辺りが静かになった。小石が転がる音も小さくなっていく。体はまだ揺れを感じていたが実際には止まっているようだった。
もう動いても大丈夫だろうか。彼はそっと腕を動かしてみた。思い通りに動いた。痛みもない。指も曲がった。次に脚を動かす。問題なさそうだった。周りが崩れそうな様子もなかった。起き上がろうとしたが、すぐに天井に頭をぶつけてしまう。彼は狭い空間にいた。
自分は大丈夫そうだと分かったところで、ん、と目の前から朦朧とした声を聞いた。
「冴木さん、大丈夫?」
「あぁ、大丈夫だ。すまない」返事はすぐに返ってきたが声に力がなかった。「すまない、本当に」
「なに、無事で良かったよ。怪我は?」
「ボクは特に。キミの方こそ」
「ちょっと頭を打ったかも。でも全然痛まない。ガッキーに鉄人のコツを教わったおかげかな」
ヘルメットを被っておいて良かった。どこで何が役立つか分からないものだ。ライトを点けて彼は状況を確認しようとする。冴木と目が合うと、彼女の顔色が見る見る内に悪くなっていった。
真上をあの巨大な岩で蓋をされていた。周りは瓦礫の山でがっちり囲まれていた。どこを押しても微動だにしない。瓦礫の隙間を覗いてみても先は奥の岩に塞がれていて遠くまで見えない。空間には移動する余裕もなかった。辛うじて姿勢を変えられる程度だった。どうすることもできない、完全に閉じ込められていた。
「参ったなぁ、全然動かないや」現実から目を背けようと暢気な声を出した。「助けは来るかな」
あれだけの爆発音だ、誰かは聞いているはずだ。だが自分達が生き埋めになっているとは思いもしないだろう。時間が経てば自分達が消えたことに気付いてくれるかもしれないが、ここまで探しに来るのにどれくらいかかるだろうか。地下道は想像以上に広がっている。そこから自分達の居場所を掘り当てられるのは並大抵な確率ではない。考えたくはないが、諦めて探索打ち切りにされる可能性だってある。手掛かりは足跡と、盗賊団くらいだろうか。どちらもあてになりそうにない。仮に到達したとしてどうやって連れ出す。これだけの瓦礫だ。重機で掘削しなければならないだろう。
いつまでここのままでいなければならないのだろう。悪い想像ばかりが先走る。生き埋めになって衰弱死なんて、死に方としてはかなり嫌な方だ。
もう一人は大丈夫だろうか。さっきから何も話し掛けてこない。冴木を伺う。彼女は顔を伏せたまま、すまない、とずっと言い続けていた。とても大丈夫そうではなかった。
「冴木さんのせいじゃないよ。元はと言えば俺が埋蔵金を探しに行こう、だなんて言い出したからなんだから」
「いいや、ボクのせいだ。ボクが足を引っ張ったせいで」
「誰でも踏んじゃうって、あんなの。不可抗力だよ。冴木さんが踏んでなかったら多分、俺が踏んでたよ。岩から逃げ切れなかったのも仕方ないさ。むしろ爆発しなきゃ俺達はあのまま盗賊団に捕まってたんだよ?」
「捕まった方がまだましだった」
どれだけ慰めても冴木の気分が良くならなかった。心が折れてしまっている。どうフォローしたらいいのか分からない。
「俺なんてしょっちゅうミスしてばかりだよ。いつも誰かしらに迷惑掛けてるし、怒らせてるし、困らせてるし。笑っちゃうよね。キャプテンなのにさ。どれだけ借りを作ってるんだ、って話だよ。全部合わせたらこのくらいのことはかわいく見えちゃうよ。冴木さんなんて人が良いからさ、やっと貸しが少し減ったくらいじゃないの?」
思い付く限りの言葉をひたすら羅列していった。どこまで本心で言ったのか彼自身も分からない。冴木が元気になってさえくれれば良かった。だが反応は鈍かった。つられて彼の気分も落ち込んでいってしまった。
「さっきも言っていたな」
ぼそりと、聞こえるか聞こえないかくらいの声で冴木は呟いた。
「え?」
「ボクはお人好しだ、って」
「あぁ」
ここに来るまでにしていたやり取りを思い出す。言われるまでほとんど忘れていた。ドタバタしたせいでその話をしたのがもうずっと昔のことのような気がしてしまった。どうやら、彼女もずっと引っ掛かっていたらしい。
「ボクはお人好しなんかじゃない。ただ困っている人を助けたいだけだ」
「それは」少し考え、自分が間違ってないことを確認してから続ける。「お人好しだね」
「だがボクはそういう仲間に恵まれた」
少しずつ、冴木は饒舌になっていった。気持ちを断ち切らせないよう、彼は聞き手に回ることにした。
「女性選手が大会にも出れるようになっただろう」
「そうだね、おめでとう」
「ありがとう。あれは大筒高校の皆が署名を集めてくれたおかげなんだ」
「みたいだね」
あれは三月半ば頃のことだった。女性選手が公式戦に出られるよう要請する運動が盛んになり、ついに認められたのだ。野球界に衝撃が走る事件だった。世間では賛否両論別れたが、女性選手を抱えるチームにとっては大きく前進した日だった。
「彼らは打撃に自信を持っていた。誰でもクリーンナップを打てるし、チームバッティングもできる。恐らく打線は全国レベルと言っていいだろう。だが守備に難があって、なかなか勝ち切れなかった。勝った試合のどれも点を無理矢理もぎ取って掴んだものばかりだった。ずっと悩み、課題にしていたが解決できなかった。だからボクが手助けしたんだ」
その成果は彼もよく知っていた。去年の秋大会と今年の春の練習試合、二回に渡ってSG高校は苦汁を舐めさせられた。打撃特化だと思っていたライバルはバランスよく地力を上げており、確固たる実力差を見事に見せ付けてきた。
「一方でボクも大会に出られないことに未練が残っていた。せっかく磨いてきた技術を披露することなく引退するのは嫌だった。だが一人ではどうしようもなかった。夢を仲間に託すしかできなかった。半ば諦めていたよ。それを察した仲間が、署名活動をしてくれたんだ。自分達の時間を削って、ボク一人のためだけに」
一言一言、噛み絞めるように冴木は話した。
「いい仲間だね」
「そうだな。皆大切な、大好きな仲間だ」
彼女の顔から、ようやく笑みがこぼれた。顔色も少し良くなった。そして、自信を込めた口調で続けた。
「困った時には手を差し伸べる、助け合う、そうやってボク達は前に進んでいった。ボクは確信しているよ。今年の大筒高校なら甲子園に行ける、ってね。手を差し伸べるというのはボク達の信条なんだ」
なるほど、と冴木のために聞いていた彼はいつの間にか無意識に何度も頷いていた。頭の中でバラバラになっていた欠片が繋がり、はっきりとした形になっていった。これまで冴木が取ってきた行動の全てに納得がいった。彼女は最初から見返りなど求めていなかった。全ては自分達の信条を貫くためだった。強いて欲しかったものを挙げるとすれば、困っていたら手を差し伸べる関係、繋がりだろう。その相手がどこの誰だろうと関係なくだ。冴木さんらしい、と素直に思えた。
「だから人を困らせることだけは絶対にしたくなかった。それなのにな」
「困ってないさ」また落ち込みそうになっていたところへ彼は口を挟む。「おかげで冴木さんの本心が聞けた」
「冗談だろう?」
「本気さ。こんな状況にでもならなければ教えてくれなかった気がするよ」
不機嫌な声色で冴木は突っぱねたが彼は至って真面目に答えていた。そんな訳ない。絶対強がっているだけだと、適当なことを言っているだけだと彼女には思えた。だがいつまで経っても彼は訂正せず、その姿勢を崩さなかった。まさか本当に、と気持ちが揺れる。
「ただ一つだけ冴木さんは間違えてるよ。今年、甲子園に行くのは俺達SG高校だ」
戸惑っていた冴木はまさか次に彼から挑発とも取れる言葉を聞かされるとは思ってもいなかった。ようやく彼の顔をまともに見る。彼の表情にはもう、生き埋めにされている絶望感がなくなっていた。
「冴木さん達に散々やられたからね。弱点の攻撃力はしっかり強化してるよ。今まで通りだと思っていたら痛い目を見ることになるぜ。もちろん守備力も落ちてない。それに、仲間との絆の強さだって負けちゃいない。普段の練習に加えて、俺達は危険なミッションをたくさんこなしてるんだ。ミッションは連携が大事でね、お互いを信頼してないとうまくいかないんだ。バランス、タイミング、全てが噛み合わないといけない。だからミッションをクリアできるってことはチームワークが優れてるということでもあるんだよ」
もう気を遣ってはいなかった。本心のまま、自然と湧いた感情に任せて語っていた。そして、と彼は続けた。
「俺達も冴木さん達に負けないくらい固い絆で結ばれている。だから、絶対に助けに来てくれる。どれだけ時間が経とうが見捨てたりなんかしないさ」
「そうだろうか」
「そりゃそうさ」彼は自信たっぷりに言ってのけた。「困った時はお互い様だからね」
彼の自信が冴木に伝わったのか、冴木はまるで十年来の親友と再会したかのような表情をしていた。そして何を思ったのか、顔を伏せてしまった。心配になって覗こうにも顔を見せてくれない。しかしすぐにフッ、と笑った声は聞き逃さなかった。
「そうか。それなら安心だな」
次に冴木が顔を上げると、彼女の調子がやっと元に戻っていた。
時々、彼は思うことがあった。冴木は大筒高校よりもSG高校の方が合っているのではないかと。鉄壁の守備を売りにする自分達との相性は絶対いいはずだ。それに困っている人を助けたいだなんてSG高校の理念そのものだ。うちのチームに来てくれれば、それこそ甲子園は夢ではなくなるだろうなといつも想像していた。
だが彼女には大筒高校の方が合うと、今ではそう思えていた。この黒と赤の、自分達にトラウマを植え付けたユニフォームを着ていた方がよっぽど様になっている。SG高校に来ていたら今の彼女は存在しなかったかもしれない。お互い、いい仲間に恵まれた。そして、いいライバルにも恵まれた。この立場だから良かったんだ。
心地良くなっていた。冴木の話一つ一つを思い出し、頭の中で繰り返す。ふと、彼は笑みをこぼした。
「どうした?」
「いや、冴木さんでもさ、大好きだなんて臭い台詞を吐くんだな、って思って」
な、と冴木は一瞬、言葉に詰まる。
「失礼な奴だな。言っちゃいけないか?」
「いけなくはないけど、クールな冴木さんのイメージからはちょっと想像できなかったというか」
「やっぱり失礼な奴だ」
そっぽを向かれてしまったが悲しくなるより、むしろ元気になった冴木の様子が見られて彼はほっとする。
「それ、チームの皆には言った?」
「言う訳ないだろう。恥ずかしい」
「ちゃんと言わなきゃ駄目だよ」
「言葉にしなくても皆分かっているさ」
「いやいや分からないよ。もし伝わってなかったらやばいよ?」
彼自身も、質が悪いなと思う程に意地悪な言い方だった。
「分かった。帰ったら言ってみるよ」
ため息混じりに冴木は観念した様子を見せた。やはり眉毛が下がっている。出発前みたいにふてくされていた。だが決して嫌そうでもない表情だった。よし、と彼は満足そうな笑みを浮かべる。
「あとは助けを待つだけだな」
もう一度岩の隙間を覗いてみる。試しに岩をどかそうとしてもみるがやはり動きそうな気配がない。そのまま他の隙間も見てみる。やれることは全くなさそうだった。じっと座って体力を温存しておいた方がいいだろうか。だが彼は何もせずにただ待つのが苦手な性格だった。まだ何かできるはずだとあれこれ探す。
と、岩しか見えなかった奥に何かを見つけた。何だろうとじっと見てみる。水晶だろうか、ライトの光を反射したつやが見えた。全体像を見てみようと、首を捻り、角度を変える。光沢は細長い皿のようなものが上下に合わさっていた。まるでくちばしのような形だった。
「カラス?」
その名前を呼ぶ。それと目が合った。それもただのカラスではない。理事長が飼っているあのカラスそっくり、むしろそのものだった。
まさか、と驚く間もなく、爆発音がした。下からだ。何回も続いて音がした。景色全てがまた揺れる。落ち着いていた冴木が飛び起きた。
「また爆発?」
明らかに怯えている。地震がトラウマになりかけているようだった。
「いや、これは」
爆発には違いないが、盗賊団が仕掛けたやつによるものではない。誰かがカラスボンバーを作動させたんだ。隙間をまた覗いてみたがカラスの姿はもうなかった。だが耳を澄ませると、爆発音に紛れてカラスの鳴き声が聞こえてきた。間違いない、助けが来たんだ。恐らくこのまま瓦礫を壊していくつもりなのだろう。手荒いなぁ、と揺られながらも頬が緩んだ。
ガラッ、と音がした。岩が崩れる音だ。出られるか、と思った。しかし辺りが騒がしくてどこからしたのか分からなかった。左右を向くが変わらない。上か、とも思ったが何も変わっていない。
「うわああああ!」
突如、冴木の叫び声がした。同時に足元が崩れ、身体が宙に浮いた。何で下から、と理解が追い付かず、怒りにも似た感情を覚えたが考えている暇はなかった。反射的に彼は近くの岩に手を伸ばし掴んだ。冴木はというと何とか腕を伸ばし、彼のベルトを掴んでいた。引き上げたかったが、激しい揺れの中でその余裕はなかった。
足元は次々と崩れていった。見下ろしてみると、まるで落とし穴に引っ掛かった跡のように床がなくなっていた。徐々に揺れが収まっていく。支えは彼が両手で岩を掴んでいるだけで、二人の身体は宙に浮いていた。愕然とする。言葉も出ない。
しかしその先に、明かりが見えた。広い空洞も見えた。どこかで見たことのあるホームベースも見えた。崩れた瓦礫が遙か下の地面まで落下し、小さな音を立てた。辺りがまた静まり返る。すると、人の声が聞こえてきた。
「本当にあの辺から落ちてきたのか?」
「間違いないよ。ほら、この金塊。いかにもあの切れ目から落ちてそうだろ」
「あれって今、お前が開けた穴じゃないのか?」
「どうしたんだ」
「あ、桜ノ宮。いやね、さっき凄い地震があったじゃん。その時にこの金塊があそこから落ちてきてさ、もしかしたら埋蔵金じゃないか、って思ったんだよ。試しに爆破させてみたんだ」
「試しにって、貴重なカラスボンバーをこんなところで使ったのか。許可も取らずに」
「大丈夫だよ、キャプテンなら許してくれるって。埋蔵金に凄い興味があったみたいだしさ」
「あれ、そういやそのキャプテンはどこに行ったんだ?」
暢気な会話だった。二人の状況など全く知る由もなさそうだった。会話している人達の姿は見えない。だが確かに知り合いのもので、そこにいるとはっきりと分かった。
二人は、目を見合わせた。
「助けてえええ!」
「わっ。きゅ、急に叫ぶな!」
宙に浮いた冴木の身体が揺れ、ずるっ、とベルトの掛かったズボンがずれた。
「いっいたたたたた! 冴木さん、い、痛い! もげる! 戻して!」
「無理だ! ボクだって必死なんだ!」
「そ、そんなこと言ったって。このままじゃ俺の股間爆弾が爆発する!」
「股間より命だ! 男の子だろ! 我慢しろ!」
「まずい、手が、手から力が、抜ける」
「駄目だ! それだけは駄目だ! 落ちる!」
「皆聞いてくれ! 冴木さんはね、大筒高校の仲間が大好きなんだよお!」
「何で今それを言うんだ!」
数十分後、辛うじて二人は救助され、一応怪我なく冒険を終えたのだった。