これ一話のみです。続きはないです。
空は曇天が覆い尽くし、顔を上げれば小雨が舞っていた。
水礫が引っ切り無しに窓を打ち、時おり雷光が、数瞬遅れて爆音とともにおよそ想像だに出来ない場所へ落ちていた。
たまに点滅する外界を気にもとめず、古臭い孤児院の一室では、少女が一人蝋燭の小さな明かりを頼りにペンを走らせている。
火に照らされるその顔つきは10歳前後だろうか。
この年の女の子の年齢を正確に推測することは空飛ぶ鳥を撃ち落とすより難しい。
なにせ成長期の女の子だ。少し見ないだけで身長が10センチ違うと言う事がままある時期である。
考えるだけ損かもしれない。それ以前に、女性の年齢を推測すると言う行為が不作法だろうか。
少女は休むことなくペンを走らせている。
ノートには数字や記号が頻出しており、算数の勉強をしているのだと察することが出来る。
しばらく、雨礫と雷の音に紛れてノートに文字を書きつける音だけが室内に響いていた。
2ページもノートを書きつくし、一息つくように息を吐いた少女は、椅子の上でぐっと身体を伸ばす。
机の上にペンを放り投げ、閉じたノートを無造作にしまう。そして勢いを付けてベッドに腰を下ろした。
かすかにベッドの軋む音が耳に届くが、その割に身体に感じる反発はごくわずかで、このベッドが安物であることが伺える。
どこからか古い本の臭いに紛れてかび臭いにおいが鼻腔に届いた。
ベッドの上で、少女はじっと待っていた。
今日は客が来る日だった。そしてその客が間もなくやって来るのを、少女は知っていた。
耳を澄ますと、扉の向こうから足音が二つ分近づいて来ている。
やがて扉がノックされ若い女性が顔を見せる。女性は酷く怯えた顔で少女に話しかけた。
「ミレイちゃん、いる?」
「なに」
「お客さんが……」
「知ってるよ。学校の先生でしょ?」
幼い顔つきに年不相応の強い視線。その体から発せられる威圧感に呑まれ、女性は「うっ……」と言葉に詰まった。
少女の赤い眼が女性を射抜き、恐怖の度合いが色濃くなっていく。
「シスター」
女性の向こう、扉の影から姿のない声が少女の元まで届く。
障害物を挟んでいると言うのに、その声は透き通っていてかつ印象に残る凛とした声だった。
「彼女が?」
「ええ……。ミレイ・フォーザンです」
「そうですか。ありがとうございます。あとは二人で話しますので」
女性と入れ替わる様に入ってきたのは、還暦はとうに過ぎているかと思われる女性だった。
白い髪に皺くちゃな肌。かと言って、老婆と言う表現が似合う女性でもない。
きっちりと伸びた背筋に凛とした佇まい。老婦人という表現が最も彼女に適しているだろう。
ミレイはじっとその婦人を見つめた。
「お願いします」とシスターは部屋から逃げるように去って行く。
キビキビとした足取りでミレイの目の前にやって来た夫人は室内をぐるっと見渡した。
家具の少ない質素な部屋だった。孤児院と言うのもあるだろうが、それにしたって物が少ない。
部屋の模様と言うのは家主の人となりを知るのに多少役に立つものだ。この部屋から伺えるミレイ・フォーザンと言う人物について、婦人はいささか不憫に、そして不安に思ったが、そんなことはおくびにも出さず凛とした顔つきを維持する。
そのあと、婦人はミレイを見つめて口を開くのを待ったが、ミレイが何も言わないことを知ると自分の方から口を開いた。
「これは困りました。私ももう歳です。このまま立ち話となると、腰痛が酷くなるかもしれません。どうにかならないものでしょうか」
ミレイは鬱陶しいと言う態度を隠すことなく「その椅子に座れば」と先ほどまで自分が座っていた椅子を指し示した。
「ええ。そうしましょう。ありがとうございます。しかし、客人に催促されなければ席をすすめないと言うのは如何なものでしょうか。普通は部屋の主が率先して言うものです」
「……そう」
マナーだかなんだか知らないが、そんなことはこの施設では教わらない。だからそんなこと知ったことじゃない。
不貞腐れたような気分でそんなことを思うミレイだったが、決して表には出さないようにした。言えばそれは弱みになる。そういう考えだった。
「では、ミス・フォーザン。初めまして。私のことをシスターから聞いていますか?」
進めた席に座って老婦人は切り出す。
「学校の先生。ミス・マクゴナガル」
「なるほど。私が訪れた理由は教えてもらっているようですね」
「それは違うわ、先生」
「……違うとは?」
「シスターも院長も、ここでは何も教えてくれない。知りたいことは自分で知るしかない。私は知る努力をした。だからあなたのことを知ってる」
マクゴナガルは少女の言葉の意味を理解しようと一拍沈黙した。
ミレイの目を覗き込みつつ、その言葉の真意を探ろうと、思考は常人とは比べようがないほど速く動いている。
「それでマクゴナガル先生。あなたが魔法学校の先生と言うのは本当?」
マクゴナガルの思考はその言葉で完全に停止した。
ミレイ・フォーザンと言う少女は、この世界に生を受けたその瞬間から弱者だった。
身体の色素が薄く、病的なほどの白い肌と血を思わす赤い眼は、一見しただけで弱者なのだと、見るものすべてに知らしめた。
彼女の両親は生れ落ちた我が子を見て「この子は大丈夫なのか」と心配した。
腕の中で安らかに眠る赤子を見て「守ってやらねば」と強い決意を胸に宿したのは不幸中の幸いだったろうか。
何より幸いだったのは彼女が決して病弱だったわけではないことだ。
大きな病気にかかることもなくすくすくと成長することが出来た。
白い肌と白い髪は相変わらずだったが、それを抜いても元気に力強く育った。
5歳になり、年相応にやんちゃで好奇心旺盛な子供になった。
家の外への興味が抑えきれない年頃だ。
外で遊びたいと駄々をこねることもしばしば。
紫外線には気を付けなければいけないが、それさえ注意していれば他の子供と同様に外で遊ぶことが出来た。
少女は母と、時折父と一緒に外へと出かけた。
それがいけなかったのかもしれない。
外に出れば容赦ない奇異の視線が彼女を貫く。
白い肌に白い髪、赤い眼と言う異分子はあまりに目立った。
近隣の子供と仲良くすることは出来ず、むしろ邪険に扱われ、自分に向けられる不躾な視線に彼女は泣いた。
両親は慰めてくれた。
胸に抱き頭を撫で、優しい言葉を掛けてくれた。
この日から彼女の世界は狭まり、外は怖い場所で両親の居る家こそが安心できる唯一の居場所になった。
ある雨が降った日。両親は買い物に出かけた。
彼女は外に出るのを嫌がり、一人で留守番をしていた。
本を読み、人形で遊び、テレビを見て、しかし帰ってくると言った時間を過ぎ、日が暮れてもなお両親は帰らなかった。
ひとりぼっちは寂しくて、探しに行こうとして、けれど外は怖い。
板挟みの感情に玄関前を右往左往する。
結局どうすることも出来ず、夜遅くに見ず知らずの男性が家を訪れるまで彼女はずっとそこにいた。
――――両親が事故で死んだのだと理解出来たのはずっと後のことだ。
訳もわからず施設に入れられ、そこで同じ年頃の子供たちに半ば苛められ、少女は自分の運命を、神を呪った。
お母さんに会いたい。お父さんに会いたい。二人に会いたい。
その思いは日に日に強くなり、愛情はいつしか憎悪に変わっていた。
私がここでこんな惨めな思いをしているのはあの人たちが私を見捨てたからだ。
幼い故に抱いた勘違いは、両親が不慮の事故で死んだと理解できても消え去ることはなかった。
いじめは酷くなる。
年を経るにつれ、最初は軽いものだったいじめはより残酷なものになり始めた。
いじめの原因が外見的特徴だったのが災いした。
徐々に徐々に嫌がらせはエスカレートしていく。
見かねたシスターや院長は注意こそしてくれるものの、所詮は赤の他人で、表向きは綺麗ごとばかり言ってはいるが、その中身は綺麗とは程遠い人たちだった。側だけ取り繕ったところで、心の底から親身になって少女を慰めてくれることはない。
一つ言えばいじめは鳴りを潜め、治まったのだと勘違いした。
子供たちは大人が思うよりずっと賢い。大人の目の届かないところでいじめは続き、それを嗜めるべき大人の目は、人形のように曇っていた。
幼いとは言え女性である少女に、度重なる虐めは計り知れないほどのストレスとなって身をを苛む。
少しずつ壊れていった彼女は、子供たちのいじめが一線を超えそうになった時、ついに爆発した。
――――シスターは見た。
無残に壊され、足の踏み場もないほどに散らばった家具。
一部壁紙は裂け、ドアは金具ごと壊れている。
目の前にはいじめの中心人物たちが白目を剥き、鼻血を垂らして転がっていた。
ミレイ・フォーザンが生まれて初めて魔法を行使した結果だった。
奇しくもその日はミレイ8歳の誕生日で、与えられた『魔法』は彼女の人生最大の誕生日プレゼントとなった。
それ以後は簡単な話だ。
彼女は施設の女王として君臨した。
扱いきれない『力』を躊躇なく使った。
手加減など出来ない。する必要がない。壊すことに喜びを見出していた。
彼女は周囲の人間に恐怖を植え込み征服した。
最近では意図的に使えるようになってきている。
例えば――――。
「私は人の心が見れる」
「……」
少女の告白にマクゴナガルは無言を貫いた。
つまらない反応とばかり、ミレイは鼻を鳴らす。
「教えてくれないなら、自分で知るしかない。でも、知ろうとして、本当に知れるなら苦労はない。
いっそのこと心を読めればいいのにってずっと思ってた。そしたらいつのまにか本当に心が読めるようになってた。魔法ってこんなにも便利な物なんだね!」
破顔した少女の爛々と輝く瞳は、その奥にどす黒い泥が見え隠れしている。
溢れんばかりの負の感情を心の奥底にしまい込んで、時折ちらと見せる憎しみは彼女の言動の節々に表れていた。
そんな少女のことを、歪んでいるとマクゴナガルは率直に評した。
かつてダンブルドアが彼の少年に抱いた気持ちを、数十年の歳月を経て今度は自分が抱いているのだと悟った。
マクゴナガルは閉心術をを使い、心を堅く閉ざした。
決してミレイに心の底を暴かせないように。
それから自分がここに居る目的に立ち返った。
「ミス・フォーザン。確かに、私は魔法使いです」
「そう。……あら、心が読めなくなった。……それも魔法?」
小首をかしげて尋ねるミレイにマクゴナガルは答えない。
「もうお分かりでしょうが、今日ここに訪れたのはあなたに入学案内を届けるためでもあります」
「入学案内……。ホグワーツ?」
「正確にはホグワーツ魔法魔術学校と言います」
マクゴナガルは平生の調子を保とうと苦心した。
眼前の少女に自分が抱いている感情を悟られまいと、繊細な注意を払って口を動かす。
「むろん、入学するしないは自由です。絶対にホグワーツへ入学しなければいけないわけではありません」
「喜んで入学するわ、マクゴナガル先生」
マクゴナガルは頷いた。
「では、学用品を買い揃える必要があります」
買い揃えるとマクゴナガルが言ったとたん、ミレイの表情には影が差した。
ミレイは口を開き、何事か言おうと口をもごもごさせる。
それをマクゴナガルは手で制した。
「心配しなくても、ホグワーツにはあなたのような子供のための援助制度があります」
懐から巾着袋を取り出す。
その中には、ミレイが見たことの無い硬貨が詰まっていた。
「全てを全て新品でそろえるという訳にはいかないでしょう。いくつかは古いもので済ます必要があります」
ミレイは巾着袋の中を覗いて、そこにある金や銀、銅色の硬貨に目を輝かせている。
マクゴナガルはその姿を意外だと思う自分がいることに気づき、すぐにその考えを恥じた。
どれだけ普通とかけ離れていても、どれだけ異質でも、ミレイはまだ子供だ。
何を恐れているのだろう。何を怯えているのだろう。何を悩む必要がるのか。
私は私の、するべきことをすればいいのだ。
「さ、ミス・フォーザン。何をしているのですか? 行きますよ」
「どこへ?」
「もちろん。学用品を揃えに」
途端、ミレイは不機嫌な表情になる。
「……行き方さえ教えてくれれば、自分一人で行くわ」
「魔法界への入り口は念入りに隠されています。一人で赴いたところで――――」
「必要ない」
断固とした意志を孕む強い口調。
思わずマクゴナガルは口をつぐんだ。
空恐ろしくなる。
たかだか11歳の子供に、半世紀以上生きている自分が恐れを抱くとは。
唾を飲み込む。
動揺を悟られぬよう、マクゴナガルは短く息を吐いた。
わずかに早まっていた鼓動が落ち着く。
「ミス・フォーザン。私は先生です」
「それが?」
「教師の言うことが聞けぬというのであれば、ホグワーツに入学することはできません」
「……」
睨みあう。
マクゴナガルは決して視線を逸らさなかった。
自分の内心を悟られる愚を犯さなかった。
ミレイは確かに恐ろしい。しかしそれはあくまで『11歳ならば』と注釈がつく。
マクゴナガルには、ミレイのことを必要以上に恐れている部分があった。
『名前を言ってはいけない例のあの人』を知っているがゆえの過剰な反応。
しかしながら、いい加減落ち着かなければいけない。
気合を入れ直し、目の前の物をあるがまま直視したマクゴナガルにとっては、如何に『例のあの人』を彷彿とさせる少女であっても、所詮は小娘に過ぎない。
結果、先に根をあげたのはミレイだった。
「……わずらわしい」
俯いての小さな呟き。
マクゴナガルには聞こえていた。
「なにか?」
問い返すマクゴナガルに、ミレイは「何でもありません。先生」といささかわざとらしく言った。
「では、準備を。日が暮れるまでには戻ってきたいですね」
「私はここに戻ってきたくはありません。それに、どうせ今日は一日雨です」
「雨は嫌いですか? ミス・フォーザン」
ミレイは窓の外を見る。
朝から降り続いている雨は未だに衰えを知らず、窓を打つ水滴が川のように垂れている。
「いいえ先生。雨は嫌いではありません」
雷が落ちる。
暗雲が立ち込める空を一瞬だけ照らした。
遅れて轟音が鳴り響く。
「人よりは、ましだ」
果たして、その呟きはマクゴナガルの耳に届いていただろうか。
分からないが、少なくとも、マクゴナガルは振り向かなかった。それだけは確かだ。