲ひとつない空を見上る。このまま時間が解決してくれることに期待するか、それとも何かしらの手を打つべきか。

 頬づえをつき、滑るように空をゆく鳥を視線で追うと、態度が気に入らないのか、教師に答えてみろと問題を当てられた。

 だるそうに視線だけを電板に向け、数式にざっと目を通す。明らかに教科書の範囲を越えていた。意地悪教師めとオンボロPCのスリープモードを解除。教師のプライドを保つために懸命に答えを模索するふりをし、しかし親友のことで頭を悩ませた。

 

 少なくとも五反田にとっては、授業態度の注意を目的とした、答えられないことが前提の問いよりも。そちらのほうが難問で解決すべき優先順位は高かったのだから、それに割く脳の割合も当然それ相応になる。

 なのでこれは閃きと言ってよかった。

 五反田が思うに、二人の距離はあまりにも近すぎ、それに関しては結構なのだが。抱えている問題を解決するには不適切なのではないのだろうか。一夏には阿吽の呼吸で理解しあえる仲でなければ、箒さんに対して失礼だと考えている節がある。

 

 頭の隅で、ネール状態にホルシュタイン‐プリマコフ変換を当てはめる途中、ふと軌道角運動量を思い出し、原子核を中心に決まった軌道をなぞる電子が思い描かれる。

 

 原子核から電子が遠のくには、例えば光子が必要だ。

 強すぎても弱すぎてもダメ、適切な量を与えなければ、遠ざかりすぎては元も子もない。どう転がるかはわからないが、しかし作用しないかぎりは原子核と電子の距離は不変。

 光子のエネルギーの量は波長で決まる、つまり波長を合わせることが重要なのだ。人間関係もたぶんそう。

 

 電子を一つ外側の軌道に移し、視野を広げて原子核を見ることのできる位置に立たせたほうがいいかもしれない。

 計算ソフトウェアを起動するまでもなく、十数秒の暗算で二つの答えが出た。

 

 教師が正解を認め、表情を隠して授業態度を指摘する。

 聞きながし、あくびをかみ殺し、次はさてどのようにアプローチするか。親友といえども、無遠慮に問題に首を突っ込むのは自身の信義に反する。

 

 授業が終わり、休憩時間に一夏が尋ねた。

 

「よくわかったな、あんなわけのわからん問題。どこに接続したんだ?」

「閃いたのさ、たいしたことはない」

 

 うさんくさげな視線を無視して五反田は夏休みのスケジュールを変更した。ダイブの練習は後回しにして。

 

 

 

 それから数日が過ぎ、いよいよ一般的な学生の夏休みが始まる。

 

 日本の暑い夏。とある日本の市街地にて、高校生二人は額に汗をにじませていた。

 

「あっちーなー」

「ならまずはその暑苦しい髪を切れよ、ダン」

 

 親友の腰ほどにまで伸びた真っ赤な髪をうんざりとした目で一夏。五反田は頭に巻いた黒いバンダナの据わりが悪いのか、重そうな髪と格闘している。

 

「しょーがねえだろ、バンドマンなんだから。やっぱパンクでファンキーな髪じゃなきゃ」

 

 ショーウィンドウの洋服を眺めたり、ランジェリーショップに目のやり場を困らせたりと、大通りの商店街をあてもなく歩く。夏休み初日ということもあり、同世代らしい人で通りは賑わっていた。

 

 それにしてもと五反田は辺りをぐるりと見回し、嘆息。

 

「なんとカップルの多いこと。折角の長期休暇だってのに、男二人で何やってんだろ。おれたち」

「おまえが水泳部の練習姿を拝みに行こうなんて言ったからだろ」

「ちくしょー。なんでバレるかな」

 

 苛立ち、目を引く赤髪をかきあげる友人の姿に、一夏はもう一度散髪を勧めるべきか悩んだ。

 

「おまえはいいよな。箒さんがいるからさ」 試すように五反田が言う。 「いつも一緒にいるじゃん」

「箒とはそんなんじゃないよ、ただの幼馴染だ。古着でも見に行こうぜ。おれ、シャツが欲しいんだ」

 

 茶化されたと思った一夏はそう言い切り、ゆるりと進行方向を変える。

 あまりにもヘタクソな会話の転換にダンは苦笑し、次の手を打つことにした。

 

「それもいいが、そろそろ昼時じゃねえ? どっかで食べてからにしようぜ」

「そうだな」 ポケットから取り出した携帯端末のステータス・バーは午後一時過ぎを映し出している。

「どこで食べる?」

「おれのとこ以外なら、クーラーが効いていればどこでも」

「ああ、いま妹さんがいるのか?」

「相手にするのはもうたくさんだ」

「仲がいい兄妹ってのはいいじゃないか」

「あいつの場合は度を超えている気がするが」

 

 しばらくぶらつき、じゃああそこにするかと二人は適当な喫茶店に入った。鼻孔をくすぐるコーヒーの香り。簡素な外装とは打って変わり、アンティーク調度品と上品な雰囲気の店内は、学生が来るにはやや躊躇われたがもう遅い。

 

 席に着くと、一組の若い夫婦と一人の会社員が入店した。五反田は、とりあえずこの店に強盗やなんかが押し入ってきても安心だろうと意味のない事を考えた。

 

 四人がけのテーブル席に腰かけ、軽食を取る。

 

「しかし、もう一カ月か」

「何が?」

「IS学園開校からだよ」

 

 一夏の整った眉が小さく反応した。わかりやすいやつだと笑いをこらえる。

 

「すげーよな、あれ。どーなってんだろ」

「おれが知るかよ、束博士に聞け」

 

 一夏がピザトーストをかじるタイミングを見計らって言った。

 

「箒さんも乗れるのかな」

 

 喉に詰まらせ、むせる。五反田、笑いをこらえる。嘘がつけないやつなのだ、純朴なやつなのだ。おれの親友は。

 

「いきなり何言ってんだよ、ダン」

「別にそんなにおかしい話じゃないだろ。女であれば誰だって乗れる可能性はあるんだぜ? 公式発表によればな」

「箒が……ISに」

 

 一夏の思考に、五反田は静かに待った。

 

「あのさ、ダン。箒はISに乗りたいと思ってるのかな」

「なんだよ、それこそおれが知るかよ、だ」 本人に聞けとは続けずに言った。 「ま、でもやっぱり乗りたいとは思ってるんじゃねえの? 空を自由に飛びたいってのはコンピュータが無い時代よりもずっと昔からの人間の欲望だろ」

「そうか、そうなのかな」

 

 うつむき、自分を納得させるように反芻した一夏に、軽い口調で続ける。

 

「おれだって操縦者になりたいぜ」

「おまえも空を飛んでみたいのか?」 意外な言動に驚き、顔をあげる。

「IS学園に行ってみたい、きっとハーレムだ」

「なんだそれ」 くだらないと笑った。 「おまえらしいよ」

「男らしい、だろ。全人口の半数の夢だと思うぜ。知らないのか? イギリス代表のオルコットさん。ちょいと冷たい印象だが、高校生であのスタイルは反則だ」

「奇跡の技術躍進、レーザー大国イギリスか。でもおまえは男だからな、ISには乗れんさ」

「そうかな、気の合う野郎がいるかもよ」

「野郎って、男って意味か?」

 

 興味を表に出さないように五反田を窺う。もちろん隠せてはいなかった。

 

「そうそう、ISってのは男の意識が与えられているんじゃないかってさ」 サンドウィッチにかぶりつき。 「おれは思うわけよ」

 

「いきなりどうした。だいたい意識ってなんだよ。曖昧だぜ、それは」

「まあ、とにかくこいつを見てみろよ」

 

 指先をお手拭きでぬぐい、旧式の携帯端末を二人のトレーの間に置く。四秒もかかりA4サイズのウインドウを空間投影。両面モード、対面に座る一夏にも同じ情報を映しだした。

 軍服の上からでも体格がよいのが見てとれる、人物の全身画像。短髪、鋭い目つき、額に大きな傷。顎が割れている。

 

「彼はだな、ISのパイロットだ」

「なんだって! 男性でも操縦できるISが発見されたのか」

 

「そ。で、この記事な」 五反田は後付けの無線コンソールを操作し、ウインドウを二分割、今度は英語表記の文字情報を表示。赤字で文章を強調した。

 

「なにこれ。どこ? シーネット?」 コーヒーをすすり、ざっと目を走らせる。インタビュウ記事のようだ。

 

『ISが定める女性とは、極めてあやふやなものである可能性が高いと考えられる。このIS操縦者は、筋骨隆隆とした、なんとも男らしい――もとい頼もしい女性だ。巧みにISを操るそうで。それが彼女の実力であるならば、コアという存在はなんとも公平な――』

 

「……女性じゃないか」 一夏、うめき、ウインドウ越しに五反田を睨む。

「でも男にしかみえないだろ。少なくともお前の目には男に見えた、疑いの余地なくな。無意識のうちに勝手な主観で男と決めつけちゃったわけ」

 

 ウインドウを消す。

 

「聞いたことあると思うけどさ。ISの待機状態ってモードは、ピアスや指輪といろんな形だけど、共通して言えることは全て身につけるものってやつ。で、えーとなんだっけかな」

「コアは適性判定時に操縦者が無意識下で望んでいる形状を得る?」

 

「そう、それ。その時にコアはどうやって操縦者の望む形を知ると思う? コアに目はないし、耳もない。意識を読み取るのさ」 得意げに薄く笑った。

 

 それを聞きばかばかしいと手を振る。

「それ、例の束博士を神格化してるカルトサイトから広まった噂だろ。似たような内容をおとつい拾ったぜ。続きはこうだ、コアは男性人格だから男性を選ばない」

 

「そのとおり。それは生物的な生存競争に打ち勝つために子をなす、原始的な戦略である」 根拠のない情報源に悪びれる様子もなく、ふたたびサンドウィッチを口に運んだ。 「女にしか反応しないわけだろう。絶対に野郎さ」

 

「遺伝子だかDNAをチェックしているって聞いたことあるけどな」

「胡散臭いもんだ。それ、公式発表だろ。それともお姉さん情報?」

「違うけどさ」

 

 身を乗り出して五反田。 「じゃあ可能性としてはあるんだな!」

 一夏は数秒考えを巡らせ、あきれた声で言った。 「仮に自己意識における性別が女性のコアがあったとしても、おまえを選ぶものかよ」

 

「いいじゃねえか、男がいるんなら女がいてもよ。おれも自由自在に空を飛んでみたいもんだ。もう、ホモのコアでもいい」

「嘘つけ、さっきIS学園とやらに行きたいからと言ったばかりじゃないか。女子高の学園祭で我慢しろよ」

 

 言って一夏は、ふと考えた。五反田は緑茶をゆるりとすすり、目を細める。

 

「いや、しかしネットの噂が本当で、男にも反応するコアが存在するならば、たしかにそのコアの意識は女性か同性愛者しか考えられないよな」

「そうか? 自分で言っといてなんだけど。コアが操縦者の性別に区別がついたとしても、自身の性別を理解しているのかと聞かれると、ちょっとな」

 

 そう言って自嘲気味に短く笑ったあと、店員を呼びとめてアイスクリームと、宇治金時でいいか? と、確認してついでに注文した。

 

 一夏はやはり思案し、あごに手をやる。 「……そうかな」

「いやいや、無理だろう。コアは無機物」

 

 わざとらしいきょとんとした親友の顔が向けられる。

 

「仮に、適性判断の時にコアが操縦者の意識を読み取るなら、操縦者の性についての概念や知識も同様じゃないのか。必ずしも情報をインプットする必要はないように思える。コアが反応した操縦者以外の性別が男性じゃないか」

 

「中性は存在しないわけだから、女性じゃなけりゃ男性ってことか? それなら、そうだな……仮に操縦者が中性と無意識下で感じていても、それは女以外だから男として処理されるってわけだな。結果としては、無慣性なんかのIS操縦適性なしと判断されて。でも、だとしたらなんでそんな面倒な設定をしたのかね。おれみたいな観客からすれば大歓迎だが」

 

「女性でないと、あるいは片方の性別でなければいけない理由か……」

「だいたい変だぜ。いまどき有人機なんて時代遅れもいいとこじゃねえか」

「無人機だったらこうまで世間に受け入れられないよ」

「どういう……ああ、スポーツは人間がしないと意味ないからか。厳密には違うけど、プログラムコンテストよりも野球とかの方が人気だもんな」

「そういうこと、おれはプロコンも好きだけどな。去年のあれは笑った」

 

 二人は防壁コンテスト一位構築者の呆気にとられた顔を思い出し、悪いとはわかっていても口元が緩む。

 

「ありゃその後の日程自体が笑いを取りに来てるよ。防壁コンの翌日が、その九位までの防壁破りコンなんだからさ。あの時はたしか……防壁コン一位防壁が最初に破られて、なんだかんだで五位防壁が五十六分もったんだろ」

「しかも最終日の記念一般無料配布で、一番ダウンロード数が多かったのが五位防壁破りなんだからな。悲しいかな、一位防壁のDL数は三位だった」

「インスタント環境でよくやるよな」

 

 と、しばらく談笑を続けると、割烹着姿のウエイトレスがつやのある木製トレイに注文を乗せて運んできた。

 

 さっそく一夏は氷の山を切り崩す。「話は戻るけど。ひょっとすると、性別を指定したのは無人機が絡んでくるのかも」

「うーん、うまい。わかりやすくな」 黒蜜のかかったバニラを味わう。

 

「ISに二つ目の、十分に人間の意識を読み取ったコアを操縦者として搭載した場合は無人機として完成するんじゃないか? だから……つまり。人間操縦者の性別を男、女。意識を読み取ったコアの性別をアダム、イヴとしよう。

 コアに女以外認めないよう設定した場合。あるコアが女の意識を読み取り、判定した。そのコアは」

 

 合点のいった五反田が後を続ける。

「読み取り前のまっさらなコアに性別の概念はないとすれば、中性。そう、中性なのでそのコアは自らをアダムと処理する?」

「自己意識の性別が男なので、アダムを別のまっさらなコアに搭載し、人間操縦者と誤認識させようとしても、まっさらなコアはアダムを男として判断する。適性なしと」

 

「束博士はISの無人機化を嫌っている?……いや、どちらかというと最初からそのように設定しているところをみるに、無人機の生産なりなんなりは自分でコントロールしたいという思惑が強いように思えるな。

 男女の判定を反転すれば簡単に設定できるだろうが、ISコアは今のところブラックボックスと公表されている。博士以外はいじれない」

 

「どうなんだろう。そもそもコアに意識はあるのか、意識の読み取りは本当なのか、それはどの程度なのか。ここがとくに問題だ。とりあえず言えるのは、イヴが存在すれば、それは無人ISに使えるかもしれないな」

 

「でもそれってISに意識が、心念があるって前提だよな」 と五反田。デザートをたいらげると、古びた照明を仰ぎ見て呟いた。 「……おまえ、モノに心が宿ると思うか」 視線だけを一夏に向ける。

 

「……可能性は否定できんだろ。現代生命学では、いわゆる意識やソウル、ゴーストを定義できないから」

白玉団子を咀嚼し、答える。

 

「中学四年生、といった答えだな」

 

 にやにやとした視線が向けられ、むっとして言い返す。

 

「じゃあ例えばだな、おまえの大切にしているそのバンダナ。そいつをこのあずきと煮込んでだな」 上質な抹茶を使った氷とごたまぜにして食し。 「だめにしてしまう。で、まったく同じものを買って弁償したとすれば、どうだ」

 

「そいつはおれが悲しむのであって、バンダナはなんとも思わんのが現実さ」

 二タリと笑う。自分が本当にそう思っているかどうかを他人には証明することはできないのだから、一夏は反論できないと踏んだのだ。

 

「それともおまえはモノに付随する価値、例えば思い出のことを、心という概念が内包する一部とでも定義するのか? おれが金時と煮込まれている時、バンダナが悲しいと感じるならそうかもしれんがな」

 

「おまえはこう答えるべきだったよ、ダン」

フフンと鼻で笑った。

 

「おれは悲しむが、バンダナはただ煮込まれるだけだ、とね。

 モノに心はないと仮定するのならば『思う』という言葉を使い、モノに対する状況を表現することはしない。したがって『思う』という言葉で表現したおまえは、無意識下ではモノにゴーストが宿っていると感じているのさ。思う、それは本来、モノに対して使う言葉か?」

 

 かき氷をもう一口。硬く冷たい氷の粒に頭痛を感じた。

 

「ちょっとずっこいな、ただ揚げ足取ってるだけじゃねえか。無意識下で思っていることの証明にはならないと思うぜ」 オレンジジュースのストローに歯形を付けながら、そう答えた。

 

「口が滑ったってのは自己の無意識の言語化じゃないか。意識せず出た言葉なんだから、抽出と言ってもいい……」

 言って気がつき、やや陰鬱になる。知らず、箒が言っていた言葉になぞらえる。

 

「……つまり、あるモノに対してなんらかの感情を抱くのはいたって普通な行動で、それは本人の主観で行なわれる。例えるなら、誰かのトラウマなどを主観的に理解することはできない。おれの主観では、無意識は言わずもがな、そのバンダナに付随する価値を言葉で説明されたとしても、おまえが持つバンダナに対する真の価値を感じることはない」

 

「まあ、だろうな。おまえにしてみれば、親友がつけているただのバンダナとしか映らんだろう。おまえがこのバンダナに『思う』という言葉を使うとは考えられん」

 

「それをモノの主観で考え、人間に対してと立場を逆転させて想定した場合、同じことが言える、と思う。そのバンダナがおまえになんらかの感情を抱いているかどうかということは、おれ、ないし所有者のおまえでさえも感じることはできない」

 

「でもそれってさ、モノに意識があると仮定した場合の話だろう。おれたちがそれを確認できないから、可能性としては否定できないだけで……いや」

 

 頬杖をつき、五反田は理論を飛躍させた。

 

「それは重視すべき問題ではないのか……いまおれはイチカに、つまり人間に、意識や心があると無意識に感じているが、それはおまえがさっき言っていた 『あるモノに対してなんらかの感情を抱くのはいたって普通な行動』 というわけか?

 基本的にはバンダナとおまえに抱いている感情、というより存在のレベルと表現すればいいのか――は本質的には同質で、そのレベルが違うだけ。その違いがこれまた無意識に人間とモノを区別しているってことか」

 

 要領を得ない表情の親友に説明する。

 

「いやだからな、心を持っているかどうかわからないのは人間もモノも一緒ってことさ。有名どころを挙げれば、我思う故に我ありで自我を把持してもさ、他人の自我までは不確定だろ」

 

 なるほど、と言葉を噛みしめ、あとを継いだ。

 

「つまりはこう言いたいわけだな、ダン。おまえからしてみれば、おれとモノの区別はないが、無意識のうちにこいつは心があるぞ、とおまえは判断している。そういう感情を抱いている。モノに愛着を持つのと同じように、強度が違うだけで」

 

 そうだ。五反田は言った、無意識のうちにと強調して。

 

 それを聞くと一夏は突然に沈黙した。

 意識、モノ。

 

 視線をテーブルに泳がせ、考察の海に浸かる。いや、沼だ、これは。考えるのが、沈むのが怖い。

 しかし、やはり鍵はそこにこそあるような気がした。幼馴染の助けになる鍵は。それならば潜るしかないと自分を奮い立たせる。

 頭の中は幼馴染のことでいっぱいだった。

 なぜ箒は突然、哲学や世界史、ISの情報を収集するようになったのか。

 

 読書はするほうだったが、今は異常だ。普段は凛としているが、恋愛小説好きで、それを周りに知られるのを恥ずかしがっていた。それなのになぜ。

 

 ダン、おれは、と頭を抱えてバツが悪そうに言った。

 

「最近、箒のやつがおかしいんだ」

 

 親友の告白に、いよいよ五反田は慎重になる。

 

「なんとかしたいんだ、悩んでいるなら一緒に解決したい……あいつ、ここのとこずっと図書館通いで。信じられるか? 剣道すらほっぽりだして」

「箒さんがどれほど剣道に打ち込んでいたのかをおれは知らんが、なんか調べごとがあるんじゃないか? それとなく何を調べているか聞いてみるのも手だと思うぜ」

「聞いたよ、一度だけ」

「箒さんはなんて?」

 

 一夏は脳裏に焼き付けた、何度も繰り返した言葉を紡ぐ。

 

「もともとコミュニケーション能力がプログラムされていないAIが、例えば文字言語で人間とコミュニケーションを取ったとすれば、それはプログラム上ありえないという科学的な土台の上に成り立つ意識の証明に他ならない。そうは思えないか? ってさ」

 

 喉の渇きに気づき、ぐいとコップを仰ぎ、空にする。やるせなくテーブルに置く。

 

「それと、もう少しだけ時間をくれって」

 

 そっか、と五反田はいつもの口調を演じた。でもおまえは箒さんの助けになりたいんだろう? と。

 

「ならやっぱりコミュニケーションするしかないんじゃないか? 双方的なやつをさ。

 でもおまえはたぶん、てんで的外れなことを言うんじゃないかと恐れている。で、箒さんに落胆されるのが嫌なんだ、まあ誰だってそうだが。

 でも大丈夫さ、箒さんはおまえの助けを必要としている、待っているはずさ。……イチカ、こっちを見ろよ」

 

 静かに視線が交わる。

 

「箒さんの問いに、おまえは答えることができるはずだよ。ここまでのアイデアはおまえ自身が生み出したんだ。正直、すげえと思うぜ」

 

 それを聞くと一夏は、肘をつき頭を支え、強く眼を閉じた。

 力になりたいと必死に思考を巡らせる。急激なスパイラルに呑まれている錯覚。

 

 人間とモノを、いや……論点はそこではない。心があるか否かを無意識に区別している引き金はなんだ? 自問する。箒、なぜ。

 

 ダンの言葉が浮かび上がる。そもそも自分でも言っていたではないか。

 口を滑らせるとは無意識の抽出。

 

「コミュニケーションか」 まぶたの裏を睨みつけたまま低い声で確認する。近い、と返ってくる。続けて。

 

「無意識のうちに心があると思っている相手にしかコミュニケーションしないのか? 壁に向かって話しかけてりゃ変人だが、子供がぬいぐるみにならありえるぜ」

 

「そいつは独り言だ」

 

「どうかな、子供は無邪気だ。ぬいぐるみに独り言を言っているという自覚はないと考えるのが自然じゃないか。それと、双方的でなければコミュニケーションとは言い切れないとすれば、レスポンスを期待するのはなぜだ」

 

 それは、と言葉を詰まらせる。

 

「思い出せよ、自我だけは確認できるんだぜ?」

 

 相手にも自分と同じ自我が、心があるであろうと無意識に思うのはなぜ?

 

「似ているからか」

 

 ややあって答えが返ってくる。

 

「だと思うぜ」

 

 軽い調子の返事に一夏はようやく顔をあげた。

 

「視覚に強く依存するが、目の前の相手が自分と似た姿やリアクションをするから、自分と同じく自我を持ってるのではないか、と感じるんじゃないか?

 おれはおまえに無意識で心があると感じているから、やはり無意識にコミュニケーションをとる」

 

「レスポンスを期待する会話のすべてが、相手が心を持っている、と自分が無意識で思っている抽出か」

 

「妥当だろ?」

 

 一夏は姿勢を崩し、どっかりと椅子に背を預け、疲れたように浅く腰かけた。

 

「まだ疑問は残るぜ、イチカ。その理屈を人間対モノにあてはめた場合はどうなる」

 

 人間対人間は見た目が似ているから相手に心があると感じる。じゃあ人間対モノで心があると感じる場合の理由は? 似ていると感じるもの。

 

「経験、か? 過ごした時間が同じだから、愛着ともいうか……ただ、視覚的な違いが人間対人間ほど強く似ていると思わせない。心があるとは感じにくいから『思う』という、人間に対して使う言葉を言うにとどまる」

 

「SFだよな。この理屈でいけば万物に意識はありえるぜ」

 

 五反田は楽しそうに言った。

 

「ひょっとしたら簡易コミュニケーションがプログラムされたAIには心があったりしてな。おれたちが学校で使ってるあの堅苦しい教育ソフトウェアとかさ」

 

「どうかな、今までのはただの」 屁理屈だ、と続けようとして口をつぐんだ。

 

 人間対人間の意識の抽出は似ているから起こる。ではもしも、仮に――

 

 一夏はこれがとても重要なことのように思えた。そして、とても恐ろしいことを口走っていると自覚できても、尋ねずにはいられなかった。

 

 これまでの仮定を満足するとして、自分の主観では他の人間もモノも、本質的には変わりないのであれば。

 

「――仮に()()()()()()()()()()()()

 

「うん?」 五反田は対照的に気楽に構えた。

 

「だからさ、例えば機械みたいな人間がいたとしたら。人間ではなく、たとえ自分の主観だろうがおかまいなしに機械の判断を正しいと信じるようなやつがいたとすれば」

 

「そんなマシンのような人間なら機械のほうから似ていると感じ、モノ対人間で無意識を抽出するんじゃないか? ただまあ、機械には滑らせる口がない」

 

 それを聞き、急激にパズルのピースが、歯車がかみ合う。

 

 口を滑らせる、とは無意識の抽出。

 つまり無意識なくして口は滑らせない。

 だから、口を滑らせる=無意識の証明。

 意識なくして無意識は存在しない。

 

「機械が口を滑らせる時、その意識は証明される」

 

 だが、機械に口はない、だから。

 

「無意識を抽出するなら、だから電子システムを操ったりしてコミュニケーションを取る。文字言語に限らず。そのとき機械は当然にリアクションが返ってくると無意識で思っている。その人間は機械である自分と似ているのだから」

 

 五反田はいつになく真剣な表情の後、打って変わって気楽に言った。

 

「おれとしては、箒さんの機械の意識の証明よりそっちの方がしっくりくる。いいと思う。似ているという間柄が大事なんだな、たぶん。

 同じ時間を過ごしたとか、誰かからのプレゼントをその人との繋がりを連想するのは、送り主の想いがプレゼントに込められてるなら、送り主とプレゼントは似ている」

 

「うまい例えだ」 一夏はこわばった表情を崩して笑った。 「似ている、か。いろんな種類があるんだろうな」

 

 すっかり氷解したかき氷に今更気がついた。

 水のようになったそれをかきこむ。やや冷たい程度で、頭痛の種は取り除かれていた。

 

「おれ、いくよ」

 

 ああ、と五反田が返すと、タイミングよく一夏の携帯端末のバイブレーションが機能した。いつもの動作でジーンズのポケットから取り出す。

 

 メール着信。

 スクリーンを見て、箒からだと呟く。

 

「話があるから会いたいって」

「いそげよ、だいぶ時間をくった」

「腹も膨れた」

「知識もな」

 

 二人はにやりと笑い合う。

 

 悪いな、また今度と席を立ち、一夏。ドアノブに手を掛け、振り返る。

 

「助かったよ、相談してよかった。ありがとう」

「いいってことよ」 気恥ずかしげに片手を振った。

 

 駆けていく親友の背を見送り、ホットコーヒーを頼んだ。モスグリーン色のマグカップをすすり、一息つく。

 

 やっぱりあいつはいいやつだ。気持ちのいいやつだ。あんなやつに巡り合えたのだから、おれの人生も捨てたもんじゃない。

 

 ぽってりとした厚手の飲み口はホットを飲むのに最適だった。空調の利いた室内で温かい飲み物はなんとも贅沢と、幸福感を覚える。

 店内を流れるジャズとコーヒー豆の香りを肴に、先程までの会話を脳裏に再生した。余韻に浸る。実に楽しかった。

 

 一夏の相互関係の間柄についての考えは、哲学歴史上の先駆者はいるものの、口を滑らせると、似ているはユニークだった。

 

 意識を持っているAが、Bも意識を持っているに違いないと無意識に感じ、それを抽出。なぜならBは、意識を持っている自分に似ているのだから。

 コミュニケーションをとる。それ自体が口を滑らせる行為。

 

 おもしろいのは、BもAは自分に似ているから、Aも意識を持っているに違いないと感じるところだ。

 コミュニケーションをとるのは自分にレスポンスを求めているからで、自分からコミュニケーションを取った場合も、相手に当然にレスポンスを求めるのだから。

 

 ここで初めて、互いが互いの意識を把捉する。口を滑らす行為を交わし、コミュニケーションが成立。両者の無意識が証明。意識は存有する。

 

 そして、逆にこうも言いかえられる。

 

 意識を持つ者は、他の者なしに自分の意識は不確定。

 

 前提の『我思う』と矛盾しているが、ニワトリが先か、タマゴが先か。ではなく、ニワトリが存在すれば当然にタマゴは存在し、その逆もまた確定する。相互の間柄とはこういうことだろう。

 

 特にここがいい、と五反田はカップに口をつける。

 人は一人では生きていけないのだ。

 一人では足りない部分を補い合う。

 

 人間はそこのところを本能的に理解しているように思える。

 生存競争に打ち勝つための戦略だ。アメーバのように味気ない無性生殖では、思いがけない脅威によって一掃されかれない。

 風邪に強い人間や、体力のある人間がいたり。様様な遺伝子を混ぜ合わせる生き物は、あらゆる脅威に備えているようにさえ感じる。

 吊り橋効果というか、極限状態で生殖行為におよぶのは。だから一つの対抗手段だ。

 脅威による状況を打破したいから交配する。

 

 だからおれが女性を求めているのも自然なのだ。

 

 一つの帰結に満足し、残ったコーヒーを飲みほす。

 そろそろ帰るかと腰をあげ、そういえばと財布から未成年マネーカードを取り出す。カードは親指の腹の指紋を読み取り、中央上部の空欄に残金を表示した。次に伝票を確認。一人分足りない。

 ムムムと財布の中をチェック。リアルを足してもあと少し。

 

 これはまいったとトイレに向かい、妹に電話を掛けた。

 

「悪い。いま喫茶店にいるんだが手持ちが足りん、ちょっとだけ。来てくれ……いや、デートとかじゃない。さっきまでイチカといたんだが、やつはいろいろあって行っちまった……男にはな、いろいろ、があるんだ……頼むよ」

 

 なんだかんだで来てくれることはわかっていたが、やりとりを楽しむ。

 

「おれの足りないところを補ってくれ……単独では対処できない問題もあるってことさ……ああ、助かる」

 

 深いため息とともに席に戻る。きっと小言を聞かされるに違いないが、ここのところ構ってやれなかったのだから、しかたがない。それもまた乙なものだ。

 しかしサンドウィッチはうまかった。ランのやつが来たら勧めてやろうと、五反田は大きく伸びをし、あくびをした。

 

 

 

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 一夏が待ち合わせ場所に着いたころには、あたりはすっかり夕暮れに染まっていた。街を見下ろせる小高い丘の上にあるこの公園は美しい夜景を望めると評判だが、この微妙な時間帯では数人の子供が駆けまわっている程度だった。

 辺りを見回し、ポツリ一人でベンチに腰掛けている箒を見つけ、駆け寄る。

 

「悪い、ちょっと遅れた」

「いや、こちらこそ急に呼び出したりしてすまない。座ってくれ」

 ひどく疲れた声だった。

 

 並んでベンチに腰掛け、二人はしばらく沈黙を共有した。箒はうつむいたままだったが、一夏に不安はなかった。沈む太陽に目を細め、はしゃぐ子供の姿を眺める。

 

 しばらくして、実は、と箒が口を開く。抑揚のない声で。

 

「わたしには姉がいる」

 

 初耳だった。幼いころの記憶を探るが、覚えていないのか、知らないだけなのか。何でも知っていると思っていただけに、わずかにショックだった。

 

「それは、知らなかったよ」

「その姉から一ヶ月前に手紙が届いた。読んでくれないか」

 

 年頃の女の子が持つには飾り気のないリュックから、A4サイズがすっぽり入る書類入れを取り出した。

 

「いいのか? おれが読んでも」

「読んでくれ。姉さんはそれを望んでいる」

「どういうこと」 肉親からの手紙ということもあり、丁寧にマチを紐とく。

 

 封筒の中には古びた紙が十数枚入っており、その字は手書きで、箒とよく似ていると、ほほえましく思った。

 

「もしもIS学園開校より一ヶ月間、メディアに姿を現さなければ。織斑一夏を頼り、織斑千冬にこの手紙を渡すこと」

 

 独り言のような呟きに反応するよりも先に、一夏はその手紙の一枚目に目を通し、すぐさま書類入れに戻した。

 ウソだろ。

 心臓が大きく胸を叩く。次いで周囲をそれとなく警戒した。犬の散歩をしている中年の女。ジョギング中の若い男。遊び疲れて帰宅する子供。

 

「箒、おれの家に行こう」

 

 自分の知る限りではそこが一番安全と考え、立ち上がるが箒は動こうとしない。もう一度名を呼び、優しく肩を揺する。

 

「ここで話すには重大すぎるよ、行こう。この手紙は千冬ねえに渡す。必ず渡す。渡すまで一緒に居よう」

 

 箒は小さくうなずき、差し出された一夏の手を取った。手をつないだまま公園を出て、市街地へ。都内のマンション、現織斑家の住所へと向かう。

 

 その途中、封筒を抱えたままの一夏は気が気でなかった。ただの紙束が重く感じる。

 

 会社帰りのサラリーマンはどこかのエージェントで、あそこの買い物袋を持った主婦は某国のスパイ。行かせはしないと遮る信号は交通管制システムを乗っ取られていて。

 

 何もかもに猜疑心を煽られる、人をこんな目で見るのは初めてだと自己嫌悪におちいる。道行く人のざわめきと、車の走行音。ねちっこい空気、うだるような暑さ。人間の欲望の中にいるような感覚にとらわれる。

 

 何度も繋いだままの手の感触を確認し、幼馴染の安否を心配した。それはセキュリティホールに入ってからも続いた。荷が重い。気持ちの悪い汗が滴る。

 エレベーターまでの廊下を足早に進み、知らず箒を引きずるようになってしまった。気がつき、あやまり。余裕のない自分に苛立つ。

 

 監視カメラが動体とみなし、ゆるやかに首を振り、その様子を追随した。

 

 エレベーターはちょうど一階で、すぐさま乗り込む。沈黙と閉塞感、緩やかな浮遊感。

 

 不意に汗ばんだ手がわずかに握り締められ、一夏が何事かと窺うと、扉を見つめたままの箒が言った。

 

「信じてくれるのか」

 

 消え入りそうな声だった。

 

「わたしの姉が篠ノ之束だということを」

「もちろん」 その儚い横顔にうなずいた。 「無条件で」

 

 ありがとう。

 返された言葉に満たされたのは、一夏も同じだった。


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