それはいつも通りの帰り道だった。田村美咲はいつも通り、学校から自宅に帰る。場所は所有しているアパートの近くだ。帰り際にアパートの掃き掃除でもしようと思っていた。そう、それは日課といってもいい。そう、いつも通りの事。そんないつも通りの帰り道。行方不明者が多発している事から、相当に警戒はしていた。狭い道は極力いかないようにした。
部活も早めに切り上げ、夕暮れ時になるより前には帰るようにした。
そう、ここまで警戒していれば大丈夫だろう。そう思っていた。
だが、予想外の事態は起こった。
「な、なに、これ?」
急速に黒い霧のようなものに包まれる。普通、黒い霧なんてものは発生しない。その霧によって、自分のいる世界は別の世界に切り替えられたような感覚にとらわれる。
グルグルグル。
うなり声が聞こえた。
それは大きな犬だった。大型の犬というだけで十二分に怖いものではあるが、その犬は頭が三つついていた。
それは恐らく、ゲームに出てくるケルベロスというモンスターなのだろう。そのモンスターはこちらをにらむ。こちらを補食対象として見止めたのだろう。
「い、いや・・・・・・」
恐怖のあまりろくに悲鳴すらあげれない。いや、悲鳴をあげる事に意味があるのだろうか。この空間は元いた空間とは分離されている。声も届かないかもしれない。
嫌な夢を見ているのだろうか。夢なら醒めてほしい。そう、夢から醒めていつもと同じ日常が始まってほしい。
しかし、そのモンスターは鋭利な爪を振り上げた。そして振り下ろしてくる。
「いっいやあああああああああ!」
断末魔のような悲鳴が響きわたる。
ーーしかし。
くるべき痛みはなかった。代わりに柔らかい感触が訪れる。瞑っていた目を開ける。見慣れた顔がそこにはあった。うちのアパートの住人である
菊池誠司さんだ。そして、自分が男の人に抱かれているという状況に気づき、急に気恥ずかしくなる。
ーー死の恐怖と安堵から、保っていた意識が急速に失われていった。
誠司(勇者)は何とか間に合った。魔物により襲われていたのは、大家の娘である田村美咲だった。寸前のところではあったが助ける事ができた。彼女は気を失う。無理もない。命の危機に瀕する事など、彼女の人生で一度としてなかった事だろう。
グルグルグル。
だが、危機的状況はなにひとつ変わらない。勇者にはかつての力がない。かつては蹴散らしていたであろう、下級なモンスターでも、今ではこれ以上ない位の脅威だ。
くっ。ここで死ぬしかないのか。
絶望に暮れる。
ーーと。
「くっ、くっ、くっ」
魔王ルシファーは笑った。
「な、何を楽しそうに」と勇者。
「この程度の下級モンスターなど、余の敵ではない」
「ば、馬鹿な。お前力が使えないんじゃないのか?」
「普段はな。普段は。しかし! 今のこの状況は普段の通りではない」
そして高らかに笑う。
「この空間は魔素(マナ)が多い。元々余がいた世界に近しい。万全ではないが、この程度の下級モンスターならば充分だ」
ガアアアアアアア!
ケルベロスはその三つの頭で襲いかかってくる。
「吠えるな! 駄犬め!」
魔王は魔力を放った。黒い暗黒の波動がケルベロスに襲いかかる。
グガアアアアアアア!
醜い断末魔を上げ、魔物ケルベロスは蒸発する。
そして、その瞬間霧がはれた。
「やったか・・・・・・・・」
「まあ、余なら当然の事じゃ」
そう魔王は勝ち誇る。
「どうじゃ、余の活躍?」
「なんだよ、誇らしげに」
「ただの穀潰しではない事がわかったか? んー?」
そうドヤ顔してくる。うざい。
「うるさい・・・・・・・それより、力は戻ったのか?」
「いや、そういうわけでもない。あれはあの空間だけだ。さっきのは余のいた世界、魔界に近かった。だから力が使えた。だが、あの黒い霧がはれれば力は使えなくなる」
「・・・・・・・・そうか」
「それより、この娘を早く運ばないか」
「そうだな」
魔王にそう言われ、勇者は美咲をアパートまで運ぶ事になる。