【完結】 人間存在のIFF <改> 【IS×戦闘妖精・雪風】   作:hige2902

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第九話 戦場剥奪

 その日の夜、主任は時間どおりに駆け付けた。こうして顔を合わせるのはあの日以来だ。どうぞ、と招き入れる。

 

「かわらんな」

「お互いさまですよ」

「嫌味に聞こえるぞ」

 

 上着を放り投げ、リビングのソファーに腰掛けた主任がキッチンのあなたに声を投げかける。

 

「上等なやつ、とはな。ただならんか」

「そうですね」 と、トレーに三人分のグラスとチョコを用意して、対面に腰掛ける。

 

「誰か来るのか?」

「ナイン開発者ですよ。時間があれば、ですけど」

「これはいよいよをもってだな。何をするつもりだ」

 

 主任が手に持ったグラスに注ぎながら、あなたが言った。

 

「対IS用兵装はどのような塩梅ですか」

「フランスとアメリカの大手二社が共同でやってるらしい。爆風圧、直撃や金属片を当てるのはやめて、分裂ミサイルを敵ISの上空に撃つんだ。弾頭に詰められた化学物質から擬似的な雷雲を生み出し、落雷による攻撃方法を模索している。もしうまくいけば雷速だ、避けられんさ」

 

「どの程度の段階ですか」

 

「実用には程遠いよ。高高度で雲を作り出すのは至難の業だ、化学物質の量も膨大だ。その空域に何百発必要になる? 費用対効果が低すぎる。ただまあ、おもしろい試みだ。発明とはそういったところから出てくる。既存の概念を打ち破ったアプローチだよ。笑うやつも多いが、わたしは評価している……それと今度うちに来る試作が――」

 

 落胆したあなたを見て、おもしろそうに主任。

 

「なんだ、やる気か?」

「近いうちに一戦交えるかもしれません」

「どの国がどの国と?」

「FAFとIS学園が」

「FAF……聞かん名だ。一枚噛もうというわけか?」

 

 あなたはまず、嵐の夜の事を話した。次に織斑千冬から手にした情報を説明しようとすると、遅れて友人が到着。よく来れたな、と招き入れる。

 

「いやあ、すみません。遅くなっちゃって。でもどうしたんですか? 急に。上等なやつだなんて。あれ? ひょっとして」とソファーに身を預けている人物に視線を向ける。

 

「ブリンクが世話になってるな」 主任は立ち上がり、友人に握手を求めた。

 

 その手を握り、友人。 「はじめまして。他の機では持て余すからね」

 

「驚いた、初対面とは」

「ディスプレイ越しには会ったさ。それよりちょうど人数も揃った、話を続けてくれ。織斑千冬は何と言った?」

「炭酸あります?」

「用意するよ、かけてくれ」

「ついでに水も頼む」

「わかりました」

 

 仕事終わりに問題ごとを持ちこむのだ、出来る限りのもてなしをする。適当にチーズを皿に盛り、あなたは友人の横に座った。一息つくと、先日の出来事を説明した。

 

 そうして夜の色は一段と濃くなり、日付が変わり、ひと段落ついた頃、友人がポツリと言った。

 

「織斑千冬と篠ノ之束の目的は分かりました。けど、あなたの明確な目的は何ですか? ぼくたちに話したことから、手段の予想はつきますけど」

 

 手にもつグラスを見おろして、冷ややかに続ける。 「まさか、雪風に命令されてるから、何て理由ではありませんよね」

 

「違う、わたしの目的が雪風と合致したからにすぎない」

「なんですか、それ。それを聞いているんですよ、ぼくは」

「うまく、説明できない。織斑千冬や篠ノ之束に過去の脅威を証明してやりたいのかもしれない。雪風単独ではこの問題を解決できない。博士の証明式からはどうやっても逃れられない。操縦者・ISとの接触の際に政府が介入するかもしれない、捕獲されればFAFは死を選ぶ。雪風から送られてきた作戦ファイルには、その場合の自爆を戦略として挙げていた」

 

「それとも単に雪風を英雄視しているから? 破魔矢はかっこよかったな」と、主任。視線を向けたまま、高圧的に足を組む。

「それもあります」

「で?」 初めて聞く友人の苛立った声色。

「雪風を万全の状態で飛ばしたい。兵装も、考えられる状況を想定して」

 

 二人は沈黙した。兵装も、ということは、明らかに犯罪行為に及ぶことは、想像にたやすい。

 ややあって主任が一口含み、言った。あなたと友人が視線を向ける。

 

「雪風とやらが第三者によって捕獲される可能性が高いと判断すれば、そもそも操縦者・ISとの接触前に自爆するかもしれん。一石二鳥だ。博士の計画は未来永劫完成しない。フェアリイ星人からしてみればざまあみろだが、計画が将来的に地球を守る事につながるとすると、われわれにとっては大きな損失だ」

 

「IS学園が篠ノ之の想定している真の意味を持たなくなるから?」 と、友人。

 

「国家間レベルでは織斑千冬が機能させるかもしれんが、地球全体を守ることはできんだろう。FAF的な特性を有しない時点で博士の負けだ。もっとも、勝者もいないが」 と、主任。

「ジャムの存在は永遠に不確定となる、最後の証人が失われたのであれば。ジャムの敵対勢力であるフェアリイ星人も、真の意味での地球人も時間とともにいなくなる」

 

 言ってあなたはふと気がつき、ぞっとした。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。事実上の状況が同じなのだから、そう解釈しても現在的矛盾はない。しかし、失くした物が消滅するわけではない。

 

 ジャムに関する電子情報は隠ぺいされ、失われつつある。あとは人間の脳だけのような気がした。口走る。

 

「誰からも記憶されなくなったジャム。現在までの過去情報は消える。特殊戦に負けたという情報も消える……束博士はこの可能性に気付いていない? なんてことだ、この場合の勝者はジャムだ!」

「勝者がジャムでも、そいつらはFAFが消滅させたのだから問題はないんじゃないですか?」

 

 いや、と友人の質問に主任が遮る。

「パラドックス的な問題もあるが、ジャムが概念的な、情報的性質を持っているならば、忘れ去られる事で敗北の過去情報を喪失させ、それを起点に復活するかもしれないということか。見方を変えればジャムを論理迷路に封じ込めたともとれるが。雪風が自爆を作戦の一つとしていたのならFAFでさえ盲点だったかもしれん。それとも、死ねばジャムなど関係ないと考えているのか……」

 

「まるでSF。おもしろいなあ」 と、友人はチーズをかじり、主任に言った。 「それじゃあやっぱり雪風は篠ノ之の証明式から逃れられない、自爆は論外だ。ジャム復活の可能性を無視すれば別だけど」

「逃れられないのはわれわれも同じだ。地球の人人に解体を迫られたFAFが第二の脅威からわれわれを守るとは思えん。うまくIS学園を機能させなければ」

 

「じゃあ、協力するってこと?」

「わたしはそのつもりだ。きみはどうする? そもそもこいつの言う事を信用しているのか」

 

 試すような主任の視線を受け流し、友人はあなたに向きなおる。少し笑って言った。

 

「ぼくはまあ、あなたが自分の意思で行動しているのならば、いいですよ。それと、おもしろいじゃないですか。信じますよ」

 

「助かります」

 感謝をこめて、そう言った。

 

 

 

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 その日のうちに雪風からの作戦ファイルとメイヴの仕様情報を元に、今後の段取りが話し合われた。

 ややこしい状況だった。

 

 篠ノ之束は雪風を炙り出すためにIS学園をFAFに似せ、複合生命体を生み出し、自己像幻視による強いストレスをかけようとしている。成功すれば確信の基に、IS学園がそのまま地球の防衛機構となる。

 

 織斑千冬はその防衛機構となるIS学園の主権を握るため、実績を作りたがっている。その手段の一つが教え子の育成。そして束の計画に便乗し、雪風と接触。あわよくば技術情報の交渉を望み、それは政府に対する強力な切り札になる。

 

 一見して束が直接無人ISの権利を織斑に渡せばいいように思えるが。束は学園の指導者が有能であることが重要なのであって、より優秀な人材が出現すれば、その人物が担えばいいと考えていると思われる。

 親しいからという個人的な感情には流されないだろう。

 

 そして特殊戦・雪風と操縦者・ISは互いの区別がつかないことによるストレスを解消する為に接触しなければならない。

 あなたたちは束の計画と、雪風の要求の両方を満たすべく行動しなければならなかった。

 

 

 

「ふうん、なるほど。第三者の介入を防ぎ、かつ直接操縦者・ISと接触することは可能みたいですね」

 感心したように友人。

「でも、FAFと地球の複合生命体はどうやって自他の区別を付けるんでしょうね? 新種の生命なのだから、人間の定規で想定するのはナンセンスでしょうけど」

 

「有効とされる手段はおうおうにして原始的なものだよ」

「勝敗ってわけ?」

 

「シンプルでわかりやすい、勝てば零で、負ければ壱の二進数だ。互いにストレスでまいっている中で、のんびりとお話はできんだろう」

「だから兵装を要求したのか、えらい機だなあ」

「織斑千冬が最大の難関であることには変わりないが、作戦ファイルを見る限りは、うまくやるだろう。肝心の兵装だが、わたしが流そう」

「それって例のAIM? ぼくのところでも話題になった」

 長らく現場から離れたあなたはついていけない。

 

「そんな顔をするな、説明してやる。昔、ある研究所が自称画期的なミサイルを発案し、試作をいくつか作った。常軌を逸した構想でな、簡単に言うとミサイルにレーザー砲を内蔵している。攻撃方法は予想がつくだろう、今度うちに来る試作がそいつだ」

 

「命中するんですか?」 あなたの問いに友人が答える。

 

「いくら高機動ができるとはいえ、飛行機には物理的限界がありますから、回避ラインを予測すればレーザー発射距離までは接近できます。レーザーの速度からは逃れられませんし。ただまあ相手の推定仕様限界情報と、それ専用の処理ソフトをミサイルと母機ブレインコンピュータにインストールしなきゃだめですけど」

 

「当時は敵機情報が必須なのとバカみたいに高価なんでお蔵入りになったんだが、そいつが今になって上で注目を浴びてる。

 ISの優れている点はミサイルに対する回避率の高さだ。先のミサイルが迎撃される前にレーザーを撃てば、と考えているらしい。当然一発ではだめだ。理想はISを中心点とし、十数発のミサイルで球状を等間隔に囲むのが有効とされる」

「ネックとなっているのは通常の飛行機とは違い、ISは移動ラインが予測しにくい点です。PICの重力慣性無視とプログラム行動がありますからね。処理する情報量は桁違いですよ。レーザーは同時に発射しないと効果はありませんから」

 

「雪風は制御できると思うか?」 と、あなた。

「カタログスペックを見る限りでは、どうでしょう。微妙なところですね。サブシステムとして後方支援する機が必要かもしれません。というか、一応一般人にミサイルなんて渡して大丈夫なの?」

 

 視線は巡るように主任へ。

 

「機密上、運送は無人トラックだ、データ上の行き先をごまかすくらいはできる。しかし、物理的な消失はそうはいかん。わたしの権限でも長い間は無理だろうが、プロジェクトに関わる人員をわたしやおまえに親しい者に限定すれば、有耶無耶に出来なくもない。時間の問題であることには変わりないが……それよりも重要なのはサブシステムとして機能させる後方支援機だ。FAF機とはいえ、さすがにISと空戦しながらミサイルの情報処理は無理だろう」

 

「それに関してもう一つ問題があります」 タブレットPCに映る情報を眺めながら友人が口を開く。

「ISは空気抵抗を無視できる。空気との摩擦熱を察知する機構の<凍った眼>は、理論上機能しません。他のレーダーもあるでしょうが、片目では……ISを見るには別の眼が必要です。それにしてもフローズンアイか、おもしろいアイデアだ」

「用意できるとすれば鷹の眼か。ブリンクに後方機をやらせればミサイル情報処理のサブシステムの問題も解決する。だがさすがに戦闘機一機を動かすのは骨が折れるぞ」

 

「あれは使えないんですか?」

 

 友人があなたを見て言った。あれとは何だ、と主任も。

 

「ほら、ガレージにあるやつですよ。廃棄された戦闘機のパーツを流してもらって作ったっていうナイン。コンポーネントが本物なら、なんとかなるんじゃないですか?」

「パーツを流してもらった? ありえん。どこからだ」

 

 問い詰める口調に、空気は一転した。あなたは重い口を開く。

 

「ガレージに来てくれませんか」 言いよどむ、きっと激怒するだろう。小さな罪悪感が膨れ上がる。

「ぼくもついて行った方がいいですか?」 察した友人が無関心を装い。

「いや、いい」

「きみはもう見たのか」

 

 あなたと主任は席を立つ。

 

「うん。それじゃあ、シャワー借りても? というか、明日早いんで泊めてほしいんですけど、いいですか。着替えとかは用意してあるんで」

「いいよ」

「さっさと行くぞ」 ひとまず区切りはついた、あとはわたしとこいつの問題だと言わんばかりに切り捨てる。

 

 ガレージに入り、主任はメイヴの巨体にも驚いたが、それよりもブリンクを見るや否や翼から背によじ登り、さっさとよこせと片手で煽った。

 あなたの放り投げた物理キーをブリンクの背に差し込む。スライド開閉式の表層が作動し、そこに埋め込まれたテンキーに一巡して十六桁の数字を入力。すぐ左隣にB4用紙ほどの面積が動き、簡易コンソールが現れる。

 

「不用心だな」

「その数列を知る人は限られていますから。アウトプットしますか」

「いらん。それが不用心だと言っているんだ」

 

 あなたは手持ちぶさたに操作する主任を見上げる。

 

「こいつは破棄された機の部品を使っているとか言ったな」

「はい」

「現行機の最新鋭電子機器が破棄されるのか?」 <error not connect>の文字を見て主任は呟いた。この機は飛べない。しかしテストプログラムは問題なく走った。当たり前だ、本物の部品を流用しているのだから。

 書類の上で真新しい部品を破棄扱いにし、破棄基地に落とし、そこから流すことによって作られる機に利益を見出し、実行できる存在は。

 

 主任は機から飛び降り、おもむろにあなたに近付く。

 頬に衝撃。

 あなたの脳は揺れ、耳鳴りが頭蓋にこだまする。

 ぐらつき、にじむ視界で、あなたはようやく殴られた事を理解した。

 主任はよろめいたあなたの胸倉をつかみ上げ、ブリンクの機首に叩きつける。思わず苦悶の声を上げた。

 

「飛行機の墓場の連中の伝手を使ったな、馬鹿め! 廃棄されたとはいえ、国家戦力なんだ、戦闘機なんだぞ! 国の、国家権力が管理する、うまく隠し通せているつもりだったか! おまえ、くそう。おまえはわかっているのか? わかっていたのだな」

 

 呪うように低い声で、主任。あなたは罪悪感から目を逸らした。

 くそう、と口惜しげに手を離しあなたを解放したが、視線は咎めていた。声は僅かに震えている。

 

「おまえが未だ法の裁きを受けていないのは反対派が握りつぶしているからだ。やつらはおまえがISに匹敵する戦闘機のきっかけを見つけ出す事に期待している。でなければ民間人に軍事機密を渡すものか、推進派に漏れれば大問題だ」

 

 機首に寄り掛かり、えずくあなたに吐き捨てるように告げる。

 

「わかるか? この意味が。おまえの生殺与奪の権は反対派のものだ、開発をやめれば、どうなるかわからん。これがアンティークな有人機ならば金持ちの道楽で済む。飛ばない飛行機など玩具だろうが、戦闘力など有していなかろうが……問題なのは無人戦闘プログラムを走らせることが出来るということだ。反対派の劣勢がおまえの終わりだ、そうならんようにおまえが死力することを打算して裏から手をまわしている。反対派と破棄基地は繋がっている!」

 

「あれはまだ、おもちゃですよ」

「詭弁が実行力に作用するものか。まだと言ったが、わたしを前によくそんな言葉を吐けるな。ごまかせるとでも思っているのか? この、わたしを」 と、大きく手を振って続けた。

 

「いいか、きさまが何と言って破棄基地と取引したかは知らんが、そんなものは反対派の言い方一つだ。窃盗、脅し、金、何とでも言える。一個人では組織に太刀打ちできない、五年前を忘れたのか」

「すみません」

 

 主任の怒りはもっともだった。敗北を前提とした機の開発を一人逃れ、残った同僚に押し付け。隠れて好きにやっていては。

 溜め息をつき、ばかが。もう一度小さく呟いた。

 

「明後日までに必要な部品をリストアップしろ、わたしが流す。いいな」

「わかりました」

 

 そこで会話は途切れ、広いガレージには雪風の駆動音が静かに響いていた。

 沈黙を破ったのは主任のほう。

 

「行け」

「は?」

「酒を取ってこい」

「あ、はい」

 

 と、急ぎ足でガレージを出るあなたに続けて言った。

 

「つまみを忘れるな! 何か作れ」

 

 言って、どっかりと近くのソファーに腰を下ろす。ボロだった、おそらくいらなくなったやつを持ってきたのだろう。小さく溜め息をつくと、あなたと入れ替わるようにガレージのシャッターがわずかに開かれ、その隙間を友人が四つん這いでくぐった。

 

「不正制御は犯罪行為だ、いつからいた」 不機嫌そうに、主任。

「ここの防壁の構築者はぼくだからね、暴行は犯罪行為だ」 気にもせず歩み寄る。

「もっと淡白なやつだと思ったが、意外と心配性なんだな」

 

 言われて小さく肩をすくめる。

 

「それより、本当に兵装や部品を流せるの? 作戦の肝だ。いっそ反対派に頼ったら?」

「借りは極力作るべきではない。やつは主任と呼ぶが、それは五年前の役職だ、それなりの権限はある。DmicD-TSがIS学園の訓練機に正式採用されたからな。自分で言うのもなんだが、上からの評価はうなぎ登りだ。訓練機はIS学園の備品扱いだから、購入費用は参加各国の割り勘だ。整備は当然わたしの部下がやるし、儲けが出ない方がおかしい。あそこは日本経済の一角を担いつつある」

 

「訓練領域の許す限り、入学者が増えるにつれ必要な物は増えるってわけか。宝島だ、さしずめモンテ・クリスト島ってとこかな。織斑はそこを掠め取ろうってわけだ、大丈夫かな。まちがいなく日本と衝突する」

「難しいだろうな。人材を十一人ピックアップしているらしいが、その内の一人は敵になった。残りが外国人なら、そもそも接触の機会がない。彼女は日本政府によって国内に縛られている。やつも、おそらく反対派に首輪をつけられている」

 

 まだそんな事を言っているのか。主任の言葉に友人は密やかに目を細めた。

 反対派は間違いなく、破棄基地から部品を流した事実を紙媒体で保存している、万全の状態で。

 そして舞台は軍部の派閥の垣根を超え、経済界にまで躍り出たと見ていい。経済主体連盟の介入も時間の問題だろう。いずれ所属の選択を迫られる。

 

 遅いか早いかの違いならば、すでに片足を突っ込んでいる反対派に与し、最大限に利用してやればいい。

 状況が限られているのなら、その中の最善手を選択するしかないのだ。

 目の前の人物は頭がいい、回転も速い。救いようがない事を理解していないはずがない。

 

「反対派は絶対に手綱を手放さない。手遅れだ。もっと合理的な人だと思ってた」

「わたしもそう思う、軍閥レベルの集団に干渉できる組織は少ない……いや、話を変えよう。調べてもらいたいことがある」

 

「更識でしょ」

「そうだ、FAF解体に暗躍したにも関わらず、無名だ」

「ぼくも初耳。一応は探ってみるけど」

「FAFのことを知っている分、実態や組織形態によっては織斑よりやっかいかもしれん。へたをすれば三つ巴になる。上が誰かだけでも知りたい」

 

「やってはみるけど、接触できないと思うよ」

 

 一族、額面どおりに受け取るなら極めて少数の組織であると見ていい。なら、電子情報は存在しないかもしれない。友人は思った。

 住基ネット等で情報をデータ管理しなければならない理由の一つは、行政対象となる人数が多数だからで。少数を管理するなら紙媒体で充分だからだ。金庫の中にでもしまっておけば、コンピュータセキュリティのことで頭を悩ませる必要はない。

 

 それにFAFのような組織と渡り合ったという事は、たぶん姿を現した時は手遅れのような気がした。

 窓ガラスを破り、室に突入。動くな、殺す。陳腐な映画のワンシーンはしかし、今となっては恐ろしく感じる。

 いや、よそう。かぶりを振る、心配してもはじまらない。今は建設的な意見を出すべきと話を変えた。

 

「そうそう。さっきの日本経済って聞いて思いついたんだけど。織斑は企業と手を組むつもりかも」

 

 なるほど、と主任は人の心配ごとなど知ってか知らずか、高速な思考を展開させた。

 国家は個人では到底太刀打ちできない力を持っている、国力を構成する三大要素、情報、経済、そして国家権力の最たる例、軍事。

 

「政府が動かす軍に、経済力で対抗しようとしているのか。しかし企業はIS学園という場所に興味があるのであって、織斑千冬個人に魅力を感じるとは限らん」

「ルールを決める立場はいつだって強者ってこと」

「ああ。織斑が実権を握れば、少なくともスポーツにおけるルールの決定権を得たに等しいということか」

 

 かなりのやり手だ。

 GIG制限の規定値は兵装開発の連中には不可欠だ。フランスは政策により住み分けられているが、それ以外は基本的に民間がやっているところと、軍の研究所の下部組織で分かれる。

 

 それに大会の開催地を広げればその国の経済は潤う。現状では民間に開放されている公式アリーナは一つだ。他国を出し抜き、建設運営が認められれば観光立国として成り立つ。ホテル、交通インフラの整備、空港が新しく建ってもおかしくはない。

「わたしなら、そうだな……本社を、海外の企業も含むのが望ましい。IS学園に移転させる。国家ではないから簡単にはいかんだろうが、もし成功すれば軍事制圧という最悪の状況を予防するこれ以上ない戦略だ」

 

 主要各国は日本の管理下にある事に当然不服。法人税は裏で徴収して本国に回せばいい。それだけの手間で窓口を日本政府から一個人に変更できる。日本が軍を出せば、実際に軍を動かすかは別として、自国の企業を守るという大義名分は牽制にもなる。

 

「やっぱり? 軍隊を持つより現実的だし、合法的だ。たぶん織斑は経済界とのパイプ作りをしてる。IS学園でできるのかは知らないけど」 めんどくさそうに頭をかいた。 「でもまいったな、軍事、経済。三本柱のうち二つを相手にしなきゃならないかも」

「勝ち目がないわけではない」

 

 疑わしげな視線をはねのけ、ちらと黒い巨体を一瞥して言った。

 

「最後の情報に関しては、われわれは圧倒している。情報が戦局を左右する最も重要な事項である性質を備えている以上、むしろ有利ですらある」

 

「理解はできるけど実行力の前にはなんとも頼りないよ」

「最小のコストで相手を思うがままにコントロールできるのは情報だけだ。開示するか否か、それだけでいい」

「そんなものかな。ま、期待してるよ」

 

 その後二、三の言葉を交わすと会話は終わり。友人はシャッターの隙間へと向かう。

 

「飲まないのか?」 四つん這いの姿に投げかけた。

「明日早いのは本当。それにシャワーの水、出しっぱなしだし」

「用心深いやつだ」

 

 しばらくしてガレージに戻ってきたあなたに言った。

 

「おまえは恵まれているよ。いい友人を持ったな、炭酸で割るのはいただけないが」 林檎のドライフルーツを一つまみ。

 

 照明を絞った薄暗いガレージ。シャッターを一枚あけ、あなたもそのままソファに浅く腰かける。気持ちのいい夜風が撫でた。

 

「おまえ自身はどう感じた。織斑の話は」

「妥当に思いましたよ」 僅かに腫れた左頬を意識して、スライスされたバターレーズンを小さな木製のフォークでつまむ。うまい。が、もういらない。そんな気分だった。

 

「現実は小説よりも過酷だったようです。破魔矢の作者はそれほど正確に資料を集められなかったみたいですね」

「ささいなことだ。どちらにしろおまえの直観は正しかったわけだ。破魔矢の作者も、史実としての出版を望んでいたのなら、地球人であろうと足掻いたのかもしれない。篠ノ之のように……しかしFAFか、ありがたいことだ。かれらがいなければ、こうしてまずまずなやつをやれなかったのだろうな」

 

 グラスを傾け、主任はまずまずをもう一口。まずまずはしかし、あなたが用意した酒だった。

 次いで首をめぐらす。

 まるで基地の一画の様な、さすがに最新のものとは呼べないにしても高価な機材を怪しむように眺め、深く酒息を吐き出した。

 

「思えばこの先祖代代続くとかいうガレージだ。おまえ、なんだったかな……そう、フェアリイ星人の血が混ざっているんじゃないか」

()()()()()、それは」

 

 あなたは断言する。

 

「しかし、だとしたら雪風がここに来たのも納得がいく。たぶん世界中にこんな場所があるんだ、基地のように。FAF特殊戦の基地が。いまもどこかで秘密裏に製造されているであろうIS工場があるんだ、おかしい話ではない」

「そう考えるのが自然でしょうけれど、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ですよ」

 

「でも軍人だろう?」

()()()()()()()()()()、わたしと織斑千冬が調べた結果です」

「酔狂にしては金をかけすぎている。いや、金をかけるのが酔狂か」

 

 残りをあおり、わからないな、と視線を外に投げかける。自然な沈黙が訪れた。

 

 虫のさえずりに耳を傾け。あなたたちはシャッターから臨める星空に、くっきりと影をうつす山山を眺めた。地球ではない星、月が太陽光を受け止めている。

 あなたはまだ記憶に新しい、先日の織斑千冬との会話をもう一度掘り起こし。あなたからその話を聞いた主任も同じように、ここではない星に想いをはせた。

 

 だとしたら()()()()

 頭の隅で、一つの疑問点にささくれ立ったようなものを感じずにはいられなかった。

 なにかがおかしい。

 

 それはいたって普遍的なものであるのだろうが、明かされていない事柄がある。この状況は説明不足だ。

 おかしい。()()、雪風はここに来た。()()、こんなにも広いガレージは存在しているのか。()()()()()()()()思想で、()()()()()()()()

 

 かたわらにDmicD-9を控えさせた雪風だけが、我関せずと電力を飲みこんでいた。

 

 雪風は語らない。

 雪風は自分のためにしか行動しないのだから。

 

「そうだ、織斑は雪風についての確証は持っていないのだな」 ふと思いついたように、主任。

「ええ、そのはずです」

「そうか……」

 

 主任は酔いにまどろんだ視線を、彼女に――ジ・インベーダーではたびたびherと表現されていたらしい雪風へと向け、次いで床に落として心中で反芻した。

 悪いが、特殊戦。わたしはおまえたちを信用していない。

 自嘲気味に笑い、酒をあおる。

 

 

 

 その数日後。主任は長期滞在許可を得て、IS学園に赴いた。名目はDmicD-TSのシステムチェックだったが、到着するやいなや織斑千冬の自室に向かった。アポイントはとってある。

 

「やつに振られたらしいですね、織斑さん」 開口一番、口元に微笑を貼りつけて言った。

「あなた同様に」 同じ表情で織斑千冬。にこやかに。

 

 表情を崩すことなく、二人の会話は続いた。

 

「織斑さん、わたしと組みませんか?」

「なんのことですか」

「あなたの探し物のありかを、わたしは知っている」

「おっしゃる意味がよくわかりません」

「篠ノ之束が欲しているモノを、わたしは知っている。取引しませんか」

「わたしに何を差し出せと?」篠ノ之の名前に言葉を選んだ。

 

「安全です」 一拍置いて主任は唇をつりあげる。 「命の保障を約束していただきたい」

 

 斜陽に陰る薄暗い部屋の中、会話は続いた。

 そうして夏は終わり、さまざまな立場の人間の思惑は理念のそよぎに突き動かされた。

 

 

 

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 乾いた風が草木を揺らし、秋も深くなったころ。

 ある日の午後、厳しい訓練の合間。デュノアが食堂でランチを取っていると、声がかけられた。

 

「こないだの模擬試合、どうだった? 兵装選択自由のやつ」

 

 同期の鈴が山もりのかつ丼をトレーに乗せて横に座る。うん、それがね。と言うべきか否か迷いながらも答えた。

 

「相手の子がやけに自信満満で、負けた方がお洋服を買ってくる、なんて条件を提案したんだ……英語、上手くなったね」

「ほんと? うれしい」 満面の笑みでカツを頬張る。 「それにしてもえらい自信家ね。なんか理由があったの?」

 

「わたしもなんでだろうなーって思ったんだけど、とりあえず乗ることにしたんだ。ほら、市街地まで行くのって結構面倒じゃない?」

「手続きがね、煩雑なのよね」

 

「そうそう。で、アリーナに向かう間にわかったんだけど。わたし、ここのところ単発式中距離大口径ライフルの試射が多かったから、中速軟化弾頭系の炸裂弾のやつ。その情報手に入れた相手の子のプログラム行動は、たぶん射撃をトリガーに回避行動を設定してるんだなあって」

 

「ライフルの件はわたしも知ってる、たぶんみんな知ってる。で、どしたの?」 鈴は牛乳を一口。 「まあ、相手は初弾回避後にロケットかミサイルをばらまくね」

 

「うん。だから試合前にこれ見よがしにライフルを手入れして、試合開始直後に隠し持ったサブマシンガンを腰に装備したまリモート射撃したら、一.五秒間に五十回も回避行動とる羽目になって吐いてた」

 

 リモート射撃、の時点で鈴は口を膨らまし、吹き出される牛乳を堪えていた。

 

 歯を食いしばり、呼吸を整える。行き場を失った牛乳が鼻へと向かう前に胃に収めることに成功した自分を称えたい。

 

 間抜けな操縦者だ。射撃をトリガーに回避行動を設定すれば、GIG制限下では理論上絶対に回避できる。だが逆に考えれば自機のコントロールの一部を相手に渡しているようなものだ。相手が故意にトリガーを引けば、自分の意思に反して動かざるを得ない。

 プログラム行動は攻防一体の最高手段だが、諸刃の剣。自機や目標機に使うのではなく、状況に使えとはよく言ったものだ。

 

「前から、思ってたけど。シャルってユーモアがあるよね」

「そう? そんなこと言われたのは初めてだよ」

 

「多分それで笑わないIS乗りはいないと思うよ」

「そうかな。それよりもう無人ISと訓練してみた?」

「まだ、でもビックリ。まさか完成していたなんてね」

 

 二人の話題は前触れもなく学園に現れた無人機に移った。

 

 文字どおり、無人ISは突然飛来してきたのだ。数は三機。装甲に付着していた成分から、太平洋の海の何処かに隠されていたと推定された。

 さらに、無人ISの量子格納領域内には書類が圧縮されており。内容はIS学園管理国は無人ISを管理する義務を負うにとどまり、所有権は学園に属する。といものだった。

 当然日本は承諾し、主要各国はさらに一歩出遅れる形になった。

 使用用途は訓練などに限定されているらしいが、日本政府は情報を出し渋っている。

 

「わたしね、無人ISが出来たらきっと完全球体だと思ってた」 とデュノア。生ハムをぺろり。おいしそう。

 

「物理学上は理想的ね。兵装を内蔵したまま攻撃できるなら、目視による戦闘力推定を防げるし」

 

 と、二人があれやこれや話していると、偶然廊下を歩むラウラ・ボーデヴィッヒを目にした。デュノアがおもむろに席を立ち、後を追った。

 

「あ、ちょっとシャル」 鈴もそれに続く。

 

「こんにちは、ボーデヴィッヒさん」 と、デュノア。人懐っこい笑みで右に並んだ。 「お昼はもう食べた?」

「食べた」 一瞥し、歩みを止めることなく言った。

 

「残念。ね、こんど一緒にどう」

「そうだな」

 

 そっけないこの場凌ぎの言葉を無視して、コミュニケーションの試みを続行した。

 

「今日だっけ、ボーデヴィッヒさんの番だよね。無人ISとの訓練って」

「そうだ……きみはもう相対したのか」

「うん。まあ、普通だった」

「絶対防御はあったか?」

「いや、訓練用レーザー兵装だから。でも、なんでそんなこと聞くの?」 意図を図りきれず、小首をかしげる。

 

「絶対防御は本当に操縦者を守ることを目的とした機構なのか、ということだ」

 

「つまり」 ラウラを挟むように左に並んだ鈴が言った。 「絶対防御というのはISコアを守るのが本来の役目であって。操縦者が守られるのは副次的なものか、ってこと?」

「そうだ」

「なるほど。でも、状況が同じならどう解釈しても問題ないわけだから、あんまり考えたことないなあ」

「そうか」

「大丈夫? ボーデヴィッヒさん。顔、青いよ」

 

 ああ、と気のない返事で歩を速めた。最悪の気分だ、言いようのない気持ちの悪さ。体が硬い。歩を速め、で格納場へと向かう。残された二人は心配そうに顔を見合わせた。

 

 いつもよりも重く感じる扉を開けた。広い格納庫には大型高速輸送ヘリ。ハンガーに吊られ、最終チェック中の訓練兵装。ラウラはそれを見て嫌悪感を覚えた。その攻撃性のないレーザーライフルに。

 

 それでは対抗できない――

 

 脳がちらついた。

 なんだ、今のは。あれをISコアに圧縮格納したくない。する必要がない。なぜ? これから訓練だというのに。

 訓練なのだから、訓練兵装なのは当然だ。わたしはなにを感じたのだろう。ふらりと一歩後ずさる。不快だ。

 

 先程のちらつき、はじめての感覚だ。それにしてはとても的確な表現に思える。ちらついた、脳が。いや、思考? でもない、意識が、か? フム、これだ。しっくりくる。

 

 視線を隣にずらし、今度はレールカノンへと向けると、先ほどとは違った感覚を覚えた。まるでレーダーのようだ。不思議な気分。強い好奇心に似た、求心力を感じる。

 

 GIG制限の規定値を越える軍用の通常兵装は、原則IS学園に存在しない。

 持ち込まれる際に制御プログラムを組み込まれ、以後攻性兵装と呼ばれるようになるからだ。それを外せば国際条約に反するし、そもそもプログラムの解除は容易ではない。

 

 ひたりと銃身に触れる。複合素材で作られたそれは冷たい。GIG制限下にあるとはいえ、無機質の冷徹さは頼もしく。安堵感を覚える。

 なんだろう、この変化は。

 

 あごに手をやり、自己分析。

 

 わたしはこれが訓練には必要ないと理解している。ならば、この心理状態の変化はわたしのものではない。では誰のものだ?

 無意識のうちに、制服の上から右腿のレッグバンドに手をあてがった、待機状態にあるISを。レーゲン……

 

 どれほどの時間その事柄に思考を割いていたのかはわからなかったが、肩に手を置かれたのをきっかけにビクリと体を震わせてわれにかえった。

 

「ラウラ、どうしたんだい」

 

 振り返れば懐かしい顔、研究所でお世話になったチーフの助手が心配そうに。

 

「いえ、その……お久しぶりです。いつからここに?」

「たったいま。本当はチーフが来るべきだったんだけど、無人ISの件で忙しいから。わたしが代理だ……うん、久しぶりだね、ラウラ。元気にやって……ない、というのは報告書で読んだな。ウウム」

 

「それで、いったい何の……」

 

 会いたくなかった訳ではなかったが、ラウラは恐れた。不調を理由に研究所を追いだされるのではないかと。

 口調からそれを察した助手は気さくに笑って。

 

「まさか、きみは必要だよ。わたしが来たのは私用だから。そうだな、訓練までもう少し時間があるだろう?」

「はい」

 

 二人は格納庫を後に、ラウラ・ボーデヴィッヒの自室へと場所を移した。

 

「何か飲み物を用意します、掛けてください」 困った。こんなことなら紅茶の淹れ方の一つでも調べておけばよかったと後悔。

「いや、いい。水でいい、実は二日酔いなんだ」

 

 助手は小さなダイニングテーブルの椅子に腰かけ、手渡されたコップを飲み干した。ピッチャーを用意したラウラも対面に座る。

 

「二日酔いだと水しか飲めなくなるのですか?」

「そういうわけじゃないんだ、肝臓でアルコールはアセトアルデヒトを……いや、悪い癖だ。つい話したがる」 だるそうに額を抑えて続けた。 「まあ、いずれわかる。チーフはきみと飲むのを楽しみにしている。彼は孫のように可愛がっているから」

 

 思わずくすりと笑った。それ言うとチーフは、娘のように、だ! と顔を真っ赤にして訂正するのだ。

 

「気をつけなよ、酒飲みと一緒だとついついこっちも飲みすぎる。特効薬はいつになったらできるんだろう」

「覚えておきます。研究所は変わりありませんか」

「くいしんぼうな黒猫と危険極まりない男がどっかに行った。いや、危険なのは黒猫も一緒だ。チーフは清清したとか言ってたけど、どうかな。その晩付き合わされたんだが、えらい飲んでた。素直じゃないんだよな」

 

「そうですか、一言挨拶したかったのですが」

 

 視線を落としたラウラに励ますように言った。

 

「ま、今生の別れってわけじゃないさ。また会えるよ、きっとね……それよりラウラ。悪いけど、左目のことはチーフから聞いている。ずっと前にね。大丈夫かい」

 

「何がです?」 助手の目を盗み見る。温度は感じられなかった。

 

「とぼけるな。きみが自分の目をえぐった理由を、わたしは知っている。きみにとってのISが、レーゲンがどういった存在かも」

 

 観念したように、苦苦しく答えた。「吐きそうです、気分がすぐれません」

 めまいも。二日酔いとどっちが苦痛なのだろうか。

 

「自分で説明できるか」

「ISには人間が必要でしたが、その前提が覆されました。今の私を人間と証明することは誰にもできない」

 

「言いたいことは理解できる。チーフやわたしが心配しているのはそこだ。無人機の登場により、有人機パイロットは人間であるという指標を失った。きみはやはり不安定になっている。自分を無人機のOSかなにかと同一視しているな」

 

「レーゲンはわたしを不要とみなしはじめていた、だからわたしを拒絶した。乗るたびに感じた不快感はそれが原因です」

 

 きっとそうだと涙ぐむ。IS無人機の報を聞いてから、一層拒まれている気がする。

 

「レーゲンがきみを不要とする理由はなんだ?」 助手は慎重になった。思ったよりも重症だ、会話が噛み合わない。

 

「レーゲンは無人機になろうとしている。だから不要なわたしを拒む、それが不調の理由です。いま、わかりました」

「しかし、それなら最初の段階で拒まれているはずだし。だいたい今現在、ISに乗っていないのにもかかわらず気分が悪いのはなぜだ? ISにそんな力があるのか。どうして他の操縦者はピンピンしている」

 

「ISコアは意識を媒体とした直接的なコミュニケーションが可能です。今もわたしの意識に作用している」 やめてくれ、レーゲン。わたしは敵か?

 

「ラウラ、それならもうISを操縦するのはやめなさい」

 

 やはり、そう言われるかとうなだれる。

 

「わたしやチーフや研究所のみんなが、きみは人間であると。たしかに意識を持っていると保証するのでは力不足かい?」

 

 どう答えていいかわからず、涙ぐむ。

 

「いや、ずるい言い方だったな、忘れてくれ。しかしまいったな。ラウラ、きみはどうしたい。言ってごらん」

 

「わたしは……レーゲンの役に立ちたい。恩を返したい」 言ってだからか、と心中で理解した。今更だ、だれよりもわかり合えていると思っていたのに。

 

 レーゲンが訓練兵装ではなく、攻性兵装で訓練に臨みたがっているのだ。

 銃口を向ける相手は誰だ? 無人ISだろうか。だとしたら、うれしい。わたしは必要だという事だ。

 

「無人IS訓練に攻性兵装を用いたいです」 ぐっと顔を上げて言った。

 

 助手はしばらくラウラを眺めてポツリと。 「いいよ」

 

 その答えにポカンとした。日本政府は黙っていないだろう。てっきり断られると思っていた。

 

「行きなさい。責任はわたしが持つ。全権はチーフから委任されている」 腕時計をちらりと確認すると、急かすように。 「そろそろ時間だろう、整備班にわたしの名前を出せば都合してくれる。随伴するから先に行きなさい」

 

 ありがとうございます。そう言うとラウラは席を立ち、深く頭を下げて部屋を飛び出した。レーゲンに必要とされているという喜びだろう。

 

 助手は一人、ピッチャーから水をつぎ足してすすった。

 

 辞表を書かなきゃな。頬杖をついて彼女の去ったドアを眺める。

 罪に問われても、わたしの独断なら研究所は存続。それほど甘くはないだろうが、保険は掛けておくべきだ。

 

 けだるさそうに身をよじり、今度は窓の外を眺める。

 

 いいさ。研究所の連中もわかってくれる、チーフも。むしろ自分が辞めるからおまえが後を継げ、とまで言い出すかもしれない。

 ま、いざとなったらラウラを引き取って、そうだな。三人で暮らすのも悪くないかもしれない。

 

 太陽は傾き始めていた。水平線にその身を沈ませようとしている。

 助手はしばらくその眩しさに目を細めてから。さて、日本政府はどう出るか。面倒だが、娘のように想っている女の子の為だと、自分を勇気づけてゆっくりと腰を上げた。

 

 

 

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 ラウラ・ボーデヴィッヒが輸送ヘリに揺られて、太平洋に指定された訓練領域に近付いている頃。あなたもまた、赤い夕暮れの空の下にいた。

 

 目の前に広がる草原には、デルタトランスファーでガレージから運び出された一機の偵察機。ガレージの開閉音に驚き、飛び出してみれば既にこの状況だった。

 

 朱に照らされる黒い機体色。通常のミサイルよりも一回り大きい六機のAIMを抱えている。

 まったく、突然だ。いきなり現れて、いきなり出てゆく。あなたは苦笑した。

 

 ポケットの携帯端末が振動。着信したメールを確認すると、ミサイルのセーフティピンを抜けとのことだ。さくさくと背の短い草を踏みしめ、小走りに駆けより、実行。すべて抜き終わると駆動音が増した。

 肌寒い風が凪ぐ。

 

 行くのか。

 同位存在を感じ取ったのだろう。IS学園の操縦者の体調管理データバンクを盗み見て、不調な人間をピックアップ。あるいは複合生命体だからこそ理解できるやり方で。

 

 主翼、胴と機首に吸着している垂直離陸用補助ブースターが点火。機を中心に、短い草がなびく。湖面がさざ波立った。

 デルタトランスファーが脚を離し、巨体は重量を感じさせないかのようにふわりと浮遊する。

 

 雪風。なぜ、おまえはここに来た。偶然か、必然か。作為か、不作為か。単にIS学園からもっと近く、都合がよかったからか。それとも……

 

 メインエンジンがうなりを上げる。思わず腕で顔を覆うが、目を細めて見上げた。もっと離れなければと後ずさる。

 デルタトランスファーが移動していくのを、補助ブースターの排煙の中に捉えた。おそらくガレージに戻り、今度はブリンクを連れてくるのだろう。

 

 結局、雪風はなに一つとして語らなかった。

 なんのことはない。振りまわされただけだ、FAF型複合生命体と地球型複合生命体のアイデンティティを主張する戦いに。

 

 ジャムが人間を標的としていないと知った特殊戦も、このような気持ちだったのだろうか。きっとそうだろう。人間は蚊帳の外だった。

 

 ささやくように、あなたは別れを告げた。

 

 グッドラック、雪風。大尉――大尉だと?

 

 そして見た。無意識のうちに紡ぎ出した自らの言葉に戸惑うなか。キャノピーの内側でラフに敬礼する人物を。

 

 まさかと目を見開いたが、次の瞬間には光の反射で中を覗うことはできず。

 なんだ、今のは。あなたの理解を待たず、雪風は補助ブースターを切り離し、凄まじいパワーで飛び立った。放たれた矢のように。後には耳鳴りだけが残る。

 

 なぜ、あなたは大尉と言ったのか。それよりも、まばたきの間に現れた人影らしきものは? 単なる光の加減でそう見えただけなのか。

 今となっては確かめる手段などない。

 

 次いで運ばれ、飛び立ったブリンクを見送り、言われたとおりに主任に連絡。

 友人のアドバイスに従い、しばらくは用意してもらったセーフハウスで過ごす。急いで車に乗り込み、アクセルを踏んだ。空っぽのガレージがバックミラーに映る。

 

 運転をマニュアルモードに切り替え、ハンドルを握りしめた。

 たぶん、この行ないは正しい。IS学園を真に機能させる適切な処置なのだから。

 薄暗いでこぼこ道をヘッドライトが照らした。

 

 

 

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 訓練領域に到着すると、ラウラと無人ISは輸送ヘリ後部のハッチから浮き出た。高度八千メートルまで上昇し、三十キロの距離をあけて対峙する。

 

 ヘリが領域外に退避し準備が整うと、外付けの通信システムに着信。助手が言った。

『ラウラ、きみが今格納している攻性兵装が何を対象とするのかは聞かない。でも一応伝えておくよ。知ってると思うけど、現時点で無人ISは訓練兵装だが攻性兵装で攻撃されれば自衛システムが作動し、対象を通常兵装で迎撃する』

 

「わかりました。これより訓練状況を開始します」

『気をつけて』

 

 通信を切り、小さく息を吐き出すとGIG制限下最高速度で加速。同じく無人ISも状況に移った。相対的に距離が縮まり、彼我の距離を四キロメートルに保った機動で交戦した。

 

 ハイパーセンサとリンクしたISコアの射撃補正の及ぶ範囲は、ISを中心点とした半径二キロメートルの球体。そして領域内での被ロックは被弾を意味する。

 したがって、まずは二機の把握領域の接点を中心点とした直径四キロメートルの球体の表面を機動し、操縦者の技量で目標機の保持火力を探るのが、後期対IS戦術論の中ではセオリーとされていた。

 

 ラウラはハイパーセンサに捉えた無人ISの姿を拡大し、空間投影。黒い人型、同じ訓練兵装を構えていた。

 篠ノ之は何を考えている? わざわざ有人ISに似せる意味はなんだ。嫌がらせか。だとしたらひどくピンポイントだ。

 

 外付けの射撃補正システムで無人ISをロックし、訓練兵装で射撃。不可視のレーザーが照射される。目の端に結果が映った。

<miss>

 

 以前のわたしなら命中させたはずだ。気持ちが悪い。不要だ、無人ISなど。

 

 無人ISが海面を背にして応射。

<hit>

 

 視界がにじんだ。みじめだ。なぜだか悔しくって、睨みつける。

 少なくともおまえが存在しなければ、わたしは人間存在でいられたのだ。その限りにおいて、有人機であるレーゲンもまた、わたしを必要とする。

 

 さらに被弾。仮定シールドエネルギーが減少する。

 

 もういい、とラウラは思った。

 

 手にしていた訓練兵装を放り捨てる。両肩に飛翔ワイヤー機構を浮遊解凍させ、同右機構にレールカノンを固定解凍。

 

 わたしとレーゲンの関係に不利益を生じさせるものは攻撃する。

 

 プログラム行動は瞬時加速をトリガーにロックオンを設定。レールカノンをロックと連動した即時射撃モードに切り替え。手動で外付け射撃補助システムの権限を、ISコア射撃補助システムに渡す。この状態ではかすりもしないだろう。

 

 空に足を向けたままの姿勢で瞬時加速を起動、ここから先は人間の時間ではなかった。

 

 把握領域に踏みいるとISコアがレールカノンの照準を超高速で調整し、対象をロック。空気抵抗を無視するPICの力場に包まれた理想的な砲身から、爆発的な加速を得た弾丸が発射される。

 

 遅れて無人ISがレーゲンをロックするも胸部に直撃、ほぼ同時に応射。衝撃で大きくのけぞり、保護膜が受けとめた弾丸はあらぬ方向へと弾かれた。

 

 ラウラがハイパーセンサにより、訓練用レーザーが自分の右頬のすぐ十.六センチメートル横を通過したのを知ったのは、解凍された無人ISの通常兵装によるレーザーを腹部に受けてからだった。

 

 ふと、あの日のことを思い出す。わたしはTyp-Rか、Ver 15.2か。先ほどの一撃は、前もって設定を変更していたからだ。次もうまくいくとは限らない。思考を切り替え、戦闘を継続した。

 

 同時に、ヘリの中で訓練状況を観測していた助手は、日本政府の抗議の通信が来ない事に言いようのない不安を覚える。

 

 ドイツがこの訓練に攻性兵装を用いたことは、ISコアを介したコアネットワークを利用し、無人ISから情報で掴んでいるはずだというのに。

 

 その日本政府の不可解な意図を知ったのは助手ではなく、ところ変わりIS学園内の教室。整数問題と格闘する教え子の横で、ラウラの様子をモニタしていた織斑千冬だった。

 やはり、なんらかの変化が起きたかと心でつぶやき、席をたつ。

 操縦者・ISがラウラとレーゲンである可能性は高い。向かわなければと携帯端末からヘリの手配を済ませる。

 

「あれ、先生。どこに」 と、心配そうな目でデュノア。

 

 振り返り、視線を逸らさず答えた。

「用事ができた。おまえは優秀だよ、手がかからない。あとは一人でやっておけ」

 

「そうですか? うれしいです、がんばります」 と、褒め言葉と受け取り、恥ずかしさを笑ってごまかして頬をかいた。

 

 その様子に小さく微笑んでみせ、室を出る。すると廊下の左手から、織斑さん、と名前を呼ぶ声。見やると高級そうなスーツ姿の男性が、今ちょうど鉢合わせたといわんばかりに、ゆっくりと歩み寄った。

 年は三十代後半ほど、見覚えのない顔だった。

 

「はじめまして、織斑さん」

 

 男は握手を求めて手を差し出したが、無視。油断することなく、身体を向けて軽くこぶしを握った。銃の距離ではない。

 

「申し訳ないが、急いでいるので」

「そうですか、では」

 

 男の視線が自身の背後にずれたのを見てとって直感する。やられた。

 

「動かないでください、織斑千冬」 後方より無感情な女の声が響くと、眼前の男は横を過ぎ去り、視界から消えた。声の主の元に向かったのだろう。

 

「当方ISのプログラム行動は、そちらのIS起動をトリガーに攻撃を設定してあります。当方ISはそちらのISの絶対防御を起動させるに足る充分な火力を有しています」

 

「更識家か」 振り向かずに答えた。束の手紙に記されていた、当時のFAFに干渉していた組織の一つ。

 

 告げられた言葉が事実なら装甲性能は調査済み。倉持技研は政府側に付いたと考えるべきだ。焦燥感が心臓を炙る。

 

「ご存じでしょうが、あなたにはラウラ・ボーデヴィッヒ暴走の責任問題が追及されています。また、以降、発言は許可しません」

 

 自分の立っている位置から背後の廊下の突き当たりまでは約二十五メートル。こちらは近接戦闘機。最大距離を取っていると想定。

 

「織斑千冬、あなたを法束連行します」

 

 それにしても動きが早すぎる。思考を一巡させ、自らの軽率さに歯噛みした。

 

「当方は国益至上命令を受けた更識です。従ってください」

 

 罠だった。すべてが。IS学園の教師就任の承認自体が。

 優位に立っていたはずが、逆手に取られていた。

 

「これは行政、立法、司法、三権合意の強制執行です。わたし、更識簪の執行に。あなた、織斑千冬が断ることは原則拒否できません。この義務を履行しない場合は行政刑罰が科されます。この場合に限り罪刑法定主義は司法により黙殺されます。現在時刻より一分十五秒前、内閣は特務会を開き、国会はこれに根拠を必要とする法律を、特別法を根拠に緊急作成しました。また。わたし、更識簪の判断で、あなた、織斑千冬が義務履行の範囲であったとしても、非協力的と認めた場合、義務の履行不履行を前提としていない即時強制を、あなた、織斑千冬を対象に行使することが出来ます。この場合に限り法律の留保の原則は司法により黙殺されます。したがって、あなた、織斑千冬を対象とする限りこの執行に比例原則は適用されません。よって、わたし、更識簪の持つ強制の度合いは目的達成のために行使される限り、無限です。立法と行政の二権はこの行政行為が重大かつ明白な瑕疵を含み、違法であり違憲であると認識していますが、司法はこれを黙殺します。三権はこれを民意とします」

 

 朗朗とした声が、語るというより宣言するように。

 

 織斑千冬の戦争は、崩壊しかけていた。

 


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