可愛いの条件 ~ Story of Rin 作:Kohya S.
神田、須田町。秋葉原に近いこの町は都市化の波に襲われているが、それでも古い建物がずいぶん残っている。
「あ、猫」
史郎は民家の塀の上にいた猫に向けてカメラを構えるが、次の瞬間、猫は身をひるがえして塀の奥に消えていった。
「うーん、すぐ逃げられちゃうんだよな……」
寒い日も多い四月半ばだが今日は晴れていて風もない。絶好の撮影日和といっていいだろう。史郎は気晴らしと撮影の練習を兼ねて散歩に出ていた。
せっかくの週末にひとりで散歩とは、高校生としては地味だと自分でも思う。とはいえ友人たちと騒ぐのもあまり性に合っていないし、そもそも入学直後で友人も少ない。なにより気楽だった。
史郎が次の交差点に差し掛かったところで、曲がり角の先から女の子の声が聞こえてきた。
「えっと、うーんと、エイゴシャベレマセーン、じゃなくて」
それは英語じゃないだろうと内心で突っ込みを入れる。そうとう慌てているようだ。
「What?」と男の声も聞こえる。
史郎が角を曲がるとそこでは女の子と長身の白人男性が向き合っていた。女の子は史郎と同じくらいの年頃だろうか。男性は手に地図らしきものを持っている。
彼女は必死に身振り手振りで伝えようとするが、そもそも彼女自身が何を伝えたいのかわかっていないようだった。
「うーん、アイ・キャント・スピーク・イングリッシュ?」彼女はなんとかそう答える。
「Oh」と男性は手を上げる。
史郎は特に英語は得意ではないが――中学時代にそれなりに勉強しただけだ――見かねて近付き声をかけた。
「May I help you?」と史郎。
「Aah」
男性は明らかにほっとしたようだ。女の子は突然あらわれた史郎に驚いた様子だったが、一歩下がって史郎に場所を譲る。
「Would you show me where I am on this map?」と男性は史郎に地図を示して続ける。
「えーと」とのぞき込む史郎。「You are now on here...」
史郎はなんとか男性と言葉を交わした。男性は道に迷っていたらしい。地図で場所を示してやり秋葉原駅の方向も教える。
「Thank you! Have a good day!」と男性は大げさに手を振り去っていった。
「You too!」と史郎。
男性が次の角を曲がって見えなくなった。
「ふーっ」と史郎は息を吐き出す。
文章自体は中学英語だけど……やっぱり緊張するな。
そこで女の子のことを思い出し彼女のほうを振り向く。
明るい色のショートカットの髪、細身の体形、史郎よりすこし低いくらいの身長の少女だった。タンクトップとTシャツのレイヤードにブルーのハーフパンツ。パンツから伸びる足がすらりとしている。
「あ、ありがとう」
彼女はぺこっと頭を下げてそういった。
「いや、どういたしまして」と史郎。
「歩いてたら、いきなり話しかけられて、もう、びっくりしたニャ」と彼女。
そう話す彼女は生き生きとしていて……くりくりとよく動く目が印象的だ。あれ、彼女、どこかで見たことがあるような気がする……。
「凛、英語苦手だから、ちょっとパニックになっちゃった」
ようやく安心したのか彼女はほっとしたように笑った。
「たいへんだったな」
そう答えながら史郎は中学時代を思い出していた。凛。たしか隣のクラスで、陸上部で活躍してた子がそんな名前だったはずだ。苗字も印象的で……。
「えーと、星空……凛、さん?」と史郎。
「え、凛のこと、知ってるの?」
「俺も音中だから……」音中、つまり音ノ木坂中学校だ。「二組だった七尾だけど」
「……ごめん……覚えて、ないみたい」と気まずいのを隠すように頭を掻いている。
まあ、俺はあまり目立つ方じゃなかったからな……。
「でも、七尾君、すごいね。英語できるなんて」
凛は感心したようにいった。
「いや、あれくらいなら中学英語だし」と史郎は冷静に指摘する。
「えへへ、そうだったかニャ……」と凛はとぼけた顔であさってのほうを向いて答えた。
うん、ちょっと大人げなかったかな。
「まあでも、いきなりだと緊張するよな」とフォローしてみる。
「そうそう、いきなりだったからね」凛は腕組みをしつつうなずく。
史郎がそんな彼女の様子を見ていると凛は思い出したようにいった。
「はっ、急いでたんだった。じゃあ、七尾君、本当にありがとう」
凛はそういうともう一度頭を下げ、くるっと向きを変えると通りを走っていった。凛の背中が見えなくなるまで、あっという間だった。
表情がくるくるとよく変わる子だったなと史郎は思う。
どちらかというとあまり活動的でないと自覚している史郎には、凛がすこしまぶしく見えたのだった。
・
翌月曜日、昼休み。
学生食堂での昼食を終えた史郎は教室で友人と話していた。
「そういえば昨日、星空さんに会ったよ」と史郎は思い出していった。
「へえ、星空に」と
正志は史郎や凛と同じ音ノ木坂中学の出身だ。
史郎の通う千歳橋高校は秋葉原から数駅の場所にあり、男女共学だがどちらかというと女子が多い。もともと生徒数が少ない音ノ木坂中学から千歳橋高校に来た男子はさらに少なく、史郎は正志と自然に話すようになっていた。
「たまたま撮影で散歩してたら会ったんだ」と史郎。「たしか正志は同じクラスだったよな」
「おう」
「彼女……中学のころはどんな感じだった?」
「どんな感じって……うん、見たまんまだな。元気いっぱい、勝気で男勝り。でも、なんでそんなこと聞くんだ?」と正志。
史郎はすこし躊躇する。
中肉中背でわりと目立たない雰囲気の史郎に比べると、正志はがっしりとした筋肉質でいかにも体育会系という感じだ。しかし話してみるとさっぱりとした性格で不思議と史郎とは馬があった。
そんな正志だから……まあ話しても、からかわれたりはしないだろう。
史郎は周りの生徒に聞かれないようにすこし小声で切り出した。
「いや、会ったときに……結構可愛かったなって」
「可愛い……うーん」
腕組みをする正志。そしてやはり小声で答えた。
「まあたしかに外見はそうかもな。でも同じクラスだとなあ……あまり可愛いって感じじゃないぜ」
「ふーん」
そんなものだろうか。昨日のあわてた様子はすごく……女の子らしかったのだが。
正志は腕組みをしたまま思い出すように頭をかしげる。
「どちらかというと女子受けがよかったかもな。男子にも、ずばずばものをいうし」
そして続けた。
「俺は星空と一緒にいた小泉のほうが気になってたかな。知ってるか?」
「いや、知らない」と史郎。
隣の組の女子なんか知らないのが普通だろう。
「こう、なんかいかにも女の子、っていう控えめな感じで……。それに出るところは出てて……」
いやそんなことは聞いてないんだが……。
「今のクラスでいうと逢沢みたいな感じかな……」
その後もしばらく正志の女の子談義が続いた。たしかにこの年なら異性に興味があるのは当たり前だが……昼休みにひそひそとそんな話をするのはどうだろうか。
ちょっとさっぱりしすぎてるのも困りものかもしれない、と史郎は思った。